家族の形

「ねえ今日のハッサク先生さ」 「わかる、絶対ね」
 食堂でそんなヒソヒソ声で話をする女の子のグループがいて、一体なんだろうと気になるものの、クラスどころか学年ごと違う相手に声をかける勇気が出ないでいると、アオイなにしてんのとボタンから声をかけられた。
「席埋まっちゃうよ、行こ」
「あっうん」
 ほらこっち空いてると気になってた彼女たちの斜め後ろの席に座る、小さめの声ではあるけどなにを話してるかギリギリ聞こえる位置だ、もしかしてと相手を見れば、今日のランチに選んだサンドイッチに向き合っている。
「この間もあったでしょ」
「そうそう、一週間前の授業ね」
 あの日も先生のネクタイ結びかた違ったんだよね、週明けの先生は華やかな結びかたになってるの、あれ絶対に誰かに結んでもらってるよ。 「授業中とか話しててさ、ちょっと息苦しそうだったんじゃん?」 「あっ、先生なんか変だなって思ってた」 「それで聞いてみたんだけど」  本人にとビックリした声が聞こえるので、勇気持って踏み出さないと始まらないじゃん、と自慢気に話す誰かの続きの言葉をドキドキしながら待つ。
「出勤前にネクタイを忘れてるって指摘されたんだって」
「ハッサク先生って独身だよね?」
「たぶん、指輪してないし」
「やっぱ恋人しかなくない?」
 それだけじゃないの、その忘れてるって教えてくれた人がついでにって結んでくれて、利き手が違うからいつもと勝手が違って、ちょっと息が詰まって感じるって言っててね。
「結び直さないんですかって聞いたらさ、好意でしてもらったのでって照れた顔で話してて」
「確定じゃん!」
 どんな人なんだろうと盛りあがっている声を盗み聞きしながら、ネクタイ一つであんな盛りあがれるって、逆にスゲーと淡々とした声で目の前のボタンがつぶやく。しかし自分はその内容が気になっていた側なので、あんまり強く否定はできずに視線を逸らして笑う。
「でもさハッサク先生が結婚してないの、ちょっと意外」
「それな、真面目だし長年のおつき合いならしてそうだけど」
「なんか事情あるとか」
 身分違いの恋愛だとか、結婚を言い出せない仲だとか、色々と想像を展開している彼女たちに対して、目の前のボタンはアホらしと淡々とつぶやく。
「そんなドラマみたいなこと、現実にポンポンあってたまるかっていうの」
「厳しいね」
 想像するだけならいいんじゃないと聞けば、あれじゃ妄想の域じゃん、変な噂が引っついて回ったら迷惑なの本人だし、あんまプライベートを詮索するもんでもないし。
「この後、美術一緒でしょ」
 今の話聞いて普通にしてられると聞かれて、うっと声を詰まらせる。
「アオイ、ハッサク先生に懐いてるもんね」
「そんな子犬ポケモンみたいに」
「美術部でもないのに美術室行きすぎなんよ」
 ボタンだってよく居るじゃんとつっこむと、うちはメロちゃんが気になってたまに行くだけ、他は授業のある日だけだよ美術室なんて行くのと首を横に振る。
「アオイは先生が好きなの?」
「そういうわけじゃなくって、ウチはあんまりお父さんが家にいないから」
 そばで褒めてくれたり応援してくれる、そんな優しく見守ってくれる大人の男の人にちょっとだけ憧れがあったりした。もちろんこの学校の先生はみんな優しいし、みんな違った点でわたしたちのことを支えてくれる、でも応援の声が一番大きかったのがハッサク先生、だからちょっと気になったんだと言うと、ふうんと小さくつぶやく。
「熱血タイプだからうちはちょっと苦手かな、それこそ親を思い出すときもあってさ、ちょっと大袈裟だなって思うとこあるし、でも人気ある先生なのはわかる」
 だけど周りの人の勝手な言葉とか噂とか、そんなので良いも悪いも色々と影響されんじゃん、それあんま好きじゃないっていうか。
「確定じゃない情報で、踊らされんのはよくないよって」
「それは、そうだけど」
「あんま盗み聞きもよくないしね」
 それボタンが言っていいのほらハッキングとかと聞けば、その件についての問い合わせは窓口を通してもろて、と冗談めかして言う。
「なんでそんな気になるん?」
「ハッサク先生もちょっと、家族と揉めてるみたいで」
 ああ竜の一族やっけと返ってくる、知ってるのと聞き返せばそれなりに有名だし、こっちじゃそこそこ名のある家柄ってやつなんじゃないかな。とはいえ門戸を広く開けてるタイプじゃないから、中の詳しいことは調べてみんとわからんけどと言う。
「結婚してないとかは、そういうのがあるのかなって勝手に思ったり」
 これも勝手な想像だから、先生にとっては迷惑なことかもしれないと思い直すも、そこまで心配なんやったら本人に突撃してみたらと、淡々と返される。
「ええっ、そんなこと」
「アオイならできるでしょ」
 たぶん学園で一番の物怖じしないタイプよ、そもそも先生が家族の話するくらい心開いてくれてんやったら、聞いたら教えてくれるんじゃない。
「そういうもの?」
「たぶん、対人関係はちょっとムズイから、なんとも言えんけど」
 気になること抱えてるのも、なんかいやなんでしょ、ならほら古から言われるとおり当たって砕けろってやつじゃないと返された。

「それでは今日の授業はここまで」
 鐘の音と共に慌ただしく教室を出て行く生徒たちを見送っていると、あのと控えめなではあったものの真っ直ぐに小生へ投げかけられた声に、どうしましたアオイくんと振り返りながらたずねる。
「えっと、今日のネクタイ素敵ですね」
「ああこれですか、他のかたにも同じことを言われましたよ」
 同じようにネクタイをしていても、結びかた一つでこうも目に留まるとは、流石は芸術家である彼の仕業だ、日常を彩ることすらも容易く手にできる。
「誰かに結んでもらったんですか?」
「おや、もしかして噂になっていますか?」
 ごめんなさい聞こえてきちゃってと困ったように謝るので、こんな環境に身を置いている以上は、興味や関心そして噂の対象に自分がなることは覚悟のうえではある、なにかよくない話だったのですかと聞けば、視線を逸らしてしばしの間黙りこむ。
「先生に恋人がいるんじゃないか、って噂がありまして」
 その人に結んでもらったんじゃないかって、顔を赤くして噂の内容を教えてもらって、さては午前の授業のあの子が出どころだろうかと思考を巡らせる。まあ別に自分から言うことではないだけで、相手がいるのを隠しているわけではない、ただそう一般的な関係ではないから、思春期の真っ只中にある彼女たちの教育上どうなのかを考慮しつつも、変に誤魔化すのもおかしいだろうと判断し、そうですよと答える。
「えっ、本当なんですか?」
「恋人という枠組みでは収まらないくらいに、小生にとっては大事な人です」
 そうなんだと小さくつぶやく少女に、疑問は解決できましたかと聞き返すと、あのと聞き辛そうに視線を逸らしてつぶやく。
「その人と、家族にはならないんですか?」
 すでに家族ではあるんですよ、と彼女の疑問に笑顔で答える。
「あの、先生って結婚はしてないんじゃないかって、聞いたんですけど」
「そこまで噂になっていますか。でもそうですね、結婚という契約は交わしてはいません。そうすることで向き合わなければいけないことに、相手を巻きこみたくないもので」
 ではここで質問です、アオイくん家族の形とはどういうものでしょうか?
 考えたこともなかったのか、お母さんとお父さんと子供たちと、あとお爺ちゃんお婆ちゃんみたいな、そういう人と小声で考えながら答えてくださる。
「いわゆる血の繋がった家族という形ですね」
 それも正解ですが、他にも家族たる存在のかたがいますよと言えば、えっと驚き自信なさげに他に家族っていうととしばらく考えて、どうやら思い当たる節があったのか、一緒に過ごしてくれるポケモンたちもと元気に答えてくれる。
「はい、彼等は大事な存在でありパートナー、決して血の繋がった相手ではありませんが、心が繋がった家族に間違いありません」
 人も同じですよ、血は繋がっておらずとも子供のころから共に過ごし、兄弟のような関係を築く人もいれば、自分にとってなくてはならないくらい大事なパートナーとなる人もいる。本物の家族とはうまくいかずとも、この世に一人ぼっちだということはないのです、必ず大事な誰かに出会えるものです。
「小生にとっては、このネクタイを結んでくれる人は、そんな大事な宝物です」
 そう言い切るとほおとちょっと頬を染めて、なんだか素敵ですと照れたようにつぶやく。そんな初々しい反応をされてしまうと、こちら側としてもなんだか照れ臭くなってしまうのですが、決して嘘ではないので構わない。
「あの、先生のお父さんはその人に会ったことはないんですか?」
「そもそも小生が父と顔を合わせたのがもう十年以上は前のことですからね、そういう家族もあるのです。繊細な人なので、そういう場に連れて行って傷ついたりする姿を見たくないですし」 「でも一緒に暮らしてるんですよね?」
「いえ、週末に小生が会いに行ってるんですよ」
 お互いに別の仕事をしていますし、時間の違う職業を兼務している身分なので、同じ家にということはやはり少し難しい。だからこそ、週明けの出勤を迎える前には身支度に手を貸してくれる、こうしてネクタイを結んでもらうくらいには心を許している。
 それでも小生は幸せですよ、さっきも言ったとおり血の繋がりだけが家族の証でもないのです、小生と大事な人と相棒のポケモンたちと、そして学園の先生や生徒の皆さん全てが、自分にとっては居場所であり家族のような大事な存在であります。
「家族の形に正解はないのです。きみがもう少し大きくなって、誰にも変え難い愛する人に巡り会ったとき、どういった選択をするのかはきみとその相手に委ねられますが、周りの人と同じ形を取れずとも家族にはなれるのだと、それは覚えておいてくださいますか?」
 はいと真面目な顔で返してくれる少女に、アオイくんには不要な心配かもしれませんけれど、人の関係とは非常に難しいものですから、なにか迷ったり困ったりしたときは、よければ相談してくださいねとつけ加える。
「でも相手の人は毎日ボウルタウンに帰って来てほしい、って思ってるんじゃないですか?」
「いやコルさんもいい大人ですし、現状に不満は」
 ああやっぱりそうなんだと淡々とつぶやくボタンくんと、唖然とした顔をしているアオイくんを前に、気が緩んでいたとはいえ自分の迂闊さがいやになると同時に、沸騰したように顔が赤く染まるのを感じる。
「あの、ボタンくん」
「この前の授業でコルサさんが来てからなんとなく、そんな噂もあったし、本当かなって思ってたんですよ」
 流石に嘘でしょって意見のほうが強いし、冗談混じりの話だったから気にしてこなかったけど、今の話を聞いてたらなんかもしかしてって思って、ちょっとカマかけてみました。
「そうでしたか」
「気にしなくっても、みんな忘れかけてる冗談なんで、うちらが黙ってればたぶんバレないと思う」
 すでに授業も終わって我々三名の他は残っていない教室だったので、それはよかったけれども。とはいえ一人で抱えていたことが、別の人に伝わってしまったのは色々と問題なわけで。
「申しわけありませんが、二人とも」
「わかってます、言いふらしたりはしません」
 アオイは先生のこと心配してただけやし、家族の形は色々あるんですよねと念を押すように彼女は悪戯っぽく返される。
「情けないことですが、きみたちの誠意を信じますですよ」

 ふわふわとした心地のまま美術室を出て、そのまま真っ直ぐボタンの部屋へ向かった。
「いやあなんだっけ、事実は小説よりも奇なりってやつ?」
 想像した通りだったとはいえ、まさかこんな簡単に引っかかってくれるなんて思わなかった、と言う彼女に勧められるまま部屋の空いてるスペースに座り、さっきの話を思い出す。
「ハッサク先生とコルサさんの噂って、本当に?」
「あれは冗談みたいなもん、今日みたいに食堂でワイワイしてる誰かの話よ」
 誰も本当だって思ってない、なんかあんまりにも距離が近すぎたから面白おかしく言う奴がいたってだけ、それも先生からしたらあんま嬉しくないことかもしれんけど、まあ先生ってちょっと人と距離近いし、コルサさんは意味わからん人だし、あれが平常運転だって誰もわからんよね。
「ボウルタウンの話はね、さっき興味が沸いたから調べてみたのよ」
 先生のスマホの位置情報の記録をすっぱ抜いて、昨日どこにいたんかなって調べてみたら、まさかのビンゴだったからマジかあと思って。
「言わなくてもよかったんじゃ」
「んーでもさ、ここまで来たら白黒つけたいなって」
 なんとでも誤魔化したりできたと思うんだけど、先生も一回も女性だって嘘ついたりしなかったし、大事なのは本当だけど、どこかで知ってほしいんじゃないかって思ったり、でなきゃ家族の話なんかせんよ。
「まあ普通に考えて、人には言えんよね」
「そうだね」
 もう驚きが二重にも三重にも重なってどういうことなんだって、頭がいまだに混乱したままで鳥が回っている幻覚が見えそうなんだけど。
「いやでもまだ、兄弟って可能性もあるし」
 ないでしょ、絶対にラブのほうだよ、ガチに恋人へ向けた顔だったよと強く否定してくるボタンに、うぐぐと声を詰まらせるしかない。
「この秘密抱えるの辛くない?」
「パルデアの大穴を探検した奴が、今更それ言う?」
 もっとすごい秘密なんて色々と見たじゃん、そういうのとは方向性が違うんだよと地に突っ伏すしかないわたしの頭を雑に撫でながら、竜の財宝なんかちょっかい出すからよと呆れ口調で返される。
「別にどうこうしようって、つもりじゃなかったもん」
「それでもよ、ちょっかい出したのはアオイだから、反省して秘密の守り人になろうな」

あとがき
前に書いたネクタイ結ぶコルサさんが、ちょっと気に入ってしまったので。
コルサさんは思春期どもなら、その内に誰か気づくだろっていう確信犯であってほしい。
ただ自分を恋人どころか、家族として紹介されてるとは思ってないパターンかな。
2022-12-05 Twitterより再掲
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