あなたに首ったけ
アカデミーの教員に抜擢されたという連絡を彼から受けたとき、ついにこの人が長年夢見てきた教師の中でも、名誉ある職に選ばれたのだと自分のことのように嬉しかったのを覚えている。
あまりに浮き足だった気持ちが収まらず、いてもたってもいられずに用がない限り足を運ばない街へ行き、普段ならば入らない店へ入り店員にあれこれと注文をつけながら、時間をかけて彼に似合うプレゼントを選んだ。
週末になればやって来る恋人のために、金曜の夜は少し手をかけて夕飯を用意し、やって来た相手を歓迎するとビックリしているハッさんへ、お祝いだと細長い箱を差し出した。
「こんな、ここまでしていただくことでは」
「なぜだ、めでたいことだろう?」
それともワタシの気持ちが受け取れないと、なんて聞けばその言いかたはズルいですよと困りながらも、シンプルに飾られた箱を受け取ってくれた。
「ネクタイですか?」
「時計やらなにやら色々と考えたのだが、やはり教師という立場上、身だしなみは一番大切だろう?」
思春期どもの手本となるべき大人だ、実用性が高くて一番いい物というのがそれしか浮かばなくてな、迷惑だったかと聞けば、とんでもないと首を緩く横に振る。
「しかし赤いネクタイですか、小生に似合うでしょうか?」
「誰が選んだと思っているんだ、ワタシの目に狂いはあるまいよ」
その色はあなたに似合う絶対にだと言えば、そこまで言ってくださるのならばありがたく使わせていただきますと、照れたように返された。変なところで欲がない男なのだ、特に自分のことになると遠慮するところがある、そして他人のことになるとお節介とも感じるほどに深く向き合ってくれる。
長年のつき合いでその性質を知っているからこそ、身に着ける物を贈っておくべきだと思ったのだ。
そうして週末に訪れる彼が、遂に憧れの教壇へ立つという日の朝にせっかくだから結んでやろうと、トリニティノットにしてやる。
「なんだか気恥ずかしいですね」
「そうか?」
ワタシは楽しいぞと言えば、そうですかとまだ照れたように視線に熱が籠る相手の鼻先に、そっとキスをして見送った。
そんなことがあってからすでに一年以上が経ったが、今週も恋人は学園での仕事を終えてこの家へと変わらずにやって来る。
「コルさん、実はちょっとお話が」
夕飯の席で急に真面目な顔をして言うものだから、面食らってしまって、どうしたんだと内心の不安を悟られないように気をつけてたずねれば、実は生徒の間で噂になっておりましてとぽつぽつと語り出す。
話を要約したところ、どうやら彼のネクタイが週明けの授業には違う結いかたをしている、ということに気づいた女子生徒がいるらしくそれが一部で噂になっていると。
「隠しておいたほうがよかったか?」
「小生は構いません、しかしその、あなたに迷惑をかけないかと」
「なぜワタシの心配をする、アカデミーの噂はあなたのものだろう」
むしろ遅いぞ思春期どもと心の中で悪態をついているのを、彼は知らないのだろうがそれでいい。
「実は先日、コルさんに授業に来ていただいたでしょう?」
「ああ、特別講師として行ったな」
「その日の我々のやり取りを見て、冗談だそうですが、あなたと特別な関係なのではという子もいるようで」
「事実ではないか」
なかなかに鋭い審美眼のある若者だなと返すと、面白がっている場合ではないのですよと、困ったようにつぶやく。
「やはり男同士は、対面が悪いと?」
「ですから小生は構わないのです、しかしコルさんは今ではこの国で名前も顔も知られた存在、たかが子供の噂とはいえあなたに迷惑をかけるのではないかと、心配で」
この人はいつも自分の心配ではなくて、ワタシのことを優先してしまう。あまりにも優しすぎるその姿を見ていて、危機感を覚えているのだ。今更誰かにやる気はないし、相手にもその気がないことは知っているものの、しかし他人の想いまでは変えられない。
そろそろネタばらしをしてもいい頃合いだろうか。
「実は、わざとやっていた」
「なにをですか?」
「だから、ネクタイを結ぶのをだ」
普通の人がしないような結びかたをわざわざ選んでいる、この人には特別な存在がいるのだとちゃんと広く知らしめるために、言葉ではなく行動で示したのだと教えると、真っ赤になってそうだったのですかと小声でつぶやく。
「気づいてなかったのか?」
「あまりに楽しそうなので、機嫌がいいのだなというくらいにしか」
確かに気分はよかったとも、朝からハッさんがここにいるんだから悪くなることがあるだろうか、新婚気分のような感覚とでも言えばいいのか、非常に楽しかったと続ければあなたも人が悪いと溜息を吐く。
「そんなことをせずとも、小生の心はあなたから離れていくことはありませんよ」
「わかっているとも、だが悪い虫は追い払わなければいけないだろう?」
花を愛でる者の習性だ許してくれと言えば、悪い虫がつかないか心配なのは小生のほうですがと、ムッとした顔で言う。
「毎日のように思春期どもの相手をしているあなたと違って、ワタシは自分の作品とバトルに向き合うだけの男だ、目立つのは否定しないしこの町じゃ今では広告塔ではあるが、それ以上でも以下でもない」
彫像たる花に虫は寄りつかないと言えば、本当にわかってないようですねと深い溜息を吐くので、だからなにをと聞き返す。
「美術家たるコルサ、ジムリーダーたるコルサ、その魅力に取り憑かれて寄ってくる人も、また数多く存在するのです」
そんなあなたが自分のせいで不要な視線まで集めてしまう、これには耐えられないと彼は言う、なぜならワタシには彼のように誰かを思わせる影がないからだと、なるほどそんな考えかたもできたかと考えていると、なのでと真剣な顔で向き合われる。
「小生からはこれを」
受け取ってくださいと差し出された小さな化粧箱を前に、思わず緊張が走る。素直に手を伸ばしていいものか迷うが、目の前にいる彼の顔を見るに絶対に退かないことはわかるものの、とはいえ高い物は受け取れないぞと釘を刺す。
「小生からの物は受け取れないと」
「そうは言ってない」
どう考えても釣り合いが取れていないからと返せば、気持ちの度合いは同じでしょうと強い口調で出られる、まずは中を確認してから考えませんかと言われてしまうと、それもそうかと思い直す。
一つ深呼吸をしてから差し出された箱を開けてみると、中に入っていたのは細身のチェーンを通された、小ぶりなペンダントだった。トップの中央を飾るオリーブ色の石の周りを月桂冠のように葉が取り囲んでいる。コルさんに似合うと思いましてと言う相手に、確かにわたしの好みではあるがと困惑する。
「指輪でもよかったのですが、あなたの指は大事な仕事道具でしょう」
お仕事の邪魔にならず、かといって人の目に触れる場所となると限られますから、それに自分にいただいた物と同じ場所を飾っていただきたかったと語るハッさんは、中身を取りあげるとワタシの背後に周り、細身のチェーンを首に通して金具を止めてくれる。
見た目通りそれほど重さもなく、しかしはっきりと存在を主張してくるそれに少し気恥ずかしくなるものの、本当に貰ってしまっていいのかと念のために聞き返す。
「貰っていただかねば困ります」
「しかし」
小生に一年半以上も愛情をかけたあなたに、同じ物を背負っていただきたいと強い口調で返されるので、自分から仕掛けただけにこちらとしては拒否はできない。
「では、ありがたく受け取るぞ」
「はい」
ついでと言ってはなんですが、実はこういう物も買ってしまいましてと彼が取り出したのは、同じブランドのロゴが押された化粧箱で、中には小ぶりなネクタイピンが一つ入っていた。揃いのデザインとわかる木の葉と深いオリーブ色の宝石が光るそれに、思わず顔が熱くなる。
「キサマ生徒にバレるのを恐れていたのではないか?」
「二人が繋がっているという証が欲しいじゃないですか」
あなたの締めてくれるネクタイをして、お揃いのアクセサリーを身に着ける、そんな毎日はやはり幸せだろうなと思いましてと照れたようにはにかむので、そんな顔をされてしまってはダメとも言えないではないかとつぶやく。
「これからも、同じようにネクタイを締めてくれますか?」
「当たり前だろう」
では、よろしくお願いしますですよと照れたように、でも幸せそうに微笑む。
その顔を独り占めしたいと言ったら、彼は肯定してくれるだろうか。
コルサさんの一人称視点を、書いたことがなかったなと思ったもので。
2022-12-13 Twitterより再掲