声に出さなきゃ、何も伝わらない。

貴方と、話がしたいんですが……5

水戸部先輩の家にお邪魔した。
相変わらず先輩の兄弟はとっても賑やかで、すっごく明るくて良い子達ばっかで。先輩のお父さんとお母さんも、凄く良い人で。あったかくて楽しい時間だった。
帰り道はもう分かったけれど、先輩は見送りに来てくれた。
いつもの分かれ道の所まで。

一緒に歩いている最中、先輩は何も喋らない。俺が一方的に喋って、それに頷いたり首を振ったり傾げたり、それでもなんとか意味が通じるんだから不思議だ。
「じゃあまた、部活で」
そう言って手を振ると、先輩は笑顔でそれに答えてくれた。

本当は夕飯も一緒にどうかと誘われたけど、何だかそこまでお邪魔するのは悪い気がして、断って帰って来た。皆スゲー良い人だけど迷惑はかけたくない。
先輩の家は、お父さんとお母さんの仕事の都合で、全員が揃って食事に着く事があまりないらしい。昼間に一緒に遊んであげた兄弟の誰かがそう言ってるのを聞いた。
俺の家だって似たようなもんだったから、あの子達の気持ちは分かる。
だから断って帰って来た。
一緒に居られる時間が短いぶん、きっとお母さんやお父さんに甘えただろうなって、そう思ったから。
そうしたら、先輩とお母さんが帰り際にタッパーに作り置きの料理を持たせてくれた。
「大した物じゃないんだけど、良かったら帰って食べて」
「いや、いいっすよそんな」
「いいから!お昼のお礼だと思って、ね?」
笑顔で言われてしまうと、何だか断れなくて、結局、貰ってしまった。
またタッパー返さないとな。その時は、俺も何か料理を詰めて返したい。甘い物が嫌いじゃないなら、お菓子を作ってもいいかもな。
そんな事を考えながら歩いていると、気が付けば家に着いていた。

「ただいま」
いつもの癖で声に出して挨拶するけれど、返事は勿論ない。当たり前の事なんだけど、なんだか今日はやけにそれが虚しかった。
真っ暗な玄関に明かりを付けて、中に入る。
出かける前と変わらない部屋。いつも通りだ、どこも一切変わっていない。だというのに何でだろう、やけにがらんとして見えるのは。
俺の家ってこんなに広かったっけ?
こんなに、何も無かったっけ?
こんなにも、静かだったっけ?
考え始めるときりがないくらい、沢山の疑問が湧いてくる。こんな事は昨日まで、いや今朝まで全く考えた事なかったのに。
いや、前にもあったなこんな感じ。何だか、変に自分一人が浮いてるような感じ。いつだっけ?
あっそうだ、日本で俺一人で暮らさないといけなくなった時と似てる。
知らない場所、知らない人達に囲まれて一人で過ごして。
その時は、自分の家が凄く広く感じた。でも、こんなに不安にはならなかったと思う、むしろこんな俺を守ってくれるような気さえした。
あの頃はずっと押し潰されそうだったんだ、周りと少し違う事が、よく分かんねえけど凄い重くて……だから、一生懸命だった。
でも俺が一生懸命でも、周りはそうではなくて、周りに合わせればいいのか自分の思う事を貫けばいいのか、分かんなくて。
でも結局、俺は自分が思った通りにしか行動できなかった。
馬鹿って言われるくらい、俺は真っ直ぐにバスケやって。
だから一人になった。
別にそれでも良かったんだ。一人でも、バスケができないわけじゃなかったし。
バスケしてる時は何でも忘れられたから、後は家に帰って、くたくたになった体を休めればいいだけだから。
ここは、いつも必死な俺を守ってくれてたはずだった。
なのに何で、何で今更になって……こんなに寂しいなんて。

「寂しい?」

そこでようやく分かった。
俺って、ずっと寂しかったんだろうか?
バスケを逃げ道にしてたつもりはない、本当に好きな物だから。だけど、それ以外の自分をずっと見ないように、見えないように、知らない顔して暮らしてたかもしれない。
俺って、寂しかったんだ。
何でこんな事に気付いたんだろう?
ふと部屋に響く電子音に気付いて顔を上げる、鞄から携帯電話を取り出して表示を見つめる。
「水戸部、先輩」
震える指で操作してメールを開く。

『今日はありがとう、もう家だよね。
ちゃんとご飯食べてる?

困った事があれば、いつでも相談してくれたらいいから』

ドクッと大きく脈打つ心臓、何かが胃の中からせり上がってきて吐き出してしまいそうな、そんな気分だ。気持ち悪い、心臓がやけに大きく震えている。
どうしたいかなんて考えずに、俺はただあの人の番号を探して震える指で通話ボタンを押した。
何度かコール音が響いた後、プツッと音がして相手が電話に出た事を知る。
「あの、先輩……」
『っ……』
電話の向こうでふっと息を飲む音が聞こえる。でも、それ以上は言葉が返ってこない。
俺はこの人を相手に何を言おうと思ってたんだろう。言葉が声にならないこの人に、電話で何を伝えようっていうんだ?隣に居なきゃ、ハイもイイエも分からないのに。
「すんません、あの……あっ、今日はありがとう、でした」
そこまで言って言葉に詰まる。
思わず電話をしてしまった。迷惑をかけたくないのに。心配なんて、かけたくないのに。
貴方が優しいから思わず、縋りそうになるんだ。
「あっ、それだけなんで……あの、失礼しま」
『火神』
電話の向こうから聞こえて来た声に、思わず黙りこんでしまう。何度か聞いた事がある低く柔らかい声が、俺の名前を呼んだ。
「せ、んぱい?」
『火神、泣いてる?』
えっ、と思って左手を目元にやると、確かに濡れている。そういえば声も掠れて震えていたかもしれない。言い訳考えるのに必死で、気づいてなかった。
「あの、何でもないんで。すみません、なんか俺、スッゲー変で」
『家、どこ?』
「はい?」
『今から、行くから』
「いや、あの……今から?って、あの」
『心配だから』

何で、その一言をそんなに簡単に言えるんだ?
会いたいと、言って良いんだろうか?
「水戸部先輩、俺……」

駄目だ、これ以上話しちゃ余計な事まで言いそうだ。

「も、失礼します」
気まずいと思いつつ、そのまま通話を切る。耳元で電子音を聞きながら、ハッと短く息を零す。
落ち着くと、余計に何か胸がおかしいくらいに詰まってきて。なんか苦しい。
手で目元を拭い、肩にかけていた荷物を置く。晩御飯にと渡された料理は、すっかり冷たくなっている。レンジで温めるかと重い足を引きずるようにしてキッチンに行く、そこで、何だかそんなに空腹も感じていない事に気付く。そんなわけないのに。

タイマーをかけておいた炊飯器は既に保温になっている。冷蔵庫を開けて、適当な食材を選んで味噌汁や野菜炒めのような、簡単な料理を作る。
いつものように、一人で食べる食事も慣れてるはずなのに。一緒に挨拶してくれる声がないと気付いただけで、こんなに薄暗く見えるものだろうか?
「いただきます」
そう言って箸を伸ばす。
いつも通りの味付けなのに、何だか味気ない。おかしいなと首を傾げつつ、先輩の作ってくれた料理に箸を付けた。
「美味しい」
前も思ったけれど、やっぱり、先輩の料理は何だかあったかい味がする。やけに体に染み込んでくる味だ。美味しいって思うのと同時に、凄く懐かしい気がした。
涙が溢れそうになるくらい、優しい。

その時、呼び鈴が鳴った。
こんな時間に、宅配便ではないだろうし、首を傾げつつも玄関へ向かう。そこでふとさっきの電話を思い出して途中で立ち止まる、いやまさかな。
胸騒ぎを抱えつつ、覗き窓から訪問者を確認する。
「何で」
多分、全力で走って来たんだろう、肩で荒く呼吸をしてドアに片手を付いてこちらを見つめる先輩と目が合った。いや先輩からはこたらは見えないはずだけど、物音がしたからだろう、真っ直ぐこっちを見たと思ったら、強い力で金属製のドアが叩かれた。
この人らしくない乱暴な動作にビックリしたけど、それだけ必死さが伝わってきた。
何で、俺のためにそこまでしてくれるんだろう?
そっとドアを開けると、やっぱり先輩は俺を真っ直ぐ見つめていた。
「あの、先輩」
それ以上、何かを言うより先に彼の大きな腕が伸びて、気が付いた時にはしっかりと抱き締められていた。
何か言わなきゃいけない、いや聞きたい事は沢山ある。だけど何も言えない、貴方に何を言えばいいんだろう?
俺が話さなきゃ、何も始まらないのに。言いたい事が何一つ声にならない。
ふと抱き締めてくれていた手が、頭に触れてゆっくりと優しく撫でてくれる。
どうして。

どうして貴方は声を出さずに、俺の心をこんなにかき乱すんだ!

声にならないまま、俺はただ泣いた。
意味分かんねえくらいぐっちゃぐちゃになった頭を撫でてくれる手が、優しくて嬉しくて、それなのに凄い怖くて、痛くて、辛くって。
どうしたらいいか分かんなくて。
そんな俺を、何も言わないままの貴方は、それでも分かってくれてるみたいにずっと抱き締めてくれた。

ごめんなさい。
優しい貴方に、何かを伝えたいのに。
どんな言葉にしていいか、分からないんだ。

あとがきなど
長らくお付き合いして下さりまして、まことにありがとうございます。
次回、最終回になります。
2012年9月20日 pixivより再掲
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