恋人たちの日に
放課後の家庭科室から賑やかな声が響いているので、一体どうしたのだろうと様子を見ると、女子生徒が集まってお菓子作りをしている。監督しているのはサワロ先生なので、なにかのイベントなのだろうとは思うのですが。
「おや、ハッサク先生」
なにかご用ですかなと聞かれて、いや随分と賑やかなので気になってしまいましてと返すと、それなら丁度よかったと中へどうぞと促される。
「丁度いいとは?」
「実はバレンタインに向けて、お菓子教室をしていたのですが」
ラッピングにもこだわりたいという話になったものの、なにぶんクラフトは門外漢ですので、なにかアイディアがあればご教授願いたくと言われて、なるほどそういうことですかと納得する。
「リボンの作りかたや、簡単なラッピング梱包のやり方でいいでしょうか?」
お願いしますという声に、それでは簡単な物から手が凝っているものまで、多少は教えられますよと答えて、オーブンの焼き時間の合間にリボンと梱包材を使っていくつか話す。
「先生すっごい器用」
「これでも美術の先生ですからね」
急なお願いではあったものの多少の心得くらいはあるものだ、なにか質問はありますかと聞けば、はいと元気な声で手が挙がる。
「先生が貰ってびっくりした、バレンタインのプレゼントってありますか?」
「えっと」
気になると同調する声に弱ったなと苦笑してしまうものの、しばらく考えてから、驚くというのなら毎年そうですねと答える。
「どういうことですか?」
「知り合いに器用な人がいまして、贈ってくださる物が凝っているもので」
どんなのと興味と好奇心をくすぐられたらしい少女たちに囲まれると、これは白状しなければと腹を括る。
「チョコレートでできた薔薇の花だったり、掌サイズのドラゴンの彫像であったり、等身大のフカマル先輩を作られたり」
色々と工夫を凝らしてくれるもので、毎年のように驚かされていますよと返すと、わあと歓声があがる。
「確かに器用な人ですな」
「そうでしょう、花束に見せかけてチョコレートだったときもありまして」
そんなことできるんですかという質問に、製菓用のプラスチックチョコレートであればできるでしょうな、しかしお相手は本職のパティシエのかたですかと聞かれ、いえ手先が器用で凝り性なんですよと苦笑気味に返す。
「食べるのもったいないんじゃないですか?」
「そうなんですそれで毎年困ってしまうので、皆さんも一生懸命なのは素晴らしいんですが、程々にしてくださいですよ」
はいという明るい声に笑い声に、思春期どもと呼ぶ恋人の苦笑いを思い出す、こんな話で彼女たちの参考になるかは不明ですけれども、まあ暇潰しには丁度いい会話だったらしく、焼きあがりを告げるアラームと共に甘い香りを閉じこめていたオーブンを開ける。
「上手くいきましたな」
使用するチョコレートで甘さは調整できるので、相手の好みに合わせることを考えて欲しい、ダークが好きだという人もスイートが好みだという人も、それぞれ一定数いるものだからと。
「本日はありがとうございました」
「いえいえ、小生でお役に立ったならよかったですよ」
よければお裾分けですと、切り分けてもらったガトーショコラをいただき、ありがとうございますと声を返す。
「評判がよさそうなので、よければ次回も参加いただきたいのですが」
「まだ開かれるのですか?」
オーブンを使うメニューは難しいので早めに予定を組んだが、反対にあまり火を使わない簡単なレシピも用意しているのだとか、料理は愛情とはいえ自分にできる精一杯の難易度で作るのも、また大事ですからと言うので、下手に難しい物で失敗しても悲しくなりますからねと返す。
「次回はキハダ先生も参加されるので、できれば我輩の他に器用なかたがそばについて居てほしい、というのもあります」
彼女の料理は確か、とても豪快だと聞きましたが、それで済めばいいものですがとやけに困った顔でつぶやくので、それほどなのですかと小声で聞き返す。
「一度、サンドイッチを作りに来たときは、キッチンで暴れているようにしか見えず」
「サンドイッチですよね?」
どんなに手を凝らしても、おそらくパンを焼いたり味つけの調味料を塗ったり、具材を挟むくらいしか工程がないと思うのですが、一体なにがあったのでしょう。ともかく彼が匙を投げかけているということは、次回は難易度の割に苦労は覚悟されているということ。
「小生でいいのなら、お手伝いしますですよ」
「ありがとうございます」
「また安請け合いしたのか」
「そういうわけでは」
夕飯後にコーヒーと一緒に出したガトーショコラを前に、放課後の話をしたら、浮ついた思春期どもの相手は大変だろうと笑われる。
「しかし、そういう要望にも応える教師は偉いな」
ワタシはすぐに対応はできんと言うので、コルさんは一つのことでも凝りますからねと返す。
「そうか?」
「毎年いただくチョコレート、いつも細部までこだわっているでしょう」
「造形物だからな、始めると妥協を許せなくなってしまうんだ」
正直なところ、パルデア一番のアーティストの手がけた彫像だと思うと、食べることすらも罪深く思えるのですが、食品なんだから遠慮せずに食べればいいだろうと笑われてしまう。
「実際に食べるときに、ものすごく苦心するんですよ」
しばらくは飾っておけるものの、傷んでくることも考えて結局は食べないといけないですし、生き物は胸に来るのでやめてくださいとお願いしたくらいだ。
「所詮はチョコレートだろう、あんまり気にせずいけばいい」
「そうできないから困るのです」
繊細な作りをしているので、少しでも欠けるとなんだか悪いことをしてしまったように思うのだ。
「今年もまた考えているんですか?」
「恒例になってしまったからな」
なんやかんやと予定に入れていると答えられて、律儀というのならコルさんもそうではと指摘すれば、納期があるとなんだかやる気があがるのだ、これは職業病に近いものだろうな言う。
「負担になってはいませんか?」
「好きでやっていることだ、気にするな」
気にしますよ、あなたのお時間を過分にいただいているのですからと反論すれば、そうやっていい反応をするから面白くなってしまうのだと、余計に笑われてしまう。
「それとも、いい加減に手作りは飽きたか?」
「そんなわけないじゃないですか!」
なら大人しく今年も受け取ってくれ、そもそも他人から一番乗りを奪われたのかと、少し焦ったくらいだと切り分けたケーキをフォークに刺して、こちらへと差し出してくる。
「小生のために作ってもらった物ではないですよ」
「それであっても、だ」
ワタシが一番だと言ってくれるために頑張っている、それは評価してくれないのかと少し拗ねた口調で言われると、ぐうの音も出ないのが本心ではあります。
「敵いませんね、本当に」
いただきますよと、差し出されたフォークの先にあるお菓子を口に入れる。ビターチョコレートの甘すぎない味と、砕いた胡桃の食感が心地いい。普段の料理とはまた違い、工程が大事だとサワロ先生は教えてくださった。せっかくの学びの場です、小生も新たな学びを得ることも必要でしょう。
「コルさんは今年も、ファンのかたからの受け取りは拒否されるので?」
「当たり前だろう、医者に怒られるしな」
ジムのスタッフたちの業務を圧迫する、他のジムリーダー、特にリップやライムさんナンジャモはメディア露出も多い、グルーシャは現役時代からのファンも根強くいるため、プレゼントに関わるトラブルが年に何件か起きる。反対にカエデやハイダイさんは職業柄バレンタイン付近は店の仕事が忙しく、そういった対応ができない。自分のところはまだマシなほうだとコルさんは言う。
「アオキからはそのような話、聞きませんね」
「ジムリーダー以前に、リーグ運営という立場があるからな、業務に差し支えが出るかもしれないと彼も断っているそうだ」
あれでしっかりしているし、心配は無用だよと笑うのでそうであればいいのですがと返す。
「唯一、チャンプル食堂の店主からは受け取っているそうだが、常連客としてだし大目に見てやってくれ」
「まあ全てを断るわけにはいきませんからね」
そうなると、小生だってこうしてジムリーダーから受け取っているわけで、問題視されてもおかしくないわけですし。
「おかしなものだな、こんな小さなイベントに人はどうしてこう振り回されるのか」
「あながち馬鹿にできないものですよ」
そうかと軽い口調で流す相手に少し溜息を吐くものの、これならば心配無用かと考え直す。
お菓子作りは正しい軽量と温度管理が大事だという、ほんの少しのミスで膨らまない、固まらない、反対に焼きすぎるなんてことも多く発生するため、できるなら一度で完成を目指すよりも事前に練習をしておいたほうがいいという。
溶かして固めるだけだろうと、楽観的だったキハダ先生が溶かす段階でチョコレートを焦がしたので、いい意味で真面目に取り組んでくれる生徒が多かったとのことですが、人に渡す物で失敗するわけにはいきません。
「しかし、難しいものですね」
フカと小さく声をあげる先輩に、急激にするものではなかったかもしれないと、思ったよりも萎んだケーキを前に、生焼けではなかったので切って味見はしてみると、味はそれほど問題ではなかった、となればあとは見た目の問題ですか。美味しく食べられることが大事とはいえ、自分が見た目を疎かにするわけにもいかない。
「買い出しに行きましょうか」
ついて来てくれますかと聞けば、味見をしていたフカマル先輩が一言返事をくれるので出かける準備をする。ついでに自宅の冷蔵庫の中も確認して、足りない物がないかメモを取っておく。
週末の市場は人で賑わっている、製菓素材の場所は特に人混みが多い、カエデさんが監修したお菓子のレシピなども配布されているので、より人が集まっているのはあるのでしょう、アカデミーの生徒の姿もちらほら見られるので、小生に気づいた人は挨拶をしてくれる。
「あっ、ハッサク先生」
こんにちはと言うアオイくんに、こんにちはですよと返すと、先生もお菓子作るんですかと質問される。
「ええ、毎年くださるかたに、たまには小生から渡してみようかと」
でも中々に難しいですねと言えば、先生でも失敗するんですかと聞かれて、お恥ずかしながらちゃんとしたお菓子を作るのはほとんど初めてに近くて、失敗続きですよと答える。
「ホットケーキくらいは焼いたりするんですが、その程度ですね」
アオイくんも誰かにプレゼントですかと聞けば、友達にと控えめに答えてくれるので、きっと喜んでもらえますよと言う。
「でも失敗続きで」
料理あんまり得意じゃなくてと自信なくつぶやくチャンピオンに、誰にでも得意なことと不得意なことがありますし、あまり気負いすぎないことも大事だと思いますよと返すも、どうも思うところがあるらしく表情は浮かないままだ。
「気持ちで嬉しいって言われるより、本当に美味しいって思ってほしくて」
「それは素晴らしい心がけですが、無理してはいけませんよ」
失敗が続くとどうも心がやられてきますからねと言えば、先生でもそうなんですかと正面から聞かれるので、誰でもそうだと思いますよと苦笑混じりに返す。
「相手が喜んでくれることと、自分の満足はまた別なのはわかっているんですが」
それでも納得できる一番を贈りたい、そのバランスは難しいところですけれど、決して無理はしないように気をつけてくださいね。
「刃物を使ったり、火を使ったりして怪我をしてはいけませんからね」
「はい」
買い物カゴの中身も沢山あるところをみると、彼女は最後まで頑張るのでしょう、自分も負けてはいられないですね。
「ではまた学校で」
フカマル先輩にもまたねと挨拶してくれた彼女と別れ、ラッピングコーナーを少し見てから家路に着く、散歩も兼ねて隣をついて来てくれた先輩が花屋の店先で止まるので、どうしましたと声をかける。
小さな手で店頭に飾られた薔薇の花を指すので、なるほど確かに贈り物に花はつきものでしたと、中へ入ると色とりどりの店内から目を引く物を選んで小さくはあるものの、アレンジを作っていただく。
「フカっ!」
店先から持ってきたらしいオレンジ色の薔薇を一輪差し出される、これも必要ですかと聞けば、自信を持って頷かれるので一輪だけ別に分けて包んでもらうことにした。
「ポケモンさんのこと信じてるんですね」
「この子は絵心があるもので」
色のセンスがよくてそばに居てくれるとなにかと助かるんですよ、そうなんですかと花屋の店員は笑顔で応じ、包み終わった花を渡してくれるので自分のかわりに受け取ってくれた先輩と、一緒に家へと帰った。
「すまんなハッさん、呼びたてしてしまって」
「いいえ、随分と集中されていたようで」
興が乗ってしまうとどうもダメだと笑う相手に、そんなに全力をかけたとはと困りつつも、家にあがると少し冷えたリビングの中央に、今年のチョコレートが並べられていた。
「これは、また素晴らしい!」
そうだろうと自信を持って言うとおり、目の前にあるのはドラゴンテラスタルの彫像である、バランスを取るのが非常に難しかったがなんとか作りあげたぞ、ギリギリになってしまったがなと言う彼に、ずいぶんと無理をされたのではとたずねると、そうでもないさと笑顔で返される。
「運ぶことができないから、呼び出してしまったわけだが」
「いえ、本当に貰ってしまっていいんですか?」
そのために用意したんだから食べてもらわないと困ると言う彼に、それでもこれは流石に心が折れますよ、生き物ではないにしても顔があるものですし、バトルで砕ける姿を思い出してしまって。
「誰でも、これの前で写真を撮るとドラゴンタイプになれるぞ」
いわゆる映えというものを意識してみた、ナンジャモ嬢がこういう物がトレンドだと前に話していたからなと言うけれど、完成度が高いほど破壊することを躊躇ってしまうのですと、ため息混じりに返す。
「ですので、今夜はこちらを楽しみませんか?」
手に提げてきた荷物から、アレンジメントと綺麗にラッピングした包みを取り出すと、驚いたように目を丸くする。
「小生もアカデミーでお菓子作りを勉強しまして、コルさんほどは見た目には凝っていませんけれど、味は保証します」
「驚いたな」
ありがとうと言うと同時に抱きつかれるので、両手が塞がったままなんとか受け止めると、頬に軽くキスをしてからなにか温かい物でも淹れようかと言う。
「小生がしますよ、お疲れでしょう?」
試作で味見を続けたので、合う飲み物は心得ておりますと返せば、では任せようと離れてくれる。
「少し横になって休んでくださってもいいんですよ」
こんなにはしゃいでいるということは、さては寝る間も惜しんで作業しましたねと指摘したら、誤魔化しはきかないかと苦い顔でつぶやく。
「ではお言葉に甘えて少し休む」
「そうしてください」
彼の家のキッチンも慣れたものだ、週に何度かは足を運んで共に料理を作ることもある、コーヒーはやめてお茶にしましょう、できればノンカフェインのハーブティーがいいと棚を探せば、すぐに目的の物はみつかった。
リビングでは小生の連れてきたポケモンたちと、コルさんの仲間たちがそれぞれチョコレートの彫像の前でポーズを取っている、あとで写真を撮ろうと心に決めてお湯を沸かしお茶の用意を進め、二人分のケーキを切り分けて、彼の皿にはオレンジの薔薇を盛りつけ、みんなが待つ部屋へと戻る。
「いい香りだ」
「あなたが作る物と比べると、平凡ですけれど」
「なにを言う、素晴らしい出来じゃないか」
店に出しても遜色ないぞと手放しに褒めてくれるので、それは食べてから決めてくださいと、この前とは反対にこちらからフォークを差し出す。それもそうだと小さな一口でケーキを食べると、目元が少し緩む。
「ダークチョコレートだな」
「甘すぎるものよりも、落ち着くかと」
そうだなこの間はスイートだった、こっちのほうがワタシ好みだと言う相手に、もちろん承知のうえですよと内心ほっとしながら答える。
「オレンジの薔薇はフカマル先輩が選んでくれました」
「素晴らしい選択だ」
絆や情熱といった花言葉がある、我々を実によく著していると花を取りあげて笑うので、これからもそうであってほしいですとつぶやく。
「あなたが口にするチョコレートは、小生の物だけで結構です」
「心配しなくても、これ以外に食べる予定はないさ」
他の誰からも受け取らない、そういう約束をしないと溢れかえってしまうからな、そんなに多くは受け止めきれないから、ただ一つだけで充分だ。
「その一つが大きすぎるときはどうすれば」
「みんなで食べればいい」
あの子たちが手伝ってくれる、なんなら破壊するのもとつけ加えるので、今はまだ楽しんでいるのを邪魔できませんし、あの姿をカメラに収めておきたいですと言えば、それもそうだなと隣で笑う明るい声が響いた。
後日、今年のチョコレートはどんなの貰ったのですかという質問に、こちらですよと彫像と一緒に映ったフカマル先輩を見せたところ、これはやはりプロの手仕事ではとサワロ先生か、今まで見たことないくらいに驚かれてしまった。
バレンタイン当日に頑張ってあげたのに、Twitterがシャドウバンくらったので遅刻気味になってしまった話です。
2023-02-14 Twitterより再掲