初恋プレリュード

頑張るぞ!と気合をこめて控え室に入ると、プレッシャーやいかくを放つポケモンでもいるのかな、ってくらい緊張に満ちていた。
あっと気づいた。ここは自分が来ちゃダメな場所だったって。初めて来たワイルドエリアとも違う、みんながみんなこれから戦うライバルだって思うけど、でも。
あまりにも場違い。絶対に来ちゃダメたった、わたしじゃなくて、もっと他の誰かじゃなきゃダメだったんじゃないかって。
ホップのほうがよかった?マリィちゃんのほうがよかった?絶対に、わたしじゃない。ここに来るのはわたしじゃないほうが……。
手が、足が、震え始めたので落ち着こうと部屋の隅へ行こうとして、ふと近くにいた人と目が合った。
「昨日は大変でしたね」
でもよく頑張りました、今日はよろしくお願いします。
ふにゃりと笑ったその顔に、体に満ちていた緊張感が抜けていく。息を詰めてた胸がすっと楽になった。
「ネズさん、あの、よろしくお願いします!」
「ええ、まあ対戦表的に当たるのは一番最後なので、おれも勝ち抜かないといけませんけどね」
ここにいる人たちはみんな強いですよと言う。それはわかる、ジムチャレンジのときとは違う、放ってるオーラって言えばいいのか、誰もがみんな勝とうって決意をこめてるような、だから。
急に怖くなってしまった、自分なんかがここに居てもいいのかって。
「だから、ユウリも強いんですよ」
「えっ?」
「言ったでしょう、ここにいる人たちはみんな強いと。それはあなたも同じです」
初めてのチャレンジであれほどの強さを示してきた、そしてセミファイナルトーナメントから勝ち上がってきた、もう充分なくらい強さを示してきている。
なにも心配することなく、自信を持って立ちなさい。大丈夫ですよ、あなたたちなら。
「おいおいネズ、ライバルを応援してどうすんだよ」
けれけらと笑ってるけど、目は怖いキバナさんを追い払うように手を振る。おまえ、教育に悪い顔してんですよと言ったのはネズさんだ。
「ひでーなあ、どんな顔だよ」
「黙りやがれです。それと、エール団はユウリを応援すると決めているので、彼等に代わって最後のエールを届けたまでです」
自分と自分のポケモンを信じて、行きなさい。そう言って少し頭を撫でてくれた、あなたが信じなければここの誰もユウリを信じてはくれません。
優しい声と、仕草に泣き出したい気持ちを抑えてはいと返事を返す。なんだか胸のあたりが暖かかった。
ずっと憧れがあったのだ、ホップのように自分にも頼りになるお兄ちゃんがいたなら、どんなによかっただろうって。
細身のでも確かに頼りになる、優しい人なんだって知ってる、こんな人がお兄ちゃんなんて羨ましいなあ。
必ず勝とう、同じステージに立てるように。絶対に、絶対に。
「みんな、お願いね」
ボールに入ったままの仲間たちに声をかける、やる気に満ち溢れてるのがここからでも伝わってくる。大丈夫、わたしだけじゃない、みんながいる。
大丈夫、きっと。
「きっと大丈夫」
声が重なる、隣に立つネズさんがこちらを見て笑った。

新チャンピオンを讃えるニュースが各紙を騒がせ、その後にダイマックスしたポケモンたちが暴れまわったというニュースも、ようやく下火になり始めたが、パワースポットがなかったことが幸か不幸か、ガラル地方を騒がせた出来事とは無縁だった平和なスパイクタウンの片隅におれは引きこもっていた。
別に好きで面倒ごとに巻きこまれに行ってるわけではないが、バトルの依頼はまだなぜかおれのほうに届くこともある。よく再選を依頼してくるのはキバナだが、あまりにも多いので黙りやがってくださいとだけ返したのが三日ほど前だろうか。
そんな喧騒から離れた平和な町で、次のライブに向けて新曲でも作ろうかそれともアレンジでもしてみようかとギター片手に考えていたところ、アニキお客さんだよと声をかけられた。
「おや」
「こ、こんにちは」
えへへと照れたように笑う新チャンピオンに、今度はどんな厄介ごとを持ちかけに来たんですと少しだけ嫌味をこめて返すと、今日はそんなんじゃないってと呆れ口調の妹が引き取る。
「ほら、遠慮せんでよか」
「う、うん……ありがとう」
なんですか二人ともといぶかしげにたずねると、そっと隠し持っていた物をおれの前に差し出される。
よく見慣れたというか、自分がああでもないこうでもないと頭を悩ませながら作ったんで、記憶しているだけのCDと、それを差し出してくる相手を交互に見返す。
最近はダウンロードのほうが主流になりつつあるので、デビュー時に比べると生産枚数もかなり減ったはずなのに、どこかで探し出して来たんだろうか。いやこの町の音楽ショップなら比較的に手に入りやすいか。町を盛りあげようとしてきたよしみで、ありがたいことに、目立つ場所にずっとコーナーを設置してくれているし。
だからってなぜ彼女がこれを持っていて、それをおれに向けて差し出して来ているのかがわからない。
「あの、ネズさん……サインください」
「……なんでまた?」
純粋な疑問をぶつけると、あのとなにかを言いかけてまた黙りこんでしまう。そんなおれと彼女を見ていたマリィが、ああもうと声をかける。
「トーナメントの間とその後の騒ぎの間、ずっとアニキが一緒だったから。それで聴いてる間に気に入って、買って来てくれたの!」
でも今更サインをもらいに来るのは、なんだか恥ずかしいからってずっと渋ってたから、そんなん気にせんでいいからって来てもらったんよ。
「はあ、そんなことしなくても、言ってくれれば差しあげましたよ」
手元には今まで出したCDくらい、いくらでもあるし。わざわざ出向かなくても、いくらだって彼女の元へ送ったのに。そう言ったら、もうアニキはとマリィから怒りの言葉を向けられる。
「それだけアニキのこと気に入ってくれた、ってことやけん。わからんと?」
「それはありがたいんですけど、だからってわざわざ来てもらう必要は」
というか新チャンピオンに出向いてもらうことのほうが、遥かに申しわけないんですけど。差し出されたペンとCDを受け取り、それなりに書き慣れたサインを今まで少し緊張しつつそこに記していく。
「女の子が聴くには、ちょっと刺激が強くないですか?」
「そんなことないです!ネズさんの歌声、とっても優しくて、元気が出ます!」
「そう……そう思ってくれるなら、ミュージシャンとして嬉しい限り」
どうぞとCDとペンを返すと、ありがとうございますと照れたような高揚した顔で返してくれた。これは益々、頑張らなければいけませんねと返す。
「せっかくだし、アニキと写真も撮ったら?」
「え、いやいいよ! 本当に、そんな迷惑かもしれないし」
「別にいいですよ、一枚くらい」
チャンピオンになってから、それこそあちこちで写真をせがまれるだろう彼女にとって、写真が一枚くらい増えても大したことじゃないだろうと、手招きしてあげると真っ赤になって、いいんですかとつぶやく。おれと二人が嫌ならマリィも一緒にどうですと誘えば、あたしはいいからと強めに返されてしまった。
なんでしょう、女の子というのは難しいものですね。
彼女のほうが背がどうしても低いので、少しかがみがちに二人できっちり収まるようにするものの、さてこんなときはどういうポーズを取ればいいんでしょう。というかおれ、笑顔が下手とよく言われるんですけど、大丈夫なんですかね。
「アニキはなにも気にせんで、ユウリはちゃんと顔あげて!」
「無理だってマリィちゃん!」
「それならやめますか?そんな、気をつかっていただかなくていいですし」
「アニキはいいから、黙っとって!」
おれの意思は蚊帳の外ですか妹よ、まあいいですけど。
「ほら二人とも笑って」
笑顔で、めいいっぱい笑顔でと妹に言われてしまうと、まあ表情筋が死にそうでも笑わないわけにいかない。これが精一杯なんですけどと思うと、ようやくスマホロトムからシャッター音が聞こえた。
二人で写真を確認して、これでよかとというマリーの言葉にうんと小さく頷いている、そんな変な顔してましたかねおれ。
「そうだ、せっかくですからおれのほうでも一枚撮っていいですか?」
「え、珍しい。アニキが自撮りとか」
「……キバナの野郎がうるせえので仕方なくですよ」
ジムリーダーを辞めてから、音楽活動にようやく力を入れられるようになったと思ったら、ならばもっと露出していかないとダメだ、日頃の様子をアップしろとよく連絡が届く。あまりにうるさいので、週に一回あるかないかくらいの日常の写真をアップしていたが、チャンピオンが訪ねて来てくれたというのは、まあいい出来事でしょう。本人の了承があればですが。
「いいですよ、わたしで、いいんなら」
「いや、チャンピオンはあなた一人だけしかいませんし」
「ツーショットがあれなら、あたしも入るから、ほら」
二人でユウリを挟みおれのスマホロトムで写真を撮る。確認してもらって問題ないと許可をもらったので、今日のところはこれでいいかとあまり更新していないSNSにアップする。
「今度、よかったらライブに来ますか?」
「ええ!いいんですか?」
「いいですよ。あまり前に来て騒ぎになっても大変なので、関係者席になってしまいますが」
それくらいの距離のほうが彼女の身の安全を考えるといいでしょう。ホップもよかったら一緒に誘って来てください歓迎しますよ、と言うと絶対に行きますと強く返してくれた。
「あ、じゃあ……これからも応援してますね」
「それはおれの仕事なので。ユウリ、頑張ってください」
はいと満面の笑みで頷くチャンピオンを妹と一緒に見送り、再び作業部屋へと引きこもった。

可愛い妹と話題の新チャンピオンとの写真は、信じられないくらい急速に拡散され、しばらくおれの通知欄を騒がせることとなる。

あとがき
いよいよ、トーナメント決勝戦の控え室に集まったジムリーダーのみなさんのコメントを聞いて回ってたときに、気づいたんですけど。
他のジムリーダーのみなさんが、自分の立ち位置からほとんど動かないのに、ネズさんはどこから話しかけても自分の方向いてくれる。
しかも、笑いかけてくれる!
決戦前は対戦相手と目も合わせないなんていう、スポーツあるあるなのはわかってるんですよ。
そんな緊張感バリバリの中で笑いかけてくれるお兄ちゃんって、絶対に安心するじゃん、惚れる一択じゃん!と思ったら、なんかできてしまいました。
2019年12月2日 pixivより再掲
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