黙の声

「どうして、貴方はここにやって来たんですか?」


嘘っていうものが、とてつもなく気持ち悪い。


俺は極度に変わっていると思う。

それは、こうやって人と一緒に居ると常に感じてしまう事。
自分は人とは違う、とてつもない異常さを持ち合わせているんだ…って、嫌でも自覚させられる時って、ないかな?
俺はそれ、何時もだよ。

例えば、人と一緒に話をしていて、その人の前ではニコニコ笑って仲好くしているけれど、違う人の前ではその人を陰口を叩く、そんな奴とか。
自分がどうしても嫌いな相手の前でも、何故か笑って愛想よくしてる奴とか。
人ならば、そういう人間関係を円滑にする為の嘘、または偽善的な芝居も必要なんだ、っていうのが大多数の意見だろう。
だけど……。


俺はそういうのを見てると、鳥肌が立つ。


嘘っていうものが気持ち悪い、偽りってものに嫌悪感を感じる。
そんな特殊な体質、というのか…性格というのか…。
それが俺だ。
つまりは極端に、正直者だという事なんだろう。
だけど、それって良い事ではないんだ。

正直者は善人だと思われがちだが、実際それは嘘吐きな人間が考えた勝手なイメージでしかないと思う。

だって、本当に正直な人間は自分の思った事を隠す事がない。
感情も、表情も、言葉も、態度も、全部全部、相手を伺う事なんてしない。
だから、人との間で摩擦が起こるんだ。
人間関係は難しいから。
嘘も偽りも、人との関わりの中では酷く役に立つ代物なのだ、だって正直さを隠す事で、自分を良い人に見せられるんだから。

しかし、残念ながら…俺にはそれができない。

親にはずっと、「アンタには愛想ってものがない」と散々言われてきたけれど、しかし、愛想でも嘘で笑うよりは、つまらないのならつまらない、そんな風に示した方が自分の為であるように思うのだ。
これは、もしかしなくても、俺だけの歪んだ考え方なんだって事くらいは分かってる。
分かってるけど、俺はこれを直せないでいる。
だって…これが俺の性分だから。


「だから、俺はここに居るんでしょうね」
相手にそう返答すると、その人は納得したのか、それともしていないのか、複雑な表情で俺を見返した。
「ここは真実しか語れない場所ですから、だから、ここに居る限り、嘘なんて目にする事はないでしょう?
あと、元々読書が好きなんですよ…本は人の扱う言葉の中では、一番嘘が少ないと思ってますから。…間違いはあるみたいですけれど」
その人は、そう聞くとようやく納得してくれたらしく、俺の前から静かに立ち去った。
読書の邪魔をするのは悪いと、そう思ったのかもしれない。
そう思ってくれたのなら本当に良かった。あと少しで「邪魔だから、静かにしてくれ」って、言うところだったからだ。
正直者は辛い、と本当にこんな時は感じる。


ここは、真実を求めて人々が集まる図書館。
ここにあるのは、この世の真実の歴史を集めた蔵書。
それは、人知の及ばない本来の姿の、本来の歴史。
ここに住んでいるのは、人間だけではない。
この世界には、俺達では予測のできない多くのモノや、出来事で溢れかえっている。
それをこの一冊に取りまとめているのは、記録者達。
俺は、彼等を知っている。

「今日も来てくれているんですね、潮島(シオジマ)君」
コツコツと、大理石の床に革靴の底が当たる、静かな音とそんな言葉が俺の元へと届く。
「俺も、暇ですから」
それに、ここに来なければ精神の休まる場所がない。
「お仕事はいいんですか?文月さん」
「仕事中ですよ、勿論」
彼はそう言って微笑んだ、嘘っぽくない心からの笑顔、というのは、彼の笑顔の事を言うんだと俺は思っている。

文月シレンというのが、彼の名前だ。 淵に銀の刺繍が施された、黒い詰襟の制服の彼は、この図書館の司書であり、この蔵書を取りまとめている“記録者”という役職の人々の、最高責任者でもある。
どこか人間離れしている雰囲気は、嫌う人と好む人に二分されるらしい。
俺は間違いなく、後者である。

「記録者は何時も忙しいって、前にそう聞きましたけれど」
「正直、猫の手も借りたいくらいの忙しさですよ。歴史は、日々動きを見せ続けますからね」
そう言いながらも、彼は俺の向かいの席に座った。

記録者になる為には、いくつかの規則を守らなければならないらしい。
その中でも、絶対破ってはいけないとされているのは、何かに対して嘘をつく事。
彼等は一切嘘を吐けない、完全で完璧な真実の歴史を記録するには、それくらいの覚悟がなければ務まらないのだ。
だから、彼も嘘を吐かない。
俺が求めれば、彼はどんな歴史だって、嘘も何も挟まずに教えてくれる事だろう。

だけど、それは…実はとてつもなく怖い事。

自分が知りたくないことだって、彼等はそんな事を意に介さず、淡々と語り続けるのだ。
聞きたくない真実だって、また自分が語りたくない出来事だって、それが正しい形である以上は、彼等はきっと語る事だろう。
どんなに残酷で、恐ろしい事だって、その口で語るのだ。


求める者が、居る限り。


「君は、私に似ていますね」
初めて彼に出会った時、彼はまず俺にそう言った。
「全然、似てないと思いますよ」
自分のように異常な人間は、似通った者なんて居ない、俺はそう思っていたのだ。
だけど、彼はそれを否定した。
「少なくとも、自分には似ている」とそう言って笑った。
昔を懐かしむような、笑顔で。

「嘘が嫌いな所も、嘘を見るのが嫌でこんな所まで逃げてくるところも、昔の私にそっくりです」
それは良い事なのか、それとも、悪い事なのか…俺にはどうにも分からなかった。

俺の性分は、人の中で生きるにはどうしたって、生きていき難いものだ。
嘘を吐くなと言う癖に、愛想よくしろと怒る大人達に、どことなく虚しいような矛盾を感じた、そんな子供。
素直に従わず、自分の正しさを信じた子供。
融通の利かない、面倒な奴だと思われた事だろう。
実際そうなのだから、ハッキリそう言えばいいだろうに…なのに、どこか遠回りに注意しようとする大人に、俺はどこまでも冷めていった。

どうせ、悪いのは俺なんだろう?

「貴方は、何も悪くなんてないんですよ。ただ、正直過ぎるだけです」
そんな俺の心中を見透かしたように、彼はそう言った。
その瞬間に、俺はこの人が、自分に似ていると言った理由が分かった。
彼もきっと、苦しめられてきたのだ…周囲と自分の間にある、埋められない溝に。

その瞬間に感じたのは、好感。
そして、親近感。
こんなのは初めてだった。

だから、俺はここにやって来る、真実だけで溢れた世界で、自分の精神はようやく落ち着きを取り戻していく。


「何か、俺に聞きたい事があるんじゃないですか?」
相手の用件なんて、本当は何か分かっている、分かっているけれど…これは確認の為の行為だ。
すると、文月さんは穏やかに微笑んだまま「実は、この間のお返事が欲しいのです」と俺に告げた。


「記録者になりませんか?」
ある日、この図書館の常連になってしまった俺に、彼は唐突にそう告げた。
「君には、充分にその才能があります」
「…それは、俺が貴方に似てるからですか?」
「そうですね……それが一番大きいです」
自分に似ているなんて、普通の人間ではありえない。
人は善悪の二面性を持っている、嘘と真もその二面性の一つ。
どちらか片方にだけ偏った、そんな人間は滅多に居ない。
だから、俺には才能がある。
真実を語る才能がある。

「考えさせて下さい」
しばらく考えた後、俺は彼にそう返答した。


そして今、その返事を彼は待っている。


真実しか語らない、それはある種逃げ道を断つ行為なのだ。
何があろうとも、自分は今目の前で広げられている出来事から、目を背ける事はできないし、また嘘を吐くこともできない。
それが正しい姿なのならば、自分の感情なんて関係なく、その通りの事を話さなければいけない。
語らなければいけない。

それが俺にできるのか…。
俺が悩んでいたのは、その問題。

「文月さん…俺は、人と対面して話をするのが苦手なんです」
「知ってますよ、君は人から嘘を聞くのを極端に嫌っていますからね」
「だから、語り部としては失格です。本当は、誰にも何か言葉をかけるつもりなんて更々ないんですから」
「知ってますよ…だけど、人に語りかける方法は一つではないでしょう?例えばそう、文字にしてみるとかね」
君が読んでいる本のように、と彼は俺の持つ革張りの本を指す。
記録者達が綴った本だ。

「君が声を使わないというのならば、それはそれで構わないのです、むしろ我々が力を入れるべきなのは、その歴史を記録として残す行為なのですから」
彼は、そう言うと制服のポケットから何かを取り出した。
差し出されたのは、一本の万年筆。
彼の制服と同じ、黒地に銀の模様が美しいソレは、記録者達の愛用のものなのだろう。
「人に真実を伝える方法なんて、いくらでも存在しますから」
笑ってそう言う彼に、俺は小さく溜息を吐く。
「真顔で黙っているだけでも、本当にいいんですか?」
「勿論です。歓迎しますよ」
そう言って相変わらず笑顔のままの文月さんに、俺も少しだけ笑い返し、差し出されていた万年筆を受け取った。


そして、その日から僕は記録者としての修行を始める事になった。

嘘を吐かない、真実を隠蔽しない、それが記録者の絶対に守るべき規則。
そしてもう一つ、今までの自分の生活を捨てる事、それも記録者の中の規則になっている。
理由は簡単だ、自分の周りのしがらみに、何か影響されては困るからだ。

記録者になって与えられるものは三つ。
人外の能力と、記録者の制服、そして新しい名前。


「これからよろしくお願いします」
深々と頭を下げる文月さんに、俺もキッチリと礼を返す。
「黙(シジマ)ユヅキです、こちらこそよろしくお願いします」


そして、俺は自分が今まで見たこともなかった真実の姿を、この目で見る事になる。



後書き
記録者さんサイドの話を書きたくなった為に書いた話です、そして初の一話完結。
ユヅキの元の名前は、『潮島斎槻』と書いて、シオジマ ユヅキといいます。
名前を捨てると言いますが、基本的に下の名前は変わりません、でも、カタカナ表記になる理由は捨てたからです。

これから、どこかに彼を出演させようと目論んでます、人外の能力というのの細かい話はその時に。
まあ、こんなの書くなら、先に連載の続き書けって言われそうなんですが…すみません、長らく放ったままにしておいて。
2009/8/30


BACK