暗い水底は安心するんだ。
世界から遠く離れて、このまま棺に入って眠りにつきたい。
向こう側であなたが待っていて、凍える体を抱きしめて温めてくれる。そんな気がするから。
でも願いをこめて目を閉じてみても、瞳の裏に映るのはどこまでも続く白ばかり。
白と黒の憂愁・2
今日の成果も上々だ、首尾よく金が入って来たことで部下たちも浮かれてやがる。
騒ぐ奴等を眺め、いったんその場から抜けて夜風に当ることにした。
この船上を除くと街は静かなもんだ。
そんな船上から抜けて、俺はいったいなにをしているんだか。
「っん……っ、ふ……ぁ」
相手の薄い唇に自分のものを重ねると、拒絶はなくむしろ歓迎するように舌を絡めて奥へと誘われる。細い体をしっかりと抱き寄せて、体をぐっと寄せる。
ちゅっ、くちっ、と水音高く鳴らして深いキスをする傍ら、相手のコートの前を開く。素肌の上に着ていただけで、相手の皮膚にすぐ手が重なった。
露わになった体の胸元にはキツイ黒のラインで描かれたハートがあった。縁取りをなぞるように手を滑らせると、くすぐったそうに身が跳ねる。その反応を楽しみつつ、低めの体温を掌に感じ、腰のラインをゆっくり撫で回せば体を更によじらせ、俺の背に手を回した。
「随分と景気がいいみたいだな」
静かに一人酒でも洒落こもうかと思った矢先、廃船所にある倉庫の影から男の声がかかったのは数分前のこと。
「誰だ?」
「さあ、誰なんだろうな?」
俺もそれが知りたいんだ、と言って出てきたのは真っ黒なコートに身を包んだ長身の男だった。目元まで隠れるフードを被っているせいで、顔がよく見えない。
ただ、真っ赤な口紅を引いた唇とそれに反する白い肌が月明かりの下でやけに際立って映る。
「ここの船長だろ?」
「だとしたら、なんだ?」
「楽しませてくれるかなって思ってさ」
俺の手を取って更に距離をつめた。割って開いた指には真っ黒な「DEATH」という不吉な文字が刻まれており、フードの下の陰からグレーの目が楽しげにこっちを見つめている。
死神のような風貌してやがるがなるほど、そういう輩か。
「生憎と、男を抱く趣味はねえんだよ」
「別に金がほしくて売りこんでるわけじゃないさ」
じゃあなにが望みだと聞けば「しいて言えば愛」という甘ったるい言葉が返ってきた。
「なあ、どうだよ?」
しなだれかかってくる相手の、よく見えない顔に苛立ちがつのる。
「面倒な野郎だな」
冗談もほどほどにしろと掴まれた手を払いのければ、冗談じゃないんだけどなと笑って、離れる直前に俺が持っていた酒瓶を取りあげた。
てめえなにする、と言うより先に中身を一口飲んで中々いい酒飲んでるんだな、と感心したように返してくる。
「いい加減にしろ」
大体、そのツラ隠してるのが気に食わねえ。
見せろと、強引に相手のフードを取りさって髪を掴むと、それでも挑戦的に笑う目と目が合った。
時間が止まったのかと思った。
文句を言うつもりでいたはずなのに、相手の顔を直視してしばらくなにも忘れてただ憑りつかたように見つめ続ける。
思ったより綺麗な顔をしている。目の下に浮かんだくまの影が瞳の光りと混ざって、悲哀と熱を帯びて全身を飾っていた。なにともどことも言えないけれども、やけに目を引く容姿。それがいったいなんなのか、見当もつかない。
思わず喉が鳴った。
「どうかしたか?」
掴み上げていた手の力が弱ったのを見計らい、そっと頭から外すと息がかかりそうなほど顔を近づけてそうたずねてきた。
なんと答えようかしばらく迷う俺に、相手はにやりと片頬だけを吊りあげて笑う。
「俺に、興味がわいてきた?」
「……それなりには、な」
決まり悪くそう口にすると、それは良かったと心底楽しそうに呟く。
「名前は?」
「人に聞くなら自分から名乗れ」
まあ紹介してもらわなくても、知っているけどと悪戯っぽく男は笑う。
「ユースタス・キャプテン・キッド、最近なにかと話題の海賊。新聞は楽しく読ませてもらってるぜ」
「知ってもらえていて光栄だ。それで、お前は何者なんだよ?」
「生憎、俺には名前がない」
あったはずなんだが忘れたんだと、なんでもないことのように語る。他人事で、ひどくどうでもいいと言わんばかりに。
戦争孤児かなにかか、それなら身を落として暮らしているのはわかる。そう思ってると、まあそれだと面倒なんだよなと相手は笑って返す。
「仕方ないから、今はプシュケと名乗ってる」
口の中で繰り返してから、変な名前だなと返せば、よく言われるが気に入ってるんだと言った。
「それで俺を誘ってどうしようっていうんだ?」
「別に今夜はどうこうする気はねえよ」
今夜はという言葉に、どういう意味だと問い返すとそのままだと返ってくる。
「ログポースが溜まるまではしばらく逗留するんだろ、その間に相手してくれればいいからさ」
気が向いたらここに連絡してくれよと、番号だけ書かれた紙切れを差し出す。
受け取るが、それだけで引き下がるわけにもいかないと相手を抱き寄せる。
「悪いが、これだけではいそうですかって帰すほど、善人じゃない」
「だろうな。善人だったらまず、俺に引っかからない」
なにが望みだ?とたずねる男を抱きかかえて、今は誰もいない倉庫内に押し入った。
目を見開く相手に、ちょっと味見させろと耳元で囁く。
「味見って、さっきまで興味ない顔してたくせに」
「さっきまではな、今は違う」
強欲でないと海賊もできねえだろ、と笑ってみせれば呆れたように溜息を吐いた。
そして、男と二人で隠れるようにこうして抱き合っている。
まったくもって、正気の沙汰じゃあねえな。
「どこまでヤル気?」
最後までやるつもりじゃなかったから、準備とかしてないんだけど、と言う相手に対して。男相手にどういうことができるかまではわからないと、正直に言う。
「ふーん、じゃあ気持ち良いことなら、なんでもいい?」
そうたずねられて、できるのか?と聞くと可能な限りは頑張るさと、答えた。
俺の腕の中から抜け出して、積まれたままになっていた木箱を指して「ここに座って」と言うと、俺の体の間へと滑りこみ、下半身へ手を滑らせた。
「あー……結構、大きさあるな」
大丈夫かなと言いながらも、丁寧に前を開いてそんなに反応してない俺のもんを取り出し、指先をゆっくりと這わせる。
もどかしい感覚に耐えて、下にいる男を見ると勝気に頬を釣り上げて笑い、唇と変わらず赤く染まった舌を取り出してペロリと舐め上げた。
「っうぁ!」
「はは!感度いいんだ、可愛いな」
可愛がりがいありそ、と笑って言い返そうとした俺は、言葉が喉奥で留まった。
かぷりと先端を口の中に包み込まれ、体の熱が急激に上がってくる。
「んっ、んん……あっ、ふぅ……」
少し苦しそうに、口の中のものを舌で愛撫するが、その技巧は中々に上手く、こちらとして気を持っていかれないように耐えるのに必死で、どうこうしてやろうという気持ちが湧いてこない。
涙を薄っすらと浮かべてこちらを見つめるその視線が、絡んだ時にどっと心臓が高鳴った。
欲しいものはと聞いて「しいて言えば愛」と答えた、相手が求めている愛とはなにかわからないけれど、だけど今は俺を見つめ求めている。
たとえ錯覚であろうとも、それでもいいという気持ちが湧いてくる。
猫のように跳ねた髪をゆっくり撫でつけてやると、思ったより柔らかい感触にもっと触れていたい気持ちが沸き起こる。
そろそろ疲れてきたのか、追い詰めるように唇をすぼめて思いっきり吸い上げ、うながされるまま、口の中で吐精する。
涙目のまま、彼の喉が何度か鳴り中のものを飲み干したのを見せつけるように、口を開く。
その喉の奥へ、甘さを帯びた吐息を吸い込みたくてキスしてやろうとしたら、手で制された。
「おいおい、自分のものしゃぶられたあとの口にキスするつもりか?」
後味は最悪だぞ、と苦笑いする相手に、そうかもしれねえなと言いつつ、体を抱き上げて膝の上に座らせると、真っ白な鎖骨の上に唇を這わせ、お返しとばかりに吸い上げて跡を残してやる。
「あっ!おい、跡はつけるなよ!」
「いいじゃねえか、ここにいる間には相手してくれるんだろう?なら、これが消えない間に相手してくれよ」
結構、気持ち良かったし。お前のこと、どうも気に入ったからさ。
そう返すと、呆れたようにため息を吐いた後で、それはいいけどと言ってから言葉を一旦切る。
「俺と会ったことは、船員には秘密にしておいてくれるか?」
あんたも、男に相手させてるって知られたくないだろ?と言われて、当たり前だろうがと返す。
「また、会えるんだよな?」
俺の身支度を整えた後に、自分の衣服を戻す相手へたずねると、そのつもりだけど気分次第かなと答える。
「……天気次第、かもしれないけど」
「はあ?」
「寒い夜と、雨の日が嫌いなんだ。そんな日は、無性に側で誰かの熱を感じながら寝ていたい」
そんな日が来たら、隣で寝て。と言ってから、プシュケは俺の胸に頬を当ててふっと息を吐いた。
「いいな、心臓のすごいたくましい音。力強く吐き出す脈、これこそ生きてるって音。側で寝てくれてたら、よく眠れそう」
とろんとした声でそう言うと、仕返しだとばかりに、首元を吸い上げて赤い跡を残すと、今夜はこれでお開きにしようぜと言った。
「じゃあまた、連絡して」
待ってるからと言い置いて、プシュケはしばらく迷ってから俺の口の端へキスを落として、勝気に微笑んでから出て行った。
「最近、お前は随分と天気を気にしているな」
出航するのかと思えば、なにかれ理由をつけて後回しにしている。
武器の手入れをしながら、船室でイライラと貧乏ゆすりをする俺に向けて、キラーはなにをそんなに苛立っているんだと続ける。
「ログポースは次の島を指してるし、長く留まると海軍に目をつけられかねない。この島にはもう用がないだろう?」
どういう風の吹き回しだと聞く相手に、別になんでもねえと返す。お前は隠し事とかは下手なんだから嘘はつくなと一喝された。
「しきりに雨の日を聞いてるらしいが、なにがあるんだ?」
「なんでもいいだろ、俺の勝手だ」
「船長の勝手が許されるのも、範囲ってものがあるだろう?俺たち全員の命を預かってる頭であることを忘れるな」
誰かに熱を上げすぎるのは、そういう意味では得策ではないと冷静な声が言う。
痛いところを突かれて睨みつけると、黙って首もとを二度ほど叩いた。
「いつの間に面倒な女に引っかかったんだ?」
「面倒かもしれないが、悪い奴じゃない」
信用できるわけがないだろう、と呆れて返す相手にヤバくなったら殺してでも逃げるさと返す。
「それができれば、苦労はしない」
「どういう意味だ?」
「惚れてる相手に対しては、人は自分の利益よりも相手の利益を優先しすぎる。殺すより、殺されることの方が多い」
女に溺れた権力者が、殺される理由はそこにあるんだよと言う。
「せいぜい、寝首かかれないように気を張っておくんだな」
「はっ!ご忠告、痛み入るぜ」
そんなヘマするような奴に見えるなら、テメエが俺を殺してトップに立て、それで気が済むならなと返すと、やれやれとキラーは肩をすくめてみせた。
「まあ、お前に関してそんな下手を打つとは思ってないさ。あと今夜は冷えるらしい、夕方からは雷を伴った雨になるとのことだ」
出かけるなら、傘は忘れずに持って行けと言って部屋を出て行く相手に、わざわざありがとうよと聞こえない程度の声で返す。
港に下りて影になるような場所まで移動してから、隠し持っていた番号に連絡をかける。数分間のコールの後に、はいと気怠い男の声が返ってきた。
「よう、起きたところか?」
そう言うと、電話の向こうの相手はふっと笑って、ユースタス・キャプテン・キッドだなと呟く。
「俺の声を忘れたか?」
「いいや。あれから十日近く経つのになにも連絡がないから、てっきり酔いが覚めて正気になったのかと思った」
「雨の日になったら連絡を寄越せって言ったのは、どこのどいつだ?」
「律儀に約束を守ってくれるとは思ってなかったんだよ。でもそういうの覚えててくれるなんて、優しいところもあるじゃねえか」
今日は雨なのかとたずねる相手に、夕方から降るらしいと返す。
「雨の一人寝は嫌なんだろう、温めてやるさ」
「そりゃあ楽しみだ」
宿はどうする?と言う相手に、俺の方で手配すると返す。待ち合わせは前に会った倉庫でいいかと聞けば、好きなようにしてくれて結構だと、楽しむような声が返ってきた。
そこで連絡を切って、ふと息を吐く。
優しいところもあるじゃねえか、という相手の言葉に、らしくねえことしてんのかと改めて思った。
「焼きが回ってんのか」
寝首かかれないように気を張っておいたほうがいいかもしれない、と部下の言葉を思い出して溜息を吐いた。
こりゃあ、相手が男だとは口が裂けても言えそうにない。
待ち合わせ時間の少し前から、小雨が降り始めていた。
どんよりした空を見つめていると、ようと目の前の影から声がかけられる。見れば前と同じ黒いコートを着て、フードを被った相手が口の端を持ち上げて笑っている。
「おい、傘くらい持って来い」
事前に降るって言ってたろうが、と言えば別に関係ないだろとさっと俺の差していた傘の中へと入りこんだ。
「濡れるだろうがくっつくな」
「邪見にするなよ、入れてくれたっていいだろ」
コートの水滴をさっと手で払ってそう言う相手に、盛大な溜息を吐いて仕方なく傘の半分に入れてやる。
相変わらず、赤い口紅を引いて顔をフードで半分隠したまま、俺の腕を掴んで体を寄せる。
「今夜は、冷えそうだな」
ぼそりと呟いた声が、やけに寂しげに響いた。立ち止まって相手を見ると、いぶかしげに俺を見上げるグレーの目と目が合った。
「どうした?」
早く屋根のある所入りたいんだけど、と恨みがましく言う相手に、なんでと問いかける。
「なんで、雨が嫌いなんだ?」
「理由なんてない」
ただ寒いだけと素っ気なく返す相手に、それだけじゃあないだろうなと思うが、早く行こうぜと急かす声にうながされて歩き出す。
俺が連れてきた酒場を見て、首を傾げる相手に上に部屋があるんだよ、と返す。
事前に連絡を入れていたので、店の人間に言うとあっさりと通してくれた。まあ隠れ家という程じゃないが、こういう店があることは部下から色々と調べて押さえてある。
「海賊は顔が広いもんなんだな」
「密会するなら、いい場所を押さえておくのが身を守る鉄則だ」
「密会ねえ……悪巧みをするのか、人を連れこむのかどっちに使ってるのやら」
そう言いながら、部屋に用意してあった酒に手をかけてボトルのまま中身をあおる。
部屋の具合と、周囲に警戒を配っている俺を見つめて「裏稼業っていうのも大変だな」と呑気に声をかける。
「元からだよ。あんまり良いところで産まれたわけじゃないからな」
裏町のスラム育ちの悪ガキだ、礼儀作法もなにも教えてもらっちゃいねえ。教えられたのは、生き残るための方法だけだと返すと、「へえ」と興味深そうに笑う相手が見えた。
カーテンを閉めて、部屋の灯りを付けるととりあえず飯でも食おうぜと誘う。
「そのままやるのかと思ったんだけど」
「腹減ってんだよ、悪いか」
別に悪くないけどと言って相手は笑い、着ていたコートが邪魔になったのか、脱いでコートかけに置くと俺の隣へと座った。
「今日は服、着てるのかよ」
この間は素肌の上から着ていたくせに、今日は半袖の黒いシャツを着ていた。覗く腕にはビッシリとトライバルタトゥーが施されている。前に見た時には、胸から肩にかけても大きなハートが描かれていた、随分と派手な体だ。
「一枚、脱がせる楽しみが増えるだろう?」
そう言ってから、でも脱がすことはなくなったかと笑いかける相手に、そうかよとだけ返す。
運ばれてきた飯に手をつけると、大食らいだなと呆れた口調で言われる。お前も食べればと言えば、先に軽く食べてきたからなあと言いつつ、グラスに注いだ酒を飲み、つまみになりそうな物を口にする。
「プシュケっていうのは、俺の覚えている昔話の登場人物の名前」
しばらくして、プシュケはそう言った。覚えている、という部分に引っかかりを感じるも、そういえば記憶がないとか言ってたのだということを思い出す。
「プシュケは王女の名前。美人だと言われた三姉妹、その中でもとりわけ美人なのが三女のプシュケ。でも美の女神からの嫉妬を買って呪いをかけられそうになった」
そこで言葉を切ると、自分で開けたボトルからゆっくりとグラスに酒を注ぐ。赤色を楽しむようにグラスを揺らす。
「美の女神は、息子である愛の神にプシュケが永遠に誰とも結ばれない呪いをかけるように言った。愛の神が放つ矢には人の恋愛、そして運命を変える力を持ってるんだ。でもプシュケの美貌に見とれた愛の神は、あやまって矢を落とし、自分自身にプシュケを恋い慕う呪いをかけてしまった。
愛の神は国王に、山の怪物へプシュケを生贄に捧げなければ国が亡びると信託を出し、王様は泣く泣く娘を山に出した。
プシュケが一人で山へ行くと、遣いの風が現れて頂上まで運んでくれた。そこには綺麗な神殿が建っていて、姿を見せない声の主に自分の妻となるように言われる。神殿には誰もいないのに、プシュケは暮らしに困ることはなかった。そして夜毎に現れる愛の神を、王女の方も愛するようになった」
それで終わればハッピーエンドだったんだけどな、と男は笑ってグラスの酒を一口飲んだ。
「ただプシュケにも不満はあった、一緒に暮らしている夫の姿をどうしても見たい。でも夫は許してくれなかった。神と人間が夫婦になることは認められていなかったからだ。
そんな妹の暮らしに、今度は彼女の姉たちが嫉妬した。妹は怪物じゃなく神に気に入られたんだと、な。
ある日、姉たちはお前の夫は怪物で、安心したお前を食うに違いないと嘘を言った。本当に愛しているなら、顔を見せるはずだろうって。こっそりと姿を見てそれが怪物だったなら首を切ってしまえと、短刀を持たせて帰らせた。
帰って来たその夜、ロウソクを手にプシュケは夫の姿を見た。そこにいたのは愛の神だ。驚いて思わずロウソクを取り落としてしまい、相手に火傷を負わせると、愛の神は悲しみ、神の国へ帰って行った」
ここで終われば、まだまだ悲恋の物語で済むんだけどな、と相手は口の端を上げて笑う。
「プシュケは自分を騙した姉を恨み、城へ帰って来ると「旦那に愛想を尽かされた、今度は姉さんたちを嫁に欲しいと言ってる」と嘘をついた。
喜んだ二人の姉はさっそく山へ行くんだが、遣いの風は現れず、二人は谷底に落ちて死んだ。
次にプシュケは、美の神の下へ行って旦那を返してくれと頼むが、許されることはなく、美の神は試練を与えてとことんイジメぬいた。
必至に耐え抜く彼女にいくつもの神が救いの手を貸して、なんとか試練を超えてきた。だがある日、冥府の女神から「美の秘訣が入った箱」を受け取って来るよう言い渡された帰り、プシュケに邪な心が芽生えた。
そのころには姑のイジメでかつての美貌が消え失せていたからな、美の秘訣と聞いたらどうしても中が気になる。帰り着くまでに盗んでやろうと中を開けた。だが箱の中に入っていたのは冥府の死の眠りだった」
人間の心を読んで、体よく相手が死ぬように仕向けたというわけだ。
「で、その二人は結ばれなかったのか?」
「いいや、すっかり傷の癒えた愛の神が目覚めて事情を聞き、すぐさまプシュケの元に行くと彼女は死の眠りの中。だが、神様である愛の神は眠りを取り去る力があった。
その後、二人は神の王に許しを請うた。なにせ神の王の妃は婚姻の女神だからな、二人の許しが出れば身分違いであろうとも結婚できる。そこで神の力の源である酒を飲んだプシュケは、正式に神の一員として迎え入れられた。彼女は美貌を取り戻し、背には蝶の羽が生えて、最後には愛の神との間に娘の「喜びの神」をもうけている」
結局はハッピーエンドなんじゃねえかと言うと、そうだなと男は笑う。
「でも、よく考えてみろよ。最初に嫉妬した女神も、プシュケの姉も、そしてプシュケ自身も、そして愛の神も、相手を陥れるためにあれこれと悪巧みをしては、自分の身に返ってきた。
妹に嫉妬した二人の姉はプシュケによって殺された。そのプシュケも最後こそ目覚めるが、人を殺した咎で姑にこっぴどくイジメられ、死の眠りについている。だが美の女神は最終的に息子をプシュケに取られた上に、嫉妬した相手は神になっちまった。一番の被害者に見える愛の神だって、プシュケを手に入れるために国王を騙し、彼女が姉を殺す理由を作ってしまった」
後味の悪いハッピーエンドだろうとやけに楽しそうに言う相手に、なんで女神の名前なんて使ってるんだよとげんなりしながらたずねる。
「それは、俺が満足できたら教えてやるよ」
勝気に笑い、ワインのグラスを傾ける相手に言ったなと、目の前にある肉に齧りついて返す。
「俺がどれくらいしつこいか、しっかり体に覚えさせてやるよ」
先にシャワーを浴びて待っていると、髪は下ろしてるほうがいいぞとシャワールームから出てきた相手に声をかけられた。声の方を見ると全裸のままベッドへと近づいてきた。
「下ろしてる方が、男前だ」
「そうかよ」
俺は好みだぞと言うとベッドに乗り上げて、足の間へと体を滑りこませてきた。なにも身につけていない男の広い背中には、黒い縁取りの大きな蝶の羽が描かれていた。つくづく派手な体だが、なんでかそれに触れてみたくて、抱きついてきた背中を掌で撫でる。裸のままだった俺の胸へと頭を預け、上目遣いでこちらを見つめるグレーの目が、気持ち良さそうに細められた。
「体温、高めなんだな」
あったかいと幼い口調でつぶやくと、甘えるようにすり寄ってから見上げて「今日は好きにしてくれていいから」と言った。
「どう抱かれるのが好みだ?」
「さあ、気分次第かな」
だから好きにしていい。そう言う相手の唇を奪って、頭を打たないように気を配りながら、ベッドへと下ろす。
キスが終わって見下ろした相手からは、荒い息の合間から情欲が滲み出してきていた。
「ふーん、見かけによらず優しくしてくれるんだ?」
「優しいかどうかは、味わってからにしな」
なにせ久しぶりだからな、と言って首筋に舌を這わせ、喉仏の辺りを甘噛みする。細い体に手を滑らせると、下で息を詰まらせた。
「んっ、くすぐったい」
感度が高いらしい体を掌でなぞるようにして触り、反応を確かめていると相手は焦れったくなったのか、下で身をよじってそういうのいらないんだけどと呟く。
「やっぱり、男相手は無理そう……ってわけでもないか」
俺の下半身を触ってにやりと笑みを作る相手に、うるせえと一言返す。
「まあ、なんとなくだけどわかる。前と同じで、男相手にどうしていいかまだ迷ってる」
そういうところだろ、と図星を突かれて自分の決心とはこの程度かと迷いを見せる。
うまく踏み切れないのはなんでだ、どう触れていいかもわからない。好きにしてもいいなら、相手のことを考えずに滅茶苦茶してやってもいいのに。
相手の目がまっすぐに楽しむように細められる。
「男としてのプライドが許せないのかもしれないけど、一回だけ俺に主導権をくれよ。気を楽にしてるだけでいいから」
胸元にあった手を取られてどうだ?と首を傾げる、その仕草に頭でなにか考える前にああと返事をしていた。
そうすれば了承したとばかりに、相手は更に笑みを深めて俺の頬に手を添えてキスを贈る。そうしながら、力を持ち始めていた下半身のものに手を這わせて、更に追い立ててくる。
「なあ、体勢入れ替えて」
俺を上にしてと言う声に従って、体の上に乗せると満足そうに微笑む。
「やっぱり、髪は下ろしてる方が好み」
そのままで、ちょっと待ってと言うと。プシュケはゆっくりと息を吐いてから体を持ち上げて、自分で開いた穴の縁へまずは用意していたんであろうローションを注ぐと俺のモノにもそれをいくらかかけて、ゆっくり全体に馴染ませてから穴の縁へと当てがった。
「んっ……あつい、し……ちょっとデカイかも」
キツイと言いながら先端をゆっくりと押し込むと、詰めていたらしい息を吐いた。その甘ったるい、酒の香りのする唇を撫でてあんま無理するなよと言う。
「ふふ、ありがと。本当に、見かけによらず優しいな」
でも大丈夫だからと笑って、ゆっくりと俺のモノをナカへ押し込んでいく。ぎゅっと締め付けられる熱い体温を感じ、繋がっていく感覚に背筋がぞっと震える。
「プシュケ……」
震える体を抱き締めて、荒く息を吐く相手に触れるだけのキスをしてやると、また目を細めて笑う。
「優しい、のは嬉しいんだけど。物足りないかな」
パチュッと音を立て、一気に奥まで押し入れられ、一瞬だが快楽に相手の体が強張りをみせる。
「はっ、ぅ……はぁ」
苦しそうでありながらも、とろける熱に喜ぶように体を震わせて、両腕を俺の首に回す。
「あつい」
体の奥から、感じ取れる熱に悦び自ら体を動かす。はっと短く声を上げて、キツく締め上げた中を堪能するも、このまま好きにされるのは癪で、相手の細い腰を掴んで下から突き上げた。
「あっ!……こ、ら、ちょっと待て」
「待てねえ」
奥へ奥へと誘う相手の体をもっとほしくて、強く抱きした体を上下にゆすぶってやれば、それまでの勝気なペースを崩されてなし崩しになり始めた相手が、すがりつくように俺にしなだれかかる。
その姿が可愛らしくて、俺の方に視線を向けさせて唇を奪うと、弱くそれに応えてくれる。
「ユースタス」
「キッドって呼べ」
なあいいだろ、と奥をちょっとくすぐるように擦り上げると鼻から抜ける甘い声で鳴いて、キッドと呟く。
「もっと、ほら」
主導権がどうとか関係なく、抱きしめた体をお互いで気持ちよくなるように重ねて、離れてはまた、強く抱きしめて突き上げる。それの繰り返し。
「あっ、あぁ……ちょっと、強いって」
「満足させてほしいんだろ?」
そう言ったよなと返して、首筋を舐めあげてやると、震える声で確かに言ったけど、そこまで本気にするなよと、らしくない弱い声が返ってくる。
「うっ、あつ……あっ!いや……ひゃんっ!」
ぐっと奥をかき回して、射精と同寺に晒されていた相手の胸を触ってやると、思った以上に感度のいい声が返ってきた。
よくなってくると、体全てで感じ入ってしまうらしい。それは俺の加虐心に火をつけた。
「もっとヨクしてやろうか?」
ニッと口角を上げて笑い、休むことなく更に動き始める。それについていけないのか、ちょっと待って、待ってと言う相手を無視して行為を続行する。
「あっ!……ちょっ、とダメだ!ダメだって、あっはげし」
「そうかよ?良さそうだけど」
ほら、ここ咥えこんで離さねえと言いながら奥を突いてやれば、ひゃっと声を上げて震える。
か細い体を抱きしめて、最初のためらいも忘れてもっともっとと求めている間。相手はうわ言のように、言葉にならない声をあげる。その合間に俺の名前を呼ぶもんだからたまらない。
「あっ、はぁ……キッド、キッドあついって、もう!」
ダメになるだろうと言う相手に、どうダメになるんだよと耳元でたずねると、吐息がかかることすらくすぐったいのか身をよじって逃げようとするのを押さえこみ、俺を見つめさせる。
「ああ、悪いな……まだあんたイってなかったか」
そう言って相手のモノを触りながら、感じるらしい奥をガツガツ突き上げてやると、ああっと悲鳴に似た声をあげる。
「はぁ……あっ、あぁ」
イってしまったらしい相手を抱きしめ、頬にキスを送ると、焦点の合っていない目が空中を見やって笑い、何かをつぶやいた。
それがなんなのか理解するより先に、頭に登った血の巡るまま再度、繋げたままだった体を揺さぶる。
「ふぇ!……ちょっ、キッド。俺、今イったとこだから、ちょっと、まっ」
「悪いが、待てそうにねえ」
俺のことをちゃんと見ろと、相手のグレーの目を合わせて返す。
「俺のことを見て、俺の名前を呼べ。満足するまで、ずっと」
覚えたてのガキでもあるまいし、相手が意識を手放すまでそれからずっと、俺の気持ちがおもむくままに体を食った。
ぼんやりと昨夜のことを考えて、ため息を吐く。
我ながら女々しいことを考えているのはわかっている、相手の職業のことだって、わかってるつもりだった。だというのに、どうして。俺は出会ってほんのわずかな、この男がどうも欲しいらしい。
男を、しかも行きずりに近い相手になんでこんな情を持つのか、わからない。腕の中で眠る相手を見つめながら、自己嫌悪とよくわからない感情の整理をしていると、相手が身じろぎして目を覚ました。
「起きてたのか」
少し枯れた声で返す相手に、枕元に置いてあった水のボトルを渡してやると、ありがとうと素直に受け取った。
「いつから起きてたんだ?」
「最初から寝てない」
ずっとおまえのことを見ていたと言えば、ちょっと目を丸くしてから、続けて苦笑いしてみせた。
「寝首をかかれるんじゃないかって、誰かに入れ知恵された?」
「なんでそう思うんだよ」
「あんただけじゃないから。海賊相手だとそういう奴は多い」
どういう場所が危険なのかよく知ってるからさ、と言って手元の水を飲み干すと、一息ついた。
「なんで、男に抱かれるんだ?」
金を取るわけでもないのにと言えば、相手は振り向いてもう一口水を飲んでから、快楽を表す言葉があるだろと急激に話題を変え、かけてあった自分のコートに袖を通した。
「性交に伴う快感っていうのは、自分の体に神がかったものが下りてくる状態を言う」
一般的に「クル」って言う時だな、と淡々と述べる。
「だが自分の魂が、別の世界に行く状態を表すことに使う地方もあり、解釈は様々だ」
こっちは「イク」って場合だ、生体から抜けて死の世界へ往くことに繋がる言葉。
そう言ってから、どっちの方が好みだ?と片方を吊りあげて笑った。
「どっちでもイイってんなら、具合は良いんじゃねえか」
「さあ、どっちでもいいかもしれないけど、俺が求めてるのはオーガズム。いわゆる女性が性的快楽の頂点に達する時だな」
受精と関係あるかもしれないが、実際はなにが由来かは不明だ。そこまで人類の研究は至ってない。
まるで学者のようにそう言ってから、でもなと相手は急に遠くを見つめるように目を細めた。
「男に抱かれて、快楽の頂点に達するその時に見える気がするんだよ、俺の探しているなにかが」
俺を見ながら、全く別の誰かを思い描いているそんな目に、苛立って距離を詰める。
「なに?言っとくけどもう無理だぜ、あんた激しいからな」
「おまえ自身は俺に興味はない、ってことか?」
「そこまでは言ってないさ」
俺を抱かせるのは興味のある相手だけだよ、と柔らかく微笑むと俺の頬にキスして耳元に唇を近づけた。
「いいこと教えてやろうか」
「なんだよ、いいことって」
「今日の夜から、海軍本部所属の少将が、この一帯の海賊討伐に乗りこんでくる」
深夜から一斉に拿捕を開始する予定だ、この島にも既に前段階として海兵が配置されている。
そう言う相手に、なんでそんなことを知っているんだと問い返す。
「裏稼業なのは俺も同じってことだよ」
「ふん、なるほどな。てめえ情報屋か」
そういうことだ、とにやりと笑ってみせる相手に、さてはと思いつく。
「俺の情報をその海軍少将様に売り込むつもりか?」
「残念ながら、あんたの情報を欲しがったのはこの界隈に出没する札付きの賞金稼ぎだ。軍や政府の情報は、そういう奴等に出会いたくない相手に売りつけるため、いつでも握ってるのさ」
どっちにしろ飯の種にする気でいたんじゃねえか、と文句を垂れるとまあなと隠すことなく呟く。
「でも気が変わった」
はあ?と素っ頓狂な声をあげる俺を面白そうに眺めてジーンズを履くと、ここであんたが捕まると面白くなさそうだからさ、と言った。
「賞金稼ぎからはあんたの調査をするため前払いで金を貰った。そして、運がいいことに今度来る海軍の艦隊の一つには俺の顧客がいるからな、海賊討伐のついでに札付き共の情報を握らせてやる。市民に害を成す相手は一網打尽にしてくれるからな、きっとついでに捕まえてくれる。そしたら、お前は海軍から逃げることだけを考えればいい」
ああ、結構な艦隊で来るらしいからくれぐれも応戦しようなんて野暮な真似はしないほうがいいぜ、と言って俺に水の入ったボトルを渡す。
「あんたへの情報料は海軍と賞金稼ぎからもらうからタダでいい、そのかわり」
茫然としたままの俺の傍へ寄り、両手で頬を包みこんだ。
息がかかるほど近くまで寄り、俺の目をじっと見つめる。
「次に会う時はその首の賞金は億を超えてこい、その方があんたの情報の値が吊りあがる」
「てめえ……」
二度と会うもんか、と返そうとしたところそれを制するように口を塞がれた。
「せいぜい出世してくれよ、悪名の方で、あんたはその見こみありそうだし」
意地悪っぽく笑い離れて行こうとした相手の手を取る。
「情報屋やめて、俺の船に乗れよ」
俺に見こみがあるっていうなら、危ない船じゃねえんだろう、乗れよ。
相手は苦笑いしてそれはお断りだと手を振りほどいた。
「なんでダメなんだよ」
「今日言われてすぐに足を洗えるほど、俺は綺麗な身の上じゃない。言っただろうが、海軍にも海賊にも、その他の色々な界隈にだって情報の網がある、一つの組織に入るにはそれらを全部断ち切らないといけない」
「じゃあ次会うまでに全部から縁を切れ」
「次っていつまでにだ。従う理由は俺にはない」
なら掻っ攫って行くまでだな、と体勢を整えようとした俺を見て、相手は俺に素早く近づき胸部に手をかざした。
「カウンターショック」
体の中心部にビリッとした痺れが一瞬走った、その直後ベッドへと再び倒れこんで上手く身動きが取れなくなる。
「てめえ、能力者、だった、のか?」
「生身の体で生きていけるほど、この業界も甘くねえ。あとな、裸以外の時は相手が武器を隠し持ってるか疑ったほうがいいぜ」
そう言って、電撃を与えたのとは反対の手に持っていた小型の注射器を振ってみせる。電撃に気を取られた一瞬で、それを一発入れたということか。
苦虫を噛み潰した気分の俺に、安心しろよと相手は笑いかける。
「毒じゃねえよ。即効性の麻痺薬、効き目はかなり強いが、失敗作で短時間しか効果がない」
最大で持って一時間ってところなんだが、足止めには非常に有効だと得意気に話す。
「全身に力が入らないだろ?あんたは頑丈だし、十五分ほどで効果は切れそうだけど」
それでも俺がここから逃げるのには充分な時間だと、衣服をきっちり整えて男は笑った。
「最後に教えてやるよ、俺の名前。なんで女神なのか、聞きたがってただろ?」
正直、おとぎ話には興味はない。とばっさり切り捨てて、ただ言葉の成り立ちが興味深いと続ける。
「プシュケは呼吸、そして魂という意味だ。呼吸をしている間、人は生きている。つまり魂というものは呼吸そのものではないかと古代の哲学者は考えた。この世で生きる魂の仮の姿、それが蝶。俺は探してるのさ、自分の過去と。俺につけられた名前をな」
そのための情報屋稼業だ、邪魔しないでくれよ。
「じゃあなユースタス屋、悪縁も縁だ、またどこかで会ったらその時は」
そこまで言ってから、言葉を止めてやっぱりいいと言ってから振り返らずに身動きの取れない俺を残して相手は部屋を出て行った。
しばしそちらを見つめていたものの、ゆっくりと息を吐き出す。
「過去な、そればっかりは強奪してくるわけにはいかねえが……」
溜息混じりに呟いて、まだ痺れが残る体と怠惰な意識をベッドに深く沈める。
「コラさんって、誰だよ」
あいつが空中をおぼつかない視線で見つめたまま、つぶやいた名前を復唱する。こんな時に名前があがる相手なんだから、浅からぬ関係なことなんてわかりきっている。だけど、彼の言葉を借りるのならば覚えていないんだろう。
苛立ち混じりに呟いて、今日はどうも本気でらしくねえと呟いてから体の痺れが消えた頃になってようやく着替えた。
外に出るとまだ雨には本降りで、この中を傘も持たずに走って行ったんだろう相手を思い、また溜息が出た。
「だから、信用するなと言ったんだ」
日が明けてから船に戻ってきたことを問いただしたキラーに、すっぱりと切り捨てられる。
「てめえな、傷心の船長を気遣う心は持ってねえのか」
「男にフラれた男というものに、今までの人生で会ったことがないからな」
どう声をかけたらいいのか、まったくわからんと再び切り捨てられる。
「しかし、その男が言う賞金稼ぎも海軍も、本当に現れるのか?確固たる証拠はないな」
なんで信じてきた、罠かもしれないのに。もう少し落ち着いて考えろと、更に援護射撃を受けていい加減にしろと言いかけたところで、部下から突如として海軍の船が現れたという連絡が入った。
「どういうことだ?」
「急に海面へ現れて、海軍の帆を上げたので、発見が遅れました!どうも潜水艇のようです」
「潜水艇か珍しいな」
聞いたことがない部隊だが、とにかく今はこちらの安全確保が最優先だ。甲板へ出て急ぎ指示を飛ばす。
「とりあえず、海軍の方は嘘じゃなかったか」
「信用できるだろうが」
「フラれた男が言うな」
「言っとくがフラれてねえ!」
思わず声を荒げて言ったことで、甲板の船員からの視線が一直線に降り注ぐ。なんだその哀れなものを見る慰めに満ちた目、今すぐやめろ。
「とりあえず、海軍を巻いたら今日はキャプテンの傷心会だぞ」
キラーの声におお!と返事をする部下たちに、だからフラれてねえ、と再度叫ぶことになった。
「お帰りなさい」
目標の拿捕次第、浮上して待てと連絡はしていたが、俺の帰りがいつになるか時間までは教えていなかった。だというのに律儀にも港で待っていたペンギンに、笑顔を向けて今帰ったと告げる。
「傘はちゃんと持って出かけてくださいと、いつも言ってますよね?」
「別にいいだろう、濡れても大丈夫なようにそういう仕様のコートをわざわざ作らせているわけだし」
「はっ水加工をしようと、本降りの雨の中で大丈夫なわけがないでしょう」
そのコート、誰が洗うと思ってるんですと溜息混じりに返すと、持っていた傘を開く。
「船内に入る前に脱いでくださいね。あと風呂の用意もできているんで、シャワーだけで済まさないでくださいよ」
「ああ、わかってるさ」
絶対にわかっていないでしょう、と唇を尖らせる相手にそう怒るなよと返す。
「怒りもしますよ。ユースタス・キャプテン・キッドの首は今、七千万です。ルーキーとしてはかなりの額でしょう。それを泳がせると言って見逃し、その変わりの首があんな雑魚では付き合ってられません」
「そう文句を言うな。今日捕まえた奴等は、あれでも面白い獲物だ」
バロック・ワークスは知ってるよなと聞くと、噂は耳にしていますと折り目正しい返事がくる。
「ユースタス屋の首を狙うくらいだから、そこそこの実力者だろう。構成員としては中の下ってところだろうがな。まあ、なにやらきな臭い組織だから海軍の上層部も目をつけてる。尋問してなにか吐いてくれれば、そっちの当たりがデカいだろう」
「しかし、それが海賊を見逃す理由にはなりませんよ」
「俺が気に入ったから」
それだけ。面白くないからな、ああいう相手がいなくなったらと言うと、ペンギンは盛大に溜息を吐いた。
「そうだ、これを返さないとな」
二人分の体を覆う程度の Roomを作り、メスとシャンブルズで入れ替えてもらっていた目を元に戻す。視神経には自分のものを繋いでいたため、俺が見てきたものには気づかれていないだろうが、不満そうに俺を見返す。
Roomをしまって、背中の刺青も持ち主に返さないとな、いやその前に風呂に入って皮膚の上の汚れを落とした方がいいかと考えていると、隣からならまた大きなため息が零れ落ちた。
「あなたほどの人が、自分の体を犠牲にしてまですることじゃないですよ」
俺が得意とする潜入調査に不服だと、前々から常に言い張っている。
恨みがましく見つめる相手にそっと近づいて、目の前でちょっと笑ってから、お疲れさんと言って頬にキスをする。
「妬くなよペンギン。別にあいつが一番とは言ってない」
耳元でそう告げると、真っ赤になって「そういう意味ではなくてですね!」と更に説教を続けようとした相手に、脱いだコートを渡す。
「風呂に入って寝てくる、四時間~五時間ほど後に起こしてくれ。基地への引き渡しはお前たちに任せた。急患が入ったら、時間に関わらず起してくれ」
じゃあ頼んだとさっさと船内に入り、今朝のことを思い出す。
もし次に出会えたなら、その時はどうするつもりなんだろうか。自分でもわからず口にしていたことだった。
こういう無意識はあまり好きじゃない、なんでもかんでも、自分の頭でわかりきって行動しているほうが好みだ。
なによりもこれ以上、見えないものに振り回されるのなんてごめんだし。
それにしても、あの男の目つき。そして言葉と声から滲む熱。今までの手合いの中では、なかなか珍しい力強さに、呆れて溜息を吐く。
「まさか、本気で惚れたなんてことないよな?ユースタス屋」
俺に引っかかる奴は、どいつもこいつもそうだ、こんな俺のどこがそんなにいいんだか。
そう心の中でつぶやいてから風呂へと向かった。
もうちょっとガッツリしたエロも書きたいです。
なんか、私の中でローはなかなか喘いでる姿を想像しにくいんですよね。主導権を譲らなさそうなところとか、なんか違うんだよなあっていうのが……。
今までの経験上「一押しのキャラをとことんドSに可愛がる」という話を書ければ、確実にローのがっつりエロいシーン書けると思うんですけど、今のところそれに該当する方がドフィしかいないんですね……ドフロか、需要あるかな?
2016年7月31日 pixivより再掲