堕ちていく夢を見た
どこまでも深い、深い、暗闇の底へ
何も感じないなのに、ここは冷たいのだと思う
悲しみと寂しさの体温

それが、自分の死体の温度だろう

琥珀

「フリオってさ、何かお母さんみたいなんだよな」
笑顔でそう言った少年に、返答に詰まって苦笑い。
一つしか年が変わらない男を相手に母親みたいだ、なんて言われたって嬉しくない。

バイトの終る時間に合わせて、ティーダが店の前にやって来た。
それを見て、ガブラスさんは先に上がっていいと言ってくれたのかもしれない。
あの人は、小さな所まで良く気が付く人だと思う。しかし、踏み込んでくる事はない。
だから、気が楽なのかもしれない。不要な詮索なんてして欲しくない、特に、俺が抱えるものについては。

「俺がお母さんみたいだなんて、それじゃあティーダのお母さんに失礼だろ」
「うーん、言葉が悪かったッス。なんていうか、傍に居て欲しい人って感じ?」
フリオニールって温かそうだ、無邪気な笑顔でそう言う相手に、また苦笑する。
「俺は冷たいよ」
そう言うと、彼はとても不思議そうな顔をした。
「どこが?フリオってめっちゃ優しいじゃないッスか」
「そうかな?」
「そうッス!」
彼が力強くそう言うので、これ以上、その言葉を否定するのもなんだか良くない気がした。
そんな言葉に詰まる俺を見つめ、今度はティーダが困った様な表情になる。
「フリオ、本当はオレと一緒に出かけるの嫌?」
「えっ、そういう訳じゃないけど。何か……俺、悪い事言った?」
「それはコッチの台詞ッスよ、何かさっきからオレ、フリオの事を困らせてばっかりだからさ」
そんな訳ではないのだが、しかし、どう返答していいのか言葉が出てこない。
「何か、フリオっていつも無理して笑ってる気がする」
「それはよく人に言われるから、気にしなくていいぞ」
「気にするッス!自分の傍に居るのに、何かその人が遠くに感じるんだからさ」
「……ごめん」
思わず零れた謝罪の言葉、視線も知らず下向きになる。
「ああもう!!謝って欲しいんじゃないッス!どうしたらアンタ、綺麗に笑えるのさ」
難しい顔、怒っているんだろうか?
また謝罪の言葉を口にしそうになるが、それでは余計に、相手に嫌われてしまうだけだろう。
どうしたらいい?
「なあ、フリオ…手、貸して」
言われるがままに差し出した右手、そこに自分の右手を重ねると、彼は走り出した。
「えっ、ちょっとティーダ!」
引っ張って行かれる体、突然の事に困惑する俺を振り返って見ると、彼は歯を見せて笑う。
「いいから来るッス、アンタにとっておき、見せてあげるから」
だったらちゃんと付いて行くから、手を離して欲しかった。
そう言っても、彼は聞き入れてはくれない。
ただただ、引かれる力を持ってその後を付いて行く。


連れて来られたのは、丘の上にある公園だった。
高台の広場の向こうに、海が見える、丁度夕方でオレンジ色に染まった夕日がそこへ沈んでいこうとしていた。
「うわぁ……」
感嘆の声が漏れる、純粋にただ綺麗だと思った。

「良かった間に合った!どう?オレのとっておき」
ニッコリと微笑む彼に、オレンジ色が重なってとても綺麗だ。
黄金色に染め上げられた周囲、まだ、彼は手を離してくれない。
「これ、見る為に走ったのか?」
「だって、時間的にギリギリだったんだもん。でも、来たかいはあったッス」
体力に自信はあるが、かなりの距離を走って息が上がるかと思った。
強引な先導だった、でも少し嬉しかった。

「ありがとう、ティーダ」
微笑む俺の顔、今は多分、自然に笑えていると思う。
だけど、ティーダはどこか真剣な、それでいて寂しそうな顔になる。
「ティーダ?」
「何かさ、消えちゃいそうなものって気付くと、寂しくなる時ないッスか?」
ぎゅっと握る手に力が加わる。
幸せそうなオレンジが、そう思うだけで、何だか悲しみを帯びたものになった。
彼の手は俺の体に伸ばされて、ぎゅっと抱き付かれる。
どうすれば良いものか困惑していると、彼は腕に力を込める。
「何かさ、オレ怖いんだ…自分の周りが、ふいに消えちゃいそうだなって思う時があってさ、そういう事ない?」
その質問に、何と答えれば良いだろうか?しばらく考えた後、正直に答える事にした。
「あるよ。消えてしまえばいいって、思った事も」
むしろ、後者の思いの方が強いかもしれない。
何もかも消えて無くなったなら、いいのに。
「怖いじゃんか、何も無くなっちゃったらさ。全部、忘れられちゃったらさ、悲しいだろ?誰かの見ていた夢みたいにさ」
「どうして、ティーダはそう思うんだ?」
太陽みたいな底抜けの明るさを持つ少年に似合わない、どこか仄暗い悲しみ。
彼に心から笑って欲しい、そう願う自分が居る。
「言葉にしたのはさ、初めてなんだ……こんな事、普通は言えないんだけど。フリオには、何だか聞いて欲しくなった」
どうして、それは俺なんだろう?
尋ねようとした疑問の答えは、先に彼が教えてくれた。
「オレの名前、そのまま太陽って意味なんッスよ……だけどさ、夕日が沈んだらそこにあるのは真っ暗な夜だろ?何も見えなくなるからさ、これから先の時間は怖いんッス。誰かの傍に居たくなるんだ」
「傍に居ればいいだろ、ティーダのお母さんとか」
そう言うと、彼は小さくかぶりを振った。
「居ないんだ」
「え?」
「母さんは居ないんだ、小さい頃に、居なくなっちゃった…親父も、ほとんど家に帰らないしさ…まあ、居ても喧嘩しかしないけど。だから、夕方に一緒に居てくれる人…大好きなんだ」
不安になるから、そう言う彼が少し顔を上げる。
「フリオニールって、お母さんみたいだよな…一緒に居て欲しくなるんだ。なんて、ごめんな?オレの弱い所に付き合わせてさ」
力無く笑うティーダを見つめ、それは違うと思うと、そう口にしようとして止めた。
本当の事は分からなくても、彼も感じ取っているんじゃないだろうか?俺が、自分と似てるかもしれないって。
似た寂しさを持っているかもしれないって、だから…こうして温かさを求めているんじゃないのか?
俺が伸ばす事が出来ないから、彼が差し出してくれたんじゃないのか?
「明日も一緒に居てくれるって、誰も確証が無いからさ…」
そうだな、その通りだよな……。
彼の言葉に、そう返答しようと思った時、自分の周囲は真っ暗だった。
何かを考えるよりも前に、体が落ちて行くのを感じた。
見えないけれど、どこに堕ちて行くのは何となく分かる。
温もりを失って、悲しみと虚しさと、ほんの少しの寂しさと…何かの後悔。

終りの底に向かっている、そう思った。
何も見えない、でもこれでいいかもしれないとそう思った。
考えない方が、ずっとずっと幸せだ。
全部、無くなってしまえば……。
悲しんでくれる人なんて、多分……。

突き刺された様な痛みが胸に広がる。

痛い、痛い…じわりと血が滲み、滴り落ちている気がする。
何もないけれど、どうして。
さっきまで一緒だった手を探そうとして、でも彼には届かないだろうと思った。
彼は太陽だから、夜の底までは届かない。
じゃあ、誰なら届くだろう?

「ウォーリアさん」
無意識に口にした名前に、更に胸が痛んだ。
駄目だ、彼をこんな所に呼んでは。
彼ならば確かに、手を差し伸べてくれるかもしれない…でも、それを体が拒絶した。
巻き込んではいけない、連れて来てはいけない…ここは。
胸が痛い、呼吸が苦しい。
呼吸が……。


「フリオニール!フリオニール、しっかりしろ!」
霞んだ意識の先、そう呼びかける声がする。
呼吸の仕方を忘れてしまった口に、袋を押し当てられる。
全身を襲う苦しみを落ち着かせようとする優しい、必死な声がする。
彼の……。

「うぉー、りあ…さ」
「落ち着いた?」
正常にとまではいかないが、普段どおり何とか動かせる様になった呼吸器官から声を絞り出せば、ほっとした様な顔を見せる。
汗で張り付いた額の髪を取り払い、そっと触れた手は温かく、安心した。
「驚いたよ……過呼吸になったみたいだな」
横になったままの俺を見下ろす優しい目に、安心した。
明るい室内、時間は深夜を過ぎている。
「随分と、怖い夢を見たんだな」
そう語る彼に、あれは夢だったのだと思った。
途中までは実際の出来事だった、ティーダと一緒に夕日を見に行ったのは、つい最近の事だから。
堕ちて行ったのは、その後か。

「ご迷惑を、かけてすみません」
起き上がって謝ろうとした俺の体を押しとどめ、彼は呆れた様に首を振る。
「迷惑だなんて言わないでくれ…悪い夢を見たんだろう?」
彼は俺の隣りに横になると、震える手を取った。
「今日は、君の隣に居ていいかな?」
「えっ……」
「心配だから、君の事が」
包まれている右手から伝わる温かさに、涙が出そうだった。
そこになって初めて、自分は寒いと思っていたんだと気付いた。
彼の手は、温かい。
掴んでいてはいけない、縋っていてはいけない、求めてはいけない。
そう思う温もり。

「ウォーリアさん」
「どうした?」
「離さないで下さい」
そう言ったのは、堕ちて行かない様に引き止めて欲しかったからだろう。


to be continued …

あとがき

警察官と家出少年続編。
信じられない事に、半年以上ぶりの更新でした…そんなに放置していたんですね。
ティーダを夢落ちしてしまったのは、なんだか申し訳ない気がしてならないのですが…二人は、現実でもちゃんと仲良くしてます。
過呼吸って、恐怖でもなるそうなんですね…。
流石に、そこでウォーリアさんにキスさせるのは自重しました。自重させない方が、良かったんですかね?
2011/6/13

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