俺はもう、兄貴の側に居られないからさ

だから、お願いだよ優しくしないでくれ…

何度も呼びかけたりしないで…

誰より愛する兄貴へ…

家を飛び出して数分、俺の携帯にメールが入った。
宛名を見て、足を止める。
「兄貴……」
出て行った弟を探して、メールを入れるのは分かる。
だけど、さっき押し倒した男の事なんて、どうして心配できるんだ?

『ごめん、お願いだから帰って来て』

「どうして、兄貴が謝ってるんだよ?」
自嘲っぽく笑ってそう言ってみるけど、自分でも上手く笑えてないのは分かった。
謝らないといけないのは、絶対に俺なのに。
兄貴、アンタどこまでいい人なんだよ?

携帯を閉じて、夜が深まり始めた町を歩く。
一時間に三通、兄貴からのメールが入った。
全て、同じ内容。

『帰ってきてほしい』

心配してくれているのは嬉しいけどさ、兄貴…。
優しくされればされる程、俺の中で自分が起こした行動への罪悪感がどんどん募って行く。
もっと悪人になってよ、兄貴。
俺の事、もっと責めてよ。
もっと怒ってくれよ。
その方が、ずっと楽だ。


「何してんだい?こんな所で?」
「レイラさん……」
後ろから声をかけてきたのは、古い知り合いの女性。
両親がまだ生きていた頃からずっと付き合いがある彼女は、俺達の近所に住むお姉さんだった。
俺達が引っ越してからも、度々様子を見に来てくれている、世話好きな人だ。
気にかけてくれているのは、とても嬉しい。

今日はどこかに出かけた帰りなのか、その手に大きな荷物を持っている。
「店、いいんですか?」
「今日は定休日だよ、それよりアンタ、ここで何してるんだい?」
「えーと……家出?」
「…何、言ってるんだい?」
正直にそう答えると、呆れたように、彼女は俺にそう言った。

「本気ですよ」
そう、本気だ。
「珍しいじゃないかい、アンタがあのお兄ちゃんと喧嘩なんて」
お兄ちゃん大好きなアンタがね、と彼女は面白がるようにそう言う。
からかってるんだろうな。
「そんな事だってあるんですよ」

「へぇ…でも、行くアテはないんだろ?違うかい?」
「……」
くやしいが、確かにその通りだ。
だがくやしいから、その事は絶対に言わない。
しかし、彼女は俺のそんな心中なんてお見通しだ。

「勢いだけで出てきちまったんだろ?どうせ。
なら、アタシの家に来な」
「いいんですか?男、家に連れ込んで」
俺は健康な青少年で、彼女は美人で若い女性。
そんな展開になる事も、少しは考えた方がいいだろう。
っていうか、彼女に危機感なんてないんだろうか?
「アンタがアタシを押し倒すような、そんな度胸がない事くらい分かってるよ。
ねえ?お兄ちゃん大好きな弟君」
その言葉に、俺はピクリと眉が動く。

この人は知ってるんだ…気付いてたんだ…俺が兄貴に対して抱いてる感情を。

「どうする?今夜の宿、探してるんだろう?」
「知らないですよ、間違いが起こっても」
「その時は、正当防衛でアンタの事ぶん殴ってやるさ。
さて…拾ってやるんだから、それりに働いてもらうよ」
そう言うと、彼女は持っていた荷物を俺に差しだす。
荷物持ちをしろ…と、そういう事らしい。
「こんな事でいいなら、やらせてもらいますよ」
彼女から荷物を受け取って、俺はそう返答する。
「よし、じゃあ帰るよ」
そう言って歩き出す彼女のその後に、俺は付いて行った。


「で?夕飯も食べてなかったのかい?」
「すみませんね、お世話かけて」
彼女の作った料理を感謝しながら食べつつ、何があったのかと尋ねられる。

まるで事情聴取だな。
取り調べを受けてる、犯人の気分だ。
まあ…確かに悪い事はしたんだけどね。

兄貴に対して。


「アタシの手料理はどうだい?」
「美味しいですよ」
女性の手料理は不味くても褒める奴が居るが、嘘ではなく、彼女の手料理は確かに美味しい。

「アンタの大好きなお兄ちゃんの手料理と、どっちが美味しい?」
すると、彼女は興味深げにそう尋ねる。
どう答えろというんだ?っていうか、それ以前に。
「……兄貴の話題、止めてくれます?」
「残念ながら、そういうわけにもいかないんだよ。
拾ってやったんだから、理由くらい聞いてもいいだろう?」
俺の向かいに座って、そう言う彼女の視線に耐えきれず、俺は料理を租借する事に専念する事にした。
そんな俺を見て、彼女はまた溜息を吐いた。
「まったく、アンタ達は手のかかる兄弟だね…」
「兄貴は関係ないでしょう?」
「関係あるよ、喧嘩は両成敗だ…まあ、その理由にもよるけどね」
理由にも、の部分に彼女は力を入れた。

「それで…結局、お兄ちゃんの料理とどっちが美味しいんだい?」
黙々と料理を食べる俺に向かって、彼女はそう尋ねる。
「…どちらも美味しいですよ」
「正直に言ってごらん、正直に」
曖昧な返答では、どうやら彼女は満足してくれないらしい。
俺はそんな彼女を見つめて、小さく溜息を吐く。
「怒らなでほしいんですけど…やっぱり兄貴かな?
同じ料理食べて育ってるから、味付けの好み、一緒なんですよ」
「それぞれに家庭の味ってヤツがあるからね…理由がしっかりしてるから、特別に許してやるよ」
フフフと笑って彼女はそう言った。


「だけど……。アンタにとっても、アンタのお兄ちゃんにとっても、“家”っていうのは大事なんじゃないのかい?」
食後にコーヒーを渡されてゆっくりと飲んでいると、ふいに、彼女は真面目な顔でそう話す。
俺は彼女の言葉には答えない。
答えたくない、からだ。
今の自分にとっては、心に刺さるように痛い言葉だ。

「あんな事になって以降、アンタ達兄弟はずっと一緒だったんだろう?親戚に引き取ってもらう事もできたけど、それを断って二人で暮らしているのは、アンタ達二人が離れて暮らす事を嫌がったからだろう?」
「誰から、そう聞いたんですか?」
「さぁ?誰だろうね?」
彼女は俺に強い、口調でそう話す。
きっと、兄貴から聞いたんだろうな。
「俺達は双子ですけど、それぞれ別の人間ですから…いくら家族って言ったって、どんなに仲が良くったって。ちょっとした事で、その仲が崩れてしまう事だってあるでしょう?」
「そういう、ものかい?」
「違いますか?」
俺は真っ直ぐに彼女の目を見て、そう尋ねる。
「嘘、吐かないでほしいね」
「嘘なんて言ってないですよ」
「本当は、喧嘩なんてしてないんだろう?」
彼女の瞳は、俺の心の奥まで見透かしてしまいそうな程強い光を帯びている。

その瞳が、怖い。
兄貴に代わって、静かに静かに、俺を責めている。


「アンタ、お兄ちゃんに何したんだい?」
その言葉を聞いて、俺はほとんど確信した。

この人は、きっと…俺達の間に何があったのか、大体予想してるんだろう。
なら…隠すだけ、無駄だろう。


「兄貴を、押し倒した…」
正直に、俺は彼女にそう告白した。


「はぁ…」
小さく溜息を吐いた後、パァンという乾いた音。
殴られた頬が、熱く熱を持って痛む。

「馬鹿野郎!!どこの世界に自分の兄貴押し倒すような馬鹿がいるんだっ!!
ちょっとの気の迷いでアンタ一番大切な人、傷つけて!それでこうやって逃げて来たっていうのかい!!」
今までの落ち着いた声から一変して、彼女は俺に声を張り上げてそう言う。
「悪いですか?俺は、兄貴を押し倒した、だから一緒には居られない…また傷つけるくらいなら、俺は家を出た方がいい」
「アンタは本当に救いようのない馬鹿だね!!アンタの大事なお兄ちゃんが、アンタみたいな馬鹿の為に怖い思いして、それでいながらアンタの事まだ恨めずに居るんだよ!!アンタみたいな馬鹿なんて、放っておけばいいのに、アンタの事探してるんだ!アンタには、何でか分からないのかい!!?」
「分からないって…何が?」
「鈍いね!!アンタは何でお兄ちゃんと一緒に居るんだい?忘れたなんて言わせないよ!!
アンタのお兄ちゃんが、アンタと一緒に居たがったからだろう!!?」
「兄貴が…俺と……」
そう、なのだ。


「離れないでくれ、頼むから…一緒に居てくれよ……」
両親の葬儀の前から、兄貴はそう言って泣いたんだ。
人と一緒の時はなんて事はない、何時もの…と言っても、急な事で悲しんでいたから若干塞ぎこんでいたけれど、それでも普通の兄貴だった。
だけど、一人になった途端に彼は豹変する。

孤独に押しつぶされそうになって、人を求める。

泣いて泣いて、俺の名前を呼ぶんだ。
特に夜は、酷かった。
「一緒に居てくれよ、なぁ…頼むから、頼むからぁ…一人にしないでくれよ……」
「兄貴、俺は兄貴と一緒に居るから、大丈夫だから…兄貴は一人じゃない」
頭を撫でて、抱き締めてやって…それでも落ち着かなければ、一緒に布団に入って眠って…。

面倒だ、なんて思わなかった。
弱々しくて、俺が居なければ折れてしまいそうな兄貴…。


求められて嬉しかった。
こうやって頼られて嬉しかった。
俺しか居ないと思った。
兄貴が求めているのは俺だけ。
同じ血を分けた兄弟だから、それだけなのかもしれない。
だけど、その繋がりに兄貴は縋った。

「ありがとう…」
笑ってほしかったんだ…なのに俺は。


「アンタ、本当に馬鹿の分からず屋だね…アンタのお兄ちゃんが今みたいに、アンタの隣りで笑ってられんのは、アンタが一緒に居たからだろう?たった一人だけの家族が一緒に居たからだろう?アンタのお兄ちゃんが立ち直れたのは、全部アンタが側に居たからだ…アンタ分かってないよ、アンタの大切なお兄ちゃんは、誰よりもアンタの事を想ってるんだ。側に居ないと生きていけないくらいに、アンタの事を大切に想ってる」
声のトーンが落ち着き、まるで言い聞かすように俺にそう言うレイラさん。
「そんな事……」
「ないと、言えるのかい?なら、アンタの携帯に入ってる着信、その数を見てもそう言えるのかい?」
どうして兄貴が俺に、さっきからメールを送ってるのを彼女は知ってるんだろう?
返信なんて一通も返してないけど、でも確かに彼はずっと、俺と話そうとしてる。


どうして帰って来てほしいんだ?
自分を襲った人間を。


「アンタのお兄ちゃんは、アンタの事怒ってないんだよ…帰って来てほしいと思ってる。でないとさ、こんなに探し回ったりしないさ」
そう言って、彼女は俺に自分の携帯を差し出す。
彼女の携帯に映っていたのは、兄貴からのメール。
俺を見かけたら、直ぐに連絡が欲しいという短い内容。
「アンタのお兄ちゃんは、アンタの帰りを待ってるよ」
「……」
「アンタがすべきなのは、家出て行く事じゃないさ、アンタの兄ちゃんの前でとにかく土下座して謝るこったね。
そんで、これからどうするのか二人でよく話合いな」
まったく、世話の焼ける兄弟だよ…とそう言うと、レイラさんは溜息交じりに椅子に座った。
「……お世話になりました」
「世話を焼くのが、私の趣味のようなものだよ」
そう言って笑った彼女に見送られ、俺は彼女の家を飛び出した。


馬鹿野郎か…確かにその通りかもな、兄貴。
帰ったら、その場で土下座して謝ろう。
許してなんて、言わないから。
だから、一度俺の話を聞いてくれ。
兄貴程、俺は頭良くないからさ、言葉が上手く使えないかもしれないけど…それでも、頼むから聞いてくれ。

力になんて頼らないから、ねえ兄貴…。


もし叶うなら、もう一度笑ってくれる?


to be continude…

あとがき

アナザー×ノーマルフリオ、現代パロ第五話。
レイラさんが友情出演、私はⅡではレイラさんとミンウさんが好きです。
レイラさんが現代でどんな仕事してるのかと考えて、船乗りも考えたんですが、結局、自由業という事で…お店を経営してもらう事に。
多分、美味しい海鮮物を出すお店でもしてるんじゃないですけね(投げやりだな)。
さて、アナザー君はこのままお兄ちゃんの元へ帰ります。
次回で仲直りできたら…いいな。(未定かよ)
2009/9/13

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