染めあげて
「おまえ、その手どうした?」
突然たずねて来た相手へ、エネココアを淹れたマグカップを渡した時に気づいたそれを指摘すると、これかと嬉しそうに見せつけてきた。
両手の爪先に施されたネイルアート、男がなんでと疑問に思うが、タスカル団の女の子にやってもらったんだという。
「最近流行ってるんだってよ、ポケモンデザインのネイルアート。これグソクムシャな」
白地にグレーの線で幾何学模様に区切られたそれは、確かにグソクムシャの装甲のようだ、ところどころ白ではなく薄い紫やピンクに塗られている。両手の内、二本だけ白ではなく黒にしており、薬指には緑のダイヤ型の石が付けられている。むしのZクリスタルをイメージしてるらしい。
「色々あるんだ、ピカチュウとかイーブイとかロコンが特に人気らしいぜ。あとは手持ちのポケモンに合わせたりするのも人気だって」
「へえ若い子には、そういうの流行ってるのね」
「おう、ミヅキはガオガエンにしてもらってたしな。まあ、グソクムシャはその場で作ってもらったんだ。むしポケモンでもそんなの頼む奴あんまいないらしくてさ。すっげー気合入れてやってくれた」
アメモースとかバタフリーはデザインいっぱいあるんだけどな、と少し残念そうに話す。
でもカッコいいしいいと思わない?と自分の爪を見せつけてくる相手に、カッコいいんじゃ女の子はしないでしょと返す。
でもまあこいつには似合っているかと思いつつ、彩られた指先を見つめる。淹れられたばかりのココアのカップを握りしめ、少し冷ましてから一口飲む。その子供のような仕草に、相変わらず大きな猫かと思ってしまう。
一度気づいてしまうと気になるもので、彼の手が動くのを目の節々で追ってしまう。交番内のニャースにじゃれつかれて、相手をする時もこの間のバトルを身振りをつけて話す時も、視界の端に白の幾何学模様がちらつく。時折、緑の石が光を反射するのが面白いのか、彼の手にじゃれつくニャースに遊ばれている。
「ああ、おいあんまり引っ掻くなよ。剥がれたら後が大変なんだぞ」
化学物質が口に入るのもダメだろうしな、と言いながら自分の手をかばうように移動させる。
「こいつらどうにかならねえ?」
「そりゃおまえさんが面白いものしてきたから、興味津々なんでしょ。いいおもちゃになってやりな」
相手して欲しいんだろと声をかければ、一鳴きして答えたのでもっと相手してもらってこいと引き剥がされた相手にくっつけて、自分のデスクへ戻る。
今日の分の報告書を書いてメールで送れば、今日はもう終わりの時間だ。スカル団が解散した後もまだそこまで人は戻っておらず、交番に誰かが常に常駐していることはない。これが終われば家に帰って、その前に買い出しに寄ってと考えているとニャースの猛攻から抜け出した相手が、デスクの横にパイプ椅子を持って来て腰掛けた。
「今日、泊まっていっていい?」
「今夜は常駐予定ないから、これ終わったら家帰るけど」
「じゃあ家、泊まっていっていい?」
だめかと聞く相手に、だめだって言ってもついて来る気だろうと返す。
「これ書き上がってメール終わったら帰るつもりだったから、ニャース達に飯やっといてくれ」
わかったと素直に聞いて立ち上がると奥からポケモン用フードの袋を下げて来る音がした、それに目ざとく反応した七匹達が近づいて更にじゃれつくのを抑えて、それぞれの皿へ適量を入れていく。
さてグズマが泊まる以上は、余計にスーパーに寄って行かないと食料品が足りないな。着替えなんかは置いていったのがあるから、どうにでもなるか。
報告書を送って二人揃って交番を出る、家とは違う方向へ歩いて行くのも文句を言わずについて来た。
「先に言っておくが、菓子類は入れるなよ」
「いいじゃんか、俺が全部食べるから」
「余計ダメだ」
太るぞと指摘すると、その分動いてるから平気だと減らず口を叩く。まあ確かに、あれだけ甘い物が好きで常日頃から食べている癖に、体はしっかりできているし、その分の運動はしているのは違いない。成長期にもっと偏った食生活してなかったら、今よりもっとでかくなってたのかもしれないな。それはまあ、一応困るか。
「そういや、こないだ食べたあれ美味かったんだよ。もう一回作ってくれない?」
「泊めてもらう方がリクエストしないの、手間かかるから今日はパスだ」
ええと不満そうな声をあげる相手に、そこの棚の取ってくれと言うと渋々と手を伸ばして調味料をカゴに入れる。またちらりと揺れた白い模様を見て、なんだかんだ似合っていると思った。
買い終わった荷物を多めに持ってくれる相手に、割れ物入ってるから気をつけろよと声をかけ、家へと向かう。特に話すこともないが、人通りが途切れるところまで来たあたりでポケットの中へ彼の空いている方の手が滑り込んできて、中に入れていた俺の手に重ねられた。
素直に甘えられるようになってきた相手に気を良くして、その手に指を絡めて強く握り返す。隣を見れば少し頰を染めてうつむきがちになる、可愛いことしてくれちゃって。
「あーこれってあれか、恋人繋ぎってやつ?」
「んな!」
恥ずかしい名称だったんだろう、ポケットから出ていこうとする相手を引き止めた。
「いいじゃないの、このままにしといてよ」
誰も見てないならいいだろう?と言うと、仕掛けてきた相手はそうだけどよと小さく呟く。
ならいいってことだと、足取りも軽く家へと帰り着くまで離さないでいた。
家について食材を冷蔵庫にしまいながら、今晩はどうするかなと考える。突然やって来た客人は別に手伝うでもなく、リビングのソファに我が物顔で座っている。手伝ってくれない?と声をかけたら、自分の手を差し出してこの手じゃ無理と舌を出した。
可愛子ぶって許されると思うのか、まあ今日は言っても聞く気はないんだろう。結局そうやって、相手の我儘に付き合ってやるのもよくあることだ。
愛されることに慣れていない子供だった。だからと求められたものを拒んでこなかったからこそ、こいつは素直に甘えることを覚え始めた。俺に触れること、そばにいたいと思うことが、心の落ち着く時になるのであれば、いくらでも応えてやろうと思う。つくづく甘いのは自分も同じだ。
即席で作った野菜炒めを中心にしたそれなりにボリュームだけはある晩飯を食う間も、綺麗に彩った爪が目の前を行き交うのを追ってしまう。
「そんなに気になる?」
変だったか?とたずねる相手に、いや似合うよと返す。
「ただやっぱ見慣れないというかね」
正直に言えばそれがこいつのグソクムシャを表していることが、少しだけ気にくわないだけだった。一色だけでもいいから、俺を表す色を身につけてはくれないかと、そう思っていた。
爪に色を施してもらっている最中、どんな会話を交わしていたのか、若い女の子たちに囲まれてきっとその空間に自分は入れないから。どういう顔して、どんな話をしていたのか、その爪を塗った人間がどういう思いで彩ったのかが気になる。
その時間に、少しでも自分を思い浮かべてくれるだけの余裕はあったのかと思ってしまう。ここまで器量の狭い人間だったかと思わず苦笑いする程度には、彼に夢中になっているのは気づいていた。
縛るものはない、自由を謳歌している今が楽しいならそれでいい。帰って来るなら、それて。
影が落ちて見上げれば、テーブルに手をついて身を乗り出して来た相手が頰にキスをして、そのまま離れていった。
「なにしてんだ?」
「なんとなく、寂しそうだったから」
口は後でいいだろ、食事中だしさと再び自分の皿へと箸を向ける相手に溜息を一つ。
「誘うならもう少し、可愛げある方がいいんだけど」
「今じゃなくていいだろ。今日まだ時間あるし」
そうだなと答えて、自分の分の食事を平らげ食器を洗っている間にシャワーを浴びて来いと声をかける。タオルはいつものとこにあるし、自分の着替えもそこに入ってるはずだと。それにわかったとゆっくり伸びをすると、狭い家のシャワールームへと向かう。
男二人だと多少手狭ではあるものの、まだたまに来るだけのグズマのために引っ越すのもどうかと考えてしまう。家賃が安いのはありがたいし、別に不自由があるわけじゃない。ただ俺より背があるあいつには多少手狭に感じる時もあるのは、見ていてわかる。
常にここへ帰って来るようになったら、その時はと考えて。また溜息をつく。どんだけ好きなんだよ、初恋のガキでもあるまいし。結婚を前提にお付き合いってわけでもない。
食器を片付け終わって、テレビをつけてさほど興味のない番組を流して見ながら、シャワーを浴びに行ってから結構な時間が経っているのに気づいた。なにしてんだあいつ?
心配になって風呂場を覗くも、既に明かりは消えて人影はない。ならばと寝室を見れば今度はベッドに我が物顔で横になる相手がいた。
出たんなら一言声かけに来いよと心の中で悪態を吐いて、自分も軽く汗を流すためシャワーを浴びる。泊まりたいなんて言うから、それなりの期待があったものの、単純にそばに居たかったから付いて来ただけだったのか。それでもまあ、充分だろうと言い聞かせて、気持ち良さそうに横になる相手の待つ寝室へ入る。
その寝姿に、やっぱり襲ってやろうかと悪い俺が囁きかける。風呂に入って化粧を落とした顔は常よりも角が取れて、少し幼く感じさせる。
なにもかけずに横になる相手のハーフパンツからすらりと伸びた足、普段はだぼっとしたズボンに包まれているのでわかりにくいが、こうやって見るとスタイルは抜群にいい。顔も悪くないわけだし、こんなおっさんに捕まってるのは勿体ないかもな。
なんて思った直後、身じろぎした相手の足先に深い赤色をみつけ、思わずそばへ寄って足先を確認する。
ワインレッドと黒のツートンカラーに、黒のダイヤ型の石をつけた親指の爪、他は全てワインレッド一色で塗られた足先を撫でて口の端が持ち上がる。我ながら単純だ。
これを塗ってもらった時、どんなことを話していたんだろうか?珍しい組み合わせだと思われたんじゃないか、そう赤色のイメージなんか普段あまり見せてないもんな。
綺麗に整えられた爪先へキスを贈った直後、手から離れ俺の頰からあごの下へするりと寄って、ベッドで横になる相手へ視線を寄越すように上向かせる。
「どう、これも似合ってる?」
勝ち誇ったようにニヤリと口の端を吊り上げ、ベッドの上で笑う相手にとても気に入ったと返す。
「しかし、珍しがられなかったか?シックな色はあんま好みじゃないだろ」
「これ自分でやったんだ。結構上手いだろ?」
いきなり手だと難しそうだから、両手が使える足で試してみたのだという。二色の塗りも石の飾りつけも、素人目には確かにそこそこ上手くできていると思う。
何より、よく見知った色を想い人が自ら身につけている。しかもそれを知るのは、こうやって靴を脱いだ瞬間だけだと思えば自然とこちらも頰が釣り上がる。
「なんか、こういうのもたまにはいいな。あんたのこと、足で触ってるとかなんか、すっごくやらしいことしてるみたいで」
束の間の女王様気分を楽しんでいる相手に、自分が今どんな状況かわかってるよな?と問いかける。
足で頰を撫でている相手はわかってると返すので、それが本当かどうか確かめてやろうと、撫でていた足を掴んで指先から甲、足首へかけてキスをして舐め上げてやる。
「んっ……」
それだけて頰を染めるグズマに、まだ詰めが甘いなと思いつつ両足を捕まえたまま体の上へ乗り上げる。
さて、悪いことに手を染めちゃった女王様は、今日はどんな顔を見せてくれるかね?
そう思いながら、今度こそと赤く熟れ始めた唇を塞いだ。
受にネイルさせたりヒール履かせたらしたくなるのは、完全なる私の趣味です。
2017年12月2日 pixivより再掲