ネズは捕らわれている・3

もう随分と昔の話、今のようにスマホも発達しきれてない、ただの通信機器の一種でしかなかったくらい前。
ワイルドエリアを仲間たちと歩いていると、聞きなれない声が耳に入った。興味以上に、その音の発生源を求めて辺りを探し回った。
ポケモンの鳴き声ではない、かといって人間の話し声や強敵にぶつかったときの驚きの声でもない。
それは、歌声だった。
まだ声も変わっていない少年の澄み切ったハイトーンの声が、聴いたことのない歌詞をつむいでいた。演奏もなにもない、独唱の歌。
腕の中にいるジグザグマに傷薬を使ってやりながら、回復の合間に少年が歌っていた。
「すげー!おまえ、すげーな!」
声をかけるとひっと肩を震わせて、こちらをうかがい見る。トレーナー同士、目が合えばバトルというのがこの世界のルールだが、まさか手持ちのポケモンを回復させている合間の相手をわざと狙おうなんてほどずる賢いわけじゃない。
「なんです?」
というか誰です、と引き気味に聞き返されて、せっかくの歌を途絶えさせてしまったことに謝る。
「いや、おまえ歌めちゃくちゃ上手いなって」
「普通です。まだ町じゃステージにもあがれないし」
マイクも持てないと言う相手にもったいないと返した。だってそうだろ、こんなに上手いのにもっとたくさんの人に聴いてもらうべきだって。
「なあ今のってなんて歌なんだ?」
「なにって、別に、タイトルなんてねえ、ですよ。おれがなんとなく、そんな気分で歌ってるだけなんで」
つまりはその場の思いつきなんだって聞いて、思わず天才じゃねえかと叫んだ。それに恥ずかしそうに声を潜めて、うるさいですよと呆れた口調で返される。
「歌、作ってるのか」
「別に、作ってるってほどじゃ。メロディもなにも、ほとんどめちゃくちゃで、あと思いつかないときはいつも、同じフレーズを歌ってるだけだし」
「なあ聞かせてくれよ、もっと」
えっ、ととても困った顔をした相手に、もっと聞きたいんだってと笑顔で返すと、彼の腕の中にいたジグザグマもそれに合わせて声を返す。
「ほら、おまえのジグザグマも聞きたいってさ!」
「そ、そんな……人前で歌うほど、いい曲じゃ」
そんなことはないと断言できる、だって綺麗だった。彼の声が、歌が、詩が、溢れ出てくる感情が、胸を熱くさせるのだ。
期待の眼差しを向けると、しばらくしてじゃあ少しだけですよと遠慮がちに言うと、ゆっくりと口を開けた。
だれかに気づいてほしい、どうかみつけ出してほしい、そう強く願う言葉が叫びが胸の奥を掴んでくる。子供が作ったとは思えない、どこか悲しいような、切ないようなそんな歌詞。自分が普段、好んで聞くような歌ではないんだけど、でもなんでだろう、彼の口からでならば雨のようにすっと染みこんでくるのは。
「やっぱりすげえよ、本当に天才だな」
「あの、だからほめすぎです、天才じゃねえです。おれなんかは、本当に」
そんなことない、絶対にこいつは天才だった。頭より先に心が理解した、こいつはすごいんだってこと、もっと広く知ってもらうべきだと。
「オレさまナックルシティのキバナっていうんだ、おまえ名前は?」
「ネズです、スパイクシティの、ネズ」
隣じゃん、絶対におまえがステージ立つとき教えろよ、絶対に行くからなと言うと。だからそんなこと、本当にないですよと呆れ口調で返された。
それからほどなくして、初めてのリーグチャレンジで顔を合わせたときはビックリした。バトルのときのテンションにも、ネズの強さにも。
あのときから何度か、顔を合わせるたびにせがんで歌ってもらったあの曲。
いつかデビューするときはそれがいいって強く言ったけど、こんなもの到底、音波に乗せるわけにはいかないと何度も拒否された。でもどうしても題名のない彼の歌が、オレさまは大好きで、今でもよく覚えている。
だというのに、あいつはそれをまだ世に出していない。

「おいネズ!ネズ待てって、おい!」
通話の切れた相手の名前を叫んでも仕方ないのはわかている、仕事に没頭しすぎると周りが見えなくなるタイプだってのも知ってはいるが、それにしても今回のはいくらなんでも度が過ぎる。
「キバナくん、ネズくんは大丈夫なのかい?」
最低限の荷物をポケットに詰めながら、大丈夫ですよとカブさんに返す。集まっていた誰もが連絡を取ろうと必死になってた相手だ、あの見た目だし、どっかで倒れてるんじゃないかって心配にもなる。
「ちょっと人前に出れないとかなんとか言ってるけど、とにかくオレさまが引きずってでも連れて来ますんで」
控室を足早に出ていこうとした直前で、待ちなと鋭い声が飛ぶ。
「今から行って戻って来れるのかい?」
「ギリギリになろうが間に合わせますよ」
「あんたはそうかもしれないが、相手がどうかまではわからないだろう」
来ないと言ってるならその意志を尊重すべきだと思うけどねえとポプラさんは言うが、しかしそうは言ってもだ。せっかくの晴れ舞台、年に一回の大舞台だぞ。
しかも、今回はネズだけじゃあない、あいつの妹もいる。そんな舞台に立たないなんてどうかしてる。
「本人が来ないと言ってるなら、無理に行くもんじゃないよ。それに、あんたも到底、これから人前に出れる顔してないね」
他人の心配する前に自分の顔を鏡で見てごらんよ、と指摘されて腹の中で沸騰しかけた怒りをそのまま吐き出そうとしたところ、落ち着きなさいと静かな声でカブさんに止められた。
「実際に、ネズくんはどう言ってたんだい」
「人前に出られる、状態じゃないってよ。今更だろうがって言ったんだけど、今から来たらオレさままで間に合わなくなるから、だから来るなって」
「なるほど。その判断は正しいとぼくも思う。どんな事情かはわからないが、彼はここに来るべきじゃないと判断した。ならばその意思を尊重するべきだし、少なくともキバナくん、今きみがこの場から迎えに行くべきじゃない」
なんのためにスタッフがいると思ってるんだい、ここから出ていけばどれだけの人に迷惑がかかるかわからないほど子供でもないだろうって。確かに、そう言われりゃそうなんだろうけど。
「実際、あんたが行って連れて来れる保証もないんでしょ」
「ネズは一回こうだって決めたら、意地でも動かないところあるからね」
なんだよルリナにヤローに、全員もう諦めちまったのか。あんな死ぬほど連絡しまくって、ようやく繋がったっていうのに。
「無事だということがわかったなら、それでもう充分だ。まさかリーグ開催前にジムリーダーが失踪なんてなったら、それこそリーグ自体が中止になりかねない。でもネズくんは、開会式には来れないが、ジムの仕事は放棄してないんだろう?なら、今この場にいるぼくたちがすることは、ここに集まったファンに不安を与えないことだ」
きみがいるか、いないか、それで反応が変わることくらいわかってるだろう。この会場にどれほどキバナくんのファンが詰めかけているのか、彼等を裏切ることはできないよ。
そんなことはわかってる、その上でどうしてもオレさまはネズに立たせてやりたかった。
そのとき、新しい着信が入った。この忙しいときに誰だと画面を見たら、表示されてた名前に固まる。
ちょっと悪いと声をかけて、通話のために廊下へ出る。
「マリィちゃん久しぶり、どうした?こんな時間に」
「ごめんなさい、忙しいのはわかっとるんやけど、どうしても聞きたくて」
アニキはそこにおる?
しばらくチャットにも電話にも出てくれないから、心配になってしまって、リーグの人に聞いても教えてもらえんからって。
そりゃそうだ、まさかジムリーダーが一人来てませんなんて、選手に言えるわけがない。
「あー、ちょっと手違いがあったというか、さっき連絡がついてさ、なんというか」
なんて言えばいいだろう、この子に心配かけないようにって思うんだけど、どう伝えれば傷つけないのかぐるぐると考えながら言葉を積んでいくと、やっぱりと相手のほうが溜息混じりにつぶやく。
「アニキ、来てないでしょ」
「ああいや、そうなんだけど、なんとか連れて来るからさ」
「無理しなくていいです、なんとなくそうじゃないかって思ってたから」
「それってどういう」
「アニキは、弱い人じゃないんだけど……無理が重なったらダメんなる」
なんでもかんでも背負いこんじゃうんから、町のことも、みんなのことも、だからわたしを送り出してくれて悪化してないか心配してた。
そうだ、なんでも大丈夫だって言う。心配かけないようにって、周りに向けていつからかあいつは口癖のように返すようになった。おれは大丈夫だって。
それが嫌で仕方ない。もっと頼りにしてくれたっていいだろうが、オレさまが心配してるんだ。というか、応援したい兄貴が妹に心配かけさせちゃ、それこそ本末転倒だろうが。
「人前に出られる顔してないから、どうしても無理だって。んなの関係ねえから、オレさまが引きずって連れて来ようかと思ってんだけど」
「いいです、たぶんそんなことしても時間の無駄だから」
終わるまでは絶対に開けてくれないだろうからって、淡々とどこか兄貴に似てる彼女から言われると、だよなあと妙に納得してしまった。
「キバナさんはアニキのこと、好いとうよね」
「おう好きだぜ、あいつのバトルも歌も、最高だからな!」
そういうことじゃないと、真剣な少女の目が訴えかけてくるので溜息を飲みこんで、好きだとこちらも真剣に返す。
「アニキのこと、助けてくれますか?」
「ああ、オレさまができるなら、絶対に」
「本当にできますか」
あの人を捕まえてるものから、助け出せますか。わたしにもできなかった、自分だからかもしれないけど、でも。まず心の奥底に固く鍵をかけて閉じこめたものの蓋を開けさせるのも大変だろうし、分け合うにはひどく重いものを抱えているかもしれない、わたしには渡すまいと最後まで気を張ってたものを、一緒に持ってくれますか。
「もちろん」
今更、なにを恐れることがあるだろう。
オレさまはガラル最強のジムリーダー・キバナだ。その名前と看板に嘘なんてない、先の見えない砂嵐だろうが、身を切るようなあられだろうが、凍えるような雨であろうが、吹きすさぶ風すらもものともしない。
捕らわれている鎖ごと咬み千切って、連れ去っちまうさ。
「できんの?」
「ものの例えだって。本当に連れ去ったりはしねえよ」
当たり前、やったら怒るよと真顔で言われる。なんだかんだでこの兄妹は仲がいい、お互いのことが宝物みたいに大事なんだってのは、羨ましい限りだけど。まあだからこそあいつは強くなったんだろう。ただみつけてほしいと手を伸ばしてた、思い出の少年のままでもよかったのに。
「アニキに受け入れてもらえるんか、知らんけど。じゃあキバナさんに、一つ教えとく」
アニキの心の鍵の開けかた。

ジムリーダーになるよりずっと昔のこと、おれの歌を聞きに来るはた迷惑な観客がいた。
まだまともにステージにも立ったことのない、ちゃんとした持ち歌すらないただの一般人が作った、即興の歌をなにが楽しいのか顔を合わせるたびにねだってくるものだから、何度となくやめろと言ったのに。それでもつきまとい続けた。
「いい加減にやめなさい、こんな歌聞いて楽しいですか」
「なんでだよ、いい歌なんだから何度だって聞きたいんだって」
なあいいだろとアンコールを所望する相手に、本当にやめろとそっぽを向く。そろそろ喉も枯れて来たころだ、まともな声も出ないのにアンコールなんて引き受けていたらダメだ。
「今後おれはもうアンコールを受けません」
「ええーなんでだよ、減るもんでもなし」
「減ります、おれの声が減ります」
だから二度と来るなと言っても聞かない、こんな歌、誰にも聞かせる気はなかったのに。
誰かにみつけてほしかった、そう思ってても言えないことを閉じこめて、一人きりのときにそっと口ずさんでいたら、気がついて寄って来てくれた仲間ができた。彼等にはさらけ出してもいいかと休憩がてら歌っていた。
自分の中では大事な曲ではある。いわゆる処女作とでも言うのだろうか、でもきっとステージに立ったらこんな歌ではいけないとわかってる。だから未発表のまま、誰にも知らないまま閉じこめてしまおうと思っていたのに。
嵐みたいな少年は、なぜかそれがいいとしきりに言う。それを歌うべきだって、タイトルすらないメロディラインも完璧に定まってない、めちゃくちゃな歌を。
「ネズは天才だな!」
そんなわけないでしょう、俺が天才ならなんでこんなことで悩まないといけないんですか。

自分の頭に擦り寄る柔らかいものに気づいて目を開ければ、タチフサグマが目の前でにっと笑みを作ってみせた。おまえとも長いつきあいですねと、頭を撫でてやると昔から変わらない嬉しそうな可愛い笑顔で見やる。
懐かしい夢を見ていた、子供のころの夢だ。ジムリーダーでもなんでもなかった、無名のトレーナーだったころのおれと、徐々に名声を受けていったキバナ。天と地ほどの差がある埋められない距離に、眩しく見あげるしかない。荒れ狂う嵐の合間に差す太陽のような男の、まだ可愛げのあったころ。
あのときはまだ、自分への好きだなんて言葉は純粋にバトルや歌のことだけだったはずなのに、いつからあんなふうに趣味が悪い冗談を言うようになったんだろう。今日もそうです、無理にでも引きずってでも連れて行くと、こちらのこともお構いなしに言ってきたものの、結局は他のジムリーダー、たぶんポプラさんかカブさんにでも止められたんだろう、結局は来なかった。
それに少しだけ寂しいと思った、でも来なくてよかったとも同時に思う。
気だるい体を起こして、顔を洗ってみると目元のクマの酷さがいつにも増してやつれた雰囲気を出している、顔色もまあお世辞にもいいとは言えませんし。あと髪も酷い有様だ、休めるタイミングを見誤ってたあまり、元からのボリュームもあって変なおころに癖がついてしまっている。これは洗い流したほうがマシだろうと、重たい体を引きずって服を脱ぎ捨てて暑いシャワーを浴びると少しだけ、頭が覚醒してきた。
マリィには謝っても取り返しのつかないことをしてしまった、いよいよ愛想をつかされてしまうかもしれない。罪悪感にじくじくと心を浸食されていくようで、でも体を動かすのも気が重くてぼうっと体を打ちつけてくるシャワーを受けて、水分を含んだ髪が重く背に張りついてきたのが、気持ち悪くて耐えられなくなったころにようやくシャワーを止めて出た。
適当に体を拭いて、髪を乾かしながらスマホロトムの電源を入れる。想像通りの通知の量だが、今その全てに目を通すわけにもいかず、明日以降の自分の頑張りに期待するしかない。
最新のメッセージは、これを切る直前に電話をかけて来た相手だった。
「開会式も取材もあらかた終わったら、通話してもいいか?」
三時間ほど前のメッセージに、律儀に今返す理由もないのだが、どうせ向こうだって会えると思って送っていないだろう、おれからの反応があることを期待しての言葉だろう。
でも一方的にかかってくることが多いその番号に、珍しくも折り返し電話をかけてほしいとロトムへ言っていた。
一回目のコール音が終わるかどうかのところで、相手が出る音がした。
「ネズ ?」
「おれ以外、誰がいるんです」
あなたが連絡がほしいと言ったんでしょうと相手に向かって、確かにそうだけど本当にくれると思ってなかったからさと、少しほっとした声で返される。
「おれもかける気はなかったです、申しわけない気持ちしかないので」
「じゃあなんで」
なんでと聞かれると困る、なんとなく、ただ本当になんとなく。
その先を口にするのをためらって、しばらく沈黙すると相手も同じように黙って待つ。珍しい、普段ならこちらが頼んでなくても理由をあれこれ聞いたり、詮索したりしそうなものだというのに。それとも、電話越しでもわかるほどに今の自分は酷い有様なのだろうか。
「キバナ、今時間ありますか?」
あるぜと気軽に返ってくる、開会式もインタビューも全部終わって、もう解散した後なんだろう。
「今なら、会ってもいいですよ」
「マジで」
人前に出られないのは本当なので、ウチになりますがそれでもいいならと言えば全然構わないと返ってくる。タクシーを使って、少し外れに降りるだけなんだからさして変わりはないのは確かなのですが。
ジムのすぐそばなので、地図を後で送ればすぐ来れるでしょう。それまでに自分はこの重い髪をどうにか乾かしてしまわないと。
「珍しいな、ネズから誘ってくるなんて」
「迷惑かけてしまいましたからね。まあ、ただの気まぐれです」
おれは今とても最低な気分で、そこにちょうどよく感情を埋めてくれそうな相手がいる。こんなの自分のわがままである自覚はあるが、しかしそれを拒絶されたりしないこともわかっている。 ならば、たまにはあなたも人の感情に振り回されてみなさい。
「穴埋めというわけではありませんが、おまえの望みくらい叶えてやろうか、と思いまして」
「オレさまの?」
どんなと聞き返してくる相手に、ふっと息を吐いてしばし黙りこんでから返す。
こんな夜中に呼び出して、しかもこんな最低の気分で、会おうと誘いかけてくるんです。目的くらいわかるでしょう。
「来るなら、おまえの好きにしていいですよ、おれ抵抗しないので」

あとがき
少年時代のネズさんが、ジグザグマを抱き締めてる姿を想像して五体投地しました。
2019年11月29日  pixivより再掲
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