ある女は、私を酷く恐れた。
「近寄るな!」
そう叫んで、私から逃亡しようとした。

ある男は、私を酷く恐れた。
「お前等に連れて行かれるものか!」
そう叫んで、私に刃向かった。

詮無き事だと思う。
私からは、どうあっても逃げられやしないのに。

〜Thanatos〜・2



「篠さんは、神の存在とか信じてます?」
「・・・・・・いきなり何だよ?」
相談がある、と聞いて屋上に上がった。
そこでこの真面目なのか、不真面目なのかよく分からない医者から言われた第一声が、これだ。

「宗教なら、悪いが他を当たってくれ、俺は生涯無宗教徒で通すつもりだ」
「いえ、別にぼくが何か宗教にはまってるわけじゃないんですよ」

じゃあ一体何なのか?
何だか嫌な予感がしてきた。

「神っていうか、そうですね・・・死後の世界は存在すると思います?」
「知らねえよ、俺はまだ死んでないからな」
「そうなんですか?以外ですね。でも、ぼくもあんまり信じてないんですよ」

“以外ですね”この言葉が、俺の中で引っかかった。
おそらく、これは十中八九“そっちの筋”の相談だ。

「じゃあ何でそんな質問・・・っていうか、相談があるんじゃないのか?」
「ええ・・・実はここの病院の院長の知り合いに、ある筋の大物が居ましてね。
この人、もう九十超えた爺さんなんですが、それがどうもね・・・。
生きる事に執着してるらしくて」

まあまだよくある話だ。

「それでですね、ある日その爺さんが夢枕に死神が立ったって言うんですよ」
「死神?」
「ええ、大きな鎌を持った黒衣の人物だったそうで、その人物の背後に川が流れてたとかなんとか・・・
それでその爺さん、益々躍起になってきたらしくて、無理な注文をし始めたんですよ」
「もしかして、死神を退治しろ・・・とか言ってるのか?」
「ご名答です」
「それで俺にどうしろと?」

一応尋ねてみるが、もう返ってくる言葉は予測済みだ。
「篠さんはそういう世界の事詳しいそうじゃないですか?

別に退治しろ、とまでは言いませんけど、なんとかその老人と話つけてもらえませんか?」


俺と人ではないモノ、というのはどうやら切っても切れない縁があるらしい。
俺の自宅兼研究所に居候している青年に言わせれば、俺はどうもそういうモノに好まれる体質らしい。
つまり、霊媒体質という事。
人ではないもの、妖怪やら何やらに好まれる体質らしい。

「やあシノ君、遅かったねえ」
建物の奥からちょっと顔を覗かせて居候が出迎えた。
「色々あったんだよ」
「ふぅん・・・なんか、行く前よりも疲れてるもんね、何かあった?」
「それくらい、お前なら分かるだろ」
「何?説明するのも面倒だって事?いいよ、じゃあ勝手に見せてもらうよ」

何を勝手に見るのか?そんな事は長年の付き合いから聞かなくても分かる。
コイツは俺の数十分前の記憶を見る、とそう言ったのだ。

「ふんふん・・・成る程・・・・・・また面倒な話だね、これは」
「だろ、何で俺が死にかけの爺さんの元へ行って、死神退治なんざしないといけないんだよ」
「しょうがないっちゃしょうがないけどね、だってシノ君くらいじゃない?こういうの頼めるような人って」
「そんな事言われてもなあ・・・」
着ていた白衣を脱ぎ、ソファの背に放るとそこにどかっと腰を落ち着ける。
「まあ、死神を退治するのは不可能なんだけどね」
「人間は神には勝てないからな」
「そうじゃなくて。死神が死ぬわけないでしょ、だって彼等にはそもそも肉体が存在しないんだから」
「神は基本霊体だからな」
「違う違う、そもそも普通の神と死神は存在からして違うんだよ」
「どう違うんだ?神は神だろ?」
「そもそも死神を神としているのが間違いだよ、彼等は神でも人格なりなんなりは持ち合わせていないんだ。
それどころか、安定した姿形もしていない、出会う度、または見る人によって姿が変わるんだ」
しかしそれ以上に、神と死神には一線を画す違いがあるという。
「死神っていうのは、概念体なのさ」
「概念体?」
また意味の分からない言葉を使ってきやがった。
「そう概念体、その概念だけで構成された存在ってこと。
意思や思考云々はつまり存在していない、そういう事になってる。
つまりどういゆうことなのかっていうと、死神っていうのは“死”そのものなんだよ」

成る程、確かにそれだと退治はできないな。
存在しないものを殺す事はできないが、しかし存在していないと決められた存在を殺す事は実はできる。
現代人はそれを行ってきた。
それが現代に生きるのに必要だったから。
しかし、それでも覆せないものがある。
一つの決められてしまった軸の上にある、問題。
死を食い止める事は、現代の技術を持ってしても不可能だ。
誰しも必ずそれは訪れる。
それを受け入れるか受け入れないか、そんな違いはあるがな。
しかし、こればっかりは否定しても殺せない。

「でもさ、よかったじゃない?相手が先立たれた前妻の幽霊とかじゃなくてさ」
またそんな惨い話をする。
「よかったか?死神なだけに余計面倒だろ」
「シノ君は自分が霊媒体質なの忘れてる?霊の居る場所に行けば、自分に乗り移られる可能性があるんだよ?
その点、死神なら安心だからね」
「そうなのか?」
「そうだよ、死神は生物の死を司る者、彼等は全ての生物に対等であるべきなんだよ。
だから、シノ君に入れ込まれる可能性は極めて低い というか、可能性はほぼ零だね」
成る程、つまり身体的な心配はしなくていいと、そういうことか・・・。
本音を言うと、別に最初からそんな心配はしていない。
俺の体にそういう方面でもしもの事があった場合、その時はこの居候の出番なのだ。
住まわせてやってる分の恩は、きっちり返してもらわないといけない。
「明日行く事になってるんだが・・・お前も行くか?」
「うん、“そっち”の方面は僕の分野だからね、シノ君だって最初から連れて行くつもりだったんだろ?」
勿論そうだ。
一介の医学者に心霊的な話はできない。
なのに、俺が心霊現象に詳しいと噂が立つ理由はコイツだ。
オカルトの塊のようなこの青年。
ひとまず、今回も今までと同じような厄介ごとで済むと思っていた。

そんな俺の予想は大きく裏切られてしまうのだが。
この時点で俺がそんな事を知る由もなかった。


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後書き

という事で、タナトス第二話終了です。
死神の備考については管理人の創作です、ベースになってるのは題名の通りギリシャ神話の死神タナトスです。
ベースっていうか、まあ多分調べたらほぼこの通りになるかも・・・。
しかし、世界には一体どれだけ神様が居たら気が済むんですかね?日本なんて八百万の神がいるとか・・・。
自分は神話好きですけど色々と設定は捻じ曲げます、許してください。
2008/12/10


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