共犯者
目が覚めたら知らない場所に居た。
レジスタンス基地のどこかではない、痛む頭を押さえてゆっくり体を起こそうと思って、両腕に違和感があるのに気付く。
「え、なに?」
両腕にはめられているのは金属の枷で、力をこめて引っ張ってもびくとも動かない。よく見れば両足にも枷がはめられて、鎖で壁に繋がれているのがわかった。
「ああ、目覚めたん?」
声をかけられて振り返ると、男が一人椅子に座ってこちらを見ていた。普段はガスマスクに覆われている真っ白な肌に白い髪の、今にも消えてしまいそうな人だなって思った。
「まさか覚えてへん、とか言わんよな?」
そう問いかけられ、何度か息をして跳ねる心臓を落ち着けさせて、ゆっくり答える。
「ゴーストさん、だよね?ここは」
「ワイの部屋」
ということは世界帝軍の本拠地の中だ。四肢にはめられた枷の意味を明確に理解して、俄然、焦りが生まれる。
「別に壊そうとか考えてへんから、とりあえず落ち着いてや」
「俺は、レジスタンスを裏切らないよ!」
何も口を割る気はないと、できるだけ睨みつけるようにして返すと、そう言うやろと思ってたわと平然と受け流される。
「あ、そうそう。君の服とか持ち物に仕込んであった発信機な、こっちで全部回収してるから。仲間に助けてもらえるとか考えても無駄やで」
そもそも敵の本拠地に乗りこんでくるとか、無謀なことはそうせえへんと思うけどと続けられて奥歯を噛み締める。
レジスタンス基地とは違う、綺麗な白い壁に品の良さそうな家具が置かれている。そういえば自分の部屋だって言ってたっけ?なんでそんな所に、捕虜ならもっと別の所でもいいのに。
俺がまがりなりにも貴銃士だから?
「きみをここに連れて来たのは、ワイの我儘やよ」
「なんで?」
「きみのことが気に入ってるから」
捕虜の扱いには気をつけろって言われてるんやけど、ここ変な奴多いから、他に目をつけられたなかってんと言うと立ち上がって俺の目の前へやって来る。
「邪魔が入らんように、ワイの部屋に連れてきんよ。ここ、人あんま来んから」
入るなって言うてあるから余計にと付け加えて、俺の頬に触れる。手袋越しでも確かに、彼は体温があって、ちゃんとそこにいるんだなって思った。
「俺を、どうするつもり?」
「別になんもする気はないよ。でも、帰したくないから連れて来た」
「なにそれ」
そんなことして、なんの意味があるんだろうと首を傾げるしかないんだけど。彼は表情を変えず、淡々とこちらを見つめてくる。あまりに真っ直ぐな視線に耐えかねて目を逸らすと、気悪せんとってと俺の頭を撫でて言った。
「レジスタンスに帰したら、こんな風に近くで話すことなんてないやろ」
「話すことなんて、ないよ。俺なんかと、あなたが、話すことなんて、何も」
「そんなこと言わんとってや、寂しいやろ」
話し相手、きみしかおらんしと言うけど、ここが世界帝軍の中ならいくらでも相手はいると思う。戦場で戦ってる銃士なら知られてないなんてことはないだろうし、こうやって近くで見れば華やかな人だなって余計に感じるし、俺とはやっぱり違うし。だから苦手と言えばその通りかも。
「ワイな、存在感ないってよう言われんねん。目の前に立ってても、声かけても気づかれんとか、普通にある」
「そんなこと、ないでしょ。ちゃんと聞こえるよ」
「せやねん。きみは気づいてくれる」
ワイの声に一度で気づいてくれる、そういうのあんまりないからビックリして。傍におってほしいなって思ってん。そういうところが気に入ったからわざわざ拉致してきたわけ。
「そんな理由で、本拠地まで連れて来たの?敵、なのに」
「敵やから、こんなことしなあかんわけ」
両腕にはめられた頑丈な枷を叩いて言う。ついでに、簡単な錠開け技術は通用しないと釘を刺された。
「そんなこと、できるくらい、器用に見える?」
「わからんで。きみって暗器の類やろ?ならそれくらいの技術、身に付けてても不思議やない。まあレジスタンスの古い鍵ならまだしも、こっちの鍵は相当作りが複雑やよ」
日本じゃ昔、鉄格子に夕飯のミソスープを吹きかけて錆びさせて脱獄した奴がおるらしいな。まあその努力は誉めたるけど、これは錆びたりせんから無駄なことはせんとってな。
「まあ繋いでるって言っても部屋の中くらいは歩けるようにしてあるし、自由が効く分には好きにしてええよ。欲しいもんあったらあげられる範囲でなら渡したるで」
「あの、さ。普通なら、拷問なりなんなりして、何か、情報を吐かせたり、しようとするものじゃない?」
そういうことしないのと聞けば、今もうしてると彼は言う。
「あんた言うてたよな、自分のマスターのために使われたいって。貴銃士にしてもらった恩を返したいって。あんたの言うマスターがどんな素晴らしい人かは知らんけど、その大好きなマスターのために、自分の体を張ることは許さへん」
何もさせずにここに繋がれて、飼い殺しにされるのは、あんたにとっては充分に拷問やろ。
「大好きなマスターの役に立たれへん、誰かを庇いだてすることもでけへん。でも、なにもしてなくてもあんたは、大事なお仲間を裏切ることになるんや」
「そんなの、拷問って」
「なんの役にも立たん、誰のためにもならん、ただそこにいるだけ。あんたほんまにそれに耐えられる?」
自分なんかおらんでも困らんって、そうはっきり突きつけられるの辛いで。
耳元で楽しそうに囁かれる言葉に、背筋が凍りそうになる。
性能では圧倒的に軍用銃と落差がある。それに加えて仕込み銃は色眼鏡をかけて見られがちだ、実際に自分はそういう使われ方をした歴史があるから否定はしないけど。でも、それを少しでも変えていけたらなって、自分にできることを探していたのに。
根こそぎ全部、それを剥奪される?
「別に、平気だよ?むしろ、マスターに見出されるまで百年以上、俺は、ただの置物だったわけ、だし」
「どうやろなあ。一度でも役に立てると思ってから、別におらんでもええって事実を突きつけられるのは、相当こたえるで」
ワイは相当こたえたと言うと、俺の後ろに回って両腕を回して抱き締める。
「どんなことになろうと、変な気だけは起こさんとってな?きみのことを気に入って連れて来たワイが悪いねん、それは認める。でもな、傍にいてほしいのはほんま」
ぬいぐるみのように抱き締められて反応に困る。そもそも、こういう触れられかた自体に慣れてない。挨拶だって教えてもらったけど、そういう触れあい方とは違う。
背中から感じる他人の体温と、首筋にかかる息遣いに緊張で体が硬くなる。首筋に顔を埋められて大げさとは思わない程度に肩が跳ねたので、驚かせてごめんなと謝られる。でも、離れてはくれない。
「壊れんとってな。きみのこと、好きやから」
「え?」
どっと激しく早く脈打つ俺の体を強く抱き締めて、背後から耳元へ直接囁きかける。
「気に入ったって言ったやん、手元に置いておきたいって。きみはな、ここにおるだけで何もせんでもワイの役には立つんやで。他の誰にも必要とされなくなっても、自分にだけは、きみは必要なんよ」
「そんなの、嬉しく、ないよ」
「せやろうな。でも、本気やで?」
時間かけてゆっくりわかってもらうから。
ゴーストさんの部屋にはほとんど誰も来なかった。
ほとんどっていうのは、ドアの向こうから連絡なんかで呼びかけに来る兵士がたまにいるってだけで、何か特定の来客があるわけじゃなかった。後、レジスタンス基地と違って個室を持ってるっていうのも、驚いた。結構広い部屋だけど、同居人は誰もいないって。
いい意味でも悪い意味でも目立つ奴等と、ワイは違うからなあと彼は言ってたけど、どうしてなんだろう。
「言うたやん、ワイ影が薄いって。目の前に立ってても気づかん兵士おるくらいやで」
「それは、言いすぎじゃないかな?」
相手の方は見ずに、自分の手元に視線を落として返す。いらないという紙をわけてもらって、試しに鶴を折っている最中だった。
「信じるかは任せるけど、ようあるねん。ぶつかるまで目の前におるんに気付かれへんとかな」
何かの冗談かと思うけれど、本人の口調は変わってなくてどう反応していいのかわからない。ここに来て三日は経つけど、そんなことばかりだ。
「なあこっちおいでや、冷める前に食べてや」
今日は日本食あったから持って来たんやでと言う彼に少し目を向ける。
「あんまり食欲ないんだよ」
「今朝もそう言ってたやろ。今日の昼もあんまり手をつけてなかったし、昨日の晩もそう言ってほとんど食べてない」
言い逃れさせる気はないでと言う相手に、仕方なく重い腰を上げて彼の前に座る。今日も二人分の食事が広げられていた。お店で出されるような綺麗な料理を見つめても、あまり食欲は湧いてこない。
これを持ってわざわざ部屋までやって来る、前は食堂で食べてたらしいけど、騒がしい場所は好きじゃないって。
俺もそうだけど、手があまり自由じゃないから、パンとかは大丈夫だけど、他の料理はほとんど食べさせてもらう形になってる。これは恥ずかしいから正直やめたい。あと、レジスタンス基地で食べてた料理とはまた違って、なんというか上等な物を使ってるんだろうなっていうのはわかった。
でとタバティエールさんやカトラリーくんが作った料理、色々と工夫して作ったあったかい味がする物がもう懐かしい。
「あんまりやった?」
「え?」
「食事、やっぱり進んでないみたいやから。日本食言うても、こっちのシェフが作ったもんやからな」
なんか違った?と聞かれて、そういうわけじゃないよと小声で返す。
「味は美味しいと思うよ。だけど、基地のみんなと食べるご飯が、なんだかんだ好きなんだ」
どんな質素な物でも、そう付け加えるとふーんと興味あるのかないのかわからない返事があった。
「そんなあんたの仲間は、別に探してる感じはないけどな」
「なんで、そんなのわかるの?」
「貴銃士一人の力が戦局でどんな影響与えるか、自分もわかるやろ?取り返すことに必死やったら、こっちも忙しいわ。こんな風に一緒に食事してる暇もない」
平和なもんやでと言う相手に、急速に食欲が失せてもういいよと膳を返す。別に動かないし、そんなに食べなくても平気だ。
そんな俺を見て、食器を置くと隣へとやって来る。
「な、なに?」
無言で見つめる相手に、怖気付いて目をそらしたまま尋ねると。変なこと考えてたらあかんでと淡々と言う。
「人の体を持ってるとはいえ、ワイ等の本質は銃。人間とは違うねん」
この体を保つためには人の栄養が必要やけど、それでも死ぬことはまた違う。どんなに時間をかけて、栄養を抜いていったとしてもその結果、人の体を保てなくなったとしても人間のようにはいかん。
「餓死はでけへん」
過去にウチで、そういう実験したことあるらしいわ。そいつ、今も一応は存在してるで。試してみる?
「消え、なかったの?」
「消えたけど、呼び戻されたって。今も戦場に立ってるらしいけど、ここにはおらんわ。前線から下がって別のとこに配置されてるって」
残念なことに性能に関わらず力は下がったって。おかげでワイ等はめっぽう大事にされてるよ。
「まあ消えるならそれでもいいけどな。そしたら世界帝にお願いして、こちら側の貴銃士として呼び戻してもらお」
「そんなこと、できるかな?」
「ほな試してみようや」
どうする、ほんまに裏切ることになるかもしれんけどやってみると聞かれ。真っ直ぐに見つめられて、視線を外す。
「本当に、今日はあんまり食欲がない、だけだから」
「周りの人が心配とか?そんなこと、心配してる場合じゃないやろ。今は我儘が通ってここにおるけど、もし今日にもレジスタンスにワイがやられたら、その後どうなるかは保証でけへん」
壊されるだけで終わるならそれはそれできみは楽かもしれん。けど餓死寸前まで追い詰められたあいつよりも酷い、動物実験のウサギみたいな無残な扱いを受けるかもしれん。
「できれば会ってほしくないけど、うちにそういう実験大好きな変態がおるんでな、絶対ないとも言い切られへんねんな。斬り刻んでも復活するかとか、危険な毒物でどんな反応を示すのかとか。まさか自軍の兵士では試すのは禁止されてるから、きみは格好なターゲットなわけよ。キセルくん、そんな目に遭ってほしくないんよ。できればずっとこのままこっちにおってほしいけど」
「どうなろうとゴーストさんには関係ない、ことだよ」
確かにどんな風にできているのか興味があるって人はいるんだろうな。拷問も覚悟はしてるけど、本当にされるとしたらどうなるんだろう。実験されるって言われた方が、なんだか納得できちゃうかも。
荒くなった呼吸を落ち着けるためにゆっくりと息を吐くと、背中を優しく撫でさすられる。
「顔青いで?」
怖いんやろ、はっきりそう顔に出てるでと言われて、黙って首を横に振る。
「俺、任侠の銃だから。拷問とか、そういうので苦しむ人たち、見てた。だから、そんな目に遭う覚悟は、あるよ」
「覚悟はあってもいざ自分の身に降りかかると、怖いもんやで。違う?」
だから青くなってる、怖いって思ってるのはきみが生きたいって思ってる証拠やわ。
「それで今は充分ってことにしといたる。きみがこのままずっと、ここにいたいって思ってくれるように、考えるだけ」
背中から手が離れて、頭を撫でていく。手袋越しの彼の手にやめてよと声をあげる。
そうやって触れられていると、本当に自分がここにいるんだって嫌でも実感してしまう。このまま消えてしまおうって思うのに、なんとかしてみんなを裏切らずに済むようにしたいのに。
舌でも噛み切ってしまえばいいのかもしれないけど、そうする勇気もなかなか持てなくてこうして僅かに抵抗してみてるだけ。もっと勇気持たなくちゃ、いざって時の覚悟はあるって見栄を切ってるんだから。やるってことはやらなくちゃ。
「なあキセルくん、口開けて」
これだけ、一口だけ食べてや。今日の桃はな、すっごい甘くて美味しいって。目の前にフォークに突き刺した桃を差し出されて、対応に困る。
「ほら、口開けて?」
蜜の滴るそれを口元まで持って来られるが、開けるつもりはない。それでもどうしてもと差し出された桃の実を唇に付くくらいまで持ってこられる。甘い香りと溢れる蜜の前に迷うまま、ほらと更に声をかけられる。
仕方なく、小さく口を開けて差し出された実をかじった。一口だけでもじわりと汁がこぼれるすごい甘い、ジュースが溢れてくるみたい。
「どう、美味しい?」
「う、うん」
「良かったわ、ちょっと意地悪なこと言ってしもたから。顔色も良くなって」
甘い物好き?ほらまだあるから、もっと食べ。更にもう一切れフォークで突き刺して差し出される。もういらないって首を振っても、もう一口だけと引き下がってはくれなかった。
思った以上に近くにあった彼の色の白い顔を見つめると、ふっと目元が緩んだ。なんでそんな嬉しそうな顔をするんだろう。俺なんかのために、ここまでしてまで。
「きみが好き」
だからちょっとでも笑ってと穏やかな顔で言うのは、本心なんだろうか。
この人のことが、何もわからない。わかり合えそうになんてない。
何もしないまま時間だけが過ぎている。日付感覚が徐々に薄れていってるのは感じるけど、なんとなく月の満ち欠けで二週間くらい経ったかなと思った。新聞とか、外の情報がわかるものがないから何が起きてるのかは知らない。
みんなどうしてるんだろう、俺のこと探してくれてるのかな。それとも壊されたと思って、諦めてたりして。
レジスタンス基地そのものが襲撃されたなんてこともあるかもしれない、けどそれは聞いてもゴーストさんは教えてくれなかった。
「どこの基地かわからんからなあ、教えてくれるなら状況の説明もできるけど」
そんなことで教えてしまうほど、彼を信じてるわけじゃない。拷問を受けず、自分から情報をばらすなんてありえない。
でも考えるほど不安になる。
ここにいるっていうだけで、マスターには何もしてあげられない。時を待って、隙をついて逃げ出す機会はないかと思ってるけれど、全然そんなこと許してもらえる状態じゃないし。そもそも、部屋の中の景色しか知らない。
マスターから貰ったサングラスも、どこにあるのかわからない。それは不安の種の一つ。ゴーストさんは捨ててないと言うけど、あれをかけた俺は人が変わるから見たくないって返してくれなかった。
多分、マスターから貰った物だって言ったら余計に返してくれないんだろうな。俺のマスターの話をすると機嫌が悪くなるのは、しばらく一緒に居てわかった。後はレジスタンスのみんなのことも。
笑ってほしいって自分から言ったのに、基地の誰かの話をしたら、そいつ呪い殺そって淡々と言うんだから気が抜けない。何されるかわからないし、できるだけ特定の誰かの話をするのは避けるようになった。
みんなどうしてるんだろう。今の話し相手はゴーストさんしかいないし、彼は勿論、世界帝軍の動きなんて教えてはくれない。気晴らしに窓の外の景色を見ることも多いけど、見えるのは石造りの壁に囲われた庭があるばかりで、特に変化があるわけじゃない。わかるのは空に出てる太陽と月の軌道。
たまにどこかでピアノを演奏する綺麗な音がしたり。誰かの叫び声みたいな、恐怖をあおられる音がするけど、何もわからないまま過ぎていく。
あまり自由の効かない両手で、手元の紙を折りたたむ。本もいくつかあるみたいだけど、俺が読める言葉では書かれていなかった。レジスタンスには色んな国の人から、たまに違う国の人同士でしかわからないように話をしてることがある。だから彼は少なくとも違う国の生まれなんだ、ってことはわかった。
部屋に帰って来たのはわかったけど、反応するのも嫌で、折っている途中の紙を裏返してすっかり頭に入った手順通りに進めていく。両方の羽を広げて首の部分を曲げてあげれば、また一羽の鶴ができあがった。
「相変わらず、器用やね」
一羽を拾い上げてそう言う彼に、慣れたら誰でも作れるからと返して、次の紙に折り目をつけていく。
「同じのばっか作って、飽きへんの?」
「別に、好きで折ってるだけ、だし」
机には整形済みの鶴で山ができている。既に部屋の片隅には鶴の山があった。
「折鶴って、一日でも長く生きれるようにって願いがあるんやって」
「……なんで」
「日本から来た奴おるから、聞いてみただけ。調べればすぐわかるって」
別に壊したりせえへんって言うてるやんとあやすように頭を優しく撫でる相手に、気持の問題だからと、弱い声で返してその手から逃げる。
鶴を千羽折ると願いが叶う、なんて俗信があるから。時間もあるし折っているだけにすぎない。邪魔と言われればその通りだけど。
「それで気が済むんならキセルくんの好きにしたらええけど。まだワイのこと、信用してはくれへんのや」
「世界帝軍の、貴銃士を信じるなんて、ありえないでしょ?」
大体ここに連れてこられたこと自体が、ほんの僅かでも彼を信用してしまった自分の落ち度だ。二度と同じ轍を踏んではいけないと何度も自分に言って聞かせている。
「ええけど、ちょっとは顔見せてや。最近、どんどん顔色悪くなってってるやろ?」
ちゃんと眠れてると聞く相手を見て、怒りを込めて睨みつける。
「誰のせいだと、思って」
「ワイのせいやろ、わかってるよ。好きなだけ呪えばええわ」
とはいえ、疲れてるのは間違いないやろと言うと俺の手を取ってベッドへと連れて行かれる。
清潔なシーツの上に横にされて、その隣に彼も横になる。二人で寝てもまだ少し余裕があるベッドは、柔らかくて自分の部屋とは大違いで、それも眠れないなと感じる原因だと思う。
背中を向けた俺を後ろから抱き締めて、子供を寝かしつけるようにぽんぽんと一定のリズムで肩を優しく叩く。
手籠めにされるなら、それはそれで別に平気だ。無茶苦茶にされた方が心が拒絶できるから、簡単に彼をはねつけられるっていうのに、それもしない。してくれない。
触れてはくる癖に優しくて、無理強いはしない。振り払えば追いかけない、嫌がることは絶対にしない。でも自由にもしてくれない。
もどかしい気持がぐるぐると胸の内で彷徨って、沈殿していく。ここしばらくずっとそんな感じ。
「怖い夢を、見るんだ」
撫でてくれる手に流されそうになりかけて、首を横に振る。
「どんな?」
「……どんなでも、いいでしょ。怖い夢は、怖い夢だよ」
このまま帰ることができて、レジスタンスのみんなやマスターから、裏切り者って罵倒される夢。今まで押し込めていた色んな感情が堰を切ったように流れ出て、一言一言に打ちひしがれる自分がいる。
最初は誰なのかわからなかった。レジスタンスの中の誰か、顔のわからない人から始まって、掃除を手伝ってくれたり雑用をしてて仲良くなった人、そういう顔見知りになってきた。
最近、その誰かがもっと近くに居た人に変わってきた。
ナポレオンさんとか、アリ・パシャさんとか、基地でも少し怖いけど強くて凄いなって思ってた人。
ブラウン・ベスさんやドライぜさんみたいに、高貴な騎士や戦士ってこんな姿なんだろうなって思ってた人。
エカチェリーナさん、カールくんのように体は小さくても高貴さで圧倒されてきた人。
タバティエールさんやキンベエさんのように、俺のことをよく気にかけてくれた人。
奇銃として後ろめたいこと、似たような悩みを抱えて居たカトラリーくんや、ケインさんからも。
わかってる、夢だってことくらいは。でも彼らの一言が、声が言葉が、胸の中に重くのしかかってくる。それが怖くて、何度も目が覚める。
目を閉じれば今日は誰が来るんだろうって思ってしまう。最初はそれでも良かったんだ、どんなに罵倒されたって、懐かしい顔が見れるってことだけで、夢見は悪くても少しだけ嬉しかった。
でも誰も励ましてはくれない。戻ってきても歓迎なんてしてくれない。
そんなことないよね、ねえマスター?
誰も答えてはくれないのはわかってる、自問ばかりを繰り返しても、意味なんてないってわかってる。でもやめられないんだ。
「泣くくらい怖いんなら、このまま起きてようや」
いつの間にか溢れてきた涙が伝っていく頰を撫でて、目元を拭っていく白い指を見つめて、一人で寝ればいいでしょと背中を向けたまま相手に言う。
「そんな状態で放置できるかい」
眠らないかわりに気分転換でもしようかと言うと、足枷を外して、少し赤くなったそこを撫でて痛みはあるか聞かれた。
「少し、血が出てるくらいだから、平気だけど」
「歩ける?」
ベッドの傍に脱ぎ捨てた靴を彼の手で履かせられる。自分も靴を履いて行こうやと枷のつけられた俺の手を握って立たせる。
「あの、行くってどこへ?」
「外の空気を吸いに。夜の散歩やと思って、行こうや」
ええやろ付き合ってと言う彼に手を引かれて、ここに来て初めてゴーストさんの部屋の外へ、世界帝軍の本拠地の敷地へと連れ出された。
石造りの城、しかもすっごく大きい。広い庭へ連れ出されて、うわっと声を上げるしかない。所帯染みたレジスタンスの基地と違って、どこもかしこもきっちり手入れされてて、なんだか俺みたいなのが来る場所じゃないなって気後れしてしまう。
何人か見張りの兵士とすれ違ったけど、その人たちの誰もがゴーストさんのことに気づかずすれ違って行くか、肩がぶつかって驚いたように声をあげたりしていた。
「あの、そちらは……」
「ワイの連れや。好きにしていいって許可は得てる、他言は無用やで」
「は、はい!」
そんな会話が何度があった、怪しまれてるのはそうだよね。こんな風に捕虜を連れ出して、逃げたりしないか不安にならないのかな。
俺の疑問も彼は全然気にも止めずに、どこかへ向かって歩いて行く。
急に入って来た色々な情報のせいで混乱して、歩いて来た道をほとんど覚えられないまま、連れて来られたのは中庭の季節の花が咲く一角だった。
「静か、だね」
「そりゃあ夜中やからなあ、見張りはおるみたいやけど」
流石に捕虜を連れている以上、どんなにゴーストさんが他言無用って言っても警戒はされるよね。庭園の入口付近に立ち、様子をうかがっている兵士を見て溜息を吐く。
少し熱をもった体に夜風が心地よかった。庭園の花の香りなんだろう、甘い草木の匂いもなんだか新鮮で、当たり前だけど外なんだなって思った。
庭園の中にあるベンチに二人で腰を下ろす。季節の花なのか、ふわりとした花弁に包まれた可愛らしい花が月光を受けて花壇いっぱいに咲いていた。白や赤や紫、黄色やピンクと色とりどりの花を眺めていると、そういうの好きとたずねられる。
「うんと、花とか見るのは、好きな方かな。詳しいわけじゃないんだけどね、見た事ない花もいっぱいあるから」
これも菊とは違うし、でも牡丹ほど大きくもないし、華やかで可愛いなって。
「可愛い、か」
「あ、えっと変かな?」
「いや。普通に花を愛でる奴がおってビックリした」
個性強すぎる奴ばっかり相手にしてるせいか、そういう普通の反応見ることあんまりないんよなと彼は愚痴を言う。
あなたも大概変わってると思うけど、それはきっと指摘したら怒るよね。
でも捕虜に拷問もゆすりも脅しもせずに、ただ話をするだけなんてやっぱり変だよ。そう思っていると花壇の中から一本、白い花の茎を折って俺の髪へ刺した。
「あの、何を?」
「いや似合うと思って。花が大きいから綺麗な飾りになる」
「こういうのは、女の子にすること、じゃないかな」
似合うと言われても嬉しくないし、そもそも花が可愛そうで外そうと手を伸ばすもうまく取れない。そのままでええやんと、彼の手が俺の両腕を優しく掴んで下におろすので、抵抗するのは諦めた。
「ラナンキュラス」
「え、えっと何?」
「その花の名前。西洋の花は詳しくないって言ってたやろ」
「ゴーストさんは、詳しいの?」
「いや知らんかった」
そこに看板があったから、知っただけやと花壇の隅に描かれた小さな立札を指す。こちらの文字で花の名前が書いているみたいだけど、俺の位置からはなんて書いてあるのか読み取れなかった。
「日本で春の花って言うたら、やっぱり桜?」
「そうだね。桜は好きだよ。少し季節は後になるけど藤も、綺麗なんだ」
なんとはなしに思い出した景色に、少しだけ頬が緩む。博徒だって花を愛でる人はいる、勿論、酒が入ってるからとも言えなくもないけど。
そういえば、基地の近くの森にもちょっとだけ桜が植えてあったんだっけ。元あった公園の名残だろうってことだったけど、花が咲いたら花見でもしようかって話してたんだよな。結局、行けないままここに来ちゃったんだけど。煙草を吸いに出る傍ら、様子を見に行ったのを思い出してふうっと大きく息を吐く。
なんだか無性に煙草が吸いたいなって思った。たまにしか吸わないから気にしてこなかったけど、しばらく火を入れてない。そう口にすると、ゴーストさんは少し驚いたようで目が丸くなる。
「きみ、喫煙者やったん?」
言うてくれたら持ってきたのにと言う彼に、本当に、たまにしか吸わないからと一言添える。
「煙管ってね、葉タバコを吸うのに使うんだ。こっちだとパイプって言うんだっけ?」
「へえ、それがそのまま名前になったんかいな」
なんなら吸ってええよ、ここ別に禁煙じゃないしと言われても、そもそも本体がないし無理だよと返す。
「あるで」
ほらと言って渡された自分の煙管に、目を白黒させる。
「あのさ、これ、確かに煙草として使えるけど、銃なんだよ?」
それを平然と渡すなんてと思うけど、彼は別に気にした風でもない。
「銃弾もないのに撃てるわけないやん。きみが隠し持ってるもんは全部、確認したって言ったやろ」
「わからないよ?他のもの使うかもしれないし」
「暴発するようなもんは使わんやろ、ワイの銃弾はそもそもきみには使えん」
煙草もらってきたるわと言うと、彼は立ち上がって俺の枷に鎖をつけてベンチの足に繋ぐと、大人しくしててやと頭を撫でて見張りの兵士の下へと向かった。
流石に、逃げ出さないように対策はするよね。枷に付けられた鎖で手首が重い、その重くなった分だけ前のめりになる体を前に煙管の模様が月の光を受けて鈍く光っていた。
手入れしてなかったけどちゃんと使えるのかな、そう思っていたら気配を感じて顔を上げる。
「やっぱ気づいてくれるんやね、きみは」
「気配がするから、わかるよ?」
「わからん奴のが多いよ。ここ来るまでの間も、そうやったやろ?」
いつものことやけどと言うと、再び俺の隣に座って、紙巻煙草しか持ってる奴おらんかってんと残念そうに言う。
「一応、紙を外して葉だけにしたら使えると思うけど、それでも構わん?」
「あ、うん。俺は全然いいけど、あの、ゴーストさんは平気?」
煙嫌いじゃないのと繋いでいた鎖を外す相手に聞くと、別に気にするほど潔癖やないよと言われた。
「煙の臭いなんてワイ等には付き物やろ?正確には火薬やけど、まあどっちでもええわ」
煙管の皿に解いた煙草の葉を詰めて、借りてきたらしいマッチで彼に先端へ火を入れてもらう。流石に枷が邪魔して全部一人では無理だった。
少し首を下へ向けてゆっくり一口、煙を吸い込む。口の中で転がすように味を楽しむけれど、普段使ってるものと種類が違うせいか、どこかしっくりとこない。
そもそもこっちの煙草と日本の煙草は違うから、いつもちょっと違うなあと感じるんだけど、紙巻用だと余計にそうかも。
吐き出した煙が霧散していくのを眺めて、どこか甘い香りのするそれになんでだろうか、ちょっとくすぐったくなった。
「よう似合うわ、自分」
「えっと、何が?」
「煙草、吸うてるの様になってる」
別に、気をつけてくれたら部屋で吸ってもええでと言われて、それは遠慮するよと苦笑いする。
「煙草の臭い、ついたら困るでしょ?」
「別に気にせんよ、きみのやったら」
「俺は嫌なんだ」
そこまで言ってようやく思い出す、この煙草はタバティエールさんが吸ってた物だ。
まだ燃え尽きていない煙草の煙を口に含んでゆっくりと味わっていると、また涙が溢れてきそうになってきて。咥えてた煙管を離して目元をぬぐおうとしたら、横から手が伸びて柔らかいハンカチが頬にあてられた。
「どないしたん?」
何か悲しいことでも思い出したのか尋ねる相手に、そういうわけじゃないんだけどねともごもご返す。
たかだか二週間ほど、離れているだけなのに不安は募る。こうして、自分は無事でいるけれど伝える方法がない。みんながどうしているかわからない。煙草が好きな彼だって、今どこにいるのかわからないんだ。
「また、思い出しただけ。夢のこと、少しだけ」
もう大丈夫だからと言うと、ハンカチは下げてくれたけど両手で頬を覆われる。うつむきがちの顔を少し上へ向けられ、こちらを覗きこむ彼と視線が合う。
月の光の下だと彼の白い色は余計に際立って、今にも煙と一緒に消えてしまいそうだ。
「やっぱり、きみは綺麗やわ」
ずっと閉じ込めておきたくなると、恐いことを言う相手にお世辞ならやめてよと小さくこぼす。
「実際に閉じ込めてるワイが言うことでもないな」
「そういうことじゃなくて。あの、面と向かって言われると、その、恥ずかしいんだ、けど」
綺麗とか言われ慣れてないし、そもそも注目を集めるタイプでもないし。そんな俺を綺麗だって誉めてくれる人は少ない。
マスターは優しかったけど、それでもあの中には俺より綺麗な銃なんていくらでもあった。王家や皇帝への献上品、それに比べて自分の存在の薄汚さに嫌気が差すことはあっても、こんな風に正面から手放しで誉められることなんて早々なくて。なんというか、こそばゆいというか、どうしたらいいかわからない、というか。
頬を優しく撫でる手の感触に、恥ずかしくて赤くなっているのはわかってる、それを見て彼が面白そうに笑っているのも。
「あの、放して?煙草、まだ火付いてるから、危ないし」
「それ誰か知り合いが吸ってたもんやろ?誰、どんな奴?」
淡々とした口調でそう言うと、手元に握ったままだった煙管を取りあげられる。乱暴に扱わないでよと言っても聞き入れてもらえず、答えやと少し苛立ち気味に語気を荒げて言う。
「レジスタンスの、仲間が吸ってた煙草と、同じだったんだ。それが懐かしくて」
「へえ、そいつとは仲良かったん?」
「特別に、仲がいいわけじゃ。その人、とっても面倒見のいい人で、色んな人のこと、気にかけてくれたから、それだけ」
「ふーん。でも匂いで思い出して泣けるくらいには、きみの心に居座ってるんや」
妬けるわと呟き、更に顔を近づけられる。視線を逸らしたらきっと怒られるんだろうな、でも逃げたくて伏し目がちになりそうなのを堪えて、青い影の落ちた銀の瞳を見つめ返す。
「違う煙草に変えてって言ったら、その通りにしてくれる?」
「それは、いいよ?元々、俺が吸ってたのと、違うし」
だから返してくれないかなと言うと、ようやく彼はほとんど火の消えた煙管を返してくれた。
もう一服って気分でもなくなって、ベンチの傍に置いてあった灰皿へ葉を捨てていると後ろからぎゅっと彼の腕が絡んで抱き締められる。
「ごめんな、気分転換に連れ出したのに、また悲しいこと思い出させて」
「別に、平気だから……あの、放して?」
「口寂しくない?お詫びに、いいものあげるわ」
いい物といわれて思わず身を固くする俺の口元に、彼の指が当てられる。丸い何かを舌先で舐めると凄く甘くて、恐る恐る口に入れてみると、中で砂糖の溶けていく甘い味がした。
かしゅっと口の中で潰れて、溶け出してきたのは多分なにかのお酒。口の中に広がる洋酒の香りの液体を飲みこむ。
「何?これ」
「ボンボン。酒を砂糖菓子でコーティングしたお菓子」
気に入らんかったと聞かれて、そういうわけじゃなくてと返す。
「もうちょっと、普通に食べさせてほしいんだけど?」
「ごめんな。自分、反応が可愛いからつい」
思わずいじめたくなるねんなと言われても、嬉しくなんてない。むっとする俺に、そういうとこが可愛いんやでと頭を撫でられる。
「嬉しくないよ」
「はは、せやろな」
なおも俺の髪を梳く相手の指に、居心地の悪さというか、気恥ずかしさというか、そういうものを感じつつされるがままにしておくと気が済んだのがようやく放してくれた。
深く息を吐いてベンチに座り直して、久しぶりに手にした自分の本体を眺める。火を入れるのに問題なかったところを考えると、ゴーストさんの方が掃除とかしてくれてたのかもしれない。
「もう一個食べる?」
今度は普通に差し出されたキャンディのような包みを渡されて、ありがとうと小さくお礼を言って砂糖菓子を口に入れる。
まだ微かに煙草の香りがする火皿には触れず、少し熱をもった本体を撫でた。
これを持って、ここから出ていく日が本当に来るんだろうか。
折った鶴の数は千をとっくに超えたけど、それでもまだ折り続けている。
俺の座る机の片隅にエカチェリーナさんが好きなドレスみたいな、ふわふわの花弁をたっぷりまとった花が生けられている。
つい先ほどゴーストさんが持ってきたものだった。少しは心が和らぐかと思ってと言ってたけど、別段とても花が好きってわけじゃない。真っ白なそれは綺麗なんだけど、可愛くて華やかで摘み取って来たのが可愛そうだなと思う。
「こっちじゃ花束の定番らしいわ」
日本も花を飾る習慣あるやん、生け花とかと言われて別に全員ができるわけじゃないよと苦笑いする。
「お公家さんの人、えっと貴族で呼べばいいのかな?武士でも位が高い人なら、男の人も花を生ける習慣とかあったみたいだけど。俺ってそういう偉い人とは縁遠いから、あんまりよく知らないんだ」
イエヤスさんやヒデタダさんなら、そういう心得もあるかもしれない。イエヤスさんはよくお茶かいも開いてたし、来客をもてなすために花を飾るっていうのは聞いたことあるし。
「日本も結構、家柄とか身分とかうるさいんや。こっちも勿論あるけどな、どっちかというと瓦解した後の時代に生まれてるから、その辺はよう知らんわ」
「昔の話だけどね。家の階級っていうか、身分の階級制度っていうのかな?」
俺はその身分制度が固められた時代に生まれたから、その気持ちは今も変わらない。イエヤスさんやヒデタダさんもそうだし、ユキムラさんみたいな有名な武士が持ってた銃に対しては気後れするのはそのせいかも。
とっくになくなった制度だって言っても、立場ってそう簡単に消えないから。違う国の違う文化で見れば、また変わってくるのかもしれないけど。
「きみは、自分の魅力に気づいてないんやね」
残念やわと彼は俺の頭を撫でて、何度もしてきたように後ろから抱き締められる。
人の体温にも、優しく触れる腕や手の感覚にも少しずつ慣れてきた。けど、今日はなんだかいつもより力が強くて、何かあったのかなって不安になる。
「ゴーストさん、あの、どうかした?」
「明日からな、三日の日程で遠征を命じられてん」
ここに来て一ヶ月くらい過ぎたと思うけど。朝から夜までなら部屋を開けることはあっても、丸三日も彼がここから離れるのは初めてだ。
「そっか、レジスタンスと、戦うんだよね?」
「さあどうやろな。少なくとも、作戦に戦闘が含まれてるのは確かや」
ならその相手はと言いかけた俺の口を手で塞いで、それ以上は言わんとってと首筋に顔を埋めると、抱き締めていた腕にもっと力が込められる。
「あの、ゴーストさんちょっと、苦しい」
「ごめんな。でも、もうちょっとこのまま」
できれば離れたくはないねん、でも我儘ばかりも言ってられへん。自分も、世界帝には恩があるから、せめてそれに報いれるように働きたいと思ってる。
「そうは思うけど、なんでかな作戦に行くってなると今は足がすくむ。壊れたくないって思う」
そんな自分が情けないと彼は言う。そういう時もあると思うよと、強い力で抱かれる腕を撫でても落ち着かないらしい。
銃は使われなくちゃ意味がない、所詮は人と戦うための道具にすぎず、それを持つ以上は殺すことも壊されることも覚悟はできている。いつだって、誰だってきっと。力を持つのと引き換えの覚悟はある。
「らしくない、ほんまに、らしくない」
「あの、そんな責めないで?」
わかってるよ、わかってるからと言いながら離れる気配がない彼にどうしようと内心おろおろする。
安心させる方法なんてわからない。これで気が済むんなら、好きにさせておくのもいいのかもしれないけど。揺れる心が落ち着かない、何もせずにただそこに置かれているだけということに耐えられない。
机に置かれた紙の中から比較的に綺麗な、何かの包装紙だったんだろう紙に折り目を入れて半分に切る。ところどころ思い出しながら丁寧に袋の形に折って、その中に小さな鶴を一羽、入れた。
「ゴーストさん、あの、これ、えっと……お守りなんだけど」
良かったら受け取って、気休めくらいにはなるんじゃない?と聞くと、もらってええのと控えめな声でたずねる。
「いらないなら、別に。ただの紙だし、何か効果があるわけじゃないし」
「ちょうだい」
開かれた手の中に即席で作ったそれを置くと、大事そうに握りこんでありがとうなと耳元にお礼の言葉を落とされる。
「大した物じゃない、から。それに」
敵に渡すものじゃないよね、本当なら。でも、いつも気を使ってもらってるわけだし、これくらいしても別にいいんじゃないだろうか。
自分の中で何度も言い訳する。捕まえて監禁されてる相手に心を傾ける必要なんてないっていうのはわかってる。その上で、今の彼があまりにも弱々しく映るものだから、これはただの同情とか、そういうの。
この人がいなくなったら、いよいよ壊されてしまうかもしれないっていうのもあるし。
無事に帰るために、まず生きなきゃいけないよね。きっと。
頭の奥で裏切り者と罵る振り払うように、爪を立てて自分の手を強く握りこむ。その上から彼の手が重なってゆっくり解かれる。
「罪悪感に苛まれてるんやろ?」
こんなことしていいんかって、迷ってるんやろ。言わんでもすぐにわかる。
「優しすぎるんよ、きみは。そういうとこ、たまらなく好きやけど。これはさ、ワイとの共犯の証にしよ?」
「共犯って、俺なにもする気は」
「きみを守るために、世界帝軍内で自分の我儘を通す。きみは自分が無事でいるために今はワイの無事を祈る。キセルくんと一緒にいる、この時間を守るための共犯者」
ようはただの気の持ちよう、互いに少しだけ自分の陣営を裏切ろうや。それで少しは自分の気持ちも軽くなるんと違う?
「あなたも自軍を裏切るの?」
「もうずっと裏切ってる。きみをここに置いてるのはワイが気に入ってるからやけど、表向きはレジスタンスの情報を割らせるためって言うてあるからな」
もうかなり時間が経ってるのに、何の情報も引き出せてないのは怪しまれたりしないんだろうか。
「意外と強情とは言うてるよ」
「でもバレたら、危険だよね?」
「そう。だからきみも協力してくれるなら、ワイの心配事も少しは減る」
少しは心を許してくれたって思ってるんやけど、と続ける彼に。許したわけじゃないけどと口ごもる。
許したわけじゃないんなら、一体なんだろう。
彼との関係は、わかりあえるとも思っていない、この奇妙な生活は、彼に対する同情の理由は。
「共犯か……いいよ。それで」
深く考えることはやめた。答えがないからじゃなくて、みつかるのが恐いから。ならば相手の提案に乗ってしまおうって思った。
裏切り者という幻聴が頭の奥で声をあげても、もうそうだよと返事ができる。
ほんの一時、心を保つための裏切りだから。必ず、振り切って、逃げて、みんなのもとへ帰るから。
首筋に顔をうずめる相手の顔を、少し振り返って見る。
「ここにいる間は、あなたの共犯でいいよ」
近くにある銀の瞳が笑いかけ、それで充分と返す。
「今後とも、よろしく頼むわ」
「うん、よろしく」
彼との奇妙な共犯関係は、まだ始まったばかりなんだ。
キセルくんが少し心開き出したところで、今回はいったん切ります。
次回からどんどん病んでいく予定です。
ゴーストくんが、キセルくんを餌付けするのがとても楽しかったです。次回もまたぶっ込みたいです。
2018年5月22日 pixivより再掲