おいしい匂い
コルさんからはいつもいい匂いがする。
それは身だしなみとしてつけている、上品な香水であったり、手入れしている草花の移り香、草ポケモンの花の蜜、お気に入りの紅茶やハーブティーと、内容も様々だ。
だがその全てに共通しているのは、彼の香りだと意識させられるなにかがあるということ。
キッチンに立って鍋の中身をかき混ぜている、その様子をソワソワした気分で見つめると、そんなに気になるのかと手招きされる。
「マーマーレードを作っているんですよね?」
「ああ、一箱も貰ってしまってな、流石に一人で食べ切るのは無理だと諦めた」
これなら生で食べるより日持ちもするからなと、焦がさないように中身を混ぜると煙に混じってシトラスの爽やかな香りが鼻をくすぐる、かき混ぜる鍋の中で鮮やかなオレンジ色が泡を立てて煮立っている。
「味見してみるか?」
少し中身を取り分けると、まだ熱いから気をつけて味見しろとスプーンを渡される。
「ありがとうございます」
忠告通りまだ湯気の立つジャムを、少し吹いて冷ましてから口に入れると程よい酸味とオレンジの甘さが広がる、それと同時にどこかでコルさんの匂いだと感じて、舌先からじわりと唾が滲み出てくる。
「どうだ?」
「とても美味しいです」
そんなに褒めるものでもないだろうと、スプーンを取りあげると再び中身を少しだけ取り分けて、今度は自分の口元へと湯気の立つそれを持っていき、何度か息を吹きかけて冷ますと味を確認する。
薄い唇の端から覗いた赤い舌が、自分には口にしたジャムよりも甘そうに見えてしまう。
想像どおりの出来だと自信満々に言うと、そろそろいいかと鍋の火を止め、ドロッとした中身を掬って瓶の中へ移していく、鍋の中では少しくすんで見えたものの瓶に入るともっと鮮やかな色が揺れる。
用意してあった瓶に六つ分注ぐと蓋を順に締めていき、よかったら一つ持って帰ってくれと言う。
「よろしいんですか?」
「日持ちするとはいえ、流石にこの量を一人で食べるのは苦だ」
ワタシは食が細いのは知っているだろう、手持ちのポケモンたちとサンドイッチを作ったとしても、消費しきるのはかなり苦労するのは間違いない、あの子たちも大食らいというわけでもないしな。
「ありがとうございます」
ウチのポケモンたちは対照的に大食らいだ、こういうお裾分けは本当にありがたい限りですと返すと、それはよかったと言いながら鍋肌に残ったジャムをスプーンで掬い取り、もう少し味見するかと聞かれる。
「それとも、他になにか期待しているのか?」
じっとこちらを真っ直ぐに見返すコルさんに、思わず声を詰まらせるものの、あれだけ熱烈に見られてて気づかないワタシじゃないぞと笑われてしまう。
「しかし、なにが引き金になったかはまったくわからん」
「すみません、いい匂いがしたので」
それで刺激されるのは食欲なんじゃないのか、と純粋に疑問をぶつけてくる相手に、そうでなくてとそろりと彼の首筋に手を伸ばす。
「なんでしょう、どことなくコルさんの匂いだなと思うと、どうも」
「なんだそれは」
確かにシトラス系の香水は持っているが、常につけているわけでもないぞと言うので、なんでしょうね果物ではなくてもう少し落ち着いて、でも甘くしっとりした美味しそうな、胸を締めつけられるくらいのいい匂いなんですよ。
「美味そうなのか?」
この細さだ、食いではないぞと笑ってみせるその首に顔を近づけて、舌を這わせるとびくりと肩が震える。
「ハッさん、あのっ」
続きをするには危ないぞと指摘されるも、彼を前にしてもう止められるものでもない、抵抗しようとした手を掴んで抑えこむとじゅっと音を立てて首に吸いつくと、小さく息を飲んで甘く鳴く。
腰を抱いて引き寄せて赤く染まった頬にキスを送れば、抵抗する意志を失ったのか、それとも乗り気になってくれたのか唇を尖らせて、こっちにはしないのかと聞かれる。薄く開いた口へキスをすればオレンジの風味が広がり、同時に彼の香りは強く甘く広がっていく。
いやなものではない、どちらかといえば好ましいとは思う、けれどもなにが元になっているのかわからない、この香りに引き寄せられる悪いものがいたりしないだろうかなんて、考えてしまったりするのだが。
「そうだな、目の前に一番危ないドラゴンがいるが」
「コルさん」
蜂を呼び寄せる花のように、あなたしか受け入れる気がないとワタシが言っているのだ、心配しなくともこんなに近くまで触れるのを許すのはハッさんだけだ、そう笑顔で返す相手に、もう少し危機感を持ってくださいと忠告する。
「ワタシを美味そうだなんて言う、酔狂な奴は心配せずともあなただけだ」
「違うかもしれませんよ」
同じように吸い寄せられる虫の心配は尽きない、だとしても口をつけるところまで許せるのはハッさんだけだよ、と彼は言う。熱烈に言い寄られたところで、その気がなければ近づくことすら許さない、それくらいの操は立てているつもりだが、それすらも信じてもらえないのかと聞かれてしまうと、返す言葉は流石にない。
独り占めするには大きすぎるのはわかっているのです、それでもあまりにも美味しそうなものを前に自制をかけている、いつも負けているような気がするけれども。
「そうだな、やはりキッチンでは行儀が悪いな」
「では移動しましょうか」
そう答えると同時に軽々と抱きあげれば、待て待てまだ片づけも済んでないと反抗されるものの、後で小生がしますからと押さえつけて連行する。
「まったく、仕方ない人だな」
言葉こそ呆れているようではあるものの、その表情は緩く微笑み特にいやがる素振りもない、こんなふうに全てを許されてしまうと心配になってしまうのに、拒絶されてしまったらまた傷ついてしまうだろう。
そんなことを考えつつ寝室まで連れて来た相手を、ベッドに下ろす合間に名前を呼ばれて、なんでしょうと聞き返すと明日の朝食は任せていいのかと聞かれる。
「ええはい、小生が用意しましょう」
なにか食べたい物でもあるんですかと聞けば、いいや全てあなたに任せると笑顔で返される。
「ワタシはな、ハッさんが朝食を作ってくれるときの匂いが好きだぞ」
「そうですか」
ではとびきり美味しい物を作りますねと、これから食べられる相手に最後の約束をした。
本当はコルサさんの体になにかを塗ったのを舐める話を書きたかったんですけど、二人とも食べ物でそういうことする印象がなかったもので……。
いつか年齢指定ものとしてリベンジします。
2023-01-06 Twitterより再掲