死にいたる病-2
side:青峰
火神は優しい。
それに、他の誰よりも俺の事を分かってくれる。
こんなに傍に居て落ち着く人間が居るなんて、不思議で、そして幸せだと思った。
できるならば、ずっと傍に居てくれればいいのに。
そう願ってしまうくらいに。
火神はとにかく俺に甘かった。
その懐に入れた奴には優しいとか、前にテツが言ってたような気がするけど。そうだとしても、おかしいくらいに甘い。
まるで、自分の子供みたいに俺に愛情や慈悲やらを持って接してくれる。
それも俺のお袋やさつきのように、世話好きで小うるさく何でも口を挟んでくれるのとは違う。俺に向かって何か意見するでもなく、こうすべきだと強制されるでもなく、ただ傍に居て甘やかしてくれる。
火神は俺を「甘えるのが下手なんだろ?」と言う、それは自分でも自覚があるし間違ってないと思う。けれど、そう言うお前だって同じだろと言いそうになって毎回、言葉を詰まらせてしまう。
俺は日本語が得意じゃないらしい。
火神の使う意味分かんねえ敬語とか、そういう苦手とかじゃなくて、自分の思ってる事を口にする事が苦手なのだ。この国の奴だったら誰だってそうだろ、と言われればそうだけど、でも人よりもずっと何かを伝えるのが下手だなとは思う。
よくテツは俺に「必要な言葉が足りないんです」と言った。でも言葉が足りないと言われてもどれくらい何が足りてないのか分からないから、どうすればいいのかすら分からない。そしたらアイツは「本でも読めばいいんじゃないですか?」と呆れたように言ったけれど、借りた小説は読み始めて三ページ目くらいで爆睡してたからよく覚えてない。
馬鹿だって言われても、そうだとしか返事できなくて。言葉が足りないと言われても、誰かに理解されたいとも、俺を理解できるとも思ってなかったからどうでも良かった。同情されるのだって惨めで嫌だったし、そもそも俺に同情なんて必要ないだろと切り捨てられたらそれまでで。とにかく、俺という存在をどう見せてやればいいのかずっと悩んでいた。
強がって作り上げた自分を保つのに必死で。その顔を使って、周りから嫌われる事だけを目指して生きてきた。
不器用でもなんでも、とにかく俺は自分の持ってるだけのパーツで「青峰大輝」という存在を演じ続けた。
人が思う青峰という存在を、演じなければならなかった。そうしないと、俺は俺でなくなってしまいそうだったから。
でも、火神はそんな俺に「無理しなくて大丈夫だ」と初めて言ってくれた。
俺の演じている青峰を辞めてもいいと、初めて言ってくれた。
そして、その下に居る俺を抱きしめてくれた。
「俺も一人だからさ」
なんて寂しそうに笑う火神に感じたのは、自分とは違う見せかけの強さで。ああ、コイツも誰かに対して「火神大我」を演じて見せてるのか、なんて思った。
だから、俺の前ではそれを下ろしてくれればいいと、声には出さないでただ抱きしめる。
甘えるように縋り付いて、コイツが二度と離したくないと思ってしまうくらいに傍にあればと、そう願ったのだ。
コイツの人の好さと、甘さにつけこむようにして、俺はこの心を埋めて欲しいと望んだんだ。
だけど想像していた以上に、俺の心に空いた穴は広くそして深かったらしい。
日に日に強くなっていくアイツへの思い。
その存在を求める欲が強くなっていく。新しいアイツを見るたびにあれも欲しいこれも欲しいと、小さな子供みたいにふつふつと湧き上がってきて止められない。我儘を聞いて、抱きしめて、微笑んで、傍に居てくれればそれだけで満足だったはずなのに。段々とそれだけでは物足りなく思えてきて。
ついには火神が欲しいと思い始めた。
この辺りから、自分が持っている感情の異常さには気が付いてた。
アイツが欲しい、それも片時も傍から離れてほしくないくらいずっと隣に居てほしい。
胸の中で膨らんでくるこの感情が、苦しくて熱くて、でもアイツの傍に居る時はそれがやけに甘く疼いてきて。
ああ、これが恋ってやつなのか……なんて他人事みたいに思った時には、もう手遅れで。俺はとっくに沖まで流されて戻れないところまで、深みにハマっていた。
それくらい好きだった。
初めて、心から人を好きだと思った。
「愛してる」なんて言葉で足りないくらいにただ火神が好きで。それだけが頭の中を占拠しだして、もう耐えられなくて。アイツも俺を好きで居てくれれば、なんて事まで考え始めた。
そんなの無理だって分かってたけど、俺だけの事を考えてくれたらなんて思って。でもそのために何をすればいいのかは全く分からなかった。
俺が望んだものは全て与えてくるけれど、アイツが欲しいものが分からない。
そんな疑問ばっかりがグルグルと頭の中を彷徨って、一つの解答に行き着いた。
アイツにこれ以上ないってくらいの快楽を与えてやれたなら、どうだろう?それこそ、俺を離したくなくなるくらい夢中になるような、そんなものを。
試合の興奮よりも強く、勝利よりも中毒になるくらい甘い、そんな……。
趣味だと言っても、もうすっかり興奮する事もないグラビアをただぼーっと眺めて、考えてた事は一つ。
「火神と、セックスしてぇ」
呟いてみて、すぐに馬鹿だと切って捨てた。
いつもみたいに、甘えた声で呼びかければ火神は求めには応えてくれるかもしれない。だけど、それは彼が俺に与えてくれるだけで、俺は何も彼に与えてはいない。抱く方であろうが抱かれる方であろうが同じだ、火神が俺を望んでくれていない限り、これは俺の我儘になる。独りよがりの勝手な感情だ。
きっと火神はこんなの望んでない。
嫌いだって拒否する事はないだろうけれど、俺の思う好きをアイツは持っていないだろう。同情で傍に居てくれるんだと知ってしまう事が嫌だ。
たった一言を言うのが怖い。
「火神、好きだ」
本当の気持ちを告げて、アイツから拒否されたら。俺はもう生きていけない。
巨大な気持ちを抱えたまま、宙に浮いた足を付ける場所を見つけられず、ただただ首だけが締まっていく。
だというのに、火神はいつでも俺の望みに嫌な顔を見せずに応じてくれた。
どんな願いを言っても、優しく笑って聞き入れてくれる。
だからだろうか、どこまで認めてくれるか試してみたくなった。
「火神、キスしたい」
そう言ったら流石に驚いたらしく、目を見開いたけれど。しばらくして優しく微笑むと「いいぞ」っと言って、額に柔らかく唇で触れた。
嬉しくなって「もっと」と強請ると、嫌がる事なくまた与えてくれる。
そういや、コイツは帰国子女だった。キスに対する抵抗はもしかしたら低いのかもしれない。もしかしたら今までの過剰なスキンシップだって、なんて事はないものとして、コイツの中で処理されてしまっているんだろうか。そう思うと、何だか怒りが湧いてきた。
火神に触ってきた奴等を全て、許せなくなるような……そんな身勝手な逆恨み。
その時、無意識に怒りで突き出していた俺の唇を火神の指が撫でた。ふわりと笑う余裕みをせる相手に、腹の底にあった嫉妬の矛先が向き、なぞる指先を口に含む。
この指を喰ったらどうなるだろう?火神の体が、俺の体内で溶かされて、血と肉に変わって。そうしたらいつでも、何処でもコイツが側に居てくれる……それ、悪くないな。
ああ、でも駄目だ。コイツの体を喰ってしまったらもう一緒にバスケ出来なくなるし、火神の手料理も食べられない、こうやって俺の事を抱き締めて頭を撫でてくれなくなる。それは嫌だし、火神だってきっと辛いだろう。やっぱり、傍でずっと抱き締めてくれる方が幸せだ。
そう思っていると、ふいに口の中から指先が引き抜かれた。そして悪戯っぽく笑いかけて、俺の唇に火神の唇が重なった。
一瞬だけ触れて、ちゅってやけに可愛い音を立てる。意味が分からなくて、頭がぼーっとして、体が熱くてクラクラした。
その後で、これがファーストキスだって事に気付いた。
触れるだけですぐに離れてしまったから、味とかは分からなかったけど、でも胸一杯に満たされたものにそんなの構ってられなかった。この瞬間だけはきっと、俺が世界で一番幸せだって声を上げて言える。
誰よりも一番好きな相手から、抱き締められて、キスされて、そして相手も本当に幸せそうに微笑んでる。
「ありがとう」
頭がぼーっとしながらも、なんとかそれだけは口に出来て。そしたら火神は微笑んで、もう遅いから寝ようかと言った。暗闇の中で、相手の胸に頭を預けて、そしたら頭を撫でてくれて、手を繋いだまま目を閉じる。
こんな幸せでいいのかよ。
その日はもう何も考えられなくて、穏やかに眠りの中に落ちていった。
火神が欲しい。
キスなんていう恋人同士の甘い触れ合いを知って、余計にそう感じるようになってしまった。満たされない飢餓感を抱えているかのように、火神という存在を求めて止められない。
その体も、心も全てが欲しい。俺の知らない場所で、俺の知らない顔を見せているのではないかと思うと我慢できない。アイツの全てがこの手の中にあればいいのに。ずっと傍に居たい、片時も離したくない。
でも同時に、その体一杯に自由を抱えて笑う火神が好きだ。特に、バスケのコート上に立つアイツは最高だ。敵も味方も関係ない、あの場所に立ち、あそこで自分を主張するその存在はきっと誰もが目を奪われる。夢中になれる。真っ直ぐに見つめる強い視線は、そこに立つ全てを見ながらも常に求めているのは一点だけ。より強く、よりその体と闘志を燃え上がらせてくれるような存在。
あそこに立つ火神は、貪欲な獣のように牙を剥いて餌を求めているというのに、対峙するこちらからすると、その闘志に燃えた姿こそが、最高のご馳走に見えてくる。
あの目を独り占めできた時、全身が言い知れない快感に打ち震える。あれを独り占めしたいと考えるのはきっと、俺だけじゃない。敵も味方も関係なく、虜になってる奴は居るんじゃないか?
なあ火神、お前が欲しいんだ。欲しいんだけど、俺が欲しいものは何だ?
ライバルとしてかけがいのない存在ではあった、でもそれだけでは収まりが付かない。火神という全てが俺のものであればという欲求、これは何だ?本当に恋という言葉で片付けてもいいのか?小さい子供みたいに、ただ誰かに愛されたいというだけの我儘が行き過ぎているだけではないのか。
甘やかしてくれる相手の幸せを願うのに、彼の事が分からない。理解したいのに、相手の心に触れる事を恐れている。
自分の中にあるごちゃごちゃした物を考えないように、それでいながら心の中に空いてる穴を埋めるように、アイツの熱を求める。触れている間は心が満たされる、何も考えなくていい。それに火神だって幸せそうに笑うから、これでいいんじゃないかと思ってしまう。
だけど少しでも離れると、もう駄目だった。心に巣食っている欲望なんて名前の獣はすぐに腹を空かせる。
自分の部屋のベッドで横になりながら、アイツの感触を思い出しながら手を握り締める。利き腕が変わったかのようにぎこちなく軋みを上げて曲がって、完全に拳を作る前に隙間ができて止まった。
体に宿った熱を持て余して、どうしたら良いか迷っている。どうすれば良いのかは分かっているけれど、それをするのが嫌なのだ。でも、処理してしまわなければ結局、高ぶった感情のまま眠りについてからアイツを汚してしまうんだろう。
「火神」
名前を呟いて、緩く右手を自分の性器に伸ばす。するりと撫で上げながら思い描くのは、ホットミルクみたいに全身へ染み渡っていくあの笑顔。ハチミツ入りの柔らかな手が皮膚を撫でて行く時の感覚を思い起こして目を閉じれば、腹の底からこみ上げてくる充実感に頭が痺れてくる。
一瞬、真っ白に塗り潰された思考の先には確かに俺の好きな相手の顔がある。
吐き出されたばかりの精液で汚れた右手を見つめ、錆びついた人形のようだと思う。指先から始まって、腕から全身へと歪みが伝わっていって、ズレた俺が端っこから崩れていってしまいそうな、そういう不安定な気味悪さの正体は。多分、同情してくれてるアイツへの、罪悪感。
見せかけの自分を止めて、本心で向き合っても良いのだと包み込んでくれる相手を、それでも俺は裏切っている。
こんな俺を、見せられるわけがないだろう。部屋に漂う臭いに顔をしかめて、窓を開けると息を吐いた。
目を覆う痒みと熱い頬にひりつく痛みに、声もなく泣いているんだと気付いた。
「ごめん、火神」
泣くくらいなら、こんな事をしなければ良いのは分かってる。でも、止められない。俺の中に巣食ってる何かを止められない。
ただ、アイツが居ないだけ。
アイツが傍にいないだけ、それだけなのに自分を保っていられない。感情の制御ができない。
触れている間はそれだけで満足している、いや満足しているんだと思い込ませようと必死なのかもしれない。そうでもしないと、暴れ出した俺の欲で本当にいつか汚してしまいそうで。接触した時の幸せが、離れている時には酷くこの体に穴を空けていって、どんどん足りなくなって穴を埋めようと求めて、欲だけが増幅していく。
瞳の裏で見たいと願うのもまた、アイツの笑顔。俺を見るその目が、愛おしいものを見るように暖められているから、本当は俺の事好きだったりしないかな……なんて毎回、思ってしまって。
暴れ出しそうになるんだ。
「火神、好きだ」
もう耐えられないかもしれない。
気が付けば、毎週末は火神の家で過ごすようになっていた。
そして泊まりに行くと、キスして一緒のベッドで眠るのが当たり前になっていた。
「火神、キスしよう」
だから今日も寝る前に優しく触れてほしいとお願いしたら、いつものように笑ってアイツは俺の隣りに座ると、唇を重ねてくれた。この間から、どうも火神に触れたいという欲求が強くて、いつものキスだけで何だか満足できなくてもっと、もっとと欲していると、火神はそっと俺の唇を舌先で舐め上げた。
その瞬間、俺の中で抑えつけていた何かが目を覚まし、一口で俺を飲み込んだ。
挨拶や触れ合いだけでは済まされない、より強い熱と甘さを持った深いキスに全身が打ち震える。
もしかして、火神は俺を求めてくれているんだろうか?そう思って、こちらからも舌を差し入れてその咥内を塗り潰すようになぞりあげると、フルッと体を震わせて弱い力で俺に縋り付いてきた。
その肩を抱いて、ゆっくりとベッドに押し倒し、彼の上に乗り上げた所で口を離した。こっちを見つめる顔は赤く、普段は優しく見つめる瞳がゆらゆらと熱と涙の幕で揺れているのを見て、表面に居る俺が声をあげた。
「火神、セックスしよう」
声に出してから、何を言ってるんだと自己嫌悪に陥る。
告白もしてないのにこんな事、許されるのかなんて腹の底に居る俺が声を上げていたけれど、そんなのは、目の前で起きてる事の前では無意味だ。
もう止められない。
なあ、火神。
止めないお前は、俺を望んでくれてるんじゃないか?
「俺とシタいのか?」
恐る恐るといった具合に相手が尋ねる、不安げな顔を見下ろして正直に「お前がいい」と答えた。
すると火神は迷う事もなく。
「いいよ」
と、いつもの俺が甘えた時に見せる笑顔で、ただ受け入れてくれた。
独りよがりの汚染された欲に塗れた俺が触れてはいけない、そう思っているのに、受け入れてくれたその手を離す事もできなくて。下から見上げる相手に微笑みかけて。せめて、何も見えないくらいに溺れてくれればいいのにと思いながら、俺から火神にキスした。
いつも火神が俺にしてくれるように、優しく相手の体に触れる。
しっかり鍛えられた肉体は、手の中に確かな弾力と熱をもって存在していて。瞼の裏だけの微笑みは今、頬を赤く染めて目に涙を溜めて不安げに見つめていて。
「火神、キモチイイか?」
触れた手の下で心臓が跳ね上がるのを感じつつ、そう尋ねると、相手は声もなく何度も頷く。
本当、だろうか?俺はちゃんと、火神を気持ち良くできているんだろうか。本当は何とも思っていなかったりしないだろうか、俺との触れ合いなんて空気みたいなもので。普段、自慰行為をする時と同じだなんて、思ってないだろうか。
今ここで触れているのは、俺なんだって意識がコイツにはあるんだろうか?
分からない。
繋がってみたら、それも変わるのか?
怖々と触れていた火神の中へ、指を差し入れてみる。途端に顔を歪める相手に「痛いか?」と聞くと「平気だ」と無理に笑って返ってきた。
「触った事なんて、ないから……変な感じするだけ。いいから、続けてくれ」
そう話す火神にちょっと頷いて埋めた指先を更に奥へと進ませる。押し入るのを拒絶するように締めつけてくるのは、本当に触れた事がないからなんだろう。言われなくても分かるくらいに、とても狭くて。内壁を擦る様に推し進めるために、肉の感触がよく伝わってくる。
ゆっくりと傷付けないように中を押し広げて、解して行く。押し開かれるその感覚に慣れないのか、眉間には深い皺が刻まれている。早くなんとか楽にしてやりたい、その一心で、行為を進めようと指を引き抜いた。
「挿れる、ぞ?」
そう声に出して言うと、覚悟を決めたように一回だけ頷いた。
短く息を吐きながら、相手の中に押し入っていく。
火神の中に俺がいる。
大好きな火神が俺の物になった、そう思った瞬間。体内にある性器だけじゃなくて、それこそ全身が火神に飲み込まれてしまったみたいに悦びに震えた。
火神は俺をどう思ってるんだろうか?
痛いくらいに締めつけてくる相手の顔を見れば、苦しそうに歯を食いしばって耐えているようだった。あまりにも苦しそうなその表情に、早くも後悔の波が襲い来る。
「切れるだろ?」
強く噛んでいるその口を手で優しく離してやり、血が滲んでいる唇の端を舐め上げると。相手は少し身を捩って悩ましい声と一緒に熱い息を吐いた。
「なあ火神、キモチイイか?」
不安になってそう尋ねると、涙目になりながらも火神は頷いてくれた。
その顔に、俺の不安は更に増す。
引きつってる体、血の気の引いた顔、目に浮かんだ涙は羞恥や熱のせいじゃなくて、もしかして痛みと気持ち悪さのせいなんじゃないのか?
本当の事、教えてくれよ火神。
「青峰、俺の事気にしなくっても。お前の好きにして、いいから」
悲痛な顔で火神は告げる。
「でも」
違うんだ火神、俺はお前に求められたいんだ。
俺を喰い殺すくらいに、溺れて欲しいんだ、だから……。
俺が欲しいって、言ってくれよ!
泣きそうな俺に、火神はただ優しく笑う。
そして……。
「いいから、好きにしてくれ」
俺は一瞬で殺された。
火神は優しい。
お人好しで、誰にでも甘くて、馬鹿で鈍感で抜けたところがあって。でも純粋で真っ直ぐで、そういうところが凄く可愛いと思う。
でもその癖に妙なところが大人で、変なところで鋭くって。そういうところは、やけに寂しい奴だなって思う、それと同時に放っておけないとも思う。
だって、コイツは変なところに壁がある。全てを晒しているように見えて、見えない壁の内側には人を入れない様に気を配っている。
そんな気がした。
確証はない、ただ自分と似ていると呟いたアイツの顔を見て、そんな風に思っただけ。
だったら、お前がそうしてくれるように。俺も、吐け口になれないかとずっと思っていたし、それを望んでいたんだけど。
思い知らされた。
アイツは俺の心に触れる事で壁を壊してくれたけれど、俺にはアイツの心を壊す力なんて持っていない。
開けて欲しいとドアを叩く、母親から締め出された子供みたいな気持ちで、声もあげずに甘えるだけで。その先に踏み込む力は持っていない。
俺は求められてない。
不安そうに声をかける相手の顔を見ないように、裸のままの彼の腰に抱き着いて、強くでも労わりの気持ちをこめて抱き締める。
ごめん、と一言謝れば、彼はまた笑って俺を甘やかすんだろうか?
しょうがない奴だなって、頬にキスしてくれるんだろうか?
もし、そうならそんな事はしてはいけない。
俺は火神に許されちゃいけないんだ。
「青峰、どうした?」
何も言わない俺の髪を、火神の手が優しく撫でる。
どうして、お前はこんな事をした俺に触れるんだよ?こんな汚れた奴に、平気で触れるんだよ?
「青峰、なあ何か言ってくれよ?何で、途中で止めるんだよ?」
その問いかけに顔は上げずに、泣くのを堪えながら「だって」と呟く。
「良くなかったんだろ?」
そう言ったら、ビクッと体が一瞬だけ強張って、すぐに「そんなこと、ないぞ」と否定の言葉が降ってきた。
お前って、嘘は下手なんだな。
「嘘言うなよ。っていうか当たり前か、男に突っ込まれてイイわけないよな。悪い」
お前が甘やかすから、無理をさせてきた。
顔はあげないまま、ぎゅっと抱き着いた腕に力をこめる。すると優しい手は誘いかけるように俺を撫でる。
「なあ、もう一度やろうぜ?今度は大丈夫だから」
誘いかけるその声は、多分、俺を気遣って出てきているんだろう。
だから、緩く首を振って答える。
「いいよ無理しなくても、こんな事してもお前を傷つけるだけだ……だから、もう止める。今までごめん」
ようやく言えた謝罪。それと同時に、死んだように重くなっていく体。
内側から俺が呼吸を止めていく、ようやくこの汚い感情を抱いた獣を絞め殺せるんだ、いいじゃないか。
もう俺の我儘からは解放するから、お前は本当に自分を大事にしてくれる相手を探せばいい。
本当にお前の心を預けられる誰かに、大事にしてもらえばいい。
それが俺だったなら、なんて幻想……もう捨てるから。
今日限りで、この腕も離すから。
俺を好きにならなくていいから。
今だけ、もうしばらくこのままで居させてくれ。
「すきだから」
頭の上から振ってきた言葉に耳を疑って、勢いよく起き上がって、ただ茫然と相手を見つめる。
「何て?」
違う、今のは聞き間違いだ。絶対に違う。
火神が俺を、好きだなんてそんなはずがない。
でも顔を上げて見た相手は、置いてきぼりにされた子供みたいな、痛々しい顔で俺を見つめていて。俺に似てるって言葉が、じわじわと胸に広がった。
「お前が好きなんだ、だから、お前の好きにしてくれればいい。俺はそれで満足だから」
言い切ると、後悔したみたいで顔を伏せてしまった。
真っ赤になって涙を耐えながらも、受け入れられなかった事を後悔して。今、火神は凄く苦しんでいるんだろうか?
俺が触れても、いいのか?
そっと腕を伸ばして抱き寄せる。普段とは違って、この体で受け入れるように相手の全てを包み込むとうに、抱き締める。そうすると、密着した肌の向こうで恥ずかしそうに火神の体が震える。
「おれも、すき」
顔を埋めた相手に向けて、震える喉で告げる。
ずっと言いたかったんだ、否定される事しか頭になかったから、言えなかった言葉を。
「嘘だろ、青峰……」
「嘘じゃない!俺は」
「お前は優しいから、俺に同情してくれてるんだろ!そうでないと」
違う、優しいのはお前だ。
こんな酷い俺を見捨てないお前が、痛いくらいに優しいんだ。
涙目になって叫ぶ相手を落ち着けるように、そっと撫でる。
そうしたら、ゆっくりと呼吸を整えて「なあ」と小さな声で呟く。
「青峰、本当のことを教えてくれ」
「お前の方こそ教えてくれよ、俺が好きなんだろ?なのに、信じてくれないのか?」
信じてくれよ、俺はずっとお前が欲しかったんだ。
声に出せない臆病者ではあるけど、でも確かにお前が好きなんだ。
信じて欲しくて視線を合わせようとするけれど、それから逃げるように火神は顔を背ける。
こっち向けよ、何度でも言ってやるから、なあ?
「信じられるかよ、俺の我儘につき合わせてきたのに」
お前の我儘?何だよそれ?そんなの一度も聞いた事ない。
「我儘なのは俺の方だろ。お前、何も言わなかったし。お前は、俺の欲しいもの全部、与えるばっかりだ」
そう言ったら違うと火神は否定した。涙を一杯ためた目で俺を見つめて、それは違うと。
「俺は狡いんだよ、お前の弱い部分に勝手に入り込んで、理解してるふりして近づいて。
俺だけがお前を分かってやれる、そう思い込んでくれれば、俺の傍から離れいかないんじゃないかな、って思って。
お前が欲しいものを、全部あげれば俺のものになったりしないかなんて思って。勝手に、お前を俺のものにした気分になってたんだ」
気付いていなかった。
お前が欲しいものは、もう全部、この手の中にあったのに。その価値にも気付いてなかった。
火神、本当にお前はこんなのが欲しいのか?
「ごめんな火神、俺はお前のこと分かってなかった」
もっと最初に言えば良かったんだな。
好きだって言えば良かったんだな。
後悔と同時に、胸の中にほろ甘く広がっていく温もりに包まれて、死にかけていた俺が息を吹き返すのを感じた。
こんな俺でも、お前は欲しいって言ってくれる?
「ずっと欲しかったんだ、お前のこと。お前が優しいから、ずっと甘えて、俺を守らなきゃって思ってくれていれば、これから先もずっと、傍に居てくれると思ったんだ」
俺を変えたのは、お前がそれを望んだから?
だとすれば、上等だ。
いくらでも俺はお前のために生きてやろう。
「もう止めようぜ?俺はもう、お前が居なきゃ生きていけないんだ」
もう、お前がいない世界なんて考えられない。
「俺だって、お前の傍に居れたらってずっと思ってたけど……でも!」
「だったら、もう止めようぜ。お互いに好きなんだから、これからは正しい形で向き合おうぜ。そうしよう火神」
そう言うと、目から大粒の涙を零しながらも火神は今までで一番綺麗な顔で笑って、何度も頷いてくれた。抱き締めていた温もりを、二度と離すものかと誓って。
幸せだと思いながら、縋り付く火神の唇に甘やかすように触れるキスをした。
離さないから、離れていかないでくれよ。
一人にしないから、置いて行かないでくれよ。
お前が居なくちゃ、息をするのですら苦しいんだ。
お前が、居ないと……。
すみません、予定の場面までたどり着かなかったんですけれど、予想よりも長くなったのでこの辺で一回切ります。
2012年12月15日 pixivより再掲