火神は、良い子だ。
貴方と、話がしたいんですが……4
俺は思っている事を、思っている以上に声に出せないタイプらしい。
寡黙だ、静かだと言われているけれど。実際は口の中だけで言葉は呟いている、ただ実際に音になって届く事が少ないだけだ。
付き合いの長い人間になると、どうやら俺が何を言っているのか聞こえてくるようになるらしい。
勿論、全員というわけじゃない。
人には人の距離がある。どんなに接していても声が届かない距離にいるなら会話なんてできない。それと一緒で、俺と話が出来る人間はそれだけ距離が近くないと駄目らしい。
物質的な距離もそうだけど、心の距離とでも言うんだろうか?
例えば、両親や兄弟は家族という距離。
友人の中でただ一人、言葉を解してくれているコガは、それだけ俺に距離が近いのだ。
「先輩って、ちゃんと喋ってるんですよね?」
そう質問してきた後輩に、何と答えようか迷ったけれど、とりあえず頷いておいた。
喋ってはいる。ただ、どうやっても伝わらないのだ。
「じゃあ先輩の声、俺聞いた事あるかもしれねえ、です」
ビックリして立ち止まると、火神はこちらを不思議そうに振り返って見た。
俺の声を聞ける、それはつまり自分の事を想ってくれて、心を傾けてくれているという証拠に他ならない。
彼は俺の事を思ってくれているんだろうか?そうだとしたら、何だか嬉しくて思わず頬が緩んでしまう。彼はそんな俺に首を傾げつつも、それ以上、何も言ってきたりしなかった。
彼が心を開いてくれている、これは良い事かもしれない。
「あっ!水戸部」
こっちだよと、手を振るコガに俺も手を振り返す。バスケ部の皆はもう大分集まっているけれど、今日は一年生の数が少ない。
火神がいないと、こんなにも空間が空いて見えるものなのかと思った。
「ねえねえ水戸部、なんで昨日は火神にお弁当作ってあげたの?」
おそらく、全員が疑問に思っていたんだろう事を口に出すコガに、何て答えようか少し考える。
人の家の事情は、あんまり口に出すべきではないだろう。火神がどう思っているのかは分からないけれど、少なくとも俺の口から言って良い事ではないはずだ。
「えっ、火神の家族、家にいないの?」
尋ねる同級生に無言で頷く。
「ああ、だから水戸部の家に呼んだんだ」
「アイツ、放っておいたらジャンクフードばっか食ってそうだからな」
なんて言うチームメイト達に、俺は少し苦笑いした。彼は一人でもちゃんと暮らしていけるくらい、変なところで大人びたとこがあるなんて、誰も思ってなさそうだ。
腰を下ろして、弁当箱を開ける。
火神のお弁当は、美味しかった。
弁当なんて作るの久しぶりだと言っていたけれど、彼の料理は彩も栄養バランスもしっかり考えられていた。料理が好きっていうのは本当なんだ。
それにしても……人の作ったご飯って、こんなに嬉しいんだっけ?
ここに彼がいないのが残念だ、もし居てくれたら「凄く美味しい」と伝えたかった。
仕方なく、携帯電話を取り出して彼に向けてメッセージを作る。
「水戸部、どうしたの?」
何か嬉しそうだけど、と言うコガにそんなに顔に出ていただろうかと心の中だけで思う、彼にも分からないようにそっとだ。
「水戸部?」
ごめんね、秘密。
この味も携帯に入った着信も、俺だけの秘密だ。
『良かったっす。
レシピですけど、いつでも教えますよ。スッゲー簡単なんですけど。
迷惑じゃなかったら、先輩の家、作りに行きますよ?』
彼がまだ、俺の元に来てくれる。
その笑顔を見れる。
普段の、学校から離れた君を、一人にしないで済むのなら俺は嬉しい。
「あっ、水戸部先輩!おはようございます」
そう言う火神に、俺が返事をするより先に、側に居た妹や弟達が走り出していた。
「久しぶりタイガ!」
そう声をかける相手に、火神はニッコリと満面の笑みで「ああ、久しぶり」と答える。彼等に手を引かれてる姿を見てると、なんだか本当に弟が一人できた気分だけど、なんというか胸の中では申し訳ないなという思いが過る。
俺だけじゃ火神は笑顔にできないかも、そんな不安……なのか?良く分からない感情が湧いてくる。
「なんか、すみません。またお邪魔して」
いいんだよ、という思いを込めて首を横に振る。そしたら、ニッコリと彼はまた笑ってくれた。
俺でも君を笑顔にできる?
今日は父さんや母さんも家に居た。
火神の事は先に紹介しておいたので、二人共「いらっしゃい」と優しく出迎えてくれた。
「高校生で一人暮らしなんて大変でしょ?」
「あっ、いえ。もう長いんで、慣れた、です」
母さんに話しかけられて、恐縮そうに答える火神に母さんは「しっかりしてるのね」と返す。
困ったように苦笑いしている火神は、エプロンを手に戻ってきた俺を見て思い出したように立ちあがって近づいてきた。
「すいません、キッチン借りる、です」
既に、今日の昼は火神と一緒に作ると言ってあるので「困った事があったら呼んでね」と言って母さんは解放してくれた。
二人揃って台所に立って、着々と料理を進めていく。
火神はとっても手際がいい。やっぱり、普段から料理をしていると慣れてくるものらしい、そんな彼は俺をしきりに褒めていたけれど、彼の方こそ上手だと思う。
「あとは、衣付けて揚げるだけだ、です」
一通りレシピの控えも終わって、簡単だろ?と尋ねる彼に、そうだねと意味を込めて頷く。でも、とっても美味しかったのだ。
残りの料理も、火神に手伝ってもらいながら仕上げにかかる。細かい指示をしなくても火神はさっと、手早く料理を勧めてくれる。
そんな姿を見ながら母さんが「こんなお嫁さんが来てくれたらいいのにね」なんて言うものだから、二人揃って赤面してしまった。
俺は少し恥ずかしいなくらいだったけれど、火神はかなり頬を真っ赤に染めていた。
「ちょっ!お嫁さんって、何言ってるんだ!ですか」
「あらごめんなさい、お嫁さんは冗談。でも何だか微笑ましくて。火神君、将来良い旦那さんになるわよ」
母さんはそう言って笑っていた。どうやら、火神の反応がかなり面白かったらしい、それを父さんは見咎め「あまりからかってやるな」と苦笑いして言っていた。
旦那さんか、そうだな。
火神もいつか結婚して、一人じゃなくなる日が来るんだろう。その日が早く来ればいいと思う、家に帰る彼の背が、寂しくなくなる日がくればいいのに。
だというのに、なんだかそれが許せないのは何故だろう?
家族が全員揃っての食事は、一週間の中でもあまりない事だ。週末も必ず全員が揃っている事の方が少ない。
だけど、今日は全員が揃っていた。
その中に火神も混じっている。
「いただきます!」
全員揃っての大合唱に、火神も笑顔で混じっている。
前の時みたいに戸惑いは見えない、すっかりこの中に落ち着いたように見える、目が冴える程の赤色に思わず笑みが零れた。
火神の料理は、家族に凄くウケて。皆にしきりに褒められて、彼は照れたように笑っていた。本人は「先輩が作って、自分は教えただけなんで」なんて言ってるけど、それでもこれは君の味だ。
思わず、その頭に伸びた手はゆっくりと短い髪を撫でる。
ビックリしたように俺を見つめる相手に、そっと触れていた手を差し出す。伝えたい意味が伝わらず首を傾げる彼に代わって、妹が声をあげる。
「大我さん、おかわりいります?」
「えっ、あ……はい、っていうか自分でよそいますけど」
そう言った火神に、そこに居てと手で指示して俺は席を立った。
火神のために多めに焚いていたご飯、炊飯器の蓋を開け、湯気の立つそれを大盛りによそう。これでも、彼はすぐに平らげてしまうだろう。美味しそうに食べてくれるから、見ていて嬉しいけれど。
「凛兄さ、大我さんのこと好きなんだね」
彼の空になった茶碗にごはんをよそっている時、そっと背中にかけられた妹の言葉に、思わずしゃもじを取り落しかけた。どうしてそう思うの?と首を傾げてみせると「だって」と彼女は続ける。
「凛兄が世話好きなのは知ってるけど、大我さんには特別っぽいもん。さっきからさ、ずっと大我さんのことばっかり見てるよ」
そう言うと、彼女は新しいお茶のボトルを冷蔵庫から取り出してダイニングへと戻って行った。しばらく呆然とその場に立っていたものの、あまり遅くなってはおかしいと思われるといけないと思って、急いで戻る。
俺にとって火神は特別だろうか?確かに彼は可愛い後輩だ、実力のある新しい仲間でもありウチのエースでもある。
でもコートから離れてみると、そこにある弱々しさが目に付いた。そのギャップがなんだか怖くて、思わず手を差し伸べてしまったけれど。
俺はそんなに火神を意識しているだろうか?
分からない、人の心配をするのも、世話を焼こうとするのも既に自分にとって当たり前で、完全に癖になってることだから。
でも、火神は特別だろうか?
一緒に後片付けをしている火神の隣に立って、さっきの言葉がずっと頭の中でぐるぐる回り続けている。
俺は寂しい君に手を差し伸べたかっただけだと、そう思っていたけれど。
もしかして、違うのかな?
心を傾けてくれて喜んだのは、その隣に、自分の居場所が欲しかったからだろうか?
もしそうなら、火神。
君は、それをどう思うんだろう?
俺が隣に立つ事を、許してくれる?
なんて迷惑な話。
こんな事、君に言えない。
君はそんな事、きっと望んでいないだろうから。
水戸部さんと火神君が一緒に台所に立っている景色って、それもうただの天国だと思うんですよね。
2012年9月17日 pixivより再掲