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 いいえ

愛の歌が鳴り止まない・3

好きか嫌いか、それなら前者。でも軽率に、それも遊びのように愛を口にされて喜ぶほど、おれは器用な性格をしてなかった。 いよいよバレてしまったか、と溜息混じりにタクシーから降りると家への道を歩く、直接降りることができないから不便だとか色々と文句をつける者はいるが、なんとかなりませんかねと口にする中で一番迷惑をかけているのは、運転手である彼等だ。
日付はとうに跨いだものの、ネオン街には切れかけた明かりがついているし、どこからか音楽も聞こえてくる。開いてるところには人が集まってるんだ、それほどの賑わいでなくとも確かに。だから人目につかないよう、大通りを避けて自宅への道を辿る。
なんとか慣れた家に着いたら、キッチンへ真っ直ぐ向かって中から酒の瓶と割り水用のボトルとグラスを手にして、部屋へ戻る。
戻ってきたおれの様子がおかしいのに気づいたのか、出迎えは控えめに収まった。今日の共に連れて行ってたカラマネロをボールから出し、毎度すみませんねと撫でてやると気にしてないとばかりにおれの頭を腕で優しく撫で返してくれる。
なにかあったときに切り返すのに連れて行くのだ、この子はその生態の関係か人の感情やら心の機微に敏感なので、自分が呼ばれた意味を理解している、その上でなにを最優先にするべきかおれの命令がなくても自分で考えて動いてくれる、喜ばしいことに久しくその機会がなかった。キバナ相手にその手腕は必要ないのだ、いつもなら。
持ってきた度数の高い酒を水で適当に割って、グラスに口をつける。キバナは勘違いしてるようだが、これでもそんなに弱くないのだ。雑音と心労さえ重ならなければ、それなりに飲める。ただそれができるのが他でもない自分の部屋くらいしかない、というだけ。
作曲用の防音室に体を引きずるようにして入ると、電子ピアノにヘッドホンを繋ぎ鍵盤に手をかけ、頭の中で流れているメロディーに近づけていく。セッションを期待してたらしいストリンダーがしばらく様子をうかがっていたものの、カラマネロによって連れ出されていった。一人にしたほうがいいだろうというあの子の優しさは、天邪鬼とはならない。
時折手を止めて譜面にメモを残しながら、およそのメロディを作ったところで今度はギターに手を伸ばす、溢れ出てくるなにかを形にしたくてそれだけ。
荒削りでもおよその方向性が決まりつつある頃には、酒瓶の中が大分と減ってしまった、酔いなのかそれとも感情の高まりのせいか、どうにも不安定な頭のまま黙々と手を動かしていると、控えめなノックの音が聞こえた。
「起こしてしまいましたか?」
「もう朝やよ」
おはようと声をかけるマリィが顔をしかめる、そんな酷いことになってますか?とたずねると、鏡見てないのと逆に聞き返されてしまった。
帰って来てから特には、キッチンに寄って必要な物を引き寄せてそのまま部屋に閉じこもったのだ、寝てないことすら気づいてなかったのたまから相当に時間は経ったのだろう。
「朝ご飯どうする?」
「気遣ってくれるのはありがたいですが、結構です」
「でも、少し休んだら?」
心配そうに部屋の隅でこちらをうかがうおれの仲間たちも、目の前の彼女と同じ意見らしい。
「そんな暇ねえので」
それじゃあと戻ろうとするおれの腕を取り、今日はもうそこ立ち入り禁止と強い口調で言われる。
「ですが今やらないと、ダメなんです」
「あかんよ、絶対に」
彼女の主張に協力するように、モルペコがドアの前に陣取る。その程度ならどかすことくらい簡単なんですが、いかんせんおれを引き止める手を振り払うことができない。
「心配しなくても大丈夫ですので、本当に、少しだけ」
「アニキはいっそう言って、なんでも自分で背負いこんでいく!」
そんなことせんでいい、少しでも頼ってもらえないと、心配しかできないじゃないかというのが彼女の主張。
でもその訴えに従うわけにはいかない。自分の兄が男と体の関係があるなんて聞いて、この年頃の子がどれほどに心をかき回されることか。今この場で彼女の首を絞めるのと大差ない行為だ、そんなことはできない。
振り払うべき手の持ち主が誰かはわかってる、だというのにできないまま、こんな。
「アタシはもう、そんな顔してるアニキ見たくない」
「すみません、本当におれ、ダメは奴で」
「そういうこと言うてんやなか!」
なんで自分ばかりを罰するの、本当に悪いのはアニキなん?なんでそれをマリィに教えてくれんの?
静かに語り聞かせるような声色なのに、一言ずつ脳内に反響してやけに耳に痛く感じる。なんでこんな、揺れる頭を抑えるとその場にズルズルとへたりこむ。そんなおれと視線を合わせると、なんだか申しわけなさそうな顔で、だから今日は無理にでもやめさせるよと言う。
「それは……どういう」
「ごめんねアニキ、でもほんまに少しでいいから、ゆっくり休んで」
罪悪感に苛まれているんだろう面持ちに、なんでと口にするより先、部屋の片隅からこちらを真っ直ぐ睨みつけるカラマネロをみつけた。
ああ、そういうことですか。まったく、いつの間に。苦笑混じりに諦めて夢のない白い眠りの中に体ごと落ちていくのを受け止めてくれた手に、感謝した。

夜が明けて、うじうじと考えているのもバカらしくなって、会いに行こうと決めた。どうせオフシーズンで人なんて来ない、なにかあったら連絡してくれとジムトレーナーに伝言を残して、歩いて行くのも面倒だからタクシーを使って9番道路に降り立つ。
いつもと変わらない、スパイクタウンのシャッターを見上げて町に入れば、普段よりも静かなのに、どこか殺気立っているような、そんなピリついた気配を感じる。
なんだろうと首を傾げるもジムへ向かう。ネズの家はあの裏手にあるはずだ、家に上がらせてもらったことはないが、バトルの後なんかにふらりと戻っていくのを見たことあるから、間違いないと思うんだけど。
そう思いながら奥に進むにつれ、不穏な気配は高まってくる。特になんの音もないというのがおかしい、スパイクタウンの名物といえば路上ライブだろうが、ジムでライブをしてなくても、どこかで誰かがギターの一本でも鳴らしてていいものが今日に限っては無音で、一体どうしたんだと心配になる。
いぶかしく思いながら、ようやく人のいる広場に出た。
「なんの用?」
普段はネズが立ってるステージの中心に、凛とした面持ちで立っていたのはあいつの自慢の妹で、いやちょっとネズに会いに来たんだけどと言うと、アニキならおらんよとピシャリと言い返される。
いや、そんなわけないでしょと思うものの、おったところで今は会わせないのよと返す。
「どっか悪いとか?」
「そうね、でもそれはキバナさんに関係ない」
関係ないってことはないだろ、思わずそう切り返しそうになるのを止める。どうせあいつのことだし、妹にこんな関係言えるかと真顔で返されるのが目に見えるようだった。
「そういうわけにもいかないんだよなあ」
あいつの顔を見ないことには、こっちも引っこみがつかねえんだよ。
「アタシを倒さないと、ここは通さない」
「へえ?」
まだジムチャレンジにエントリーもしてない未知数のトレーナーとはいえ、あいつの妹でポケモンが手持ちにいるというのならば、自然と期待も高まるというものだ。なにより、ガラル最強のジムリーダーを前にしてビビってないところに、肝の太さを感じる。
楽しみだと心の底で血が騒ぐ、抗えない衝動に誘われるままボールに手をかけてしまう。
圧倒的にアウェーな上に特性上ダイマックスも兼ね備えてないジムだが、それがなんだってんだ、こっちが相手の懐に飛び込んできている以上、むしろこの逆風くらい乗り越えないといけないだろう。
彼女がなにを出してくるのかもわからなかったが、アニキと同じなrあくタイプだろうか。
予想通りズルックを出してきたマリィちゃんに、歓声があがる。やっぱりホームなだけあって熱がすげえな、でも手加減も不要だろう。
一撃でとまではいかないものの、まだまだ未熟な相手だ、勝つのも容易いかと思った直後、彼女の後ろからぬっと大きな影が飛び出して来た。
「タチフサグマ、なにしてんの!」
アニキのそばおり言うたやろと注意する彼女を振り返り、一声大きく鳴くとコートに立った。
「いいじゃねえか、加勢してくれるってよ?」
なあそうだろうと声をかければ、闘志に満ちた声でこちらを塞ぐ。もしかしたら、守らないといけないという対象に彼女が入っているのかもしれない。詳しくは知らないけど、こいつがやる気らしいっていうのだけは見てわかる。
面白いじゃねえか、なあ。
場に出ていたジェラルドンに声をかければ、こちらもやる気だと声を返してくれる。頼もしい相棒と向き合い、面白いバトルの成り行きを固唾を飲んで見守っているが、急ごしらえのコンビネーションにはつく隙がある。ネズとのバトルでこの相棒が強いことは知っているものの、その強さを活かしきれなければそれまでのこと。
最後まで健気にも耐えようとしたタチフサグマもあえなく、オレさまのジェラルドン前で倒れ伏し、慌てて駆け寄るマリィちゃんを見て場内は更にピリピリとした空気が漂う。別にヒール役だって喜んで買って出るさ、自分の目的のためならさ。
「それじゃそこ、通らせてもらおうか」
「それは……」
できないんだと涙ながらに口にする少女に心が痛まないわけじゃない、けど勝敗のついた勝負を持ち出すまでもない、残念ながら最初からわかりきってたことだ。本気を出せば、無名のトレーナーから勝ちをさらうくらいわけない。あいつの妹だって言っても同じだ。
じゃあなと歩き出そうとした足を止めたのは、その辺におしよという聞き慣れた声が背後から響く。
「まったく、本人のいないとこでなにやってんだい」
人様の子にまで口出しはしたくないんだけど、と呆れた口調でバトルコートに降りて来たのは、オレさまが最も苦手としているリーダーであるメロンさんで。
「いや、なんで?」
「お隣さんだからねえ、なにかあったら遠慮しないで頼りにしなって、いつも声かけてたんだよ」
そんなの初耳だと言えば、そりゃあんたのとこと事情が違うだろと強い口調で返される。普通は人様の持ち場をどうこうしようなんて思わないんだけど、今回は事情が事情だからさ、大人が出てこないことには収まりがつかないだろうと呆れた口調で話す相手に、それって反則っていうんじゃねえのと返せば、そんなことないさと言う。
「ほらもういいだろ、見せもんじゃないんだから、あんたらはさっさと帰りな!」
いいねという彼女の逆らえない声に、ジムに集まってた観客たちは慌てたように路地裏へと消えていく。
「キバナ、あんたも今日は帰りな」
「いや、そんなわけには」
なによりネズが体調悪いってんなら、それは間違いなくオレのせい。なにが引き金になったのかは知らないけど、それだけはわかる。
「あたしだって詳しくは聞いてないよ。マリィちゃんから頼まれたのは、アニキに会いに誰かが来たら、どうにかして食い止めてほしいってことだけ」
確かに門番って意味じゃ、ジムリーダーに声をかけるのは正しい。本当はシャッターも下ろしてしまおうと思ってたのに、まだメロンさんが着いてなかったから、そうするわけにもいかなくてとポツポツと語る。
自分を排斥しようとする動きに苛立ちが募る、どうしてこんなことしてまでと口に出しかけてやめる。負けて悔しさを滲ませる彼女の顔には、それだけじゃない、どうしても守らないといけないと決意を感じたからだ。
「アニキはたまに、壊れたみたいに、作曲ばっかしてるときがある」
夢中になってというよりも、他になにかを忘れようとしてるみたいに、そればっかりにかかりきりになる。食事や睡眠も忘れてでも、逃げようってしようとしてるみたいに。
「楽しそうなら文句は言わんよ、アタシも応援してる。けど、そうじゃないから」
苦しそうだった、なのに自分が悪いんだって聞いてくれんから。
「もうその辺でいいよ、あの子は昔からなんでもかんでも背負いこむ癖があるからねえ、心配になるのはそうよね」
でも大丈夫だよ、今日はあたしもいるんだから気にせずゆっくり休みなと、頭を撫でる。先に家に帰ってなと背中を押すと、それに従ってようやく立ちあがった。
「あの、キバナさんは」
「帰るよ、流石に」
ここまで来て無理を通そうとは思わねえよ、気にならないなんて言えば嘘だけどな。そんなオレさまの内心を見越したんだろう、あたしが話つけておくから先に帰ってていよと声をかけられ、うんと一度頷くと帰路に着いた。
「ネズの豹変について、なんか知ってそうだね」
「プライベートなんで答えらんないっすね」
なんて茶化してみても通用しなさそうなので、まあ昨日会ってたのはオレさまだよと白状する。
「昨日は、無理言って予定空けてもらって、そんで帰るとき、様子が変だったから気になって。それで」
どうしても会いに行かないといけないと思ったのだ、まさかこんな大ごとになってるなんて思ってもみなかった。無理はさせたかもしれない、泣いてたし。
「喧嘩でもしたのかい?」
「そんなもんじゃないですよ。なんでかわかんねえけど、もしかしたらオレさまのこと嫌いなのかもって」
自分で言って傷ついた、だって確信が持てないから。結局はそれ、あいつの心の在りようがわからない、だから傷つくし安心できない。あいつオレのことどう思ってんだろ。
「あんたはどう思ってるのさ」
「オレさま?」
「そこを正さないとギクシャクしたまんまだろ、どうなんだい?」
もちろん好きだ、他の何かに代え難いくらい。
だけどふと思った、オレのものって思ってたけど、なにか思い違いがあって、あいつの心を傷つけるだけなら。いっそこのまま離れるのも手なんじゃないかと弱気ながらも思った。そのほうがあいつのためになるんなら、だけど。
「なにが正しいのかは、後であんたたちが話し合って決めたらいいさ。でもね、後悔だけはしないように、なにも隠さずに、全力で向き合うんだよ」
そうやって決めないと、どっちかに後悔が残る。それだけはオススメしないよと子供にでもするようにオレの頭を撫でる、やめてくださいよと困って返せば、体が大きいだけであんたも子供みたいなもんだからねと快活な笑顔で返される。
「元気になって大丈夫だって思ったら、話つけるようにあたしからも言っとくからさ」
「お願いします」
どーんと任せといてと言うメロンさんは、確かに頼もしい。マリィちゃんが助けを求めたのも、なんだかわかる気がする。
じゃあ自分はなんなんだろうか、どうしても会いたくて、のこのことここまで出しゃばって、結果的にあいつのこと回り回って傷つけてるだけなんじゃないのか。
「すみません、一つだけ」

音も光もなにも感じない、そういう無感の夢から覚めるとやけに頭がスッキリした印象を得られた。
ベッドに入ってきちんと休んでいたことに驚く、寝る前には確かにギターを手にしていたはずだから、またソファか床のどこかで寝落ちしていたのではと思ってたのに。
違う、確かに眠る前はギターを持ってたし、そのまま続ける気だった。その直前のことを徐々に思い出し、こうして寝床についたのは自分の力じゃないと知る。その上で、じゃあ今は一体いつでどれくらい横になっていたんだろう、不安になって自分のスマホロトムを呼んでみるも、電源が入っていないのか声の届かない場所にあるのか、反応がなかった。
まだふらつく頭を抱えてベッドから降りると、足音に気づいたらしいズルズキンが顔をあげてニッと歯を見せて笑いかけてきた。
「おはようございます、随分と、手の凝ったことをしてくれやがりましたね」
おまえたちの悪知恵ですか、それともマリィの入れ知恵ですか、そう問いかけると目を逸らす。どっちにしろ自分は悪くないのでとでも言いたげな表情だ。別に怒っていませんよ、心配をかけましたねと頭を撫でると、少しこちらをうかがい見てからパタパタと足音を立てて部屋の隅へと向かう。
サイドボードの裏に隠されてたらしいおれのスマホを持ってくると、律儀にも返してくれた。どうやら手の届かない範囲に隠されていたようだ、マリィの手によって電源の落とされてたそれを起動させると、ロトムから昼過ぎを告げられた。
下へ降りてみると、リビングのソファでマリィが横になっていた。こんなところで寝てるとあなたが風邪を引きますよと声をかけると、少しだけでも休ませてやりなとここにいるはずない人の声が飛んできた。
「えっ、メロンさん、なんでウチに」
「マリィちゃんから助けてって連絡があったのさ、アニキが大変だって」
なにかあったら連絡しておいでと、ウチに顔を出しては声をかけてくれるものの、まさか社交辞令を本気にしたのだろうか。
「別にアタシはいいんだよ。あんたが倒れたのは本当なんだろう?」
「倒れたというか、強制的に眠らされてただけですが」
カラマネロの催眠術をもろに受けてと返せば、そりゃ心配にもなるよと驚いた顔で返される。
「いえ、おれのカラマネロの仕業ですから、本気でもないでしょう」
「とはいえ、ポケモンの技には違いないじゃないか、それにしてもなにがあったんだい?」
あたしが聞いたのは、あんたが倒れたから、訪ねてくる奴を追い返してくれってだけでねえと言う。それだけで事情も聞かずに来てくださるなんて、申しわけないですね。
「着いてから話は聞いたよ。なんだか追いこまれてるみたいだ、ずっと苦しそうだって、取り憑かれたように楽器を持って、作曲を続けてて、それが怖いんだって」
好きでやってるなら別にいい、アニキの歌は好きだし、いいものだっていうのはわかる、だけど。
「わざわざ自分を傷つけてまで、歌ってほしいわけじゃないんだ。ステージに立って、自信満々に楽しく歌ってる姿を応援したいのに、最近そんな姿を見ない、音楽に取り憑かれてるときのあんたは危なっかしくて仕方ないってさ」
「すみません、どうしても止められなくて」
「そう思うなら、少しは自分のことをかえりみなよ」
そこまでしないといけないくらい、追いこまれてたんだろう?自分が盾になってでも、ここを守り抜くんだって、キバナにすら立ち向かっていったよ。
その言葉に思わず心から軋んだ音が響く。
「待ってください、キバナが来たんですか?しかもマリィが立ち向かったって」
なんであの男がここに、しかもマリィとバトルしたなんて聞いてない。そりゃ今起きたので、知らなくても当たり前なんでしょうけど、おれがいない間に一体なにが。
「アニキに会いに来たんなら通せないって頑として譲らなくて、キバナもムキになって手加減なしでバトルしたみたいでね。あんたのタチフサグマも協力はしたけど、完敗だって、えらい落ちこみ具合だったよ」
自分じゃアニキを守れないって、そんなことしなくてもいいのに。おれは別に、守られるほどの価値なんてないんですから。
「そんなわけないだろう。兄弟がいくらいたって、誰かのかわりを務めることはできやしないのさ。ましてやこの子にとって兄はあんた一人だけ、あんたが可愛がるのと同じように、他の誰よりも、大事な兄貴なんだよ」
血は水よりも濃いのさ、それくらい言われなくてもわかる。
「キバナは、なにをしにここへ来やがったんです?」
「あんたに会いに来たって言ってたよ、いわくネズの変化に関わってんのは自分だって」
なにがあったのさと優しい口調でたずねられても、答えられるわけがない。まだ眠っているとはいえマリィも同じ部屋にいるのだ。
「場所を変えようか、モルペコもあんたのタチフサグマもついてるんだ、心配しなくて大丈夫だよ」
「そう、ですね。ではキッチンのほうで」
お茶くらい出そうとするおれに変わって、こういうことされるのは慣れてなくてねとメロンさんからポットを取りあげられる。流石にそこまで尽くしてもらうわけにはと言うも、さっきまで倒れてた奴が火を使うほうが心配だ、なんて返されては言葉もない。
温かいミルクティーを淹れてくれた彼女にお礼を言う、隠し味にスパイスを使っているらしく香りがよく体の芯から温まる、そんな甘い味がした。
「キバナとは友達、ってわけじゃないんだろう?」
「お見通し、ですか」
「人の子供にまで口出しする気はないんだけどね、あたしもこういう性質だから、危なっかしい子はお節介でも気になってさあ」
友達じゃなかったらなんなのか、口にするのもためらうのですが。でもここまで巻きこんでしまって教えないのも、まあ変な話でしょう。
「酔った勢いで、関係をもちまして……それからなし崩しにってかんじです」
「昨日会ってたっていうのは、そういうことかい」
呆れた口調で言うメロンさんに、軽蔑しますか?とたずねれば、そういう甘っちょろい感情で動くようなら、何年もこの仕事できやしないさと笑い飛ばされる。
「そうですかね、おれは身の回りにいたら軽蔑しますよ」
意外だねえと返されて、そもそもの始まりがなし崩しなのでと言えばそういうのは両成敗だろう、どっちが悪いって一概には言えないさと笑い飛ばす。強い人だ、本当に。
「いいじゃないか、恋に燃えあがるのも若いもんの特権だよ」
「そんな歯が浮くような甘ったるい代物じゃねえんですよ、これは」
あいつとの関係はおれの我儘と、相手の気まぐれで成り立っている。この微妙なバランスが崩れると、それで終わりだ。
愛してほしいなんて口にしようものなら、パキリと音を立てて割れる。薄い氷の上を歩くように慎重に行かなければ落ちるだけ。
昨日あいつはそれを踏み外した、意図的になのかただの遊びなのかそれは知らない。けれども、頭の中でうるさいくらいに音が鳴る。
これがどんな衝動によるものなのかわからない、でも感情的に鳴り続ける音の洪水を前にすると自然と作曲にのめりこめる。人からすれば異様な光景なのかもしれませんが、そういうもの。
「なにがあんたを追いこんでるのさ。まさか、妹ちゃんのためってだけじゃないだろう?」
それがネックなら手を切ってる、あんたはそれができる子なんだからと断言する彼女に、おれはそんな強い奴じゃないですよと苦笑を返す。
「もっと姑息で狡い、臆病者です。あいつがおれを構う理由がわらかない、それでも声をかけたら手を伸ばしてしまう、曖昧にしたまんま逃げてるだけです」
女々しいんです、自分で言ってて嫌になるけれども、結局はそこ。心のどこかでまだ捨てきれずに残ってる、あいつへの未練が手切れにすることをためらってる。近づきすぎればいけないと離れようとするのに、指先が触れ合う距離を保ち続けているだけ。
「じゃあなにから逃げてるのさ?」
「それは、キバナから」
そうじゃないんじゃないかい、とメロンさんは呆れた口調で返して、しばらくして諭すように優しい声であくまで、あたしから見てだけどねとつけ加えたうえで言う。
「あんたが逃げてるのはキバナと向き合う自分から、そうなんじゃない?」
自分たちの関係をはっきりさせること、あの子と正直に向き合うことを怖がってる。そう指摘されてしまえば否定はできない、まさしくその通りだから。
「キバナは、なんで来たと思う?」
「さあ、少なくともおれに会いに来たっていうんなら、昨日のことでしょうけど」
機嫌を損ねてしまったからだろうか、遊びのように望んでた言葉を前に、逃げてしまったのがいけなかったのなら、面白くなくなったから別れでも告げに来たのか。
「本当に不器用な子だね、二人とも」
「いや、そんな子供でもないでしょう、いい大人ですよ」
「あたしから見りゃね二人ともまだまだ子供だよ、ウチの息子とそんな歳も変わらないだろう」
マクワさんを引き合いに出されてしまうと確かにそうなんですけど、だからって子供扱いされるのもなんだか収まりが悪い。
「キバナはね、あんたに嫌われてるんじゃないかって言ってたよ」
「おれに嫌われてる?」
そんなことをなんで気にするんです、おれ一人に嫌われることを恐る男でもないでしょう。
「その理由を知りたいんなら、直接聞いてみるんだね」
今すぐどうにかとは言わないけど、今のままじゃダメだっていうのは自分でもわかってるんだろう。
「そろそろ腹、括りますか」
「そうだよ、本音でぶつからないとダメなのさ」
「あなたに言われると、説得力ありますね」
そうだろと苦笑する彼女に、今回は随分とお手を煩わせましたと頭を下げればそこまでされるいわれはないよと、頭を撫でられる。
「いい子にはきっといいことがあるからね」
「おれ、あくタイプ使いなんですが」
「いい子に違いはないだろう?」
もう自分のこと傷つけるんじゃないよ、わかったかい?と言ってくれるメロンさんに、善処しますと返す。それじゃ意味ないじゃないかと背中を一発叩かれる、この人の励ましの一発はかなり強いのだ。やめてくださいよかくとうタイプは苦手なんですと返すと、そうやって冗談を返せるなら大丈夫そうだねと豪快に笑う。
「それでさ根本的なこと聞くけど、あんたはキバナが好きなのかい?」
「……好きです」
「そうかい」
「軽蔑しません?」
「軽蔑するって言ったら、あんた止められるのかい?」
それは、できないでしょうねと返せば、なら聞くだけ無駄なことだよと言う。
「他人の感情に口出そうなんて奴はねえ、大したもんじゃあないよ。例えば、あんた自分の歌を嫌いだって人のことどう思う?」
「ショックですよ、その人には響かなかったのかって。でもまあ、歌なんて好みの問題もありますし、単純にロックが好きじゃなかったのかもしれないって」
「そうだろう、誰かの好きは誰かの嫌いだし、その逆もそう。だからねえ、自分と違うからって頭ごなしに否定しちゃ、本当はダメなんだろうね」
反省してるんだよ、あたしもさとメロンさんは肩を落として言う。ダメなところもあったけど、自分だけが間違っていたとも思わない、だから、ぶつかり合った。それでわかったこともある、誰だって完璧じゃないんだから。
「もしもフラれたら、やけ酒につき合ってくれます?」
「あたしでいいんならね」
いいお店探しといてあげるよと言うので、できれば度数の高い酒を静かに飲めるところがいいですと注文をつければ、ならキルクスにいい店あるよと返される。
「俺、感情が死んでるとき、しこたま飲みますよ」
「大丈夫だよ、あたしも大分とザルだからね!」
朝までつき合ったげるよ、気が済むまで、だから誰かに頼ることも覚えな。
「一人で飲んだりするんじゃないよ、どうせ昨日も空きっ腹にやけ酒したんだろう?顔色悪いよ」
胃に優しいスープ用意したげるから、今日はもうゆっくり休むんだよと言う。本当にお世話になりましたと頭を下げれば、キバナの暴れぶりに比べれば可愛いもんよ。
「アニキ、起きたの?」
そっとキッチンに顔をのぞかせたマリィに、ええそうですよと返すと、ごめんなさいとうつむきがちにつぶやく。
「なんでマリィが謝るんです」
「だって勝手に、カラマネロに頼んで、メロンさんまで」
「心配してくれたんでしょう、おれの方こそ謝らないといけません。おれのせいですね」
おれがしっかりしてないのでと言えば、それあんたの悪い癖だよとメロンさんの指摘が飛んでくる。
「一人で抱えこまないって、今約束したとこだろ?」
「そうでした、では……二人とも、ありがとうございます」
「怒っとらん?」
「ええ、おれのこと守ろうとしてくれたんでしょう?」
キバナは怖かったのではないですか、とたずねるとそんなことないと拗ねた顔で返される。次は絶対に負けんと言うので、頼もしい限りですと頭を撫でて返す。
「マリィちゃんは、本当に大物になるだろうね」
「そうでしょう?」
自慢の妹ですから、彼女に恥じない兄貴でありたいものです。
穏やかで静かな音が体の内から響く、酒を飲んでぶっ倒れるようにして寝たのに気分は幾分かマシなのは、二人のお陰でしょう。
不思議と嫌な気分ではなかった、これからどう戦いに行こうかと考えられる程度にはいい気分だった。

あとがき
こちらのお話は、次回で最後の予定です。
長らくお待たせしました、すみません。
2020年4月13日 pixivより再掲
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