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カゲロウは有明の空を見るか- 羽化-

 人でなし。
 人ならざるモノへ逝くもの。
 だから近づかないほうがいい、人だと思えば心も痛むけど、人でないなら良心の呵責も少ないから、もう見ないほうがいい。

「呼び出してすまんな」
「俺のほうこそ急に押しかけてすみません」
「そこは構わんよ、マンドリカルド本人も友を呼びたがっていた」
 賑やかなのはきらいではない、ウチにいる若者はへそ曲がりばかりだからなと言われて、悪い人ではないと思うんですけどと返すと、しばし間があったもののそうかとだけつぶやく。
「あの、話というのは」
 疲れて寝てるマンドリカルドを布団に戻してやったところで、燕青さんが先生が話あるって言ってんだけどと俺を呼びに来て今にいたる。
 小綺麗な応接室に通されて、冷えたお茶を出してくれた小柄な老齢の男からは、なんだか恐ろしい空気が流れてきていて思わず居住まいを正した。
「ぬしはどこまで知っている」
「知っているというと」
「あの子に課せられたことについて、どこまで知っている?」
 越してきてそれなりに経つとはいえ外から来た者、最初は事情を知らずに助けたのだろうが、今は違うのだろう。
「噂くらいは聞きました」
 神事というか儀式というかなんて説明で本人からは誤魔化されたものの、シャルルマーニュは近所にも溶けこめていたらしく、お隣のおばさんがたずねてきたときに話していたのをアストルフォと二人して聞いた。
 いわく、マンドリカルドとはあんまり関わり合いにならないほうがいいと。
 この辺は古いから、土地の神さまっていうのか主っていうのがいてね、二十年くらいに一人だけお遣いを出すしきたりなのよ、体裁としてはこの土地の王に推挙されるんだけど。
「可哀想だとは思うのよ、時代に合わないっていう意見もあるし、だから今回で最後にしようって話なんだけど」
 ここも開発が始まるし、土地神さまにはお社みたいなのを建ててね、ちゃんとしたところに収まってもらおうって。
「王になるっていうのは、具体的にはどんなふうに?」
 嫁入りというか、今回は男の子だから嫁取りというのか、とにかくね神さまの似姿を体に刻んでおそばに置いてもらうの。
「この辺の人からすれば、あの子はもう神のものっていう意識があるというか」
 すでにもうこの世の人じゃない、というか。
 ほら触らぬ神に祟なしっていうでしょ、それにあの子自体がちょっとねえ、学校が違ったから知らないの? すっごい問題児だったらしいわよ、先生もご両親も手がつけられないくらい荒れてたって有名で。だから二重の意味で距離を取っておいたほうがいいっていうか、あんまり仲良くするのはやめといたほうがいいわよ、周りから白い目で見られるから。
「おおよそ、間違いではないな」
「そうですか」
 じゃあ背中に彫りを入れているのはやっぱり先生がしてるんですかと聞けば、そうだとすぐさま返答される。
「医者だって聞いてたんですけど?」
「本業はそうだ、ただ家業を継ぐのに嫌気が差してな」
 まあ逃れられるものでもなかった、それ故に両方の仕事を請け負っているだけのこと、あの子と似たようなものだと少し自嘲気味に笑った。
「やめられないんですよね?」
「すでに決められている以上、やめるという選択肢はない」
 そして今回を最後にお帰り願うという以上、彼にはそれなりに大事な役割がある。主が身を置く地から山へお移りいただくため、先導役として導く役目が。
「なんでマンドリカルドに決まったんですか?」
「ヌシが選んだというのが祭司からの言葉らしいが、実際はどうだろうな」
 占いも儀式もあてにはできん、なんらかの理由で集落から一人を選ばなければいけないとなると、突如として始まるのが他人の粗探しだ。一人を差し出せば一族が許されるからこそ、波風を立てずに平和に暮らすため誰も逆らわず従ってきた。
 各々に思惑があり、それぞれに利害がある、本人の許可もなく一人に多勢の責任を負わせる、とても褒められたものではないが。
「とはいえ加担する以上、儂はケチをつけられる立場ではない」
 静かに吐き出す本音だろう言葉に、本当に無理なんですかと聞いてみる。
「彫ったフリをして誤魔化すとか?」
「形式上それは難しいだろうな」
 儂の手でことが済むなら誤魔化しも効くが最後に司祭が確認する、一人以上の他人の目に晒す以上は下手な小細工を使って禍根を残すわけにもいかない。
 本人は納得こそしていないが決定を飲みくだし、彼のご家族もすでに了承してしまった後だ、故に儂はできる限り苦しみが長引かない処置を行うことのみ。誰も助けてくれないとはそういうことか、諦めてほしくなかったなあと悔しく思うものの、自分たちに祭事をひっくり返すほどの力は確かにない。
「あの、彼が荒れてたっていうのは、どうして?」
「役目が決まったのは彼が十一を過ぎてからだ、多感な年頃の少年がその後どういう扱いを受けたのかは、およそ想像がつくだろう」
 閉鎖的な場所だ、異分子は弾かれるか見ないフリと相場が決まっている、そして子供は無邪気であるがために大人のよそよそしさを敏感に嗅ぎつけ、彼らなりにどう動くかを決める。
「だから遠めの学校まで通ってるわけですか」
「多少の噂はあったとしても顔見知りはいないほうがいい、志望校すら周りの子供と被らないように決定されていた」
 自分たちは都心部の高校にしとけというシャルルマーニュの勧めがあってだけど、彼の場合はもっと違う処置だったわけだ。本当になに一つ満足に選ぶこともできなかったんだなと心が痛む中、そんなあの子が変わったとすれば、ただ形式だけの禊の儀に放り出されたのを、そうと知らずに引き揚げた者がいたからだろうと続けられる。 「それは」
「あの日を境に少しだけ顔がよくなった、大分と落ち着きを取り戻したように見える」
 徐々に薄らいでいく目に生の色が戻ったのはぬしのお陰だ、誰も彼もが手を差し伸べなかったというのに、打算も思惑もなくただ善意で助け出そうとする者がいるなど思ってもいなかったらしい。
「俺はこれからどうしたら?」
「変わらずそばに居てやってほしい」
 元からそのつもりだったと返せば、ならばその決心を違えないでほしいと言う。
「繋ぎ止める者がいなければ、戻って来ぬやもしれん」
「それはどういう?」
 さてな、杞憂であることを祈るとつぶやくと立ちあがり、そろそろ夕食にしようかと言った。
「すまんが二階からマンドリカルドを呼んできてくれるか?」
「わかりました」
 失礼しますと一礼して部屋を出ると、本当に気持ちいい若者が来たとつぶやく声が追って聞こえた。

「まったく急に出て行ったから、ビックリしただろ」
「悪いって」
 どうしても行かなきゃいけなかったんだと返すも、電話先のシャルルマーニュはもうちょっと説明してから行けよなと呆れた声でつぶやく。
「にしても、本当なんだなあの話」
「そうみたいだ」
 喧嘩とか恐いし巻きこまれるだけ損よと言われて、俺もアストルフォも感情を制御するにとどめたのは、こいつがその場を取り繕ってくれていたからだ、戻って来たあとでろくなもんじゃないなと吐き出したけど。
「この時代に、王もなにもないだろ」
 神事というよりいっそ因襲と呼んだほうがいいものだ、それを続けていたことにも驚きだけど、背負わされる相手の痛みに見ないふりをできるのもどうかと思ったし、俺も目をつぶってやり過ごす気はない。
「とはいえ気をつけろよ」
 おまえの向こう見ずなところも心配だ、最初はいいように働いたかもしれないけど、今後もいい方向に転がるかはわからないんだから。
「わかってる」
「あと、泊まっていくのはいいが、あんまりご迷惑おかけしないように」
 突然押しかけたようなもんだからな、いくら友達が心配だって言ってもやりすぎだぞと指摘されるが、連れて来てくれたのは燕青さんだし先生も快く迎え入れてくれた。
「マンドリカルド、元気そうか?」
「いや元気ではないかな、食欲もそれほどなさそうだったし」
 燕青さんにそんな体たらくじゃ乗り切れないぞと無理に食べさせられていたけど、そこまでにしておけと途中で先生が止めていた。
 今は少しだけ休みたいって言って横になっているから外で電話かけてると言うと、体の負担は想像の域を出ないし支えになれるんならそばに居てやってやりな、なにもできないってわけではなさそうだし、夜ふかしは感心しないから早めに休むんだぞと言いつけてきた相手に、わかってるよと返答して通話を切った。
「ご家族から許可は出たかい?」
「はい、大丈夫だって」
 正確にはシャルルマーニュがなんとか言いわけしてくれるんだろうけど、まあそこはいいや、許可が出たのに変わりはない。
「あんたさ、マンドリカルドと風呂に入ったって本当?」
「そういえばあったな」
 池から引きずり出した日に汚れてたから二人で入ったけど、それがなにかと聞き返すと、そういうことねと笑う。
「今後とも、仲よくしてやってくれよ?」
「そのつもりだけど」
 そっかじゃあお願いしようかなと、なぜか含みのある言いかたするなと思った次の瞬間、というわけであいつを風呂に入れるの手伝ってくんねと笑顔で告げられる。 「えっ、なんで?」
「刺青を彫ってる途中の風呂ってめちゃくちゃ染みるんだよ、だけど下手に背中を触られたら困るわけね。んで両手を縛りつけて入れたんだけど、めちゃくちゃ抵抗されたから手伝ってくんろ」
「なんかすでに犯罪っぽいんだけど」
「うーん反社会的に見えるけど、ギリ合法だぜ?」
 どうする俺一人ならまた両手縛りあげるんだけどと二択を迫ってくるものの、いや男二人で押さえつけるのもまずいし、縛りあげて風呂に入れるのもどっちも絵面はヤバいような。
「人の部屋の前でなに言ってんすか?」
 どっちもいやですよと顔を出した相手にそりゃそうだよなと思うものの、俺はそうはいかないんで一人で入るってんなら縛りあげるからねと容赦なく告げられ、マジかよとゲンナリした顔で返す。
「ちなみにローランと一緒だったらどうするんだよ?」
「体洗ってる間は両手を握っててもらう」
 縛られてるより心理的には楽なんじゃないのと聞き返されて、確かにそうかもしれないけどと視線を逸らすので、ならいいぞと返せばなんとも言い表せない困惑した声をあげる。
「おっ、じゃあまとめて風呂に入っとけ!」
 面倒も少なくていいじゃんと言いながら連れ出されるので、いや今だったのかよと返すものの、だって準備できてるからさと二人まとめて風呂場に押しこまれ、前とほぼ同じだなと思った。
「なんでいつもそうなるんだよ」
 そんで、おまえはどうして風呂に入るのに躊躇しないんだと呆れ顔を向けられるものの、なんだろうな他人の前で裸になるのに抵抗があまりないんだよな。
「いや今更さ、恥ずかしいもないもないだろ?」
「おまえはそうかもしれないけど」
「いいじゃん好都合ってことで」
 なんもよくねえこっちの心境は全然違うんだよ、せめて心の準備ってのがあるでしょと震える声でつぶやくので、そんなに見られたくないのかと聞き返す。
「普通は見せたくないし、見られたくないんすよ」
「でも縛られるのはいやだろ」
 どれかは妥協しないといけないんじゃないかと指摘したら、ならまだ縛られたほうがマシだと返される。
「ええ」
「おまえ、そこは素直に他人の優しさに甘えとけよ」
 縛りあげるほうも良心が痛まないわけじゃないだぞと言う相手に、おまえ面白がってただろうがと刺々しく返すも、俺としては流石に目の前で拒絶されんのは傷つくんだけど、こっちまで泣いていいのかと告げると、大の男がこの程度で泣くなと呆れた顔で返される。
「だってさあ、急によそよそしいじゃん?」
 本当に泣くぞと言えば、おまえ冗談じゃないなと顔色をうかがい相手がつぶやくので、大きな溜息をついてわかったと言う。
「どうなってるか自分でも見てないんで、ローランはあんまのぞきこむなよ」
「わかった」
 Tシャツにハーフパンツなんてラフな格好で来てしまった俺と違って、浴衣の彼はさっさと帯を取られ脱がせられると、上半身を覆っていたサラシを慣れた手つきで外されていくのを目の端で見つめる。
「あぁんっ!」
 擦れるだけでもそれなりに痛むらしい背を、こちらに一切向けないように気をつけているらしい、そんな相手の背後に立って入るよと風呂の戸を開け燕青さんとついて行く俺。
 広い風呂場の中央で、それじゃ手握っててやってくれると言われるがまま両手を差し出すと、震える指で恐る恐る触れてくる相手に、しっかり掴まっておけよと背後を陣取ってる相手から声が飛ぶ、直後にシャワーを当てられてひっと喉から甲高い悲鳴をあげて強い力で握り締められるので、そんなに痛むのかと聞き返す。
「うっ、痛むのもそうだけど、なんか、痒いというか」
 肌をさらして体を洗ってもらっているだけなのに、それだけで酷く痛むのか改めて知覚する違和感に戸惑っているようだが、とはいえ最低でも汗は流しておいたほうがいいぞと声をかけて、震える体を励ますように優しく握り返してやるとびくりと震える。やっぱ悪いことしてるみたいなんだけどとつぶやけば、大丈夫だってお兄さんは助けてる側だからと笑って返される。
「そうは言ってもなあ」
 涙目で顔の赤い同級生を目の前にどんな気持ちでいればいいんだろう、悪いことしてないはずなのに良心が非常に痛む。とはいえ鼻を鳴らすように痛みに耐えている彼の苦痛が和らぐことを祈りつつ、気だるげな息を吐く相手の顔をできるだけ見ないように明後日の方向を向いていると、お兄さんも洗ったげようかと声をかけられた。 「え、いやいいです」
「そう、んじゃ洗い流して湯船入れるから、その間に洗っといて」
 相手が容赦なく水をかけて洗い流していくので、また喉から飛び出しそうになる悲鳴を押し殺しているのを目の前で見て、丁寧なのか雑なのかどっちなんだろうと後ろを陣取って動かない相手を見ると、そんな睨まなくってもお友達をイジメたりはしないよと言う。
「はい終わり、名残惜しいだろうけど交代な」
 俺の手を離さないマンドリカルドに、駄々をこねるなよと無理くり引き剥がすとこっちなと湯船に引きずっていく。無理に入る必要はないんじゃと聞けばいや、これ必要なのよと再び痛みに叫ぶ相手をお構いなしに中へ入れる。
「線彫りの段階ならそこまでなんだけど、今後のためにも慣れてもらわないと困る」
 急いで体を洗う俺に向けて教えるように聞かせてくれる、色を入れる際には湯を浴びるのは絶対必要なんだ、出来栄えが変わってくるから、そう言う相手にもかなりの量の彫り物があるから、おそらくは実体験なんだろう。
「燕青さんは辛くなかったのか?」
「うーんまあ耐えられないほどではなかったけど、骨の付近とかは流石にめちゃくちゃ痛かったのは覚えてるな」
 後処理も大変だったのよ、俺は一人だったから自分で縛りあげてなんとかしたわけ、と呆気からんと教えてくれる相手にそうなんですねと返し、もう変わりますよと近づいて声をかけると、じゃあ任せるわと両手を離してこちらへ引き渡す。
「着替えは用意しておくから、絶対にそいつが背を掻きむしらないように見張っといて」
 それじゃとごゆっくりと出て行く相手に、面倒だから押しつけたなと溜息混じりにつぶやくマンドリカルドだったけど、差し出した手には大人しく握り返してくれる。一緒に湯船に浸かるものの、向き合った姿勢は絶対に崩さないあたり背中を見られることによほど抵抗があるらしい。
「だって、人でなしの証だろ」
 視線を逸らしてつぶやく声に諦めに似た色を感じ取り、なんでそんなこと言うんだよとこちらが悲しくなったものの、怒りをあらわにする前に言葉を飲みこむ。
 誰からともなくそう言われてきたんだろうな、痛みだけが原因じゃないんだろう涙の滲む顔をのぞきこみ、大丈夫だと笑い返す。
「俺も大概、人でなしだろ?」
「はあ?」
 笑うかもしれないが連続失恋記録が二桁になった男だぞ俺は、なにが悪いでもなく女性に避けられているきらいがあるのは否定しない、そんな相手をバカにしたり邪険に扱わないおまえはスゴイんだって。
「はっ、なんだそれ」
「やっと笑ったな」
 傷を広げられるわけじゃないんなら笑われるのは平気だ、特に自分の身を削られる思いをしてるおまえになら。
「だからもう、人でなしとか言わないでくれよ」
 無理だろと視線を逸らされる、今すぐどうこうはできなくても、少なくとも俺たちで遊びに行ったときはおまえ普通だっただろ、立香と話してるときもアストルフォとじゃれてるときも、俺一人で頼りにならなくともみんなといるときの顔がおまえの素の姿だ。
「俺たちの中だとまともな奴だろ?」
「比較対象おかしくないっすか?」
 そっかと笑う相手に生気が戻ったと話していた李先生を思い返す、確かに消えてた光が戻ってきたように映った。
「なあ、暑くないか?」
「俺より湯に浸かってる時間が長いもんな」
 湯あたりする前に出るかと立ちあがると、引きずられるように立つ相手が、ゆっくりと湯からあがり息を吐くと、血色のよくなった体が薄らと朱に染まっている。これ以上はまずいなと連れ出せば待っていた燕青さんが受け取り、再びさらしを巻いてから浴衣を着せていくのを尻目に、こちらも着替えを進める。
「手伝ってくれてありがとうね」
 力尽きてるときは可愛いんだけどさ、意識あるとこんな状態だからと言う相手に涙目で睨むマンドリカルドが殴りかかるものの、簡単にいなされて終わった。身のこなしが達人のそれに見えたけど、この人は本当になんなんだろう。
「はあ、もう戻ろうぜ」
 手を取って歩き出す相手の背に向けて、おまえの部屋でいいのかとたずねると、布団運んでおくってあいつが言ってたからいいんだよと返される。
「全部終わるまで、何日くらいかかるんだ?」
「夏休みと冬休みの、長期休みくらいしかタイミング合わせられないから、全部終わるまでは、それなりにかかる」
 冷房の効いた部屋でうつぶせに横になり、連続して作業できないんだってさとつぶやく。
「なんで?」
「体に負荷がかかるからって」
 続けて進めたらボロボロになるって、まあ実際にやってみるまでこんな痛いって知らなかったけどさ、先生が気を使ってくれたのようやくわかったと溜息混じりに口にする。
「次は様子を見て、三日後以降にって」
 痛みとかぶれが引かないとどうにもできないから、とりあえず中二日は休みなんだけどさと言う相手に、とはいえ体がうまく動かないならどうしようもないわけだけど。
「予定がわからないって、そういう」
「うん、アストルフォには悪いけどな」
「いやそこは体調優先だろ」
 今日だけでも実感したけど、こればっかりは肩代わりできるものでもなければ、先が見えないのも仕方ない。
「でも、おまえの顔を見て安心したのはそう」
 だからなんとか予定は空けたい、どうにか先生に相談してみるから、できそうだったら連絡するな。
「無理はするなよ」
「ん」
 疲れてそうだった相手に眠いなら、もう寝てもいいぞと声をかけるとしばらく抵抗していたようだけど、意識がゆっくり落ちていくのを見ておやすみと告げた。

「あの子を差し出せば全て丸く収まる」
「子供を犠牲にしている時点で、なにも収まってはいない」
 先生と集落の大人たちのやり取りを影から聞いていた、一度決まった儀式に異を唱えることは誰にもできない、ならば最大限まで安全性を高めるのが開催する側の責任ではないかと。
「今までだって細心の注意を払ってきた、それでもほとんどの神子は戻って来なかった」
 自分の役割を果たした証拠だ、戻ってくること自体が間違っているという強い口調の人すらいる、あちら側へ差し出した以上はもう人でなし、むしろ帰ってこないほうが身のため。
「よう、おチビちゃん初めまして」
 声をかけてきた相手を見て、恐怖にすくんだ喉から悲鳴をあげるのをなんとか飲み干した。人のいい顔で挨拶をしてきたけど、見知らぬ青年に気を許せるほど俺に余裕はなく、その場にいることをバレないように身を小さくするだけ。
「礼儀正しい子供だって聞いてたけど、そうでもなさそうか」
「あんた、だれ?」
「俺は燕青、李先生の助手やってる者」
 あんたのこと守ってくれって先生から頼まれてんの、よろしくと手を差し伸べてくる相手に、ただ無言を貫くとおい挨拶してんだからなんとか言えよと不機嫌そうに返される。
「守るっていうのは、嘘なんだろ」
「はあ?」
 早いとこ食われればいいと思ってる、それまでどこにも逃げ出さないように見張り役なんだろ、そう言い返せばなるほど子供なりに立場は理解してんのなと隠すことなく返される。
「まあでも当たってるのは半分までだ、見張り役なのは否定しないけど、他にも色々とお役目を授かってまして、今はねここからおまえを連れ出すのが仕事」
 行くぞと言うと同時に伸びてきた両手で簡単に抱きあげられると、あっと声をあげる間もなくその場から運び出される。誘拐じゃないかと言いかけた俺に、そうとも言うかもしれねえなと相手はカラリと笑った。
「でもよ、おまえ別にどっちでもいいやって思ってんだろ」
「みんな死ぬって言ってる」
「だろうな、このままだったら本当に死ぬぞ」
 てめえが戻って来たいと思わない限り命なんてすぐ消える、生きたいと思ってねえ奴は絶対に生き残れない。
「その点でいくと、今のおまえは間違いなくあの世行き決定だ」
 俺は人を生かすために派遣されたんであって、生贄を飼い慣らす役目はごめんだ。
「いい子にしてたら誰かが助けてくれる、なんて思ってんだったら今すぐやめろ、ここの奴らは誰もてめえに味方しない、死ねばいいって思ってる奴に命乞いなんざテメエが無様になるだけだ。死にたくねえんなら自分で生きたい理由をみつけろ」
 ムッとする俺によっしまともな顔になったなと言う、こっちは怒っているのに気にすることなく、むしろ煽ってくるは大嫌いだと思った直後、
 同時に認めたくはないものの、こいつは周りの大人がつくような嘘は言わないこと、そして嫌味なくらいに心を見透かしてくる奴だと気づく、絶対に見せたくないものを見抜かれる前に、踏みこみすぎないようにしないと。
 落ちるなよとと笑った相手がバイクで走り抜けていく音と、外の光が眩しくて同時に走り抜ける暑さと風に目を細めた。
 ああやっぱり夢だったかと思い直す、それはよかったと思いつつ痛む体を引き立てて起きあがろうとしたとき、隣で眠る安らかな顔を見てほっと息を吐き、手を伸ばしかけたときおはようさんと肩にそろりと手を置かれた。
「うおっ! おまえいつの間に」
「そろそろ起きるかなって思って、まあ寝てても構わなかったんだけど」
 薬塗ってやるから起きてるなら協力しろと言うので、わかったと言ってだるい体を引き起こして、手を引かれるまま座り直すと浴衣の前を開けて上半身をさらし、巻いてあった布が剥がされるのを見つめる。
「いってえ」
「暴れるなよ、あと大声あげるとあいつ起きるぞ」
 背中側を陣取った相手に指摘されて、まだ眠ってる相手を起こさないように唇の端を噛んで声を抑えると、そうそう大人しくしてくれと言いながら、痛む背に向けて腫れを引かせる薬らしいものを塗っていく。
 よし終わりだと言うと新しいさらしを巻いてくれるので、ちゃんと終わるのを待っていると、背後で作業をしていた相手がちょっと身を乗り出すのに気づいた。
「やっぱさあ、おまえあの金髪くんのこと好きだろ?」
「黙れ」
 本当にそういうのじゃないと否定するけど、どうだろうなと面白そうに笑いながら後ろから前に移動してきて、浴衣を着せ直してくれる。
「昨日のこと覚えてないの?」
「なんだよ、風呂入ったのは流石に覚えて」
「その後ローランくんの手掴んだまま寝落ちしたから、あいつめちゃくちゃ困ってたぞ」
 隣に布団用意してやった俺に感謝しろよと言われ、そばで寝てたのはそういうと気づいて熱くなる頬を押さえると、ほらそういうとこと指摘してくる。
「なにが?」
「わかりやすいんだよ、明らかに顔が違う」
 妬けちゃうくらいに可愛いツラしてんだから、気をつけろよとニヤけた顔で指摘してくるので、絶対に言うんじゃねえぞと念押しするとキョトンとした顔をしてから、なんだ白状するのかと笑みを深めてくる。
「余計なことするなよ」
「そんなもんするに決まってんだろ、おまえの人生に茶々入れるのが俺の楽しみなのに」
「馬鹿なことに力かけんな」
 なんだよ出会ってから今までで一番いい顔してるって褒めてんだぞ、と言うがその行動全てもう地雷でしかねえと返す。
「そうかよ、まあ今はお邪魔虫でしかねえか」
 朝食にするには早いし、もうしばらくしたら改めて来るから、それまでごゆっくりとふざけた笑顔だけ残して去って行く相手を見送り、溜息を吐いてまだ寝ているらしいローランのそばに寄ると、額にかかっている髪を撫でるとんっと小さく声を漏らしてこちらへ擦り寄ってくる。
 慌てて引っこめようとしたときにはすでに遅く、過ごしやすく整えられた空調の風とは違う、人肌の熱に違和感を覚えたらしい相手が身じろぎして、シャルル、アストルフォとよく知る相手の名前を挙げる。
「あー遅刻かあ、待って、起きるから」
 バチッと音がしそうな距離で視線が合ったのを感じる、済んだ青色の瞳がはっきりと自分を捉えたとわかった瞬間に、体を離そうとしてあれと声をあげて見開いたローランが、一気に体を起こす。
「あの、まだ寝ててもいいぞ」
 六時過ぎだし早いだろと小声になりつつ答えると、そうかでも目が冴えたからと起きあがる相手に、昨日は悪かったなと改めて正座して向き合うと、突然お邪魔したことなら別に構わないぞと笑顔を向けられる。
「そっちもだけど、なんか昨日寝落ちしたって」
「ああ」
「あの、特に深い意味はないんで!」
 本当に疲れててあんまり覚えてないんだけど、なんか優しくされて嬉しかっただけでそれだけでと続けると、どういう意味だと首を傾げる。
「えっいや、燕青からあんたの手掴んで、離さなかったから、困ってたって」
「なんの話だ?」
 風呂からあがった後そのまま静かに寝たから、一回様子を見に来た燕青さんに大丈夫そうだと伝えたら、それじゃここに布団用意しようぜ、起きたときにあんたがそばに居たほうがこいつも安心するだろうし。
「それで隣で寝てたんだけど、なんか迷惑だった?」
「いや、いいや、おまえが悪いんじゃねえ」
 あの馬鹿の言ったことを正直に信じた自分こそ馬鹿だったんだ、深い溜息を吐いてごめんやっぱなんでもないと手を振って答える、なにがと疑問を投げかけてくる相手に燕青の奴に変なこと言われただけと、内容は誤魔化して伝える。
「喧嘩でもした?」
「いつもどおりだよ、あいつとはもう五年近くこんなかんじだ」
 そんな長いつき合いなんだなとつぶやくローランに、出会った時から変わらないずっと嫌味な奴だぞと返す。
「そんなこと言うなよ、色々と気を使ってくれてるんだろ」
「どうだか、本気で引っ掻き回すのが楽しいだけかもしれねえ」
 そう言う割に信頼はしてるんだろと指摘されて、どこを見てたらそう思うんだと聞き返せば、バイク二人乗りで走ったことあるんだろと聞かれる。
「誰がそんなこと」
「いや昨日乗せてもらったとき、俺は重いって言ってたから」
 他に後ろを許しそうな相手って誰かなって思ったときに、おまえくらいしかいないかと思ってという。
「乗せてもらうこともあるけど、そんな頻繁にじゃないぞ」
 それこそ出会ったばかりのころ、大人ばかりの寄り合い所の片隅で膝を抱えていた俺を連れ出したときとか、無理に後ろに乗せてくれたりはしたけど、先生から危ないからできるだけバイクはやめろと指摘されたらしい。
「荷物もあったりするし、子供の体格だとバランスを崩したりしたら危ないだろってさ」
 それがどうかしたかと聞けば、手を伸ばしてすぐ行動に移せるっていうのが羨ましいと思ってとつぶやく。
「いや距離が近いってだけで、助けてはくれない」
 でもと言いかけたローランに被せるように、やめておこうぜと会話を変えるように促すと、なら体調はどうだと聞かれた。
「それなりにしっかり休んだし、悪くはねえよ」
「痛くないのか?」
「あるけど流石に昨日よりはマシかな」
 これなら予定通りに進めても平気だと思う、少しでも先生に迷惑かけなくていいのはよかったと言うと、まだ心配そうにこちらを見つめる相手にあのなとたずねかけた瞬間、おーい朝飯の用意できたぞとドアの向こうから遠慮なしの声が飛んでくる。
「はーい」
 先生を待たせるのもよくねえし行くかと立ちあがる俺に対して、なあさっきなんてと聞き返してくる相手に、いや大したことじゃねえんで行きましょと手を差し出すと、そうだなと納得してなさそうな顔で頷いた。

「なあローランくん家まで送ってくけど、おまえどうする?」
 ついて来るかとたずねられて行くけどちょっと待ってと言うと、マンドリカルドはいったん奥に引っこんで大きな包みを手にして戻って来た。
「なにそれ」
「スイカ」
 大したもんじゃねえけど、急に呼びつけたお詫びと言うのでそんなんいいぞと返すも、まあ親御さんがどう思ってるかわかんねえんでとつぶやく。
「それと、正直ちょっと多いんだよな」
 毎日のように食ってるはずなのに、なんか気づいたら増えてるんだよなとぼやく相手に、勝手には増えないだろと指摘すれば裏にある畑で獲れるんだよと教えてくれた。
「夏野菜を色々と植えてたんだけど、俺が泊まりになるからって今年はスイカも植えたらしくって、それなのになんか色んな人から何日かごとに貰うんだよな」
 手土産で気楽に持って来られるからのはいいことだろうけど、三人では流石に食べきれないからお裾分けと思って受け取ってもらえないかと言うので、そういうことならと荷物を抱えた浴衣姿のマンドリカルドが後ろの席に座る、その隣に腰を下ろしてシートベルトを締めてそれじゃ行くかと燕青さんがエンジンを回して走り出した。
「こんな奥まったところで、他の患者さんとか迷ったりしないんですか?」
「先生のとこの患者はちょっと訳ありだから、紹介で来る人たちで一般診療ってのが少ないんだよな」
 患者の体調面も考慮して、ちょっと自然が豊かなところのがいいだろうって居を構えている形なので、案外と評判はそれなりにいいという。
「あと施術によっては街中でやるには、ちょっと問題ある内容も含まれるし」
 そう言いながらバックミラー越しに隣に座る相手を見た燕青さんに、そういうことかと思った、本業は医者だけど他にも理由はあるわけだ。
 ぼうっと外を眺めているマンドリカルドの表情は少し陰鬱としている、逸らされた首筋は白くってやけに艶かしくも映るので、これは見てはいけないものじゃないかと考えていると、どうかしたかと向き直って返された。
「いや、その格好で来てよかったのかなって」
「ああまあ、着替えるのも面倒だったんで」
 やっぱ変だったかと聞かれるが、汚れたりしたらよくないんじゃないかと言えば、問題ないよいわゆる手術着みたいなもんだからと燕青さんが返す。
「着替えさせるのが楽だからそれにしてんの」
 お祭りに着て行くようなやつとは違うから、気負わなくっていいわけと言う人に向けて着つけとか慣れてるんんですかと聞くと、まあ俺もそいつも一通りはできるぜと返される。
「なんで?」
「いや、アストルフォが祭りに行きたいって言ってたんだけど、浴衣の着つけは流石に誰もできなくって」
 やってあげようかと声をかけてくる相手に向かって、あんた人前に出て行くといい顔されないんだから引っこんでろと隣から怒りの声があがる。
「俺がやるっすよ」
「いいのか?」
「妹にもよく着せてやったことあるし、なんとかなるでしょ」
 いやできるかじゃなくって体調面のほうがさと指摘したら、そっちは心配ないっすと即答された。
「思ったより翌日まで響いてないんで、予定さえ合えば」
 祭りの日っていつと聞かれて、盆休みだったことは覚えてると曖昧な返事をすると、ならちょうどいいじゃん、先生も休みにするって言ってただろと運転席から軽快な声が返ってくる。
「送って行ってやろうか?」
「だからしゃしゃり出て来んな」
 変なとこでお節介なんだよと指摘されるものの、おお見えて来たぞと批難してくる相手の声は無視して車を止める。
「ただいま」
「おかえりーあれ、マンドリカルドじゃん!」
 思ったより元気そうじゃんあがってく、と出迎えられたアストルフォに突撃され、いや挨拶だけにしとこうと思ってたんで、これで失礼するけどと言うのに不満そうに声をあげるから、まだ体調も万全じゃないし今度にしようぜと止めに入る。
「そんな暑いとこで話さなくってもいいだろ」  奥から顔を出したシャルルマーニュに、これお裾分けで貰ったと大きなスイカを差し出したら、おまえなあと呆れて溜息を吐くと、突然お邪魔したのに悪いなと隣に居る相手に謝る。
「ああいや、俺のせい、みたいなもんなんで」
 終わりになるほど小声になっていくから、押しかけたのは本当のことだし、今度はウチに泊まりに来いよと笑顔で告げる。
「あっそうだ、祭りのときマンドリカルドが浴衣着つけしてやろうかって」
「マジで! できんの?」
 動画見て色々とやってみたんだけど上手くいかなくってさと言うので、帯とか凝ったやつはできないけどそれでもいいんならとつけ加えられた言葉を聞いてるのか、やったと歓声をあげるアストルフォに対し、じゃあ合わせて泊まりに来いよとシャルルマーニュが誘いをかける。
「いいんすか?」
「知り合いがもう二人ほど来るし、ちょっと騒がしいかもしれないけどな」
 来客は元から予定してたしこっちは問題ないから、遊びに来るだけでも考えといてくれよと言われて、そうですかと小さく返答する。
「じゃあ、先生に相談してみます」
「遊びにはおいでよ、僕も会いたいんだからな!」
「わかった」
 また今度なと笑顔を向けるマンドリカルドに、無理とか無茶はすんなよと送ると、流石にしねえよと視線を逸らしてつぶやく。
「なんかあったら連絡しろ」
「いやうん、わかってる」
 またなと手を振って見送った直後、ちょっと雰囲気変わったよなと悲しそうにシャルルマーニュがつぶやく。
「やっぱ気づいたか」
「うーん、無理してるかなとは思ったけど」
 元気そうに見えてそうじゃないよねとアストルフォまで気づくとなると、やっぱ隠しきれはしないよなと溜息を吐く。
「昨日と比べると多少は落ち着いてるほうだけど」
「これがあと一年以上続くんだろ、同情で済む話ではないな」
 とはいえ口を挟める立場でもなし、声をあげるだけ問題が大きくなるだろうなと肩を落とすので、学生ってだけでもあんまりにも無力だもんなあと隣の相手も同意する。
「マンドリカルドの先生からな、変わらずにそばに居てやってほしいって頼まれたんだけど」
「そんなのは当たり前に決まってんだろ、もっと他にできることはないかって話」
 貰ったスイカを切り分けて冷蔵庫に入れている間に、それ以外にできることがないってことだろと返す。
「引き止める奴が居ないと、戻って来れないからってさ」
「なにそれ」
 さあ言葉どおりの意味なのか、聞いても答えてくれなかったからどうにもと言うと、しばらく押し黙ってちょっと俺のほうで調べてみるよ、だからおまえたちは絶対にあの子のそばを離れないようにしておけ、いいなとシャルルマーニュは強い口調で決める。
「よし、それじゃあ最高に楽しめるように、なんか考えよう」
 なにがいいかなと提案をあげていく相手を見つめて、おまえが居てくれてよかったとつぶやけば、そうだろうともと自身ありげに返される。

「構わん」
 通いの客と違って、滞在している都合上いくらでも日程の都合がつく、とはいえ先生の診察の都合もあるじゃないっすかと言えば、おまえが気にすべき場所はそこではないと呆れたように返される。
「おまえが心配すべきは体調と、学業だ」
 補習はなかったようだが宿題は進んでいるんだろうなと指摘されて、ちゃんと進めていますと回答すれば、それならいいと言う。
「世間との繋がりは残しておけ」
「そんな大事っすか」
 当たり前だと顔色を変えずに返し、予定通り明日には再開するのだからまた動けなくなっても構わないように進めておくように。
「もう戻っていいぞ」
「はい」
 ではと診察室を出て部屋へと戻っていく足取りは重い、そりゃ誰も好んで針に刺されに行きたくはない、溜息を吐くと部屋へ戻る途中におーいスイカ食わねえと燕青が呑気に声をかけてくる。
「食べる」
「オッケー」
 切り分けてくれる相手のそばに腰を下ろし、明日はどうするローランくん呼ぶと聞かれるので、いらねえと首を振ってから冷えたスイカを手に取る。
「なんだよ、会いたいくせに」
「あいつにだって、予定あるだろうし」
 急に呼び出したりはしたくない、あと弱ってる姿を見せたくないのも大きい。冷静になってみると恥ずかしくなってきたと言えば、そんなおまえに耳寄りな情報があるんだけどさと悪い笑みでにじり寄ってくるので、いやな予感はしつつなんだよと耳を貸す。
「墨入れてるときの痛みを紛らわせるのに、いい方法があるんだけど」
「それ最初から教えろよ」
 おまえに浮いた話がなかったのが悪いと言うので、絶対に聞いちゃいけない話だろと睨み返すと、まあ最後まで聞いてからにしろってと笑う。
「針に刺されたあとの痛みを忘れるにはな、別の刺激で忘れるのがいいんだよ」
「なんだよ、もっと痛めつけられたらいいって?」
「バカ違うよ、気持ちイイことして忘れろって言ってんの」
 なるほどと頷きかけて、浮いた話という前提を考えてからおまえそれ、それまさかだけどエッチなことしろって言ってると聞き返せば、野暮なこと聞くなよと歯を見せて笑われる。
「セクハラだ!」
「なんだよ野郎同士だろ」
 そういう問題じゃねえんだよバカと頭を引っ叩くと、嘘は言ってねえんだって実際に入れたときにやるとヨかったりするんだよ、実体験だから間違いないと言うのでそんな問題じゃねえと涙目になりながら叫ぶ。
「なんだよローランくん好きなんだろ?」
「そういう、感情と、関係は別だろ。っていうか恋人とか、そんなじゃないし」
「お互いに裸見た仲だろ、次は触れ合うだけ」
 すぐじゃんと笑う相手に、そんなわけないだろ倫理観バグってんのかと叫ぶと、食べかけのスイカを置いて立ちあがる。
「なんだよせっかくだから背中押してやろうと」
「変なこと言うな、余計なことも、するなよ」
 茶々入れるとかの領域超えてんだよ、次どうやって顔合わせればいいんだと涙目になりながらつぶやくと、そうやって想像できるってことは本気で意識してる証じゃん。
「大丈夫だって、この時代に男同士とか問題ないっしょ」
「そういうことじゃない!」
 もういい部屋戻るからと立ちあがって、相手を一人残して部屋に戻る途中、下手にからかうもんじゃないと先生が静かに怒りの声をかけているのが聞こえた、とはいえあいつは反省したりしないだろう、むしろ今回のことでつけ入る隙を与えてしまった。
 深い溜息を吐くもののあいつは元からそうだった、人の踏み入れてほしくないとこに音もなく滑りこんでくる。先生が正面から導く方法を取るとすれば、あいつは裏口から入りこんで火事場に放りこむ荒療治なんだ、体も心もついていけない。
 再び溜息を吐くと、赤くなった顔を抑えるように横になる。考えるなと思うのに一度聞いてしまうと、勝手に湧きあがってきてしまって止めるなというのが無理な話で。
 別にどうこうしたいと思ってるわけじゃないのに、そういう関係になりたくて近づいたわけじゃないのに。あの手の大きさと温かさを思い出してしまう、抱き締められたときの体温と頭を撫でられたときの感触も。
 あいつはそもそも他人との距離が近いから特別な意味なんてない、勘違いするとあとで苦しむのは見えている。というかダメだろと首を横に振る、同性だとか以前に俺が勝手に憧れるのはいいけど、それ以上を望んだらあいつにも迷惑かけるし、なにより嫌われたくないし、つき合いたいとかそんなこと考えてるわけじゃ。
「あーもう!」

 翌朝の朝早くからシャワーを浴びて用意を済ませてから先生の前に行くと、前に比べて落ち着いてはいるようだなと指摘される。
「一回受けて、痛みの程度がわかったというか」
 可能なら早く終わらせたい気持ちが強いというか、痛みを長引かせてもしょうがないからと言えば、残念だが先は長いと返ってきた。
「完成度でいくと、どれくらいなんすか?」
「一割にも満ちてないな」
 マジかよと思ったものの、まだ線彫りの段階で完成もなにもあったものではないと言われる。
「色を乗せると、また変わってくる」
 黒とは別の染料を使うのと、面を塗り潰していくために針を多用するために肉体への負担もやはり強い、痛みもそれだけ広範囲に長く出る。まだまだ先は長いと言われ、そうですかと溜息混じりに服を脱いで寝台に横になる。
「痛みが酷くなれば、早めに申告するように」
「はい、お願いします」
 うつ伏せに横になった背に触れられると、では始めるぞと鋭い針先が迫りすっと背に入ると同時に痛みが走るものの、前に受けたのと同じくらいだまだ平気と声を噛み殺して耐える。
 先延ばしにしても辛いだけだと、先生の手は淀みなく針を刺して作業を進めていく。徐々に蓄積していく痛みが表面で熱を持ち、身を焦がすように広がる。筆のように塗り進められるわけじゃない、点を打つように少しずつしか進まないのだから、そりゃ一割も終わってないというのも納得するしかない。
 今日はどれくらい進められるんだろうなと不安に思いつつも、背に延々と針を打ちこまれ続けるのにただ耐える。
「んんっ、いってえ」
 泣き言をつぶやいた少しの合間に浮きあがってきていた汗を拭われ、あんまり食い締めていると血が出るぞと指摘された。
「叫んだとしても、誰にも迷惑はかけん」
「あとで、バカにされそうなんで、いやっす」
 燕青からとつけ加えると、そんなことを気にする必要はないと後ろから声をかけられる。
「しばらく骨の近くを中心に進める、より痛むぞ」
「うっ、わかりました」
 お願いしますと言うと、無理はしないようにと改めて忠告を受けて肩甲骨の上にあたる部分に針を刺される、響く痛みにひっと喉からひっくり返ったような声があがるものの、なんとか両手を強く掴んで耐える。
 骨の近くに刺されるほど痛みが強いとは聞いてたけど、実際に受けてみるとイメージとは違ってくる、骨と肉の合間を打つ針先にじわじわと熱と痛みに苛まれる、耐えてはいるものの息は徐々にあがってきているので、それだけ体力も削られているんだと思う。
「あっ、ああ……うっ、んっ」
 肉と皮膚の合間に墨が入ってきて、内側から異物感を主張してくるのがわかる。できるなら掻き出したいんだけどもちろんそんなことはできない、体の一部になって馴染むまで我慢するしかないと思うと、改めて辛いなと詰めていた息を吐く。
 今日はここまでと声をかけられるまで、かなりの時間がかかったように思う。疲れ果ててぐったり沈む体を起こそうとしたところに、無理すんなってと軽快な声と共に現れた燕青の手が抱きあげる形で台から引っぺがしてくる。
 ほらしっかりしろと言いながら軽々と抱えると、風呂場へ向かって歩いて行くので、大人しくされるがままに身を任せておく。前回と同じく両腕を縛ってくるのにも抵抗せず受け入れていると、流石に今日は体にきてるかと渋面でつぶやく。
「やっぱ、作業、遅れてる?」
「そういうんじゃねえって」
 よく耐えてくれるから、少し多めに進めたとは言ってたけどそれだけだと言うので、そうだったらいいんだけど、わがままで振り回してないかと思ってたんだけど、だからそういう余計なことを考えるんじゃねえよと呆れた口調でつぶやく。
「そんなことより、風呂に浸けるからな、我慢しろよ」
 思わず身を固めるのを見て、やっぱ金髪くんきてもらえばよかったかと苦笑する。
「いやだ」
「一回も二回も同じだろうに」
 いやだと首を振ると、強情な奴めと苦笑していくぞと連れ出された。
「ああっ……いっ、う」
「おまえ意識してないんだろうけど、結構いい顔してんだよ」
 あのイケメンくん堕とせると思うんだよなと意地悪く笑う相手に、そんなわけないだろと首を振る。
「どうだか」
 まあそこまで拒否するんならそうするけど、あんまり我慢してもしょうがないと思うけどなと言う相手に、もうこれ以上は話をする元気もないので黙って作業する相手にされるがまま、耐えていると早めに体を洗い終えたらしい相手から湯船から引きあげられ、さらしを巻いて浴衣に着せると、大人しく休んでおきなと部屋の布団に放り出された。
 出て行った相手を睨みつけても仕方ないし、手元に引き寄せたスマホの画面をつければまた友人から連絡が入っていた。浴衣買ってきたよというアストルフォが写真と一緒に送ってきてくれたので、いいなと返せばそうでしょと楽しそうな返答が戻ってくる。
「泊まりに来れそう?」
「たぶん、大丈夫っすよ」
 なんとかしますと返信すれば、無理してほしいわけじゃないんだよねとしばし間が空いてから戻って来た。
「別に無理してねえっすよ」
「そうならいいんだけど」
 そうだスイカありがとうね美味しかったよと言う相手に、また持って来ますよ、死ぬほど食ったんで正直もう無理と返せば、マジでありがとうと返ってくる。 「ウチって基本男子三名だから、すぐなくなるよ」
「こっちも男三人なんすけどね」
 食べ盛りにあたるのが俺だけになると、消費しきれなくても仕方ないか。
「あ、ローランが話たいって言ってるけど、大丈夫そう?」
 問いかけに対してしばし無言で固まるものの、いいっすと返せばわかった伝えてくるねと言い、スタンプを返してくれる。
 前のこともあるし、下手に声を聞いてまた感情が暴発したらと思うと不安にはなるものの、この間よりは多少落ち着いているし大丈夫だよなと、高鳴る胸を抑えて相手の反応を待っていると、通話いいかという問いかけと共に着信が入る。
「もしもし」
「よう、元気ってわけじゃなさそうか」
 声がちょっと疲れてそうと指摘されたとおり、さっき終わったとこなんでと返せば、なら休んだほうがよかったかと問い返されて、いいや声は聞きたかったと言えば、それならかけてきてくれてよかったのにとつぶやく。
「いや、邪魔かなと思って」
「遠慮しなくていいって、アストルフォのほうが返信早いのちょっと傷つくぞ」
 だってメッセージのほうが送りやすいんだ、あと写真まで送ってきて反応なしなのもなんだかなと思ってとつけ加えると、そういうものかと言う。
「泊まりに来ていいって、先生から許可はもらったんだっけ?」
「うん、予定としてもたぶん大丈夫」
 よかったと笑って告げる相手に、ただあんまりこう風呂とかは避けたいかなと返す。
「あーそこは気にするな、ばったりしないように気をつけるから」
「悪いな」
「いいって、そもそも一人だけ女子も来てるし」
 聞いてねえぞなんだそれと聞けば、まあ広い意味で親族ってやつかな、俺とアストルフォと違って地方の寮に入ってるから、帰省自体は久しぶりなんだけど。まあちょっと元気すぎるとこもあるんだけど悪い奴じゃないし大丈夫と言い切るので、俺は初めましてなんで無事じゃねえと返す。
「あともう一人、アストルフォの友達が来てる」
「お盆前っすよね、いいのか」
「まあちょっと色々と複雑な奴だからな、ウチはそんな奴らばっかだから深く考えてなかったけど」
 保護者から許可は出てるしいいんじゃないかと言うので、そういうものかとつぶやく、そもそも俺だって実家には帰る予定ないしなと思い直す。
「なんか、話してみると普通そうで安心した」
「この間は、色々ときてたんで」
 そんな何度も泣いたりしないと言えば、別に弱音くらい聞くから構わないんだぜと心配そうに返ってくる、そんな頼りなさそうっすかと聞けば、そうじゃなくってさとしばらく黙りこんでから、なんて言ったらいいんだろうなとつぶやく。
「おまえ自分から助けてほしいなんて言わないから、余計に気になるんだよな」
 水難事故みたいに静かに流されてしまいそうで、そこにいるって感じたいんだよなと言う相手に、そんなふうに思ってたんだと改めて距離の近さの理由を思い知る。 「そんな儚い奴じゃないっすよ」
「そうかもしれないけど」
「じゃあ、手を伸ばしたら掴んでてくれんすか?」
 それはと言いかけて言葉が詰まる相手に、無理すんなよと返す。
「心配してくれてんのはわかるし、それはありがたいんだけど、俺のことに巻きこみたくはないんだよ」
 おまえまで追われる身になるのはいやだろと指摘したら、なんだそれと怒りを含んだ声が響く。
「迷惑だとかそんなんはいいんだ、俺はおまえの友達でいるからな」
「友達なあ」
 いやなのかと聞き返されるので、そういうわけじゃないけどさと言い淀む。
 相手にその気がないのはわかってる、でももし触れてくれるのなら、それはちょっといいかもしれないなんて考えかけ、首を振って邪念を追い出そうとするものの、じわりと背に広がる痛みが熱に変わりかけてくるので、体を丸めて苛んでくる快楽に流されないようにスマホを掴む右手首を左手で掴んで身動きを塞ぐ。
 昨日出したばかりだろといやになるものの、反応していると気づくと別の熱が首をもたげてくる、しかも声が聞けるから煽られてしまう。
「マンドリカルド」
 もしかして疲れてる眠いのかとたずねてくるので、小さく息を吐いてちょっと疲れてるだけだと返す。
「無理して通話しなくてもよかったのに」 「おまえの声は、聞きたかったから」
 それなら会いに行くけどとなんてことない声色で言うので、そこまでしなくってもいいよと言う。
「今は、顔を合わせにくいというか」
 こんな状態で顔を合わせると絶対に嫌われるっていうか、同性の友達を性処理に使うような奴と、一緒に居ていいのかなんて流石に言えないし、それだけで離れて行ってしまうことになりかねないし。
 相手から引かれるのを怖がっているのに、耳元で響く心配するような声にどうしても反応してくる、手を塞いでいても体の奥から湧いてくる欲の強さでうつ伏せの体を擦るように動かすと、ちょっとだけ気持ちよくなる。
「ローランも、浴衣買ったって?」
「ああ、アストルフォに勧められて」
 迷惑じゃないかと思ったんだけどと言う相手に、別に一人も二人も変わらないからと、関係ないことをできるだけ話すように心がける。
「おまえはどうするんだ?」
「俺?」
 普通に私服で来るのかと聞かれて、考えてなかったけど、浴衣のほうがいいかと聞けばお揃いとかいいじゃんと明るい声で返される。
「ん、じゃあ持って行くけど」
 新しいやつあったかなと思い返しながら息を吐く、姿も見えない相手に縋りつきそうに伸ばす手を止めて、距離を取らないといけないのに。
「ローラン」
「うん、どうした?」
 優しい声に思い浮かべてしまう、覗きこんでくる青い瞳の色を、どうしても手を伸ばしたくなってしまう。
「先生が呼んでるから、ちょっと落ちていい?」
「あっそうか、じゃあまた今度な」
 ああまたなと返して通話を切って、詰めていた息を吐く。嘘を吐いてでもやめないと煽られるままだし、なんもかも余計なことを言ったあいつのせいだと燕青を恨みつつ、膨らんだ自分のものにようやく手をかけて擦りあげる。
「んんっ、ふぁ」
 我慢していたのと、声を聞いていたのもあって昨日より強く張っているような気がする、こんなのダメだよなと涙が浮かんでくるものの、熱を孕んだ欲求は強すぎて負けを認めるしかない。
「ごめんなローラン」
 純粋に心配してくれる相手を思い浮かべて、何度も謝るけれど慰める手は止められない、最低な奴だなと呆れ半分に自分の欲深さを痛感させられる。  でも大きなあいつの手に触れてもらえたら、気持ちいいだろうなんて。
「んんっ、ふぅ、んぁっ」
 自分の妄想というか欲望で勝手に持ちあがった熱を慰めるように手を伸ばす、悪いことをしてるとは思うものの、吐き出さないことには治りそうにないから、考えるのをやめるためにも震える手で抜くことにする。
 よく考えたら最近あんまシてなかったんだよな、先生に遠慮してるのと燕青にからかわれるのがいやっていうのもあったけど、性欲処理はしないとダメだよなと言い訳を繰り返して、右手を動かしていく。
「んっ、はぁ……んんっ」
 やべえ久しぶりだからかちょっと気持ちいい、枕に顔を埋めて声を抑えるように気にしながら、そり立った幹に手をかけて強くしごくように動かしていく。余計なことは考えずに、ただ吐き出すことだけに集中しろと言い聞かせて動かす手に、思い返すのはやっぱり繋いだあいつの、包まれるような手の感触で。
「あっ、んんっ!」
 ぎゅっと腹の奥から引きずり出される快楽に、全身に小さくさざなみが走って先端から勢いよく吐き出される、我慢するのはやめようと思っていたから意識はそのまま快感に任せていたものの、息を整えて襲ってきた後悔になにやってんだと呆れるしかない。
 触れ合ったら気持ちいいかなとか、あの大きな手で触れてもらえたらどんな気持ちだろうなんて、ちょっとでも考えた自分がいやになる、しないって決めていた相手を汚してしまったようで、心底自分は悪い奴なんだなって実感してしまって。
 直前に吹きこまれたトチ狂った発言と久方の自慰行為で、ちょっと引きずられただけだから、落ち着いたらきっと大丈夫そう言い聞かせて汚してしまった服を片づけた。

「いらっしゃーい」
 待ってたよと笑顔で迎え入れるアストルフォに、どうもと久しぶりに私服姿で現れたマンドリカルドは泊まりの荷物とは別に、同じで申しわけないっすけどとスイカを渡されるので、ありがとうなと引き受けるために手を伸ばす。
「あっ、重いぞ?」
「平気だって」
「そうそう任せろよ、こいつ馬鹿力だから」
 じゃあお願いしますと遠慮がちに差し出された包みを受け取ると、あがってよと手を引っ張るアストルフォにちょっと待ってくれと苦笑しつつ靴を脱いで引っ張られて行くので、後ろからついて行く。
「人が多いからさ、和室で雑魚寝でいいかなって話してたんだけど」
「そうなんすか」
 たぶん広いから大丈夫だと思うんだけどと言うので、なんか合宿みたいっすねと返す。
「あ、なんか女の子いるって聞いたんだけど、その子はどうするんだ」
「ブラダマンテね、流石に彼女だけは別室だよ」
 僕らは昔馴染みだけどジークもきみもあの子とは初対面だし、変に気を使うのはねとつけ加えられる。
「おっ、いらっしゃい」
「お邪魔します」
 そんな堅苦しい挨拶はいいってと笑うシャルルマーニュに対して、いやまあ家の人なんでとつけ加えるので、そちらが噂のローランの友人ですかと元気のいい声が響く。
「えっと」
「はじめまして、ブラダマンテといいます」
「マンドリカルドっす」
 女の子でいいんだよなと小声で確認してくるので、そうだぞというかどこから見てもそうだろと指摘したら、そう見えて違うパターンが隣にいるからと視線を逸らしてつぶやく。
「それは否定しない」
「なんの話ですか?」
「いや、えっとジークはどこに?」
 居間のほうに居ますよと言うのと同時に、おーいジークと最年少の彼を呼びに向かうアストルフォを見送り、とりあえず荷物置いて来たらどうだと指摘される。 「ではお茶を用意しておきますね」
「すみません」
「いいえ、お客さまですから!」
「それを言うなら、おまえもお客さまなんだけどな」
 いや帰省してきたので客人扱いされるいわれはないですよ、と弱った声で返すブラダマンテに、とりあえずこれ仕舞うの手伝ってくれよと貰ったばかりのスイカを見せると、これはまた大きいですねと目を輝かせる。
「包丁も用意してきます」
「悪いが頼む」
 こっちなと客人の案内に戻ると、いつにも増して賑やかだなと寂しそうな声でつぶやくので、あんまり賑やかなのは得意じゃないんだっけと声をかけると、まあそうっすね人目を気にする性質なんでどうしてもとつぶやく。
「別に、遠慮しなくていいんだけど」
「いやそういうわけじゃなくって」
 荷物をおろして浴衣を取り出しながら、こんなふうに遊びに誘ってくれる相手が久方ぶりだから、なんか落ち着かねえんだよと小声で言う。
「特に今なんてもう」
「ちょっと待て、それ以上はやめろ」
 弱音を吐くのはいいけど、おまえは自分を傷つけるタイプなのはなんかわかった、だから下手なことは口にするなよと止めに入ると、そういうこと言うの本当におまえくらいだなと苦笑する。
「お人好しっつーか、なんというか」
「なんだよ」
「いいやなんでも」
 本当になんでもないと笑う彼の笑顔に、それまでと違う緩やかに差した影を見た。
「あの」
「あっここか、紹介するよ彼はジーク! 僕の友達なんだけど」
「はじめまして」
 どうもと挨拶する彼の横顔にはすでに影の色はなく、いつもと変わらないちょっと困ったような表情で、初対面同士らしいやり取りを見る、二人ともあまり人づき合いが得意なタイプではないからか、困ったような視線を向けられるので、祭りに行くならそろそろ準備するかと声をかける。
「そっか僕らは着替えあるもんね」
「ジークくんたちは」
「俺は用意してないから、大丈夫です」
 本当に僕らだけだよと言うのでじゃあ用意して持って来いよと言うので、オッケーここでいいよねと浴衣を取りに部屋へ向かうアストルフォに、悪いけど俺のも持って来てくれと頼む。 「俺はブラダマンテさんたちと待ってます」
「そうしてくれ」
 じゃあまたあとでといったん二人きりになるものの、来て早々なのにごめんなと言えばいやなんかやってるほうが楽なんでと言う。
「持って来たよ」
 じゃあ始めようかと気にすることなく服を脱いで、綺麗に畳まれていた浴衣に手を伸ばし羽織ってみるが、待ってください一人だと間違えますよとすぐに手を伸ばす。
「あれ、なんか違う?」
 手順通りにしてるつもりだったんだけど違うのと笑うので、慣れてねえと無理すよと呆れ気味につぶやくと、後ろに回りこみ手際よく着つけに入るので、ごめんねと苦笑して相手にされるがままに任せる二人からちょっと視線を逸らす。
 先ほどよりも短い時間で終わったらしく、すごいなと褒める声といや単純に慣れてるだけなんでと、照れたように答える相手の声を聞いているとなにか、心の底がくすぐられるような不思議な感覚に苛まれる。
「すっごいね、本当に着つけできるんだ」
 白地にピンクの花模様のポップな柄をまとって、赤い帯を締めてもらう間もう笑顔が抑えきれない相手は嬉しそうにそう語る。
「こういう可愛いのは久々だったんすけど、どうにかできてよかった」
 帯を結ばなくていいタイプだったのはデカイっすけどねと言う相手に、綺麗にしてくれてありがとうと笑顔で返し、すぐさまジークに見せてくると出ていくので、あんまり走るなよ自分で直せないんだからとつけ加えると、わかってるよと平素より上擦った声で返ってきた。
「ほら次はローラン」
 えっと声をあげると、おまえも着替えるんだろこっち来いと手招きされるまま、前に立つとデカイからやりにくいなとムッとしつつも、後ろから手を回して前を合わせに入る。思ったより近い距離に先ほど震えた箇所とは違う場所に、波が立つようで。たぶんこの距離で向き合うと思い出してしまうんだな、前に触れたときのことを。
「両手を広げてて」
「こうでいいか?」
 いいから、そのままじっとしとけよと言うと背後に周り帯を結んでもらうにあたって、ようやく鼓動が落ち着いたので、気づかれないようにゆっくり息を吐いた。
「おまえは手伝わなくていいのか」
「いや、流石に自分で着替えできるし」
 シャツを脱いで用意してあった濃紺の浴衣に袖を通して、慣れた手つきで着替えを進めていくので、それもそうだよなと変なことを口走った自分に嫌気が差す。
「藤丸は向こうで待ち合わせだっけ」
「後輩を連れて来るって言ってたしな」
 現地集合した後で楽しんだら、解散それぞれ予定に合わせて遊ぶつもりだ、マンドリカルドも予定も合わせてくれたわけだし。
「無理はしてないんだよな?」
「もちろん、今は落ち着いてる」
 先生もお盆まで仕事する気はないって言い張ってるし、だから来れたんだよときっちり合わせ目を整え帯を締めると、鏡でこれでいいかと確認し軽く荷物を整えて、そろそろ行くかと声をかけられる。
 待ち合わせ場所まではシャルルマーニュが送ってくれるというので、大型バンに乗せてもらって都心へと向かう。電車で構わないって言ったんだけど、浴衣で長時間の移動は向かないだろと送迎を快く引き受けてくれた。
 なんか悪いっすねと言うものの、送ってくれるならありがたく乗せてもらおうよ、疲れて寝ちゃっても帰ってこれるしさと言う。
「海行ったときはあの人に荷物見たりしてもらったんだろ」
 俺もたまには保護者らしいことしないとなと明るく返すので、あいつに対抗する必要はないっすよと申しわけなさそうに隣に座ったマンドリカルドがつぶやく。
「まあまあ、楽できるのはいいことだし」
 祭りの帰りは電車も混むし、アストルフォたちは結構遅くまで遊ぶ気でいるだろうしなと言えば、だったら余計に申しわけないんだよなと言う。
「俺もたまにはお祭り行きたかったし」
「そうっすか」
 とりあえずアストルフォ、可愛いからってウチでは飼えないから絶対に金魚すくいはやるなよ、わかってるよ気をつけるからさと言うけど、言葉だけでよく忘れるのがこいつだから、おまえら注意して見ててくれよと忠告される。
「あと面白そうだからって、あちこち一人で突き進まないように」
「子供じゃないんだから、そこまで言われなきゃいけないほどポンコツじゃないよう」
 この中で一番はぐれそうなのはジークだろと言うので、ええそんなに俺は頼りないかと不安そうにつぶやく少年に、いやたぶんはぐれるとしたらアストルフォが引き金になると思うから、とかく二人は離れ離れにならないように注意してくださいとブラダマンテが指摘する。
「それを言うなら、ブラダマンテも周りには注意しろ。俺やローランがいるから大丈夫だとは思うけど」
 面倒なのにナンパされるとちょっとなと言うので、もちろん気をつけますともと自身満々に返す、最後に後ろの男二人も気をつけろよと注意を受ける。
「俺たちもっすか?」
「ローランの場合は、運命感じたとか言い出したら危険だから」
「そっちか」
 納得しないでくれと隣に座る相手に言えば、いやおまえならあり得るだろと軽く笑いながら返す。この間の海だって一番にフラれたと指摘されて、古傷をわざわざ抉らないでくれと涙目でつぶやく。
「いや、なんでおまえそんな簡単にフラれんだろうなって」
 なんか呪われてんのかと軽く笑われるので、だとしたら除霊でなんとかならないかなと言ったら、いや呪いと幽霊は違うっしょと冷静にツッコまれてしまった。
 こうして話してる雰囲気は変わらない、だけどさっきもいや今までだって時折だけどゆらりと立ち上るように違う色を映すことはあった、背負ってる役目のせいだろうとは予想がつくけど、人でなしという言葉を絶対に使いたくはないけど、なんだろう掴んでおかないと消えてしまいそうな、そんな空気をまとっているのに彼は気づいてるんだろうか。
 待ち合わせしていた立香と後輩ですと紹介してくれたマシュに挨拶をしているとき、よし行くぞと先陣を切って進むアストルフォに引きずられつつ、屋台を巡っている合間も形を潜めているから、本当はあんなものないんじゃないかってたまに期待するんだけど。
「そんな熱烈に見つめたら、気づかれちまうぜ?」
「はえっ、ええ」
 情けないくらいビックリして背後を振り返ると、よう久しぶりといい笑顔の燕青さんが立っていた。なんでここにと聞くと先生がここの花火大会を開いてる偉いさんの知り合いだから、挨拶回りのために駆り出されたのよと言う。
「ちょっとだけ耳借りていいかい?」
 時間は取らせないからさと言うので、まあ合流さえできれば問題ないけどと返すと、それじゃちょっと借りてくぜと誰に聞こえるでもなく言うと、引っ張って人混みから離れた場所に連れて行かれる。
「いいんですか、見失っちゃってマンドリカルドのためにはならないんじゃ?」
「大丈夫だよ、いざってときに身を守れるように俺と先生で鍛えたから」
 とはいえ目立つんだよな、本人は人混みに紛れている気分でいるけど、別の意味で目立つ奴だから下手に巻きこまれないよう見回りはしてるさ、となんてことないように返す。
「俺が殴りかたを教えちゃったってのはあるけど、ちょっと前まで絡んできた不良をボコった経歴があるから、変なとこで顔が売れてんだよな」
 学校でも不良だって噂くらいあるだろと指摘されて、見てる限りは無害なんだけどなあと返すと、まあ実際の半分くらいはあいつの後で俺が殴り飛ばしてるから、怪我の程度とかの話は盛られてんだけどなと、なんてことないように笑って言う。
「止めなかったんですね、そういう荒れてたとき」
 守るのが仕事だって言うんなら最初から出ていれば、変な噂は広がらなかったんじゃないかと言えば、抵抗することがあいつの形を守ってたんだから、あんときはそれでよかったんだよと言う。
「あいつに関わることじゃ大人はまともに取り合ってくれないからさ、やるほうもやられるほうも下手なことはできない。黙ってサンドバックになってくれるってんなら、そのほうが都合がよかったんだよ」
 変えられない運命だってわかっていても、最後まで足掻いてみねえとわかんねえだろ、俺もそっちのが面白いと思ったからあえて止めなかった、精一杯生きようともがく姿が気に入ってたのはあるけどな。
「なんで足掻くのをやめちゃったんだ」
「単純な話さ、自分が役目から降りたら下の兄弟に被害が及ぶから」
 自分を売ることにした親というか、親族のおっさん共にはなんの感情も抱いてなかっただろうし、実際に殴り飛ばしたからどうでもいいんだろうけど、最後まで自分を人間扱いした下の兄弟に同じ痛みを味合わせるわけにはいかないっていうのが、あいつなりの結論。
「自己犠牲でどうにかしようって考えかたは反対だけど、周りから言われたんじゃなくってあいつなりに苦しんだ結果がそこに行き着いた、その意見に俺は異を唱えるわけにはいかねえの」
 一番近くで見ていた以上はあいつの決意には賛同する、とはいえまるで死にに行くみたいに生気が抜けちまったのは、ちょっと考えものだったんだけどさ、最近はちょっともう別の状態に堕ちかけてるんだよなと真剣な顔で言う。
「別っていうのは」
「あんた気づいてるだろ、あいつの中になにかあるって」
 たまに人から離れた顔をしていることにと言われて、なんでそれをと聞き返せば、過ごした時間を勘定に入れないとしたら、あんたが一番隙を見せそうな相手だからさと言う。
「あいつにとって特別だったんだ、久方ぶりに現れた真っ当な人間として繋いでくれる見知らぬ奴ってのは」
 だからさ、任せてもいいかと言う。
「任せるってなにを?」
「あいつを現世に引き止めておく役目」
 俺も先生も送り出す側であることに変わりないんだわ、だから戻って来るのを望んでくれる存在は、もっと別の奴であるべきだ。
「残念なことにあいつが変わっていくのは止められない、このまま放っておけば飲みこまれる。本人が抵抗をやめた以上は人の形を保てるように誰かが手を握っててやらないと」
 でないと最後に飛び去ってしまうかもしれない、それを見送るのはいやだろと言われてもちろんいやだけど、それならもっと根本的に止める方法はないのかと聞けば、無理だろと言われる。
「虫が成長して成虫に変わるようなもんさ、羽が生え揃ったらいつかは飛び立つ」
 古い人間に言わせれば神さまのモノへと成り変わる、そうでない奴等からすれば人でなしの烙印を押される、それくらいの変化があいつの身の内では起こってる。
 神さまとか霊感的な、非科学的にバカらしい話だと一蹴してやりたいものの、思うところがないわけじゃないから否定もできず黙りこむ俺に対して、でも成長は止められなくっても引き止める方法はあるんだよと言う。
「あいつが人でいたい、と思い続けられるだけの理由さえあれば大丈夫」
 とはいえ難しいんだよな、なにせ本人ですら人でなしと思ってる奴だからと言うので、それあいつに言ってないだろうなと怒りをこめて聞き返すと、そこまで人の心がわからないようなやべえ奴じゃないさと両手をあげて答える。
「でも実際にあいつは思ってるだろ、自分のこと人でなしだって」
「それは」
 否定はしない、もう言わないでくれとは言ったけど、思うことまでやめられたわけじゃないだろうし。だったらまだ抱えているんだろう、あの影の出所はそういうものなんだなと胸が痛む。
「その、人間だって引き止めるのを任せるって、言いたいんですか?」
「できると思うぜ、あいつきみのこと一番気に入ってるし」
 つかず離れず居てやってくれよ、それだけでいいからさと言うとさてそろそろ戻るかと背を向けて歩き出す。
「ところでさローランくん、きみはあいつのことどう思ってんの?」
「えっ?」
 普通に友達と言いかけて言葉が詰まる、あんな大きなものを託されてしまって友達で済ませていいのかということもだけど、なにか。
 ふーんと意味ありげに笑う相手に、おかしいかと聞き返すとそうじゃないんだけどさ、あいつももったいないことしてるよなと言う。
「一つアドバイスしておいてやるよ、もしも友達以上の存在になりたいんなら、自分から攻めていかないとあいつはなびかないぞ」
 相当に手を尽くさないと振り向いてはくれないぞと言うので、それはどういう意味で言ってますと聞き返せば、野暮なことは言いこなしなと歯を見せて笑う。
「まあ好きにしろよ、今日はきみんとこに行くんだし」
 俺もこれ以上は口出ししないから、なんか協力してほしいならそんときは相談してくれと言うと、それじゃまたなと手を振って人混みの中へと戻って行ってしまうので、あっちょっとと声をかけるものの、こっちを見返すこともなく完全に見失ってしまった。
「あっ、ローランどこ行ってたんだよ」
 気がついたらいないから心配しただろと後ろからアストルフォに声をかけられ、ごめんと思わず謝れば、まったく僕より先に迷子になるなんて、また運命感じちゃった娘でもいたのとたずねてくるので、そういうわけじゃないと言い返す。
「本当に?」
「フラれたのを隠してるとかじゃないぞ」
「うん泣いてないし、大きな騒動にもなってないからそれはわかる」
 でもなんか隠してたりしないと聞かれて、まあちょっと知り合いに声をかけられてさと言えば、学校の奴等も何人か見かけるしそれはしょうがないかとつぶやく。
「そろそろ行かないと、花火始まっちゃうよ」
 屋台もそれなりに満喫したし、場所を探しに行かないとと言うので、それもそうかと待ってくれてたみんなの元へ急ぐ。
「なにかあった」
「どうして?」
 なんか神妙そうな顔してたけどと、不思議そうに首を傾げるマンドリカルドにいや、ちょっと知り合いに声かけられてさと言うと、そっかとつぶやき隣に来る。
「一番見失わないだろう奴が人混みで消えたら、流石にちょっと心配した」
「それはごめん」
 流石にもうはぐれないとは思うけど、そんなに心配なら手でも繋ぐかと差し出すとえっと驚いたあとで、流石に男子高校生二人が手繋いでるのは絵面やべえだろといやがられるので、そんなこと言うなよ風呂にも入った仲だろと改めて指摘したら、そういうことを外で言うなと赤くなってつぶやく。
「嘘言ってないだろ」
「そうだけど」
 会場の放送で花火大会の案内が始まるのを受けて、二人とも早くと急かされるので行かないとと腕を引くと、ちょっとおまえと焦ったように声をあげるので、いいじゃないかと返せばちょっとの間だけだぞとつぶやく。
 少しで済むかはおまえ次第なんだよなとは言わず、振り解かれないのに安心した。

あとがき
残り二話とか三話で終わらないなこれ……と本人が思ってます。
元から計画性なんて皆無だし、これは癖を詰めこむために書いているのでいいかと思っているので、たぶん長い内容を詰めこむんだろうなと。
2022年8月6日 pixivより再掲
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