貴貴方と話がしたいんですが……6

「凛兄、どうかした?」
食事中にそう尋ねられて、俺は首を振る。別に何も無いよという意味だったんだけど、皆にはどうやら俺が気にかかってる何かが分かっているらしい。
「大我さんの事、やっぱり心配?」
ずばり言い当てられて苦笑いする。

見送った時のその背中は、いつもよりも軽そうで、何だか楽しそうだった。
だから余計に心配していた。
彼が一人でどんな顔してるのか、分からないから。
食事の最中は携帯電話を触らないのが家のルールだったから、食べ終わってから母さんが後片付けしてくれるのを手伝いながら、火神にメールを送った。
大丈夫だといいんだけど。
その直後、俺の携帯から軽快なメロディが鳴り出した。あまりの事にビックリしたけれど、表示された名前を見て、余計に驚いた。
「凛兄、後は私が手伝うから」
妹と母さんの手で台所から追い出され、廊下で通話ボタンを押した。
『あの、先輩……』
「っ……」
ビックリした、電話越しでも分かるくらいに彼の声は弱っていて、掠れた明るい声は間違いなく泣いている証拠で。
『すんません、あの……あっ、今日はありがとう、でした』
彼らしくない言葉に詰まった言い方、きっと頭の整理ができていないんだろう。そこからしばらくの沈黙があった。
聞きたい事は沢山ある。
火神、俺を頼ってくれたの?なら、応えないと駄目だ。
『あっ、それだけなんで……あの、失礼しま』
「火神」
自分の持てる精一杯の声を出して彼の名前を呼ぶ。
『せ、んぱい?』
「火神、泣いてる?」
そう尋ねると、電話の向こう側で呆然としたような声が上がる。
気づいてなかったの?それくらい、君は追い詰められてるの?
『あの、何でもないんで。すみません、なんか俺、スッゲー変で』
「家、どこ?」
『はい?』
「今から、行くから」
『いや、あの……今から?って、あの』
混乱しているんだろう火神を、落ち着かせるために精一杯、言える事を伝える。
「心配だから」
向こうで、火神が息を飲む音が聞こえた。
震えてる?ねえ、どんな顔で俺に電話してるの?
許されるなら、俺が隣に行っていい?
『水戸部先輩、俺……も、失礼します』
そんな俺の希望を打ち砕くように、火神は唐突に通話を切った。きっと、俺に心配をかけたくないと思っての事なんだろうけど、駄目だよ。
そんな泣き声で言われても、心配するだけだよ。

そこから、俺はバスケ部の奴等に連絡した。
まずは監督と日向、それから黒子を始めとした一年生で連絡先を知ってる人達全員。
内容は一行しかない『火神の家、知ってるなら教えて』
最初に返ってきたのは日向。
『悪いけど、一年の家までは知らないな。どうかしたのか?』
次は黒子。
『すみませんが、流石に家がどこかは知りません。休日も外で会う事が多いので』
他の一年生達も、黒子と似たような返事だった。
最後に返って来たのは監督だった。
『ごめんごめん、ジムの手伝いしてて。
っていうか火神君の家って、どうしたの?緊急?
うーん、部員名簿持ってるから住所は知ってるけど、個人情報だから流石に勝手に教えられないわ』
火神君に聞いてみて、と続くが本人に断られたのでそれはできない。
仕方ないから、監督の電話番号を呼び出して発信ボタンを押す。
『えっ、ちょっと水戸部君どうしたの!?』
コール音が終わって、慌てたような監督の声に俺はいつも通り返す。
『あのね私、小金井君と違うから!何か喋ってくれないと困っちゃうんだけど……っていうか、火神君に何かあったの?……………………あの、水戸部君?電話なんだから無言は、ちょっと勘弁して欲しいんだけど……って、あーもう!ちょっと待ってね(違うわよ、ウチの部員だって!何か、ちょっと緊急の用らしいんだけど……ウルッサイわね、違うって言ってるでしょ!)ごめんごめん、えっと火神君にとりあえず何かあったの?…………ねえ、ちょっと電話かけてきて無言って、それはないんじゃないの!……ねえ!……………………もう、いいわ!あのバ火神の住所でも何でも教えてやるわよ!ついでにスリーサイズもあるけど、良かったらメモしとく!?』
根負けしてくれた監督に、火神の住所を聞き出して声にはならないけど、一応はお礼も言っておく。
切る直前に『次の練習メニュー水戸部君と火神君だけ三倍だから!』という恐ろしい一言を聞いてしまった。とりあえず、ごめん火神。
通話が終わってから、メールをした全員に『火神、体調悪いらしい』と送信する。これで納得してくれるかは分からないけど、理由としては一番無難だと思う。
場所が分かった以上、すぐにでも出て行こうと玄関に向かい靴を履く俺の背を誰かが叩いた。
「凛兄、忘れ物」
そう言って彼女が差し出したのは、俺の鞄と自転車の鍵。中を確認すると、どうやら財布や最低限の貴重品を入れてくれてあるらしい。
「皆ビックリしてたよ、凛兄があんな声出したの初めてだから。大我さんに、何かあったんでしょ?お父さん達には誤魔化しとくから、早く行ってきなよ」
そう言う彼女に頷き返し、笑顔に見送られて今度こそ家を出て行った。

火神の家までは自転車で走ってもかなりの距離があった。
それでも、一時間は走っていないと思う。夜であまり人通りの無い道を走ったから、スピードが出せたからだろうけど。
なんとか辿り着いたマンションを見上げる、ここに火神は住んでいるらしい。
部屋番号も聞いていたけれど、一階のポストで名前と番号が合っているか確かめてから上る。エレベーターなんて待っていられなくて、思いっきり階段を駆け上がった。かなり体力はあるつもりだけど、かなりの運動だったみたいだ。
呼び鈴を押して、どっと疲れが押し寄せた体を支えるように壁に腕を付いて立つ。
ドアの向こうで人の動く気配がした、けれどピッタリと止まって動かない。当たり前か、俺の訪問なんて予想外の事だろう。だけど火神、君に会いに来たんだから入れて。
開けてくれないドアを思いっきり叩いて、のぞき窓の向こうを見つめる。すると、しばらくしてから静かにドアが開いた。
「あの、先輩」
驚いたような、酷く乾いたその声でこれ以上、何か話してほしくなくて。
何をするよりも先に、火神を抱きしめた。
抗う事なんてせずに大人しく俺の腕の中に納まった相手を、少し強めに抱き締めて、頭を撫でてやる。そうしている内に、何かの糸が切れたんだろう。
火神は泣いた。
やっぱり君は、ずっと一人で怖い物を抱えていたんだ。

ごめん火神、もう一人にしないから。

とにかく落ち着くまで火神を抱きしめて、俺の胸で泣かせておいた。本人が言うには、こんなに泣いたのは久しぶりの事らしい。
そんな感じはする。
気分が落ち着いたらしい火神に連れられて家に入らせてもらった。思っていたよりも広くて、綺麗で、とてもガランとした印象の部屋。
無駄が無いと言えば無い、ただ言ってしまうと少し寂しい。
本当に彼が一人で住んでいるんだって、分かってしまう部屋だ。
お茶でも淹れてくれようとしたのかキッチンに向かう彼に、そっと首を振って手を引いてリビングに連れて行くとソファに座らせ、再びキッチンに戻って勝手ながら冷蔵庫を開けさせてもらって、ボトルに入ったお茶をレンジで温めてから火神に持って行った。
「あ、ありがとうございます」
マグカップを受け取って、少し口を付けてから火神は小さく息を吐いた。
隣に座った俺は黙って自分の足元を見つめている。
勢い余って来てしまったけれど、その先の事は全く考えていなかったのだ。これから、どうしたら良いものか悩んでいる内に、火神がぽつぽつと話し始めた。
「水戸部先輩、あの……すみません。何か突然、泣き出したりして。本当に、自分でもよく分かんねえんだけど。今日、帰って来たら、やけにこの家、広く感じて。それで、なんか静かだし誰もいないし、そりゃ当たり前なんだけど。それが、突然スゲー怖くなっちまって」
震えているのではないかと隣を伺うと、案外、落ち着いたらしい火神は笑顔ではないにしろ、どちらかと言えば穏やかな顔で話ててほっとした。
「その時、先輩からメール来て。それで、なんていうか……嬉しくって、先輩にとにかく話したくて、電話したんだ……です」
結局、迷惑かけてすみませんと火神は謝った。気にしないでほしいと首を横に振ったものの、火神はすみませんと笑って言う。
酷く傷ついたような、作り笑いだった。

無理させてしまった。

自分が憎い、俺は余計に手を差し伸べて彼に気付かせてしまった。無意識だった寂しさを、彼に気づかせてしまったんだ。
彼はどうしてもここに帰るしかないのに、それを恐れているのを、気づかせてしまったんだ。
何て、酷い事をしたんだろう。
「ごめん、火神」
そう言ったら、驚いたように彼の視線が俺の方を向いた。
もしかして、聞こえたんだろうか?
俺の声が聞こえるくらい、君はもう、俺に心を傾けてくれているんだろうか?
それとも単純に、この部屋が静かすぎるから。相手の呼吸すら、聞こえてしまうくらい静かだから、伝わってしまうだけだろうか?
それならきっと、俺の心音も聞こえている事だろう。こんなに、煩いんだから。
それでもとにかく、今は君と話がしたい。

「何で、先輩が謝るんだ?」
「俺のせいだから」
そう言うと、火神は困惑しているような顔を見せる。そうだろう、君自身にはきっと覚えがない。
「俺は、君がどこかで寂しいって思ってるの分かってた。それが分かった上で、火神に人の側に居るのがいいって、ここが本当は寂しいんだって思わせたのは、俺だ」
「そんなの、悪気があってしたわけじゃないだろ。俺の事、先輩は心配してくれただけで」
「違う」
違うんだ火神、俺は酷い奴だよ。
お前が良い子なの知ってて、人の優しさにきっと飢えてるだろうと知ってて。人の良い顔を装ってそれを与えて、餌付けしただけだから。
「俺の傍に、居て欲しいって思った」
俺は無意識に君を縛り付けたのだ。
エゴだとしても、良かった。
君に、無理して笑ってほしくなかった。そんな顔を見るくらいなら、素直に泣いてくれた方がずっと良いと思ってた。
電話をくれた時、俺を必要としてくれた事が嬉しかったなんて、本当に酷い。
でも。

「火神が好きだから」

火神を真っ直ぐに見つめて告げる、大きく見開かれた赤い目が、俺を見つめている。
多分、信じられないと言いたいんだろう。
「あっ、えっと先輩?」
「火神の事は特別だ」
特別に想ってるから。
そう言ったら、彼は目の前で信じられないくらい顔を赤く染めた。
「ちょっ!あ、あの……先輩!」
「でも、付き合ってほしいとか、思ってないから」
「何で?」
「火神を、困らせたくない」
彼はどうか分からないけれど、それでもやがり男同士は世間の目が冷たい。彼の将来を思うなら、不用意に近づいてはいけないだろう。
でも、君が少しでも寂しい時にはこの背に体を預けてくれればいいって、そんな風に思う。
それだけだから。
他に誰か、君を支えられる人ができるまで、少しだけ支えになれればそれでいい。
そう言うと、火神は少しムッとした顔をして。ソファの上で両膝を抱える格好で座り、そこに顔を埋めた。
「先輩、俺……貴方と話がしたかったんだ」
ちゃんと声に出して、目を合わせて言葉を交わしたかった。
彼はそう言った。
俺と同じ事を思ってくれていたのか、と思うと胸が少し苦しかった。
初めての会話が、なんとも言えないものになってしまったからだ。申し訳なくて、項垂れるその頭を撫でてやると、火神はゆっくりとこちらを見て「あのな」と少し乱暴な口調で言う。
「俺、馬鹿なんで。その……こういう事されたら、勘違いするぞ」
勘違いとは、何だろうか?もし、もしも俺の考えるような事だったなら、それは。歓迎したい話だ。
頬を赤く染めた彼に、続きを聞かせて欲しいと首を傾げて伝えれば。更に赤くなって、呟いた。

「アンタの事、好きかもしれねえ」

時間が止まったような錯覚。
何も聞かなかった事にしてほしいと、首を横に振って彼はまた膝に顔を埋めた。
ああ、可愛いなと思って。正面に回って、小さくなった体を抱き締めた。腕の中で、所在無げに動いた彼は、膝を抱えていた手を外して俺のシャツを引っ張る。
「言っとくけど、先輩。俺かなり図体デカくて重いぞ」
知ってる、というか見れば分かる。
「こんな奴がもたれかかったら、普通の奴じゃ潰れるだろ」
いや、俺は精神的な意味合いで言ったわけであって、本当に体を預けて欲しいわけじゃないのだか。別に君がそうしたいなら、俺は受け入れるけど。なんて苦笑いが顔に出たのか、彼は恨みがましそうに下から俺を睨む。
「アンタみたいな人じゃないと、支えきれないだろ」
だからしっかりしてくれ、なんて言われれば笑顔で頷くしかない。
「火神」
「なんすか?」
「好きだよ」
「うん」
そう言って彼は笑った、甘えたような愛らしい笑顔だった。

君と、話ができて良かった。

それから、誠凛高校のある日の昼休み。
今日も恒例となった屋上集会に、授業が終わったばかりの一年生がやって来た。
「おーう火神、こっちこっち」
なんていう小金井の声に、火神は「うす」と返事を返す。
その隣に居た水戸部に、彼はちょっと笑いかける。
誰がどこ、という定位置があるわけではないのだが、自然と仲が良い人達で隣り合ってしまうのは、ままある事だ。
しかし、最近は不思議な一角ができている。

「あっ、水戸部先輩。この間の煮物美味かったっす」
どうやら料理というお互い共通の趣味を見つけたらしい火神と水戸部が、最近よく隣あって話しているのだ。と言っても、火神が一方的に喋って、水戸部はただ相槌を打つだけだ。
それでも、性格なども反対に思われる二人が仲良さそうに話しているのは、バスケ部のメンバーにとっては首を傾げる毎日ではある。
しかし、何だかんだで息は合っているようだし、仲が良い分にはまあ構わないかと放任されているのが現状だ。

「あー、やっぱまだちょっと食い足りねえかも」
昼食に買い込んできた惣菜パンを食べきり、火神はそう呟いた。
彼の胃袋が四次元級なのは誰もが知っているので、全員が苦笑いしただけで済んだ。
「あー、もう一回俺、購買行って来ます。何か、欲しいもんとかあるか?です」
相変わらず下手な敬語でそう言う火神に、それならばと何人かはおつかいをお願いした。全員分の買い物をなんとか覚えて、火神は屋上から出て行った。
おそらく行き帰りを走ったのか、五分ほどで帰って来た火神は、頼まれた物をさっと袋から出して渡していく。そして自分の元の位置に戻ると、隣に居た水戸部に「どうぞ」とお茶のペットボトルを渡し、自分はさっさと袋の中からお気に入りのパンを取り出して食べ始めた。
その様子を眺めていた小金井は、ふと疑問に思って首を傾げる。
「ねえねえ、火神は何で水戸部がお茶欲しいって分かったの?」
そう言われてからようやく全員が気付いた、水戸部は何も言ってない、と少なくとも思える中、どうして彼は買い物が出来たのか。
それに対し火神は「あー」と呟いてから「なんとなく、かな」と答えた。
流石にその答えには全員が閉口する。
「お前、なんとなくで言ってる事分かるって!夫婦じゃねえんだぞ」
とツッコミを入れる日向に、全員が笑う。しかし、小金井は納得しきれてないようだ。
何故ならこの中で彼だけは見て、聞いていたのだ、「火神、お茶お願い」という水戸部とそれに「うす」と答える火神を。
夫婦かと弄られる後輩と友人をよそに、小金井は不思議そうに首を傾げる。そんな彼を見つけた水戸部は、そっと彼に向けて声を出さずに言う。
人差し指を立てて、「秘密だよ」と。

そんな誠凛バスケ部の平穏な一日を眺めて、黒子はそっと溜息を吐く。
夫婦かと弄られて笑う彼等に、新婚ですねおめでとうございます、と一人だけ呆れたように見守る。
そろそろ、他にも違和感を持ってる人が居てもいいはずだ、彼等はハッキリと口にこそ出さないが隠してもいないようだから。でも、もし分かったところできっと自分達はそんな彼等を受け入れるだろう、そう黒子は思ってる。
だって、彼の笑顔はとても輝いていて。それを傍らで見守る先輩は、とても穏やかな表情をしている。
そんな彼等を、誰が引き裂こうというのか?少なくとも、自分は呆れこそすれ微笑ましく見守れる。そこまで考えてから、黒子は溜息を吐いた。
彼等がバカだと言うのなら自分もそれに毒されている、と。

どうやら、バカは空気感染するらしい。

しかし、これは悪くない。
こんな日常は、悪くないだろう。

「僕の光は、今日も春爛漫ですね」

なんて零した彼の言葉は、今はまだ誰にも届いていない。

あとがき
長らくお付き合いして下さいましてありがとうございます。
私の料理レベルが家庭科修了クラスしかないので、水火の料理シーンを上手く書けなかったのが心残りです。
2012年9月25日 pixivより再掲
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