モーニングコーヒーをもう一杯
朝の静けさに鳥ポケモンの囁きが混じるようになって目を覚まし、隣でまだ寝ている相手を起こさないようにベッドから降りる。少し薄暗い廊下を進みキッチンへ向かうと、二人分より少し多くなるようにコーヒーメイカーをセットし、朝食はどうしようかと考えていたところ、小さな足音を響かせてこちらへと近づいてくる相手に目を落とす。
「おはようございますミニーブくん」
小さな声で挨拶をしてくれる相手が窓を見ているので、これは失礼とカーテンを開けて朝の日差しを中へと入れ、近くに水の入った皿を用意する。
さて朝食はどうしようか、勝手知ったる家なので先に用意していてもいいだろうが、家主の予定を聞いてから決めようと、マグにできたばかりのコーヒーを入れて再び寝室へと戻ると、まだ横になっている相手をそっと揺さぶって起こす。
「コルさん、朝だぞ」
声をかけると身じろぎをして薄く目が開き、おはようハッさんと拙い声で挨拶すると同時に頬へキスをしてくれるので、ああおはようと返しの挨拶と共にキスを贈る。
「朝食を作ろうと思うのですが、食べれますか?」
「ああ、いただくよ」
コーヒーを差し出しなにがいいですかと聞くと、制作のために時間が惜しいから、昼食にも使えるよう、朝は多めに作っておくつもりだったという。
「あんまり食事を疎かにするものではありませんよ」
「食べる意志があるだけいいでしょう」
時間に追われているときと集中しているときは、どうしても忘れてしまうのだとコーヒーに口をつけながら言う、本当に集中していると周りの声が届かなくなるのは昔からそうだが、とはいえあなたに倒れると困る人は多いんですよと溜息混じりに返す。
「では、スープでも作りましょうか」
「ワタシもすぐ行こう」
もう少しゆっくりしていてもいいんですよと、コーヒーを飲む相手に返すので、流石にあなたに頼りきりなのは悪いさと言い、テーブルに飲みかけのマグを置くと着替えに手を伸ばす。
とはいえしばらく時間はかかるだろうと判断し、再びキッチンに戻ると冷蔵庫の中を確認して、中に詰まった野菜の中からスープに合う具材を選んで、食べやすい大きさに刻んでいく。
包丁の音で食事だと気づいたのか、フカマル先輩をはじめとしたポケモンたちが集まり始めた、みなさんの分もありますからしばらくお待ちくださいねと声をかければ、元気のいい返事が戻ってくるので思わず口角があがる。
「みんな朝から元気だな」
走り寄ってきたミニーブくんを抱きあげて頭を撫でてから椅子におろし、キッチンに入ると隣に近づいてくる。
「パンの買い置きはあるのですか?」
「昨日買い出しに行ったからな、二人分であることを差し引いても充分だろう」
足りなかったら届けてもらうだけだ、顔馴染みの店というのはこういうときに融通が効いてありがたいと言いながら、パン切り包丁でバゲットを食べやすい大きさに切り分けていく。
「卵はどうしますか」
「好きにしてくれ、ハッさんの料理はなんでも美味い」
コーヒーすらワタシが淹れるより美味いと豪語するものの、同じ豆だし大袈裟ですよと苦笑気味に返す。
「そんなことはないぞ、明らかに味が違う」
おかわりを飲むなら朝食の際にしてくださいよと釘を刺す。あまり空きっ腹にコーヒーはよくないのだが、そこまで好きだと言ってくれるものを取りあげるのも気が引けてしまう。
バターを敷いたフライパンで卵とハムを焼いて皿に移し、スープの野菜にしっかりと火が通っているのを確認すると二人分の食事をテーブルへと運んでいく。その間にコルさんはポケモンたちのフードを用意し、先に食べていていいぞと皆に声をかけている。
「我々もいただきましょう」
「ああ」
結局、ほとんどハッさんに任せてしまったと言うものの、構いませんよ好きでやってますからと二杯目のコーヒーを差し出して席に着くと、少しだけ賑やかな朝食を食べすすめていく。
コルさんはテレビやラジオを食事中はつけない、世界情勢に常に気を配るべき職業でもなし、朝から不要な他人の声を耳に入れる気はないというのが本人の言葉である。かつて世間の評判に振り回されてきたのを見ていた側としては、それで平穏を保てるのならばとこの二人の食事の時間は緩やかに楽しむことにしている。
「やはり美味いな」
「そうかな」
簡単な料理ばかりだが、自分で作るともっと手を抜いてしまうと彼は言う。少し手を抜くだけならば文句はないが、彼の場合はレタスやきゅうりなどの、手軽に食べられる野菜だけを挟んだサンドイッチだけで三日くらい過ごす。それではいけないと何度か注意はしているものの、これはもう死ぬまで直らないものだろうと半分は諦めている。それに彼の美味しいと言う顔に、どうも自分は弱いと長年のつき合いで自覚も持っている。
「そういえば、そろそろ新年度か」
今年も課外授業として学生たちが来る頃合いだなと言うので、コルさんのジムは立地の関係上、アカデミーの生徒が多く訪れる場所でしたねと返す。
「それだけ多くの時間を取られるのは惜しいですか?」
「いや、面白い着想を得られることも多いからな、若い感性に触れるのは楽しいしな」
相手がどう思っているかはわからんが、まあ全力で向かってくる限りはバトルで手を抜くことはしない、勝っても負けても学ぶことは多いだろう。
「ワタシはいいが、ハッさんはもっと大変だろう?」
「いえ、ポケモンリーグまで辿り着ける生徒は限られますので、ジムほど業務として負担は」
「いやアカデミーの仕事があるだろう」
好奇心旺盛な思春期どもの相手を四六時中しなければいけない、課外授業が始まると出席が足りなくなる者も出てくるだろう、教師としては気が気ではないんじゃないかと聞かれて、そういう子が出ないように注意はするつもりですよと返す。
「教師をしてみるとわかりますが、生徒は可愛いものですよ」
「そういうものかね」
「ええ」
ハッさんは世話焼きだったから教職にも向いていたんだろう、自分にはどうも縁がない世界だと言うので、一度くらいは生徒の前で話をしてほしいのだけどなと考えていたことを投げかけてみると、ワタシの話を聞きたがる者がいるとは思えないがと渋い顔をされてしまった。
「それは流石に自分を卑下しすぎですよ、すでにネイチャーアーティスト・コルサの名前は、よく知られたものでしょう」
美術に傾倒する学生だって中にはいるんです、あなたからの直の話は彼らにとっては大きな刺激となるでしょう、それに感性を育てるという意味では様々なものに触れてほしいものです。
「ハッさんがそう言うなら、前向きに検討しておこう」
時間が取れるかどうかは不明だ、特に前期はジムの仕事で手一杯になるかもしれないと言うので、無理せずに都合が合うときで結構ですよと返す。
「それを考えると、今作っている物を早めに完成させたいな」
「無茶して食事を抜いてはいけませんよ」
用意してもらっておいて粗末にはしないよ、美味いからなとスープを口へ運ぶ姿を見つめ、いざとなったら誰か止めてくださいねと彼のポケモンたちに声をかける。わかっていると言ってくれているように声を返してくれるので、任せて大丈夫かなと判断する。
「そろそろ出勤しないといけないんじゃないか」
「ああ、もうそんな時間ですか」
片づけはワタシがするから、家を出る準備をして来たらいいと追い出されるので、フカマル先輩を連れて通勤用のカバンを手に姿見の前でシャツに皺がないか確かめる、流石に生徒の前で身だしなみができていない姿を見せるわけにもいかない、遅刻はもっとよくないが。
髪に櫛は通していたもののまだ結ってはいなかったので、鏡の前で手早く済ませようと格闘していると、ネクタイを忘れているぞと指摘される。
「あっ本当ですね、ありがとうございます」
「どうせなら結んでやろうか?」
随分と上機嫌だなと思いつつも、ありがたく頼んでみると嬉々とした顔でネクタイを通して、手早く綺麗な形にすぐ結ってくれた。流石に手先が器用だなと関心してしまうものの、毎日のようにスーツを着る自分よりも上手いというのは、どうも格好がつかない気はする。
「うん、いいんじゃないか」
「あなたに誉めていただけるなら、満点でしょう」
もう行かなければと玄関へ向かう自分を見送りに出てくれる、またいつでも来てくれて構わないぞと言うので、ありがたくお邪魔させてもらいますと彼の手を取り引き寄せると、流されるままに腕の中に収まると、こちらから落とすキスを正面から柔らかく笑い受け止めてくれる。
「名残惜しいですが、いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
手を降って見送ってくれたコルさんの笑顔を目に焼きつけ、彼の自宅兼アトリエを出る。ボウルタウン外れからアカデミーまではそこまで遠くはないが、それでも早めに出勤しないと定刻には間に合わない。不便だとは思わないものの、あと一杯だけコーヒーを楽しめる分の時間を取れたらいいなんて、少しだけ我儘なことを願ってしまう。
「次からは空飛ぶタクシーを使いましょうか」
そんなつぶやきに反応したのか、フカマル先輩がこちらを見あげてフカッと元気に答えるので、そうですねあなたが立派なガブリアスになったらお願いしますと声をかけると、満足したのか笑顔で隣をついて来る相手を見つめ、大通りへ抜ける道を急いだ。
ハッサク先生は、勝手に料理が上手そうなタイプだなって思ってます。
あとコルサさん朝が弱そうな見た目してますけど、植物を愛する人間なのでむしろ寝起き良さそうだなって。
2022-11-26 Twitterより再掲