温泉へ行こうよ
「おっさんってさ、旅行とかできんの?」
交番に上がりこんで来て、ニャースとポケジャラシで遊びながらたずねてきた相手に行けるよと返す。
「あんまり長期不在はだめだけどね、できないことはないよ」
「二泊三日くらいなら?」
「有給、余ってるからね。上の許可があれば行けるけど、なんで?」
突然どうしたと聞けば、これと「副賞」と書かれた袋を差し出してきた。既に開いている封から、中身を取り出してみればウラウラ島の外れにある孤島の温泉宿のペア宿泊券と、宿の紹介パンフレットが入っていた。
「マリエ庭園でやってたバトルイベントで勝った、賞品」
そんなイベントあったなあと思いだした、島キング的に挨拶をとか話も来たがそんな柄じゃなくて断ったんだっけ。まあリーグとも、島の風習とも関係ないお祭りみたいなもんだったしな。
しかし参加してたのかこいつ、言ってくれたら見に行ったのに。しかもこれ、どう考えても優勝賞品だろ。
「こういうのってさ、親御さんと行くもんじゃないの。普通は」
「なんか誘いにくいんだよ。顔見せに行くくらいならまだしも、一緒に旅行ってなるとな……四六時中一緒は気まずいっていうかさ」
「ペアチケットでしょ?ご両親にそのままプレゼントしちゃえばいいんじゃない」
いや、それはと言いよどむ相手に首を傾げつつパンフレットをめくると、宿のコースにはポケモン専門の特上アロマリフレというものが付いているらしい。
なるほど、自分のポケモンを連れていきたいと。
「わかった有給申請出しておくよ。ニャースの世話は、アセロラにでも頼むわ」
「行ってくれんの?」
「温泉に浸かってのんびり過ごすとか、魅力的な話乗らないわけにはいかないからね」
すんなりと有給申請も通って、宿のある孤島への連絡船の中は数組の宿泊客がいるくらいで、静かなもんだった。
施設内に数種類の温泉やサウナ、エステサロンなどが併設されており、通常の宿泊部屋と完全な個室のコテージの宿泊プランがある。
グズマが家族を誘うのをためらった理由は、多分この完全な個室状態のコテージでの宿泊プランだったからだろう。マリエ庭園側も豪勢にいったもんだ、それだけ盛り上げようってことだったんだろうけど。
島民は普段、観光なんて行かないもんな、こういう機会でも作らない限りは。
「おっさん、どっか行きたいとことかあんの?」
なんでと聞くと、パンフレット熱心に読んでるからと返される。
「別に、暇だから見てるだけだよ。マリンスポーツとかあんまりだからね、おじさんはゆっくり温泉浸かりたいの」
宿泊プランの他に、様々なアクティビティコースや観光コースの案内が載っているが、別に無理して行きたいって程でもない。どっちかというとアローラ以外からの観光客向けメニューだし。
骨を休めるって意味では、一番はやはり温泉だろう。美容とかは興味ないけど、足伸ばしてじっくり湯に浸かる機会なんてのも中々ないからな。
「おまえさんはどっか行きたいとこあるの?」
「そこ」
パンフレットの端に書かれている樹齢千年を超える大木に守られた祠に、意外だなと思って内容を見れば、野生のむしポケモンが好んで集まる場所。神域のため、こちらでのポケモンゲットは不可とある。
「本当好きだよね、むしポケモン」
「悪いかよ」
ふて腐れた顔をする相手に、別に悪いとは誰も言ってねえよと笑いかける。
「いいんじゃないの、好きな所行こうよ。あんまり激しいスポーツの場合は、おじさん旅館で風呂入ってるわ」
自由行動といこうやと言えば、そうだなと少し寂し気な声で返される。それに首を傾げるも、その矢先に目的地到着を告げるアナウンスが船内に響いた。
旅館に到着してチェックインをし案内されたコテージは、大の男二人で入っても充分すぎる広さだった。併設された庭で好きにポケモンを遊ばせておけるのも良い、むしタイプは特に落ち着くのかグズマの手持ちのポケモン達は見慣れない環境に戸惑っていたがすぐに馴染んだようだ。
一方、俺のペルシアンは事前に申請して部屋に用意されていたベッドで既にくつろいでいる、こいつはこいつで肝の据わった奴だよ本当に。
まだ昼前だし、適当に昼飯でも食って散策に出るかと相手を誘うと、機嫌がいいようで二つ返事で返ってきた。
観光客ばかりのダイナーで昼食を取り、案内所でグズマが行きたいと言っていた祠までの道のりを聞く。
一般立ち入りを制限されているらしく、ツアーに参加という形らしい。今日の分は締め切ったとのことなので、明日の予約に二名分の名前を入れておいた。
「まあしょうがねえよ、適当に温泉入りに行こう」
「んー、まあそうだな」
色々とあるみたいだしと宿内の温泉へと向かった。周りと言えば新婚なのかカップルなのかという旅行者や、年配のご夫婦といった人達が多い。子供連れも少数だがいるが、その大半はこれから行われるマリンスポーツやら、観光ツアーへ行く客ばかりだ。
自分とこいつは一体どういう風に映っているのか。兄弟ってわけではないよな、流石に。ってなれば親子か……それはそれで嫌だな。
「どうしたおっさん?」
変な顔してんぞと指摘されて、ちょっと自分が嫌になってただけよと返す。
「なんで今、俺なんかしたか?」
無理に連れてきたの迷惑だったとかと続ける相手に、そうじゃないよと苦笑して、ただの自己嫌悪だからさ心配しないでくれと返す。
少なくとも彼にいらぬ心配をかけさせるようじゃ、せっかく休みを取った意味がない。
ただせっかく休みを取った以上は、それなりに羽を伸ばしたくもある。
「なあグズマ、ここどうせ旅行者ばっかりだしよ。俺のこと名前で呼んでくれない?」
恋人とのお泊りデートだし、おじさんもハメ外したいんだけどと言うと一瞬で沸騰しきったように顔が赤くなる。
「デート……って!バカかあんた!つか、んなとこで言うなよ」
「えー本当のことじゃない。俺のこと誘ってくれた時点でさ、それなりに期待してたわけなんだけど」
まさかおじさんだから温泉好きだろうとか、そんな理由だけで呼んだわけじゃないでしょと指摘すれば、頬を染めたまま視線を逸らした。
「ウラウラの中とはいえ普段とは勝手も違うわけだしさ。いいじゃん」
手繋いでとは流石に言えないし、と付け加えると当たり前だろうがと小声で呟く。
「名前くらい呼んでくれたってバチ当たらないと思うんだけど」
どうなの?と聞けば、しょうがねえなと顔を背けたまま叫ぶ。
「クチナシさん、でいいんだろ!」
「そうそう、可愛く言ってくれればもう満点」
できるか!と叫ぶ相手を、置いて行くぞと笑いかけてやる。
施設の温泉は硫黄の香りがする天然温泉から、変わり種の湯まで様々だった。水着着用が義務だから、男女関係なく入れるわけだけど、観光ツアーに行く客が多い時間帯だからだろう、さほど混んではいない。
「すっげー広い」
子供かと思わずツッコんでしまうくらいにはしゃぐグズマに、ゆっくり肩まで浸かれよと一応注意してやる。
「にしても、すげー臭いするんだな温泉って」
「天然温泉だと、色々と湯の中に自然の化学成分入ってるからね。体にはいいのよ」
いつもはシャワーだけの入浴が普通のアローラでは、温泉自体が珍しいからな。広い湯船の中で、最初こそ物珍しそうにしていたが、硫黄の臭いは苦手だったらしく、他のとこ行ってもいいかと聞いてきた。
別にここじゃなきゃいけないってわけでもないし、併設されてる温泉はいくらでもあるし構わないと好きな所を選ばせてみた。
南国を意識して作られたココナッツと花のアロマオイルをブレンドした湯など、普段ならば入らないのだがこの機会にと試してみたりもしたが、こちらはおじさんにはきついものの、グズマは気に入ったらしくしばらくそこの湯に居るとのことだ。
後でロビーで会おうと約束して、別の薬湯で温まってから出ると。最初に選んだ濃紺の浴衣を来て、すっかり温まったらしく血行のよくなった肌を仰いでいるグズマが居た。
というか教えた割に、浴衣の着方がぐちゃぐちゃだった下にタンクトップとハーフパンツ着てるからまだしも、流石によくない。
仕方ねえなと声をかけて立たせると、浴衣の前を合わせて帯を整えてやる。まだ少し湿った髪やしっとりした肌からふわりと花の香りがした。
「あ……ありがと、クチナシさん」
語尾が下がっていくものの、小声で言われた感謝の言葉にこれくらいいいさと笑って答える。
「結構、長湯しちまったな。喫茶スペースでなんか飲んで帰るか?」
「なあ……あれ食べていい?」
甘い木の実のソースがかかったかき氷を指して言う相手は、いや暑くてと言い訳しているが、まあ知ってるよそういうの好きなことくらい。
「いいよ、あれくらい奢ってやる」
晩飯前にとは言わないでおく、こいつの場合よく食べるし、問題ないだろ。
火照った体に冷たい氷が染みるのか、たまに頭を抑えつつ綺麗に飾られたかき氷を平らげていく。こちらはアイスコーヒーなのだが、見てる方が胸やけする量だな。
まあ、幸せそうに食べてるのでそれでいいんだろう。
「なんか、付いてる?」
見つめすぎていたのか、怪しまれてそう聞いてくるもんで、可愛いなと思ってたと正直に言うと、嘘つけと可愛くないことを言う。
「どうせお子様とか思ってたんだろ?」
「あー、その返しはお子様だわ」
「んだと!」
「こらこら、こんなとこで喧嘩はなしだよ?せっかく着付けたのに、また乱れるでしょ」
若干乱れた浴衣を気にして、乗り出しかけた体を戻す相手に、満足する。
そういう正直なとこは、もっと褒められてもいのにな。
部屋に戻ったら、グズマはポケモンにかなり寄って来られていた。主が帰って来て嬉しいのと、どうもこいつから香る花の匂いがお気に召したようだった。風呂から上がってそれなりに時間は経つが、まだかすかに甘い匂いが残っているらしい。
擦り寄って来るポケモン達に構ってやるグズマを眺めて、さてどうしようかねと自分のペルシアンを見つめると、今はその気じゃないらしくそっぽを向かれてしまった。若干機嫌を損ねているらしい。
アロマリフレコースを申し込んであるので、そちらで機嫌を直してもらうしかないだろう。
そう言えばと、まだ開けていなかった部屋の奥へ向かう。確か各コテージには内風呂付とあったはずだ。
旅館の大浴場とは規模が違うものの、檜造りの風呂と外にはちゃっかり露天風呂まで用意されている。豪勢だねえと思っていると、なにしてんだと声をかけられた。
「んー?内風呂どんなもんかなって」
「さっき風呂入って来たのに、まだ入るのかよ?」
「いや温泉に来た以上、色々入った方がいいでしょ。ここなら人目も入らないわけだし、後で入ろうよ」
二人でと付け加えると、途端に顔を真っ赤に染める。
いやさっきまで一緒に風呂入ってたじゃん、というかおまえ裸になるだけじゃす済まないこと色々とやってる仲で、二人で風呂ってと言いかけて、やめろと怒声に止められた。
「こんのエロ親父」
「んー?俺は風呂に入ろうって言っただけなんだが、何想像した?」
悪どい笑みをしていることは承知で、エロいのはどっちよ?言ってくれるならいくらでも実行してやるぜと返せば、うるせえと真っ赤なまま叫ぶ。
からかいすぎたか、まあなんとかご機嫌取って後で一緒に入ろう。
ペルシアンよりは幾分かご機嫌取りをしやすい恋人が鼻息荒く風呂場から出ていくのを見送って、若干反省しつつどうしようかと考えた。
夕飯の懐石料理はコテージ内までスタッフが運んでくれた。こういうの食べ慣れてないらしいグズマからすれば、人目を気にしなくていいレストランでないのは良かったのかもしれない。
味はまあ、宿の値段を考えれば相応のものではある。だが高級料理が万人にとって美味いとは限らないのは問題だよな。
「イマイチだったか?」
「まずくはないけど。堅苦しいのは苦手だ」
ルームサービスのメニューを眺めて答える相手に、アルコールのページを見せてもらう。
「食事の時に頼めば良かったのに」
「せっかくの露天風呂だよ?月見酒に洒落込みたいじゃない」
寝落ちしても知らねえぞと言う相手に、ならちゃんと見張っててくれよと返す。
「一緒に入れって?」
「そういうこと」
頼んじゃっていいと聞けば、好きにすればいいだろと素っ気なく返されるが、頬が少し赤くなってるところを見るとまあいいって事だろう。
ルームサービスで頼んだ追加の料理と、軽いつまみと酒を運んでもらい、満足そうに食べる姿を横目に楽しいかとたずねる。
「何で?」
「いや、今日一日ずっと俺のペースだったからさ。別に合せてもらわなくってもいいんだぜ?」
船の中でも言ったが、別に現地で自由行動でも構わないのだ。どうせ夜は同じ部屋に戻ってくるわけだし、二泊もあればゆっくり過ごせる時間は充分取れる。
とはいえ、今日一日を通してほとんど俺の行き当たりばったりな行動に付きあわせてしまったので、楽しんでいるのかと思ったのだが。
「丸一日、クチナシさんと一緒に居れるってあんまりないからさ」
一緒に居たいって思っちゃ悪いかよとうつむきがちに言う相手が、心底可愛くて思わずにやけてしまう。
「ちょっ!笑うなよ」
「いやあ、それは無理。だってすごい嬉しいもん」
へえそんなこと思ってくれてたんだ、風呂でこそ好み合わずに別れたけど、できるだけ一緒にいたかったって。嬉しい以外にどう思えばいいんだか。
そういや、俺よりも先に出て来てたけどもしかして早く会いたいから待ってくれてたとかそういうの?だとしたら最高だな、浴衣の着方はきっちりしてて欲しかったけど。
二人っきりなら別にルーズでも構わないが、人前で晒すにはちょっと刺激が強すぎる。年甲斐もなく嫉妬するくらいには。
「嫉妬って、周り観光客ばっかだったろ」
「だから余計にね。歳の差は埋められないだろ」
見た目から浮く組み合わせだしよ、これでも気にしてたんだってと答えれば、なんだそれとむすっとして言う。
「人目なんか気にするなって言ったの、クチナシさんだろ」
「そう、自分に言い聞かせるのも含めて」
気にしてもしょうがないのはわかってるんだけどねと言うと、お互いになと返ってくる。
「さて、そろそろ風呂入ろうぜ?」
食べ終わってゆっくりしている相手に告げると、えっと小さく声があがる。
「約束してただろ、内風呂。天気いいし露天の方な」
「はあ!ちょ、待てってまだいいだろ」
つべこべ言い訳するなよと逃げる相手の首をひっつかまえて、風呂場へと連行する。
最後まで抵抗する心づもりだったらしいが、浴衣じゃどうにもならないし。嫌がられると本気で脱がしてやりたくなるもんで、俺の人の悪い笑みを見た途端に、諦めがついたらしい。
大人しく服を脱ぐ相手に少しだけ残念だと思ったが、まあそれもいいだろう。脱いだ服を籠に入れて、内風呂へと入る。
「おお、すっげー星」
先に露天の方に出た相手から歓声があがった。見れば晴天の空には砂を敷き詰めたように星が瞬いている、円に近い月は白く光り周囲に青白い影を落とす。最初こそ入るのをためらっていたのに、夜風の中の湯が良かったのか気持ちよさそうに足を伸ばしている。
こりゃいい酒が飲めるねえと、杯を傾ける。冷やした清酒が喉をと通っていく冷たさと、湯の暖かさが心地よい。
「クチナシさん、あんま飲みすぎんなよ。明日のツアー行けねえだろ?」
「これくらい飲んだ内に入らねえよ」
おまえも一杯やるかと聞くと、いらないと即答で返ってきた。
「そう?甘口だし、おまえもいけると思うけど」
「甘口とかそんな問題じゃないだろそれ」
普段飲んでいるような甘い酒に比べれば、そりゃ味は全然違うだろうな、特に割ってるわけでもないし。それなら、メニューにあったモモンの実で作ったワインも頼んでおけばよかったかと少し後悔する。
まあそれは明日でいいか。
「って、明日もやるのかよ?」
「二泊でしょここ、次いつ来れるかわからないなら存分に楽しんだ方がいいと思うけど」
そう言いながら相手の太ももを撫でたら、思いっきり肩を叩かれた。なんだよ、これくらい許せっての。
「誰もいないからって調子乗るなよ」
「人前でしてもいいんならやっちゃうよ?悪い虫がつかないようにさ」
「やめろ酔っ払い」
「だから酔ってないって、ちょっといい気分なだけ」
タチ悪いと呟く相手に、諦めなよと舌を出して答える。
「離れてるとはいえ、この辺一体に聞こえたら色々と面倒だから、やる時は部屋入るし」
「やけに乗り気じゃねえか、なんなんだよ。はしゃぎすぎだろ」
頭を抱える相手の、水に濡れて張り付いた髪を撫でる。普段は強気に描かれている目元の化粧も、今は落ちて若干だが角の丸い顔を見せている。
「おまえのことをずっと独占できると思うと、楽しくて仕方ないのよ」
仕事もなく、さした知り合いもいない場所で、二人っきりでゆっくり温泉旅行なんて贅沢だ。
そりゃ年甲斐もなくはしゃぐよ、やることはやるけど。
「明日のツアーキャンセルしたら怒る」
「なに、そんなに激しくしてほしいの?」
「いちいち揚げ足取るな!面倒くせー」
そう言うが、中で繋いだ手は離されなかった。
当時、温泉に行きたかったらしいです。
2017年12月13日 pixivより再掲