黄金のワルツ
マリエシティでの買い出しの帰り、荷物を濡らさないように気をつけつつ帰り着くと、寄ってくるニャースに応えてやりつつ、生鮮食品を急いで冷蔵庫へと仕舞う。
コーヒーを淹れて一息ついたら、最後に残った書店のビニール袋から雑誌を取り出した。平素の自分には縁がない芸術誌だが、急ぎ本屋で取り置きを頼んだ物だったし、アローラ各地で好評のため売り切れ、現在は増版をかけてる最中らしい。運良く掲載情報を確認して、発売前に連絡を入れたから良かったものの、この分じゃいつ手に入るか知れたものじゃない。
「カロス国際写真展特集」と大きく書かれた表紙を飾るのは、数年ぶりにエフェメール賞を受賞したビオラという女性写真家の作品「黄金のワルツ」。
受賞についてのロングインタビューが掲載された雑誌には、他にも彼女の作品としてアローラの島々の写真が掲載されていた。カプ神の遺跡の写真や、アローラのガラガラと踊る少年といった伝統的な一面から、アローラのポケモンリーグでのバトルを映したものまで内容は様々だ。その中でも彼女が特に気に入っているのはやはり受賞した「黄金のワルツ」と題された作品だという。
エフェメール賞は、カロス国際写真展の中でもかなり貴重な賞であり。受賞資格があるのは世界的に貴重で、かつ繊細なポケモンと人の機微を押さえた一枚だと判断された物に与えられる。賞に付けられたカゲロウの名前にふさわしく、過去の受賞作品には……と紹介が始まったところでその一角を読み飛ばす。
ページ一枚を全て使って掲載された黄金のワルツは、メレメレ島の花園を撮影したものだ。
野生のトランセルがバタフリーへと羽化する瞬間、しかも集団での進化だ。巨大な群れが一度に進化するのは珍しい、それだけでも価値ある瞬間と言える。
花園から空へ飛び立つバタフリー達の群れの中央、周りの色鮮やかさとは対照的な黒と白。モノトーンの服に素足のまま花園の中央に立つ足は土に汚れ、白く染めた髪は朝日の光と進化していくポケモン達によって照らされ、ところによって黄色にも青にもにもとれる不思議な色を含んでいる。長身の青年は空へと両手を差し伸べ、バタフリー達もそれに応えるように周りを飛び交い、手へと触れようとしている。
今にも彼等に連れられて行きそうなどこか儚い青年、彼の存在こそが受賞の決定打だった。
羽化の瞬間は最も無防備になる瞬間でもある。蛹から抜け出し羽を乾かす間は攻撃されても反抗する術も防護する術も持たない。野生ではなおさら外敵への警戒心が強く出るため、その場に他のポケモンや人間がいることを受け入れらるのは珍しい。
朝焼けに染まり喜びに沸く華やかな花園の中では、モノクロ写真のような彼の存在は異質で、静かさと穏やかさを併せ持つその表情は陰陽の対比と調和を表している、とかなんとか。
お偉い批評家先生の話はまあいい。この写真が人々の間で話題になっているのは、大層な賞に輝いたその青年の顔が、人によって笑っているようにも悲しんでいるようにも見えるという点であり、アローラで最もその議論が過熱しているのは、件の人物があのグズマであったからだ。
破壊が人の形をしていると称していたスカル団時代よりもなりを潜めたとはいえ、彼は基本感情表現が激しい方で、どちらかといえば生意気な口を叩く奴で、静けさや穏やかさとは縁遠い人物だと思われている。
受賞が決まった際、アローラの新聞はこの写真を一面で取り上げられていたのだが、それを見た彼の部下達は普段読まない新聞を相次いで買いに走り「こんな兄貴、見たの初めてかもしれないッス!」「これ一生宝物にする!」と興奮気味に語っていたし、平素のグズマを知っている人間も似たような反応ではあった。
「グズマすごい嬉しそうだねー、こんな優しく見守ってくれてさー。バタフリー達も、安心できたんだろうねー」
「フッ、優しいだと?違うな、これは心に秘めた孤独に耐える顔だ」
「えーそうかなー?むしポケモンといる時と同じ顔じゃない?」
「うーん、笑顔だし優しい感じは似てるけど、なんだろう。それだけじゃなくて、悲しそうというか、寂しそうに見えない?」
上手く説明できないんだけどとうなるミヅキに、ハウはそうかなーと楽天的に返し、二人に連れてこられたグラジオは迷惑そうだったが写真自体は気になっていたらしい。
手にしていた新聞の一面を見せて、クチナシさんはどう思うーと無邪気にハウは聞いてきた。
「あー、そうだな。基本的に笑顔で正しいとは思うぞ、口元は間違いなく微笑みを浮かべているわけだし。ただ全体を表すと嬉しいとか楽しいの意味では笑ってないだろうな」
「そうなのー?」
「だから言っただろう、孤独を秘めた顔だと」
「……それが孤独かどうかは本人しかわからないが、完全な笑顔じゃないから、今みたいに見ている方があれこれ考える。そういう心理学の要素が働いてるわけだ」
「ふーん、すごい写真なんだよねー!」
「まあな。世界の賞だからな」
三人がやって来た理由は、この朝刊を見てグズマを探しに来たかららしい。残念ながらここには来てないと返したが、なら来るかもしれないと居座られている。
「このビオラさんって人、前にカロスから来てた人だよね?」
「むしタイプのジムでリーダーをしてるんだって、リーグにも見学に来たよ」
グズマさんが一緒だったと言うミヅキに、二人仲いいんだねーとハウが続ける。
「むしポケモンのトレーナー同士だし、やっぱり気が合うのかなー」
「苦手なタイプに対抗する時どうするかとか、育てる時のこだわりとかコツとか、そういう話で盛り上がってたよ」
リーグの休憩室で話に参加していたらしいミヅキは、自分のむしタイプポケモンへのアドバイスももらったそうだ。その辺ちゃっかりしてるよな、このねえちゃん。
共通点があれば、そりゃあ話も弾むだろうなとここにはいない相手を思い浮かべる。
「エーテル財団にも来ていたが、その時はククイ博士と一緒だったな」
「ふーんエーテル財団にはなにしに来たの?」
「別に、各地の保護活動について見学に来ただけだった。ザオボーは出払ってたからな、俺が対応した」
「グラジオも偉いよねー、ちゃんとそうやって仕事してさー」
偉いとかそういう問題じゃないと照れ隠しで叫ぶ少年に、この写真リーリエも見たかなーと能天気にハウは続ける。
「新聞で見たみたいだよ、すごくびっくりしたみたいですぐ連絡があったよ」
結果的にその三人は絵になるよね、すごく綺麗だよで終わっていた。
「あの男がこのような穏やかな一面を持っていたとは、少々意外じゃったのう」
「どんな人間にだって、心穏やかに過ごす時間があるものだよ。彼の場合は、むしタイプのポケモンとの触れあいがそうだったんじゃないかい?」
「確かにグズマは昔からむしタイプのトレーナーですが、なんというか、こういう場で予想できる反応と少し違う気はしますな」
幼い頃と比較していいものかと続けるハラさんに、ライチは気になるじゃないかと続ける。
「いや、無邪気に喜ぶ顔であるならば納得できたのですが、どうも憂いを感じる表情ですからな。何か思うところがあるのかと」
「それだけ、大人になったってことなんじゃないのかい?いつまでも虫好きな少年ってわけじゃあるまいし」
「それもそうですが、しかし」
「笑っておるのに悲しげというのは、なんとも面妖なことではあるのう」
「だからこそ受賞できたんでしょ、この賞。まあいい写真じゃない、綺麗だ最高だって元スカル団の連中もやけに騒いでたしな」
「確かに喜ばしいことではありますが、いかんせん困ることもありましてな」
この写真が出てから、メレメレ島の観光客は増える一方らしく、対応に困っているという。
島としては観光客誘致に一役買ってくれているので助かるが「次の羽化のタイミングはいつか?」という電話が鳴りやまないらしい。
「バタフリーの集団羽化については昔から島の住人には知られておりましたが、何がきっかけなのか、詳しい時期などについてはまだ研究段階でしてな。ホクラニ天文台との協力により天体の周期が関わっていることはわかったものの、正確な日時を割り出すにはまだ判断材料が足りず……」
とにかく詳しいことは今後の研究にゆだねられているらしく、島の観光協会の方もそう説明するしかないとのこと。
「野生のポケモンの前に人が大勢で押し寄せるのも、あまりいただけません」
「確かにそれはあるね。静かな環境でないと今後の生態系に問題が出そうだ」
渋い顔をするハラさんにライチが同意する。これは一時的な起爆剤にはなるが、島のことを考えて観光資源として長続きさせるには、それなりの努力が必要そうだね。
「いっそ、グズマに観光案内でも頼んでみたらどうだい?」
「クチナシ殿、あやつがそのようなことを快諾するとお思いで?」
「まあしないだろうね、でも本人はどう思ってるか知らないけど、今はどこでも注目の的でしょ。バトルツリーやリーグも観客席の設置やら、中継チャンネル設置を検討してるらしいじゃないの」
結果的にアローラ全体が盛り上がるようになればそれで良しと、島キング・島クイーンの会合は終わった。
「黄金のワルツでのグズマくんは、本当に慈愛に満ちた優しい顔をしてて、見てるこちらが幸せになるよ」
「僕からすれば、あれは泣き出す一歩手前にしか見えないぜ。もの悲しいというか、見ていて胸が痛くなるね」
完全に意見が割れている二人の研究者を見つめ、溜息を吐く。
「そんなことで、マリエシティのど真ん中で大喧嘩するのやめてくれない?二人ともいい御身分の大人でしょうが」
お陰で買い出しに来たら通報受けちゃったじゃないのと言えば、二人はすみませんと頭を下げる。まあそこは反省してもらわないと困る。
ククイとマーレインによる口論はポケモンバトルから、あわや場外乱闘騒ぎにもつれこむところだったのだ。こいつ等は研究に没頭するあまり、常識をどこかに置いて来たんじゃないかとたまに思う。
「っていうかね、おたく等はこれを撮影した時現場に立ち会ったんじゃなかったのかい?」
今日発行された新聞を手に聞く。一面に掲載されてから二日後、文化面に特集として大きく取り上げられたのだ。
メレメレの花園で行われるバタフリーの集団羽化、月の満ち欠けや星の位置など過去の事例を調べてみると共通項がみつかって、それと同じ条件が揃ったのが半年前。
それはビオラという女性がこちらに滞在していた時期であり、折角なのだからアローラの不思議を見てもらいたいと彼女を連れて羽化の現場を観察しに行き、そこで撮影されたものだとハラさんから聞いていた。
グズマがあの場に居合わせたのは、ククイから進化当日までの経過観察に協力するよう頼まれたからだった。
むしポケモンに詳しい者でなければ、進化前で気が張った野生ポケモンの観察などできるわけもなく、グズマ自身もそういう事情ならばと断らなかったそうだ。
ついでに花園に近づく外敵の鳥ポケモンの駆除も、自ら引き受けていたという。
島を荒らすならず者から、大分と進化したもんだ。
目の前の研究者二人は勿論その現場に立ち会っており、グズマも二週間にわたる仕事の集大成としてその場にいた。
「確かに居たんですけどね。僕等も仕事で行ってたので、観察データをまとめるのに手いっぱいで」
「羽化した個体の数の計測とか、時刻とか細かく記録してたからね」
「ふーん、それでグズマのことは見てなかったと?」
「いえ見てなかったわけじゃないんですよ?いくらなんでも野生のポケモンの前に出て……見てる方はひやひやものですし」
「警戒されてしびれごなでも受けたら、即刻病院行きですからね。まあでもお陰で貴重なデータも取れたわけだけど」
それでも、あの表情は見逃したらしい。
仕方ないと言われればそうだ。何十っていう個体が進化して飛び立つ花園の、ど真ん中にあいつは居たのだ。カメラ使って抜いたからこそ表情を捉えられたのであって、目視で捉えるには難しかったんだろう。
「とはいえ、それで喧嘩ってバカか」
「申し訳ありません」
「本当にすみません」
この写真について揉め事を起こすのはアローラにとってよくないと言い含め、ククイの方はバーネット博士に身柄を引き渡し、マーレインの方は俺が天文台まで送り届けた。
ここ最近の出来事だけ挙げても、微笑ましいことから思わず頭を抱えそうになることまで様々だ。
インタビューではバカンスで訪れたアローラの島々の魅力について語る女性と、その笑顔の写真が掲載されている。
― 「黄金のワルツ」の撮影についておうかがいしたいのですが、集団羽化については事前にご存知だったんですか? ―
「いえ、現地で初めて知りました。今回の撮影にあたってはアローラの方々にたくさんご協力をいただいたのですが、ククイ博士の元を訪ねた際に羽化の話をうかがいまして、ポケモンを刺激しないという条件で立会を許可していただいたんです」
― 幸運が重なった形で撮影されたものだったんですね ―
「島には昔から伝わっていたそうですが、集団羽化が起きる条件や時期などは不明だそうで、現在も研究している最中だそうです。だから本当に幸運だったとしか言えませんね」
― モデルの人物についてうかがいたいのですが ―
「アローラのトレーナーでグズマさんという方です。むしタイプのトレーナーとして、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。私もアローラリーグのエキシビジョンマッチの際に、彼のバトルを見て知りましたから。
ククイ博士と羽化の共同研究されていたマーレインさんのお二人とは旧知の仲だそうで、むしタイプに詳しいので彼も研究に協力されていたんです」
― ククイ博士といえばポケモンの技の研究で有名ですが、進化の研究もされているんですね ―
「アローラは独自の生態系が形成されていますから、島に残るものはなんでも研究したいと仰っていました。好奇心の旺盛な素敵な方ですよ」
― 今回モデルとしてグズマさんを選ばれた理由は? ―
「特別にモデルをお願いしていたわけではないんです。羽化の瞬間を撮影していた際に、飛び立ったバタフリーが彼へ近づいて来て、そのまま輪の中へ彼を連れて行ってしまって」
― 野生のポケモンが自らですか? ―
「はい、それは博士も私も驚きました。羽化の直前の花園へ案内されたんですが、立ち入るのを思わずためらうくらい強い緊張に満ちていて、それはトランセルだった彼等から発せられている無言のプレッシャーだったんですよ。
グズマさんはその花園の中を日に何度も、経過観察のために確認していたそうです。彼等に過度なストレスを与えないようにアクセサリー類などは全て外して、足音もできるだけ立てないために靴を脱いで素足で中に入り、異常がないか確認するのを二週間近く毎日行っていたそうです」
― 二週間の間、毎日ですか?それだけ貴重な機会だったということでしょうか? ―
「トランセルの群れが現れてから、進化して空へ飛び立つまでの過程全てを観察できたのは今回が初めてだそうです。それだけに観察はできるだけストレスを与えない状態を保ちたかったとうかがっています。
昔から羽化の現象が始まると島の方は花園には立ち入らなくなるのですが、私も行ってみてわかりました。実際に観光に来られた方には島の方から注意がされていましたし、あのプレッシャーの中ではとても観光なんてできません。足を踏み入れるのをためらうくらい強く外敵に反応するんです。
その中を二週間、経過観察を続けるというのは並大抵の忍耐では不可能でしょう。でもそれを彼は続けて来て、彼等からは外敵ではないと認識されていたのかもしれません。こればかりは研究者ではない私にはわかりかねますが、彼が敵意を持たれていなかったこと、群れにとって迎え入れられる存在であったということは間違いないかと思います」
― 彼の表情について様々な意見がありますが、ビオラさんから見てあの微笑みはなにを表しているものでしょうか? ―
「喜びなのか悲しみなのか、発表後にかなり反響がありました。ただ全て見る方に委ねようと思っています。あの表情を生み出したのは私ではありません、全て自然との成り行きの中で出逢えたものです。
正直に言うと私自身も彼の見せたこの表情が何に由来するのかわかりません、だからこそ撮るべきだと思いました。
後で怒られたんですけどね、こんな恥ずかしい写真撮るなって」
― えっ、怒られたんですか? ―
「彼には写真のモデルを最初断られてしまって、バトル中の写真についてはOKをいただいていたんですけど、それ以外は中々……。
黄金のワルツについても、撮影が終わってから確認して許可をいただいたものなんです。私がカメラを構えていたのは知っていましたし、本人は折角の撮影チャンスを潰したのではないかと謝っていたくらいです。
賞をいただいた際にも連絡したんですが、とても驚いていましたよ……」
そこまで読み進めたところで、交番のドアが開けられた。入って来た人物を見ると、フードを目深に被り普段は頭に乗せているサングラスをかけている。
「よう、最近人気者らしいじゃねえか」
「全然嬉しくねえ」
むしろ迷惑だと唸ると被っていたフードを取り、サングラスも外してどっかりとソファに座り込んだ。大きく息を吐くグズマは、俺が持っていた雑誌に目をやると、あんたもかよと項垂れた。
ここまで来るのにも島を出歩こうものなら、色んな視線と噂話が交わされて、時には声をかけられてを繰り返してきて、かなり疲れたという。
「いいじゃないの、注目されんのは悪くないだろ?」
「恥ずかしいっつーの。つか色んなところで質問責めされるし、酷い奴だと勝手に写真撮るし、結構迷惑してんだけど」
「肖像権侵害で訴えてみな、間違いなく勝てるぞ」
「んなかったるいことしてすぐにやめるか?裁判も面倒だしな」
ビオラにも悪いからやらねえよと、例の写真家のねえちゃんを引き合いに出す。元凶はあの写真だが、相手を恨んでいるわけではないらしい。
「意外だな、掲載やめてくれって言えばそれで済む話だろ」
「最終的に許可出しちまったからな。こんないかつい男の写真いいか?と思ったけど、なんでか評判いいしよ」
「そりゃあね、普段と別人みたいだもの。それに賞を与えたお偉いさん達は、おまえのことなんて知らないだろ?」
そこに映っているのは見知らぬ青年と、野生のポケモンが互いに距離を詰める一瞬の表情。
笑っているのか、泣いているのか。喜びか、悲しみか。そこから連想されるもの、芸術の精神だとか小難しいことはわからないけれども、見ている方になにかを強く訴えかけて揺さぶってくるだけの力がある。
とは言っても本人は割り切れねえもんがあるらしく、心底疲れた顔してる相手に飲み物を出してやろうと簡易のキッチンへ立つ。
手持無沙汰になったのが、買って来ていた雑誌をぺらぺらとめくっていた相手にエネココアの入ったマグを差し出すと、ありがとと小さく呟いて受け取る。
「あのねえちゃんと、連絡先交換してたんだな」
彼女のこれまでの活動について紹介しているページで止まっていたのを見て言うと、仕事の都合でどうしても連絡取りたいって言うからさと答える。
「写真を展示とか掲載する時には一人一人許可を取ってるんだってよ。なんつーか、地味で大変なことやってんだな」
「さっきも言ったけど、肖像権があるからね。許可なしに他人の映った写真をおいそれと使うのは、立派な法律違反なわけよ」
最初に写真を撮る時に許可を得れば、それで大丈夫だが万が一ってこともある。そこまで被写体に意識を配ってこそ、プロってやつなんじゃないのと言うと、そういうもんなんだなと力なく返ってきた。
雑誌を取り上げて勝手にめくられたページを戻して、インタビュー記事の冒頭に戻る。
黄色が鮮やかな花畑の写真はどこで見ても輝いて映る、が当のモデル本人は顔を染めてうつむきがちに視線を逸らした。
「この写真について聞かれた時、おまえどう答えてるんだ?」
写真が掲載されたページを見せると、だからやめろって言ってるだろと少し苛立った声で言う。
「花園への行き道くらいは教えてやるけど、それ以外の質問は全部NOって答えてる。喜びの顔なのかもNOだし、悲しみなのかもNOだ」
ニッと歯を見せて悪戯っぽく笑う。
答えが出ないことの方が魅力的だろうと、誰に言われたのか自分で思ったのか不明だが、とかく彼はその議論をぶち壊すよりもかき乱すことを選んだようだ。
実際にそれは正しいだろう。興味をそそられるからこそ、答えを与えず秘密にした方が気になるってもんだ。
「そういや、ククイさんとマーレインさんがこれで喧嘩して、おっさんが仲裁したって話マジ?」
「おーそれがね、嘘であってほしいけど本当なんだわ。誰から聞いたの?」
「プルメリだよ。マーレインさんとこに用があって行ったら、丁度あんたが帰った後だったらしい」
すっげー笑ってたぞあいつと言う相手は、よほどおかしかったのか今度は屈託なく笑った。
確かにあれはバカだった、子供の方がずっとまともな結論に至っていたというのに、いい大人がなにやってるかねえ。
そんな世間話をしばらく交わしてから、雑誌に目を落とした相手は少し黙りこんでなあと声をかけてきた。
「おっさんはさ、これどういう風に見えてるんだ?」
伏し目がちにそうたずねる相手に、俺か?と聞くと無言でうなずく。
今までこの質問に関して、自分自身は適当にはぐらかしてはっきりと答えたことはない。それを言うのはためらわれ、同時に癪であり、こんなおっさんが言うには気恥ずかしく、彼の立場を危うくするものだった。
だが最初に抱いた答えを、それ以外は持っていない解答を、こいつには言ってもいいだろう。なんせ当人なんだからな。
「おまえが、初めて愛してるって言った時の顔だ」
最初に見た時から気づいていた。
今にも泣きそうな、それでいながら顔だけは綺麗に微笑んで、普段の荒々しさなんてなく、静かに穏やかに、震えながらそれでもはっきりと言った。
「クチナシさん、俺あんたのこと好きだ……愛してる。そういう意味で」
それだけ言いたかったんだと、彼は言い切ってからゆっくり息を吐いた。
「優しい顔してる」
そりゃそうだ、目の前に愛する人がいれば。
「孤独を心に秘めた顔」
今まで何度となく人から拒否されたこいつは、その想いを受け入れられないと覚悟していた。
「優しいけど、どこか寂しそう」
その通りだ、フラれることしか想定していなかったんだから。
「無邪気な顔ではなく、憂いを帯びた顔」
無邪気に好きだって気持ちをストレートにぶつけられるほど、こいつは子供ではなくなった。
「それだけ大人になったことだろう」
いや、関係が壊れることを想定しながら、気持ちを飼い殺すほどに狡い大人にはなっていない。
「笑っているのに悲しそう」
それは別に不思議じゃない、自分が破壊したものの重さを言ったそばから後悔していた。
「慈愛に満ちた優しい顔」
当たり前だ、目の前に愛する人がいれば。
「泣き出す一歩手前で、見ていて胸が痛くなるね」
当たり前だ、今からその愛する人に拒絶されるなら。
「あの表情を生み出したのは私ではありません」
そうだ、元は俺が生み出した顔だ。
「正直に言うと私自身も彼の見せたこの表情が何に由来するのかわかりません、だからこそ今、撮るべきだと思いました」
本当は誰にも見せたくなかった。自分だけが知っていればいいと思っていた。だがこうなった以上は仕方ない。一度公開されて広まったものを、今更消すのは不可能だろう。
それに愉快で仕方なかった、彼の見せたあの表情についての回答を人から聞いているのが。誰もその真の理由に辿り着けないのを見ているのは。完全に間違っていない、でも誰も正解を出せないのを見ているのは酷く優越感を覚えた。
俺は知っている、愛してると言った後に続いた切実で健気な訴えを。
受け入れられなくてもいい、ただ知って欲しかっただけで、これ以上隠すのが辛かっただけだと。できれば嫌いにならないで欲しい、今まで通りにそばにいさせてくれればそれを許してくれるなら、もう充分だと。
それ以上は求めないなんて、らしくないことを言いやがって。
逃げようとした手を捕まえて、相手を引き留めた。
「バカ」
逃げようとする相手を振り向かせ、一言そう告げると涙を浮かべた目を大きく見開く。愕然として青くなる顔色に、溜息を一つついて今にもこぼれ落ちそうなその顔を両手で包み込んで引き寄せた。
「言うだけ言って満足するんじゃねえよ。俺もおまえが好きなんだ。てめえで勝手に終わらせて失恋なんか許さねえぞ、グズマ」
これから一緒にいよう、そうはっきり告げると彼は目を大きく見開いて、その目から大粒の涙がこぼれ落ちていった。
顔をくしゃくしゃに歪めて、それでも泣き出した彼はなんとも言えずに美しかった。泣いているのに喜んでいる、先程と打って変わって感情を溢れるままに体で表現して。抱き締めてやれば、背中へと手を伸ばし強い力で抱き返された。
長い間、蛹のまま固まっていた「愛されたい」という欲望が殻を破って羽を広げ、目の前で一つ成長していくのを見た。
手元の雑誌のページを眺める。今まさに空へ飛び立とうとしているバタフリーは、あの日のグズマにそのまま重なる。二度と目指せないと思っていた空へ漕ぎ出したあの瞬間を、自然と重ねてしまっていたのではないか。少なくとも、これから恋をして相手をみつける旅に出る彼等にあの日を思い出していたのか。
思わず頰が釣り上がる。
「なに笑ってんだよ、気持ち悪い」
「失礼な奴だねえ。せっかくいい思い出に浸ってたってのに」
あの時のおまえ可愛かったぞと言うと、だからもうやめろと顔を真っ赤に染めて叫ぶ。
その反応が面白いんだけど、わかってないんだろうねえ。本当にからかい甲斐のある、可愛い奴だよ。
「ところでどうなの、おじさんの回答は合ってたわけ?」
たずねれば目を逸らし、しばらく黙りこんでいたが小声で「NO」と呟いた。
いや、ポケモン……手を出すつもりなかったのに、グズマくんが好み過ぎたんです
2017年11月30日 pixivより再掲