どうして、と繰り返したずねてもあなたはただ笑っているだけなんだろう。
でも聞かずにいられないんだ。
どうして、俺の手を取ってくれないんだ。
カルディアの回顧録・7
どこかで本でも読もうかとダイニングルームに入る。食事時でもないので、誰もいないか、居ても黒足屋くらいだろうと思っていたそこは予想に反して大にぎわいを見せていた。
「なにしてんだ?」
「あっ、トラ男君、いい所に来たわね!」
あなたも混ざらない?と聞くナミ屋の手にはカードの手札、そしてその前には簡易で作ったのだろうチップの山が築かれている。
「ポーカーか?」
悪いが俺は本が読みたいと言って、少し離れて腰掛けて彼等の様子を観察していた。
鮮やかに配られていくカード、それを眺めて緊迫した空気を醸し出すものの、鼻屋やトニー屋はどうも表情を隠すのが苦手なようだ、それに対してナミ屋は涼しい顔で周囲を見渡している。
「フルハウス!また私の勝ちね!」
パッと手札を晒して言い放つナミ屋に対し、その前で鼻屋、骨屋、トニー屋が沈んだ。
「いつから、ここは賭博場になった?」
「たまの暇つぶしよ!私に勝てれば、次の島の活動費上乗せってオマケでね」
負ければ、その分だけ私の活動費が増えるのと嬉しそうにナミ屋は言う。守銭奴という言葉は胸に仕舞う。
ナミはめちゃくちゃつえーんだ、と涙ながらに語るトニー屋は新しい医学書の購入費を捻出するために参加していたらしいが、様子を見るにすっからかんなんだろう。
「ねえどう?やっぱりトラ男君も参加しない?」
札束をちらつかせる相手に、俺は呆れて、少し苦笑いし断ると返した。なんだつまらなーいと言う相手に、少し意趣返ししてやろうとその手癖を直すなら考えてもいいと言う。
「……なんのことかしら?」
「俺もポーカーは得意でな、たまに立ち寄った港でカジノに参加するからわかる。ナミ屋、お前そのすり替えの手口、かなり上手いな」
長年の経験からくる、上等なイカサマの手口だと言うと目の前で沈んでた三人がガバッと起きあがった。
「なんだと!おい、ナミ!ズルイぞ!!」
「ヨホホ、何回やっても勝てないはずですねえ」
「イカサマって、ズルしてたのか!?」
「あはは、なんのことかしら?」
白を切る相手に更に詰め寄ろうとする三人を振り切って、ナミ屋は逃げ出した。その逃げる合間に、俺をキッと睨みつけてきたが無視する。それを追いかけていく奴等を見送り、これで静かに本を読めるなと思った。
「あんた、レディに向けて今の扱いはないだろ?」
「本当のことを言ったまでだ、負けるとわかってる戦いに自ら参加するのは御免こうむる」
キッチンから顔を出した黒足屋は、レディの気持ちがわからねえ奴だと悪態をつくものの、お前は気にしすぎなんだと切り捨ててやる。
「フェミニストは嫌いじゃねえが、カモにされないよう気をつけろよ」
「うるせえ、俺はレディになら殺されてもいいんだよ」
レディは死んでも蹴らねえ!と言う相手に、そこまでくると見上げた根性だと降参のポーズを取ってやる。
「まあ、そんなことはいいんだ。トラ男、俺はあんたに少し聞きたいことがある」
時間いいか?とたずねる相手に、本が読みたいんだがなと返す。
「じゃあ、これで勝負して買ったらでどうだ?」
机の上に散らばったカードを拾いあげて、黒足屋がそう言うので、面白くなっていいだろうと返した。
「ポーカーにするか?」
カードを集めてシャッフルする相手は、その服装のせいか、さながらカジノのディーラーのように見えた。俺は近くの席に着いて、それは止めにしようと返す。
「ああ?自信があるからって止めにしようって?」
「違う、時間がかかるだろう?もっと早く勝負をつけたい」
ブラックジャックにしようぜと言うと、相手は笑って、いいだろうとシャッフルし終わったカードを俺と自分に二枚ずつ配る。
裏向きに渡された手札を見て、俺は内心だけで苦笑いしてみせる。なんつー組み合わせだと呆れてしまう。
「悪いな黒足屋、ブラックジャックだ」
相手の手札を見る前に、配られたハートのキングとスペードのエースをひらりと机に置くと、イカマサじゃねえだろうな!と呆気に取られた後で相手が叫んだ。
「イカサマしてる暇があったか?カードを配ったのはあんたで、俺は一切手を触れてないぞ」
コートを調べたいなら、いくらでも調べてくれていいとそう返すと、野郎の服の中なんて見たくねえよと、苦々しい顔で返された。
「だー、くそ!ついてねえなあ」
そう呟きながら、新しい煙草に火をつける相手を見つめて、ふとその姿に今は亡き恩人を重ねてしまった。
顔も背丈もなにもかも似ていない、共通点があるとすれば金髪で煙草を吸うところ、くらいだ。
ただ、ちっぽけなものであっても、重なってしまえばキーワードであの人に繋がっていく。
駄目だ忘れようと、頭を切り替えさせるために、なにを聞きたかったんだ?とたずねる。
「あー?事と次第によっちゃ、大した事になるから、確認しておきたかっただけだ」
気にするなと言われてしまっても、この後の計画のことがある。大事になるなら同盟である俺にも被害が出るだろう、そう思って詰め寄ると相手はゆっくりと煙を吐き出して、なんで助けたんだ?と言った。
「助けた?誰を?」
「マリンフォードでルフィを助けただろ、あんた。それであいつはいい奴だって信用してるみたいだけど。その時は俺達は同盟だったわけじゃねえ。まさか今回同盟を組むことを配慮して計画してたとも思えねえ」
あんたは医者なんだろう?と黒足屋はたずねる、勿論そうだと返してやる。
「普通なら、治療費の請求があってもいいよな?」
あいつ死にかけたはずだろ?と言う相手に、そりゃ人生の中でも指折りの酷いオペだったと返事する。
「あんたは当時、王下七武海でなければ白ひげの仲間でもない、ましてや海軍でもないのにあの場所にわざわざルフィを助けに来た、目の前に患者が転がってたから助けたわけじゃねえ。助ける気持ちがあって行ったようにしか思えねえ」
なんでそんな事をしたか、腑に落ちねえと言う相手に、俺は苦笑いして、なんだそんなことかと返す。
「なに事かと気負ったのがバカみたいだ」
「バカみたいだってな、こっちの財政面で言えば笑い事じゃねえんだぞ!」
ナミさんになんて言えばいいかと弱々しく言う相手に、安心しろ請求はしないと言って、目の前に落ちていたカードを一枚投げる。
顔にぶつかる寸前で、二本の指で器用に掴んだ相手がなにしやがると叫んだ。
「支払いはしてもらってんだ、先払いで、そいつから」
スペードのエースを見つめて黒足屋は何事か考えていたようだが、すぐに気づいたらしく、まさかと返してきた。
「嘘じゃねえよ。なにかあった時には、これで弟を助けてくれって、昔勝手に約束してきたんだ」
海賊から奪った宝の山と一緒にな、と言うとまだ信じられないのか俺の方を呆然と見つめる。
「本当のことだ」
「ドクター!ドクターいますか?」
停泊していた港で、少女が船に向けて叫ぶ声で俺は目を覚ました。
しばらく叫んでいたようだが、誰かが、おそらくペンギンが対応に出たのだろう、すぐに静かになったので、着替えて身支度を整える。
時計を確認すると昼前だった、喧騒の中でもかき消されない少女の声はかなり必死だったことはわかる。
「何事だ、ペンギン」
「はい、あの少女の両親が営んでる店で、急患が出たそうです」
なんでも食事中に突然倒れたんだとかで、お使いに出ようとしていた少女を急ぎ俺の船へ走らせたようだ。
確かに、ここからだと町の病院よりも俺の船の方が近い、両親の判断は正しいなと考えながら、白衣を羽織り診察用の鞄を持って表へ出た。
「事情はわかった、店まで案内してくれるか?」
涙目の少女はありがとうございます!と大きな声で言ってから、俺の手を引き走り出した。
「おい!ちょっと待て、引っ張るな」
ちゃんと行くし診察してやるからと行っても、少女は聞かない。とにかく急いでと言うが、この体格差で引っ張られると逆に走りにくい。
かといって、必死な手を振りほどけずに、小走りになってついて行く俺を、後ろでペンギンがおかしそうに見ているのに気づき、睨み返してやる。
「ここです、ほらあそこにいる人!」
そう言って少女が指差した先には、大量の皿と注文されたんだろう料理の山、それに埋もれるようカウンターの皿の上に突っ伏している男らしき影が見えた。
あの体で、これだけの量を食ったのか……と呆れる俺の前に、店を経営しているという少女の両親がやって来た。
「いや、本当に突然だったんです。さっきまで楽しそうに家内と話しながら、食事してたんですよ、それが突然事切れたみたいに倒れて動かなくなってしまいまして」
なにか悪い病気なのか、それとも食材が悪かったのかわからなくてとオロオロする店主をどかして、とにかく男の容態を診察するために近づいた。
その背中を見て、俺はビックリした。
男の体にデカデカと彫られたマーク、それほ間違いなく、世に聞こえる大海賊のシンボルだったからだ。
動揺していることを悟られないように、そっと男に近づき体を診察する、そして愕然とした。この男、マジか……。
「……ああ、ご店主、中毒や病気の心配はしなくていい、この店のものは何も悪くねえよ」
安心して営業してくれていいと、店の様子を恐々と見つめていた客や近所の人間に聞こえるように大きめの声で言った後、目の前で沈んでいる男の頭に一発、拳を叩きこんだ。
「起きろ!この大食いバカ!」
かなり強い力で殴りつけた俺を見て、唖然としているペンギンや店主、周囲の人間に対して、殴られた本人はしばらくしてガバリと起きあがると、いってえと頭をさすった。
「あてて、なにすんだよあんた!」
立ち上がって俺の胸ぐらを掴む相手に、それはこっちの台詞だと今度は頭突きを食らわせる。
「こんなバカを俺は初めて診察した。どんな神経してやがるか知らねえが、食事の真っ最中に本気で眠れるとはな」
えっ?と声をあげる周りに対して、あ?俺また寝てたか?と問いかける。またということは、一度ではないということだ。脳の神経伝達物質に異常があるんじゃないか?それか、本気で能天気のバカかどっちだ。
「全く、てめえのせいでこの店にも周りの客にも、とんでもねえ迷惑かけて、医者まで呼ぶ羽目になったんだぞ謝れ!」
「あっ、え?そりゃあ、すみませんでした」
ごめんなさい、としっかり立ち上がって店主に頭を下げに行った相手に、店主はどうしていいものかおろおろとしているが、彼を押しとどめて席へ戻すと俺の方に向き直った。
「先生、ありがとうございます!」
「えっ?先生って、なに?もしかして医者ってあんたのことだったのか?」
悪いな、わざわざ来てくれてと手を取って握手してくる相手の顔をよくよく眺める。その顔には見覚えがある、いつだったか手配書で配られた顔だ。
「こんなところでなにしてる、ポートガス」
名前を呼んでやると、驚いたようにぱちくりと目を瞬かせて、あんたと俺、知り合いだったっけ?と聞き返してくる。
「悪い悪い、ちょっと覚えてなくてさ。どこで会ったんだっけ?えーと、待ってくれ思い出すから!」
「思い出す必要はねえ。さっさとこの店に勘定と迷惑料払って、ちょっと俺の船に来い」
そう言うと、ああ待ってくれこれ食ってからなとまた能天気な返事が返ってきた。
よくわからねえ。変装もせず、ふらふらとこんな賞金首がうろついてていいのか?そして、それがまさか四皇、白ひげ海賊団の中でも屈指の戦闘員であっていいのか?
「あのドクター、もしお昼ご飯がまだでしたら食べて行ってくださいな」
騒ぎを治めてくれたお礼だと言う相手に、どうしようか迷ったものの、少女のママのご飯美味しいから!という声に負けてしまった。
「珍しいですね、ドクターがお店で飯を食ってるなんて」
一緒に昼飯を奢って貰ったペンギンは、ラッキーですと喜んで料理を食べている。
静かな左側とは正反対で、右側からは忙しなく料理をかきこむ音がしている。どれだけ食えば気がすむんだこいつは、と呆れかえって、食欲が引いていく。
「なんだ、あんたもう食わねえの?」
「ああ、なんつーか。お前を見てるだけで腹がいっぱいになった」
半分ほどで手を止めた俺を見て、勿体ねえなあ、貰っていいか?と問いかけて来るので、黙って皿を寄越してやった。
「あー美味かった!おばちゃん、お代ここ置いておくな!」
迷惑料もちゃんとと言って、かなりの額の札束を渡されて店主の夫妻はかなり恐縮していたが、俺が受け取ったらいい、折角の心づかいだと返すと、恐れながらも受け取った。
「えーっと、先生の名前は?」
店を出たところで思い出したようにたずねて来た相手の腕を掴んで、さっさと港へ向け歩き出す。
「俺はドクター・カルディアという。流れの医者だ」
「流れってことは、闇医者ってこと?」
「いいからさっさと歩けポートガス、てめえみたいな奴がこんな所をのうのうとほっつき歩いてんじゃねえ」
幾分ドスの効いた声で言ってもなんのことやら、と首を傾げるために盛大なため息をつくしかなかった。
「ペンギン、俺はこんなバカを見たのは生涯で初めてかもしれねえ」
「悪い奴には見えませんが」
まさか気づいてないわけじゃないんだろう、顔を引き締めて男が逃げないように気配を配っている。
「ドクター・カルディア。あんたが呼ばれたってことは、俺どっか悪いのか?」
「そうじゃないが、強いて言えばそうだ」
とにかく詳しい話は俺の船ですると言って、なんとか港に停泊していた医療船の自室に連れこんで来たころには、すっかり気疲れしていた。
「お前は、ポートガス・D・エースで間違いないな?」
巷じゃ火拳のエースと呼ばれてる海賊の、と付け加えるとああそうだぞ、と呆気からんと答えてくれた。
「火拳屋、お前はもう少し自分の正体を隠す努力をしたらどうだ?そんなにデカデカと白ひげのマークやら、自分の名前やら体に彫って、賞金稼ぎにみつけてくれって言ってるようなもんだぞ」
「いいんだよこれは!俺の大事なもんなんだからよ」
だから隠す気はないし、賞金稼ぎなんかにゃ捕まらねえよと明るい笑顔で返す。確かにこいつの能力、実力を考えればそう簡単には捕まらないだろう。だが、用心するのが大切だとは思わないのか。
「それはそうと、俺の正体を知ってて、なんであんたはわざわざここに連れてきたんだ?」
ぐっと雰囲気を変えて、殺気すら感じさせる強い威圧感を放ってくる相手に、なんだただのバカではなかったと胸を撫でおろす。
「治療が必要なんじゃないかと思ってな」
「俺か?なんか悪い病気でもしてるのか?」
「いいや、あんたじゃない」
あんたのオヤジさんの方だと言うと、相手の顔が更に険しくなる。
「オヤジに、なんの用だ?」
「俺は医者だと言ったはずだ、白ひげはなんだかんだ言っても七十だ。現役で戦闘を続けるのは奇跡に近い」
だから必ず無茶をしているはずだと返す、図星なのか彼は黙りこんだ。
「どんな人間だって寿命には勝てねえ、それ以上の体の無茶は効かねえんだ。どんな状態なのか、俺が診察してみたい」
「それで、俺があんたをオヤジに会わせると思ってるのか?」
信用できたもんじゃない相手をと、敵意を剥き出してくる相手を見つめ、それじゃあ信用できるまで俺を観察すればいいと返した。
「あんたの信用に足る技術を持っていると確信できれば、会わせてくれ」
好きに出入りしてくれていいぞと返すと、相手ははっと息を吐いて、変な奴だなと言った。
「あんた、なにが目的なんだ?」
「強いて言えば金だ。新しい船を買うのに必要なもんでね」
ふーんと返す相手が、興味深そうに周囲を見回す。
「この船、まだ使えそうに見えるけど?」
「いや元々が中古だからな、かなりガタがきてる。俺の見立てだと持って二年ってところだろう」
気候次第ではもっと早くにダメになる、だから乗り換えたいんだと言うと、そうかと返って来た。
「俺まだしばらく、この島から動けねえんだ」
「それなら、あんたの滞在期間に合わせてやっていい」
俺も急いでるわけじゃないからな、と言うとそうかと言って火拳屋は部屋の窓を開けた。
「あんたのことは、考えておくよ」
適当に会いに来るから、窓開けて待っててくれよと言い置くと、火拳屋はその体を火に変えて外へ飛び出していった。
「窓開けて生活しろって?」
こんな紙だらけの部屋で、無理に決まってるだろうがとこぼしながらも、俺は完全に閉めずに今日のカルテに向き直った。
「ようドクター、会いに来たぜ!」
このバカと出会って一週間、こいつが深夜に窓辺に立つのにも慣れてきた。
窓を開けておけば、野良猫みたいにするりと立ち寄りに来る。ブラックコーヒーを出してやれば嫌がられたので、こいつの分にはたっぷりとミルクを入れてやる。それがこの部屋でできる最大のおもてなしだと、相手もわかっているのだろう、出されたものを疑いなく飲んでくれる。
大抵やって来ては、世間話をしたりして帰って行くのだが、今日はなんだかやけに上機嫌だった。
「あんた、優しい医者なんだってな」
俺の評判について調べまわった結果、どこをどう取ったのかそういう結論に至ったらしい。
「金にがめついと、言われなかったか?」
「人それぞれなんだろ?いいじゃねえか、奪い取ってるわけでもないし。ちゃんと治すことはしてんだろ?」
悪い奴じゃないのはわかったと言いながらも、俺の目的である白ひげへの治療ならびに医療代については、答えを出してくれない。
「……今日さ、スラム街であんたを見たよ」
ああ、そういえば島へ買い出しに行くついでに行ったなと思い返す。ゴミ溜めみたいな場所は、どこにもあったりする。
「子供のこと、治してやっただろ?」
「大したことはしてない、足にできてた悪性腫瘍を切除してやった。あのまま放置したら、歩けなくなる可能性があった」
「あの子達から、治療費は取ってないんだろ?」
「子供から治療費なんか請求できるか、それにあれは、俺の気まぐれだ」
手術のための練習台みたいなもんだ、それで充分、手当は貰ってると返すと、遠くを見るような目で火拳屋は俺はスラム出身なんだと言った。
「海賊に憧れててさ、いつかこんなとこ飛び出して、宝いっぱい持って、世界一になってやるって意気込んでた」
「ハハ、どうせ手に負えない悪ガキだったんだろ?」
「まあな、悪ガキ兄弟だった」
真面目な顔から一転、楽しそうに笑う相手に兄弟がいるのか?とたずねる。
「ああ、血は繋がってないんだ。でも義兄弟の盃を交わした、同じ歳の親友と、弟が一人」
長男が二人と三つ離れた弟一人、変わった兄弟だろ?と面白そうに言う。
「でもあんたはなんか、お兄ちゃんってかんじがする」
船の奴等とはまた違ってさ、と楽しげに言う相手にお前の兄貴なんてまっぴらごめんだと返す。
「なんだよー、こんなに可愛い弟だぞ?」
「媚びを売るな気持ち悪い、大体、自分で可愛いとか言うな」
「いいじゃねえかよアニキー」
やめろ、そんな柄じゃねえよと一喝すればなんだよと相手はすねたように頬を膨らます。
「兄様ーとでも言えばいいのかよ?」
笑って言う相手に、俺の中の琴線が引っかかった。
「そうやって呼ぶんじゃねえ!」
苛立ちに任せて、手近にあったもんを投げつけてやる。床に落ちたマグカップは粉々になり、中身がこぼれて散乱する。
危ねえなあと言いながら、火に変えてその攻撃を躱した相手を睨みつける。それと同時に、心の中で落ち着けと何度も繰り返す。こいつに他意はない、悪気もなにも、ただの冗談だ。そうだって、俺のことなんてなにも知らない。
「……すまない火拳屋」
ついかっとなっちまった、らしくねえと言いながら床に落ちた破片を片づけていると、いいよ俺も悪かったと謝罪して床に散らばった破片を拾いはじめた。
「俺には……妹がいた」
呟いた声は思ったよりも震えていた、情けねえと思いながらも床を掃除する手は止めない。
ラミが生きていればたぶん、この男と同じ歳くらいだろうか。
「ドクターの妹か。やっぱりドクターに似て、頭良かったのか?」
「いや普通の子だ。俺みたいにカエルの解剖とかはしない。けど明るくて、お祭りが大好きで、俺によく懐いてくれてた」
「下の兄弟って、なんか可愛いよな」
つーかドクター、カエルの解剖とかしてたのかよ、変わってるなと真面目に言われて。義兄弟の盃を交わすために、酒を飲む子供に言われたくねえと返す。
「その妹さん……もしかして、もう居ないのか?」
こちらのことを気にかけながら、聞いてきた相手に頷く。
「病気だったんだけど……医者だった父が必至に治そうと手を尽くしてくれていた」
でも、父も母も兵士に銃で撃ち殺された。妹の居た病院は焼き尽くされた。友達も先生も、みんな兵士の手で殺された。
「なんで……兵士でもなんでもない住人まで」
「俺の町の戦争はそういうものだったんだ、ここで生まれ育った人間は何人たりとも、殺して捨てろ……って」
なんで、そんなこと!と目の前で男は床を拳で叩いた。
「関係ねえじゃねえか、町の人もなにもかも」
「……関係あるんだよ。町に広がった、病気のせいだ」
なにもかも、殺してしまわないといけなかったのさ。消し去ってしまうしかなかった。
そう言う俺の手を、そっと火拳屋は包みこんだ。
「俺の住んでた町も、貴族の手で焼かれたんだ」
ゴミが集められたようなスラムだったから、いつ処分されてもおかしくなかった、そう言って相手は俺の手をしっかりと握る。熱い温度は伝わってくる。こいつの平熱はどうやら、一般よりも高いらしい。そうだよな、体が炎なんだから。
「火に焼かれて死ぬのは、苦しいだろうな」
「お前が、それを言うのか?」
自分がどれだけ、その能力を使ってきたのかわかってるのかとたずねると、苦笑いしてみせた。
「燃やしてやるさ、俺の怒りを買った相手には」
大事なもんを奪っていく奴なら、容赦なくなと付け加える。
「俺の兄弟は、火に焼かれて死んだ」
砲撃されたのさ、貴族の船に。
それを見て腹が立ってさ、でもなにもできなくて。
俺達は無力だった。
「だから強くならなきゃいけないって思ったんだよ。なにがなんでも強く、俺の大事なもん守れるようにって」
あんたもそうなんじゃないか?
そう問いかける目からそっと逃げて、熱い手を外した。
「火拳屋、俺はお前とは違う」
お前にはまだ弟がいる。俺の大事な人は、みんな死んじまったと言うと、でもドクターには船員がいるだろ?と返された。
「あいつらは、ドクターのこと家族みたいに慕ってると思うぞ」
「だといいけどな」
「そうだよ、あんた優しいからさ」
あんたが居てくれたら、助かったんだって思う人がきっといるぜ。そう胸を張って言う相手に、そんな自慢できることじゃないと返す。
「なあドクター、オヤジの診察がしたいなら、いっそウチの海賊団にこないか?」
きっとオヤジも気に入ると思うんだ、そしたら金の心配とかしなくていいし、好きにできるだろ?と火拳屋は真面目に言う。
「それは断る」
「どうして?」
海賊になるのはやっぱり嫌なのか?と問いかける相手に、そうじゃないと返す。
「俺には俺の背負ってる目的がある、そのためには、あんたの所に行くわけにはいかない」
男の背中にある海賊旗のように、俺には俺の大事な使命がある。この胸の中にしまいこんだ、心臓に建てた墓の底から全身を巡る血液に、司令を出している。
その時がやって来ることを、脈打ちながら待っている。
「オヤジは、それも受け入れてくれると思うぜ。家族として、力になってくれる」
「駄目だ、俺が負ってるものは他の奴に背負わせられない。さっきも行ったろ、お前のようにはなれないって」
俺はもう家族なんてものは持てないと言うと、火拳屋は残念そうにそうかと呟いた。
「明日、オヤジの船が来るんだ」
一度会ってから、また考えてくれよと言う相手に、あくまでとビジネスだと俺は返した。
「いいじゃねえか、歓迎するぜ?」
「お前の子守させられんなら、ごめんだ」
「俺の方が、船じゃ先輩だろ!」
「残念ながら、俺の方が歳上だ」
あと診察台の上じゃ、俺に逆らえる奴は一人もいねえ。そう返すと怖いこと言うんじゃねえよ、と言いながらも笑って返した。
「ドクター!あれ見てください!」
翌朝早くにシャチに叩き起こされて、とりあえず一発殴りつけてから、何事かと顔をあげた。
とにかく大変だから来てくれとだけ言う相手に手を引かれ、昨日、火拳屋が帰ってから机で突っ伏して寝ていた皺の寄った白衣を脱ぐこともできず、甲板に連れ出された。
「おはようございますドクター」
「ああ、ペンギンなにごとなんだ?」
コイツは大変だとしか言わねえとシャチを指して言うと、彼は持っていた望遠鏡を渡してきた。
「白ひげの船です」
望遠鏡で覗けば、確かにそれはあの有名な海賊団の旗を掲げた巨大な船であった。
「この島での仕事も終わったし、オヤジに来てもらったんだ」
そんな声と共に現れた火の塊が、段々と人の形を作る。火拳屋であった。
「ドクターの話、オヤジにしたら面白いから連れて来てみろってさ」
一緒に行こうぜと言う相手に、用意があるから待ってくれと制止をかける。
「あー?医療器具の用意とか?」
「それもあるが、昨日お前が帰ってから急患が出て泊まりこみでな、シャワーも浴びてないんだ。あんなお偉いさんの前で、こんなくたびれた格好じゃ申し訳ない」
シャワー浴びて着替えるから、ちょっと待ってくれと言って、身なりを整えに部屋に戻った。
さて、これから生涯でも指折だろう巨大な契約が待っている。気を引き締めやければならない。鏡を見つめて、息を吐いた。
「よう!帰って来たぜ!」
巨大な戦艦の中で、火拳屋は船員に向けて元気よく声をかけていく。その後ろをついて歩きながら、いよいよ待っていた相手に対面できると思うと、少し緊張感してきた。
「ただいま、オヤジ」
「よく戻ったな、エース」
グラララと特徴的な笑い声をあげる大男、これがかの有名な海賊、白ひげか……。
「エース、その後ろにいる若いのが噂の医者かよい?」
音もなく現れた相手は白ひげ海賊団の要人、不死鳥のマルコだった。
「若いのに、腕は確かだって噂では聞いてるよい。ドクター・カルディア」
「それは光栄だ」
面白そうな男だよい、と心底興味津々に言う相手を無視して目の前にいる白ひげを見つめる。
「エースから聞いておる、お主、ワシに用があるんだって?」
どんな用だと言いながら酒を飲む相手に、俺は右手の人差し指を一本立てて見せてやる。
「なんだ、若造?」
「一億ベリー支払ってくれたら、あんたの寿命を十年伸ばしてやれる」
ただし、激しい戦闘次第で余命は短くなる。本気を出して戦えるのは、あと五回あるかないかだと思ってくれと注意しておく。
「グラララ!若造、お前は寿命すら変えられるって言うのか?」
「延命治療ってわけじゃねえ、今ある疾患を取り除いて体の手入れをすればそうできると言ってる、そして世界でその手術ができる医者は少なくて、あんたには今すぐにでもそれが必要だ」
この機会を逃すもんじゃねえぞと右頬だけあげて言ってやる。
そうすると、相手は真剣に向き合ってお前はなにが望みだと言った。
「一億ベリー、確かに大金だ。だがそんな金のために、命をかけてるとも思えん」
なにを背負ってると低く、しかし優しい声で語りかける相手に、ああなるほど、この男が「オヤジ」と慕われる理由はこれかと思った。
「俺の大事なハートが残した本懐を遂げるために、名乗りをあげたい」
自分のこの手で、そのために利用できるものはなんでも利用する、だけど。
「もう家族はいらない」
俺を慕ってついてくる船員達の面倒はしっかり見てやるけれど、それ以上を望むつもりはない。
「寂しい男だ」
そう言うと白ひげは立ち上がった。
「待ってくれオヤジ!ドクターは優しい奴だ!」
立ち去ろうとした相手の前に、炎の塊になって躍り出て火拳屋はその行く手を塞いだ。
「俺達はオヤジを信じてる、けど体が心配なのも本当だ!それを消して、強いオヤジでいてくれるなら、そう思ったから連れて来た!」
「エース、こいつは信用できるのかよい?」
流れの闇医者だぞとたずねる不死鳥屋に、できる!となんの根拠があるのか断言する。
二人が睨み合うのを見て、止めんかバカ息子共と白ひげが一括する。
「別にワシは、治療を受けんとは言っておらんわ。だが、お前を信用するとも言っておらん小僧」
妙な真似をすれば命はない、そう威圧的に訴えかける相手に、あんたとぶつかる事が俺の本懐じゃないさと返す。
「俺が消したいものは、そんなんじゃない」
心臓の奥深くから呼んでいる、ハートの最後の声が耳に響く。誰の叫びなのかわからない、この心に埋葬した声が消えるまで、止まれない。
眠れない。
「若造が、いっぱしに世界の全部背負いこんだ顔してんじゃねえ」
お前が望むなら、息子にしてやりたいが嫌だろうと白ひげは俺を見て言った。
「ああ、それは断る」
「なんでだよドクター!」
俺の気は変わらねえってことだよ火拳屋と返し、さて治療はどうする?と白ひげにたずねる。
「エースがバカ正直に信用して連れて来た男だ、だがワシもお前を信用しよう」
この体、最後まで闘わせてくれと言う相手に承知したと返した。
これで本当にこの歳なのかと疑うほどに、白ひげの体は年期は入っているが、しっかり鍛えられていた。強い、そしてなんのためなのか知らないが酷使してきたのはよくわかった。
「このままの状態で酒を飲むのはやめろ、寿命が更に早まる」
「それはできん相談だ!」
これが生きる楽しみよ!と言いながら大酒をあおる相手に、処置が終わったばかりだというのにと呆れる。
「お前さん、大事なハートがと言ったな?」
「……それがどうした?」
「ワシが死ぬ時は、おそらくそう遠くない」
黙って続きの言葉を待つ、元気なように見えて、実際はちゃんとわかっているのだ。
「ワシは家族が欲しかった」
「ああ……だからあんたの船員はあんたをオヤジと慕ってるのか」
「お前は、家族はいらないのか?」
「……忌まわしい記憶しかないからな」
もうごめんなんだ、俺に残してくれたハートだけが動かしてくれる家族だ、そう返せば寂しい男だとまた言われた。
「小僧、お前はこれから名乗りをあげるそうだな?」
「ああ」
「海賊としてか?」
「そうだ」
隠しても仕方ないと正直に言えば、それならば一層、家族を持てと男は言った。
「老獪からの言葉は聞くもんだ、家族はなにやりお前の宝になる」
ワシの息子でなくても、お前のお前だけの家族を持てと男は言った。
それが長年この海で生きてきた男の、本当に大事なもんなんだと知った。
「白ひげ屋、火拳屋はあんたの海賊旗を背負ってる。あれは、止めなかったのか?」
「あれは、あいつの覚悟の証よ」
誰が止めるか、嬉しいもんだぞと男は笑った。
「息子の体だろ?親なら、墨入れるの反対するんじゃないか?」
「元からあいつは、腕に入れてやがった。大事な家族の名前だって言ってな、そうやって刻みつけて忘れちゃいけねえもんがあるってなあ」
それにワシを加えてくれるんだ、嬉しいもんだと男は言った。優しい、父親の目をしていた。
もしも、俺が故郷を捨てて出会っていたのがこの男ならば、もっと未来は変わっていたのだろうか?
そんなありもしない話を考えて、一人、息を吐く。
俺の心臓から、泣き声が響く。
「一億ベリー、しっかり払ってもらうからな。白ひげ屋」
「ワシに、純粋なビジネスだけを持ってきたとは珍しい男もいたもんだ」
呵呵大笑する男に、請求書をつきつけるとキャッシュで支払われた。
頭の中で計算する、これで代金はしっかり足りるはずだ、俺の計画の第一歩が始まる。
毎度ありと声をかけて、俺は白ひげの船を後にした。
それからしばらく、俺は別の島に滞在していた。治療、診察もしているがそれよりも注文していた船を作るためにしばし停泊する必要があったのだ。
「ここで、この船とお別れですか?」
港で寝泊まりしていた船から、少しずつ荷物や機材を移動させる中、寂しいか?と問いかけると、思い入れはありますよとペンギンは返した。
「ドクターと一緒に手に入れた船ですから」
それより、船員が心配してますよと声をかける。
「なにが?」
「ドクター、昼とか夜とか突然いなくなるでしょう?俺達に内緒で、なにしてるんだって」
船が完成するまで、ここに長逗留するからと言ったはずだが、仕事も勿論している。
「あなたがいないと、仕事になりもしない」
「いいじゃねえか、俺だって用があるんだ」
そう言うと、あのですねと呆れたようにペンギンは溜息混じりに呟く。
「黙っておくようなことじゃないでしょう?」
「いいじゃねえか、どうせなら驚かせたいだろ?」
「まったく……どれくらいかかるんです?」
「あと三ヶ月ってところか」
それじゃあ、船の完成と同じくらいにできるわけですか、と俺の着替えを手渡してくれながら言う。
彫りかけた刺青の欠片を眺めて、ペンギンは呆れている
「あなた、綺麗な肌してるくせにそんな傷物にしなくてもいいじゃないですか」
「いいじゃねえか、綺麗と言っても男の肌だ」
それにこれは大事なもんなんだと言うと、彼はそうですかと呟いて出て行った。
彫りかけの模様は特徴的なハート、俺の大事なものだ。
決意という意味で、体に証を刻むというのは悪くないとそう思った。これでもう後には引けない、忘れられないし、戻ることは決してできないだろう。それでもいい、前しか見ることはできない。
このところ毎日現れる夢の彼は、相変わらず俺に手を振って別れの言葉を告げてくる。
俺はもう子供ではなくなっていた、大人のこの体で追いつこうと必死にもがく、その指先が触れるかどうかのところで、彼は駄目だと言った。
「来るな、ロー」
どこに?と聞く暇もなく、彼はまたバイバイだと手を振る。
嫌だ嫌だと頭を振っても、彼は聞き入れてくれない。
「随分と派手にいくね、お兄さん」
全身に刺青を施した男は、面白そうに俺の示した図案を眺めて言った。
「いい体してるし、これは映えるよ」
嬉しそうに言う彫り師は、早速道具を取り出して横になるように言った。
「お兄さん、あれだろ?流れのお医者さんなんだろ?こんなん入れていいのかい?」
「いいんだよ、もう医者は廃業だ」
なんだよ、転職すんのかい?と男は問いかける。俺が答えないでいると、いいさと言った。
「俺にとっては最高のキャンパスだからな、お兄さん。とにかく、いい仕事はさせてもらう」
任せてくれと言う相手は、確かに腕は良かった。非常に繊細な作業だと聞いていたが、彼等の中でも評判の人物を紹介してもらった。
裏町でこっそりやってると聞いてやって来たが、間違いはなかったと安心している。
「俺はさ、まあ絵描きになりたかったんだけどね。師匠の下で勉強しても、歴史に残るような仕事はできないってなんか、気づいてさ」
だから、彫り師になったんだと言う。
「あんたが生きてくれてる限り、俺が描いた絵は残ってくれるだろう?」
人の記憶に残るにはいいキャンパスなんだと、男は楽しそうに話しながら俺に墨を入れてくれた。
随分と気に入られているようだが、それは通常よりも少し上乗せした代金が理由ではないらしい。
「わかるんだよ、あんた。なんか、大物になるだろうってさ」
俺もこの仕事長いからよ、自分の入れた絵が手配書に載ることもあるのさと、少し自慢気に彼は言った。
そういえば、入り口の壁に手配書がいくつか貼ってあったことを思い出す。あれは、この男の客らしい。
「わかるんだ、あんたはデカイ事をしてくれる。きっと名前がある男になるさ」
「じゃあ、俺が手配書に載ったらあそこに飾られるのか?」
「そうさ、精々といい悪巧みしてくれよ」
お客の名前が売れてくれれば、こちらの商売も上がるんだと男はニヤリと笑った。
そうして彫り師の元へ通って半年、ようやく頼んでいたものが完成した。
「まったく、職人の命である手まで掘るか」
「あんたなら、下手な仕事はしないだろ」
両手に彫られた文字を見つめているも、しかし医者の手に掘る文字じゃないぜ?と彫り師は言った。
「いい脅しになるだろ?」
「違いねえなあ」
そう言って機材を片付けながら、風呂に入ってきなよと言った。
風呂の湯に浸かることで、刺青は色が定着して綺麗に生えるんだと前から聞いて、ここへ来るときは着替えを持参している。
既に見慣れた浴室の鏡に自分の姿を映すと、黒い線で厳しいハートの模様が胸に、肩にしっかりと彫りこめられていた。
ふっと息を吐いた俺の背後で、ゆらりと人の気配を感じた。何者かとは聞かずともわかる、半年前よくやって来た懐かしい気配だった。
「男風呂を覗きとは、妙な趣味だな火拳屋」
「へへ、ドクターがこんな所にいるって聞いて、見に来たんだよ」
だからって忍びこむことないだろと言うと、へへっと笑いながら近づき、俺の胸に触れた。
「あんたも入れたんだ」
また派手になったなあ、俺よりも凄いぞと言う相手に笑いかけてやる。
「誰かさんに感化されてな、俺も自分の背負ってるもんを彫ろうと思ったのさ」
へえと、なにか思いつめたようなしかし優しげな目で模様を見つめて、実はと切り出した。
「ドクターに用があってさ、あんたのことずっと探してたんだ」
「それは手間をかけたな。まさかとは思うが、白ひげになにかあったか?」
オヤジのことじゃないんだと言うと、とにかく上がって付いて来てくれと言った。
衣服を着こんで、彫り師の元を出ると火拳屋は港へ向けて俺の手を引き歩き出した。
「あんたと初めて会った時と、反対だよな」
「確かにそうだ」
頬を緩めて笑ってやると、前を見つめて歩く男が夢を見るんだと、呟いた。
「小さいころから、俺の周りは死神がうろついててさ、そいつから逃げようと必死で走ってきたんだ。そしたらな、どっからか手が伸びてこっちだって声が聞こえてきて、俺を引っ張り上げてくれたんだよ。そしたら目の前に海があってさ、ここから先は自由が待ってるってそう言うんだよ」
だから俺は海に出たくなった、海賊になって自由を手に入れてやるって意気ごんでたんだと。
「だけどなによりも、俺はあの手から救いあげてくれた奴等に礼をしないといけないって思った」
だから仲間は大事にしてきた、家族を大事にしてきた。きっと俺を助けてくれたのはこいつらだって、そう思ったからだと男は真剣に語る。
風のない夜だった、けれど空気は冷えていて俺の腕を握る相手の体温がやけに高いのが伝わってくる。熱くて焼けそうで、それでも心地よい、おかしな体温だった。
「この間、久しぶりにその夢を見た。大人になって、俺は初めてその死神の手に捕まった。恐くて逃げようってもがいたのかもしれないけどさ、でもなんでかわかんねえけど、ああこれでいいんだっていう風にも思ってさ」
だけど一つだけ、心残りがあってなと男は言う。
「俺を助けてくれた手が、大事な弟が目の前で死にかけてる」
どうしても助けてやりたい、そう思った時に一人の男が現れて言ったんだ。
「お前は無理だけど、あいつなら助けてやれる……俺は医者だ」
港に着いた、夜の港には人はそういない。歩いているのは俺達だけだ。
一人乗りだろう小型の船に着くと、ちょっと待ってくれと言って火拳屋はひょいとそこに飛び乗って五分ほどしてから、なにやら大きな荷物を抱えて戻って来た。
「ドクター、これをあんたに」
肩から下ろされた白い袋の中には、金やら宝石やら、俺の目で鑑定しただけでも数千万ベリーはくだらない。
「なんのつもりだ?」
「俺が死ぬ直前、俺の弟になにかあった時は、これで助けてやってくれ」
頼むよ、ドクターと静かな声で言う。
「そんな、無謀な約束あるか?」
これは受け取れねえと突き返すも、火拳屋は約束してくれと全く引く気配を見せない。
「夢に、確証なんてねえ。大体は不安から見るもので、事前の出来事からそういうものを見るもんだ。第一、現れた男が俺とは限らないだろう?」
「いやあれは、絶対にドクターだ。俺の大事なもん、助けてくれるのはあんたに間違いない」
弟は、俺よりバカで単細胞でどうしようもない無茶な野郎だけど、海賊王になるって言ってんだと、嬉しそうに言う。
「お前よりバカじゃ、この海で生き残れるとは思えねえな」
「悪運だけは強いんだよ、あと生命力だけは化け物だし。それに、これって決めたら聞かねえ野郎だから、絶対に無茶なことする」
だから頼むよドクターと、火拳屋は俺の手を取って言う。
「あいつが危ない時に、助けてやってくれ」
あのバカ、絶対に助けてくれても「宝払いで!」支払わないつもりだろうし。だからこれはあいつに代わっての先払いなんだ、と笑って言う。
「なんだ、その宝払いって?」
「海賊になって宝でまとめて払うって、俺達、昔からそうして色々と悪さしてきたからさ!」
悪ガキと返すと、そうだろうなと火拳屋は言った。
「スラムで生まれた、悪ガキさ……生まれなきゃ良かったって、言われ続けた俺に。生きろって言ってくれた大事な奴だ」
大事な弟一人を守れなくて、兄貴じゃないだろ?と火拳屋は言う。
「……仕方ねえ」
この広い海で奇跡的にお前のバカな弟に会えることがあれば、その時は考えてやるやよと言って、彼の渡した宝を受け取る事にした。
「ありがとうな、ドクター」
「いいや……もしもそんなことがあればだ、俺はお前の弟を知らないからな」
「名前はモンキー・D・ルフィ、来年になればあいつも海賊になって海に出るだろうから、これから名前が上がってくるかもな」
そしたら顔も見れるさ、と自分のように言う相手にそうだなと呆れて返す。
隠し名D、嵐を呼ぶとも言われるその名前を持つ二人が義兄弟。この世は広いのか狭いのかわからないもんだ。
「ポートガス・D・エース、アンタに一つ教えてやるよ」
俺の本当の名前をと言うと、しばらく黙りこんで、本当の名前ってなんだ?とたずねた。
「ドクター・カルディアは偽名、俺の本当の名前はトラファルガー・D・ワーテル・ロー」
「トラファルガー……D、ワーテル……ロー?」
なんでそれを俺に?とたずねる相手に、なんでだろうなと呟く。
なんとなくとしか言えなかった。
この男に、なにを見たのか、俺自身もわからない。けれど、言っておかなければと思ったのだ。
「いいか火拳屋、Dは隠し名、世界政府も忌み嫌う一族が引き継ぐ名前。いつか、絶対に嵐を呼ぶ」
俺は今日この時からトラファルガー・ローと名乗る、そう言うと火拳屋は、そうかと呟いた。
「あんたには、あんたの背負うもんがあるんだろう?ドクター、いやトラファルガー・ロー」
その見つめる目が俺の胸に刻まれた刺青を見ている気がした。
胸の奥から叫び続けている、誰かの声を聞こうとしているように思った。
「今日から俺はトラファルガー・ロー、医者であり……海賊だ」
「海賊か……じゃあ、次会ったら敵同士だな?」
「ああ、もう会うことがないといいがな」
「俺は、もう一度あんたに会いたい」
「まさか!」
あんな馬鹿げた診察は二度とごめんだ、そう言って笑った。
「にしても、トラファルガーって呼びにくいな?ローでいいか?」
「歳下のくせに、人のこと馴れ馴れしく下の名前で呼ぶな、火拳屋」
「なんだよ!じゃあ……そうだトラ男!俺はあんたのことそう呼ぶな」
「待て火拳屋、なんだそのトラ男っていうのは?」
変なあだ名つけるんじゃねえ!と言えば呼びやすいし、いいじゃねえかとあっけからんと返してくる。
「じゃあトラ男!頼むぜ弟のこと!」
男の約束だからな!と明るく言うと、さっと船に飛び乗り火拳屋は去っていった。
取り残された俺は、置かれた宝の山を見てため息を吐く。停泊している港までは距離がある、一人で運ぶには少々、骨が折れる。
ペンギンに連絡でもつけるかと、ため息混じりに思った。
そんなことを思い返しながら、俺は自分の手に入れられた刺青を見ていた。
異名の由来になった、死の外科医は十中八九この指のせいだ。それが良かったのか悪かったのか、俺のことを変なあだ名で呼んでくるバカはいなかった。
「トラ男?」
ぼうっとしていた俺を不審に思ったのか、麦わら屋につけられた呼び名で、呼びかけられた。
「血は繋がってないと聞いていたが、あの兄弟、本当によく似てる」
そう言うと、そうか?と相手はいぶかしげに俺を見た。
「少なくとも、俺の目から見ると。あいつの兄貴はまともで、仁義を通すしっかりした奴に見えたけどな」
「そうでもねえよ、無謀だし自分勝手だし、思いこんだら頑なに気持ち変えねえし。俺のことをトラ男なんて変な名前で呼んできて……まあでも、麦わら屋よりはバカじゃなかったな」
悪い男じゃなかった、そう言うと、ふうと静かに煙を吐いてコーヒーでも淹れてやるよと黒足屋はキッチンへ入った。
「黒足屋、このことは麦わら屋には黙っておいてくれ」
「あのバカは気づいてもねえみたいだし、別にいいが……エースのこと、本当に黙ってていいのか?」
そこは迷うところだな、と言う相手に俺は本を側に置いて、お前は死に際に一番大好きな人がいたらなんて言う?と問いかけた。
「はあ?なんだよ突然」
「例えばの話だ、自分が死ぬ間際に、例えば恋人なんかが看取ってくれるなら、なんて言う?」
「そりゃ、愛してるの一言に尽きるだろ?」
他にレディになんて言う必要がある?と反対に問いかける相手に、そうだなと苦笑する。
「平和な中で死ねれば、それは幸せな記憶になる。けど、あいつの場合はそうじゃなかった」
愛してるって言って別れるのは、時に一番、残酷な別れ方だと言って、椅子から立ち上がった。
「悪いな黒足屋、煙草、一本もらっていいか?」
「いいぞ」
火も貸してやると付けられた赤い火を見つめてから、先に火を灯した。
ゆっくりと深く肺に満たして、独特の苦味を噛み潰す。舌先に触れた懐かしい味に、頬を緩めて煙を吐き出した。
「あんた、煙草なんか吸うんだな」
「……俺の大好きだった人が吸ってたから、たまにな」
「へえ……その人は?」
「死んだよ。俺に愛してるって言った後、目の前で撃たれた」
そうかと言った後、しばし無言で二人で煙草を味わっていた。沈黙が重くのしかかるのを破るように、俺は続きを話す。
「火拳屋が死んだ直後の麦わら屋は、体よりも精神的に危ない状況だった。あの時点で、気力で立ってるようなもんだったから、余計な。今はすっかり立ち直ってるようだが、どんなきっかけでまた不安に陥るかわからない」
なにせあいつの目の前で、腕に抱かれながら死んでいったのだ。
その温もりがあったことが、少し羨ましくもある……触れられない内に、遠くへ行かれてしまったよりはずっと。
「だから言わないのか?」
「それもあるが……なんつーか、俺は火拳屋の兄としてのプライドを守ってやりたい気がしてるんだ」
弟にはカッコいいって思われていたいはずだ。だから、野暮なことは言わないって決めてると返すと、そうかと黒足屋は笑った。
「トラ……いや、ロー。俺はあんたのこと、結構気に入ったよ」
そう言うと、できたぞとコーヒーを出してくれた。
「俺も、お前のこと気に入ってる」
なにせ、俺の気が利かねえ船員と違って美味いコーヒーを出してくれるからな、と言うとあんたの我儘に付き合ってくれてる船員に失礼だぞ、と諭された。
「あいつ等には感謝してる。勿論、お前達にもだ、サンジ」
麦わら屋はいい仲間を持ってる、そう言いながら煙草を灰皿で消して、コーヒーカップを手にした。
机の上に置かれた、ハートのキングがじっとこちらを見ているような気がした。
サンジ回と見せかけて、や絶賛エースの回でした。
なんでローはマリンフォードでルフィを助けたのか。その理由がお兄ちゃんにあったら、嬉しいです、私が。
というか、エースとローはどっかで出会っててほしいなって思ってます。
「宝払いで!」
と言うルフィに似た者兄弟と思いつつ「もう貰ってる」と言うシーンも考えたんですけれども、今回は割愛で。
サンジがローのことを何故、名前呼びに変えたのかも、色々と補強したくて。なんとなくこの二人、認め合ってたらいいなと思ってます。
ローがサンジを屋号ではなく、名前で呼ぶときはこないものでしょうか……。
ちなみに、二人がブラックジャックをしていた理由は、スペードのエースとハートのキングという、重要人物に繋がるキーワード出せるからというのもありますが、大前提として私がこのゲーム好きだからです。
ポーカーよりもブラックジャックのが好きです、なんかほら、名前もカッコいいですし←
アラバスタにおいて、サンジがカジノに居た姿が似合っていたので、ちょっとカジノゲームやらせてみたかったのもあります。今回は負け越しましたけどね。
次で最終回になります!
よろしければ、最後までお付き合いください。
2015年3月2日 pixivより再掲