誰かの傍にいると温かい、だから思い返してしまう。あの日、言えなかった言葉を。
一度言えなかった言葉は、もう二度と口にすべきじゃない。

カルディアの回顧録・2

彼は笑っている、どうして笑顔で手を振るのか。
最後は笑っている方がいいなんて、誰が言ったんだろう。そんな嘘をついて、別れていいものか。
「バイバイ、ロー」
そう言う男の声に手を伸ばしても、掴めやしない。浅い眠りの中で、俺の苦い思いが頭を回って焼きついて、ぐっと疲れる。
感情を揺さぶられる夢は、嫌いだ。
なのに、目を閉じて浮かんでくるのは、そんな夢ばかりだ。

「寝ないんですか?」
声をかけられて、隣を見ればペンギンがこちらをうかがっていた。
ランプをつけて本のページをめくっていた俺に、眠そうな顔で一度大きく欠伸をして声をかけてきた。
「無理し過ぎですよ、いつもですど」
「単に目が覚めたら眠れなくなっただけだ、これを読んだらまた横になる」
どうだかと疑いの視線を突き刺してきたので、本当だと告げる。
「明日は島に降りるからな」
ちゃんと体調は整えると言えば、ならいいんですけどねと返された。
「医者が休める時間なんて、限られてるんですから。ゆっくりできる間に休んでください」
そう言って横になったペンギンから、また規則正しい呼吸が聞こえてくるまで、大した時間はかからなかった。
診療所を引き払って、商船に乗せてもらってからそれなりに経った。船を買うにはまだ資金が足りない、特に医療器具を揃えることを考えると、あれもこれもと足りないものばかりだ。船員やなにかも揃える必要があるし、どこかで腕の立つ船乗りを探さないと。薬剤師や看護師など医療の学がある者がいればもっといい。
上手くみつかればいいがな、と隣で眠る男を見つめて思う。腕は立つし、頭の回転も悪くないが、やはり一人では手が足りない。

「乗せてくれて、ありがとうな」
礼として渡した金を、気にすんなと商船の旦那は突き返した。あんたには世話になったからと言ったが、こちらこそ色々と仕入れに手を貸してもらったんだからと、無理に握らせた。
ここはあんまり治安は良くないと言われたものの、そういう所の方が隠れ蓑になると笑って告げて、俺達は荷物と共に降りた。

「さて、どうやって診療所を開くんです?」
「まあ待てよ、まずはこの街がどんな所か探る」
治療に必要な一通りの知識はあるものの、どんな奴等がいるかで活かす面も変わってくる。
手頃な宿を取り荷物を預けると、様子を見て回ろうと二人で連れ立って歩き出した。なにがあるかわからないので、俺は鬼哭を片手に、ペンギンは隠しているが銃とナイフを手に、二人で情報を集めた。
三日ほど聞きこみをして、島の特にゴロツキが集まっているような、裏街を歩いているとやけに薬の売人が目につくのに気づいた。
聞けば、貴族の労働にこき使われてる奴等が、多くこういうものに手を出してたむろしているらしい。それだけではなく、国そのものが薬を使うことを後押ししている面があった。与えておけば大人しく言うことを聞く人間が多いからだろう。
道で目を向いて笑っている男を見て、こういう奴等相手に商売は無理だろうが、治療が必要ではあるなと考えていた。

「お兄さん達、なにしてんの?」
ラリってる男を目の前に考えこんでいる俺に対し、声をかけてきたのはサングラスをかけた少年だった。
俺が周辺の聞きこみをしていたのを知っているのか、もしかして軍の人とか?役人さんとか?と疑問を投げかけてくる。
「そういうんじゃねえよ、俺は医者だ」
闇医者だがな、とつけ加えると少年はそっかと笑った。
「もしかして、この島で仕事しようって考えてる?」
「だとしたらなんだ?」
そう問いかけると、少年はニヤリと笑みを深めて、ここで仕事していくならコイツが必要なんじゃないかと思ってと、そっと近づいて、上着の中に隠し持っていた薬の束を見せた。首にかけたロザリオが揺れて、先端の小さな十字架が鈍く光った。
隠し持っている粉末やタブレットの薬が、なにを表しているのか瞬時に理解して眉を潜める。
「小遣い稼ぎにしては、随分なものを扱ってるな」
商売してるんでねと少年は、臆する事なく返してくる。
「怪我でも病気でも、ここで医者をしてる奴等が処方するのは、基本こういう薬なのさ」
「へえ……そりゃ、この街からドラッグが消えないわけだ」
呆れたように呟くペンギンに、目の前の少年は笑いかける。
「消す気もないんだよ、上の奴等はね。これを使えば幸せになって、みんな言うこと聞いて働いてくれるんだから。そのせいで、薬を売る方もこっちに手を出すしかない。まともな薬よりも、何倍も高値で売れるからさ」
すでにそれは調査済みだったので、聞いても特別に驚きはしなかったが、しかし別の部分に興味が湧いたので少年を見やった。
「お前、この街には詳しいか?」
「あんまりいいとこじゃないけど、これでも生まれ育った街だからね。表じゃなく、裏のが馴染み深くなっちゃったけどさ。親が薬屋をしてたから、それの影響で自分で作って小遣い稼ぎしてたんだよ」
死んでからは、これで生計立てるしかないんだ。と笑って言う相手に、更に頭を働かせる。嘘をついている可能性はあるか?身の上話で薬の値段をどれだけ釣り上げるつもりか、計算する。 「他の薬は扱えるか?」
「基本的なものは、調合見れば作れると思うけど……なに?」
それを聞いてどうする気だと、少年の目が問いかけてくる。同じようにこちらを見つめるペンギンに、こいつは使えるとニヤリと笑いかけた。
「俺の頼む薬が作れるなら、診療所で買ってやってもいい」
ただし、こういうものはいらねえ。と彼が見せてきたドラッグの袋を振る。サラサラと音を立てるそれを見つめて、少年は首を傾げた。
「この街で、それなしで治療なんかできるのか?」
「この惨状を見るに、薬漬けにしないまともな医者が欲しい奴は、いるんじゃねえかと思った」
それに、そういう薬は嫌いなんだと言う。
中毒と聞くと、嫌なことを思い出してしまうからだ、とは口にしない。必要がないからだ。
それを聞いていた少年は、あんた変わってるなあと笑いかけた。あどけない顔だと思った。
「俺はシャチって言うんだ、お兄さんの名前は?」
「俺はカルディア、コイツは助手のペンギン。さっきも言ったが、闇医者だ。ちょっとわけありのな」
「ふーん、カルディアさんね……まあじゃあ、ちょっと俺の家に来てよ」
薬の交渉はそこでしよう、と彼は歩き出した。それを見て、どうするんだと問いかけるペンギンに、行くぞと短く告げた。

シャチがここだと立ち止まったのは、薄汚れた看板のかかった薬屋だった。親のしていた店だと言いながら、ドアを開けると、奥に来て欲しいと彼は俺を連れて入った。
そこにあったのは、簡易ベッドに横たわる沢山の若者だった。どいつを見ても疲弊し、心ここにあらずといったように、ただ呆然と空中を見たり、奇声をあげたりしている。
そいつらを前にして、シャチは真剣な顔で俺を見つめる。
「俺の兄弟や幼馴染達だ。賃金が高いからって建設現場とかで働いて生計を立ててた結果、薬漬けになって今この状態だ」
俺の作る薬だけじゃ、発作を止めるのが精一杯なんだと、彼は言う。
「あんた、こいつ等を助けられるのか?」
それができるなら、店を診療所として貸してもいいし薬も作ると彼は言う。
近付いて、一人の状態を確認する。薬で参っていて、その症状がかなり重い。この中毒症状を抜くにはかなりの手間と時間がかかるだろう。
「お前、こんな流れ者に頼んでいいのか?」
「……この街で、ドラッグに頼らないって言ってくれる医者がみつからないんだ」
なら、知らない奴に賭けてみてもいいだろうと、消えかけた声で彼は言った。
もう治らないかもしれない、そんな風に考えているのだろう。それでも、患者を増やすとわかりながらも違法な薬を作るのは、これだけの奴等を養うのに他に手がなかったからか。
悪循環だなと、一人ごちる。
「なあ、すぐに治せるか?」
そう問いかける少年に、俺はため息を吐いて答えた。
「……無理だ」
それを聞くと、彼はしばし無言になった後、そうか、じゃあ用なしだ!と叫ぶと、部屋を出て行った。
追いかけるも、既に店の外に出たようで姿は見えなかった。
「ドクター、もう少し言葉を選んだらどうですか?」
「俺は本当のことを言ったまでだ、だがまあ、あいつには言っておかないとな。人の話は最後まで聞けと」
宿から荷物を移しておいてくれとペンギンに頼むと、俺は少年を追いかけて出た。

港で一人座りこんでいた少年、シャチの姿をようやく見つけたのは日暮れ頃だった。教会からの鐘で五時だとわかった。
手に握りしめていたものを、どうしようかと迷っていたようだが、決心がついたようで立ち上がると海へと投げ捨てた。輝くそれをシャンブルズで俺の手元に引き寄せると、現れたのは、彼が首にかけていたロザリオだった。かわりになった石が海に落ちる水音と、あんたと言うか細い少年の声が聞こえた。
「なに、したんだ?」
「さあな?」
空とぼけて、隣に腰を下ろす。
「神に祈っても仕方ねえとか思ってたんだろ?」
入れ替えたロザリオを持ち主に返してやりながら問いかけると、少年はうつむいたまま、信じていても救われやしないと言った。
「ああそうだ、誰も救ってなんてくれない」
「……あんた、医者じゃないのか?」
「ああ俺は医者だ。だからこそ、その状況に応じて適切な判断を下す。今の状況じゃあ、あんたの家に居る患者は救えない」
じゃあなんで来たと恨めしげに見つめる相手に、話は最後まで聞けと呆れながら言う。
「まずあの家には医療器具が足りない、俺の手持ちでも応急処置が精一杯だ。根本的な治療をらするにはそれなりの設備が必要になる」
それをまずは用意する、発展してる港町だから、金を積めばどうにかして欲しい物は手に入るだろう。
「それから、患者の治療に必要な物はまだある、治療に専念できる静かな環境、カウンセリングができる医者、あと薬」
これがなきゃ、治療は無理だと言う俺に、じゃあ無理なんだろうとシャチは力なく言う。
「なに言ってる、これは全て揃えられる。カウンセリングは俺とペンギンがまず代理で行う。手が足りなければ、他の医者にも要請できるようにしよう。治療に必要な病棟の確保は手間がかかるが、これもあそこにある病院やら、診療所やらと手を組めば、まあできるだろう……あとは薬だ」
それがないから助けられないと言った、そうハッキリ言うと彼はぽかんとしたまま俺を見つめた。
「軽々しく助けるなんて言わねえよ。その場限りの言葉は、本当に救いを求める患者を見捨てるのと同じだ」
信じていれば救われるなんて幻想だ。救いがほしいなら、ちゃんとその可能性を開ける力がないと意味がない。
「応急処置なら今からでもできる、本格的な治療は機材が揃い次第だ。苦しい治療になるが、それに耐えられるかはそいつ次第だ、精神がやられてるからな。薬の影響で苦しんで、自殺する可能性だって否定できない」
救うなんて、軽々しく言わない。進んだ先の絶望をしっかり見極めないと、より深い苦しみを味わうかもしれない。
それでも……。
「それでも、俺に処置してほしいか?」
問いかけると、シャチはロザリオを握りしめてて、あんたに賭けるしかないんだと、涙ながらに呟いた。
「頼むよドクター。覚悟はするから、処置をしてくれ!」
弱々しく涙声で言った相手の頭を撫で、承知したと返した。

薬屋に戻り、宿に預けておいた医療機器と医学書を手に戻り、一人ずつ診察した結果をカルテにまとめる。
どいつもこいつも、よくもここまでと感じるほどに薬にやられていた。
「大体わかった。ペンギン、オペの用意をしろ」
「了解です、ドクター」
器具を準備する助手に、その呼び方は止めろと言うが、他になんて呼べばいいんだと逆に聞き返された。
「医者だって名乗ってるのは、他でもないあんたじゃないですか、ドクター・カルディア」
「まったく……いい、一気に片付ける」
能力を使って、体に入った毒素をいったんは抜いたものの、よく生きてられたな、と感じる量を取りこんでいた。
薬物自体はかなりの量を抜いたので、しばし発作や禁断症状は治るだろう。完全に抜き取るにはまだ処置に時間がかかる、一人ならまだしもこの人数を一気にするのは無理だ。残りは医療器具を早めに揃えてどうにか抜いていくしかないだろう、早めに揃うよう手配しなければ。あとは、薬物依存についてどうケアできるかが問題になる。アルコールなど、他のものへの依存を防ぐための治療も必要だ。
術後の経過をシャチに説明しながら、必要なものがあると彼の前に用意した注文書を出す。
「この街の患者を治すのに必要な薬だ、俺がざっと見積もっただけで、これだけは必要だ。できるだけ早く作ってくれ」
調合方法はここにあると、薬剤調合について書かれた用紙を渡す。
「俺も薬は作れるが、これだけの数だ、患者の処置で手が回らない可能性がある。お前がこれを作れるなら、頼みたい」
「やります!俺、俺が絶対、作りますから!」
だから助けてほしいと少年、シャチは言った。その強い目に、任せて大丈夫だろうと判断した。
「よし、じゃあ頼んだ。ここは診療所として貸してもらうぞ」
それでいいな?と問うと、当たり前だと涙を拭って言ってくれた。これで、賃貸料なしで診療所が開けるなと、そんなことを思った。

開業したことは、大々的に発表はしなかった。しかし、口コミで少しずつ情報が街中に広がっていき。シャチの兄弟が少しずつ、正常に戻り話しができる頃には、患者が殺到する程度にはなってくれた。
薬や医療器具の購入のための交渉はペンギンに頼んだり、自分で赴いたりしたものの、街での買い出し、特に日用品に関してはもっぱら二人に任せていた。
上陸して最初に島を回ったので、大体なにがあるのかわかっている。自分がほしいと思うものは、ひとまずはなかった。だから、休日を取るにしても部屋からあまり出ることはしなかった。肩慣らしにペンギンと手合わせをしたり、体力を増強するための運動は欠かしていなかったが、それ以外の時間は主に読書に費やしていた。

「ドクター、たまには外に行きません?」
息抜きしましょうよ、と診療所を終わらせる時間にシャチが処置室にやって来た。
「残念ながら、これを今日中に終わらせないといけない」
書類の山を指して言うと、いいじゃないですかとむっとしたように呟く。
「今日は港でのみの市がしてるんですよ、なにか珍しいもの出てるかもしれないですよ!」
古書市もしてますよ、ドクター本好きでしょと言う彼に少しだけ顔をあげる。
確かにそういう所には、たまに珍しい医学書や治療記録が出てきたりする。勿論、運もあるが古い本を眺めるだけでも楽しくなる。それに少しだけ心が揺れたのに気づいたのか、シャチは行きましょうと声をあげる。
さて、どうするべきだろうか。
「行って来られたらどうですか?確かにシャチが言う通り、ドクターは根を詰めすぎですよ。カルテの整理くらい、俺がしますから」
行って来てくださいとペンギンに書類を取りあげられて、仕方ないなと腰をあげた。
シャチに連れて来られたのみ市は、人で賑わっていた。どうやら、ちょっとした祭を兼ねているらしく、色んな出店も並んでいる。
アイスクリーム屋を指して、食べましょうとはしゃぐ彼に、一人で行って来いと手を振ると俺は古書市へ真っ直ぐ向かった。
本の山を色々と漁り、気になった物を手にして眺めている間、シャチは邪魔してはいけないと思ったのか離れていた。単に、手にした大きなアイスがあるから近づけなかっただけかもしれない。意外と気がきく奴のようだ。
店主に値段を交渉して、まとめて買うかわりにまけてもらい、礼を言って別れると嬉しそうにシャチが戻って来た。

「ドクター!古着市とか見ません?」
ほら、出店も行きましょうよ、と手を引く少年に呆れてため息を吐くも、自分の目的は果たしたし、彼も気をきかせてくれているのだと思って、それに従った。
しかし、俺のためにと買ってくれたアイスは、丁寧に断った。甘ったるい物は好きじゃない。
「俺も二個目はいらないですよ!」
「じゃあ勝手に買ってくるな」
二段のアイスを手に膨れるシャチに、これはなにを言っても仕方ないなと諦め、貸してみろと手にすると一口、プラスチックのスプーンでそれを掬って食べた。
ピンクのイチゴと、バニラにチョコチップが混じった、甘い味が舌先に広がり眉をしかめ、添えられていたハートのクッキーを一口かじる。ほろ苦いココア味のそれでもまだ甘さを消してはくれそうにない。通りかかりに、母親にアイスをねだっている子供を見かけ、手にしていた物を渡した。
「お兄さん、虫歯なの忘れてたんだ。食べかけで悪いけど、貰ってくれ」
母親はすみませんと頭を下げていた、これで虫歯になったらウチに診察に来てくださいねと言い残し、その場を後にする。
「せっかく買ったのに」
「クッキーは食べたしアイスも一口は食べただろ、あれ以上は頭痛がする」
ええーと、膨れる相手はじゃあとまた声を明るく変えて、今度は俺の手を取り市場の奥へどんどん進んで行く。
「ドクター、いつもその帽子ですけど、たまには変えたらどうですか?」
帽子屋の前で立ち止まって俺を見ると、被ってるそれを取ろうと手を伸ばしたが、届かないのを見て、また膨れる。シャチじゃなくてフグみたいだなとその顔を見て笑い、残念ながらこれが気に入ってるんだと返すが、たまにはいいじゃないですか気分転換ですよと引かない。
「外出てるだけで気分転換だろ」
「ほら、これとか似合うんじゃないですか?」
聞けよと思いながら、店の前に山と積まれていた帽子からいくつか手にして差し出してくる。
その一つを手にしばらく見つめていたものの、目を輝かせる相手に、これはお前の方が似合うと、頭に被せて店主に代金をたずねる。
「えっ?ちょっと、ドクター?」
「やるよ、今日の礼な」
言って帽子の上から頭を撫でてやると、やめてくださいよ恥ずかしい!と顔を赤くして反論する。
そうは言うが、その頬が緩んでいるため、悪い気はしていないんだなと勝手に判断した。
「まったく……つーか、俺これでも十八ですよ!ドクターから見たらガキかもしれないですけど、子供扱いしないでくださいよ!」
もう!とまたフグのように膨れる男に、俺はしばし立ち止まって黙りこんだ後、ため息を吐いた。
「俺、そんなに大人に見えるか?」
「……へっ?」
「いや、年齢をどれくらいサバ読むか考えてただけだ」
えっどういうことですか?と慌てて俺を追いかける相手に、なんでもないと笑って返した。
港から見上げた街は楽しそうに見えた、なにをその中に抱えているのかなんて、一目ではわかりやしない。

薬の材料の仕入れに行ったシャチが、やけに大きな足音を立て、それだけじゃなくドクター!と大声をあげて診察室に入って来たので、患者の容態に障るからやめろ!と静かに一括した。
「どうした、そんなに慌てて?」
とにかく落ち着かせないと話もできそうにないと判断し、水を差し出してやると、彼はグラスの中身を一気に飲み干して、息を吐いてから聞いてくださいと、少し声のトーンを落として言った。
「ドクターに手を貸してくれるって人がいるんだ!」
会ってくれますか?と嬉しそうに問いかけるシャチに、相手次第だと告げると、教会のシスターです!と元気な声で返ってきた。
「今は信者もほとんど集まらなくて、部屋が空いてるから、病床が足りないなら使ってくれていいって」
その言葉に高台に建てられた白い建物を思い出していた。この街で一番大きな教会で、一つのシンボルのように扱われているものだと感じていたのだが、実際はそうでもないらしい。
「薬の仕入れに行ったらシスターに声をかけられたんだ!シスターは薬草の知識もあるし、患者さんにも優しく接してくれるはずだ」
「わかった、とりあえず本人に会ってみるから、案内しろ」
昼休憩にするから後は頼むと、診療所をペンギンにいったん任せて白衣を脱いで外に出た。

教会への道すがら、ドクターと声をかけて来る人が何人かいた。ただの挨拶であることも多いが、これ食べてくれと果物やらパンやらを渡してくる、その親切さにどこか毒気を抜かれてしまう。若いのにそんな細い体じゃ駄目でしょと、酒場の太った女店主がミートパイを一つ寄越してきたのには、ほとほと困った。荷物になるからと最初は断ったのだが、途中から受け取った方が引き止められない事に気づいたので、止めた。買い出しに来たわけでもないのに、なぜこんな重い袋を提げているかわからない。胸元のロザリオを揺らして隣を歩くシャチは、どこか誇らしそうにしていた。自分の行動に賛同してくれる人間が居たことが嬉しいのか、俺が街に受け入れられているのを目にして嬉しいのか、慕われているようだというのはその顔でわかった。

「ここです」
シスター居ますか?と扉を開けてたずねると、礼拝堂の掃除をしている中年の女性が笑顔で出迎えてくれた。
「あらシャチ君、その人が噂のドクターかしら?」
「はい、ドクター・カルディアです!」
ドクターは止めてくれと帽子の上からシャチの頭を撫で、シスターの前に出る。
「はじめまして、カルディアさん」
「こちらこそ、はじめまして。シャチの話だと、診療所を助けてくれるとか」
「この教会が街のお役に立てるのであれば、お使いください」
我等の神は、隣人のためになることを望んでらっしゃいますからと、彼女は微笑んだ。
「助かります」
「いいえ、皆様に救いの手を差し伸べてくださる方のお力になりたく思いまして」
「俺は、救いの手を差し伸べてるわけじゃありません」
優しい笑顔から視線をそらして、そう告げる。
代償はきっちり頂いてる、本当に善意でしている行動ではない。そう言っても、彼女は助けてくださることにはかわりありませんと言った。
「その行いが人のためになるのであれば、救いの手にはかわりありませんわ、ドクター」
「俺は闇医者だ、その場の利益だけを見て動いているんで」
「それでも、他の誰よりも貴方の行動はきっと、この街には正しいことです」
いいや、正しいことなんてなにもないし、誰も救ってなんてくれない。そう告げて、彼女にもう一つ謝らなければと、断りを入れる。
「申し訳ないが、俺は神を信じていない」
それでも手を貸してくれますかとたずねると、彼女は笑いかけて、困っている者には全て手を貸しますと頭を下げた。
「ありがとうございます」
礼を言って、早速だが部屋を確認させてもらって、どこまで患者を受け入れられるか確認して、帰ろうとシャチに告げた。昼休みの時間も少しオーバー気味だ。
「シャチ君、ドクター、もしお時間があればミサにいらしてください」
最近シャチ君はサボっているわねと言われて、うっと彼は言葉を詰まらせて胸に下げたロザリオを握りしめた。それを見てシスターは微笑み、いいのです、街のほとんどの方がもういらっしゃらないのでと、寂しそうに彼女は言った。
「神にすがるよりも、日々の暮らしを守ることで、皆さん精一杯なのです」
時間が惜しいのでしょうと、彼女は言った。今では葬儀と墓守が自分の役目だと、静かに言う。
「ドクター、教会には告解室もあります」
入り口の傍にある、木造りの豪奢な箱のような一箇所を見つめ、彼女は言った。
「それが、どうしました?」
「いえ、お話したいことがあれば、いつでもいらしてください」
そう言って深々と礼をするシスターを後にして、診療所へ戻った。

シャチの薬剤調合の腕はまあまあ、といったところだった。風邪薬程度なら簡単に作れるようだが、複雑なものになればできがイマイチ。特に俺が頼んだ薬は、出来の良さにムラがあるのが難点だった。
しかし、本人はそれを認め精進しているらしく、完成度は日々上がってきていた。罪滅ぼしではないが、とにかく薬の調合の勉強に日々あてている。
ドラッグを依存を治療する医者、しかも腕はいいと聞いて、家族やその周辺から口コミで街にどんどん評判が広がっているらしく、診療所はなかなか盛況だった。最初は応急処置が精一杯だったが、医療機材が思ったより早くに手に入ったために、本格的な治療にも専念できるようになった。
教会が協力してくれた事により、街の人間も安心してくれたようで、薬物中毒以外の患者も増えた。それはそれで、金になるから困ることはない。
あと、俺の要請によりドラッグに手を出していた病院の病棟も、まるまる治療に使えるようになった。
シャチはどんな方法を使ったんだと聞いてきたが、それにはペンギンが秘密だと返していた。三日に一度はペンギンを連れて往診すると言ったは抜群の効果があったんだと言ったら、少し青い顔をしてヤバイことしてないですよね?と聞いてきた。
「売人やってたお前に言われたくねえよ、ちょっと力づくでお願いしに行っただけだ」
そう返すと、それ脅してるんじゃないですかと呆れたように、シャチは言った。
ペンギンが医療助手よりも荒事に長けてることは、ここに来たごろつきを追い返した時にしっかりと目撃しているため、彼も知っていた。
この街の病は思ったよりも根が深く、良くなっているとはいえ、なかなか患者は減らなかった。禁断症状に苦しむ者の声が、いつでも院内のどこかで聞こえたくらいだ。
それでも、治したいと言う奴は多かった。主に、シャチと同じく家族を守りたいと思った人がやって来た。
中にはお忍びで、ドラッグに手を出したバカ息子をどうにかしてほしいと言う貴族も居たくらいだ。口止め料こみで、なかなかいい金額を支払ってくれたので良い商売になった。ここの腐敗は貴族にも及んでいるようなので、もしかしたら、またこんな客が釣れるかもしれない。そうなったらラッキーだ。
これだけの金額があれば、中古の船なら買えるかもしれない。小型の診療所程度なら充分に開けるだろうが、できれば病床数は二十はほしいから、中型船は必要だな。あとはどうやって船員を集めるかが問題だ。
売上総額の計算をして笑った。

「昨日もシャチは遅くまで、薬を作ってたみたいです」
診察を終え、頼んだコーヒーを出しながらペンギンはそう言った。
「あいつが作る薬の精度があがれば、それだけ助かる奴も増える。必死なんだろう」
「そうは言っても、若いのにあまり無理させちゃよくないんじゃないですか?」
そうたずねるペンギンに、なんだ聞いてないのかと言うと、なにを?と首を傾げてみせた。
「あいつ、俺よりも二つ歳上だぞ」
お前の三つ下だペンギンと言うと、えっと言葉を詰まらせていた。確かに、見た目よりも若く見える。最初に会った時も歳下だとてっきり思ったくらいだ。
「ドクターの方が、若いんですか」
「見えないか?」
まあと言いながら、今日のカルテの整理をしてくれる。
「俺の年齢、いくつまでならサバ読んでも平気に見える?」
年相応な顔つきだと思っていたのだがと言えば、態度が大人びてるんですよ、とペンギンはため息混じりに告げた。
「三、四歳ならバレないでしょうね」
「お前と同じだと、バレるか?」
「流石に俺と一緒で通ったら、自分の立つ瀬がないんでやめてください」
そう言いながらも手際よく書類を片付けてくれる相手は、すっかり助手としての仕事が板についている。もっと医療実務も担ってもらおうかと考えていると、表のドアが無理やり破られる凄まじい音が届いた。
「ここか?最近噂になってる流しの医者がいるのは」
診察室から外を覗き、入って来た男達十名ほどを見て、何者だとこっそりペンギンに耳打ちする。
「この辺りの薬の売人をやってる頭の一人ですね。五百万ベリーの賞金首です」
「あー、顧客を俺に取られて邪魔ってことか」
「そういうことでしょうね」
どうします?と言いながら、カウンターに隠していた銃を取り出した相手に待ったをかける。
「診療所でそんな物騒なもんぶっ放すな、あれくらいなら俺が片づける」
「しかし、診察が終わって体力も削られてるでしょう?」
自分がやりますよ、と言う声よりも先に二階から駆け下りてくる足音が聞こえた。

「てめぇ、俺の家になんの用だ?」
階段から飛び降り、相手の前に着地したシャチは小さな体で威嚇しながらそう言った。
「シャチか……お前が余計な奴を引きこんでくれたおかげで、こっちは商売あがったりでな……これ以上、損する前に消しておこうかと思ったんだよ」
元はシャブ中相手に商売してた仲じゃないか、と男は声をあげて笑う。それを見て、シャチはナイフを抜いて構えた。
「待てシャチ!変な気を起こすな!」
慌てて止めに入るペンギンと後ろから白衣を着て現れた俺を見て、あんたが噂の医者かと頭の男は言った。
「思ったより随分と若いな……まあいいや、若僧が変な正義感で勝手に島を荒らしてくれたおかげて、こっちは迷惑してんだよ」
三人揃って、あの世に送ってやれ。
そう部下に命令を出した男は、笑ってこの場から出て行った。
早速と近場にいたシャチに手を伸ばしかけた相手から庇うため能力を使おうとした瞬間、シャチは素早く飛び上がり、男の脳天へ踵を叩きこんで着地した。
頭をやられて目が回ったのが、体がぐらつく相手のがら空きな胴体に飛びかかり、床に引き倒す。その見事な動きに、やるじゃねえかと愉快になって声をかけた。
「ドクター!あんたは逃げて下さい!」
どうやら、俺を戦力外だと思っているシャチが、必死になってそう叫ぶので、ペンギンと目を合わせてちょっと笑った。
「鉄パイプくらいなら、使っていいですか?」
棚に立てかけてあった鉄の棒に手をかけた相手に、黙って海賊から奪った安い刀を差し出す。
「あまり肉弾戦は得意じゃないんだろう?」
「一応、接近戦もできますよ一通りは」
あんたと手合わせして鍛えてもらってたんでと言うと、斬りかかってきた相手の攻撃をさっとかわして、その鳩尾に蹴りを叩きこみ、鞘から剣を抜いた。
俺は鬼哭を手に立ち上がると悠々とRoomを展開する。
「ドクター!早く逃げろって!」
あんたがいなきゃ、どうにもならないんだと斬りかかってきた相手と応戦しながら言うシャチに、笑いかけてやる。
「大丈夫だシャチ、俺はただの医者じゃない」
鬼哭を片手で振り回し、向かってきた相手をシャンブルズでバラバラに切り裂く。それを見て、ペンギン以外の全員がポカンと口を開けていた。
「残念ながら、俺はバケモノでな?」
バラけた体のパーツを足で蹴り飛ばし、床にばらまく。気持ち悪いんでやめてくださいよ、と言いながら、無防備な相手の急所を的確に突くペンギンに、我に返ったシャチがなんだと呟く。
「バケモノ?」
「ああ、たまにそう呼ばれる」
お前にとってどうかは知らねえ、そう言ってシャチに斬りかかってきた男をまたバラバラにした。
「ちっ、悪魔の実の能力者か!」
「だったらなんだ?」
対抗できるか?と問いかけて、男の体を真っ二つにする。
「能力者……バケモノ」
呆然としたままのシャチに斬りかかってきた男に足払いをかけて、気を抜くな!とペンギンが叫ぶ。
「お前にとって、カルディアさんが何者かはシャチ、お前が決めろ!」
「俺……俺にとっては……あんたは、大事なドクターですよ!」
意を決したらしいシャチが、再び床を蹴って飛び上がった、身のこなしがなかなかにいい。売人の時に培った逃げ足の賜物なのかもしれない。だが、戦闘に関してはからっきしダメだ、刃物の使い方がなっていない。それは、鍛えればどうにかなるかと頭の片隅で判断する。
なにを考えている、この街で世話になったとはいえこいつをこれから先も連れて行く予定はないと、一瞬浮かんだ考えを消して、その場にいる者をどんどんバラバラに刻む。

雑魚を片づけた後で、能力者だったんですか?とおずおず問いかけるシャチに、言ってなかったなと返す。
「だから、この街の患者もさっさと治療できたんだよ。普通の医者なら、薬を抜くまでにもっと何ヶ月もかかる」
そう言うと、あんたが凄いのはわかったと、不気味そうにバラけた体を避けて歩きながらシャチは言った。たまにビクビク動いては、小さく悲鳴をあげている辺り、こういうのには慣れてないようだ。
「なあ、どうするんだ?」
「こいつらのボスは、五百万の賞金がかかってるんだろ?迷惑料として貰って来る」
行くぞペンギンと声をかけると、わかりましたと奥から銃を用意したペンギンがやって来た。それにも目を丸くするシャチに、俺は笑いかける。
「わけありの医者だって言っただろ?俺は誰かに救ってくれるのを待つのは、やめたんだよ」
神様なんていないからな、と彼の首元を見て呟いた。
「……俺が、案内するよ」
ボスの隠れ家なら知ってるとシャチは言った。あいつが居なくなれば、この街のドラッグも半分は消えると言う。
「残り半分はなんだ?」
「商船を装って売りに来るんだ、そいつ等を消さなきゃいけない」
「海軍も買収されてるんだろうな、その状態じゃ……まあいい、とにかく俺の命を狙うなら、手っ取り早く消えてもらわないとな」
命はまだ惜しいんだと言って笑うと、少年はあんたに消えてもらっちゃ困るからなと、呟いた。

麻薬のブローカーを突き出したのは翌日のことだった。縄で縛りあげた売人達を見て、彼等は目を丸くしていたものの。手配書と共に必要な手続きを済ませて、しっかりと軍からは賞金を頂いた。まさか自分がこうやって政府から金をもらう日が来るとはな、と呆気なく思いつつなかなかの報酬に満足していた。
これでまだ治療が続けられると思ったのも束の間、麻薬密売組織の話が出たことで海軍がこの街の一斉調査をするらしいと噂が出た。
「それは信憑性がある話か?」
「ええ、きっちりした筋からの話ですよ」
ちょっと金はかかりましたがと言うペンギンに、必要経費だから構わないと返して、更に金庫から札束を取り出しそいつに握らせて来いと渡した。
「俺がこの話を聞いたことを、黙っててもらうための金だ」
「口止め料こみの金額ですけど」
「それでもだ、チップを弾んでやって悪いことはないだろう?」
俺のことを少し黙っててくれる奴がいればいい、と返すとわかりましたと彼はそれを受け取り、すぐに渡して来ますと言った。
ほとんどの患者は診たし、後は術後回復でどうにかなるだろう。現状の危険はほぼ去ったと言ってもいい。
「そろそろ潮時かもな」
この賞金で目標額には達したからと呟くと、待ってくれ!と慌てた声がした。
「ドクター、あんたまさか……ここから出て行くのか?」
明日の分の処方箋を抱えたシャチが処置室の入り口で呆然と立っていた。聞かれたかと思ったが、まあ困る内容でもないし、後ろ暗いことはそもそも知られている。彼も、過去に触れるとまずい仕事に手を染めているのだ、言いふらしたりはできないだろう。
「悪いが、政府や軍とはあまり下手に関わりを持つわけにはいかないんだ。今回の賞金首については仕方ないにしても、俺まで目をつけられると動きにくくなる」
「でも、この街の人はあんたのことを必要としてる!」
「風邪やら怪我やらの診療なら街の医者で充分だ。ドラッグの患者に対して必要な処置は施した、後は回復次第だ。下手に薬が出回らなければ他の医者で充分に処置は足りる」
政府や軍も徹底的に仕事をするだろうし、彼等とて後ろ暗いところを隠すために、しっかりと回復に努めるだろう。そして、街の医者は闇医者の存在は口に出さないはずだ。流れ者の世話になったなど、プライドが許さない。
「治してくれるって、言ったじゃないか!」
薬を置いて、俺の胸ぐらを掴んで叫ぶシャチに治してやったろうがと静かに返す。
「いいか、俺の専門は外科だ。本来ならカウンセリングは専門外。人手が足りなかったからしてきたが、そちらはもう他で手が回る。外科医としての処置は全て終了してる。なら、俺の仕事はもう終了だ」
治してない奴はいない、そう言うと返す言葉もないらしく、シャチはその場に座りこんだ。
「お前の薬は、大分と助かった。いい薬剤師になれる。この街でこれからも仕事できるぞ」
頑張れよと肩を叩いて励ましてやると、その手を掴まれた。まだなにかあるのかと思ったら、俺を見あげて、一緒に行くと言いだした。
「なに言ってんだ?」
「俺も、連れてってくれ!頼む、あんたがいなくなったら、病院の奴等は売人をしてた奴のことをきっと軍に言う、そしたら俺はここに居られない」
兄弟にも迷惑をかけると、シャチは俯きがちに言う。
「せっかく、治してもらったのに。俺が捕まえられたんじゃ、兄さん達は苦しむだけだ」
だから一緒に行かせてくれ、その方が安心して送り出してもらえると引かない。
「しかしな、いくらなんでも闇医者の元で仕事するなんて、汚れ仕事には変わらねえ、お前の家族が認めるか?」
「大丈夫だ!お前はあのドクターについてけって、兄さん達にはずっと言われてるんだ」
あんたは、俺達を見捨てないって信じてる。そう言われて、つくづくバカだなと思った。
そんなに簡単に、人を信じていいものか。神すら信じられないと言ったくせに。
これが本当の救いかどうかは、誰にもわかりやしない。軍の調査で本当に街から薬が消えるかは、その担当がどんな奴か次第だ。汚い奴なら、また揉み消されるのがオチだろう。
それでも、再びこいつに絶望を見せるよりは、希望を見せたまま去った方が落ち着くんだろうか。
「どうしてもって言うなら、薬以外もきっちり医術を勉強してもらうからな」
わかったか?と聞くと、彼は顔を輝かせて、ありがとうございます!と元気よく返事をした。
「俺、兄さん達に話して来ます!あと、シスターにも」
おいおい、これから行くのか?と止める間もなく処置室を飛び出し、二階へと急ぐ足音にペンギンが肩をすくめて笑った。
「うるさいのが増えましたね」
「まあ、薬剤調合の腕はそこそこだ、あと身のこなしもいい、鍛えてやればそれなりに戦闘でも使えるだろ」
そっちは頼むと言うと、弟子を取る気はないですよと呆れた声が返ってきた。
「俺からの頼みだ」
「授業料取りますよ」
そう返した相手に、あいつから取れと言った。
「船酔いしない奴だといいですね」
「慣れるだろ、まあ自分で薬は作れるしな」
そんな問題じゃないでしょうと呆れるペンギンに、大丈夫だと告げる。
「信じてるんですか?あのバカを」
「真っ直ぐなところは認めてる、ああいう奴は決めたら強い」
信じてるわけじゃないとそっくり返し、カルテの記入に戻った。
信じなさいと言ったシスターの顔と、祈りの声、賛美歌と級友の顔、そして。思い返した昔の記憶を全て、再び墓に葬り、ゆっくりと息を吐く。
「歌が聞こえるな」
どこからかな、と言うコラさんに目を開けば、雪の舞う中でどこからか微かに音が聞こえてきた。

〜深い困窮より 私はあなたに叫びます
主なる神よ 私の叫びを聴いてください〜

「賛美歌だよ」
「そっか、近くに教会があるのかな?」
キョロキョロと辺りを見回す彼に、向こうの丘にあったと告げた。
「ちょっと寄って行くか?」
「いいよ、思い出すから」
なにをとたずねる前に、早く行こうよと彼を急かした。

「俺が暮らしてた街の、一番いい学校は教会が作った学校だったんだ」
先生はシスター達で、生徒や家族がみんな信者だったと、夜に横になってからコラさんに話した。
「ローはその学校に通ってたのか?」
「本当は、七歳から入学なんだけど俺は特別で、五歳の時に飛び級で入学させてもらった」
「頭、良かったんだな」
そう言って、優しく撫でてくれる手に、そんなんじゃなかったよと告げる。
「いじめられたりしなかったか?」
「変な奴だって言われてたけど、別になんとも、みんな優しかった」
クリスマスには聖歌隊になって、皆で舞台に立ったんだと言うと、だから賛美歌がわかるのかと昼の事を納得してくれた。
「学校のみんなは、死んだ」
人の優しさを信じたのに、裏切られて死んでいったんだ。どんな状況であっても、シスターは必ず救いの手を述べてくれる人はいると言ったけれど、その声は届きやしなかった。
深淵からの声に、耳を傾けてくれる神様はどこにもいない。いたとしてもその手を、伸ばしてはくれなかった。
「だから、俺はもう信者じゃないんだ」
「そっか。でもなロー、今はもう大丈夫だ」
俺が救ってやるからな、と笑うコラさんに、くすぐったい気持ちになりながらうんと返した。

残酷な言葉だと思った。どんな理論も根拠もない、その場任せの言葉でしかない。
それでも、優しい言葉にその一瞬は救われた。

もう、誰も救ってなんてくれない。

だから、救いを求めるなら力が必要だ。彼の本懐を遂げるまでに、生き延びて、強くなるための力が。
「バイバイ、ロー」
笑う道化を涙ながらに追いかけて、寝覚めは最低な気分で迎えた。動悸を抑えて深く息を吐く。やけに感傷的な気分だった。

「いらっしゃるのではないかと、思っていました」
世話になった教会に別れの挨拶をしに来たところ、シスターはそう言って俺を出迎えた。
「診療所を、引き払うそうですね?」
「ええ、お世話になりました」
頭をさげる俺に、このちらの方こそありがとうございますと礼を言われた。
「シスター、告解室は空いてますか?」
「こちらです」
静かに案内された先にあるのは、部屋というよりも木製の戸棚のような、囲いといった方が良い物だった。片方のドアを指し、そちらからお入り下さいと告げ、彼女は隣のドアから中へ先に入った。
昔、動物の解剖をしては、神への冒涜ではないかと怒られ、連れてこられたのを思い出す。決して間違ったことはしたと思わず、人に言われる以外で踏み入れたことのない箱へ、初めて自分の意思で入ろうとしていた。どうしようか一瞬ためらうも、ここまで来れば同じだろうとドアを開けた。
独房のような狭い空間には、木の椅子が一つ置かれており、目の前の壁に格子状の枠が取り付けられ、向こうに座ったシスターの目元だけが伺えた。
「神の下において、あなたの罪を告白してください」
「シスター、前にも言った通り、俺は神を信じてはいない。これから話すのは、ちょっとした独り言だと思ってくれ」
そう前置きしてゆっくり息を吐くと、その前で話し始めた。
「俺の住んでいた街は病と戦争が原因で滅んだ。医者だった父と母、妹は人の手で殺されて、通っていた学校の級友や先生も全て、人に殺された。俺自身も病にかかっていて、寿命はそう長くなかった。運びだされる死体の山に隠れて、戦地からなんとか逃げ出した時に、俺は神を信じるのをやめた」
彼女は俺の話をただ黙って聴き続けている、その責めるでもなく、同情も含まない目に芯の強さが見えた。
「俺の命を助けてくれた人も、結局は俺のせいで死んだ。俺が関わると死人が出る。モンスターだと言われて嫌われ続けてきたが、それも仕方ないことだと思ってる」
俺が今していることは、罪滅ぼしでもなんでもない。幼い頃に見た父親や、恩人に対する約束はしっかりと守っているけれど、医者として患者を見ている理由はおそらく自己満足だ。
「救いの手を差し伸べているわけじゃない、これしかできることがない。死んでいった人々に対してできることは、墓を作ってやることくらいだが、俺はそれすらできなかった。死にそうな奴に対して、一瞬でもまともに生きる力を与えてやることくらいしか、俺にできることがない。だから、医者だと言われることにも、助けられたと言われる事にも……なんだか、後ろめたい気持ちがある」
だからこそ、代金はきっちり払ってもらってる。そうやって目的があるように見せておかないと、まるで自分が善人のように扱われてしまうからだ。
「ドクター・カルディア、あなたは心のおもむくままに、やりたいことをすれば良いのです」
彼女は静かに言った。
「それが、仇討ちだったとしてもか?」
「人を殺めることは大罪です。あなたの持てる力で、本当にすべきこと、本当にやるべき正しい道を歩むのであれば、その胸にある迷いも消えるでしょう」
神はあなたの罪を許しますわ、と笑う彼女に俺は右頬だけを釣り上げて笑う。
「神は信じてない。俺は独り言を言いに来ただけだ」
これでお別れだと言って席を立った、ありがとうと小さく礼を告げて、港へと向かった。

港には中古になるが、少し大きめの船が一層止まっていた。軍艦のような大きさはないものの、医療器具や薬剤室など必要な設備はなんとか整えている。海賊との戦闘のために砲台も設置されて、中々に立派な構えだった。
「ペンギン、守備はどうなってる?」
「はい、船は整備済みで今は積荷を確認中です」
「船員の方は?」
「シャチの他に、何名か募集をかけて揃えました。ドクターに言われた通り、実力重視で裏切らない者を選んだつもりですが……」
「裏切ったら、俺かお前に叩き斬られるってことはわかってるんだろ?それをわかってついて来るなら、信用はできる」
どんな奴等だと案内され、そこに揃った面子を確認する。医者の船に乗るというよりも、海賊でも名乗った方がいいんじゃないか?と感じるようなメンバーだった。
「もしかして、俺が一番若い?」
「三歳サバを読めば、シャチが一番歳下です」
こっそりたずねれば、平然とそう返された。じゃあ、時が来るまで三歳サバ読んでおくよと告げて、集まった船員達の前に立った。
「知ってるかもしれないが、一応自己紹介しておく。俺はカルディア、医師をしている。免許がないから闇医者だが、腕については説明する必要はないな?今日から目の前にある船の船長でもある」
後ろを指差してそう言う、デカイ奴等に囲まれて、少し緊張気味の顔をしているシャチに笑いかけてやると、ハッとしたように姿勢を正した。
「この船は海を走る病院だ、この船に乗るということはお前達はただの船乗りじゃない、医療従事者としても働けるようになってもらう」
安心しろ、授業料は取らないと笑って言うと、若干だが船員からも笑い声が聞こえた。
「海賊相手に商売することもあるだろう、危ない橋を渡ることも多い。だが俺の船に来たからには、下手なところで死なせやしない。報酬もしっかり払う、ついて来てくれるか?」
その質問に、野太いが力強い返事が返ってきた事に気をよくして、出航準備を続けろと指示を出した。

「船長、お茶淹れましたよ」
少し休んで下さいと言ってシャチが持ってきたのは、彼の特製ブレンドのハーブティーだった。
本当はコーヒーの方が好きなんだが、シャチからは、船長はカフェイン中毒ですと何度も怒られている。
「今日の薬効はなんだ?」
「眼精疲労とリラックス効果、あとは安眠作用です」
船長ここのところ徹夜続きでしょ?隈が酷いですよと、彼はため息混じりに言った。
「ほら、これ飲んでちょっとは寝てください」
そう言って差し出された茶の匂いを確かめる、一口飲むと鼻に薬草の匂いが強く抜けて、若干癖のある味が舌に広がる。後味にシナモンの甘さが広がるのに顔をしかめる。
「やっぱり、コーヒーがいい」
「駄目ですよ!あんた空きっ腹にコーヒー平気で飲むんだから。酸で胃に穴が空いたらどうするんですか」
コーヒーの胃酸分泌作用について、また語り出した相手にこれも何度も言った通りの返事をする。
「胃潰瘍くらい自分で治す」
「そういう問題じゃないですって!」
心配するじゃないですか、としょげたように言うもんだから、よほど心配されているのかと勘ぐってしまう。
「最近、船長は夜遅いでしょ?急患が続いたわけでもないのに。なにか新しい計画でも立ててるんですか?」
「七武海になってから、書類整理も増えたんだよ」
それだけですか?と目で訴えかける相手に、ため息を吐いて一口お茶を飲み、その時がきたら教えてやると頭を撫でた。
「なにをです?」
「今の計画だ、時がくるまで待て。まだ上手く状況が整ってないんだよ」
「わかりました。年齢も名前も、もう嘘は嫌ですよ!」
「お前、まだ根に持ってるのか?」
当たり前じゃないですか!と怒り気味に声をあげるシャチ。船の中で最年少として、船員から昔かなりいじられていたのを、根に持っているらしい。
「どっちにしろ、船長をいじる船員はいないだろ」
「そうですけどー」
お盆を持ったまま膨れるシャチに、相変わらずだなと頭を撫でてやると、それもやめてくださいと怒り気味に返された。
「船長のが歳下でしょ!」
「お前の頭が丁度いい位置にあるんだろうが」
それに嬉しいくせにとは言わない。歳のこともそうだが、背の低さも彼が気にしている事の一つだからだ。
「昔にこだわる男はモテないぞ」
「ちょっ!船長ヒドイ!そりゃモテる人に、俺の気持ちはわかりませんよ!」
もういいです、と叫んで出て行った相手に俺は苦笑いして、湯気の出る茶を飲み干した。

網膜の裏に蘇った手を振る道化師の姿に、今夜はもうベッドには入らないでおこうと決めた。

あとがき
シャチとペンギンの二人が、何気にローよりも歳上だったら萌えます、私が←
実際は歳下の可能性のが高い気もするんですけどね、特にシャチの方は……。
作中の賛美歌は実際にある歌です。
「主よ深きふちの底より」より一節をお借りいたしました。
懺悔などしたことないので、告解室などはなんとなく調べた知識で書いてますので、その辺は目をつむっていただければと思います。
次回はベポちゃんとの出会いについて書きたいなーと思います。
2015年1月12日 pixivより再掲
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