愛の歌が鳴り止まない・2
ネズの新曲がすごくいいと話題になっていた。前に飲み仲間と一緒に見たあのPVの曲じゃない、ライブに合わせて書き下ろしたという、出来あがったばかりでタイトルすらまだ決まってない歌。それがすごくいいと。
「なんだか切なくて、心が締めつけられるんですよ」
「色っぽくてドキドキしたというか」
そう話すジムトレーナーたちに促されて、何度目かわからない動画を見返す。ハッシュタグでネズ、新曲、タイトル未定とあるそれは、再生数が見るたびに増えている。流石はガラルの誇るシンガーだな。
ライブストリーミング配信されて、今はアーカイブで見れるそれを、恨みがましく見つめる。本当は現地に行くつもりだったのに、プラントのほうで急に仕事が入っておじゃんになったからだ。
普段なら行きたかったなというだけで、映像をありがたく拝見してるとこなんだろうが、なんでかそうできなかった。
あの日のことが小骨のように引っかかってる。酔ってネズを呼び出した、あの朝。
流石に自分が悪かったと反省している、でも思い返すほどにネズの反応がおかしかった。オレのつまらない発言に対する嫉妬か、可愛いところあるなと少しでも考えたのがバカげてる。
明確に拒絶されていた、距離を離そうとしていた、近づいていいものかわからないなんてもんじゃない、目の前であいつの心から締め出されたようなかんじ。
愛してくださいと歌う、おまえはそうだ、生涯のテーマみたいに愛を歌う。そのくせ一度も、オレに向かって甘い言葉を囁いてくれたことがない。
初めて抱いたとき、慣れているふうを装ってたけどあれは嘘だ。嫉妬させるためについたもの、触れ合えばわかる。言葉以上に体は正直なもんで、ネズの体は感じやすくて、どこを触ってもビクビクと快感を拾ってくれて、それが楽しくて仕方なくて、我を忘れて貪った。
それでも結局、最後まであいつは愛の言葉は口にしなかったから、これはフラれたなと残念に思って、それならばと生涯忘れられないくらいあいつの熱を感じておこうと、気を失うまで抱き潰したのだ。
起きたときどんな叱りの声が飛んでくるのかと覚悟は決めてた、最低だと罵られても仕方ない、これっきりの縁になるかと思ったものの、目覚めたネズはどこか怯えてて、このまま離してほしくないと訴えかけてくるようで、だから正直に伝えたのだ、オレのものになってほしいと。
拒絶しなかったから、同意だよな?
これっきりにしようと思えばできた。酔った席での失敗談にしてもよかった、なのにあれ以降だって、呼び出しには応えてくれる、体を重ねることにもうためらいもないのか、でも一度も嫌だって言わなかったじゃないか。
「おまえが、それでいいんなら、別に好きにしたらいいんじゃないですか。でも、あまりこんな関係を言葉にしないでくださいね」
お互い顔が割れてる者同士ですし、悪目立ちするのはよくないと、そう言ったから会う場所は限って、それとバレないように手を尽くして。気を回してきたのだ、それこそ気にしすぎていっそ怪しまれるんじゃないかってくらい、接触も避けて、デートなんて甘い関係は好みじゃないと突っぱねられて、でも内容次第では一緒に出かけてくれて、最後は二人で一緒に抱き合って寝る。
結局のところ、恋人なんだよな?
じわじわと毒のように追い詰められている、あいつのやる戦法と同じく、気を緩めたところで身を掬われるような、時間をかけて機会をうかがって、一手に盤面を覆す。だからもしかして、もしかすると、と考えてしまうのだ。
本当はオレさまのこと、嫌いなんじゃねえの?
そんなまさか、嫌いな男とセフレになるほどあいつは退屈な人間じゃないはずだ、ましてや自分が抱くならともかく、抱かれる側でそんなことしないはずだよな。
疑い始めると最後、嫌なことばかりが頭の中を駆けていく、そして自分勝手なのはオレのほうだってことも、事実として痛いほど突き刺さる。
間違えたとしたらやっぱり最初に手を伸ばしたとき、酔ってたことがよくなかった、理性を搔き消すくらいの欲に負けたのが悪かった。とはいえその要因を作ったのはネズだ。
周囲の音を人より敏感に拾ってしまう耳を持つ彼は、端的に人混みが苦手だ。ある程度の場所は大丈夫らしいが、お偉いさんに囲まれ気の使う場所では、どうにも精神が持たないらしい。
それを知っていたからそばに居た、あいつに集ろうとする奴等をそれとなく牽制して遠ざけて、最後まで守り抜いたからデロデロに酔った。
そんなオレを担いで部屋まで案内してくれた。これだけなら止まれた、酔い潰れた同僚を介抱してくれたんだな、相変わらず世話好きな奴だって思えたから。
「おまえのおかげで、助かりました。そばに居てくれて心強かったです、でも……そういう優しさは、もっと大事な人にくれてやるもんですよ」
おれなんかには勿体ない。
寂しそうに笑ったあいつを、そのまま手放せるわけないだろ。ずっとこの腕で独り占めにしたかった、他の誰にも譲りたくない、他の誰にも見せたくない、オレだけのものに。
「愛してるのはわたしだけ、それでもいいから抱き締めて」
なんども繰り返し再生をしてきたので、歌詞の発表もまだなのにすでに覚えてしまった。画面の向こうのネズは、哀愁という言葉がぴったり似合う少し悲しげな表情でギターのメロディーに身を任せている。呼吸の合間一つ取っても色気が溢れていて、これで歌をまともに聴けというのが難しい。
脱ぐなって言ったから当てつけかよ、確かに衣装は着こんでるけど。こんなの、引き寄せて押し倒したくなるだろうが、何人の男がカメラの向こうでおまえを抱く妄想をすると思ってたんだよ。汗で張りつく髪なんてかきあげたりして首筋エロいんだって、癖になってるチョーカーに指をかけたりして、それ誘いかけてんのかってそんなこと思うのはおまえだけですよと、呆れた口調でつぶやかれるんだろうな。
思い返すと会いたくなる、ライブ映像でも買った音源でも足りない、熱を持つネズ本人に会いたい。
ジムトレーナーたちと別れて一人になったところで、スマホロトムのチャット機能を呼び出すと、ネズ宛に会えないかと送る。するとそこまで間を置かずに相手のほうから通話がかかってきた。
「今日でないといけませんか?」
なにか用事でもあるんだろうか、それとも会いたくない理由でもあるのか。
どうしてもってわけじゃないけどと返せば、編曲の真っ最中なんですよと返ってくる。新曲なら発表したところだろと指摘すると、そっちじゃないと言う。
「ああ、タイトル未定のやつな」
オレさまも好きだよと言うと、そうですかと微妙な顔で返される。来てたんですかとたずねられ、仕事で行けなかったからストリーミングで聴いたと言うと、いくらか安心した顔でそうですかとつぶやく。
会場で聴いてたらなにか不都合でもあるのか、もしかして他に誰かを呼んでたから、とか。そう問いただしてしまいそうになるのを抑えて、ネズからの返答を待つ。
「あれは、まだ未完ですから」
どこがまだ未完なのかわからない、ライブで発表するまでには至ったものの、楽曲配信のためにはまだ調整したいところがあるのだとかなんとか。
「それ今でないとダメか」
さっきネズから返ってきたのと同じ問いを返す。
「思った以上に反響が高いので、できれば早めに完成させたいんです」
だからつき合ってる暇はないということだろうか、火傷を負ったようにじりっと胸が痛む。
おまえにとって、オレってなんなんだよ。愛してる人間じゃないのか、それともただの遊び?食われて抱かれる快感を知って、他にも予備がいるから一人に固執する必要がないとか。
「なあネズ」
想像以上に情けない声が出たものの、それも仕方ない。しばらく会えなかった彼に、どうしても触れ合いたいのだ。そんな思いが通じたのか、大きな溜息を一つこぼす。
「少しだけですよ」
いつものホテルでいいですかと言われて、緩く首を振る。
「ネズの家行くわ」
「はあ、ダメですよ」
なに勝手に決めてんですと怒りの滲んだ声で返されるも、別にいいだろ、というかすでにそのつもりで用意している。いつも通って来てくれるんだしたまには楽させてもいいだろ。なんていうのは言いわけで、踏みこんで許されるところまで彼の懐に入りたかっただけ。
「なあネズ」
「ダメです」
どうしてもかという問いに絶対に嫌だ言う、なんでと聞けば妹がいるからと即答で返される。
「いいじゃん、オレさまとネズが会ってたって別におかしくないだろ?」
ジムリーダー同士でしかも隣町なんだし、なにかと交流があってもおかしくない。実際ルリナとヤローはよく顔を合わせてるらしいし、ポプラさんだって散歩がてらラテラルジムに顔を出す、ならオレたちだって。
「来るな」
絶対にだと言う声は本気で嫌がってた。
拒絶されるいわれはないだろと思うものの、ネズにとってはそこまですることのようだ。
「おまえが来て、なにもしないわけがないでしょう」
「そりゃあ」
絶対にあげませんよと語気を強めて言われる。
「会うなら外で充分でしょう」
充分じゃねえよ、全然そんなもんじゃ足りない。もっと二人きりになりてえじゃん、誰にも気を使わずに、時間を気にしなくてもいい場所で。
「ならおまえの家におれが行きますんで、それで勘弁してください」
「わかった、じゃあ迎えに行くな」
来なくていいと言う声を無視し、足はすでにスパイクタウンへ向いていた。タクシーを待たせて、ジムまで赴けば本当に来やがったと迷惑顔で迎えられた。
「行くぞって言っただろ」
「来んなと言ったの覚えてねえんですか」
ドラゴンタイプじゃなく鳥頭だったかと嫌味を返され、別に好きに言えばいいだろと肩に手を伸ばして返す。
「ほら行こうぜ」
キバナの家に来たのは初めてではない、けれどもタクシーに連れて行かれたときから感じていたのだが、今日は相手が普通ではない。流れている空気から察するに、なにか気分のよくないことでもあったんだろう。
おれに関係ないでしょうと言いたいのだが、当てつけるのに丁度いい相手という意味では間違いない、しょせんその程度の間柄ですし。
ただ自分の家というのは、最後の砦として到底受け入れられるものではなかった。一度でも入れてしまえば、嫌でも思い出してしまうだろう。そうしたらいつまでも、未練がましく忘れずに引きずる、だからどうしても嫌だった。
彼のささやかなな希望を聞いてやりたいという気持ちはなくもない、だがこれはおれとおまえを自由にしておくのに、必要なことなのだ。
やるんならシャワー浴びたいですと言うと、どうぞとへ案内される。別について来なくたって知ってるんですが。
「一緒に入らねえ?」
「嫌です、と言ってもどうせ来るんでしょう」
そんなに我慢できないんですかと聞けば、どこかの誰かさんが色っぽい新曲出すからさと茶化すように言われても、元を正せば全部おまえのせいなんですよとは言えない。
この間からどういうわけかキバナは風呂に一緒に入りたがる、髪を洗ってみたいなんて嬉しい申し出ではあったものの、あれから何度おまえの手を思い出したことか、触れかたからさては髪の長い女でもいるのだろうかと、もやもやと胸の中に霧がかかった、だからあんな。
「なあネズ」
急に後ろから抱きついてきたかと思ったら、なあと耳へと低い声が落とされる。
なんです動きにくいでしょうなどと反論してやりたかったものの、縫いとめられるように絡んだ手に、なんだか気味の悪さを感じた。
「キバナ?」
「おまえ、恋人の歌とか作らねえの」
幸せなラブソングってあんまねえじゃん、今回のだってさとまるでおれが悪いみたいに続ける。
「なにを歌おうが、勝手でしょう」
「そうかもしんねえけど、でも」
あれは流石にどうかと思おう。オレさまたちは曲がりなりにもガラルジムリーダーで、若手もベテランも、全てのトレーナー登録された者たちの代表。そんな人間が少しでもおかしなことをしようものなら、周囲からどんなバッシングがくるか、知らないわけじゃないだろう。
「だったら、おれを呼び出すのやめたらどうなんです」
「それは」
「バレたらまずいのはお互いさまでしょうが、自分のことだけ棚にあげてんじゃねえですよ」
流石に痛いところを突かれたらしく、いったんは言葉を止めたがしばらくして、やっぱり聴いてみたいじゃん、と小さな声で言われる。
「なにを?」
「おまえのラブソング、幸せなやつ」
笑顔でとんでもないことを言う。こいつにとっては恋愛はエンターテイメントの一つなんだろうか、別に他人の趣味にどうこう口を挟む権利なんてないですけど、それにしたって悪趣味じゃないか。
それに、おまえは口にしたためしがないのに、おれだけは言わせるのかという怒りもある。嘘でもいいから好きだと言ってくれるなら、それで一曲くらい書くのは簡単にできそうなものだが、しかし。
「安っぽいものになりそうなんで、嫌です」
「ネズはそんな安っぽい奴じゃないだろ」
「そんなことないですよ」
現におまえに呼び出されて、のこのこと部屋までついて来たのだから安いもんでしょう。違いますかと少しの苛立ちと怒りとあとは自嘲に満ちた声で返せば、へえとやけに冷えた声が返ってくる。
「オレさま相手に、そんなこと言うんだ」
抱き締めてた腕に力がこめられる。そうだ、今日のこいつはやけに機嫌が悪い。下手に神経を逆撫でしたら、言葉のまま逆鱗に触れるということを失念していた。
「おまえは確かにいい男でしょうけど、おれは」
自分にそんな価値はない、人気者のおまえとはわけが違う。偏屈でつき合いの悪い、寂れた町のジムリーダーであり、歌うことをやめればその瞬間に人の記憶から忘れ去られてしまう程度のシンガー、どちらも中途半端な顔でしょう。ただ今は、逆鱗に触れたドラゴンに食われるのを待つだけのエサでしかないようですが。
「おまえ、オレさまのことなんだと思ってるんだよ」
怒りもあるが、どこか悲痛なものを含んだ声になんだと首を傾げる。おまえのことは好きですけど、それを押しつけて責任を取れなんて言う気は更々ないというのに。なんですか、さっきから悪いのはおれみたいに訴えかけてくるのは。
「それは、おまえがよく知ってることでしょう」
安くて便利な、都合のいい相手、そうじゃないのかと問ひ返すのはなんだか恐ろしくてやめた。この間、つい嫉妬の火花が跳ねてこいつの手を振り払ってしまったのを引きずっているのかもしれない。喜んで受け入れてくれる人ばかりで、拒絶されることをあまり経験していないのなら、根に持ってても仕方ないのだろうか。
「おまえ他の誰かに抱かれたりとか、してねえんだよな?」
「そんな信用なりませんか?」
まさかミュージシャンだからとか言わないだろうな、職業柄の偏見にも慣れてはいるもののおまえがそんな型ばりの決めつけをするとは、あまり想像できないんだが。
それとも、あの歌のせいだろうか。
「明日は別の人のものに、なってるかも……なんて思いました?」
図星だったのか急に黙りこむキバナに、あんまり幸せな恋とかいうのを経験してねえんですよ、と返す。
「今もまだ、幸せじゃねえの?」
「どうでしょう」
おまえ、幸せにしてくれるんですか?と問いかけると、目を見開いて驚いたようだが、しばらくしてにっこりと安心した子供みたいな笑顔を見せる。
「もちろん」
なぜかご機嫌になった相手がギュッと抱き締めてくれる、こんな安いセリフで満足してくれるんなら、いくらでもささやいてあげたいものの、その役目を担うのはおれじゃない。自分の立場を痛感して、胸が痛む。
頭を揺さぶるメロディーを塞ぐように、彼に縋ってみようか、それで少しでも紛れるのなら。自分の中にいる、暗くて女々しい自分が顔を覗かせる。この間、書いたばかりの歌詞に合わせて、歌うようにすぐそばにある体温に手を伸ばそうとした。
「ネズ」
なあもう行こうぜと、体を撫でていく手に溜息をこぼしてそうですかと返す。
結局、求められているのは体のほうなのだ、勘違いするな。
鳴り響くメロディーに痛いほどに力強い心臓のリズムが重なった、愛を求める浅ましい自分の心が顔を覗かせてくる。そいつを抑えこむために甘えようとした体の奥底に閉じこめてしまおうと、唇を噛む。傷になるぞと撫でてくる相手に、それなら塞いでたらいいでしょうと返す。
ぎらついた目がおれを捕らえ、今にも食い破らんと唇を塞いできた。いいですねこういうの、窒息するくらい息ごと食らってくれたなら。
「キバナ」
好きですとは、言いません。おまえにとって都合のいいおもちゃでいるためにも、なによりおまえの自由のためにも死んでくれ、おれの中にいる嫌な自分。こいつを好きだと想っている、ダメなおれ。
第一、ドラゴンに首輪は似合わねえんですよ。
「幸せにしてほしい」
その一言が聞けただけでも充分だった、ネズは少なくとも幸せになりたいと思ってくれている。おれのことを嫌いだなんて思っていない、それだけでもう充分な収穫。
今まで幸せな恋愛なんてものをしたことがないとしても、それがどんな関係だったかは想像するしかないものの、別に心配しなくても、オレさまが幸せにしてみせるさ。ガラル最強のジムリーダーという肩書きを背負うくらいだ、もう一つ大事なものを背負こむくらいわけない。
自分の腕の中で眠るネズの頭を撫でていると、髪を通るう指の感触を感じ取ったのか、んっと身動ぎしてオレのほうに身を寄せてきた。それが可愛いのなんの、自分の顔が情けなくも緩んでいるだろうことはわかってるものの、自宅なんだしこれくらい許されるだろう。
安心したように寝ているネズの顔を撮ったら、怒るだろうか?自分のものだって自慢したい気持ちと、独り占めしたい気持ちがせめぎ合っている。もし仮にオレさまのポケスタにアップしようものなら、この地方中で泡食ったような顔が見れるんだろうけど、これを他人にやるのは勿体ないよな、なんて。
ふいに頭の中を過ぎったのはこいつが出したばかりの新曲。あなたは明日には忘れているでしょう、愛してるのはわたしだけ、それでもいい、愛してるのはわたしだけ。間違っているかもしれないけど、これが一つだけみつけたあなたの愛しかただ。
女性の心に寄り添うように歌うネズ、その歌声も詩もすでによく耳に残っている。でもこの腕にいるネズはそんな心配しなくていい、だって。
「愛してるぜ」
こっぱずかしいことを呟いて額にキスを落としてやったところ、相手はビクリと体を震わせて飛び起きると、やけに驚いた顔でこちらを見返してた。なんだ起こしてしまったのかと思ったものの、そういえば人よりも耳がいいんだったなと思い出す。
さては照れたのかと思った、見たことないくらい顔を真っ赤に染めてる彼は、そういうことしなくていいんでと視線を逸らす。
「なんで?」
「おれ相手に、勿体ないでしょう」
そうつぶやくと、こちらへと背を向けて体を丸める。
静かながらも拒否を感じる背中を見つめて、なんでだよと思わずつぶやく。そんなオレの声に振り返ることもなく、明確に相手は無視を決めこんできた。
「なあネズ」
体を揺さぶってみても、鬱陶しいとばかりに離れていこうとするもんで、そこまでしなくてもいいだろうと腕を回してなんとか閉じこめてしまえば、ちょっとだけこちらを見返すと、独占したくなるでしょうとオレの頭を撫でていく。
「してくれていいんだぜ?」
「ダメです」
おまえはみんなのキバナでしょうという、どこか突き放す言いかたに少し頭にきた。
「おまえだって、普段はみんなのネズだろうが」
「そうですよ」
じゃあそれ以外はどうなんだと返せば、こちらを見つめてしばらく黙りこむと、淡々とした声でおれはおれのものですよとつぶやくと、ゆっくりと起きあがりベッドから抜け出す。
「ちょ、どこ行くんだよ」
「帰ります」
今からとちょっと裏返った声で聞くと、曲のアイデアが浮かんだのですぐにでも取りかかりたいと、引き止めるオレの手を振り払って手早く自分の服に袖を通していく。
「なあ待てよネズ、急にどうしたんだ?」
「言ったでしょ、いい曲が浮かんだのですぐ取り掛かりたいんです」
「それ今じゃなきゃダメか?」
「今じゃなきゃダメです」
帰ろうと手早く荷物をまとめていく相手をなんとか引き止めようと腕を掴み、なんとか向き直ると、あっと小さな声をあげてこちらを見返す。
「ネズ?」
なんで泣いてるんだよ、そんな変なことしたか?
そうたずねると、おまえは知らなくていいんですと、少々乱暴に腕を振り払われてしまう。
「なんだよ、オレさまは知らなくていいって」
「そのままです。関係ないんで、気にするな」
それ以上でも以下でもない、なんでもないのだと荒い口調で言うネズの目からはボロボロ涙がこぼれ落ちていく、そんな状態なのに放っておけるわけがないだろうが。何が引き金になったかは知らないけど、それオレのせいなんだろ、だったら。
「離しやがれ!」
それ以上はやめろ、立ち入って来るな。
こんなふうに正面切って拒絶をされたのは初めてだった。なんでだよ、何度でも言うけどその涙の原因はオレなんだろうが。
「おまえには、迷惑かけねえんで」
ただ少し整理させてくださいと幾分か落ち着いた声でつぶやくと、これ以上は本当にダメだと言い切ると、ゆっくりした足取りで部屋から出て行った。
家だからどうにでもなったけど、ここで引き止めたって仕方ないだろう。一人になった部屋で、ついさっきまでネズが横になってたベッドに顔を埋めると、まだ少しだけあいつの熱と残り香がある気がして、女々しいなあと思いつつも離れられそうにない。
余計なことをしなければまだこの腕にネズがいた、そう思うとやりきれない。でも自分のなにが悪かったんだろう、なんでまた急にあんな、傷つけるようなことを口にしたか、それとも他になにか。
おかしなことになっていると思う、心臓のあたりに突き刺さった見えないトゲが締めつけてくる。泣かせたかったわけじゃない、幸せにしてほしいって言っただろうが、だからその気持ちとしっかり向き合ってやろうと思ってたのに、なんで。
自分とはなにかズレてる、心のありかたが、感情の出所が、どこかズレてる。あいつが天邪鬼だから?素直じゃないけど、面倒見がいい優しい奴だってことくらい長年の付き合いだし知ってる。だけど泣いてるところを見たのは、快楽以外でという意味だけど、もしかしたら初めてかもしれない。
なんでだよ、みんなのネズは愛してるってステージで歌うのに、オレのネズになった瞬間に恋人から投げかける言葉は拒絶するのかよ。散々甘やかしてくれるから、今日だって我儘を聞いて家まで足を運んでくれたのに、オレからの甘い言葉はいらないのか。
もしかして、やっぱりオレさまのこと嫌いなのか?
スマホロトムを呼び出して、何度見たのかわからない動画チャンネルをつける。観客の雑音が入っていたものの、伴奏が流れ出すと驚きと困惑の声があがるものの、すぐに全てを聞き漏らすまいと誰もが口を閉じたらしく、流れる音がクリアなものになる。
「愛してると言ってくれるなら、それでもう充分だから、あなたは好きに生きればいい、嘘でもいいから、一度だけ。
この手が届かないところまで飛び去っても構わない、首輪をつけて飼い慣らしたいわけじゃない」
そうでしょうと投げかけてくる視線が熱く、ついさっきまで熱を分けていたときを思い出す。最中と同じくらいとろけた、やらしい顔しやがって。
彼が自分のものだって主張したい、おまえは嫌だって言うけど、オレはおまえに首輪をつけて飼い殺しにしたっていい。少なくとも今より一緒にいられるんなら、人からのバッシングなんて怖くはない。火照るような日照りだって、打ちつける雨だって、荒れ狂う砂嵐すらも怖くない。恐れるのは一つ、霰のような冷たい態度。
「どうなってもいいんです、あなたが嘘つきでも、優しかった思い出だけで充分だから」
そうでしょうと、再び問いかけるしっとりした声から一転、つんざくような重いギターに合わせて、それで満足かと叫ぶ。
「しおらしくなんてできるもんか、スカした面を殴り飛ばせ、おまえだけじゃないって叫んでやれ!それができないんなら、この手で掻き抱いてめちゃくちゃにしてやれ!」
できるはずだそうだろう、なあ。
問いかける声が腹の底から叫びとなって現れる、あいつが嫌がる雑音が混ざらない、不思議な叫び声だ。それがプロの仕事だってわかってるのに、なんでこんなことができるんだろうと首を傾げる。
そしてもう一つ、あいつにとって本音はどちらなんだろうか。どっちも正しいし、どっちも間違ってる気がする。過去の女なのか、それとも男なのか、どちらかわからない相手を想像して胸の内が曇る。今もこんな熱烈に歌われる相手は、さぞいい奴だったんだろうな。
それか、忘れようがないくらい最低な奴だったのか。
ぼうっとしながら眺めていると、ふいにカメラへ向けられた視線に射抜かれた。特定の誰かに向けてではないはずなのに、その一瞬、確かに自分を見ていると錯覚させるに足る、確信があった。
ネズを呼び出すときに、一瞬だけ見せる呆れたような顔、ダメだって言いながらも最後には仕方ないですねと了承してくれる、カメラ越しでも確かにそうだと感じる。愛情だと思ってるそれ。みんなのネズは、それも大盤振る舞いしちゃうんだ、これだけは自分だけの特権だと思いたいのに。
手の中にいた、確かに今日は、つい先ほどまで触れていたはずなのに、もう寂しくて仕方ない。なんで一人でベッドで寝てるんだろ、愛してる人を画面越しに眺めながら。あいつは帰ってこれの続きをやるんだろ、もう充分なくらい思いが詰まってそうな歌を。
愛してるって言ってくれ、そんな我儘なことじゃないだろ。一言でいいんだ、それさえあれば少しは胸の中に居座ってるトゲも外れるはず。
そこに至ってふと思い出す、自分は果たしてネズにこうして愛をささやいたことがあったのか、もしかして、さっき戯れののうに呟いたあれが初めてなんじゃないか。
いやだって、ネズはそんな素振り見せなかっただろ、言葉改めてって感じじゃなかった、それは流されただけで本気じゃなかったとか、やっぱりそんなオチなのか?
「そういうの性に合わないんですよ、告白だとか、愛の言葉だとか、そういうチャラチャラしたものって、合わないんですよ基本的に」
いつだったかそう言ってたのを思い出す、他人にはあれほど愛情を説いてくるのに自分はいらないって、そう話してただろうが。それでも全部、嘘だっていうのか。
「そういうのは、安売りするもんじゃねえんです。とっておきにしておくもんでしょう」
だから本当に本心からなら、特別な相手にしか使わない、そう決めてるんですよ。その特別は自分だと疑いもしなかったけど、胸に広がる雲が嵐の前兆のように渦を巻く。やっぱり嫌いだとか思ってるのか、それかなんとも思ってなかったり。じゃあなんで、さっき泣いたんだよ。
頭の奥まで掻き乱されるように鳴り響く音で揺れる、ドラムのリズムか、深く低い音でまとめるベースか、それとも会場を煽るギターか、違う。スポットライトの中心に立つ、全員の注目を集める声の持ち主が、頭の深くまで手を差し入れてかき回す。
今にも泣きそうな顔で、愛を歌う主役が全ての元凶だというのに、目を逸らすことができない。ドクドクと体の奥で心臓が痛いと主張してるのに、目を逸らすことができないというか、今ここで逃げてはいけない気がした。
なあネズ、おまえ本当のところどうなんだ、なにが嘘でなにが本心なんだよ。
「嘘でもいいから一度だけ、愛してるって言ってくれたなら……」
動画が終わり次の読みこみ画面が表示されるのをただ呆然と見つめる、いくらでも言ってやるよ。自分のことを棚にはあげないで、ちゃんとおまえに向き合って隠さないし、逃げないし、ふざけたりもしないから。
だからさあネズ、愛してるって、言ってくれないか?
ネズさんが歌ってる歌詞っぽいところは、こいつが想像で作ってるものですので、今作のイメソンとかの歌詞ではないです。
あまり詩の才能はないので、ふわっとこんな感じと汲み取っていただけたら幸いです。
ネズさん、個人的にはゴリゴリのロックチューンと合わせて、しっとりした歌い方のバラード系も人気だといいなあと思ってます。
だって「哀愁のネズ」ですから、哀愁漂う曲も沢山書かれてたらいいな……と。
2020年1月23日 pixivより再掲