きみだけにアンコール

ガラル地方は地域色は様々あるものの、娯楽施設というのはそれなりの大都市部に行けば存在している。ポケモンバトルを楽しむスタジアムがその代表だが、シュートシティまで行けば遊園地や劇場といったものも一通り完備されているし。エンジンシティやナックルシティにだって、歴史あるホールはいくつかあったりする。
ただライブハウスそのものの数はスパイクタウンが一番多い、小劇場やクラブなんかが密集していたエリアとも言える。今も営業してるのかと不思議に思うこともあったが、大舞台に上がれない駆け出しのバンドなんかは、あそこを拠点にしてくすぶったままになる、なんてこともあるらしい。
そんなスパイクタウンの奥底で巣にこもってた中心人物は、最近になって町の外でも積極的に公演を開くようになった。
元々、交通事情から見放されている面もあり人が集まり辛かったというだけで、彼が都市部でライブを開くとなるとチケットの売れ行きは非常に好調らしい。

自分の町で開いてくれるなら、運営から関係者席でもお願いできなくもないが、今日の公演はエンジンシティだ。流石に人様のところで好き勝手するほど、場をわきまえてない奴でもないし、それにこういうのは自分の力で勝ち取ってこそ楽しみが増すってもんなんだよな。
チケットを入れたヒップバックを肩からさげて、Tシャツにダメージジーンズを合わせた非常にラフな格好でやって来た。ヘアバンドはやめ、以前に彼のライブの物販で買ったヘアゴムで束ねた髪を、これもまたグッズのキャップを被った上から出し、大きめのサングラスをかけている。声さえあげなきゃ、ぱっと見でナックルシティのキバナだと判別できるか微妙だろう。オフの日くらい好きにさせてほしい、というのも本音だ。
周囲を見回せば、同じようにグッズで身を固めたファンがちらほらと混ざっている。中でも黒い封筒から中身を取り出してキャアキャア悲鳴をあげてる女性ファンに首を傾げ、スマホロトムで今日の物販情報を確認すると、Tシャツやマフラータオルといった定番のものの中に、ランダム封入ブロマイドなる文字をみつけた。
絵柄が五種類あり、なにが出るかは開けるまでわからないという。物販情報でも中身の写真は特に載せてないので、本当に開けるまでわからないらしい。今まで見なかった代物だが、あいつもなんだかんだで顔がいい。
いつでも見れるでしょうなんて言われそうだが、せっかくだしと長い列に並び、すごいスピードで客をさばいていく物販スタッフに欲しいグッズと合わせて、ブロマイド五枚を頼む。
「こちらランダム封入のため、同じ絵柄が出る可能性もありますがよろしいですか」
早口に注意事項を話していくスタッフにいいですよと言い、最終確認されて渡されたグッズを手に人混みからいったん離れる。

新品のラバーバンドを手首にはめて、渡された封筒の中身を取り出してみる。暗めのライトに照らされたネズの表情、笑顔ではないがキリッとした真剣な姿は、確かに騒がれても仕方ないかと納得する。
ステージ上から見下ろしてくる今回のライブポスターの別アングルでのショット、トレードマークになってるマイクスタンドを手にタチフサグマと映ったもの、ギターを手にしローの姿のストリンダーと肩を組まれたショット、ギターを手にハイの姿のストリンダーと背中合わせで演奏するもの。
被りなく四枚までを開封し、最後の一枚の封を開ける。
「おっ!」
運良く一回で全種揃ったらしい、それまでと異なる衣装だからすぐにわかった。鮮やかな朱色の上着を羽織った姿、たぶん黄色い悲鳴の正体はこれだ。
ステージ上で見せる勝気な顔ではなく、ちょっと憂いのようなものを含んだ、落ち着いた顔。緩く結んだ口が見せるのは満面の笑みではないが、なんというか……まあ一言で言うとエロい。
「マジかよ!」
叫んだ、思わず叫んだ。周りの視線が刺さるようだったので慌てて中身を仕舞い、さげてきてたカバンに詰めるとその場から立ち去る。
いやだってよお、仕方ないだろ。あいつエロいもん。そりゃ元から色っぽくはあるけども、それ前面に出したらダメだって。
思い出しただけで顔が熱くなる、すげえ破壊力だった。カメラもメイクも照明とかも、全部プロの仕事なのはわかってるけど、自分の自撮りとは桁違いだなって。
持ってきていた水に口をつける、落ち着けと心の中でつぶやく、いや落ち着いてられるかこれが!
モヤモヤする、苛立ちを感じているのがわかる。仕事とはいえあんな顔するんだなというのと、それを万人に振りまいてるネズに対して。おまえは誰のものなんだよ、って問いただしたくなる。 「あら、キバナじゃない」
なにしてんのこんなとこで、とよく知った声が問いかけてくるので顔をあげて、おまえこそなにしてんだよとたずね返す。
「ネズのライブ観に来たんだけど」
「だよなあ、オレさまもそうだぜ」
そりゃ格好を見ればわかるわよと返して、隣に腰かけるルリナにそうかとつぶやく、確かにわかりやすい格好してる自覚はあるし、これだけ人が集まる理由なんてカブさんの試合がなけりゃ、目的は一つに決まってる。
こいつはショートパンツにカラータイツ、上にはドルマンスリーブのシャツを合わせ、髪をシニョンに結っていた。ヘアゴムのデザインが同じあたり、前にもどこかで同じライブを見てたんだろう。
「やっぱりCDよりライブで聴くほうがいいじゃない、せっかくのオフシーズンだもの、そっちはそっちで楽しまないとね!」
「そーだな」
なんだかんだ、ルリナもネズのことは気に入っているらしい。長年競い合ってきたライバルだろと思うが、それとオフとは別よ別、と。確かにこいつに言われると説得力がある。
「ライブグッズとか衣装の制作してるデザイナーさん、あたしの知り合いなの。今日のステージ衣装も……って聞いてる?」
ぼうっとしながら聞き流していたのを見咎められて、悪いちょっと考えごとしてたわと返せば、呆れたように溜息を吐いて、もしかしてあのブロマイド見たの?と聞かれる。
「なんでわかんだよ」
「あんたがすねた顔してる理由が他に思い浮かばなかったからよ、あの写真、確かにいい顔してるのよね」
ショルダーバッグから取り出したブロマイドは、例の朱色の上着のものだ。おまえも買ったのかよと指摘したら、ダメだった?と聞き返される。
「あんた一人のものじゃないでしょ」
「そりゃわかってんだけどさ」
欲張りたくなるのは仕方ないだろと、自分でも驚くほどすねた声でつぶやけば、しばらくしてあんた今日のライブ平気なのと聞かれる。
「平気ってなにが?」
「ライブ直前インタビュー見てないわけ」
ほらと差し出されたスマホロトムの画面には、三日前に配信されたらしい女性向けファッション誌の電子版、そんなものオレさまが読んでると思うか?と見返すと、なら今からでも目を通したらと言われる。いや、読むけどさ。

--今回のライブは今までと少し違うとおうかがいしましたが、具体的にはどのように?
ジムリーダーを務めていたころは、町の発展をと思っていたので、誰かの応援になるような、背中を押すことができる曲をメインに据えて活動してました。
もちろん、応援歌のようなもの以外でもおれの歌は色々とあるんですが、ライブでの選曲がどうしても偏りがちになってしまうので、たまには雰囲気を変えてみようかと。
--普段あまりセットリストに入っていない曲をメインに?
そうなるんですかね。どうしても、ステージ上ではハイな気分で歌ってしまうので、バラードなんて求められてないのかと思ってたんですけど、前からあの曲は歌わないのかって聞かれることも多々ありまして。
なら一度そういう世界、ローの気分を押し出した選曲でいこうかと。
悲しい歌ってあまり好きじゃないので、迷うところはあったんですけど。そういう気分のときってあまり、うるさく応援されたくないこともあるかと思って、なので心に寄り添った選曲ですかね。
とはいえ、おれのライブに変わりはないので、ロックでないことはありえないですよ。
--なるほど、テーマはどのように決めたんですか?
そもそもがローのテンションなので、そういうアンニュイな気分に寄せてますよ。言葉で表すと難しいですけど、どうしても振り返ってくれない相手を思うときに近いような……。

「うっそだろ、まじか!」
うるさいわよと睨みつけるルリナに、いやだってこれさと記事の表示された画面を見て、告知した時点で出てたでしょうがと呆れ口調で返される。
いやライブするのは知ってたし、チケットの抽選は速攻で申しこんだものの、それ以外の情報は舐め回すように見てない。
当時、どうしても忙しくて時間が取れなかったために、最低限の行動としてとにかくチケットだけは取った。予定が決まってれば後から調整することはいくらだってできる、そう思っての行動だ。
後から行けなくなりましたなら、後ろ髪は引かれるが諦めはつく。行けるのに取れなかったというほうがショックはでかい。
「どんどん取りにくくなってるからね、あたしもギリギリだったし」
ホルダーから取り出して見せるマゼンタと黒のまだら模様が特徴的なチケット、ルリナのものは整理番号としては後ろから数えたほうが早いだろう。
「あんた、どれくらいなの?」
「100番代」
うわーと心底引いた顔をする、なにかおかしなことでも言ったかと首を傾げると、今日のキャパシティから考えて、どう転んでもファンクラブ会員じゃなきゃ取れない番号でしょと返される。そうだぜ、通知が入るから便利なんだよなあと返せば、そんなもの見なくてもよく知る仲でしょうと呆れ口調で返される。
「面白いじゃん、ネズがなにしてんのか定期的に見れるってのは」
「いつかストーカーで訴えられるわよ」
あたしはネズのほうにつくからねと真顔で言われる、これはどうも冗談じゃなさそうだと思い、そんな下心ってわけじゃねえよと返す。
「あいつ、あんまSNS更新もしねえしさ、なにしてんのか気になるんだよ」
それに目に見えてわかるだろ、どれだけの人の支えになってるのか、どれだけの奴等がネズを心待ちにしてるか、求められた数が形になって見えるのは自信になる。
その内の一人が自分ってだけだ。
「その割にライブ情報は見落としたわけ?」
「いや、普段通りだと思ってたからさ……」
そういえばまだ記事を読んでる途中だったんだが、続きはもう自分で検索して見ろと、ルリナからURLを送られた。

--思い人ということは、ネズさんの実体験も?
プライベートについては、ノーコメントです。
補足しておきますと、おれ他人の感情に共鳴しやすいらしいので、うまく感情に重なるように想像を積み重ねて作ってます。まあ嘘になりすぎない程度に。
--今回、化粧品ブランドの広告モデルを引き受けられたのも、その一環ですか?
それもありますかね。おれにはどう足掻いても女性の気持ちなんてわかりませんが、まあ人の感情ですから、近い部分、重なる部分を探していければいいなあと、模索することはあります。
しかし、本当におれなんかでよかったんですかね?いくらなんでもゴツいでしょう。 そういや、企業モデルの依頼が来たって言ってたな。女性誌のインタビュー理由も、広告モデルとしての仕事の兼ね合いだろう。
あとは当たり障りない終わりの挨拶と、今日の告知だったので適当に流し読みして、再び声をあげたところまで指で戻していく。
「ローのテンションに、ねえ」
そう言われたならあの写真の理由もわからなくはない、再び取り出したブロマイドにうわあと声をあげて引かれる。
「なんだよ悪いか?」
おまえだって買ってただろと指摘すると、コンプするまで揃えてはないわよとげんなりした顔で言う。でもリーグカードを買うようなもんだろ、そうかもしれないけどと言葉を切って返す。
「まあでも、ジムリーダーも辞めちゃったし、リーグ公式のショップだとネズのリーグカードは在庫分で終わりなんだっけ?だから、なんか急いで撮ってたし」
なんで知ってるんだよと言うと、そのカメラマンも知り合いなのよと平然と返ってきた。仕事のつき合いとは業界的に顔が広いようだ。
「ネズから急にだけどカメラマン捕まらないかって、だから紹介したの。いい仕事してるでしょ?」
「確かによく撮れてるけど」
それだけファンの要望が多かったから本人なりに応えようってしただけ、自分も手にしておいてなにが不満なわけ?と聞かれてしばらく黙りこみ、不満とかじゃないってと手を振って答える。
「わかっちゃいるけど、独り占めはできねえんだなって実感してるとこ」
「当たり前でしょ。誰だって自由だもの、そんなに特別になりたいんなら、ちゃんと捕まえておきなさい」
まあ、あたしから言わせればどっちもどっちよと言うと、自分のスマホロトムをショルダーバッグに仕舞い立ち上がる。そろそろ開場時間だし、移動しましょと声をかけられて、もうそんな時間だっけとのろのろと立ちあがり、会場に向けて並んで歩く。周りからの視線が刺さる、流石にこいつと並ぶと誤魔化しは難しいか。

整理番号ごとに人数整理をしているスタッフの声が響く、結構離れているのでここで隙間時間に話し相手になってくれたルリナと別れて、整理列の中に紛れる。
あれという声が聞こえた気がするものの、流石に反応するわけにもいかない。今日はあくまで一人のファンとして来てるわけだし、なによりネズのファンからあいつへの意識が逸れるのは嬉しくない。
入場しチケットの半券を受け取り、ホルダーへしまうと客席へと踏み入れる。アリーナの中にはすでに入れたファンが何人もあいつが出てくるのを待ちながら、スマホロトムでSNSを更新している。自分のはすでに電源を落としてしまっているので、一番前のブロックの柵に背中を預けて、ステージに上がってくるネズを待つ。

ローの気分で行くというネズ、どんな格好で、どんなテンションで、どんな歌を歌うのか、まったく想像がつかない。会場に設置された電子時計の進みが遅い。刻々と人は集まってくる、女性ファンも男性ファンもトントンってところか。エール団のメイクをしている奴等も混ざっているが、本拠地じゃないからだろうか数はいつもより少ない。マゼンタに染まるくらいのときもあるが、全員が全員あれをするわけでもない。
そろそろ入場も終わったかと思うころ、会場に注意事項についてのアナウンスが流れた。お手持ちのポケモンが急に出てくると事故の元ですので、ボールの制御はお気をつけくださいという聞き慣れた注意事項に、自分の手持ちを確認する。人が多いとどうしても事故になりやすいが、今まで怪我人が出たという話は聞いたことがない。流石に大型の、それこそドラゴンタイプなんか出てきたら危ないんだろうけど。
会場の照明が落ちて、避難誘導灯も演出上消された。いよいよかと高鳴る胸を押さえて、舞台袖を見ていると、今日のバンドメンバーが出てくる。ネズがバトルで使用しているストリンダーも立派な一員なのは知ってる。
ローの姿のストリンダーの鳴らす重低音に迎えられて、ゆらりと舞台へと歩いてくる人影。ライトを受けてないためまだよく見えてないが、今日は珍しくいつもは結ってるボリュームのある髪を、後ろでまとめた上でなにか飾りをつけているようだ。そのかわり、足元まで伸びる上着が歩くたびにひらひらとなびいている。
なんだと周りのファンたちに混じって、自分も身を乗り出してその姿をよく見ようとする。
ライトに当てられて浮かびあがったネズの姿は、非常に鮮やかだった。
いや派手だってことじゃない。上着代わりに羽織っているのが着物っていう、カントーやジョウトのほうの衣装だってのも知ってる。それ自体も黒地に銀の刺繍が施されているので綺麗と言えばそう。あいつの肌が白すぎることを抜いても、よく映えている。
じゃあなにが問題かって、素肌の上に直接その薄手に見える着物を着ているのがまずい。上に着てるのは着物のみだが、下は細身のレザーパンツだ、足元が派手なピンヒールでなければ、普通に見れただろう。
普段は結っている髪を綺麗にまとめて、飾り立てているのもいい。だがダメだ。首筋が綺麗にさらされていて、ここから見ていても噛みついてしまいたい。
しっとりと滴り落ちそうなほどの艶と妖艶さを湛えたネズが、スポットライトに照らされて立っている。
隣に立ってた女性ファンがマジでヤバイと叫ぶのに、確かにあれはやべーなと心の中で同意した。
ステージ上のネズはマイクスタンドを手に、伏し目がちに会場全体を見回す。自分を見た、というのはこういう場合は大抵は錯覚なのだが、確かに目が合った、それは本当に自信がある。

伴奏が始まり普段に比べるとしっとりとした歌い出しに、息を飲むほど吸い寄せられる。アンニュイな気分に寄り添うというインタビュー通り、対峙するような強さではなく言葉通りに染みこんでくるみたいだ。
足でリズムを取っているのはいつもの通り、体が揺れるのに合わせて着物の裾が揺れてあいつの体を撫でていく。ゆったりした歌と合わさって、それがまあとにかく綺麗なのだ。
三曲ほどノンストップで歌い終わったころに、ステージが暗転して一度音が止んだ。しばらくしてライトに照らされたネズが、今日の挨拶を口にする。
「今日はローの気分だって言ってた割には、よく集まってるな」
随分ともの好きな人が多いようでと口にする癖に少し顔が笑ってる。観客からの声援にもありがとうございますと丁寧に返し、少し汗ばみ赤くなった顔でいい夜にしたいものですねと言う。
「そういえば、今日は色んな人が来てくれてるらしいんですけど……今夜限りは全員まとめておれのものとして扱いますが、よろしいですね?」
いいよという返事が飛んでくる。よくないなんて誰が言うだろう、目の前でゆらゆらと魅力を振りまく男の誘いを、誰が断るってんだ。
「今日は振り落とすほどかっ飛ばすつもりはないんだが……そのかわり、根こそぎ心奪ってくから、覚悟はしとけよ!」
いいなという声に、ははっと自分の口から下手な笑い声がこぼれる。ここに集まってる奴が、おまえに心奪われてないなんてありえねえだろうが。

全ての視線を集めて、ただ一人、その頂点に立ちながらなに言ってんだよ。おまえの一挙手一投足が美しい。体に合わせて揺れる髪も、体を彩る飾りも、上気した頰や肌の上を伝う汗も、リズムを刻む足の先まで、完璧だ。
会場に満ちた熱に炙られて、徐々に色づいて、美味そうだなと思う。
妖しく揺らめいて立つ姿を求め、呼吸の一つまですくい取って飲み干してしまいたい。声がいい、紡ぐ言葉がいい、だからその発生元もきっと美味いだろう。

ふいに舞台から投げられた視線に、射抜かれた気がした。気のせいかと思ったが、真っ直ぐにこちらを睨む瞳には、いい子で待ってろという無言の圧を感じる。そんなもん、できると思うか?すぐにでもステージに乗り出して、その首に噛みついてやりたいってのに。
二度目の幕間に水を取りに下がり戻るも、すぐに戻って来た。最初に言っておくべきでしたが、おれのライブにアンコールはないんでね、と落ち着いた声で場内に語りかける。
「おれも、おまえらをおかわりできないんですよ。それくらい全力で喰われてるって、自覚ありやがりますか?」
返答になってるかなってないかわからない声に対して、それだけ元気ならまだまだ足りてなさそうですねと、淡々とつぶやく。
「まあそう、今日はローのテンションですし、余力ありそうですね。ちなみにこんな今日のおれ、どうです?」
長い袖を手に持ちひらひらと揺らしてみせる、綺麗!という声にありがとうと返していたが、オレさまから言わせりゃよくはない。綺麗ではあるけど、いつも以上に我慢できそうにない。
自分の腕の中にいるなら、いいのに。熱狂もなにも全て、欲しいなら与えてやるから、だから。
「おれなりに、愛されてみようかなと思いましてね。ただお子様には少々、刺激が強すぎましたか?」
どう思いますと、こちらを真っ直ぐ見つめて言う。気づいてるだろ、どんなふうに見られているのか、それも織りこみ済みでまだそんなことを言うのか。
なあネズ、おまえ誰に愛されたい?
「ここにいる以上は、今夜はおれのものだ」

手持ちの水はすっかり飲み干してしまった、空のペットボトルを握り潰してゴミ箱へ入れる。
楽しかったとか、すっごいよかったとか、まだ興奮の冷めていない声で早口に語るファンたちを見送りながら、近場のベンチに座って眺めながら入場前にルリナと撮った写真を自分のポケスタにアップする。
今日はネズのライブに来てたんだぜ!偶然、よく知ってる奴に出会っちまった、みんな楽しんできたか?
なんて適当に打って、二人でのオフショットをアップする。やっぱりあれキバナさんだったんだとか、すごい画面が綺麗とかなんとか、およそ感触のいいコメントを眺めていたものの、途中で飽きてやめてしまった。
自分への反応なんて今はどうでもいい、心の底から本当にどうでもよかった。それでも写真をアップしてしまうのは、もうすでに習慣化してしまってるからだ。何かを発信してないと自分じゃない気がする、あくまで気がするだけでそんなことはないんだけど。
「今晩の予定どうだ、と」
メッセージを送信してしばらく、既読もつかないそれをぼうっと眺めている。ライブ終わりだ、スタッフと打ち上げだと言われてしまうかもな。なんて。
「なにしてんのよ、こんな所で」
「恋人待ちの最中」
それちゃんと来るんでしょうねと呆れた口調でつぶやき、誰もいいと言ってないのに隣に腰かけ自分の水に口をつける。
「約束はしてねえよ」
「なら今日は諦めたほうがいいんじゃない、仕事終わりで忙しいでしょ」
会える確率なんて絶望的でしょという相手の声と、スマホロトムの通知音が重なる。
「ネズからだ」
「なんて?」
「来るんなら、事前に連絡しろってさ」
そりゃ誰だってそう言うわよとトゲのある声で言う。舞台の後って忙しいのよ、それが自分が主役となると余計にね。そんな当たり前のこともできずに押しかけたのは、悪かったと思ってる。だけどそれはそれ、これはこれ。あんなものを見せられて、見せつけられて、今日どうしても会いたくなったというのは仕方ない話じゃないか。
自分勝手な男は嫌われるわよと、嫌味たっぷりに言われても、欲張らないなんてできるかよとスマホロトムと向き合い、この先にいる相手にどうにか約束を取りつけないかメッセージを送る。 打ち上げに軽く顔を出して、今日はここのホテルに泊まる予定だからそこでなら会えますよと、律儀に部屋番号まで添えて送ってきた。
「物好きよね」
「そうか?」
最高の間違いじゃねえのと言えば、あんたを相手にしてることよと冷たい視線で返される。そんなにうざ絡みしてくる男、あたしなら一発くらい殴ってると思うんだけどとそれなりに洒落にならないことを言う。こいつの性格の苛烈さはよく知るところなので、なるべく刺激はしたくないんだが。
「あんた、あたしをなんだと思ってるの?」
じとっとした目で睨まれて、綺麗な花にはトゲがあるくらいで丁度いいんだって思い知らされる相手と答えると、こんないい女に向けて失礼しちゃうわと、自分の水を飲み干して片手でボトルを潰してしまう。
どうせ行くだろうと思ってたから、あんたから渡しておいてと中から取り出されたのは綺麗なラッピングをされた小さな袋だった。モデルの界隈で流行ってるボディクリームらしい。
「足はたっぷりケアしてあげたほうがいいわ、ヒールって結構くるのよね」
そう言いながら立ち上がると、じゃあ用も済んだしそろそろ帰ると手を挙げて去って行った。相変わらず、いい女なんだよなとその後ろ姿を見ながら思う。そうとわかっていても、俺にとっての一番は、残念ながら他でもない今日の主演なのだ。
「また、リーグで会おうぜ」
背中に向けて声をかけると、こちらへちょっと振り返り手を挙げて返してくれた。

差し入れを見繕って、ついでにしばらく適当な店で飲んで時間を潰してからネズが泊まっているホテルへ向かった。
打ち上げでも主役ではあるものの疲れているので長居をする気はない、早く切りあげてくるからとは言っていたものの、待たせるのも急かすのも嫌だった。
フロントに寄り、来訪を告げるとすでに主人は戻っているらしく、そのまま向かっていいとのことだった。
送ってもらった部屋番号を頼りに廊下を歩き、ようやくたどり着いたそこの呼び鈴を押すと、しばらくしてから中へ出迎えられた。
「よう、お疲れさん」
「どうも」
少ししゃがれた声で返される。シャワーでも浴びた後なんだろう、ネズの髪から漂う甘い香りに、少しクールダウンさせた欲がまた熱を帯びてくる。
「そうそう、これルリナからの差し入れ」
肌にいいクリームだって言うと、ありがたいですねと答えつつ部屋へと戻って行く。戻って来たばかりで散らかってますけどと言うが、それほど散らかっているとは思えない。
「二人で見に来たんですか?」
「いや、会場で偶然」
カブさんには会わなかったんですねと言うので、あの人あんまりこういう場所には来ないだろと返せば、今日は招待してたので見てたと思いますけどと言われる。
「オレさま一生懸命チケット当てたのに」
「お騒がせしますから、協力の感謝とお詫びに招待しただけですよ」
打ち上げもご一緒いただきましたと言うので、そうかと言いながら座った相手の前に陣取る。ルリナから渡されたボディクリームを手に取ると、随分と疲れたらしいネズの足を取り足裏から甲にかけてじっくりと塗りこんでいってやる。しっとりと吸いつく肌の感触に、口をつけたくなるのを我慢して続けていく。
「てっきり、がっついてくるものだと思ってました」
「待てのできないガキでもないんでね」
それに、靴擦れの跡がある足を見ていると、綺麗にしてやりたいって気持ちが先行してくる。ご機嫌を取って悪いこともないだろうし。
「結構、前のほうで見てましたよね」
「一応はファンクラブ会員なもんで」
「さっさと出禁になりやがってください」
別に規律違反はしてないだろと返せば、そういう問題ではなく、ただでさえ人が集まる場所だというのに、おまえが来るだけで騒ぎが輪をかけて大きくなるんですよと嫌そうに口にする。
「なんだよ、ルリナだって来てたし」
「一般のファンの中にしれっと混ざるならともかく、ファンクラブ会員なんて目立つ集団の中に混ざるなと言ってるんです。
嫌だよ、せっかくのネズのライブなんだから。できるだけ自分の納得いく席で見たいってもんじゃん。
「なにせ今日は、届かない思い人に向けてなんて言ってたくらいだし、どんな顔すんのか楽しみで仕方なかったぜ」
「……なにを勘違いしてるか知りませんが、別におまえのことじゃないです」
そりゃそうだと笑顔を向ける、ふくらはぎの辺りまでマッサージの手を伸ばしていくと、少し赤い顔でこちらを真っ直ぐに見下ろす目と合った。
「オレさまとネズは、想い合ってる仲だし?」
「それがわかってるなら、離しなさい」
さっきから手つきがやらしいですと言うネズをベッドに倒し、その上に乗りあげる。ステージで魅惑的に揺らめいていた体が、もう好き勝手できる場所にある。それだけでなんでこんなに幸せだと思うんだろう。
でもまだだ、今日はまだ聞きたいことがある。
「あんまり人前で肌さらしてんじゃねえよ、オレさまのだろ」
「この体自体はおれのものなんで、好き勝手させてもらいます」
「エロい目で見られるだろ、他の奴等にまでさ」
「色っぽさを求めてたので、そう見えたなら今回は成功ですよ。おれも一応アーティストなもんで、幅のある表現を求めてるんです」
自分の足を犠牲にしてまでやるべきことかと問い返す、それで満足させられるならこの程度の疲労は織りこみ済みだと、しれっと返ってくる。
「それと、思い合っても手の届かない相手というのは、いるものですよ」
普段は頼んでもないのにいくらでも連絡をかけてくるというのに、ここしばらくなにやら忙しそうで、まともに顔を合わせる機会もなかった。まあ確かにおれも忙しかったですけどね、今日のための準備があって。だからって言っても、放置されすぎると自分は魅力がなかったかと疑いたくもなる。
だからか、あんな写真をばらまいたのも、今日のステージ衣装も、あんな人を誘う顔をしてたのも、全部が全部。
「ところでキバナ、今夜のステージは最初から最後まで見ましたね?」
もちろんだと返すと、乗りあげているオレさまの顔へとネズの手が伸びてくる。それを取って導かれるままに覆いかぶさると、おれの言ったこと覚えてますか?と耳元でささやかれる。
「色んな人が居たでしょう、でも今夜はおれのものになれと」
「言ってたな」
「どうなんです、なってくれますか?」
アンコールはしない主義ですが、おまえだけ、おかわりさせてくれますか?
息のかかりそうな距離で問いかける相手を無言で見つめ、にっと口角をあげて笑う。
「満足するまでかっ喰らえよ、ネズ 」
スポットライトなんてとっくに切れたのに、彼から感じる揺らめき立つ色香はむしろ強く捉えてくる。
自分だけがこの顔を声を、マイクを通さずに耳にできるそれだけでもなんて、贅沢な気分にさせてくれるんだろう。
それじゃあ、お望みどおり二人だけで始めようぜ。どちらからともなくキスを交わした。

あとがき
葵には数年来追っかけてる大好きなバンドがありまして。
ある年の公演で、素肌の上に着物を着て革のパンツって姿でガチで現れたときに「ヤバイ、好きだ!」と思ったのを、ネズさんにもしたくって。
あ、ピンヒールを履かせたのはこいつの趣味です。男の人のヒール姿って萌えるなあって、ネズさん絶対似合うと思うんですよね……?
2019年12月6日  pixivより再掲
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