共犯者・5

とろとろとした心地いいまどろみの中に包まれて、すごく心地よくて、このままでいたいなって思ってた。
なのにそれを邪魔するように体の上を何かが這っていく。気持ち悪いとかそういうのじゃなくて、くすぐったくてなんだか気恥ずかしいというか、眠りを邪魔するように弱いところを撫でていく。
「んん、ぁ。……はぅ!」
腰骨の辺りに触れられてビクッと体を震わせて目を開ければ、すぐ傍で面白そうに目を細めて笑う犯人の顔があった。
「Guten Morgen」
「え、ああ……おはよ、ございます。あの、ええっと」
素肌に感じるシーツの感触。寝ただけではここまで肌蹴ることはないくらい乱れた衣服に、昨晩なにがあったかを必死を思い出そうとする。

ゴーストさんが帰って来て、色々と俺と話をしてそれから、それから。
それから?

「昨日のこと覚えてない?」
自分めっちゃ可愛かったと言って俺の頬にキスをする相手に、ちょっと待ってと沸騰しそうな頭で叫ぶ。
「昨日の俺?ええっと、あなたに」
「ワイのことしか考えられへんようにしてほしい、ってえらい可愛くお願いするから、そうしてあげたんやけど……今からでも、思い出させてあげよか?」
そう言うと不穏な動きをみせる彼の手から離れるように勢いよく体を起こす。
「えっと、待って。それ言ったのは覚えてるよ?でも、それから?」
「縋りついてもっとして、もっとってお願いするきみ。めっちゃ可愛かったで?」
近づいて耳元で熱っぽく囁かれて顔が熱くなる、それはつまり、そういうことを。
完全に頭に熱が昇って、ぐるぐると同じことばっかり巡る。
どうしよ、どうしよう。
「……まあキスで落ちると思わんかったけど」
「へ、え?」
「嘘は言ってへんよ、キスでとろっとろの顔してもっとってお願いしてきたのはほんま。ただ、それ以上踏み込もうと思った矢先に、きみ寝落ちしたんよ」
よっぽど疲れてたんやろ、精神的なショックってやつかな?まあ気持ちよさそうに寝てるから、起こすのも忍びなくて、ワイも疲れてたしそのまま一緒に寝かせてもらったわけやけど。
「何も、してないの?」
「あー……それはどうやろな」
こちとら数か月レベルで我慢した挙句の据え膳なわけやし、全く何もしなかったかと言えば別かも、なんて言うのでまた体が更に熱くなる。
「何、したの?」
「さあね?ああでも、きみが今さっき起き抜けに想像したようなことしてもいいんなら、今からでも全然するで」
なにせまとまった休みをもろて、今日からしばらく暇やからなと笑う相手に、やめてくださいと涙混じりに訴える。
「そんな真っ赤になって、どんなやらしいこと想像したん?」
「やだ……やめて、やめてよぉ」
「ほんま、イジメがいあるわ。でもこれ以上やったらほんまに嫌われそうやし、ここらで許して?」
お願いと言われて、ちょっと顔を上げると困ったようにこちらを見つめる相手と目が合う。
恥ずかしくて今すぐこの場から蒸発したい気分なんだけど、そんなこと叶いそうにないし、無言のまま小さく頷くと、ありがとうなと頭を撫でてくれた。

片手が使えない状況っていうのは想像以上に不便だ。
そもそも枷が付いてるから、使えたところで不便なことには変わらないんだけど。
「あの、ゴーストさん。左手使えなくても、別に、食事くらいなんとかできるんだけど」
「やろうね。きみ想像以上に器用やし」
「だから、食べさせてもらう必要、ないんだけど?」
隣に座って二人分の食事を切り分け、俺に差し出してくる相手に大丈夫と言うけれども、彼は引かない。
「きみに食器を持たせたらどうなるかは、痛い程わかったからな」
害がないって判断するまで、絶対に持たせへんと断言される。
自分で蒔いた種なだけに、拒否もしようがない。仕方なく彼にうながされるままゆっくり食事を続けることになった。
慣れた手つきでナイフとフォークを使うゴーストさんを見つめて、やっぱりすごく綺麗な人だなと改めて思う。
髪も肌も陶器みたいに白くて透き通ってるし、銀色に光る瞳がまたよく似合ってる。こんな人が俺のことを好きだって言ってくれるのが、いまだに不思議で仕方がない。
「そんなに熱烈に見つめられると、ちょっと照れるんやけど?」
なんか顔に付いてると聞かれて、弾かれたようにごめんなさいと叫ぶ。隣に座っててずっと見てたら、迷惑だよね。
行き場がなくて膝の上で握り締めた手に視線を落とすと、嫌なわけじゃないんやってと耳に唇を寄せて言う。
「キスしてほしいんかなって、勘違いするやろ」
「えっ!あ、あの、それは」
「ほんまにしてほしかったん?なら遠慮せんけど」
「いや、ちが、違います、あの、ごめんなさい」
「冗談やって」
ほら口開けてとフォークに突き刺した野菜を前に戸惑う。この人、絶対にわざとやってるよね。 食事を終え、食器を片づけに行った彼を見送りゆっくりと息を吐く。
なんであんなこと言ってしまったんだろう?不安だから、寂しいから、色々と理由はあるんだけど。求められるのに嫌な気はしない。
嫌な気がしないって、すごくまずいんじゃないかって今更になって思うんだけど、実際そうなんだからどうしようもない。
そりゃあ過剰なスキンシップは苦手なんだけど、不思議と彼に触れられるのは嫌ではない。恥ずかしいというか、気まずいというか、俺みたいなのに触っていいのかなって迷いはあるんだけど。

抱き締められると落ち着くし、撫でられるのは幸せだなって思う。特に頭や背中に優しく触れてくれると温かくて離れたくないって思う。
じゃあキスはどうだったのかっていうと、すっごい気持ち良かった。
どんな風にってはっきり言えないんだけど、思い出すだけで頭がふわふわして、めいいっぱい快楽に包まれるような、そういう。
薄い唇が思った以上に柔らかくて、触れ合うと甘くて、息をするの忘れるくらい求めてて。
熱に浮かされた顔をクッションに埋めて、深く息を吐く。自分でわざわざ思い出して恥ずかしくなるなんて、バカみたいじゃないか。
なんで、どうして急にこんな、おかしいよ俺。

「なにしてん自分」
上から怪訝そうな声が降ってくるけど、とりあえず色々と頭を整理している旨をしどろもどろに伝えたところ、好きにすればいいけどと溜息混じりに返された。
そっと顔をあげると、離れた椅子に腰かけて読書を始めたようだった。ページをめくる音が響くたび、時間の経過を感じて少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
顔を埋めていたクッションを離して、彼からもらったドイツ語の教本を開いてみるけれど、大して内容が頭に入って来ない。気が付けば読書中の相手を盗み見ている。
昨日帰って来るまで、二週間は顔を合わせてなかった。そこにいるってことが嬉しくて、そわそわして落ち着かないんだ。
「なあ、そんなに気になるならこっちおいでや」
「あ、ごめんなさい、鬱陶しかったよね?」
「違うよ、近くに来てくれた方がワイが嬉しいってだけ」
ほらここおいでと隣の椅子を指示されて、しばらく迷ったけど、失礼してそこに座り直す。とはいえ特に何をするでもなく、相変わらず読書を続ける。俺の手の上に空いてる方の手だけ重ねて。
手袋を外した彼の手は白さの際立つ、綺麗な指をしている。こちらを見ずに、手の甲を撫でていく指の感触にくすぐったさと胸が熱くなるような不思議な感覚を覚えつつ、隣で涼し気な顔で読書をする相手を見る。

「どうしたん?」
「俺に触って平気なの、なんでかなって。言ったよね、俺、暗殺とかに使われてきたって」
くすぐったいけど、心地よい。その反面、なんだか申し訳ない気がするのは、彼を汚していってるような気がしてならなくて。
「別に、ワイは現在進行形でそうやし」
前に自分も見てるやろ、街中の汚れ仕事はワイの仕事なんよと溜息混じりに彼は言う。
「影が薄い、存在感がない、だから人に近づいても気づかれへん。暗殺者にはぴったりすぎるくらいぴったりな特性やろ?集団で囲まれてもアサルトライフルやから早々はやられへんし。そんなやから世界帝軍の中でのワイの仕事には『風紀を乱す不逞の輩の始末』ってのがある」
特に一般市民へ危害を加える可能性の高い、強盗や頭のおかしな殺人者の始末、そのために呼び出されることがある。
それが自分にできることなら、いくらでもする。けど時々嫌にもなるよ。他の奴らと比べて、自分って不甲斐ないなあって。どうしようもないけど、自分が生まれた理由とかその後の経緯とか。誰かと比べたってしょうがないって言われたらそれまでやけど。
「元より、殺すための道具が何言ってんねんって話なんやけど。この手こそ汚れてるよ。犯罪者の血でべっとりと。それでもきみに触れたいと思う。きみは、嫌じゃないん?」
本を置いて俺の方を真っ直ぐ見て、そう問いかける。
憂いを帯びた表情で、首を傾げる彼の手を取った。

両手で包むようにして、互いの体温を感じる。それに安堵して、少しだけ彼の前で微笑む。
「俺は別に、嫌じゃないよ。ゴーストさんは、綺麗だ」
眩しいくらい綺麗と言えば、目を見開いて呆然とこちらを見る。
「どうかした?」
白い肌がピンクに染まるのを見て更に首を傾げると、なんでもないからと彼は笑って俺の頭をぐちゃぐちゃに撫でる。
「ちょっと、ちょっとゴーストさんやめてよお」
「はは、ええやん。ええやん、好きにさせてや。大体な、眩しいって言うんならそれは君等の方やろ」
まったく、自覚ないのもええ加減にして。そう言いながらまだ彼は俺の頭をぐしゃぐしゃにしていく。
「絶対高貴、あのキラキラは目に毒やで。どれだけの世界帝軍の兵士が、あれに魅せられて抜けて行ったか」
きみも同じように眩しいんやよと言うと俺の頭から離れて、今度は頬を指でなぞった。
「まあ魅せられるのは戦場だけちゃうわ。平素でもきみ、こちらの軍に影響与えてるからな。
「なんで?俺、なにもしてないのに」
「ワイがおらん時に来た兵士がな、言うてたわ。煙草吸うてる時の顔がやけに色っぽくて魅力的やって。話し方とか目つきから恐い人かと思たら、気遣いしてくれて優しいわ、敵じゃなかったら良かったのにって」
そんな風に思われてたんだ俺、煙草吸ってるの見ててっきり怯えてるのかと思ってたんだけど。基地で出した時なんか大抵ぎょっとされるし。
「そもそもきみが仕込み銃って情報は全兵士に行き渡ってないんよ。東洋の銃とは説明してるけど、本体があれとは言うてない」
「それ、重要な情報なんじゃないの?」
「情報は秘匿してこそ意味がある、どこに密偵が潜んでるかわからんからな。それに弾入ってない以上、本体はただの煙管やからね」
レジスタンスへの離反者がいる以上、情報統制がより厳しくなるのは必定やしと言う相手にそうと小声で返す。
「しかし、妬けるわあ。どんな顔で吸ってたん?」
「え、いや。どんなって、普通だよ?」
ほんまにと聞かれても、自分がどんな顔してるかなんてわからないし。普通の煙草と違うから、物珍しくてそう映っただけなんじゃないかと思うんだけど。
そんな俺を見つめて、彼は少し疲れたように笑う。
「頭の整理が追い付いてないんやろ」
「追いついてないというか、今もずっと、混乱してるというか」
自分の気持ち?感情?それがどうにも暴走していて、まったく落ち着かない状態と言ったらいいのかな。

それは昨日と今日で変わった彼の態度にもあるんだろう、やり過ぎたって頭冷やしてくるって出て行ったけど、怒りとか憎い重いとか悲しさとか、そういうものをぶつけてこられて。恐くて、裏切ったんだって自分のこと責めて。
でも、過ぎてしまったら彼はまた優しくなった。
壊したいくらい憎いと思わないのかな?なんて思ったり。
「それ、まだ蒸し返すの?」
「だって。だってさ、俺、壊されても文句言えないこと、したわけだし」
「でも、きみが壊れたらもう一緒におられへんやん」
傍におってくれたらもうそれでええんよと彼は言う。その顔は穏やかだ、嘘を言ってるようにも見えない。
「きみが少しでも心を傾けてくれること。今この場に居て、声をかければ答えてくれること、触れるのを許してくれること」
頬に触れて撫でて、指先で唇に触れる。ふにふにと柔く押されて、昨日のことを思い出し頬が熱くなる。
「きみが、ワイに笑いかけてくれること」
間近に迫った相手の銀色の目を見つめて、自分の頰も赤く染まっているのを知る。
「きみの色んな顔をこの間近で見れるのは、最高に幸せやよ」
ずっとどうしてるんかなって思っててん、きみが敵軍基地でどんな風に過ごしているのか。誰と食事をして、どんな話をして、普段を過ごしているのか。
「それが今、ここで叶えられてるんやから壊す理由はないし」
「あ、うう、そう……それ、やめ」
「またキスもしたいし。他にも色々としたいし?」
色々という部分をやけに強調して言われて、全身が固まる。
「う、ええ。あ、うう、あっ」
「頭こんがらがってる今の内に、既成事実作るのも、ありか」
「え、ちょっ!ちょっと待って」
「冗談やって。からかいがいあるわ、ほんまに」
乱雑に頭を撫でまわして笑う相手に。冗談に聞こえないと涙混じりの弱い声で返す。
「まあ、脈ありと取っておくわ」
脈ありって、否定はできないけど。否定できなきゃダメだよね。

花瓶にエゾギクの花が生けられた。
意外に思ったけど、こっちでもよく流通しているらしい。園芸が趣味の人なら手に入るって。
「まあワイは庭師の人からもらってきてんやけど」
「もらってきていいものなの?」
「そもそも食堂とか、色々なとこに飾るために育ててるのがほとんどやし。それをわけてもらってるんよ」
本当にレジスタンスとは何事も違うんだな、なんて思う。誰かは自国の国旗を掲げて、持ち主の紋章を掲げていたりする人だっていたけど、そんな個人の趣味とはまったく違う。
「キセルくんの部屋ってどんなやったん?」
「え、相部屋だったし。俺はそんなに物は持ってなかったから」

着替えとか支給品なんかを保存する場所は各自で用意していたけど、自分の場所を飾ったりとかは特に。もらった勲章を飾るって人もいたみたいだけど、同室の誰もそんなことしてなかったし。
ああ、でも子供から野草の花束をもらったことはあったな。無下にも扱えないし、何より嬉しかったし、帰ってからジャムの瓶に飾ったことはあったっけ。 「ふーん、子供好きやったん?」
「え、いや。俺はすごく苦手、好奇心が強い子とか、目がキラキラしてて、直視するのが辛くて。結構逃げてたんだけど」
その子は迷子だった、お母さんとはぐれたと言う子供に大丈夫だからって声をかけたのは、俺じゃなくて一緒に買い出しに行った仲間だったんだけど。その子がもっと泣くから、困り果てて俺に話を振られて。
泣いてる子なんてどうしたらいいかわからなくて、俺だって泣きたい気分だったけど、そうも言ってられないし。とにかく話を聞いて、大丈夫だよってなだめて、落ち着いたみたいだったから二人で親を探して。
ようやく母親が見つかって、別れ際に持っていた野草の花束をわけてくれた。
「お人好しなんはどこでも変わらんのや」
ふんふんと頷いて聞いてくれていた彼がそう言う。
「そんなつもりないんだけどね、頼られると嫌だって言えないし」
任侠の精神として、弱いものを捨て置くってこともできないし。巻き込まれた以上は仕方ないし。

「きみが紙と煙草以外で欲しがる物ほとんどなくて、心配してたんやけど」
「別に、困ってないからね」
「ふーん、他に欲しいものとか本当にないん?」
日本とこっち、結構文化とか違うやろと聞く彼にそうだなと記憶を掘り返して考える。
日常生活で困ってたこと、別に不便なことはいくらでもあったけど。我慢できないって程じゃないし。でもそうだな、強いて挙げるなら。
「物として欲しいわけじゃないんだけど、お風呂がね」
「風呂がどうしたん?」
「あ、湯船に浸かりたいなって。ずっとシャワーばっかりだし」
ここでもそうなのだ。ゴーストさんの部屋にもシャワールームがあるけど、体を清めるために簡単に水を浴びる程度で、お湯が出るだけありがたいけど、ゆっくり湯船に浸かりたいっていうのは叶えられないまま。
「一応は大浴場とかあるんやけど、きみを連れて行くわけにはいかんしな」
「だよね。歩いてると問題になるし」
「いや、きみの裸を他の人に見られたくない」
人払いしたらどうにかなるか、でもなと言う彼に苦笑する。
「別に見られて困るような、ことはないんだけど」
「そう?じゃあ今ここで脱いでみ?」
「え、や。あの、そういう問題じゃなくてね?」
わかってるよ冗談やってと笑う相手に、もうと溜息混じりの不満の声を返す。
「でも他の奴に見られたくないのはほんまやし、湯船なあ。置こうと思えば、ここに設置もできるんやろうけど。ちょっとすぐには無理やな」
「そこまでしてもらわなくていいから」
「ええやん、きみの欲しい物叶えてあげたい」
あかんと首を傾げる相手に、無理には言わないからねと念を押して伝える。
「二人で一緒に入れるくらい広いバスタブ探してくるわ」
「え、一緒に入るの?」
「あかん?別にワイはきみに見られるのは嫌ちゃうし」
そういう問題じゃないんだけどと言い淀むけど、この部屋の主人はワイやからね?と続けられると、反論もしにくい。
「他には、何かない?」
「ないよ別に。あなたが居てくれれば、もうそれでいいし」
口から出た言葉にあれと首を傾げる。今、すっごく恥ずかしいこと言ったような気がするけど、なんでまた。
「そう?ならもっと一緒におるわ」
まだ休み切れんしと嬉しそうに彼が言うから、ダメとも言えないし。嬉しいのは本当だし。

「まあ、お茶にでもしようや」
上機嫌な声で今日はケーキ貰って来たからと、お茶の用意を始める。
黒いスポンジに白いクリームと真っ赤なさくらんぼが乗った、大きなケーキをお皿に乗せる。あと少しで全部食べられてしまうところだったとこぼすあたり、また誰かに食べられそうになったらしい。
さくらんぼの香りがする紅茶をカップに注ぐ。でも、ケーキを食べるためのフォークは渡してくれなかった。
「はい、あーん」
「あの……もう大丈夫だよ?」
まだ痛む手の傷を隠してそう言うけど、彼はダメの一点張りだった。もう三日経つんだけど相変わらず警戒されたまんまだ。自分が悪いのはわかってるんだけど。
わかっているから、差し出されるケーキを口に入れる。少し苦味のあるスポンジに、お酒の香りが効いたクリームとさくらんぼの甘い味がする。楽しんでいると、ちょっと大きかったなと彼の指が伸びて、口元を拭っていく。

「ゴーストさんは、何かしたいこと、ないの?」
欲しいもの、は流石に俺じゃどうしようもないけど。せっかくのお休みだって言うし、何か少しでも気分転換できることないかなって。
俺と一緒にいるのが一番いいって、言うけど、本当にそれだけいいとも思えないし。
「別に、これといってないんやけどさ」
でも、もしも本当に叶えられるんならと指に付いたクリームを舐めて呟く。
「きみと一緒に街へ行きたいね」
「街に、何しに?」
「別になんでもええねんけど、そうやね。一緒に買い物とか観劇に行ったり、カフェのテラス席でアイスクリーム食べたり」
「ふふ、そんなことでいいの?」 あなたも大概、欲がないよと言い返せばそんなことないと頰を膨らませて言う。
「今でこそ言えるんやで?自分と一緒にいることが、どんなけ難しいか」
「そう、だったよね。ごめんなさい」
謝ることちゃうねんと言うと、彼は自分の分のケーキを一口食べる。紅茶の暖かい甘さで口の中を洗って、一息吐く。
「お日様のあるとこを、なんのてらいもなくきみと二人歩ける日が来たらいいなって、思う」
「それは……」
無理なんじゃないかって言いたくなかった。あなたと俺は敵同士なのは、どうしようもなく事実だし。一緒に歩くんなら、どちらかが本当に裏切るしかない。
俺が、裏切るのが一番早いんだろうけど。じくじくと胸が痛む、彼のなんでもないお願いを叶えてあげたいのに、それがものすごく難しいことなんだって。
でも否定するのも嫌だった。
「そんな顔せんとって?今ここに居てくれればいいねんよ」
あくまで妄想とか希望とかそういうもんやしと、笑う。
そんなことすら叶えられないんだね、今は。

隣で眠る彼の寝顔を眺めて、本当に人形みたいだなんて思う。
時計は深夜を超えているけれど、目が覚めてしまって。どうしようかなって迷ったけど、そのまま隣にいる彼の寝顔を見つめている。
こんな風に近くにいることが当たり前になりつつあるけど、それでも彼との壁は消えない。こんな近くにいるのにね。
触っても大丈夫かな?胸がざわざわと騒がしい。無防備な彼に触れるってあんまりないし、緩く回された腕から伝わる体温だけじゃ物足りない。
少しだけバレなきゃ大丈夫だよね。そんな言い訳を何度か繰り返して、そっと手を伸ばして指先で頰に触れた。柔らかい、それに暖かい。少しだけ幼く映る彼の寝顔を見つめ、思わず笑みがこぼれる。
普段からかわれたり、いたずらされてばっかりだから、少しだけやり返した気になって気分が大きくなってた。
頰から額へ、何度か触れていると、少しだけ彼がむずかった。起こしたかもと思って身を固くするけど、そんなことなくて、彼はまだ目を閉じたままだ。
しばらくは穏やかな寝息を立てていたけれど、少し呼吸が荒くなってきた。どうしたんだろうって思っている間に、苦しそうにうめく。
「ゴーストさん?あの、ゴーストさん、大丈夫?」
寝汗をかいた彼の額を手を伸ばして撫でる、その腕を不意に強い力で掴まれてベッドに押さえつけられた。
「あ……あの?」
声をかけても彼は目が覚めたのかどうかわからない、虚ろな目で見つめる相手を見上げる。
「うう、はぁ、あ」
呻き声をあげたのはどっちだったのか、押さえつけて俺の首へ手をのかける彼の表情が歪む。怒りや憎しみじゃない、この顔。

「大丈夫だよゴーストさん、怖くないよ?」
何も怖いものはないよ。
もう殺さなくてもいいよ。
首にかかる手に力が込められても、微笑みかける。
わかるよ、あなたが苦しんでるもの。俺も昔、似たような顔を見たことがあるから。だからこそ言ってあげなくちゃ。ここは大丈夫だって。あなたは今、その恐いものに立ち向かわなくていい。逃げていい。
気がついて?
「ゴーストさん、大丈夫。よく見て俺のこと、ゴーストさん。ゴーストさん」
何度も名前を呼ぶと恐怖で強張った顔で、こちらを見つめる目に少しずつ光が灯るのがわかった。それに合わせて手の力も弱くなる。
「あ、ああ」
手が離れて、ガタガタと大きく震えている。両目を見開いて大粒の涙をこぼす相手に、もう大丈夫だよと笑いかけた。
「ワイ、あれ……もう、なんで?」
「今日は、あなたの方が夢を見てた」
もう大丈夫だねと言うと、自分アホちゃうんと呟いてベッドにぐったり沈み込む。
「今の、下手したら殺されてたかもしれんで?」
「そんなことしないよ、あなたは今、恐がってた」
知ってる顔だった。
殺すのが恐い、人を手にかけるのが嫌で、嫌で仕方ない。そんな優しい人が、冷徹にならないとと自分を殺してる顔。無理に恐怖を押さえつけて。
後悔してる。
悲しんでる。
怯えてる、だから。

「気がつけばやめてくれるってわかってた」
「やからって」
あの状況で笑ってるきみ、おかしいでと呟く相手にそうかもねと返す。
息の上がった彼が落ち着くのを待っていると、今なとぽつぽつ話を始めた。
「誰かに首を絞められる夢を見た……今まで殺してきた誰かに」
顔を無造作に触られて、体を返せって。迫られて。
「恐いって思った、殺さんと殺されるって思って。人間ちゃうのにな、殺されるって、変なんはわかってるで?でもそう思ってん。なんでかわからんけど」
あかんわ、気が緩んでんやな。なんでか、気が弱くなってる。あかんねん、あかん。
「人のことを呪いすぎた。ワイは優しくされても、傷つくんやわ」
人を呪わば穴二つかいな、きみに触れるの楽しいのに、優しくされると恐くなる。
そう話す相手に触れると、やめやと弱々しい声で拒否される。でもやめなかった。
「キセルくん、きみは」
「あなたは、いつも俺のこと助けてくれるから、俺もあなたのこと助けてあげないと」
ほら、この時だってあなたが助けてくれたんだ。手を見せて言うと、それはと言い淀む。
「ごめんね、今あなたに触れたのは俺だから」
「きみが?」
「ごめんね、苦しませて。触れてみたかったんだ、あなたに。だけど、それが苦しませたなら、俺が助けてあげないといけないでしょ?」

どこに触れたらいい、どこならあなたは恐くない?

「なあ、それならキスして。って言ったらしてくれる?」
まだ涙目の彼が弱った声で言う彼に、いいよと返す。
「え、キセルくん」
目を見開いた彼の口に自分のものを押し当てる。優しく触れるだけのそれに、以前に彼がしてくれ思考を奪い取るほどの力はないけど、優しく何度も触れる。
どれくらいそうしたら安心するかなって思ってたら、彼の手が伸びて抱き締められた。
「キセルくん、きみのことが好きやねん」
「うん、知ってるよ?」
「きみは優しいけど、ほんま残酷」
そう言って涙を溜めたまま、彼は笑った。すごく悲しそうに笑った。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「ごめんなさい」
「謝って欲しいんじゃないねん、きみが……やっぱいいや」
「何?言ってよ」
もういいねん、気にせんとってと言うと俺の口を塞いだ。

ごめんなさい、わかってるよ。
でもあなたが好きだって、言うのが恐いんだ。それを言っちゃったらもう、後戻りできなくなっちゃうから。
だから、だからごめんなさい。
本当に好きになっちゃって、ごめんなさい。

あとがき
本当は今回で終わらせたかったんですが、無駄に長くなりすぎたので、途中で分けることにしました。
なのでもう少しだけ続きます、もうしばしお付き合いください。
目標は「今月中に二人を結婚させる」です。
ジューンブライドなゴスキセを見るまで、6月を終えれないのです。
2018年6月18日 pixivより再掲
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