外の世界に、ずっと憧れていた…
世界は、私にとって途方もなく遠いものだ
私の世界というのは、何時も囲まれた部屋の中…
そこから覗く、外の世界は広大で、皆、その世界に夢中で誰も此方に見むきもしない
こんな所に居ては、誰も私には気付いてくれない
私の声は、小さく外には届かない…
だから、私は奏で続けた
ずっとずっと、誰かに気付いてほしくて
何時か、誰かが…私の唄を聞いてくれるその日を、夢見て
ホトトギスの唄
どんなに体調が悪くとも、ピアノの前には毎日座らなければ気が済まない。
これが無ければ死ぬというわけでもないだろう…と、家族は私にそう言うが、私にしたらこれは死活問題だ。
歌を忘れたカナリアは、海へ流されるというが…本当は流されるのではなく、自ら海へ身を投げるのだろう。
ホトトギスは、自分の喉から血が出るまで鳴き続けるのだと言う…そうまでしなければ、誰にも気付いてもらえないからだ。
そう私は思っている。
音楽を奏でる者にとって、演奏ができなくなるのは、それだけで自分の人生の終わりを表している。
演奏ができなくなってしまえば、私もきっと、死にたくなるに違いない…。
だから、自分の体が弱くても音楽だけは止められない。
まあ、それで誰かに影響があるのかと言われれば…そういうわけでもないのだろうが……。
演奏の手を止めて、楽譜に新たな書き込みを入れる。
どこか物悲しい旋律は、自分の気持ちを表したものだ。
誰かに気付いて欲しいという、小さな子供のような我儘が詰まった曲だ。
寂しさを紛らわせるのならば、他にいくらでも方法があるだろうに…。
そう人に言われても、私にはこうやってピアノを弾く位しか方法が思いつかない。
人に気付いて欲しいと思いつつ、自ら人の中に足を踏み入れる勇気を持てない、愚か者の小鳥。
籠の鳥は唄が上手いから閉じ込められたのではない、閉じ込められたから唄が上手くなったのだ。
唄が歌えなければ、誰にも見てもらえないから…。
これが、籠に飼われている者の性なのだろう…と、誰にも言う事のないであろう言い訳だけは用意している。
その時開いていた窓から吹く風が、楽譜を一枚飛ばした。
未完成の楽譜を拾い上げようとした時、開いていた窓から覗く庭の先に、誰かが立っていた。
「……っあ…」
それは、見知らぬ青年。
自分と同じ銀の髪を持ちながら、健康そうな褐色の肌の、陽の光が酷く似合う青年。
拾い上げた楽譜を戻し、再び演奏を続ける。
一度感じた視線というものに、人は敏感になれるらしい。
その少年から感じる視線、それは間違いなく演奏を続ける私に向けられたものだった。
私の演奏に、足を止めてくれていたんだろうか?
そう思うと、自分の中の何かが、大きく揺さぶられた。
ドクリと、高鳴る鼓動。
この気持ちが一体どういうものなのか、自分でもよく分からない。
よく分からないけれど、酷くいい気分だ。
しばらく感じていた彼の視線は、しかしずっとそこに留まってくれる訳ではなく…。
急ぐように、その場を立ち去った彼の方向を、私は演奏の手を止めて見送った。
「また…来てくれると、いいんだが…」
心の底から、そう強く思った。
だから、嬉しかった。
あれから、時々彼が私の家の前に足を運んでくれている事に、私は直ぐに気付いた。
私の事を、心に留めてくれている人物が居る。
それだけで、酷く心が躍るのは一体どうしてだろうか?
「誰なんだ?君は?」
私の事に気づいてくれた君は、一体何者なんだろう?
私の興味は、段々とその青年に向けられていった。
「音楽が好きなのか?」
ある日、遂に彼を知りたいという好奇心が、私の体を突き動かした。
「えっ…あの」
ビックリしたように、彼は此方を見たまま口籠る。
「何時もここに聴きに来てくれているの、知ってるよ」
そう言うと、更に驚いた表情を見せる彼。
「私の名前は、ウォーリアというんだ。君は?」
「フリオニールです」
「フリオニールか…」
初めて知った彼の名前を小さく呟く。
そして決められた流れであるかのように、彼をこの家へと招いた。
「迷惑じゃ、ないですか?」
そう聞き返す彼に、私は必死で訴えかける。
「ずっと、そこから聴いていたんだろう?君は私の大切な観客なんだ。ただ最後まで聞いてくれた事はないみたいだが」
それは仕方ない事だって分かってる。
こんな往来の中で、ずっと足を止めているわけにはいかないだろう。
だから…。
「聴いてほしいんだ、一度だけでもいいから、私の演奏を最後まで」
そんな私の訴えに、心を打たれたのか彼は「少しだけお邪魔していいですか?」と、そう控えめに尋ねた。
「ああ」
無理に引き止めて悪い事をしたというそんな思いよりも先に、彼が自分の側に来てくれるという、その事の方が嬉しくて、久々に心が満たされたような気がした。
たった一人の為の演奏会…というには、とてもじゃないが規模が小さすぎるかもしれない。
だが、私は酷く新鮮な空気の中で演奏をしている。
自分の演奏する直ぐ側で、私の好奇心を刺激して止まないたった一人の大切な観客が居る。
それだけで幸せだ。
「……良かったら、これからもここへ聴きに来てくれないか?」
彼との別れの間際、自分の心の底に仕舞われた頼みを思い切って口にしてみた。
「いいんですか?」
「構わない……いや、ぜひ来てほしい」
強く彼にそう断言すると、彼はふわりと笑って「なら、また寄らせてもらいます」と直ぐに返答してくれた。
私が、飛び上がる位に喜びそうになったのは、言うまでもない。
「最近、ウォーリアの書く曲…変わったね」
ある日、新曲のレコーディングに訪ねて来た知り合いのプロデューサーのセシルが、そう言った。
「そう…だろうか?」
「うん。なんだか、前までは少し物悲しい雰囲気があったのに、最近の曲はとても優しい曲ばかりだよ」
新曲のデモを聞き終った彼は、中性的な笑みを浮かべてそう告げる。
「駄目か?」
「ううん、以前と比べて凄く良くなってると思う。今までの曲はどこか一方的な所があったけれど、最近は相手に向かって何かを伝える為にあるみたいだ…。
もしかしてさ、ウォーリア……恋でも、したんじゃないのかな?」
彼の一言に衝撃を受け、飲んでいたお茶が器官に入りかける。
そんな私の動揺した姿を見て、セシルは笑いながら「ああ、図星なんだね」と、どこか楽しむようにそう言う。
「……違う」
できるだけ平静を装って、彼の言葉をきっぱりと否定する。
彼に指摘されずとも、自分の書く曲がどう変わったのかくらい、作曲者である自分がよく分かってる。
確かに最近の私の書く曲は、以前と比べて変わったと思う。
そして、それが全て一人の人物の登場によって起こった変化だという事も認めよう。
……だが、恋だって?
それは、違う。
違う、はずだ…私はそんな、彼の事をそんな目で見ていたわけではない。
ただ、純粋に彼の事が知りたいだけだ。
ただ私の曲を聴いて、横で微笑んでほしいだけだ。
「ウォーリア…そういう純粋な気持ちが変化して、恋心になるんだよ」
「だから、違うと言ってるだろう」
「どうだろうね?よく胸に問いかけてみるといいよ。ウォーリアがその人を大切に想う気持ちも、その人の側に居たいと願う気持ちも、その人に幸せになってほしいと思う気持ちも、ウォーリアの中にあるんだから」
フフフと、彼は心の底の読み取り難い何時もの微笑のままそう言う。
そう言われて考えてみて、初めて彼へ抱く自分の感情の特異さに気付いた。
勿論、先に恋でもしてるんんじゃないかと言われて、その所為で意識し過ぎているのでは…とも疑った。
だが、その相手が誰なのかまでセシルは知らない。
その言葉に過剰に反応したのは、自分だ。
その場で友情だって言えるのならば、そう言ってしまえばいいだけだ。
自分を変えた相手は男で、とても代えがたい友人なのだ、と…本当に友人だと思っているのなら、そう言えたハズだ。
違うだろうか?
「好き、なんだろうか?」
自分の心の中に渦巻く、どうしようもないもやもやとした気持ちを整理しようと、冷静になろうとすればする程に分からなくなってくる。
「俺知らなかったんだけど…ウォーリアって、今人気のピアニストだったんだな」
ある日、私の元に訪ねて来たフリオニールはそんな事を言った。
どこかで私の話を聞いたのだろうか?その話の出所は、私には一切不明だ。
「俺は貴方の事、ほとんど何も知らない」
そう寂しそうに呟く彼に、私の胸は締め付けられそうな気がした。
私が君に話せるような事なんて、本当に限られている。
私の曲が、世間でどう思われているのかそれは私自身には関係のない話だ。
私というただ一人の人間は、広大な世界に想いを馳せながらも、そこへと羽ばたこうとしないただの籠の鳥だ。
知りたいのは、私の方だ。
「私の方が、君の事を知らない…」
君が外の世界で一体何をしているのか。
この場所の外で、一体どうやって暮らしているのか?
何が好きで、どういう人々を関わり、どんな将来を描いているのか…。
私は知らない。
君が話してくれない、限り。
「私が君を知る事ができるのは、気味が会いに来てくれる、僅かな時間だけなんだ」
だから、これからも来てほしい。
本当に素直に、自分の想いが言葉になる。
「これからも、きっと来るから」
そんな私の目を真っ直ぐ見つめて、彼はそう約束してくれた。
その一言が、酷く嬉しかった。
好きなんだと思う。
必死になって彼と自分の間を繋ごうとする、そんな自分を見てそう思う。
彼とずっと一緒に居たい。
ドクドクと、君を想うだけで心臓が高鳴る。
側に居てほしい、君が隣に居てくれればそれでいい。
ただ、この気持ちを聞いて欲しかった…。
「フリオニール、君の事が好きだ」
心臓の高鳴りが、これ以上ない位に大きい。
手を握った彼の瞳が、驚愕の為に見開かれる。
「……っぁ…」
驚愕から、不安に揺れる彼の瞳。
急速に赤く染まった彼の頬と、泣きそうな目。
「フリオニール、私は…」
何かを弁明しようとした、私のその手から逃れて、彼はそのまま出て行った。
「……フリオニール、私は別に…」
君の事を、ただ想っているだけで…君の事を、どうかしたい訳じゃない。
側に居たいだけ…。
「フリオニール……」
初めてなんだ、こんな気持ちは。
失うのが、怖い。
目が熱い。
頬をすっと涙が伝う。
人の感情というのは、どうしてこんなに分からないんだろう?
病弱な体質に、嫌気が差した事なんて今までにいくらでもあった。
だけど…。
「こんなにも、死にたいと思ったのは初めてだよ…」
「…駄目だ」
書きかけの楽譜を丸めて捨てる。
どうも、最近気分が良くない。
それが作曲にも影響してる事は、間違いない。
感覚が鈍る、どうも自分の書きたい曲のイメージが沸かない。
どうして…?
「どうかした?最近、全然元気ないね」
久々に訪れたセシルが、気を使うようにそう言う。
「別に、何もないが…」
「嘘なんでしょ?」
「…………」
「知ってるかな?人は嘘を吐くとね、相手から目を逸らして右上を見る癖があるらしいよ」
フフフと笑って、彼はそう言う。
「…………」
「前言ってた、好きな人との間に何かあったのかな?」
「何もない」
「また、嘘だね」
相変わらず微笑んだまま、そう言うセシルに私は溜息を吐く。
この優男には、隠し事もできないようだ。
「…失恋、かな?」
「…………」
「良かったら教えて」
優しく微笑む彼を見て、小さく溜息を吐くと、心の中に貯めていた気持ちを吐き出す。
話し上手とは言えないが、相手のセシルが聞き上手な為だろうか?
それとも、自分の気持ちを一気に吐き出してしまおうとした勢いの為だろうか?
思っていた以上にすんなりと、話は進んだ。
「そっか…それで、その人とはもうどれくらい会ってないの?」
「かれこれ、三週間…だな」
「会いに来にくいんだと思うよ…別に、君の事が嫌いだとかそういうのじゃなくてさ、その子、告白した時に顔真っ赤にして逃げちゃったんでしょ?」
「ああ…」
今思い出しても、悪い事をしたと思う。
私が、もし自分の感情を、もう少し押さえる術を持っていたなら、こんな風に関係をこじらせるような事もなかっただろう。
なのに……。
「そんな暗い顔しないの、その子は多分、君の事を嫌ってないよ…」
「じゃあ、どうして?」
「今度、君に会いに来る時には、勿論だけど君が告白した時の返事をしないといけない…決心がつかないのかもしれないよ。
君の前から逃げたから、対面が悪いのかもしれない…だけどそれは、君の事が嫌いだからじゃないよ」
「でも……一緒だ」
君が側に居ないなら…。
唄の歌えない籠の鳥なんて、必要ない…。
「そんな事言っちゃ駄目だよ」
「……そうか?」
「うん、大丈夫だから」
そう微笑む彼に、私は何て答えたらいいか分からなかった。
書きかけだった楽譜を、再び放り出す。
このままだと、本当に音楽が続けられなくなりそうだ……。
その時、コツコツと廊下を歩く足音がした。
それは、よく知った足音…。
私が待っていた音だ。
急ぎドアへ迎い、慌てでそのドアを開けた。
「フリオニール」
久々に見た彼は、驚いたように私を見返した。
「あの、ウォーリア俺……」
どこか申し訳なさそうに、私を見つめるフリオニール。
「とりあえず、中に入るか?」
「うん」
そっと、彼を中に入れて、静かにドアを閉める。
「先日は、済まなかった」
ドアを閉めて、彼に向き直ると直ぐに彼に謝る。
「君を困らせるつもりはなかったんだ、迷惑だっただろう事も分かってる、だが…本当に済まない」
「ウォーリア、俺」
「私は別に、君が側に居てくれればそれでいいんだ、フリオニール…」
「ウォーリア聞いて!俺の話」
謝罪を続ける私の言葉を彼が遮る。
そうだ、彼も話があってここに来たんだろう。
自分の気持ちを落ち着けるように、小さく深呼吸するフリオニール。
「あの俺…迷惑だなんて思ってないよ、その…あの時、貴方の前から逃げたから、足を踏み入れられなかったんだ。
自分の気持ちが、分からなかったから…でも、俺はウォーリアの側に居たいんだ。
貴方の事、好きだから」
頬を赤く染めて、必死にそう私に訴えかける彼。
夢じゃないかと思った…。
それと同時に、凄く心が満たされる。
「フリオニール」
思わず、彼の名を呼んでその体を抱きしめる。
こんなにも、君を近くで感じるのはどれくらいぶりだろう?
「君に嫌われたんじゃないか…って、ずっと不安だったんだ」
「そんな事、ないよ」
「でも、君はあの日から中々私の元へ来てくれなかった、てっきり嫌われたものだと思ってたから」
「ご…ごめん」
いや、悩んでいたのは私だけではない。
君にかけた、心の不安も、きっと並みのものではなかったんだろう。
「……実は、君がここに来なくなってから、良い曲が書けなくなった」
彼の視線の先に、散らかったままの楽譜がある事に気付き、そう言うと彼から離れた。
「俺が……来なくなってから?」
「ああ、どうしてだろうな?」
そう言って、床に散らばった楽譜を片付ける。
「久しぶりに、聴いていくだろう?」
最後に書いた曲の楽譜を取り出して、彼の方に向き直る。
今、最高に気分が良い。
きっと、今日なら前のように演奏できる、そう思った。
「うん」
笑顔でそう返事した彼は、何時もの定位置に座る。
私のピアノの側。
何時も通りの光景が、再び戻って来た。
静かな部屋に響く、ピアノの演奏と彼の息遣い。
たった一人の観客の為の演奏会。
盛大な拍手なんていらない、ただ君が側で笑ってくれるなら、それだけで、幸せだとそう思える。
「ウォーリア…」
演奏が終わった後、彼がそっと定位置から体を乗り出して、私へと近づく。
その距離の近さに、ハッとなったその時…。
頬に触れた柔らかい感触。
それが何なのか、一瞬真っ白になった頭はまったく状況を理解できなかったが、しかししばらくして、それが彼から送られたキスだと気付き、心臓が急速に早く鼓動する。
「今まで来なくてごめん」
頬を赤く染めたまま、小さく謝る彼。
その姿を見てただ可愛いと、また愛おしいと思った。
「…今ので、一曲書けそうだよ」
恥ずかしかったからなのか、俯いたままの彼の頭を撫でてそう言う。
今度書く曲は、君の為に捧げる曲にしよう。
その時も、一番に聴いてもらいたい。
「君が好きだよ」
ただ君に、その一言を伝えるだめだけの曲を。
25,000HIT御礼小説のウォーリアバージョン。
このウォーリアさんは病弱であるのと共に、どうやら鬱気味になりやすいようで…。
まあ、芸術家は変質的な人多いそうなんで…大丈夫なんじゃないでしょうか?(疑問形かよ)
タイトルのホトトギスは、正岡子規から取ってます。
正岡子規は、結核で病の床に伏しながらもずっと歌を詠み続けて連載していたそうで…そんな自分を血を吐くまで鳴くとか言うホトトギスに喩えてペンネームが“子規”なんだとか…。
このウォーリアさんも、自分の部屋から作曲を続けている辺りはこの人に通じるなぁ…と、そんな理由。
別に、このウォーリアさんは結核なわけじゃないんですけれど…。
一応、自分も文系の学校に通う身なので、偶には学校で習った知識くらい役立ててみようと思ったのです。
2009/10/11