覚えているのは真っ白な色。
忘れることもできないその世界に一人、あなたは立っている。
その姿を追いかけて、大好きなんだと縋り着こうと、今もずっと追いかけているのになんでだろう。
俺はあなたの名前も声も、なにも覚えていないんだ。
白と黒の憂愁
「スモーカー大佐、明日には少将がご到着されるそうです」
今回の視察予定はと言いかける相手を制して、まずどの予定がキャンセルになっても大丈夫なように調整できているかを聞く。
「キャンセルにと言われましても、本部からの視察ですよ?予定通りに滞りなく行われるように手配しています」
「こっちが滞りなく準備しようが、それを無視してくるのがあいつのやり方だろうが」
毎回それに付き合わされる身にもなれってもんだ、と溜息混じりに呟いてから、手放せない葉巻に火を付けた。
ゆっくりと煙を吸いこむ俺に、しかしと部下は続ける。
「今回は主に医療施設、軍医研究施設の視察です。いくら少将でもそれ等を無視するとは思いませんが」
医学研究には没頭される方でしょうと言う相手に、それだからこそだと返す。
「たしぎ、明日は確か雨だったな」
「えっ?あっ、ええっと……はい!連絡によれば雨の予定です」
でも大シケになるほどの嵐ではありませんし、少将のご到着にはなんら支障はないかと思いますが、と言う相手にそうじゃねえよと返す。
「そうじゃねえ」
あいつは、雨の日には特に情緒不安定になる。だから、できるだけ俺の手元か向こうの部下が監視できる場所に、ずっといなければいけない。
それを防ぐ術があるか否かが、問題になるだけで。
どうしたもんかと思いつつ、部下が作った明日の日程について聞き流していると、直通の伝電虫が鳴った。
なにか事件でもあれば、外で動いてここ数日のデスクワークの鬱憤も晴らせるのだがそうではない。
「よう白猟屋、元気だったか?」
向こうでにやりと頬を吊りあげて笑う相手の顔を想像できて、こちらは眉間に皺が寄った。
「お前の突然の視察で、こっちは色々と忙しかった。あれを見せろ、これを見せろと注文つけやがって」
「その件だが、明日の視察は午後2時までに完了する。形だけ、訪問したってことで結構だ」
もう充分見て回ってきた、と言う相手に眉間にある皺が更に深まる。
「てめえ、また誰かと入れ替わって勝手に内部探りやがったな!」
「視察のためにお綺麗に整えられてからじゃあ意味がないんだよ、いつも言ってるだろうが。そのままの現場を見せろって、医療関係は特に現状を知らなきゃなにも変わらねえ。視察決めてから一か月間、ここの医師がどんな動きをするのか、お陰で色々とわかった」
それはまとめて上に報告してやるよ、隠そうとしたことも全部包み隠さずな。
楽しげに語る相手に、やっぱりそういう算段だったのかと溜息を吐く。何事かと心配する部下に、視察の手配を変えろと指示を出す。
かしこまりましたと、なぜか部屋のコートかけに礼をして慌てふためきながら基地内を走っていく部下に、毎度悪いなと心の中で謝る。
「一応、正門から上陸はするんだろう」
「そうしないと、俺が島に来た記録が残らないからな。まあ今更どっちでもいいんだが」
今夜から予定が空いてるなら、こっそり行ってやろうか?なんて声をひそめて言う相手に、結構だと返す。
「俺の気性をよく知ってくれているあんたとは、本当にやりやすいよ。仕事もプライベートも」
「プライベートまで付き合うつもりはないんだが」
嘘だ、本当は視察が決まってから会うのは楽しみにしている。だが相手が必ずしもそうでないなら、全面に出してまで言うことではない。
あれの隣に居てやるには、俺は歳が離れすぎている。
そんな心中は筒抜けなのか、今夜は空いてるだろと相手は楽しげに断言する。
「そっち行くから。夕飯、どこか美味いとこ連れてって」
俺が奢るから高い所でもいいぞ、と自慢げに語る少将様に決定事項かと呟く。
まあいいだろう、仕事なんてやってやる気分でもない。どうせ大した事件もないんだ、書類整理ばっかりの部屋から出してもらえるならむしろありがたい。
「夜の九時からなら、大丈夫だ」
「わかった、いつも通りにする」
じゃあなと言って切れた受話器を見つめ、どうしたもんだろうなとまた溜息が出てきた。
空はどんどんと黒くなり、半分だけ開けた窓から湿った風が吹きこんでくる。
これは予報よりも早く雨が来るなと、予報士につける文句を思いついた。
夜の九時まであと十五分ほどといったころ、ソファに置いておいた空のビンが消えて、真っ黒なシルエットが現れた。
「久しぶりだな」
薄手のコートに袖を通し、腕組みをして当たり前のように座る。いい加減に海軍本部の壁も、全面海楼石を埋めこんでもらいたいもんだ。
まあそんなことされると、一部の大戦力がすぐさま動けなくなるから、希望が通ることは完全にはままならないだろうが。
特に、この少将様のためならば、まだまだ先送りだろうなと部屋に鎮座する相手を見て思う。
グランドラインの天気より気まぐれであろうと許される、海軍設立以来、軍隊長で入隊して実力だけで少将まであっという間に登りつめた天才。
前線にも立つが、実際の所属は医療班。
今や、海軍本部医療室の執刀医トップ、医療機関の全指揮権を取るのも間近と噂される男。
そんな仰々しい肩書きが似合わない。
いや、本当は知ってる。こいつがもっと昔から海軍にいたことも、そこで生活を強いられることになった経緯も。
巻き込まれるようにして、見てきたから。
「それで、今日はどこに連れて行ってくれるんだ?」
「魚料理がウリの店だ。連絡を入れたら、VIPルームを使わせてくれるってよ」
「気が利くな、流石は大佐様だ」
この辺の住人にも顔は効くみたいだな、と面白がって呟く相手にそろそろ出るかと告げる。
「今夜は雨だ、悪いが傘が一本しかねえ」
「別にいいぜ、あんたと相合い傘くらい」
むしろ楽しみじゃないか、と口笛でも吹きそうな声色で言うので、機嫌は上の方だと判断した。嫌なら、俺に濡れろとさっくり切り捨てる、または自分には必要ないと断るどちらかだ。
いや、素直に俺と同じ傘に入ると言う時点で既に始まってるのかもしれないな、と思ったのは外に出て隠れていた相手が俺の広げた傘と、この腕の中に素早く潜りこんでからだった。
「相変わらず、いい体」
歳感じさせないよな、海兵も海賊も、鍛えてる連中ってなんでこんなに若いんだろう……としなだれかかるように、俺の腕の中で呟く。
「お前の方も、相変わらずみたいだな」
呆れた口調で返すと、歩みを止めて真っ直ぐに俺を見つめる。
「言っとくけど、誰でもじゃない」
俺が許した男だけ、と口元に緩く弧を描いて言うものの、それがどこからどこまでを指すのかがわからない。
「なあ、早く行こうぜ?なにか温かい物が食べたい」
今夜はちょっと冷えるからと言って、俺に預ける体重を少し加える。わかったと短く返して、目的の裏通りにある料理屋に連れてきた。
店構えは地味で、見落としてしまいがちだがそういう所が気に入られている。出される料理も酒も美味い、そして思うほどに高すぎるわけでもない。
「へえ、いい所知ってるんだな」
「付き合いで知った店だ、それからたまに寄る」
「ふーん、さぞかし連れの相手は喜ぶんだろうな」
男連れて入る店じゃないよなここ、と口の端だけ持ち上げて笑い、出された赤ワインを傾ける。それを見ながら、灰皿に吸い終わった葉巻を押し付けて、普段は下で一人で食べに来るんだと返す。
「カウンター席があるからな、仕事終わりの飯と暇があればちょっとだけ酒も飲む」
「別に男だし、あんたの歳を考えれば、そういう相手連れて来ることくらい不思議なことじゃないけど?」
悪いことしてるわけじゃないしさ、相手は誰だろうな、黒檻屋?それともあの部下の女海兵?
面白そうに詮索してくる相手に、どっちでもねえよ本当に一人だと言って、飯食っていいか?と運ばれてきた料理に向き合う。
「好きに食えばいいだろ、料理にしろ、女にしろ」
「くどい。なんなら確かめて来い、店主でも店のバーテンでも誰でもいい」
そんなに怒ることないだろ?わかってるって、冗談だと返すと目の前の食べかけの魚の酒蒸しを、綺麗な所作でナイフで切り分けて刺したら、俺の目の前へと差し出した。
「怒らせた詫び。これ美味いから」
「知ってる、俺も気に入ってるからな」
たまに頼むんだと言って、差し出された身を口に入れる。好きならいつでも食べればいいだろと言う相手に、そう易々と食べれないんだよと告げる。
「こいつは希少部位を使った料理だ。今日の仕入れになければ、店には出ない」
雨の前になると、釣れやすくなるらしいけどな言うと、じゃあ今日来てラッキーだったと楽しげに相手の声が落ちる。
「少将殿の口に合うものってなると、それ相当の店じゃないと困るんだよ」
「そんなかしこまらないでいいぞ、俺は結構ジャンクフードが好きなんだ」
それなのに、行く先じゃあお堅い人たちに囲まれて会食ばっかだ、あんたはもうちょっと気軽な所に連れて来てくれるからな、と言って皿の料理を平らげていく。
「このブイヤベース頼んでいい?」
「支払いは自分なんだろう?好きなもの頼めばいいじゃねえか」
「量の問題、もう結構食べてるしな」
確かに、この細身でどこに入るんだ?と感じるくらいに目の前には皿が積まれてる、それと同じように空のビンも。
「頼んで余りそうなら、あんた食べられそう?」
「大丈夫だ」
じゃあ頼むか、と彼は店の人間を呼ぶ。
そうして料理と共に、酒も追加する相手にまだ飲むのか?とたずける。
「しばらく潜伏してて、好きに飲食してないからな。ここ、飯も酒もいけるし」
ああ、いい気分だなんて、彼は鼻歌交じりに呟く。
この後も暇だよな?と声を潜めて彼はたずねてきた。勿論、答えはイエスだ。
「……この店の上の部屋、抑えてる」
「へえ、手際がいいな。なんて言ったの?」
女連れて来るなんて、言ってるなら店員が変な目で見てくるぞとうそぶく相手に、溜息をついてから軍の機密だと言った、とそのままを告げる。
「職権乱用か」
「お前にとやかく言われたくはない」
別に上に報告したりしないって、と手を振って笑う相手は、持ってこられたブイヤベースを見て、これも美味そうと嬉しそうに声をあげた。
「お前の部下はどうしてるんだ?」
「隣の島の海軍基地から、今こっちに向けて来てる最中」
連絡があった、明日には余裕を持って到着する。俺はその前に出るから、朝早くには出るけど。だから、それまで付き合ってくれよ?
「いいよな?スモーカー」
酒の入った相手の、生暖かい息が傍でかかる。甘ったるい声に頭が痺れてくるようだが、ポーカーフェイスを崩さないように努力し、相手と向き合う。
「最初からそのつもりだったんだろ?カルディア」
相手の名前を呼ぶと、それでいいと満足そうに呟いた。
雨音が強くなりだしたのは、深夜を超えてからのことだった。
隣で寝ている相手は気だるげに俺を見つめて、今何時?と聞いた。
「二時半を超えたくらいだ、また寝てろ」
「んー?まだ時間あるし、もう一回シない?」
「明日は早いんだから、体力温存してろ」
「じゃあもうちょっと傍来て、こっちで寝て」
我儘も相変わらずだなと呟きつつ、傍に行って横になる。素肌のまま横になっていた相手がすかさず腕の中に潜りこんできた。
寒いと言うなら、服着て寝たらいいだろうと言えばそうじゃないと彼は返す。
「人の温かさが、ほしいの」
そう言って頬を寄せる相手の頭を優しく撫でてやると、更に擦寄るように距離を詰められる。
「まだ寒いか?」
「ああ」
寂しげに呟いて、俺の目を金色の目が揺れながら見つめる。
「傍に居てほしいんだ、誰かに」
あの人がなにを言っていたか、思い出したいんだ。
半分くらい眠りに落ちているんだろう相手の言葉は、不安定な心そのままを伝えてくる。
お前が求める、誰かの代用品。わかってるさ、わかっているけど、今は傍に居てやりたい。
できるならずっとでも、居たい。
そうできないのは、お互いの立場と、彼の求める誰かが、どんな人間なのかわからないから。
この溝は埋まらないだろう、多分ずっと。
明日も、俺のものでいてくれるのだろうか?それとも、別の誰かとこうやって寝ているのか。
なあ答えろよ、カルディア。
お前を保護したあの雪野原で、いったい誰とどんな別れを迎えたんだ。
目を覚ますと隣に寝ていたはずの人物は既に居なかった。サイドボードに走り書きで、宿代と飲食代は払ったこと、今日は予定通りに港に来るから何も無かったように出迎えてくれ、と書いてある。
わかってるよ、といない相手に向けて呟き。寝起きの一本と思って葉巻に火を付けた。
海賊が残虐の限りを尽くした街で一人、戦火から逃げ出した少年は、歩き疲れた体を保護した時に寒いと言った。泣き腫らした赤い目で、ただ寒いとだけ言い続けた。
出自は不明、身元も不明、なにより本人は未だに自分の名前すら思い出せないという。彼を保護した海軍は、彼の天才的頭脳とどこで手にしたかわからない悪魔の実の能力を手放さないために、監視下に置いて入隊に耐えられる年齢まで育てた。
それが、海軍少将にして海軍本部執刀医代表、ドクター・カルディア。
グランドラインの天候よりも気分屋という、掴みどころの無い男。
だけど、無数の男を虜にして離さない厄介な男。
なにより、寂しさに耐えかねた時に適合する相手がいれば、その身を許してしまう危うさは、いつも見ちゃいられない。
だけど俺を気に入っていると言う、その言葉に偽りはないんだろう。完全に悪く思われているわけではない、それが大切な誰かを失った直後に見た、ただの海兵であったとしても。必要とされているなら、喜んで傍に居たい。
年甲斐もなくそう思うと、溜息を吐いた。
こりゃあ、まだまだ所帯持つ身にはなれそうもねえな。と本部から来ていた縁談の話をどうやって断るか考える。
俺はあの日から本当に、厄介なのに捕まっちまったもんだ。
新曲が出ると連想してしまう悪い癖が出て、今回はローが海兵として過ごしている世界です。
基本的にローは男遊びが激しく、今回は事後のみですが、今後はそういう絡みも書いていければいきたいです。
そのため、シリーズ通してR-18タグを付けています。
2016年6月10日 pixivより再掲