自分の生まれた日の事を、覚えている
真っ白な世界
それは、誕生の様にも終焉の様にも見える光景
温かみなど感じさせぬ、人工的な作り上げられた色
その中に、一筋の光を見た
登る陽の光だった
琥珀
私はある日、病室のベッドの上で目覚めた。
その時、私は何故自分がここに居るのか、何故こんなにも傷だらけでいるのか…全く分からなかった。
今になっても、分からない。
私を見てくれた医師の話によると、記憶障害なんだと言う。
どうやら、私の負っていた傷が問題何だと言う。
それまでの自分、というものをほぼ全て欠如した状態の私。
自分の名前すらも、私は覚えていなかったのだ。
それまでの私は、一体どうやって形成されたのか…一切、思い出せない。
私は何もかも忘れて、その日、もう一度この世に生まれたのだ。
『可哀想な子ですよね、何も覚えてないなんて』
『いや、その方が良かったんじゃない?どうせ、覚えていても辛いだけだし』
『本当に、不幸な子……』
静かな室内に、聞こえてくる声。
たった一人の空間。
誰も居ないのに、声だけは、どこからか忍び入って来る。
どうせなら、言葉も何もかも全て、忘れてしまっていたら良かったのに……。
どんなに、そう思っただろう。
私には、人の言葉の意味を、理解する能力があった。
しばらく人の言葉を聞いていると。理解するだけではなく、その言葉が何を表すのか、推測し、その解答を自分で導き出す事ができた。
私は人よりも、ずっと物事の理解力が優れているのだ、という。
医師が言うには、それ以前の脳機能に起こった障害とは別に、そういう能力が新たに強化されている節がある…という。
その為に、目覚めてから様々な物事を再び理解するのに、時間はかからなかった。
認識し、理解するだけならば。
認識して、理解した事象。
私はそのほとんどを理解していながら、受け入れる事を拒否した。
私を作った人間は、私を壊そうとしたのだ。
この世に必要無いモノなのだ、だから、壊そうとしたのだ。
何一つ、覚えていないけれど…。
顔も声も、覚えていない、私を作った創造主。
それは私にとっては、存在するが実態のない、天の神のような存在。
私は、どこかで間違ってしまったんだろう、だから、彼等にとっては必要ないものになってしまった。
他のどんな人が、生きていて良かった…等と声をかけたところで、私はその言葉なんて無意味だと思っていた。
私は神に、見捨てられている。
見かけ倒しの言葉である。
傷が癒えたところで、彼等はこれから私がどうするのか、その先の人生全てにまで関わる事はしたくない……と、そう思っている事が目に見えている。
不幸な子供、そう呼ばれるのは知っている。
遠巻きに、私を指して陰で告げる言葉。
そこから救う方法ではなく、人はなるべく近寄りたがらないのが、常。
不幸な事には、近寄りたくないのだ。
人の暗闇なんて、見たくないから。
不幸だと思っているのは、周囲の方だ。
不幸だと私が嘆いたところで、私には現実を変える手立てなど無いのだ。
だから、私はこの身を憂うる事をしなかった。
その代わりに望んだのが、この身の破滅。
どうか、早く終わるように…と。
そうでなければ、全て私が知覚できない程に意識の外に追いやってしまえればいいのに。
どうせ忘れてしまうのならば、言葉を理解する力すらも全て、それらを理解する頭すらも、いらなかった。
ベッドの上で、壊れかけた人形のように自分の体が、ただただ朽ち果てるのを待って居た。
そんな願いとは反対に。私の体は体の傷を、痛みを、刻々と癒していき、決して朽ちる事等はない。
叶わない願いだった。
死んでしまいたかった。
誰とも関わりたくない、一人で平気だ。
回復していきながら、終りを願う私の前に、ある日、光が現れたのだ。
「私は、コスモスと申します」
丁寧に頭を下げる女性は、私に向けて微笑みかけた。
孤児院の経営をしている女性だった。
「貴方の目は、とても暗い…どの様な闇を見ているのか、それは私には分かりません」
私に向けて彼女は語りかけるが、しかし、私の返答が無いのを彼女は最初から予想していたのだろう。
少し微笑むと、話を続ける。
「貴方が語らなければ、それは分かるものではありません。
しかし、語って聞かせたところで、貴方の気持ちを真に理解してくれる人には、決して出会えないだろう……そう、貴方は思っているんでしょう?」
私はそれには答えない。
確かに、そう思っている。
そう考えている。
周囲は私を理解しようと努めているようだけれども、私を、本当の意味で理解したいと考えている人間は居ない。
私は、そんな判断を下したのだ。
「誰も、彼も、隣の人の本当の気持ちを理解できる事はありません。だけど、自分と似た境遇、似た光を隣りから感じる事があります」
光……。
そう、彼女は人の心を“光”だと言った。
それは光を放ち、輝くものである…と。
暖かいものであると。
「何の根拠があって、そう言える?」
私の隣りに座る彼女に問いかける。
「根拠等はありませんよ。他人を信じる理由なんて、考えても考えても、ふとしたところから、疑わしく思えてくるものなのです。
理由や説明など、言葉の上で、自分を納得させるもの……ならば、それは幻想でしょう」
説明できてしまえるものなんて。
他人の優しさが本心からなのか、それとも何か、意図があっての事なのか。
「人を疑って、生きていく事ができますか?」
「信じられないものと、生きていけるとは思えない」
「信じられるものも疑おうと思えば、その理由なんて浮かんでくるものです。ならば、そんな理由なんて考えない方がずっといい」
光を見なさい。
彼女はそう言った。
「他人の光を感じられれば、貴方にも分かる日がくるでしょう」
疑われようとも、それに手を伸ばしたくなる気持ち。
触れ合いたいと望む、感情。
その、心地よさ。
「貴方の瞳には、光が宿って居ます」
退院後、私は彼女に引き取られ、彼女の経営する施設で18歳になるまでを過ごした。
様々な人と関わる生活、それに戸惑いを覚えたものの……彼女の言葉の意味は、少しだけ理解できた。
人と関わる内に、少しずつ見えてくる、その人の光。
疑り深く見ていれば、他人は脅威でしかない。だけど、そんな認識を放棄してしまえば、なにも恐れる必要はないのだ。
人との関わり方、感情の入手の仕方。
言葉にして説明するのは、難しい。
だけど……光を、持っている。
同じではないけれど。
少しずつ、色や輝き方を変えて。胸の内に、瞳の奥に、存在する光。
“心の闇”と称される影に、侵食されかけている弱々しい光。
私達は、生きていた。
確かな温もりを持って。
燃えているのだ、星の様に。
人の感情、それを私は少しずつ理解していった。
認識して、このようなものなのだと割り切る行為はできた。
だけど、私の言葉や行動というのは、機械的で…様々な人達の間で、距離を測るのが難しかった。
未だに私は、人との関わりを不得手としている。
感情が、心が、私は人の“心”というものを、認識してから確認したから。
自分が確認できないものは、理解し推測するしか方法がない。
だけど、人の心理なんて言葉の上だけでは説明のつかない事ばかりで……。
酷く、難しい。
それでも、18歳になって高校を卒業し、警察学校に入学する頃には私の確認できていない感情なんてほとんど無くなっていた。
恋愛感情以外は。
「お前には、色の付いた話というのは無いのか?」
ある酒の席で、とある上司が苦笑交じりにそう言った。
私は、その台詞が出るのを少しだけ恐れていた。
「あまり、そういう事には興味がありません」
「そろそろお前も良い年だろう?適齢期って奴だ、少しは所帯を持つ事も考えたらどうだ?
お前は勤務態度も、人への礼節も弁えてるし…何より顔もいいしな。嫁なんて、直ぐに見つかりそうなものなのに」
彼は、私の家の事情をよく知らないのだ。
私には家族が居ない。
私を作り出した両親は、私が生まれる前に死んだ。
そう、今の私を作り出したのは私だ。
あの日、目覚めた私が再びこの世に生を受ける前。その前の自分は、私ではない。
私は、もう一度死んでいる。
私は神の恩恵を受けられなかった子供。
両親というのは、私の中では一つの神なのだ。
皆、それは暖かいと言うし、優しいと言うし、愛情を与えてくれる存在なんだと、そう評する。
だけど、私にはそれが存在しなかった。
ただの幻想のようなのだ。
恋愛という、特別な感情。
特殊な心理が働くそれは、事象を理解・認識してから考え、行動に移そうとする私には認識する事のできないものだった。
女性が望む行動、幸せ、恋愛の暖かさ。
何より、愛情というものの存在。
たった一人を愛して、時には独占したいと望む…そんな自分勝手にも映る行動。
それの何が幸せなのか、分からない。
私は、それを頑なに拒絶する。
何よりも、人の持つ尊い感情だと言うけれど。
愛情の絡んだ事件の、何と数の多い事か。
時間を経るにつれて、その醜さだけに焦点が当てられる。
テレビや映画で語られる純愛が、人の心を掴む理由はこの世に存在しない幻想だからではないか?とそう考えるようになった。
その認識も、現実に触れあってみれば変わるかとも思ったものの……決して、そういうものでもなかった。
私を好きだと言ってくれた女性、その彼女の想いを、私はどうしても受け入れられなかった。
いや、理解できなかったのか。
無償で与えられるその情、それとは別に浮かび上がってくる、嫉妬や独占欲。
理解できない。
理性という言葉は、通用しない。
何より、与えられた愛情の記憶が無い私は、それをどう与えていいのか分からない。
私が与えられた愛情というのは、万民に等しく与えられるものだった。
ただ一人の特別、それを認識する事がどうしてもできない。
怖いのだと思う。
自分がやがて、親になるという事が。
私が触れられなかった存在に、背を見た事のない存在に、自分が成れるなんて到底思えなかったから。
何よりも、自分の“分身”を…子供という存在を、目にしたくない。
自分がその子に、真に理解できていない“愛情”を与えられるのか、分からない。
『白雪姫症候群』
幼い頃に虐待を受けた母親は、自分の娘にも同じ仕打ちをしてしまう。
これは、女性に限った事なのだろうか?
私はこの手で、果たして己の子を愛せるのか?
誰かに、特別な愛情なんて抱いた事もないのに。
周囲には適応できる。
ただ一人の特別な存在、そんな甘い関係。
そんな関係は幻想なんだと、私の先の先入観が、解答を覆す事を許さない。
どうしても触れたい光。
何があっても、側に居たいと願う光……。
そんな光に出会えなかったのだろう。
今までは。
私の隣りで、寝入ってしまっている彼。
寝具がもう一つある、そう知ってしまってから。彼はその布団で寝ている。
他人の寝顔を、まじまじと見つめるのは失礼だと思いつつ…止められない。
光だ……。
私の触れたいと望む、光。
影に惹かれたのではない、そんな同情のような感情とは違う。
彼の持つ、光に惹かれたのだ。
もっと、その光に触れたいと望んで…。
私はようやく、人の感情というものの全てを、認識できる日がきた。
私はようやく、人になれたのだ。
to be continued …
WOLさんの過去話です、記憶喪失はやっぱり使いたかった。
だけど、なった年齢だけずらしてみました…あんまり近過ぎると、どうかな?と思って。
大人になったので、失った感情も理解できるし、分かるけど。恋愛だけは臆病になってそうだなって。
ある意味、煩わしいくらいまで考えてそうな、そんな人だろうな…と。
WOLの過去話ですから、背景を変えてみました。
コスモスを出せて、作者としてはとっても満足です。
2010/9/20