ネズは捕らわれている・2
キバナが連れて来たのは、ナックルシティの外れにある店だった。店主とは顔馴染みらしく、奥の個室へ通されると次々に料理を頼んでいく。肉料理が美味い店らしいが、だからってそればかり頼むのをたしなめる。
「野菜のほうが好きだった?」
「バランスを考えろって言ってるんですよ、体が資本なのはあんたも同じでしょうが」
いやーあいつらの世話してると、どうしてもなとあっけらかんと言ってのけるが、ドラゴンタイプとはいえ常に肉ばかり食べてるわけではあるまい。きのみでの栄養補給も大事ですよ、その辺は怠ってないでしょうね。
「当たり前だろ、というかほらネズも適当に食べなって」
運ばれてきた料理をまた勝手に取りわけてくるので、自分で食べれる量だけにするんでいいですと相手から皿を奪い取る。
そんなだから細いんだぞと言われるが、自分は成人男性が食べる量の範囲内のはずだ、逆に彼は体格のせいか運動量のせいか、食べる量が多い。そのペースに合わせては、途中でギブアップしてしまう。
いつものごとく自撮りしている相手に、それもまたアップするんですかと聞くとそうだとあっけらかんと口にする。
「ネズとデート中です、って書いていい?」
「今すぐ帰りますよ」
冗談だって、と笑うのはやはりからかっているからだろう。頭が痛い、なんで自分が振り回されているのだろうか。つけ合わせの野菜をフォークでちまちまと食べていると、これ美味いから食べなよと肉の一切れを差し出してくる。
「自分で取るんでいいです」
「そう言わずにさ、このままだとオレさま一人で食っちまいそうだし」
ほらっと赤身の多い肉を更にこちらへ差し出される、仕方なく彼の手からフォークを取り上げていただくと旨味の詰まった味がした。確かに美味しいけど、これ以上は胸焼けする量だなとおかわりは遠慮しておいた。
それからは出された料理に向き合う時間だった、キバナのほうからは育成しているポケモンのことや、ジムでの対戦の出来事などを話してくるが、こちらはそれに相槌を返すだけて特に話し返すことはしない。この男は話すのが好きなので、勝手に話させておいても話題が尽きたと感じることはない。そうならないように、気を使っているのかもしれないが、常に強引に連れて来られるので気遣いなど皆無ではないかとも思う。
「今日のライブ、よかったぜ」
「はあ、ありがとうございます」
唐突に自分のことに触れられて持っていたフォークを落としかけた。そんな話をしていただろうか、まあでも来ていてくれたのだから感想くらいは聞きたい。
「ネズの歌、好きなんだよ。なんか心の深いとこを掴んでくるかんじがしてさ、ステージだともっと強く感じるんだよな」
配信も見てたけど、やはり体感するにはその場に行くほうがいいと相手は力説してくる。
そんなこと言われるまでもなくわかっている。
スピーカー越しではない、生の演奏は奏者の息遣いが宿る、そして空気に乗った音がばくおんぱのように空気を伝い体を振動させる、あの体感は同じ場にいる者同士でしか共有できない。
だから最初は渋った、配信なんてしてそれで本当に伝わるのかと。でも、どうにかやってみないかという声に負けて、一曲だけだったり、公開期間を設けることで手を打った。おれを応援してくれる人は少なからずいてくれるし、そんなファンを思えば続けていくのは悪いとも言えなかったから、というのはある。
「実際に、動員数も増えてんだろ?」
「一応は」
平日の夜なら、半分も埋まらないことも多い。どうしても観光ついでにふらっと寄るには敷居が高いのだろう。毎回来てくれるような熱心なファンもいるものの、それでも空白の目立つ日にはおれはダメだと思ってしまう。
「そんなわけないだろ、ネズの歌は最高だ」
オレさまが言ってるんだから間違いない、胸を張って根拠の出所がわからない持論を展開する相手に、溜息混じりに自信がなければとっくにステージを降りてますよよ返す。
「スポットライトが当たるときくらいは、最強でいなければ」
「そりゃそうだ、自分のシマなら特にな」
勝つことを望まれているのならば、とにかく勝つべきだ。ふるい落とされていく相手に、手を差し伸べることもあれど、しかし結果がどちらであれど成長の糧になるよう、おれたちはその場で最も強い存在であるべきだ。
そして、アドレナリンが溢れて、頭でごちゃごちゃ細かいことを考えずただ感じるまま、衝動のままにただ楽しむ、思考を捨て本能のままに突き進む、そんなエネルギーの塊で体と心が満たされたのだとしたら、きっとそれは最高の一夜なのだろう。
「なあ、オレさまの町でさ、ライブしてみる気ない?」
オフシーズンのスタジアムであれば、申請さえ取れば他のイベントにも使えないことはない。キバナのジムは伝統も格式も高いので、エキシビジョンマッチなどを行うことも多々ある。
だが、ライブとなればまた準備が異なるだろう。過去のイベントを見てもそうだし、急遽集められるスタッフのことを考えると、どう考えても運営に支障が出るのは目に見えている。
「大丈夫だって、バックアップで働きかけるからさ、だから」
「悪いですが、お断りします」
スタジアムに足を踏み入れるとき、それはアーティストの顔ではなく、トレーナーとしての矜持を保った顔で立ちたい。ならばどう頑張っても生まれ育った町を出て行くときは、自分は挑戦者だ。
敵地での戦いが嫌だというのはある、がスパイクタウンのネズがあの場の主人公として収まるのは、なんだかしっくりこない。
「あと、空席が目に見えて多ければ、流石に傷つきますし」
「大丈夫だって、絶対にすぐソールドアウトになるから!むしろ一回、大勢の前でやってさ、そっから自分のとこに来てもらうのがいいんじゃねえの?」
その点、ナックルスタジアムというのは確かに近い、そして大勢が集まりやすい環境も整ってはいる。だけど。
「お断りします」
「そっか、まあ気が変わったら相談してくれよ、いつでも歓迎するからさ」
笑顔のキビナに対して、よほどのことがなければ永久にやりませんよと返す。
流石に口にするわけにはいかないが、単純に怖いのだ。
空白の目立つ観客席は心の隙間に溜まった闇のようで、ぽっかり口を開けたそこへ飲みこまれていってしまいそうになる。それがまだ住み慣れた町の、自分の場でならば耐えることもできるだろう。でも他所の、それもスタジアムで起きたとしたら、いよいよ空白の中に飲まれて、強い自分を保てなくなりそうで。そんな姿を人に見せたくはない。
「今の所で、おれは満足してるんで。まあ……大丈夫ですよ」
そう言うと、すっと相手の顔から笑顔が消える。なにかおかしなことを言っただろうか、黙ったままの相手を見返すと、ややあってから、いつでも連絡していいからなと手を伸ばし頭を撫で髪へと指を通してくる。そういうことはやめなさいと払いのけるも、別にやましいことじゃないんだからいいだろと言われる。
「やめろって言ってんです、いい加減にセクハラで訴えますよ」
「なんだよつれないなあ、そんなとこもいいけどさ。でもまあ、人肌恋しくなったらオレさまを呼べよ、いつでも飛んで来てやるから」
「ウチ、飛んで来れませんがね」
「たとえだって!」
だから無理すんなよと、へらりと笑う。いつもの、晴天の空のような明るい男だ。
悪い奴ではない、それはわかっているのだが、どうにも移り変わる天気のように感情が読みきれないところがある。写真によくあげているような親しみやすさとも、バトル中の荒々しさとは違う、静けさをたたえた水面のような空気、それがたまに恋しいと思う。からかうのをやめろと邪険にしてもなお、なにが楽しいのかまとわりついてくる、嫌いになれないこいつの魅力。
料理もあらかた平らげて、なおもまだ話し足りないのか飲み物を片手にゆったりと語りかけてくる相手に相槌を打つのを繰り返す。
「もうすぐリーグ開催の時期だろ、今年はどんな奴が来るか、楽しみだ」
「そうですね」
とはいえ、我々のジムまでたどり着けるのはほんの一握りなんですが。
思い悩んでいることを彼に打ち明けてみようか、と頭の片隅で声がした。確かに喉元近くまでせり上がってきたものの、食後のお茶と共に腹の中へと飲みこんでしまう。
「開会式、遅刻するんじゃねえぞ」
「はあ、誰に言ってるんですか」
どこぞのチャンピオンでもないんですから、迷子なることはありませんし。まあ大きなトラブルでもない限りは顔くらいは出しますよ。なにせ、そうでもしないと自分のことをあまり知らないまま、リーグまで進んでくる人もいるくらいですし。
「だったらさ、ネズもなにかSNSで発信していこうぜ、自分のアカウントくらい持ってるだろ。スマホロトムにも色々と便利な機能もついてるわけだしさ」
「片時も離せない承認欲求のお化けとは、そもそもの作りが違うんですよ」
嘘だ。知ってくれるというのならば、それ以上のことはない。だけど、不特定多数の見知らぬ誰かの視線というのは、ときに恐怖を覚えることもある。だから最小限でいい、支障をきたさない程度に触れられるのならそれでいいと。
「まあでも、チャットツールくらいは使うだろ?夜のお誘いでもなんでも、とにかく連絡くれたらすぐに飛んできてやるからさ」
「誰がおまえを誘うと思うんです、くたばってください」
「つれねー!人肌恋しい夜くらいあるだろ」
「ないです」
だからなにかあったときは絶対にオレさまに連絡しろよ、キバナはそう言って笑った。
「アニキ、お願いがあるんだ」
「なんですか、そんな改まって」
おれよりもずっと的確に物事を片づけてくれる妹が、珍しく緊張した面持ちで切り出した。ずっと前から、言おうと思ってたんだけどと口にするもまたしばし言葉を詰まらせてから、わたしに推薦状を出してほしい、ときっぱりと言い放つ。
「推薦状って、リーグのですか?」
「それ以外にないでしょ!ずっと前から考えてたんよ、わたしがチャンピオンになればこの町ももっと、注目してもらえるんじゃないかって」
アニキが今までジムリーダーとして頑張ってくれてたように、わたしもみんなのために頑張りたいんよ、と頼もしい妹は言ってくれる。
「そうですか。確かにおれは推薦状を出せる側の人間ですが、でもね妹よ、チャンピオンになる前におれに勝てないといけませんよ」
「わかっとる!アニキにも勝つ、そのための旅、そのための挑戦だから!」
「そうですか。なら、行って来なさい」
「え、いいの?」
あなたが言い出したんでしょうと返すと、そうだけど、止められるかと思ってたと視線を逸らして言う。そりゃ、可能なら反対したいですよ、おれにも彼女に寄せてた期待もありますし。
「マリィのやりたいことに、おれがどうこう口を出す理由はありませんよ。やりたいのなら応援するだけ」
「でも……」
なにかを言いかけてやめる、今ここで言うと支障が出ると思っているのかもしれない。
聡いこの子のことだから、きっとおれの望みを遠からずわかっているんだろう。だからこそ、しがらみなく送り出してやるべきだと思った。自分の願望なんて後でどうでもなる、彼女の選び取った道をまずは歩ませてあげたい、そうしないとどこかできっと後悔する。
「行ってきなさい。マリィはおれよりしっかりしてるので大丈夫です」
推薦状と旅に使えそうな道具は、餞別に用意してあげますから……せっかくですし、ナックルシティにでも行って可愛い服でも見て来たらどうです。
「そんな、別に服なんて」
「見た目って大事なんだよ。まずは形からなりたい自分になってみなさい、強くなれます」
そんなものなの?と訝しげに聞いてくるので、嫌いならこんな格好してませんよと自分の上着をつまんでみせる。
正直に言うと、年頃の女の子なんだから自分で好きな服くらい選ばせてあげたかった、それだけだ。決められたように、ああしなさいってうるさく言いたくなかった。
数日後、新品のワンピースに身を包んだマリィを送り出した。わざわざ兄の真似をする必要はないんですよ、と指摘したものの本人はアレがいいからと黒のライダースジャケットなんて着て行ってしまった。まあ丈夫そうですし、防寒にはなるかもしれませんが。
疲れたならいつでも帰って来ていいですよ、と何度も言った、リタイアしてしまっても誰も責めたりはしない。
でもそんな彼女を応援したいと、ジムトレーナーたちは旅への同行を求めて来た。まあ一人や二人なら止める理由もないのですが、全員となると中々に……心配なのはわかりますけどね。
「いいですよ。流石におれが出て行くわけにはいかないので、ジム戦の様子なんか教えてくれたら、嬉しいです」
あくまで応援だけですよと強く言い聞かせる、そうして喜んで出て行った町の仲間たちを見ていると、やっぱり自分よりもあの子のほうが人の上に立つのに向いてるんだろうなと思う。兄という立場の贔屓目に見ても可愛いですし、将来的にジムリーダーに推薦しても問題なさそうですね。
そしてお役御免になったら、おれはどうしましょうか。今と同じように、曲を作りながらたまにライブでも開いて、それで来てくれる人はいるだろうか。今でもこんなに閑散としているのに、ただの一人のシンガーになったネズに、どんな魅力があるだろう。
どくどくと恐怖が心臓の奥から全身に巡る、まだそのときなんて来ていないのになんで、こんなに悪いことばかり考えてしまうんだろう。編曲をしているキーボードもまったく動いていない、次の配信で披露しようと用意していた曲なのに、突然になにもかもダメだと思ってしまった。歌えない鳥は海に流されてしまうというのに。
「ネズさん、ちょっと根を詰めすぎなんじゃないですか?」
「今いいところなので、これが終われば休みますから、大丈夫です」
本当ですかと聞き返されるが、本当に大丈夫なんでありがとうございますと返す。
嘘でも取り繕っておかないと、自分が壊れてしまいそうだった。歌詞もメロディーも改めて見返すと、これではいけないと思う。即興で歌えと言われればできないこともないが、彼女のために応援できる歌くらい、仕上げたかったのに。
なにかが邪魔をしている、自分の中にある感情が、素直に歌詞の言葉に乗らない。そんなことは今までいくらでもあったのに、なんで今回はこんなに重苦しく喉に張りついてしまったんだろう。
ダメだと投げ出すことは簡単なんだけど、そういうわけにもいかない、大丈夫だきっとできる。そう信じこまないとやっていけない。
それからまだ缶詰状態で作業を続けていた、スマホロトムから入る着信があまりにうるさくて途中から電源ごと落としてしまった、今日のマリィのことを親切にも教えてくれるジムトレーナーたちの言葉は嬉しいものの、まだ開会式だって始まってないのだから、なにも心配してることなんてない。今はこれに集中させてほしい。
まだ居残ってるトレーナーたちが心配そうに声をかけてきたものの、いいから応援に行って来なさい大丈夫ですからと、家まで来た彼等を半ば追い返して部屋に引きこもり、繰り返し音を流し続けたものの、やはりこれだと納得できるものができない。
おれはやっぱりダメな奴だなあ、と痛感して休憩がてらソファに横になって目を閉じる。
服の袖を引かれるのに気づいて、なんだと少しまぶたを持ちあげるとズルズキンが心配そうにこちらを見上げていた。無理してるのは彼等にはお見通しらしく、こんなトレーナーですみませんねと頭を撫でてやると、ゆっくり立ち上がって枯れた喉を潤すように水をあおる。
ぼうっとする意識と、酷使した目を休ませるためほんの少しと思っていたものの、体はもっと休息を求めていたらしく気がつけば眠りに落ちていたらしい、外も随分と暗い、何時だろうかと時計を確認しようとしたところ、机に長らく放置していたスマホロトムを手にズルズキンが走って来た。
「ありがとうございます」
久しぶりに電源をつけると、雪崩のように入る通知にそんなに根を詰めていたのかと驚くがすぐに画面が切り替わる。
けたたましく鳴る通話音と名前に、溜息を吐いてからなんですと返す。
「ネズ、おまえどこにいるんだよ」
「どこって、おれがどこのジムリーダーなのか、忘れたわけじゃないでしょ」
なに寝ぼけたこと言ってんですか、と返すとそれはこっちの台詞だと耳元で叫ばれる。思わず、通話口から離してしまうほどの音量だったので、なんなんですノイジーな野郎ですねと嫌味をこめて返す。
「もう開会式まで、二時間切ってるぞ!」
「はあ?」
そんなバカなと日付を見ると、確かに今日は開会式の日だし、時間もさし迫っている。そんなまずい状況だというのに、思わず笑ってしまった。
だってそうでしょう、こんなダメなことしでかすなんて自分のことなのにおかしくって、笑わないとやっていけない。
「いいか、今からオレさまが迎えに行くから、とにかくさっさと用意して」
「ダメです、今は人前に出られる顔してませんから」
「てめえのクマのひどさなんて、今更始まったことじゃねえだろ。なんでもいいから、すぐに出る準備して」
「大丈夫です、来なくていいので、あなたはそのまま、会場にいてください」
おれがいなくたってさしたる問題ではないが、流石にガラル最強のジムリーダーが開会式に遅刻では立つ瀬がない、彼の人気ぶりを思えば自分に手を差し伸べている暇はないだろう。
委員長には自分で連絡しますので、心配かけてすみませんでした。
「おい待てよネズ!それで、納得するとでも」
「納得もなにも、そうするしかねーでしょう。自分のケツくらい自分で持ちます、まあどうせ誰も待ってないわけですし」
「そんなわけねーだろうが、オレさまも、おまえの妹も待ってるっつーの」
マリィのことを言われるとぐうの音も出ないんですけど、しかし今更言っても仕方ないでしょう。全部、自分が悪いんです。やはりここらが潮時ですかね。
「おいネズ待てよ、今から本当に行くから、引きずってでも連れて」
「来るな。今、誰にも会いたくないんですよ」
まだ騒ぎ立てている相手に、それじゃあと一方的に通話を切ると委員会へ向けて欠席の連絡を入れ再び電源を切った。
心配そうにこちらの様子をうかがっている、ズルズキンに大丈夫ですよと返す。
大丈夫だ自分がいなくても誰も困りはしない、きっと。
マリィちゃんの推薦状出したのはネズさんだよね?そうだよね、きっとという願望の下、続き書いてました。
2019年11月27日 pixivより再掲