悲しいことを、誰と共有したらいい?
涙を流したあの人は、もうどこにもいないんだから。
カルディアの回顧録・5
「こんな所でなにしてんだ?」
七武海への昇格が正式決定し海軍本部に呼ばれた帰り、立ちくらみを覚えて壁に体を預けて休んでいたところ、ふてぶてしくそう声をかけてくる奴がいた。
「なんの用だ白猟屋」
薄らと目を開けてそう問いかける、海賊嫌いで有名な中将様とこんな体調で会うとはついていない。
「こんなところでなにしてると、そう聞いたんだが?」
「別になにもしやしねえよ。お偉いさん達に挨拶しに来て息が詰まりそうなんだ、早いとこ船に帰らせてくれ」
さっさと立ち去ろうとする俺の腕を、デカい手が掴んだ。
掴まれた腕を不快感を隠すことなく睨みつけると、相手は全くひるむことなく俺の顔を覗きこんできた。
「ひでえ隈だな、寝不足か?」
「お偉いさんに会うから、緊張して寝れなかったんだよ」
いいから離せ、もう帰ると言っても相手は離してくれない。
「一応、この後にお前の加入を祝って会食があったはずだが」
「残念ながら、俺みたいなのにはお偉いさんが食べる洒落た洋食は口に合わないし、これ以上堅苦しい場所にいるのはごめんなんでね」
だからさっさと帰らせてくれ、そう訴えるも捕まえた腕の力を緩めることはない。
これ以上なんの用があるとイライラしながら睨みつけると、相手は加えていた葉巻から煙を吐き出しながら、反対側の手で面倒そうに頭をかいた。
「お前が七武海に決まった知らせが出るのは明日の朝刊だ、そんな体で出歩いて賞金稼ぎにあったとして、無事で済むのか?」
「その辺の雑魚と一緒にするな、仮にも四億がかかった首だ。そう簡単にやられやしねえ」
もし取られるなら、その程度ってことだろうさ。そう吐き捨てて相手を睨む。
「おい、いい加減に痺れてきた。手を放してくれ」
海軍に捕まるいわれは今の俺にはねえ。そう言ってやると、相手は仕方なく俺の腕は離したものの、太い腕に抱えられて今度は肩に担がれてしまった。
なんでこんなことになってる?混乱する頭で考えるより先に、この恰好で歩き出した相手を見て羞恥心の方が増してきた。
「おい、テメエどこ連れてく気だおろせ!」
「うるせえ、目の前に病人が居たら放っておけねえんだよ」
「放っておけ、俺は医者だ」
自分の体くらいわかってる、そう言ったところで目の前の男は動じもしない。
「医者の不養生ってのは、テメエのためにある言葉なんじゃねえか」
「うるせえ、このヘビースモーカー!テメエは人より自分の肺の心配してろ!」
叫んだところで、軽くあしらわれるだけだった。
抜け出す気力もなく、担がれるままに連れてこられたのはコイツが使っているらしい執務室だった。
海軍の機密書類もあるだろうに、いいのかとたずねれば。そんなもん、隠したところでお前なら勝手に見るんじゃねえのかと返された。確かにその通りなので、黙っておく。
「お前のそれは、不眠症かなにかか?」
「だとしたらどうなんだ?人が弱ってるのつけこんで、檻にぶちこみたきゃそうしろ」
それやったら、俺の首がねえなと溜息混じりに言うと、部屋の奥へと下がり棚やらなにやらをひっくり返す音がした。
しばらくしてようやく戻って来た相手の手には、マグカップが一つ握られていた。
差し出された明るい茶色の液体を見て、相手をうかがう。若干薬草の匂いがする、シャチが淹れてくれるハーブティーと似た香りだ。
「なんだこれ?」
「睡眠に効く茶だとよ。俺にはよくわからねえが、たしぎ……部下が置いて行った」
書類整理で詰めこまれてる時は、まともに眠れないことがあるからなあと呟く相手に、俺はマグを突き返す。
「海軍が出した茶は飲めないか?」
「海軍じゃなくても、怪しい人間が出したものには手をつけない性質なんだよ」
「そりゃ、随分と用心深いことだな」
「そういう環境で育ってきたんだよ」
いつ寝首をかかれるかわからねえからな、と言うとそれもそうかと相手は呟いた。
だが、俺の前に淹れた茶を置いて自分は目の前のソファに座って、トレードマークになっている葉巻に火をつけた。
「今からの独り言なんだが」
そう言い出した相手を黙って見つめる。なんのつもりだと見つめ返すと、まだ大佐になった頃のことだと言った。
あまり足が付くのが嫌だったので、できるだけ一箇所にとどまることはしないで、流れで仕事をするようにしていたのだけれど、場合によってはしばらく長期で滞在することもあった。
海賊が暴れている島で、そいつらが使う毒薬に島民が苦しめられていたから、解毒薬の開発を行って一儲けしていたときは、かなり長い期間そこに留まっていた。
そいつらはどうも、薬の調合にかなり手慣れているらしく新しい調合で、タイプを変えたものをあれこれ手を変えて送り出してくるものだから、こちらもそれに合わせて処置の仕方を変えなければいけなかった。海賊の一味に顔の割れていない俺の船員を潜りこませて、定期的に新薬の調達を行っているために、こちらはそれに合わせた解毒剤の開発に着手できたし、上手くいけばその解毒薬そのものを入手できた。これで、どうにでもできた。
海軍の部隊が送り込まれたのは、俺が島にいついてから一年過ぎるかどうかといったころだった。
交戦している様子を遠目に観察していた俺に、シャチがなに考えてるんですかドクターと問いかけた。
「どれくらい払ってもらえるか考えてたんだよ」
「まさかドクター!海軍相手に商売する気ですか?」
俺達、免許なしの闇医者ですよ?と驚いて問いかける相手にそれがどうしたと聞き返す。
「見てみろ、あいつらがばら撒いた毒薬のおかげで海軍の方にかなり被害が出てる、大量の患者がいるということは、俺達にはいい商売相手だろ?」
「確かに患者の数は多いかもしれませんけれど」
「今回の指揮を取っているのは、最近大佐に昇格した白猟のスモーカー。海賊嫌いで有名な男だが、海軍では野犬とも言われてる。上の命令よりも、自分の正義を貫く男」
これがどういうことかわかるかとシャチにたずねると、彼はしばらく黙っていたものの、すみませんわかりませんと返した。
「海賊を倒すためならば、自分の立場が危ないと言われることだってする、超絶無謀で無茶な野郎だってことだ」
それ故に、交渉はしやすいぞ。と俺は笑った。
さあ忙しくなるぞ、今回はお前が頼りだからなと言って肩を叩くと、相手は恐縮しつつも嬉しそうに顔をほころばし、アイアイ・ドクターと元気に返事をした。
「シャチ、お前は処置の準備してくれ。ペンギン!交渉の準備だ」
海賊との交戦が一旦区切りが付きそうなのを見て、いくぞと俺は白衣を持って診療所を出た。
交戦が終わった現場に近づき、彼等の陣頭指揮を取っている男が怒号を飛ばしている。
「衛生班!早くこっちに手を回してくれ」
神経がやられ、地面に転がって小刻みに震える海兵の前に医療チームが駆けつけたところで、俺は声を張りあげた。
「その患者に触るな!」
喧騒の中でもしっかりと通った 言葉に、海兵達の視線が一斉にこちらに向けられた。
「何者だ、お前は」
サングラスをして口に二本葉巻を咥えた男が、苛立ちを含んだ声で問いかけてくる。噂通りの強面に、ああなるほど野犬と呼ばれるのにぴったりな風貌だと思った。
「俺はカルディア、流れ者の医者なんだが……今はここに留まって仕事をしている」
「カルディア……もしや、あなたドクター・カルディアですか!」
声をかけてきたのは、白猟のスモーカーの後ろから飛んできた女海兵だった。
「知ってるのか、たしぎ」
「はい、改造した船であちこちで治療を行っている医者なのですが、海賊や犯罪者でも相手をする、闇医者だと」
「目の前に治療が必要な患者がいて、金さえ払ってくれれば、その素性を気にしないだけだ」
笑って言うと、地面に転がった海兵の様子を見つめ、だからそこにいる奴だって助けてやるさと返す。
「闇医者が海軍になんの用だ?」
「そう睨むなよスモーカー大佐。俺は海賊じゃないし、あんた達とビジネスをしに来ただけだ」
右頬をあげて笑いかけてやると、相手はサングラスを外して苛立ちを含んだ目を真剣なものに変える。
「治療班なら、うちの部隊で十分足りてる」
「あいつらが使う毒は特殊な調合がされている、対処の仕方を間違えると脳をやられて、一生再起不能の体になるぞ?」
そういう報告はあがってるんじゃないかと問いかけると、彼は静かにだからなんだと返す。
「こちらの医療制度が頼りないと?」
「あんた達が握ってるのはおそらく過去のものだ、あの海賊が使ってる毒薬は周期的に調合が変わる、すぐに順応されないようにだな。今使ってる薬の解毒剤を持っていて、正しい処置ができるのは、この島では俺だけだ」
シャチと声をかけて、持って来させていた鞄から一本の注射器を取り出す。
「今そこで寝転がっている奴にこれを打てば、助けられる」
それだけじゃない、と一言置いてもう一本別の注射器も取り出す。
「これはあいつらの毒に対する抗体薬、打てば毒の心配をせずに戦闘できるぞ」
「……それでなにが目的だ?」
「言ったろビジネスをしに来たって。俺が欲しいのは仕事に見合った報酬。あとはそうだな、この海域で仕事してることに目を閉じてくれると助かる」
薬に関してはウチのエキスパートが手を回してくれると言うと、相手は表情を変えないまま俺の前にやって来ると、咥えた二本の葉巻から煙を吐いた。
「その条件を、海軍が許すと?」
「俺の薬と処置なしで、ここを切り抜けられる自信があるなら振ってくれていい。ここでの交渉が決裂したら、俺は別の島に移るだけだ」
俺を真っ直ぐ見つめてくる男が、その薬本物か?とたずねてきた。
「スモーカーさん!まさか、こんな闇医者を信じるんですか?」
「たしぎ、報告書に上がっていた通り。毒薬の手配はしている、ガスマスクの類はしっかりとしているが、剣や弓、砲弾に仕込まれたものまで対応するのは不可能だと言っていたのはお前だ。その報告書の中に、島で一人だけこの毒薬の対処方法を知ってる医者がいるともあったはずだ」
「そうですけど」
それが噂の闇医者だとは、誰も言わなかったのだろう。言えなかったというのが本当の事なんだろうが。
「その相手が協力を申し出てくれている、こいつは海賊じゃない」
しかしと続ける女海兵を制して、男は処置できるのか?と俺に顔を近づけてくる。その葉巻を取り上げてもみ消すと、しかめ面して俺を睨みつけてきた。
「患者の体に障る、病床は禁煙だ」
笑って言ってやれば、彼は非常に悔しそうな顔をしながらも、少し和らいだ赤い目で頼んだと言った。
「それで、支払いは?」
「軍部に俺から請求する、あんまりぼったくった額を請求したら、お前の首を持っていかなきゃいけなくなるから覚悟しろ」
「俺はいつだって、正当な額しか請求していない」
どうだかなあと言う相手に、ペンギンが用意してくれていた書類を渡す。
「一人頭の治療費とワクチン代金、あとはこの薬を作るのに必要だった諸経費だ」
突きつけられた額を見て、青筋を立てるものの、フンと鼻を鳴らして部下だろう女海兵に書類を渡した。
「処置の準備は?」
「任せろ、しっかり整えてある」
シャチとペンギンをはじめ、医療行為に手慣れてきた船員たちに指示を飛ばしながら重症患者を船に運ぶように手配する。
近くに停泊させておいて正解だったなとペンギンに言うと、あなたが危ない橋を渡るでこっちはヒヤヒヤさせられますよと文句を言いながら、他の誰よりもさっさと解毒剤の準備をしてくれていた。
しばらくは活動を控えたほうがいいと言った俺の指示に、しぶしぶと海兵は行動を謹んでくれた。これからどう動くか作戦を立て、しっかり体を休めるんだなと言い残して、船の奥にある自室でカルテを片付けようとした俺の行く手に、大きな体が立ちふさがった。
「ドクター・カルディアと言ったな?」
「なんの用だよ、スモーカー大佐」
お前が提示した金額は、海軍から正式に支払われることになりそうだと言う相手に、それは気前がよくて助かると返し、横を通り過ぎようとしたところで腕を掴まれた。
「お前、あの解毒剤を作るのにどうやって毒を手に入れた?」
「……俺がその薬を作ってると考えてるのか?」
そうでもしないと説明がつかないだろうと、無言で睨みつける相手に、俺の部下を海賊に潜りこませていると返した。
「薬品を大量に生産するのに、手が足りてなかったらしいからな。ウチの薬剤調合に手慣れたやつを一人潜りこませて。こっそり敵の情報をリークしてもらってた」
「そこまでして、この薬で儲けていたわけか」
呆れたように言う相手に、いいビジネスだろうと笑いかけてやる。
「お前たちのことを見逃せというのは、その潜りこませている部下も見逃せということか?」
「当たり前だ、あいつのおかげであんたたちは死なずに済んでる」
用はそれだけかとたずねると、ニコチンが切れて大分と苛立ちが溜まっているらしい相手が、更に眼光鋭く睨みつけてくる。
「お前、そんなことをしてなんの利益がある?」
「いい儲けになってるが?」
今回で二千万ベリーは硬い、いい商売だったと返すとそれだけじゃないだろうと相手は言う。
「そんな面倒なことをしなくても、海賊相手にいくらでも仕事はできる。それでも、この島に残って患者の手当てを続けて、俺たちみたいな海兵まで助ける理由は、なんだ?」
「すべて金のためだ」
「嘘を言うな」
俺の部下が聞きこみして調べてきた、スラムの子供や金のない人間からはお前は代金を取っていないと。だから闇医者だろうとも町の人間は、お前のことを信用していると。
「優しい先生だと、随分と評判がいいぞ」
「治した患者が偶然、金を持っていなかったから。他の金を持ってるやつに代金を代わりに払ってもらってる、それだけの話だ。今回のあんたたちの費用には、町の人間が払えない分の治療費も入ってる」
市民を守るのがあんたたちの仕事だろうと言ってやると、呆れたようにため息を吐いた後で、お前みたいな頭のいいやつの考えてることはわからねえと言った。
「あんたにも、それだけの正義があるわけか」
「正義?そんなくだらねえもの、俺は背負ってないよ。スモーカー大佐」
あんたみたいに、立派な職業じゃないんだと言って、まだ仕事があるから離してくれと言うと、もう一つ質問があると言われた。
「あんた、部下を海賊に潜りこませていると言ったな?」
「ああ、それがなんだ?」
「奴らの根城も、把握しているな?」
その赤い目に俺は笑いかけてやる。
「治療費に、情報料を上乗せしてもいいか?」
これくらいでどうだ?と手の指を五本広げて見せる、五百万か?と聞く相手に、いいや五十万だと返す。
「随分と、良心的な値段だな」
「そうか?追加料金にしては高いだろう」
いい値段のはずだぞと言う俺に、しばらく黙りこんでいたスモーカー大佐は、わかったと返した。
「払ってやる」
「まいどあり」
じゃあ後で請求書を送ってやるよと言って、ついて来るように言った。
船内の俺の部屋に呼んで、椅子を勧めて座らせると山ほどあるカルテをどかして机にスペースを作り、町の地図を広げる。
「ここが今いる港だ、あいつらの船は反対側の湾にある洞窟に停泊している。昔、ここの貴族が作ったでかい船を入れるのに使ってた場所なんだが、船旅に出て沈没してから空いたままになってる。賊の奴らは他に、町にいくつか拠点を持ってる。まずはこの酒場、そして薬を調合しているのはここの倉庫だ」
赤いペンを持って印をつけていって説明する、ついでに攻めるならばどこからがいいか、どこならば身を隠すことが可能か、見張りはどうなっているか知っている分の情報を教えてやった。
「随分と詳しいな」
「敵に潜りこませた部下の他にも、色々と探りを入れてもらったからな」
俺の命が狙われた時のことを考えてと付け加えると、よくわかんねえ奴だと呆れられた。
「だが、協力には感謝する」
「市民として当たり前のことをしたまでだ」
「普通の市民は、海軍から情報料を取ったりはしないがな」
そう言いながらも、貧乏ゆすりをしている相手に俺はため息をついて、船室の窓を開けて灰皿を出してやった。
「吸えよ」
「患者の前で吸うなと言ったのはお前だろうが」
「ここにはニコチン中毒の患者しかいないんでね」
笑ってやれば、フンッと鼻を鳴らして葉巻を二本口に咥えジッポライターで火をつけた。
美味そうに煙を吸いこむ相手に、これはかなりの患者だなと呆れた。
「お前も吸うのか?」
灰皿を見つめてたずねる相手に、たまになと返す。
「俺の恩人が吸ってたから、思い出した時に」
それじゃあ、煙草が湿気って持たないだろうと言う相手に、船員から分けてもらってたまに吸うだけだと返す。中毒になるほどに吸ってはいない。
「その恩人は?」
「死んだ」
俺が十三歳の時だった。それだけ答えると、深くつっこんで聞いてくることはなかった。
スモーカー大佐の指揮によって、海賊一味が捉えられたのはその一週間後だった。随分と手早い活動に賞賛もあれば、かかった諸経費について上からのお咎めがあるだろうと思い、組織に所蔵するやつは大変だなとペンギンにこぼした。
治療費は現金でと頼んでいたが、まさか大佐本人が自ら俺の船まで支払いにくるとは思ってもみなかった。
「闇医者の船までお使いとは、ずいぶんと大佐は暇なのか?」
「暇じゃねえよ、こっちは混乱を抑えるのに色々と手を焼いてるんだ」
さっさと確認しろと言う相手に、俺はマグに入った茶を出してやる。怪訝そうに見つめる相手に、部下が淹れてくれたハーブティーだと言う。
「俺の不眠症を心配して淹れてくるんだが、生憎とコーヒー派なんだ。悪いがかわりに飲んでくれ。ウチの薬剤師が言うには、それは睡眠不足に効果がある。あんた目の下に隈ができてるぞ。しっかり休めよ」
そう言ってやると、しぶしぶといったように口をつけて顔をしかめた。独特の風味がどうもお気に召さなかったようだ。
それでも律儀にマグの茶を飲んでいる相手を見つめつつ、アタッシュケースに入れられた金額を確かめ、しっかりと受け取ったと返す。
「領収書はいるか?」
冗談で聞いてみたのだが、茶を飲んだ相手から一本吸ってもいいか?とたずねるられ、仕方なしに灰皿を出して窓を開けてやった。
一本ではなく、いつも通り二本の葉巻に火を付けるところを見ると、こいつの中一本の基準がどうもおかしいことはわかった。
「今回、あんたが作ってくれた薬の調合法について、政府と軍が情報提供をしてほしいと言ってきている」
もう一つのアタッシュケースを机に乗せて、向こうが示してきた金額を確かめる。悪い額じゃないし、これ以上は搾り取ろうと思わなかった。
「いいぜ、この島での商売もこれで終わりだろうからな」
調合法について調べた書類のコピーを渡してやると、立ち上がりかけた俺を制してもう一枚、書類をつきつけてきた。
「なんだよこれは?」
海軍のマークがついたそれは、どう見ても俺にとって良い内容だとは思えない。
「あんたの医者としての腕を見こんで、軍が正式に執刀医にしたいと要請をしてきた」
応じてくれればそれ相応の待遇で迎え入れる準備がある、そう言う大佐の顔を見て、生憎とその話は受けられないと返す。
「悪いが、俺自身も部下たちもこういうところに向かない人種だ。過去を掘り返されると埃が出てきかねない奴らだからな」
「黙秘してもいいと上は言ってる。むしろ、そういう暗い奴らと繋がっていることを、こちらとしては利用したいところなんだが」
「断る。俺は海軍は嫌いだ」
この話はいらないと書類を突き返すと、しばらく沈黙して葉巻を吸っていた相手が、それならなぜと呟いた。
「あんたたちを助けたのは、単純に金づるになるからだ。あとは、あのむかつく海賊どもをいい加減に片づけてほしかった。そしたら、俺も次の島に移れる」
あんまり一所に落ち着いてられないんだよと言う俺に、それだけじゃねえだろうと見透かしたように男は言う。
「金が理由じゃないだろう、俺たちを助けた理由は、他にあるはずだ」
「海軍に借りを作っておきたかった、じゃダメなのか?」
不満そうに煙をくゆらせている相手は身じろぎもしない、どうやら確信に迫ったことを言わなければてこでも動くつもりはないらしい。
仕方ないと溜息を吐いて、思い出したくない記憶を掘り返そうとする。
脳裏に、バイバイと手を振る笑顔の道化師が浮かんで、待ってくれと言いそうになるのをなんとか引き止める。
「俺の恩人は、海兵だった」
「あんたが十三歳の時に死んだっていう、あの人か?」
「ああ、俺はその人に命を助けてもらった。海軍も政府も嫌いだ、だがその人と同じように働く奴等に、一度くらいは恩を返しておきたい」
それだけだ、私情で悪いなと言うと、相手は無言のまま俺に渡してきた書類に火をつけた。
燃えていく紙を灰皿の上に落として、彼はこちらを見ずに呟く。
「俺はこの後、一週間はこの島で後片付けをしなけりゃならねえ。罪を犯してない医者を牢にぶちこむわけにもいかねえから、知らない間に消えていた。ってことでどうだ?」
そう言う相手に、笑いかけて恩に着ると返す。
「やっぱり……俺の勘は正しかった」
「ああ?」
灰皿の中で燃えていく書類を見つめていた海兵は、俺を怪訝そうな目で見つめる。
「金や名誉やなにかのために動かない人間は、それ以外の理由でなら俺たちみたいなのでも目こぼししてくれる。動かしやすい」
「フンッ、頭のいいスカした面をなんとか明かしてやりたかったぜ」
「それは無理だよ白猟屋。この島じゃ、俺の方が計画をしっかり練ってる」
まいどありと笑って言ってやった相手は、しばらく俺を見つめて、二回目会う時はと言葉を返した。
「この借り、いつか絶対に返すぞ」
「借りでもなんでもねえよ、あんたはちゃんと代金を払ったんだから、価値交換はしっかり済んでる。今後は関わりない事を願うだけだ」
「それじゃ、俺の気が済まねえ」
だから、これは借りだと男は言った。なら好きにしろと俺は返した。
「昔、ある海域に闇医者が居た。ドクター・カルディアと名乗っていた男は、その素性を調べると十五歳からの記録しかない」
どこで生まれて、どこで医療の知識を得たのか、あるスラム街で闇医者の助手を務めていた時には既に、ある程度の医療技術があったらしい。
「そいつが、ある港町で海賊船に乗ったことはわかってる。だがその海賊は何者かの手で全滅させられていた、はっきりしたことはわからないが、そのスラム街の医者の少年が消えてたことはわかってる」
「この広い海の話だ、海賊同士で争ってる間に怖くなって逃げ出したんじゃないか?」
そうかもしれないな、と白猟屋は呟いた。それで、それがどうした?とたずねる。
「俺はその、逃げたという船医に借りがある。いつか、必ず返すと約束している」
それを守らないといけないと言った。俺は目の前のマグを見つめて、溜息を吐く。
「そんな闇医者の情報なんて知らない、俺は医者だし、船員と医療従事者だ、病にも怪我にも困ることはない」
借りを返すなら、本人をみつけて別の機会にするんだなと言う俺に、白猟屋の突き刺す視線がぶつかる。
お前だろうと、確信を持って問いかけてくる。
「今後は関わらないことにしようって、そいつは言ったんだろ?」
「それが、一番いいと言ってたな」
「じゃあ、黙っておくのがそいつにとってためになることだ。違うか、白猟屋?」
そうたずねると、相手は吸っていた葉巻の煙をゆっくりと吐き出して、そういえばなと言った。
「あいつも、俺のことをそう呼んだな」
「は?」
「白猟屋、変わった呼び方だったから覚えている」
ああ、しまったなあと思ったものの、どのみちもう過去のことは変えられない、そう思って俺は片方だけ頬を釣りあげて笑う。
「似たような癖のある奴だったんだろうさ」
それじゃあなと言って、俺は相手の執務室から出て行った。
吹きすさぶ冷たい風に対して、黒足屋が振舞ってくれたスープは非常に暖かく、また大変に美味かった。身に染みるなと感じる俺のすぐそばには、あの日呼び止められた海軍中将様がいる。
不思議と、いやな気持ちではなかった。どちらともなく、境界線は守りながらも距離を縮めた。
「またお前に借りができた」
スープを飲む相手から、ぶっきら棒にそう声をかけられた。
「俺の心臓を取り返してくれた、それであんたの心臓についてはチャラだろう」
「だが、俺はお前にまだ借りがある」
真っ直ぐに見つめてくる赤い目に、俺は少し視線をやって笑いかけてやる。
「俺たちがこれからすることに対して、目をつぶってくれるなら、それで借りはチャラだ」
もう俺がいつ死んでも、あんたに悔いは残さねえ。そう返してやると、白猟屋は渋い顔つきになり、境界線を乗り越えて俺の頭を撫でた。
「何する気か知らねえが、恩人から貰った命だろ?粗末に扱ってんじゃねえよ、若造」
「そんな説教される歳じゃねえよ」
俺は二十六だと告げると、相手はこちらを見て偽りじゃないんだな?と聞いてきた。
「俺は海賊のトラファルガー・ロー。それ以外でもなんでもない」
「……もしかしたら、あんたは海賊にならなくて済んだかもしれないんじゃないか」
「もしも、の話を始めたらきりがねえ」
俺がドフラミンゴの下へ行かなければ、コラさんは死ぬことはなかったかもしれない。
フレバンスが周辺国と戦争をしなければ、俺は海賊になることもなかったかもしれない。
白鉛病が中毒だと周知されていれば、フレバンスは戦争をしなくて良かったかもしれない。
政府が早くに、危険性を通達していれば……俺は家族と一緒に暮らしていたかもしれないし、真っ当な医者になっていたかもしれない。
そんなことを考えたところで、なにも変わりゃしない。俺の大事な人はみんな死んでしまった。
「白猟屋、俺たちにあるのは、過去から積みあげてきた今をどうするか、それだけしかねえ」
「……お前は、なにを見てきた?」
なにを見れば、そんなひん曲がった性格になれるんだと言う相手に、てめえに言われたくねえなと返す。
「俺は、地獄を見た」
「そういう奴は、いくらでもいるな。誰だってすぐに、絶望したって言いやがるんだ」
特に海賊になり下がる奴には、と相手は言う。
「戦争で故郷がなくなり、家族を目の前で殺されて。死体の山に隠れて逃げ出した挙句に、自分の病気を治してくれた恩人を、目の前で殺された……なんてことがあったりしたら、地獄だって言ってもいいか?」
そうたずねると、相手はしばらく煙草の煙を静かに立ち昇らせていたが、深くため息を吐いた。
「初めて会った時から、お前はなんか隠してると思ったが、なんかわかった気がする」
もう隠してることはねえな?と言う相手に、どうだかなあと返す。
「嘘かもしれないだろ、海賊の言うことなんて」
「必要ねえだろ、そんなこと」
「同情誘ってるとか、あるだろう」
「お前は死んでも、そんなことするたまじゃねえな」
変な死に方するんじゃねえぞと言うと、白猟屋は立ち上がって行ってしまった。
ああそうさ、今言ったことは嘘じゃない。もう偽る必要なんてどこにもないんだ。
あなたの本懐のために、全てを捧げるよ。
そう心の中で告げた、瞼の裏には泣きそうなあなたの顔が浮かんでいた。
個人的にスモロがとっても好きなんです。
あの二人また、相見えることないかなーと本気で思ってる次第です。パンクハザード編でものすごく萌えましたよええ。
実際、ローはなんでスモーカーを助けたのかというのに、色々と考えられますけれども、まあ相手を騙すためとはいえ死んで困らない海軍まで助けたんですから、なにかあるでしょ!この二人はさあと思ってしまってたんですけどね。本当、もうスモーカーとローくっつけよ。 次回は、いよいよ麦わら一味と絡めようかと考えてます。
ニコ・ロビンさんご登場の予定です。
2015年2月14日 pixivより再掲