蜜に酔うのは虫だけでいい

「ねえちょっと髪傷んでるんじゃない?」
「そうか?」
 女じゃあるまいしそこまで気にしていないんだが、リーダーの場合はもう少し身の回りに気を配ってほしいんだけどと指摘されて、おまえに言われちゃ断れねえなと返す。
「邪魔くさくなったらバッサリ切ってやろうと思ってたんだが」
「ダメダメ、こんな綺麗な髪してるんだしもったいない」
 ヨネさんやツバキが悲しむよと言われて、オレの髪にそこまでの魅力はないだろと笑って返せば、わかってないなあと呆れた声でつぶやきながらおろした髪にクシを通していく。
「とりあえず傷んでるとこを切り揃えて、全体に艶が出るようにこれ使っていくね」
「おまえのいいと思うようにしてくれよ」
 任せてと大輪の笑顔で返してくれるヒナツは髪を洗い、シナモンの香りがするハチミツで傷んでいるという髪を保護していく。
 ちょっと短くして欲しいんだけどという注文に、大きく髪型は変えず整える形で切り揃えていくヒナツの手つきは非常に慣れたものだった。集落で髪を結っていたころより仕事が早くなったのは、それだけここで仕事としてきっちり技術を磨いていたからなんだろう。
「はい、これで完成」
 手早くかつ丁寧に仕上げてくれて、少し軽くなった髪に、気に入ったぜと笑顔で返すとよかったと安堵の息を吐く。
「ずいぶんと腕あげてるじゃねえか」
「そう言ってもらえると照れるんだけど」
 なんだよ褒めてんだぜと相手の頭を撫で回してやれば、ちょっとやめてよと逃げられてしまったので、なんだよ避けなくてもいいだろと拗ねた声で言えば、髪結いの髪が乱れてたら客も寄りつかないでしょと頬を膨らませて返される。
「そりゃそうだ、悪いな」
「子供じゃないんだもの、気をつけてよ」
 身の回りに大人のはずが頭を撫でられて喜ぶ奴がいるから、つい忘れそうになるんだよなと思わず口にしたら、それはあの子が特殊なだけよと苦々しそうに言う。
「あんたもそう思うよね?」
 近寄って膝に飛び乗ってきたリーフィアにそう声をかけると、相手は首を傾げた後でオレに頬擦りしてきた。どうした甘えたかと頭から耳の辺りを指で柔らかく撫で回すと、気持ちよさそうに目を細めて更に擦り寄ってくる。
「匂いが気に入ったのかもね」
 綺麗になってモテるんだったら、これからも使ってみたらと笑いながら差し出してきた瓶を礼を言って受け取り、お代を渡してまた来るなと言い置いて後にした。

 集落まで戻って来て自室に入ってからも、リーフィアたちが周囲を取り囲んでいるので、そんなに気に入ったのかと三匹の頭を変わるがわる撫で、擦り寄ってくる仲間たちに思わず頬が緩む。
 夕暮れも近づき、そろそろ飯の用意でもするかと考え始めたころ、アニキいるかいと呼びかける声と戸を叩くやかましい音によって、一人の時間が破られた。
 居留守をして後で泣きついてきたら面倒なので、仕方ないなと腰をあげると、リーフィアたちはそそくさと部屋の隅へと逃げていく。
「どうした?」
「今日ねテンガン山でこれみつけてさ、アニキにお裾分けだよう」
 大量のきのみときのこを抱えて持って来た相手に、集落の奴らには分けてやったのかとたずねると、最初に渡してきたよと胸を張って返される。
「配って来た分だよ、アニキにはボクが渡しに行くからって」
 集落の中でポケモンと共に生活している奴は少ない、人とは別の食事を用意する分だけ食料を確保するのが大変だし、こういうお裾分けは確かにありがたい。
「せっかくだ、飯でも食っていけ」
「本当に?」
 ありがとうと満面の笑みを向けてくる相手に、おまえのスカタンクたちも連れて来いよと言うと、わかったと近くに居た奴らに集まるよう声をかける、なんだかんだ彼も仲間たちに懐かれてるようで安心する。
 食事の用意を始めたオレの隣にやって来ると、ツバキもなにか手伝うようと朗らかに声をかけてくるので、野菜の下処理を手伝ってもらうことにした、こいつは手先が器用だから手伝ってもらうと作業も早く進む。
 隣で食材を切って鍋に入れていきながら、昨日は満月だったからフェアリーの泉周辺は特にポケモンが多かったんだと話し始める。きのみが多く採れたのも、彼らの生態に関係するんじゃないかと言うので、そうなのかと聞き返せば、あいつがそんなことを話してたんだようとつぶやく。
「ショウと学者先生が一緒だったのか?」
「月の満ち欠けや天候でポケモンの行動が変わるらしくてね、ここしばらく天冠の山麓付近に滞在してるんだよ」
 慣れ合うつもりはないんだけど、よく顔を合わせるから覚えてしまっただけだよ、テンガン山はヒスイの大地でも重要な場所だから仕方ないことだけどね、と自慢とも愚痴ともわからない言葉を吐くので、調査隊ってのも大変だなあと返すと、やっぱりアニキも褒めるんだとふくれ面でつぶやく。
「褒めてるんじゃねえよ、ただ感心してるだけだ」
「ふうん」
「本当だぞ? ポケモン図鑑なんか面白いじゃねえか、意外と知らないことも多いだろ」
「まあそれは確かに」
 面白いこと書いてあってるだろ、ゴーストタイプのポケモンの好物がきのこだったりさ、そう返すとマジかよと意外そうな顔をする。
「夜になればどこからともなく現れるから、怖がってる奴も多いだろ」
 人は知らないことわからないことを怖がるんですよ、とはショウの言葉だ。あの子は物怖じしない変わった子ではあるが、それは調査隊のきつい任務にも動じずに向かい結果を残している、どういう生き物かわかれば共存するのも難しくないはずだと信じて。
「ただお人好しなだけな気がするけどねえ」
「そう言うなよ」
 実際にオレたちだってあの知見を役に立ててるんだ、文句は言えないだろ。
「ツバキ、皿の準備しといてくれ」
「わかったよう」
 味つけも終わって後は煮こむだけだ、二人分の食器とポケモンたちのための器を用意していく、全員分の食事が揃う前にリーフィアがまた擦り寄ってきた。貰ったきのみの皮を向いてやり皿に盛ってやれば、もっと欲しいと主張してくるので仕方ない奴だと頭を撫でてやる。
 ツバキとの食事は明るい、こいつが常に賑やかな男だということもあるので、一人の日にやって来るとつい誘ってしまう。基本的になにを作っても褒めてくれるってのもあるし、ヨネの教育の賜物もあって箸使いは綺麗だし、同じ時間を共有するのに不満はない。
 たまにだし酒も一緒にどうだと勧めてやると、ありがたくお酌を受けてくれる。美味しいよねと笑顔を見せる相手に、ヨネたちには秘密だぞと返して自分の杯をあおる。

 じゃれあってるポケモンたちを尻目にゆっくりと飲み進めていく間に、声のトーンも下がり隣に移動して来た相手が、ねえともたれかかってきた。
「おい、重いから離れろ」
「いいじゃないかちょっとだけ、なんかアニキいい匂いするんだよう」
 うなじに顔を埋められているのでくすぐったいのだが、やめろと言っても離れる気配が一向にない。なんか甘い香りがすると擦り寄られるので、いい加減にしろと頭を引っ叩くと、ひどいよアニキと涙声でつぶやきながら顔はあげたものの、抱きつく腕は意地でも離す気はないらしい。
「そういえばアニキの髪、綺麗になってるよね」
「ヒナツに弄ってもらったからだろうな」
 髪を結うだけでなく、芯から美しくしたいとコトブキムラの人々とあれこれ試してみているのだ、と嬉しそうに話してた姿を思い出す、あのハチミツとシナモンの香りがまだ残っているんだろう、リーフィアたちにも囲まれていたし。
 ただあいつらと同じ行動であったとしても、図体のデカイ弟分にされるとこうも鬱陶しいのかと溜息を吐く。シナモンの匂い自体は嫌いじゃないが、ここまでひっつかれると流石に邪魔だ。
「だってアニキから美味しそうな匂いがするから」
「誰が美味そうだ、そんなに気になるなら自分で舐めろ」
 ヒナツから渡された瓶があったはずだ、今日持ってたカバンの中に入れたままだったよなと手を伸ばす途中、じゃあお言葉に甘えてと首筋に再び顔を埋めてそこを舐めあげてきた。
「ちょっ、う……ツバキなにして、んひっ!」
 首の裏で皮膚が薄いところを舌でなぞられ背筋に寒気が走る、なんでこんなことになってんだと疑問を口にすれば、だって舐めていいって言ったじゃんと舌を這わせながら悪びれもなく言う。
「こっちのことだボケナス!」
 貰ったハチミツの入った瓶を顔面に押しつけ、腹に蹴りを叩きこんで無理くり引き剥がし、背後を取られないように壁を背にして部屋の隅へ逃げる。
「これを髪に使うの?」
 瓶の中身を傾けて眺めている相手に、そうだって聞いたぞと返す。あくまで食べられる材料ってだけで味までは保証できないが、蓋を開けてああ本当に甘い匂いがすると中身を確認していたツバキは、でもちょっと違うと首を振る。
「違うってなんだよ」
「アニキからする匂いと違うんだよう」
 そりゃ髪についてる分と瓶の中身とじゃ匂いの強さも変わるだろ、つけてみれば同じになるんじゃねえのと言うと、そういうものかなと蓋をしめ、ラベルに書いてある内容を読んでいく。同じ香りならボクも試してみたかったんだけどなあと言うので、そんな違うかと首をひねった。
「これ髪だけじゃなくて、肌にも使えるんだ」
「ベタベタになりそうだけどな」
 試してみようよと身を乗り出してきたツバキに、はあと素っ頓狂な声をあげるとじゃあ早速と蓋を外してハチミツを掬いオレの頬に触れてくるので、いやちょっと待てと逃げようとしたものの、最初にこいつを避けた際に壁に逃げたのを忘れてた。
「ツバキ悪ふざけならやめろ、おまえ酔っぱらってるだろ」
「酔ってないよう、ボクは酒に強いの知ってるだろう?」
 じゃあなんだっていうんだ、こんな正面から腕を押さえられて逃げ場を塞いでいる男にむけて、冗談なら今すぐやめろと叫ぶもそんなことしないよと退く気配は見せてくれない。
「大丈夫だって、綺麗になるだけ」
「いや気持ち悪いからやめろ、離せ」
 押さえつけてくる相手から逃げようと身を捩るが、目の前で押さえつけ逃げ道を塞ぐ相手は開放する気はさらさらなく、悪びれる気もなさそうだ。それでいてハチミツを顔やら首に塗りつけ、指の腹を使って唇をなぞってくるので顔を振って逃げようともがく。感触を楽しむように何度も唇を押しつけてくる相手を睨みつけるも、特に効果はない。
 甘ったるい歯が溶けそうな匂いが鼻をつくが、やっぱりアニキに着くと香りが変わる、より匂いが濃くなる気がするんだよなあと嬉しそうに語る。そうこうしてる間にもツバキの手は顔から首筋をおり、着ている服の下へと伸びていっている。
「いい加減にしろ気持ち悪い、その手で触るな」
「なんで、いいじゃない」
 よくない、というかおまえは男の体を弄ってなんで楽しそうなんだ、こんなもん冗談にもならないだろうが。
「アニキのこと綺麗にするのは楽しいよ」
 それが自分の手でとなれば余計に面白い、だからなんとしてもツバキの手でアニキのこと、綺麗にしたいんだとうっとりした顔で言う。
「おまえおかしいぞ」
「そんなことないよう。酷いなあアニキは、ツバキの想いわからないの?」
 寂しそうな顔で見つめ返してくるが、上から押さえつけてくる相手の考えることなんぞわかると思うか、怒りと苛立ちが過剰に含まれた声で返すと、ただアニキのことが好きなんだよと拗ねた口調でつぶやく。
「なに言って」
 なにを言っても無駄と諦めたのか、言い争うのもいやだったのか、黙らせるように口を塞がれた。柔らかい唇に覆われ、薄く開いた中にツバキの舌が入りこんでくる、表面を舐めたのか舌先が変に甘い。
 酒の匂いと蜜の甘さが合わさった唾液が混じる、二人分なんて飲み干せるわけもなく口の端からこぼれ落ちる。ベタつく肌に垂れ落ちる唾の跡を拭い相手を見上げれば、軽く息を吐いてあのねと声を落とす。
「好きなんだよアニキのこと、だからツバキが自分の手で綺麗にしたいんだ」
 一番美しい姿を見たい、他の人には絶対に渡したくない。ツバキの目にだけ映ればいい、他になんて触れさせたくないんだ。
 冗談やめろと突っ返してやりたかったが、話をする彼の目はいつになく真剣だった。熱に浮かされているとも取れるけど、むしろ本気だから見えてないんだろうと思った。
「ツバキ、こういうのはよくないぞ」
「なんで?」
「オレが一言でもいいって言ったか、おまえがやることに対して、好きにしていいってよ」
 言ってないけどアニキは大丈夫だろうと平然と口にできる相手に、これじゃあ嫌われても仕方ないだろ、こういうのを手篭めにするって言うんだと指摘すれば、唇を曲げてだってアニキはふらふらして、ツバキのとこから遠くへ行っちゃうじゃないかと言う。
「だから閉じこめておかなきゃ」
「おまえもオレのことわかってねえな」
 こんなことしたところで、おまえの思う通りにはならない。押さえつけられたらオレは逆らうし、相手を蹴破ってでも逃げる。今は怒りの熱が引いているのと、話をするべきだと思ったから払い除けてないだけだ。
「おまえ、本当にオレのことをモノにしたいって思ってんのか?」
「当たり前だよアニキだもん、ボクの一番だよ」
「ならこんなやりかたでいいと思うか、手篭めにして傷つけるやりかたで」
「いやなの?」
 抵抗してんだからいやに決まってんだろ、自分の感情だけで押し進めようとするな、少なくとも大事だと言うオレを置き去りにしていいわけがない。
「アニキはツバキのこと嫌わないよ」
「なんで断言できんだよ」
「だってそんなことありえないでしょ、ツバキだよう?」
 その自信はどこから来るんだ、出どころも根拠も不明なのに突き進んでいくおまえに、どれほど頭を悩ませてると思う。
「えっ、ダメなの?」
「襲われた相手を好きになる道理はねえだろ」
 そうなのと意外そうに返す相手に、おめえヨネやヒナツが知らねえ男に襲われたらどうするよとたずねれば、とりあえず相手をみつけ次第、テンガン山の山頂から突き落とすよとドスの効いた声で返される。
「そんな暴漢とツバキを同列に並べないでくれよ」
「やってることは同じだろうが」
 いやだよ嫌いにならないでよと涙目で縋りついてくるので、とりあえず顔を拭くから離せと今度こそ押し退ける。
 触られたところが全体的にベタつくものの、水を含ませた布で無理くりに落としていく、この時間から湯浴みに出かけるわけにもいかないし、ある程度の匂いが消えるように拭き取る。
「おまえの感情の行き先がわからない」
「なんでだよう」
 アニキのことが好きなんだよと涙目で訴えかけてくるので、そこでオレが一番になる理由がわからないってことだよと、涙で濡れる頬を雑に拭ってやる。
「ヒナツなんか美人じゃねえか、男のオレと比べるまでもなくな」
「容姿の問題じゃないんだよう」
「まず性別を問題にしてくれ」
 なんでとまた聞き分けのない子供のようにぐずり、誰よりアニキが好きなんだと主張する相手に頭を抱える。
「あーとりあえず、本気だってんならまず素面のときに言え」
 酔って言い寄られたところで信じることはできない、そう切り返すとわかったと鼻を鳴らしてつぶやく。
「ちゃんと信じてもらえるよう、酒は抜いてくる」
 必ずツバキに振り向かせるから、それまで誰かのものになっちゃダメだからねと念押しされる。
 なんかまた余計なものを背負った気がするが、落ち着いて気持ちを整理する時間を取れれば変わることもあるかもしれない。

 翌日から全力で後を追いかけながら、好きだと連呼する相手と向き合うことになるとは、このときはまだ思っていなかったのだ。

あとがき
こいつは倫理観とか常識とかが、ちょっとバグってるツバキくんが好きらしいです。
2022年2月20日 pixivより再掲
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