ネズは捕らわれている・4
思っていたよりも随分と早く、到着したという連絡を受けた。鍵を開けに向かうだけでふらっと立ちくらみを起こす頭を支え、どうにか相手を迎えるとおれの顔を見てようと静かに声をかける。
「おまえ何徹目だよ?」
「覚えてません」
先ほどまで横になって休んでいたので、全然寝ていないというわけじゃない。ともかく深夜も回っているんだから、さっさと中に入れと急かすとわかったよとリビングまで通す。
なにか飲みますかと問うと、おまえは休んでろよと呆れた口調で言い自分の隣に強引にも引き寄せて座らせられた。
「どうせまともに飲み食いしてねえんだろって、ことでほら」
背負ってたカバンをおろし、中からなにやら取り出し始める。
「えーと、まずこれはヤローから、ちゃんこご飯食べなきゃダメだよってさ。んでこっちはルリナから、人前に立つ仕事なんだから肌のケアとかもしとけってさ」
まずはと先に言い置いたとおり、次から次へとこれは誰からの差し入れだって机の上に並べていく。食べ物や飲み物、サプリメントの類、体調を気遣ってくれたもの、おれの手持ちのポケモンたちに使ってくれなんて……そんなにいらないと言いたいところだったものの、寄せられる優しさに口を挟む余裕がなかった。
「開会式、なにか、言われましたか?」
「みんな心配してたけど、それだけ。チャレンジャーが到着するまでには、おまえもポケモンも、コンディション整えとけよ」
結構な奴等はカブさんとこで止まるし、すぐにじゃなくてもいい。でも迷惑かけないようにはしておいてくれって。
「そうですか」
ご心配をおかけしましたと震える声で返すと、別に今に始まったことじゃねえだろと呆れたように言う。ジムリーダーのリーグカードは出回ってるんだから、そんなに直接顔を見たいなら自分で行けばいいんだというのが、ポプラさんの言葉らしい。あの人らしいと言えばそうか。
机に並べられたスポーツドリンクに手を伸ばしたところ、目の前で蓋を開け手渡される。礼を言って受け取り一口ゆっくりと飲み干すとそれでと声をかける。
「来たということは、おまえはその気ってことですね」
めいいっぱい自分を傷つけてみたかった、そんな破壊衝動の混じった最低の気分に、自分を餌に釣れた猛獣を尻目に問う。好きにしたらいいと言ったのはこちらだ、覚悟くらいはできている。違うか、どうにでもなれという投げやりな感情が腹の底で渦巻いてる。
まかり間違えても相手はキバナですから、悪くはないかと頭の片隅から声がした。
どう動くのか相手の顔をうかがうものの、珍しくなにも言葉は返ってこない。普段なら少しでもなびいてやれば、耳を塞ぎたくなるほど騒ぎ立てるというのに。相手の顔を見ても、すっと静かな呼吸を繰り返すだけだった。
確かに誘いかけたのはこちらだが積極的に動きたいわけでもない、もしかして怒っているのだろうか、なら最初にそう言えばいい、いつもならそうしてるはずだ。
なにかが違がう。目の前の男になにか言ったらどうですと声をかけると、ようやく男の目から見ても大きくたくましい腕がこちらへと伸ばされる。どうされてしまうんだろうか、指先が触れてびくりと震えたのに気づいたのか相手は苦笑まじりの息をこぼして、優しい手つきでただ抱き締めてきた。
「あー、やっぱりネズ 細っいな!余裕で腕の中に収まっちまうじゃねえか、力入れたら折れたりして」
「そこまで柔じゃないです、というか、なんのつもりです」
好きにしていいと言ったはずだ、そう正面から指摘したら、だから好きにしてんだろと頭を撫でて笑われる。ネズの髪柔らかいなすげー気持ちいいと、手触りが気に入ったらしく指先で梳いてくるので、こういうことを言ったんじゃないとなんとか押し返そうと手に力をこめるもののびくともしない。体格差もそうだけど、自分のコンディションが悪いのも影響しているんだろう。そうでないとまったく動かせないなんてことあるだろうか。
「なんなんですか、もう、本当にいい加減にしやがれ!やる気がないんなら帰れ!悪い冗談だったんなら、そう言えばええ」
叫ぶ頭が揺れる、感情ごと左右に振られているようでこれではなんだかわからない。優しく触れてくるその手が壊れ物を扱うようで、そんなことを望んでいなかったから、今更ながら罪悪間に苛まれてくる。こんな情けを受ける権利は自分にない、ただ埋めたかっただけだ、自分の心の隙間を。
「もう、やめやがれってんですよ、怒ってるなら謝るので、こんな……もうやっぱり、帰ってくれ」
「嫌だね。こんなおまえを放って帰れるか」
ネズは昔から素直じゃない、自分が甘えたいときだって大丈夫なんて言っちまうタイプだろ。だから嬉しかったんだ、おまえ自身がどうあれ、たとえ腹の中に住む悪い感情が暴れたせいだとしても、それを吐き出す先に他の誰でもない自分を選んでくれたことが。
「だからめいいっぱい、好きに甘やかしてみたいんだわ」
「バカですか、本当に……バカ野郎」
抱きすくめられて、どうせ逃げられないのならばと相手の胸に頭を預ける。大きな体だ、おれが身を預けてもびくともしないくらい強く、たくましい。その胸の内で脈打つ心臓の音に耳を傾ける、キバナの生きている音だ。力強いビートを刻む心臓をもっと聞いていたくて、ぎゅっと耳を押し当てる。
「キバナの心臓、うるさいですね」
「そうか、なら離れるか?」
「いやです」
もっとそばにいてくださいと言えば、ふっと頭の上で息を吐き出して笑う声が聞こえた。笑うなら好きにしたらいい、でも邪魔はしないでほしい。
「じゃあどうしたらいいんだよ、この距離だぜ」
お互いの呼吸くらい聞こえてきちまうだろ、と言われる。確かにそうなので、飽きもせずに頭を撫でていた手を掴むと、自分の耳へと持ってくる。
「ネズ?」
「塞いでおいてください、おまえの手で」
きょとんとした顔を下から仰ぎ見るも、恥ずかしくなってすぐ視線を逸らす。目を閉じて変わらず近くにある心臓の音に耳を傾ける。しばらくして、耳を覆うようにそっと指を動かして、外の音を閉じるように塞いでくれた。
キバナの体温は高い。それは手も同じで覆われた耳が痺れてただれていくんじゃないかって、それくらい熱を持っている。塞がれたほうの耳へ彼の中で流れる血の音が大きな音で流れこんでくる。地を這うような低音のメロディーと、それを送り出す大元のビートに耳を傾けていると、心に潜んでいた闇が霧散していくようだ。なにより包みこまれる温かさと、身を預けても折れないだろう頼り甲斐のある強い腕に、安心しているおれがいる。
「ダメに、なってしまいそうです」
「んー、なればいいだろ。別に誰も怒ってないんだしさ」
「そういうわけにも、いかないでしょう」
しかし離れ難いとは思う。この男の中に流れている音は随分と心地がいい、それに大きくて温かいのでつい寄りかかったままになりたくなる。なにより。
「本気になりそうなので、いやです」
このままくっついていたら、この男に入れあげてしまいそうなのだ、それはよくないと思う。いくらなんでも世間が許さないだろうし、自分や彼の立場を考えれば、やはりある程度の距離は開けておいてしかるべきでしょう。
「いいんじゃね、オレさまは歓迎するぜ」
「あなたがよくても。そうもいかない人が、大勢いるでしょう」
たとえば、あなたの家族やファンは、許してくれないでしょうね。こんな冴えない男のなにがいいんだと言われて、おまえはなんなく切り返すんでしょうけど、おれはそんなわけにもいかない。自分がそこに立つのにふさわしくないことくらいわかっている。だからからかっているんだと言い聞かせてきたのだ、本気になんてするなと、こんな優しさを見せられてしまえば離れることが怖くなるから。
「それでネズはいいのか?」
「いいんです。あなたが暑苦しいだけじゃない、優しい男なのだということ、忘れてました。これだけ情けをかけてくれたなら、それで充分です」
今も耳元で鳴り響く心臓が早鐘を打っている。我慢しているんでしょう、本当は食いたくて仕方ないんじゃないですか。好きにしていいって言いましたもんね。でもおまえの好きに耐えるのは、今のおれには無理だと思ったんでしょう。
「確かにそれは、あるぜ」
「やっぱりそうですか」
今からでもやりますか、多少なら無茶されても平気ですよと言うと。だからそんなことはしねえのと塞いでた耳から手を退けると、再び頭を撫ではじめる。
「そんなことしたら二度とネズは心開けてくれないだろうな、ってのは流石にオレさまでもわかる」
それに関してはノーコメントだ。どうなってしまっても相手がキバナならいいかとおれは思っていたものの、落ち着いて考えてみればそれは大変に失礼なことで、もしも踏みこんでしまったなら今後の距離を計りかねたところだった。
「だからネズが欲しいって思ってないんなら、無理にしようとは思ってない」
「随分と、しおらしいんですね」
「何年アプローチしてると思ってんだよ。ようやく出た芽を、みすみす日照りで枯らすほどバカじゃねえって」
どくどくと心地よいリズムを刻む心音は、彼の本気を伝えてくれている。静かな口調で語りかけてくるのも、まあ嫌いではない。どちらかと言えばまあ、好きなほうでしょうか。
「なにが怖いんだよ」
「それは、色々と。少なくとも、あなたの心をおれなんかに繋ぎとめていいと、どうしても思えなくて」
たとえキバナ本人がいいと言っても、おれの気がひけるのです。そして、心が移ってしまったとき、離れていく温度がきっと寂しくて押し潰されてしまいそうになる。
わかってる、それが仮初めの、自分の心の隙間を隠すための無理だってことくらいは。でも仮初めでもなんでも、気を張っていないと、おれがネズでなくなってしまいそうで、だから、この形を保つためには、今のままの自分が。
「それで潰れかかってる奴がなに言ってんだよ」
「……すみません」
「謝ってほしいわけじゃないんだって。オレさまはただ、ネズのことが好きなんだ。おまえの歌もポケモンバトルもそうだけど、なによりネズって男が好きだ」
だからもういいじゃねえか、オレさまの知ってるネズは、自分のこだわりのスタイルを最後まで貫くいい男だろ。
「他の奴のことなんて気にすんなって、なあ、おまえはどうしたいんだ?」
もう充分なくらい頑張ってるんだから、少しの我儘くらい許されていいんじゃねえの、誰かのそばにいたいってのも、自分がなにを願ってるのかも、口にしないと永遠に伝わらないままだぜ。
なんだって言えよ、どうしたいのか言えよ、ダイマックスを頑なに拒否したあの強さを、もっと他にも発揮したっていいだろ。
「今すぐにとは言わねえよ、でも、ネズはもうちょっと我儘になってもいいだろ」
「いつも我儘な格好してる男に、言うことじゃありませんね」
そうやって軽口で返してくるなら、もう平気そうだなと笑う声が聞こえてきた。確かに、この男の手で心にかかっていた霧は晴れてきている。でも、まだ寒い。
「このまま、朝まで抱き締めててくれますか?」
おまえの心臓はうるさいですが、子守唄には丁度よさそうですからと言うと、驚いたように息を飲んでからしばらく沈黙すると、わかったと言って体を抱きあげられる。
やっぱりおまえ軽いなと笑うので、そんなことはないですよと返す。一応はこれでも声量を保つために鍛えてはいるのだ、ただやけに筋肉のつかない体質だってだけ。
心地よいまどろみの中で、でもなんとか自分の寝室までの道を伝えると、あまり揺らさないように気をつけてベッドまで運んでくれた。二人で寝るには狭いが、まあ振り落とされる心配もしなくていいだろう。
がっちりと太い腕に抱き締められて、その中で目を閉じた。うるさいほどに早く脈打つ心臓に、自分の脈拍も当てられたように早まっていくようで。でもそれも悪くはないかと、息をこぼす。
「ありがとうございます」
「これくらいお安いご用だっての」
じゃおやすみ、そう言っておれのまぶたへと軽くキスを落としてきた。なにをと聞き返すと、眠れるようにおまじないだってと笑う。
コロコロと声をあげる相手に、これでは眠れませんよと文句を返すと悪いと一言謝り、今度こそおやすみと抱き締める腕に力がこめられる。これ以上もうどうにも離れられないくらい、二人でくっついて、心地よい音に包まれながら深く眠りに落ちていった。
久方ぶりにたっぷり休んだと感じるほど、深く心地よい眠りから覚めれば、おはようと優しい声に出迎えられる。
「おはよ」
「まだ眠いか、もう少し休んでても平気だけど」
「おれはよか、やけんキバナはいかん」
ぶつぶつと返しながら、どうにか体を起こそうと彼の腕を引き剥がしかけたところで、やっぱ無理だと叫ぶと剥がそうとした体へと再び縫いつけられる。
「な、なんばしよっと!」
「だってよお、めちゃくちゃ可愛いんだもんよ。こりゃまだ離れられそうにないわ」
少し覚醒し始めた頭で、自分が口走った言葉を反芻して、やってしまったと顔を染める。ジムリーダーという立場と人前に立つ職業柄、地の言葉が出すぎないようにと気を配っているというのに。寝起きはどうしても素が出てしまう。
「離せ、離しやがれ!そして、今のことをすぐに忘れやがれください」
「はは!慌ててるネズも可愛いぞ」
可愛いとかそんな問題ではない、いいからさっさと離せと昨日よりはいくばくか力の入るようになった体で、なんとか周りこんでた腕を引き剥がすのに成功した。
ベッドから出るだけでなんでこんなに体力を使わないといけないんだ、そう文句を垂れながらも一緒に寝てた男を引き起こす。なんだよ、もっと休んでていいのにと相手は言うが、そんなわけにもいかないんですよと苦々しく返す。
「朝飯くらいは用意するんで、それ食べたらさっさと帰りなさい」
まさか初日からキバナのジムまで到達するチャレンジャーはいまいが、他の仕事もあるものだ。ナックルシティのような中心都市のリーダーを、こんな辺境の地にいつまでも留めておくわけにはいかない。
「別にオレさまが少しいないくらいで、困ったりしないけどな」
「そんなわけないでしょう、キバナの人気くらいここに居てもわかりますよ」
買い出しにもまともに行けてなかったが、昨日の差し入れ頂いた物もあるし、どうにかなるだろうかと袖をまくっていくと、おまえ料理とかするのと隣に擦り寄って来た相手がたずねる。
「大したものはできませんよ」
自分はともかくマリィの栄養管理についてはしっかりしなければ、とそれなりに勉強はしたものの、まあそこは素人の手習いだ。基本的なことを押さえただけで、期待されるほどうまいわけではない。
それでも何年かかかえて培ってきた料理の腕を振るい、すげーなと目を輝かせる相手にどうにかそれらしい朝食を出すことはできた。
「ネズと一緒に暮らしたら、こんなふうに朝飯作ってくれるわけだ」
羨ましいなと言いながら、こんがりと焼き目のついたベーコンをかじりつく。
「あなたも一人暮らしでしょう、今は。まさかいつも外食ですか」
「オレさまだって自炊はするけどさ、人が作ってくれた料理を食べるってのは、やっぱり嬉しいもんじゃん」
それが好きな相手と一緒の食卓ならなおさらさ、とさらりと言ってのけるので、これもまた差し入れでもらったジュースを吹き出しそうになる。
「なんで、あなたはそういうことを」
「だって本当のことだし」
今度はオレさまの家に来る?それほど美味くないかもしれないけど、オレさま自らの料理なんて早々食えないぜと言われ、そんな機会があればですがとだけ返しておく。
「なんだよ、来てくれたっていいじゃん」
「しばらくは、お互いあまりジムを離れられないでしょう」
だから、ジムチャレンジが落ち着いて、互いに落ち着くまではそんなことは。
「食事の時間くらい取れるだろ、別にジムリーダーだって休みなしじゃないんだ」
仕事もすれば休みもする、確かにこの間にもおれは町限定でライブは続けていく予定だが、それはあくまでもジムのパフォーマンスとしてだ。
どうしても期間中は各地のジムに出向く人が多くてライブ自体が閑散とするのと、スパイクタウンの立地上どうしても盛りあがりに欠けてしまうのを埋めるため、ほんの少しでもと自分にできる努力をしてきたスタイルだ。今日のように長い時間、誰かを拘束していいわけじゃない。
「オレさまの家に来るときは、泊まるつもりなんだ」
「べ、別にそんなんじゃ」
「それじゃあ、ますます来てもらわないとだな!」
招待するの楽しみになって来たと浮ついた声で言うもんで、いいからもうさっさと食べて帰りなさいと自分の皿に手をつける。
「いいじゃん。どうせそれほど遠くでもないんだ、いつでも会いに来るし、いつでも会いに来たらいい」
それこそ我儘に貪欲に、求めてくれよと笑う男に、調子に乗らせてしまったと少しだけ後悔した。
まあでも、自暴自棄で流されるまま一晩を共にしていたら、こんな穏やかな気持ちにはならなかっただろう。久方ぶりに、今日の朝は不安に押し潰されていない。どうにもならないんじゃないかって、怖くなかった。
それもこれも全部、悔しいもののキバナのおかげではある。
「あの、今週末ってまだ予定大丈夫ですか?」
「おっ早速お誘い?」
「違います、おまえのような不純な動機じゃねえです」
迷惑をかけましたので、埋め合わせとまではいきませんが、まあなにかしらお礼をしようかと思いまして。無理ならば別に、断ってくれてもよかったのだが、キバナあ二つ返事でもちろん行くと言った。
「そうですが、ではウチに来てください」
「わかった、楽しみにしとくな」
晴れ晴れした顔で、でも少し頰だけ赤い。そんな相手を見ていると、不思議とこちらも胸の辺りが温かくなる。もう触れ合ってはいないのに、抱き締められわけ与えられた熱を思い出してしまう。
おれはどうやら、自分が思っている以上にこの男のことが、結構好きらしい。
週末、約束より少し遅れてキバナは到着した。
彼にはファンが多い、リーグが始まると取り囲まれてしまうこともままあることだ。今日も最後の一人にまでファンサービスを欠かさなかったんだろう、だからこそ人気があるとも言える。
「しかしビックリした、おまえのとこ、こんな部屋まで完備してんのかよ」
完全にスタジオじゃんと言うキバナに、ジムリーダーの仕事をしてても新曲を撮れるように奮発したんですよとと返す。配信の手伝いをしてくれているスタッフに、声をかけて開始までの時間をたずねるとまだ三十分ほど余裕はあるという。
「なあなあ、ネズのスタジオにいますってポケスタにあげていい?」
「まあ別にいいですけど」
それなら配信の告知もお願いしていいですかと目ざとく声をかけてきたスタッフに、いいよと軽く返事をして、かわりにツーショットをお願いされてしまった。
「一枚だけですよ」
「おっ、珍しいじゃん。それじゃあ、ヘイロトム」
にっと悪戯っぽく笑いかけるキバナのスマホロトムが、肩に腕を回され引き寄せられたおれと満面の笑みのキバナを撮る。スタジオの機材をバックになんて、あんまりだと思うんだが、それでも彼は楽しそうに「今はネズのスタジオにいます、これから生配信だって、みんな見てくれよな!」となにやら沢山のタグと一緒に、二人の写真がアップされる。
それからしばらく通知音がスタジオに鳴り続けたので、音だけでも切るように頼むと、すぐにそれに従ってくれた。
定刻になってカメラが回り始めたのを見て、ふうと一息吐いてからどうもスパイクタウンのネズですと、相変わらず慣れないトークを繰り出す。
「今日は随分とたくさんの人が見てくれてるんですね、キバナの告知のおかげでしょうか。おれのことを初めて知る人も、そうでない人も、楽しんでいってくれたら嬉しい、かな」
今日は特別に新曲をお届けしますと言うと、盛りあげるスタッフの声に混じってキバナのマジでという声も入る。配信するから遊びに来ますかとは聞いたものの、内容までは教えていなかったと思い出す。
まあなにせスタッフにも直前まで内容の詳細を伏せてましたから、完成するかも怪しかったので。でもなんとか間に合わせることができた、というか、思い出したからこそできたと言ったほうがいいか。
「じゃあいくぜおまえら!哀愁のネズから新人トレーナーへの応援ソングだ!」
マジでと再びキバナの声が入るので、おまえは少し黙ってろと睨みつけて伝える。イントロが流れ始めたのに合わせてマイクを握り、自分の腹の底から胸の中から溢れてくる感情を叩きつけるように声に乗せる。
自分が初めて故郷を旅立ったときのこと、仲間たちのこと。期待も不安も入り混じった中で、自分だけが背負いこんでいると思っていたもの。そんなものに押し潰されている暇なんてないくらい、今が大変でも走り続ける奴、くじけて諦めかけて、立ち塞がる壁に嫌になっても、それでも、明日は来るのだ。猛スピードで追いかけられている、なにかに追い立てられているようで怖くなっても、心配しなくていい、立っている限りなにも終わっちゃいない。立ちあがりたくないのなら、その場に留まっていてもいい、傷つくのは見たくない、ただ傷ついても立ちあがるっていうのなら、その手を伸ばしてみせろ。
どこかでマリィも観ているだろうか。配信の始まる少し前に連絡はした「もう平気なの」と返ってきたので「大丈夫です、本当ですよ」と返しておいた。おれの歌なんかで、彼女の心の拠り所になれるかはわからない、それでも送り出すと決めたのだ。
どこまでも行けるところまで行って来たらいい、そんなメッセージを歌いきって、息つく暇もなく二曲目が流れ始める。
驚いた顔をしているキバナを見る。ネズにアンコールはない、だがこれは今日の配信に最初から組まれた曲だ、まだおれのステージは続いている。
誰かにみつけてほしかった、どうか気づいてほしかった、ここにいるんだと、ここに居てもいいんだって言葉がほしかった。
歌い出したおれの目に前に座っていた男の目が見開かれる、覚えてやがりましたか、随分と昔のことだったというのに。あのころはまだ歌詞も安定してなくて、メロディラインだって今よりずっと拙くて、それでも、思いだけはたくさんこめたつもりでいた。
それに気づいてくれたから、おれは強くなろうと思った。みつけ出してくれたから、その手を伸ばしていいと夢を見た、遠く高く、最果てまで登りつめていこうと思えるくらいに。
ここまではもうすでに作ってあった部分だ、なぜか途中までは作れたというのに、最後の最後でいつも納得できなくて、ああでもないこうでもないと頭を悩ませてずっとお蔵入りにしてきたというのに。思い出してしまった、あのときのこと。
スパイクタウンのジムリーダーネズではなく、ただの一人のネズを最初にみつけだしてくれた、おまえのこと。彼の持つ熱が、心臓が刻むビートを織りこんでみたらなんてことはない、すんなりと完成してしまった。
とはいえ、相手のほうを見る。目を輝かせて聴き入っているキバナを前に、この先を歌うのは少し気が引けるのだが、まあいい。もう決めたことだ。
そう気づかせてくれたおまえのことは、宝物のように大事で、今でもずっと愛してる。この体に刻みつけられた熱は、いつまでも心を焦がしてくれる。だから大丈夫だ、おまえが居てくれるなら大丈夫。
歌い終わってゆっくり息を吐く、ライブステージとは違うがスタジオ内にいる誰もが静まり返っているので、もしかしていまひとつだったのかと不安になった直後、目の前で聴いていたキバナの落ちそうなくらい見開かれた彼の目から、ほろりと涙の粒が落ちたのが見えた。
「ちょっとキバナ、なに泣いて」
「だっておまえ、こんなん反側だろお」
めっちゃいい曲じゃねえかと、まだカメラも回ってるというのに構わずおれに近づくと強い力で抱き締められる。人前でなにしてんですか、さっさと離しやがれと言っても全く聞き耳を持たない。とにかくスタッフに連れ出してもらおうかと思ったが、なにやら感極まった者も多いらしく、このドラゴンタイプを引き剥がすことができそうな人がぱっと見当たらない。
「キバナもう配信終わりですから、しゃんと立ってください。おまえのファンも観てるかもしれないんですよ」
うんという返事はあったものの、むしろ抱き締める腕に力がこめられてすぐ引き剥がせそうもない。もう仕方ないかと諦めて、締めの言葉に入る。
「えーと、今日は酷い乱入に合いましたが、普段はおれのステージが見れますんで、この新曲も今後のライブで披露していくんで、スパイクジムへの挑戦待ってます。ジムリーダーのネズでした」
カメラが切れて、配信が終わったことがわかりほっと息を吐く。ついでにこいつをなだめて来ますので、少し外れますねと声をかけるとどうぞと道を開けてくれた。
スタジオを出て、誰もいない休憩室まで連れてきたところで、おまえあれは狡いだろうとキバナにしては小さな声でつぶやく。
「なにがです」
「しらばっくれんなよ、おまえあんな……ずっともう歌わないって言ってただろ」
なんで今更、あの歌を出そうなんて思ったんだよと言うので、そんなに酷かったですかと聞くとすげーよかったとすぐに返ってくる。
「別に、おれだって気に入ってたんで出したいとは思ってたんですよ。ただ最後がどうしてもしっくり来てなかっただけで。まあなんです、誰かさんのおかげで思い出してしまったので」
昔のことをがっちり振り返ってしまった、お陰で自分の中にあるあまり気づきたくなかった感情まで引きずり出されてしまった。
「おまえ、オレさまのこと大好きじゃねえか!」
「別にキバナのことだとは言ってないでしょうが」
えっと驚いたように顔をあげる、どうやら今の一言で涙も引っこんでくれたらしい。
だってそりゃそうですよ、当たり前でしょう。あの歌は元々、おれのポケモンのために作った歌なんですし。
「はあ、だってみつけてくれたって、愛してるって」
「そりゃ愛してますよ、自分のポケモンですし。タチフサグマは今でこそああですけど、昔はそれはもう可愛いジグザグマでした」
「マジかよ!オレさま、マジでカッコ悪いじゃん!」
絶対に今通知やばいことになってると、思い出したように自分のスマホロトムを急ぎ確認している。その姿を見つめてようやく調子を取り戻しましたか、と安心した。
「今日の配信、今までで一番視聴者が多かったみたいです、それもこれもキバナのおかげですね」
「ああもう完全に放送事故じゃねえかよ。なんで堪えられなかったかなあ」
でも無理だ、あれはダメだ、一曲目もよかったしさ。やっぱおまえ天才だろと矢継ぎ早に口にするキバナに、そうですよと返す。
「おれがあくタイプの天才だったこと、忘れてました?」
「くっそ、おまえはそういう奴だよな。もう気を抜いてると足元すくわれんだよ、いつもさ」
感情が溢れているんだろうが、いつにも増してノイジーな野郎ですねと嫌味をこめて言うと、誰のせいだと思ってるんだよと涙目で睨みかえされる。なるほど、確かに攻撃力が下がるいい方法です。
だったらまあ、いじめるのもここまでにしてやりましょうか。ここはキバナにとってはアウェイの環境なわけですし。せっかく招待した意味がなくなってしまいます。
「嘘ですよ。最後だけは、キバナのために急いで作りました」
「はあ?えっ……じゃあ」
「おまえが我儘になれと言うので。どうしても作りたくて、二曲書いてしまいました」
嬉しかったんです、あのとき見つけてくれたこと。
おれのことを好きだと手を伸ばしてくれるのも、うっとうしいと思いながらも腕を払いのけずにずっとそばに置いていたのも、嫌いじゃないってことはまあそういうことです。
「そんなわかりにくい、素直に好きだって言えばいいだろ」
「ごめん被る話です、絶対につかあがるでしょ」
「そりゃつけあがるって、いくらでも」
どんな挑発にも乗るぞと叫ぶ相手に、そういうところは嫌いですとすっぱり切り捨てる。
でもまあ、この間のように優しく触れてくれるなら、静かに柔らかく包みこんでくれるならそれはいいなあと思った。ただそれだけ。
「おまえのこと、おれもそれなりに好きだし、大事だと思ってますよ」
だから、今後はもう少しだけ頼りにさせてほしい。そう言ったらキバナは輝く笑顔でもちろんだと返してくれた。
「アニキ、配信見とったよ」
「そう、どうでした?」
よかったと思うよ、でもジムチャレンジでアニキのとこまでたどり着く奴はそれほどおらんやろうけどねと言うマリィは、今はエンジンシティを終えた辺りにいるそうだ。
ジムリーダー三人での見送りにはビックリしたけど、なんか嬉しいもんねと言う彼女に、そちらも順調そうでよかったですと返す。
「あの新曲、もしかしてあたしのために作ってくれた?」
「そうですね、餞別に持たせてやりたかったんですけど、随分と遅れてしましました」
「ううん、今聴いたほうが元気になった、ありがとう」
その一言にどれほど救われるだろう、届いてほしい人に思いが伝わることほど嬉しいことはない。
「ところでアニキ、キバナさんはどうなったん?」
「……なんでマリィがその男の名前を言うんです」
「配信の後、どうなったんかなって」
確かにそうだ、おれにがっちりと抱き着いてきて泣くものだから、周りからすれば何事かと思うだろう。実際にネットニュースなんかにもキバナの奇行について触れられてるものもあった、そのせいかやけにアクセス数が増えたのは喜べばいいのか悲しめばいいのか。
「落ち着かせて帰らせました」
「そう、仲良くやってるんだ」
「昔からの腐れ縁、ってやつですからね」
ジムチャレンジの間はどうにもそうやって知り合いになる者も多い、マリィにも刺激になるような出会いがあればいいのだが。もちろん、心配の種はつきないので、変な男であればおれが完膚なきまでに叩き潰すつもりですが。
「アニキのとこにたどり着く前に、あたしが潰してるから大丈夫」
「そうですか、強い妹を持てて心強いです」
「それでねアニキ、キバナさんとは本当に仲良くできてる?」
開会式の前、連絡が取れなくなったときにキバナさんに電話してね、この後で会いに行くって言うから、アニキの鎮めかたを教えてあげたんだけど。そう言った彼女に向けてしばし沈黙が続く。
「いいですか妹よ、身内の裏切りほど辛いものはないんですよ」
「別に、キバナさんにちょっと教えてあげただけ」
アニキの好きな音について、心を取り乱してるときに聞かせるといいからって。
「それであいつあんなこと」
「やっぱり、二曲目のほうはキバナさんか」
違うんです聞いてくださいと、言いわけがましくなるのを彼女は笑って受け流し、いいじゃんアニキだって我儘になればと言う。
「あたしは応援してるよ、そろそろアニキにも幸せになってほしいけん」
「今でも充分ですよ」
「それよりも明日もっと幸せになれたら、もっといいでしょ」
だからね気にしなくて大丈夫、アニキだって自由になっていいんだから。
「そんなにおれは、縛られてますかね」
「うーん、あたしから見ればそう、かな」
大人って大変なんだろうとは思うけど、もうあたしも子供じゃないし。どこにだって行っていいって言うアニキが、一番町に捕らわれてるじゃん。
「背負ってる、っていう自覚があるんですよ」
「うん、そうだよね。あたしも初めてそれ、感じてる」
だから無理には言わないよ、でも好きにしたらいいんじゃない。
「じゃあね、明日も朝早いんだ」
「わかりました、気をつけていってらっしゃい」
お互いにおやすみの挨拶を交わし、通話の切れたスマホロトムを見つめてふと息を吐く。なんとなく切り出せそうな気がした、少なくとも彼女がここにたどり着けたならば、兄としてその役割を果たし終えたならば、口にしても許されるだろう。
もしもマリィがチャンピオンになったなら、そのときはそのときだ、とびっきりのお祝いをしよう。
せっかくですし、キバナも呼んでやりますか。
長々とお付き合いくださいましてありがとうございます、ところどころ一人称とか話し方とか間違えてて、うわぁああ!と見返してて思いましたが、キバネズ楽しいですね。
またネタができたら、ちまちま書けたらいいなあと思います。
年齢指定シーンを書くか最後まで悩んだものの、それはまあ少なくとも別の話でかなと。
2019年12月1日 pixivより再掲