共犯者・3

綺麗な笑顔、それはあなたの方だよ。
今の顔は恐いくらい美しくて、素敵だから。思わず息をするのも忘れそうなくらい、見つめていた。
「なあ、何かないん?」
指先で頰をなぞって問いかけられる。あっと声をあげても、続く言葉はない。
なんて言ったらいいのかわからない。
「自分で聞いといて、なんやそれ」
「ごめんなさい、あの、すごく驚いて。なんて言ったらいいか、わからなくて」
ごめんなさいと続ける俺の顔を上げて、変なのと本当におかしそうに呟く。
「こんなこと言われて、気持ち悪くない?」
「気持ち悪いって、なんで?」
「いや、普通にめっちゃ重いやん。ストーカーみたいなもんやで」
嫌われること覚悟の上やったんやけどと続けられて、嫌いじゃないから、別にと返すとますますわからんわと溜息まじりに返され、俺の上から退いた。
「俺のこといらなくなったら、マスターに壊してほしいって言ったことあるんだ。そんなことしないよって優しく返されたんだけど。他貴銃士のみんなに話したら、気持ち悪いって言われちゃったんだ」
その時も、重いって確か言われたと思う。あんまり人に言うべきじゃないって、そう忠告されて、以降はほとんど話したことなんてないけど。

「多分そういう気質なんだよ、俺も。日陰者で生きてきた時期が長すぎたせいかな?卑屈だって、よく言われるし」
だから他人のことをどうこう言えないと呟くと、そんな理由かいと溜息を吐いて俺の頭を撫でる。
「自分がどうだから、っていうのは関係ないやん。ワイの気持ちを聞いて、きみがどう感じるのか、どう思ったのかに正直に従えばええねん」
それがきみの本当の心やろと言われても、嫌じゃないんだよとしか返せない。
「それがあなたの心なら。ええと、なんて言ったらいいのかな。くすぐったくて、あの、少し恥ずかしいって思ったけど、それに苦しんでたんだって知れて、よかったなって」
「よかった?」
「うん、どこが痛いのか、苦しいのか、人に話すと、それだけでも少し和らぐからって」
人の心はそうやって治すものなんだって、そう教えてもらった。
そう言った俺を彼はじっと見つめて、時と場合によるでと呆れたように呟いて冷めた紅茶を飲み干した。
「心なんて形にならんもんが、そんな簡単にどうにかなるんなら、とっくにどうにかしてるわ」
深く溜息を吐くと、心の壁てあるやんかと俺のことを振り返らずに言う。
「心の壁って、人との間に?」
「それもあるよ。でも、自分の中にも壁がある。色んな理由で作った壁、ない?」
「あるよ、たくさん」
怖くて拒絶した色々なもの、自信がなくて見ないふりをして逃げてきた色々なもの。全部入って来ないようにって壁の向こうに押し込んで、守ってきたんだ。
「壁の向こうで何が起きてるのかなんて、他人からはわからんやろ」
ましてや人の頭の中なんて、想像できても本当の痛みなんてわからんやん。わかったつもりでも、傷の痛みなんて誰も同じじゃない。
同じじゃないんだ。
「そうだ、よね。ごめんなさい、俺が不安で、知りたかっただけで。あの、嫌だった?」
おずおずと声をかけると、こちらを振り返って苦笑いする。
「なんできみが謝るん?こんなことされてるのに、謝る必要ないやん」
腕にかけられた枷を叩いて、呆れたようにそう言う。
「自分の置かれてる状況、もうちょっと考えや」
気許しすぎてないかと問いかけられて、そうかもしれないなと思う。
でも嫌じゃないんだ、よくわからないけど。
「ならずっとここに居てくれる?」
「それは、ダメかな」
俺には帰らないといけない場所があるんだ。それは今も変わらない、細々とした声でそう返すと彼はとても冷めた口調でそうかと言った。
「きみとの間には、まだ壁があるんやね」
こんなに近くにおるんやけどな、そう言って頭を撫でてまた溜息を吐く。
「やっぱ呪ったる」
いつか呪い殺したる。
怒りの滲んだ声に体が強張る、けど俺に向けてじゃないからとまた優しい口調に戻って告げられた。

乗り越えてはいけないって声がする、自分の声だ。
どうしても、彼は敵なんだって、覚えておけって。何度となく繰り返してきた声は遠くに過ぎていく。
少しだけ恨めしいって思ったんだ、あなたとの壁があることが。
もっと違っていたんなら、違う出会い方をしていたならってそう思うと悲しくなるんだ。何もしがらみなく、出会えていたなら違ったのかもしれないって。
そんなことありえないのに、考えてしまうんだよ。
おかしいよね、俺。

花瓶の花が枯れた。
これまでも何度か入れ替えてたんだけど、もうそろそろ季節も終わりらしくて、新しい蕾がもう手に入らないからって花びらの開ききった花を捨てていく。まだ捨てるのは勿体無い気がするんだけど、でもしょうがないよね。命の限りがあるものなんだし。
でもなくなったら少し寂しくなるなと思って、顔を伏せたのを彼は見てたのかもしれない。
窓辺に新しい小ぶりな花瓶に、山吹色に近い野山で咲くような小ぶりな花が生けられているのを見て、これどうしたのと読書をしていた相手にたずねる。
「きみ、あんまり派手な花は好きじゃないって言うから」
嫌いなわけじゃないんだ、綺麗だと思うし、素敵なんだけど。なんていうか、自分にって言われるとなんだか恥ずかしいというか。やっぱり、似合わないなという思いが先行してしまうだけ。
「日本の花って、こっちあんまないから」
「そうみたいだね、公園とか整備された所では咲いてるって聞いたんだけど」
日本庭園を造るのが流行った時があって、そういう家なら松とか梅とかがあって、日本の花もたくさん育ててるって。ほとんど趣味みたいなものだって聞いたけど。
「どんな花が見たいん?」
「そうだな。桜は、やっぱり定番だったよ。花の枝を切れないから、みんなで出かけてね、花見をするんだ。人気だったのは梅や桃の花とか、色々あるけど。ああ、今くらいの季節なら藤とか、綺麗だっただろうな」
藤の花は好きだったんだ、立派な藤棚の下で煙草をくゆらせている時は穏やかな時間だったのは覚えてる。

「懐かしい?」
「うん。後ろ暗いことはあったけど、でもそうだね。自分が居た場所のことだから、やぱり懐かしいなって思うよ」
へえと言うと、彼は本に栞を挟む。綺麗な装丁の本だ、基地は本は多かったけどこんな風に新しい本は入って来ることが少ないから、ちょっと新鮮だった。
「その本は?」
「きみが生まれたのと、同じくらいの年代に書かれた小説、当時かなり人気やったって」
気になるから見せてもらったけど、やっぱりちゃんと読めない。こっちで発行されてる新聞とかは普通に読めてたのに、なんでだろう。
「きみを呼び出したマスターの言葉はわかるってことやろ、そうでないと意思疎通がでけへん」
でも日本生まれやから、きみは自分の土地の言葉もわかる。ワイが日本語を読まれへんのと同じやと思うわと彼は言う。
「まあ、通常の言葉すら怪しい鳥頭も、こっちにはおるけどな」
「へ、へえ……そういえば、ゴーストさんって、生まれたのはどこ?」
「一応はドイツってことになるんかな。まあ故郷とか思い入れとか、そんなんがあるわけとちゃうけど」
ドイツって確か、レジスタンスの貴銃士の中だとドライゼさんの故郷になるんだったっけ?あんまり話す機会がなかったから、よく覚えてないけど。
オランダやアメリカは馴染があるし、イギリスもちょっとわかるんだけど、他の国のことになるとあんまり知らない。
「そもそも、ワイはあんまり普及してへん、開発時の話くらいしか覚えてることはないわ」
きみのように、町の思い出なんかはほとんどない。ただなんとなく、故郷の物には心が惹かれるってことはあるけど、それだけ。
「国とか人とか、そういうもんへの忠誠っていうの、そんなもんはないんよ」
「でも懐かしいって思う気持ちはあるんでしょ?なら、何か思い入れはあるんだよ、きっと」
そういうもんかなと首を傾げる、でも本当に何も思わないなら懐かしいとも感じないはずだ。
「故郷に帰りたいって思う?」
「それは別に、えっと、帰っても元の持ち主はとっくに死んじゃってるし。そもそも今の日本がどうなってるのかって、わからないから」
帰りたいっていうのは、特にないというのが本音。
一番帰りたいのはレジスタンスの基地なんだけど、それは言わない方がきっといいよね。
彼はふーんと気の抜けたような相槌を打って、まあ暇よなと俺の頭を撫でる。
「いい加減に折り紙も飽きたやろ?」
「別に、飽きるとかじゃなくて、手慰み?みたいなものだから、いいよ」
敵軍の手に渡ってたら困るけど、今になったら月間ノーブルの記事が懐かしいな。あれが読めれば、みんなのこともっとわかるんだろうけど。
「教えてあげよか」
そう投げかけられて、意味がわからなくなって、えっ何を?と返す。
「ワイの言葉、そしたらここの本も少しは読めるようになるやろ?」
どうすると俺をみつめる相手に、でも難しそうだよと返す。どう発音するのかもよくわからないし。
「日本語の方が難しいで、なんや三つも文字使わなあかんやん」
「慣れてしまうと、そんなことないんだけど」
「それはどこの国でも一緒やろ、どうする?」
「えっと、その、考えてみるよ」
そう答える俺に、やる気ないなと溜息交じりにそう呟くと手元に本を引き寄せてまた読み始める。
別にやる気がないわけじゃないんだけど、俺にできるとも思えないし。気を悪くしたんなら申し訳ないななんて思ってた。

そんなことがあってから、しばらくしてから買い物袋を持って戻って来た彼が、本や服といったものを片付けていくのを見ていると、これなと声をかけてきた。
「きみの生まれた時代に流行ってた物語なんやって?」
そう言って彼が差し出してくれたのは、かなり古くなって紙の変色した一冊の本だった。表紙には筆で書かれたような字で「曽根崎心中」と書いてある。
「え、これ、どうしたの?」
「古書店とか骨董店とか探して買ってきた。ワイの持ってる本できみが読めるのあんまりないんやろ?」
最近発行された雑誌みたいなものは読めるのがあったけど、それ以外の分厚い本なんてほとんど読めなかったから少し嬉しい。
懐かしいなと言ってページをめくる、そもそも漢字の本なんてこっちではそんなに見かけないから、本当に珍しい物だったんじゃないだろうか。
「これ、どんな話なん?」
片付けが終わったらしい相手が後ろから本文を読んでいた俺の手元を覗きこんでそうたずねる。江戸時代に流行った物語っていうのだけ教えてもらったから、とりあえず買ってみたらしい。
「えっとね、恋仲にあった男女がいるんだけど、男の方に縁談の話が来るんだ。それで、えっと、色々と不幸というか、災難が重なってね、もうどうにもできなくなって。その女の人と、来世では結ばれよう、って約束して心中するお話なんだけど」
「へえ、恋愛ものやったん」
「そうだよ。歌舞伎の演目でね、すごく人気だったんだ」
薄っすらと記憶がある中では、自分も観に行ったんじゃなかったっけ?いつのどの日だったかまで、ちゃんと覚えてないんだけど。

「来世で結ばれようって、どういうこと?」
「人は死んだ後に、また別の何かに生まれ変わるって、言われてて。だから、生まれ変わって今度は無事に結ばれますようにって、そういう意味なんだけど」
来世なんて、俺たちには関係ないから、考えたことなんてなかったな。
いや、よく考えれば今がその来世に近いのかも。また違う役目を与えられて、こうして肉体を持ってるって意味では。
「生まれ変わって結ばれようって言われても、わかるもんなんかね」
オペラとかでもたまにあるけど、ようわからんねんと彼は溜息交じりに言う。
「死んでもまた一緒にって、わざわざ自分に呪いをかけてるようなもんやろ。それが成就して、ほんまに幸せなんか保障なんてないのに」
「そうかな、本人たちがそれでいいんなら、いいと思うけど」
実際に心中がこの後すごく流行って、幕府から禁止の令が出たし、生き残った時にはかなり酷く罰せられた。
それでもなくなることがなかったんだから、追い詰められて神様に縋る気持ちで死んでいったんじゃないだろうか。

「なあ、たとえばの話なんやけどさ。レジスタンスが壊滅するってなった時、きみはマスターさんと心中したいと思うの?」
真剣な声で彼は問いかける。どんな顔して聞いているのか、怖くて振り返れない。
あんまり、考えたくはないんだけどと付け加えた上で、その時にはとすぐに思い浮かんだ答えを口にする。
「マスターに壊してほしいと、思うよ?前にも言ったよね、俺はいらなくなったら、マスターに壊してほしいって。でも、マスターには後を追ってほしくないな。できれば、生きててほしい」
「壊してほしいっていうのは聞いた。でも、逆はどうなん?」
思ってもみない言葉に、頭が真っ白になった。
逆ってつまりは、俺が?
「あんたの弾で自分を殺せって言われたら、言われた通りにする?」
「それは」
できればそんなことはしたくない。でもそれが命令なんだとしたら?そうするのが、あの人の心からの願いなんだとしたら。でも。でも。
「だからたとえばの話やって。最期のお願い、叶えてあげへんの?」
「それは、叶えてあげたい、と思うけど」
できるんだろうか、そんなことが。俺に、あの人の最期を任せられるなんて。
今の俺に、そんなこと許されるのかな。何も、あの人のためにできない俺に。
「きみのマスターが取り押さえられたとしようや。ああ、勘違いせんといて、レジスタンスは今もしぶとく生き残っとるわ。もしも、捕らえることができたら、まあ尋問があるやろけど、処刑は免れんやろな。その時せめてもの情けで、きみに撃ってもいいって許可が出たら」
「そんな、の。あるわけ」
「あくまでたとえ話やって。なあ、どうするの?」
きみの手でマスターのこと殺してあげれる。ウチのアホ共に任せたら、蜂の巣になるまで連射されるか、じわじわ嬲り殺すかのどっちかやで。
「勿論やけど、ワイも簡単に殺す気はない」
「なんで?」
ビックリして振り返ると、冷淡にこちらを見下ろす目と合って、ひっと喉が小さく鳴った。
「しゃあないやろ。きみをこの世に呼んでくれたことには感謝してるよ。でもないつまで経ってもきみの中におるやん、そこから出て行ってくれへんやん。なら生きてたことを後悔するくらいには痛めつけな、気が済まん」
生きをしているのはこんなに苦しいのかってくらい、体の末端から少しずつふっ飛ばしたいわ。
「やめてよ!」

目が溶けるように熱かった、どうにもできずにこぼれ落ちる涙をすくって、きみには心中は無理やねと彼は笑う。
「相手の最期の願いも聞き入れてあげられへんのなら。自分のこと壊してほしいなんて、軽率に言うな」
それはただの自己満足や。勿論、道具としては本懐やからそれでええんやけど、なら同じように覚悟を持て。相手を殺すかもしれんって覚悟くらい、常に持っておけ。
「それができんって言うのなら、きみはやっぱりここにずっとおった方が幸せやで」
もうすぐ二ヶ月は過ぎようってのに探してもらえてない時点で、相手は自分のことそんなに思ってないかもしれんけど。
「とっくに諦めてんかもな、壊れてしまったって。きみはこんなに頑張ってるのに」
「俺、なにもしてない、よ?」
「せやね。でも、ちゃんと自分から壊れること選ばずに、こうやって抵抗して生きてるやろ。充分に頑張ってるやん、敵の中で気も弱ってるやろうに」
「あなたが、それを言うの?」

そう問いかけると笑いかける。すっごく楽しそうに、意地悪に。
「言うよ、ワイはきみのことを壊してあげられる」
本当に苦しいんなら、楽にしてあげる。少しでも希望が見える内は手をかけたりはしないけど。
「きみに壊されるのも、それは別に苦しくない。最高のご褒美や」
できれば手元にずっと閉じ込めていたいから、こうしているだけ。
きみが望むなら、どこまでも付き合ってあげる。きみのマスターじゃ付き合ってくれない、破壊の先まで一緒に。
「あ、う……」
溢れて止まらない大粒の涙をぬぐって、イジメすぎたわと頭を撫でられる。
「可愛いねん、泣き顔」
「うれしく、ないよ」
しゃくりあげる俺の背を優しく撫でて、そうやねやりすぎたわと言う。
「でも嘘ではないんよ?全部、本心」
忘れんとって、きみのことは大好きやから頭を撫でて告げられても信じていいものか。
ゴーストさんからもらった本は結局、手をつけることができなかった。開いて少しでも読めば、頭の中に彼の言葉が、冷淡な顔がよみがえってきて。怖くて。
なのに、俺は壊れる勇気もまだ持てない。情けなくて、仕方ないよ。

裏切り者と誰かが言う。
おまえに期待なんて最初からしていない。居ようが居まいが、大して変わらない。正直、軍用ではない銃なんてお荷物もいいところだ、いなくても困らない。

俺はいらない?

その問いに答える声は当たり前だの一択で、震える体を両腕で抱きかかえてしゃがみこむ。
荒くなっていく息。呼吸の仕方ってこれで合ってるんだっけと首を傾げる、ずっと重い体を引き摺って立ち上がろうとしても、足が動かなくて。
何度も響く否定の声を消そうって耳を塞いでも、目を閉じても、どうしてか景色は変わらない。頭の中でわんわん響く。
「おまえなんて最初からいらなかった」
それが、誰のものかわかった瞬間、足元から崩壊していくような気分になった。
ねえ、嘘だ。嘘だよねえ、マスター?俺、俺はね、裏切ったりなんか、してないんだ。本当だよ?
ねえ、だからマスター、見捨てないでよ。
ゆらゆらと体が激しく揺れる、息が苦しい、ちゃんとしなきゃ。耳が遠くなる、気持ち悪いよ、何これ?

「キセルくん、キセルくん!しっかりし」
呼びかける声に驚いて目を開けると、焦った顔でこちらを見下ろすゴーストさんがいた。でもその顔も一瞬の内に、涙で滲んで見えなくなる。
「息を吸うんちゃう、吐くんや。ゆっくり、ゆっくりな。ほら」
震える背中を擦られて、乱れた息を吐けと言われても。吸えていないものを吐きだせなんて無理だよと涙目で訴える。
「過呼吸は息が吸えてないんちゃう、吸いすぎなんや。落ち着け、まず一度少し吐いて、そこからゆっくり吸う」
言われた通りに少し息を吐いて、ゆっくり吸おうと試みる。ちゃんとできてるか自分でもわからない、でも彼は大丈夫やからと俺の背中を擦って、落ち着くように何度も耳元でささやきかける。 「あ、ああ、はっ!……はぁっ、はぁ」
どれくらいそうしてたのかわからない、でも落ち着くまでずっと彼の手が背中をさすってくれてた。
「どう?落ち着いてきた、みたいやね」
良かったと心底安心したように笑う彼に、涙が溢れてくる。
「どないしたん?また夢を見たん?」
「夢?俺、寝てたんだっけ?」
「そうやで。うなされてると思ったら、急に過呼吸になるから、びっくりした」
まだ体に息が回っていないせいか、揺れる頭を押さえて起き上がろうとする俺を優しくベッドに押さえつける。
「無理せんとき」
「夢、だったんなら、寝たくない」
思い出して熱くなる目元を指で撫でて、傍にいる彼が大丈夫と微笑む。
優しい顔だ。能面みたいな夢の中の誰かと違って、どんな銃でも感情はあるんだって改めて思う。
その手を離してほしくなくて、この手で握り締めたらどこにも行かんよと頭を撫でて言う。
「ゴーストさん、お願い、これ外してくれない、かな」
今だけでいいからと付け加えると、どうしてとたずねられる。
「鍵は持ってるから外せるよ。けど」
「不安、なんだ。お願い、なんでもするから。なにしても、好きにしていいから」
今だけ両手を自由にしてほしいと言えば、自分なあと呆れた声で返す。
「そんな風に自分を安売りするのは、あかんで?どうにかなってしまえば、今を忘れられても、その思い出は後悔する」
無理せんでええんよと背中を撫でて落ち着かせると、ちょっと待ってなと一人置いて部屋の奥にある引き出しのどこかから、仕舞ってあった鍵を取って戻ってきた。
鍵穴に入れて、中で何か動かしている。そういえば簡単に外れない構造になってるって、前に言ってたっけ?そんなことを考えてる間に、中で何度か錠の形がはまる音がして、ゆっくり外れていく音がした。
久方ぶりに両手が自由になった。ああ、腕ってこんな軽かったんだっけ、と当たり前のことを思った。

「これでいける?」
「うん、ありがと」
しばらく固定されていたせいか、両腕の血の巡りが悪い気がする。それでも、なんとか固まりかけた関節を動かして彼に抱きつく。
「キセルくん?」
「ずっとね、あなたのこと、抱き締めてみたいなって、思ってたんだ」
俺のこと、いつも抱き締めてくれるから。俺からもちゃんと腕を回してみたかったと、ところどころ小声になりつつ告げると、そっかと俺の背中に腕が回されて強く抱き返される。
彼の柔らかそうな髪に手を伸ばし、そっと撫でつける。くすぐったいやんと柔らかい声で返されて、でももっと擦り寄って来られて。可愛いなあって思った。
「ねえ、俺も撫でて」
「ええよ」
いくらでも気が済むまでと、彼の手が頭や頬に優しく触れる。温かい感触に身をゆだねて、目を閉じる。
こうして触れていると、やっぱり俺はいるんだなって思うんだ。
どこにも必要とされていないのに、俺はあるんだって。そうはっきり自覚して、悲しくて。でも、彼だけは優しくしてくれる。それに思いっきり甘えている。
このままでいいのかな。こんな俺で、いいわけないよね。本当に愛想を尽かされてても、もう反論できないよ。役立たずたって、裏切り者だって、いくらでも罵られたって仕方ない。
こんな風に敵の、あなたに甘えてる俺なんて。
「嬉しいわ、きみがこんな風に甘えてくれるなんて」
「あなたはそれで、いいかもしれないけど。俺」
「今は何も考えへんでおき、な?」
そう言われても考えてしまうんだ、このまま二人っきりの世界なんてありえないんだってことくらい、ちゃんとわかってる。この部屋にずっとい続けるなんて無理なんだよね。

「ねえ、ゴーストさん。やっぱり」
何も考えなくていいようにしてほしいと伝えようとしたら、彼の手が口を塞いでそれ以上は言うたらあかんよと首を振る。
「きみの本心からじゃないことはしたくない」
「なんで?」
あなたの好きにしたらいいじゃないか、なんで、そんな俺のことを思ってくれるの?そうやって、思いやってくれることの方がずっとずっと、辛いことだってあるのに。
優しくしてくれることの方が、苦しいこともあるんだ。
「敵なら、いくらでも、酷いことしたって誰も、責めないよ?俺のこと考えなくてもいいじゃない」
「そうかもな。でもしたくないねん」
きみが望む通りに痛みを感じれば、それでその場は収まるのかもしれんけど。きっと後でものすごく自己嫌悪で責め立てられる。
「優しくされるのも、きついやろ?」
苦しい気持ち、取り除かれるわけないねん。
「恋する人間を相手にするとき、優しさは人の首を絞めるんやで」
寂しそうに笑う相手を前に、自分が言ったことを思い出してあっと声を上げる。相手の気持ちを知って、心地の良いものだけ利用しているだけ。良いように、振り回してる?
「あ、う……あの、ごめんなさい?」
甘えることで彼を苦しめてる。それなら、離れた方がいいよねと手を離そうとして優しく引き止められた。
「今のきみにとってはワイだけが頼り。ならめいいっぱい甘えればええやん」
「でも、それで傷つけるなら」
「だって、きみ嫌がらんかったやん。本心をさらけ出して話しても、突き放さんかった。それどころか今、自分から近づいてくれる。なんで?」
そんなこと言われてもわからない、首を傾げると震える肩を抱いてなんでとまた聞く。

「少しだけ期待してる、きみが好きになってくれるんじゃないかって。受け入れてくれるんじゃないかって」
「俺が、あなたを?」
好きになるって。なったとしても、でも。
「好きになっちゃ、だめだよね」
「そんなん誰が決めたん?」
「だって、俺たち」
「共犯者や」
そやろと柔らかく確認する相手に、そうだったねと目を伏せて返す。
俺と彼、自分の都合のためだけに自軍を少しだけ裏切ってる。そう約束したんだよ。ここにいるために。それだけで終わるなんて思ってなかったけど、でもこのままじゃ、本当に俺は裏切り者になってしまうんじゃないかって思えて。
「恐い?」
「うん」
「せやな、恐かった」
でも止まらんかったと俺の頰を撫でて、汗で張り付いた髪を取り払うと額へと唇で触れる。そのくすぐったさと、気恥ずかしさに、あうっと声をあげたら可愛い子と笑われた。
「このくらいで、そんな反応してるようじゃ。到底、きみは男の相手なんてでけんよ」
「う、そんな風に優しい触り方するから」
「するって。きみのこと好きやもん」
好きなんやって言うてるやんと抱きしめて続けるものだから、恥ずかしくてしょうがない。
なんで恥ずかしいの?その目が眩しいくらい輝いてるわけでもない、優しく包み込まれるような甘くて、暖かくて、すごく身を委ねてしまいたくなるような魅力に満ちている。拒絶してるのは、俺の矜持。マスターと、仲間への忠誠。それが彼を拒まないといけないと言ってる。
「なんであなた、そんなに優しいの?」
「さあ、なんでやろ。優しいって思うなら、きみがそうさせてるんやわ」
血も涙もない、世界帝軍の貴銃士やと思ってた?そんなことないで。
ああ、もうどうしてそんな綺麗なんだろう。こちらを向いて悪戯っぽく笑う顔は、本当に整っていて羨ましいな。綺麗だ、綺麗なんだ。手を伸ばしてはいけないものなのに、伸ばしたくなるほどに。

「ねえゴーストさん、俺、もっとあなたのことが知りたいよ」
「充分なくらい知ってると思うけど」
どれくらい一緒に居たと思ってんのと笑う相手に、お願いだから真面目に聞いてと返す。
ふざけてるんじゃない、あなたが飛び越えてきた壁のそばに多分、俺は近づいてきたんだよ。だから、こんなに揺れている。拒絶もできなくて、怖くて、痛くて、感情が揺れている。
「もう、どうしたらいいかわからないんだ」
「だからワイのこともっと知りたいって?ええの、そんなことして」
「だって、あなたも超えてくれたんだよね?」
なら俺だって、同じようにしてみたいんだ。そう言うと彼は、そうと笑った。
「じゃあもう一歩、進んでもええってことやんね?」
「え」
なら遠慮なくとまた近く顔に思わずぎゅっと目を瞑ったら、ふふっと軽く笑われて瞼に唇で優しく触れた。
「いくらでも教えてあげるわ、きみが満足するまで」
これからもよろしくと笑う彼は、恨めしいほど綺麗だった。

あとがき
キセルくん陥落寸前かなー?
でももう少し長引きます、長らくお付き合いいただきありがとうございます。
6月中にはゴーストくんの手に堕ちてほしいですね、二人の結婚式を、わたしは見たいのです
2018年6月4日 pixivより再掲
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