傷付けられている者ほど、助けを呼ばない
多分、この声は誰にも届かないと思っているから
そんな声なき声を聞きたいと望んでいながらも
誰も、その方向を見ようともしない

そうなりたく、無かった

琥珀

テレビから流れて来るニュースを聞き、またか、という言葉を飲み込んでそのチャンネルを消した。
痛みの多い事件は報道する価値があると思っているんだろう、より悲惨で、残虐で、残酷で、可哀想だと思う心を刺激する、そんな内容の事件が、毎日のように並べられている。
自宅にあるテレビはあんまり見ない、そもそも自宅に帰れる事の方が少ないのだから仕方ないのだが。その中でも、嫌いなのが報道番組だった。
子供を扱った内容のニュースはできるだけ見ない事にしている。
前に児童虐待を扱った事件の捜査をした事があるのだが。なんとか一命を取り留めた少年の、どこか狂気めいた言葉が脳裏に蘇って来るのだ。
もしかしたら、自分もそうなってしまうのではないか……という不安があるだけに、見たくはない。
特に彼の目の前では。
「コーヒー、淹れましょうか?」
「ああ、頼む」
キッチンからした声に笑顔で答えると、小さく了承の返事が返ってきた。
思い出したくない事は、彼にもあるはずだ。しかもそれは、まだ塞がりきっていない真新しい傷として、まだ痛みを放っているだろう。その痕をえぐる様な真似はしたくない。
「美味しいな」
「マスターに淹れ方を教えてもらったんです、上手くいって良かった」
私の隣りに腰かけて、自分もマグカップの中身に口付ける。
確かにあの店のコーヒーは美味しい、マスターの無愛想具合は相変わらずだけれども、彼とは上手くやっているようだ。
友達ができたと、喜んでいる姿も見たし。このまま、彼も上手く過ごしていけるんじゃないかと思っていた。
すっかり、安心していた。


ヒュッと空気が詰まった様な音がして見れば、暗闇の中で苦しむ彼の姿が見えた。
急いで起き上がった容対を確認する、乱れたまましっかりと呼吸ができないまま震えている体を見て、袋が無いか探す。
鞄の中に入れたままだったコンビニの袋を引っ張り出し、彼の口元に当てるのと同時に揺り動かして呼びかける。
「フリオニール!フリオニール、しっかりしろ!」
しばらくすると意識が覚めたのか、ゆっくりと、まだどこかピントのズレていそうな目でこちらを見た。
私の名前を呼び返そうとしてくれるので、思わず安堵の溜息が出た。
「落ち着いた?」
そう問いかければゆっくりと頷き返す彼が居る。まだ事情が飲み込めていないのか、呼吸を整える事に専念しているのか、そのどちらともかもしれないけれど。それでも彼の意識が段々とハッキリしてくるにつれ、「ご迷惑をおかけしました」なんて言葉をかけられたものだから、思わず苦笑してしまった。
「迷惑だなんて言わないでくれ」
悪い夢をみたんだろう、まだ怯えたように震えているその手を取って、しっかりと相手の目を見る。
涙の膜ができた瞳が、室内の明かりの下で煌めいた。
「今日は、君の隣りに居ていいかな?」
「えっ……」
「心配だから、君の事が」
彼の目が大きく見開かれる、潤んだ目から零れ落ちるかと思った雫は。一瞬震えたけれど、伝って流れる事は無かった。
私の手の中で震える彼の手が、弱い力でも握り返してくれた。
「ウォーリアさん」
「どうした?」
「離さないでください」
そうお願いされなくっても、その手も、彼も、離すつもりは無かった。

「堕ちて行ってしまう気がするんです」
明かりを落とす事もせず、横になった彼との間にあった沈黙が、ふいに破られた。
聞けば、それは夢の話で。内容という内容も、現実の記憶が断片的に映されていただけだ。
ただ、内容が危うい。
母親という私の知らない温もりを持った言葉と、それを喪失したという少年の話が、どこかで彼に揺さぶりをかけたんだろう だから、離れてしまうのが怖いんだろうか。
「怖いという思いもあるんです、そこに行っちゃいけないって分かってるんです。
でも……なんだろう、底についたら楽になれるような、そんな気もして」
恐い、見えないものが怖い。
そう思いながらも、全てが覆い尽くされてしまえば、自分自身さえも失ってしまえば。
何も怖いものなんて無くなってしまうんだろうけれど……。

「そんなに、生きるのは辛い?」
そう尋ねると、ビクッと体を震わせて黙り込んでしまった。私の視線から逃げる様に体勢を変え、うつ伏せになる相手を見つめ、それでも言葉を続ける。
その心を大きく揺さぶろうとも、止めるわけにはいかない。
「君を縛っている思いは、よくないものだって分かっているんだろう?」
でも捨て去れないから、何度もこんな事をしているのかもしれない。
握っている掌越しに、彼の脈が響いてきそうだ。そう思ったら、震えているのはその体の方だった。
「簡単に捨てられないのは分かっている、そんな事ができれば君はもう解放されているハズだろう?
止められないなら、それでも良い。ただ隠さないでくれ、せめて私の前でだけでも」
「ダメです」
聞きとれるか微妙なくらい小さな籠った声で、拒否された。
離して欲しくないと言ったその手が、逃げようともがくのを抑えつけて理由を問えば、また黙り込む。
「フリオニール、聞いてくれ。君に傷付いて欲しくない人は必ず居るんだ、助けを求めてくれれば、それに応えてくれる人だって居るんだ」

だから、頼むから私を求めてくれ。
一人よがりであったとしても、それで君を救えるのならば。必ず、役に立ってみせるから。

「ダメです」
決して嫌だとは言わない相手に、少々イラ立ちを覚える。
本当は助けてほしいのに、あることないこと考えて、伸ばす事を拒絶している。

傷付ける相手が愛する人ならば、それを拒否する事が難しい。
自分が弱い事を他人に知られるのを、どういう訳か恐がってしまう人の性。
それより何より、その人から助けてほしいと求めた事で、相手から嫌われてしまう事を恐れている。
そうしなければ自分が沈んでしまったとしても、その痛みを自分だけが負えば皆が救われると思っているのだ。
「ママはわるくないんだ、ボクがわるいんだ」
自分が愛されていると疑っていない無垢な瞳、それは盲目を通り越した情だった。
どうして虐げられる者ほど、傷付ける相手を愛するんだろうか?
この世に生みだしてくれた事に感謝して、共に暮らす事に何の疑念も持たないで。

「君は一人で居たくはないんだろう?友達ができたと喜んでいたじゃないか。私だって、君には笑っていてほしい。
側に居て欲しいと願う人間が、簡単に君を見捨てるわけがないだろう」
しがみ付いて、頼って、求めて。
お願いだから私を、必要としてほしい。
「じゃあ…………ウォーリアさん」
そっと顔を上げた、片方の目でこちらを伺う相手に、できるだけ優しく「どうした?」と問う。
「もし……もし、俺が一緒に死んで欲しいって言ったら、どうするんですか?」
影になった目が問いかけてくる。
殺されても良いかと、そう。
「そうだな……」

彼は勘違いしている。
決して、死にたいんじゃない。
人の温もりを自分の手で破壊してしまいそうだと、思い込んでいるだけ。
だから、他人を傷つけてしまわない様に、自分を傷付けているに過ぎない。
多分、いやきっとそう。
なら答えは一つだ。


「君が望むなら、共に死んであげよう」


to be continued ……

あとがき

ようやく続きを書けました、警察官と家出少年!
というかサイトの更新自体が久々で、そしてDFFでの更新はもっと久しぶりで、そろそろ忘れ去られる頃なんじゃないかと思ってたんですが。「続き見たいです」というありがたいお言葉を頂きまして、急ピッチで執筆中です。
なんとかして、今年の前半までに完結を目指しているので宜しくお願いします。
2012/2/5

close
横書き 縦書き