俺のすぐ隣をひょいひょいと付いて歩いてくる赤い毛を見つめて、ちょっと微笑みかけてしまう。そういえば、こういう実体のある式神を持ったのは初めてだった。
生き物は面倒だし、植物は季節によっては使い物にならない。
だから俺が普段から使う式神は紙を切って作った人形ばっかりだ。
だがコイツは特別に気に入った。
まず面白い。妖や鬼を喰う猫又なんて、まずそんなに居ないだろう。
そして性格も気が合いそうだ、勝気でどこか真っ直ぐで。
虎に化けるのが得意らしいが、その姿も中々様になっていて式神として連れ歩くにしても格好が付くだろう。
何より利害が一致している。
もし、難があるとするならば雄だった事か。これで可愛い女の子だったら文句無しなんだが、コイツなんて化け猫なんだから、見た目がいまいちだった時は俺好みに変化させればいいだろ。
やっぱり、どう転んでも利害は一致している。
これ以上無い拾い物だと上機嫌で家に帰って来た。
「ここが俺の家だ、お前も今日からここに住め」
門を開けてから猫を腕の中に抱きかかえ、命令するつもりでそう言う。
「分かった、つーかお前の他に家族いねえんだな」
どうやら鼻を利かせて、家の中の匂いを嗅ぎ分けて調べたらしい相手に、俺は流石に苦笑いする。
「悪いが、陰陽師の家なんざ気味悪がって人が寄りつかねえんだよ。お前の世話いてくれそうな使用人もいねえから、自分の身の回りの仕事は自分でしろよ」
「それくらいできるっつうの、っていうか一応は住まわせてもらうんだ、できる限り家の仕事はするぞ」
そんな発言をする猫に、俺は流石に驚いて目を見張った。
「おいおい、お前みたいな山育ちに人の家の事なんざできるのか?」
すると腕の中から俺を睨み返すと、「家猫だって言っただろうが」とちょっと牙を剥いた。どうやら山育ちと馬鹿にされたのを怒っているらしい。
可愛い奴だなと思いながら、戸を開けて家の中に上がる。そこら辺に置いてある人形を使って戸を閉めさせて、俺はいつもの縁側に向けて歩く。
そうだ、折角帰って来たんだからコイツの人型がどんなものか見てみたいな。
「おい火神」
さっき名付けたばかりの名前を呼ぶと、猫は「なんだよ?」と首を傾げる。
「お前、人の形を取ってみろ」
さてどんな山男が現れるのか、それとも荒武者だろうか?まあどちらにしろ面白そうだと思いながら、腕に抱いていた猫を床の上に下ろしてやる。
「人型でいいんだな?」
「おう、早くやれ」
命令するとちょっと頷き、縁側から庭へ向けて高く飛び上がった。
すっと月に照らされて影が伸び、形を変えて庭の土の上に降り立った。
「…………あっ?」
「何だよ、人型なれって言ったのはお前じゃねえか」
確かに言った、言ったもののこれは予想外だ。
月の光を浴びてそこに立っていたのは、背が高く色の白い随分と美しい男だった。
赤く燃えるような髪は下の方にいくほど黒く変化し、虎のように鋭い目とまた火のような熱を感じさせる瞳が印象的だ。着ているのは紅の衣、腰には銀の太刀を下げている。
雅な貴族の子息だと言われても、名のある武士だと言われてもなんとなく頷ける、不思議な風貌だ。
というか、京でも中々出会えないくらいに良い男だった。
思わず言葉を失う俺に対し、火神は不思議そうに首を傾げる。その仕草はさっき腕の中で見せたものとそっくりだ。
よし、さっきの考えはとりあえず取り消しだ。コイツは変化なんかさせなくっても充分に傍に置いて支障ない。
「火神」
「何だよ?」
「今日から家じゃその姿で居ろよ」
「何で!?」
「何でもだ、命令だからな!」
首を傾げつつも火神は了承した。よし、それでいい。
「なーんか、変な男に付いて来ちまったな」
「なあ火神」
「何だよ」
お前に聞きたい事は色々とあるが、まずはこれを聞くべきだろう。
目の前に並んだ、美味そうな料理の事を。
「お前、料理できたんだな」
「だから、出来るって言っただろ!」
そもそも恐らくは山育ちだろうと舐めてかかっていた、火神がここまで料理ができるだなんて全く想像していなかったのだ。
自分の身の回りは自分でしろと言った、しかし俺の世話まで頼みはしなかった。家の中に置いてる人形にさせればそういうものは問題無かったし、別に困っているという事はない。
だから初日、火神は家に居る間はする事が無かった。
勿論、仕事があるので内裏にはこっそり付いて来た。俺の傍で昼寝しているか、気に入ったらしい庭の松で昼寝しているか、そのどっちかだったが。邪魔にならないようにと気を利かせてくれてるのがまた可愛くて仕方ない。まあ、この時は猫だからな。見た目にも癒されるし、可愛いとか思っても変じゃないだろ。
だからその日帰ってから、家の仕事も任せろと人の姿に戻ってみつかれた時は流石に焦った。
「そんな所で無駄に力使ってんなよな、もしもの時に力出なくて困ったらどうする?」
どうやらここでもまた心配してくれたらしい良く出来た式神は、明日の朝飯は自分が作ると主張しやがった。
いや、そんなに俺の事を気遣ってくれるのは嬉しいが、お前が無理しないか心配だ。
だがここで「テメエが作ったものなんか食えるのか」と切り返したのに腹が立ったらしい。
火神は本気だった。
しっかりと整えられた膳を前に、流石に俺も焦った。
「火神」
「何だよ?」
「やっぱ、これからお前が飯作れ」
どうしよう、めちゃくちゃ美味い。
俺がしっかりと箸を進めていく姿を見つめ、火神は「そっか」と言って笑った。
畜生、結構笑った顔が可愛いとか思ってねーぞ。
「貴族の家なんかに下人として忍び込んで、飯炊きの仕事とかしてたからな。料理は得意だぞ」
「はあ?何でそんな所で仕事してんだよ」
「だって、そういう所ならいるだろ。鼠が」
そう言われた瞬間に思わず箸を取り落した。
ああそうだ、コイツは何だかんだ言って本質は猫だ。確かに飯炊きの場所に居れば、上手い事餌にありつけるだろう。
しかし、鼠か……。
「火神」
「何だよ?」
「今度、行商人から良い魚を大量に買って食わせてやる」
決めたコイツ、俺の元に居る間はそこそこいい暮らしさせてやろう。
「つーか俺も腹減ったんだけど、化け物喰う仕事まだかよ?」
「そうだ、火神」
「何だよ?」
「お前な、俺と二人の時とか猫の時は別にいいけど。人型で人前に出る時はな、せめて俺や相手に敬語使えよ」
歩きながら俺は火神に言う。隣に居る火神はそれを聞いて首を傾げた。
「敬語って何だ?」
「あー、なんつーの?ご主人様に対して丁寧に喋れって言ってんの」
「ちょっと待てよ、誰が誰のご主人様だよ!」
「お前な!世間的に見れば、お前は俺の飼い猫だろうが!飼い主に対してはそれ相応の態度で接してないと、周りの人間は変に思うだろうが!」
振り向いて怒鳴り返すと火神はきょとんとしてから、何事か納得したようだった。
「そっか、人間ってめんどうなんだよなあ」
なんて呟いている辺り、なんとか理屈は理解できているようだ。
良かった、依頼人の家にたどり着く前に気付いて。別にコイツに人型で来てもらう必要はないんだけど、なんつーか面倒な相手だからそれなりに体格の良い男を連れている方が、まあ迫力も増すんじゃねえかと思ったので、わざわざ連れて来たのだ。
何せ火神は見た目はどこかの名のある武士のような風貌をしている、腰に下げた銀の太刀は、後で聞けば自分の爪の代わりなんだと言う。あまり抜く事はないそうだが、人であれば充分に対応できるらしい。
それはいい、と思って脅しも含めて人型にしたものの。やっぱり火神は目立つ。
これで物言いがおかしいと、相手の牽制どころか威嚇になってしまうかもしれない。
俺はそれでも構わないけれど、それで仕事が面倒になったらやっかいだ。
「それじゃあ、えっと……これから行く家だと、俺はけいご?を使った方がいいんだ……すよね?
えーと……その、ご主人様?」
首を傾げてちょっと照れ気味に言われた瞬間に、足を止めて振り返ってしまった。
お前、ちょっと……それは、駄目だ。
何かもう、絶対に駄目だ。
いや正しいけど、本気で正しいけど。
「火神……」
「何だ、ですか?」
「やっぱりお前、猫になれ。それで俺の肩に乗っておけ」
「何でだよ」
「……んな、変な言葉で喋られたらこっちがやり辛えだろうが!」
嘘だ、本気でご主人様に慣れなかっただけだ。
つーか、俺は何なんだよ本当に。
とりあえず猫、しかもわざわざ子猫に変化させた火神を肩に乗せて依頼人の下へと急ぎ足で向かった。
「お前がご主人様だって言ったんだろうが、変な奴」
「なあ、青峰」
「何だよ?」
「お前さ、寒くねえの?」
そう尋ねてきたのは、夜寝る用意を進めている時だった。
寝床の用意と言っても、枕を出して薄衣を引いただけの床を見て火神は不思議そうに言う。
「なんかさ、人間ってよくそんな場所でそれだけのもので眠れるよな?絶対に寒いだろ」
「んな事ねえよ」
「だってさ、毛皮も纏ってねえじゃん。寒くねえの?」
いや、そりゃあお前達に比べたら人間は毛深くはないだろうけどな。だからって言っても、平気なものは平気だ。
「そうだ!一緒に寝てやろうか?」
良い事を思いついたと、顔を輝かしてとんでもない事を言い出した。
「はあ!?」
いや待て、同じ床で眠る意味をお前は分かって言っているのか?
それはな火神、人間に対してはあまり簡単に言うべきではないと思うぞ、な?
「俺ってこれでも火の眷属だから、結構あったかいんだぞ、ほら」
そう言って両手を被せてくる、ああ、うん。確かにあったかいな。
「だから一緒に寝てやるよ、お前が病になったら俺も飯にありつけないしな」
まあ確かにそうだろうけどな火神、そう言ってするりと横になった俺の隣に入って来るな。これはもしかしてあれか、もういっその事やってもいいって、そういう合図なのか?
よし、そういう事だな!
「おい火神」
ちょっと低い声出して呼びかけてみる、背中撫でてやろうと手を伸ばしたところで。俺の手は空を切った。
おかしいな、どういう事だ?とよく目を凝らしてみると、暗闇の中で見開かれる二つの赤い目。
「何だよ?」
「お前……何で猫になってんだよ?」
「はあ?何で人型のままお前と寝ないと駄目なんだよ?猫だと懐温めるのに丁度いいだろうが」
そういう問題じゃねえ、そういう問題じゃねえんだよ火神。
ここはあれだろ、ご主人様の夜の伽もしてあげちゃうよ!っていうようなサービス精神の見せどころだろ、っていうかそのつもりじゃなかったのかよ!お前、本当に何なんだ?
「ほら早く寝ろよ、明日も早いんだろ?」
そんなつぶらな瞳で見つめるな、なんつーか罪悪感が湧きあがってくるだろうが。
「はあ……おやすみ火神」
「おう、おやすみ青峰」
そう言って俺に擦り寄ってくると、喉を鳴らして眠る猫に俺はまた溜息を吐いた。
なんつーか思ったよりも逞しく、美人で、よく出来た、可愛い式神を拾ってしまった。
「これからマジ、どうするかな……」
平安時代って、既に男色とか容認されてたそうですね。
紫式部の日記にも「どんなイケメンだって、それ相応の男連れてないと寂しいんだよね!(かなり意訳)」的な発言があるらしいですね。これ知った時に「そうか紫式部も実は腐女子か」とか一瞬思った自分を、国文学者の皆様は殺しにかかっていいと思う。
まあ、そんな事は置いといて。
だから青峰が火神見て「コイツ美人だラッキー」とか思ってても、まあいいんじゃね?とか思ったわけです。
夜とか「添い寝するわ」ってなったら「じゃあ頂いてもいいんじゃね?」とか思ってもいいんじゃね?と考えたわけです。
2012年9月8日 pixivより再掲