君の元へ行こう、早く…
強がりな声から感じた、君の弱さ
呼びとめた時に、君は何を言おうとしたんだ?
琥珀
家路を急ぐ私の足取りは、疲れで重いものの…早い。
心配になって電話した相手の受け答えは、相変わらず少し固い。
だが、少しでも彼の心に近付くには、まだまだ時間が必要だろう。
それは仕方の無い事だ。
家の鍵を取り出して、玄関の戸を開ける。
「ただいま」と、奥に向けてそう言うと、コチラへ向けて歩いてくる足音。
「おかえりなさい」
出迎えてくれた彼、そして奥から漂う匂いに、私は微笑みかける。
「朝食、用意してくれていたんだな」
「あっ……まだ、出来てないんですけど」
申し訳なさそうにそう言う彼の頭を、そっと撫でる。
「ありがとう、先にシャワーを浴びてくるから」
「……はい」
頷く彼を見て、来ていたスーツのネクタイを解く。
奥へと引き返して行く彼に、なんだか新妻を迎えた様な気分になって、胸の奥が少しむず痒くなる。
よくよく考えれば、今の会話も受け取り方次第では、どこか甘さを帯びたモノに聞こえるだろう。
そう思ったとしても、今更その言葉を戻せる訳でもないので、苦笑を零してから私は風呂場へと向かう。
熱い湯を浴びて、疲れた頭がクリアになっていく。
熱い湯で冷静さを取り戻す、というのも可笑しな話だとは思うが、体の外に感じる感覚と内側の感覚は、どうやら違う様だ。
ふっと息を吐けば、それを合図の様に、私の内部のどこかが私へ向けて尋ねる。
彼をどうするつもりなのか?
このまま、この家の中にずっと閉じ込めておく訳にはいかない。
ならば、どうするのか。
職を探すしかないか…。
彼の学歴がどうなっているのか、それは聞いていないが…今年の春から働いていたという事なので、一先ず大学には行ってはいないという事だ。
今の時代だと、最終学歴を考えると厳しいか?とも思うが…生きて行くのに、仕事は必要だろう。
生きて行こうと思うのならば、何でも見つかるものだ。
彼が何か変わるキッカケになるのならば、何でもいい、何か手伝ってあげたい。
そこまで考えて、ふっ…と息を吐く。
口で言う程簡単に、物事が良い方向へと転んで行かない事くらいは、良く知っている。
そういう苦労や心の闇を抱えて、結局、行き場の無い底なしの穴へと落ちて行く人間を、何人も見てきた。
我等、警察官という職業は、市民の平和を守る一方で、そういう相手と接する職業でもある。
それは、人に支持される一方で、その実、嫌われ易い職業でもある。
努力すれば…と、人は簡単に口にするものの……それだけで全てが上手く行くのならば、誰も犯罪など犯さないのだ。
そんな綺麗事のフィルターを通して見ても、何も物事は解決しない。
勧善懲悪の物語が、現実では通用しないのは…その所為だ。
見たくないと排除した部分にこそ、真実の姿は隠されているのだ。
我等は、その“人が見たくないモノ”へと切りこんでいかなければいけない。
人が見たくないモノというのは、つまりは、その人の核心だ。
自分が他人から隠している、弱い部分…見られたくない、汚い部分……。
その部分に、我等は踏み込んでいかなければいけない。
故に……人に嫌われ易い職業でもある。
ああ……家に帰って来てまで、嫌な事を思い出してしまった。
きっと、体を温めすぎたのだ…何事もやり過ぎは良くない。
シャワーの温度を一気に下げて、冷水の中をくぐれば、再び頭が覚めた様な感覚がした。
「何か、仕事を探そうかと思ってます」
これからどうするのか?という質問に、彼はそう答えた。
食事の席で、こんな会話は止めた方がいいかと思ったのだが、先に解決してしまった方がいいか…と思いなおしたのだ。
この家に、一人で閉じ込めておく訳にもいかないのだし、活動するのなら早い内に始めた方がいい。
やはり、私と同じ事を彼も考えていたようだ。
よくよく考えれば、最初に会った時から、彼は言っていたのだ。
何か仕事でも見つけて、一人で生きようと思った…と。
だが、それが上手くいっていないという事も、彼は言っていた。
「将来の夢は、あるのかな?」
「これといって、なりたい職業があった訳ではないんです…ただ、そうですね、植物とかに関われる仕事がしたかったくらいで」
「農業に興味があった?」
「農業…うーん、それもまぁそうですけど、どちらかというと園芸ですかね……」
ベランダに置かれた花を見つめてそう言う彼に、私は納得した。
花が好きなのならば、確かに農業ではなく、園芸の方面か…。
だが、彼は直ぐに私の方を見ると「そういう道で、なくてもいいんです」とキッパリと言った。
「一生懸命、できる事ならば何でもいいんです、力仕事でも何でも…まあ、俺はあんまり頭は良くないんで、体を使った仕事の方がいいかもしれませんけれど…」
「何でもできる?」
「はい」
ハッキリとした声で、彼はそう答えた。
そう、答えるだけならば簡単だ。
いざ…それに立ち向かった時に、もう一度同じ事を聞かれたとして、どう答えられるかが問題だ。
逃げたくなるのだ、人は。
目の前に困難があれば、そこから逃げ出したくなるのだ。
そして、安全な場所からそっと、成り行きを見守っていたい。
関わりたくは無い。
怖いもの見たさの民衆、それが…一番怖い。
名前もない彼等は、無意識に色々なモノを傷つけて行く。
助けて欲しいのに、誰も、助けてはくれない。
人の冷たさと、好奇の視線の痛さ…。
彼もその被害に遭ったのかもしれない。
私と……同じ様に。
「何でもするのは構わないが……気を付けた方がいい」
「何がですか?」
「体を使った仕事にも…………色々、あるからな」
私の含みを持たせた言い方に、彼は少し首を傾ける。
どうやら、彼の中では該当するものが浮かんでこないらしい。
「切羽詰まったから、といって…我々と対立する様な方向への仕事は止めて欲しいと、そう言っているんだ」
「……例えば、暴力関係とか…ですか?」
確かに、そういうモノは一番困る。
犯罪に直結しているし、そういう仕事を締めているのは、法律に触れる事をしている様な関係者しかいない。
だが、そうだな…それよりも私が心配するのは……。
「君は、見た目に綺麗だからな…それ以外でもありそうな気がするが……」
その一言で、彼はむせた。
どうやら、他に該当する職が見つかったらしい。
それが何なのかは、聞かないでおこう。
彼は、顔を真っ赤にして「何言ってるんですか!!」と私へ向けて叫ぶ。
そんな彼に、私は苦笑を返すしかない。
「例えばの話だよ、そういう法律に触れるかどうかの瀬戸際の職は、後で後悔する事になるから…何でもといっても、それだけは絶対に駄目だ」
「……はい」
コクリと頷く彼の顔は、まだ多少赤みを帯びている。
さっき彼に言った事は、私の本心だ。
彼は、とても可愛らしいと思う。
容姿は整っている方で絶対に間違いはない、誰もがそう言うだろう。
それに加えて、今の様な彼の反応…。
どこか虐めたくなる雰囲気というのだろうか?それが、愛嬌として映るのだ。
こういう人間が、変なモノに捕まると危ない……。
彼の人を疑う気質は、だから、こういう時には有効に働いてくれればと思う。
捨て身にならなければ、彼の人への不信感は、己を守ってくれる事だろう。
「私にできる事があれば、また言ってくれ…しばらくは、ここに居て構わないから」
「ありがとう、ございます」
礼を言う彼に私は首をゆるゆると振る。
「今日はもう休みだから、これから私は寝ようと思っているんだが…そうだな、10時くらいになったら起こしてもらってもいいか?」
「分かりました」
そうやって頷く彼に、私は微笑みかけ、昨晩の彼はゆっくり眠れたのだろうか?と考える。
前日、彼は急な状況で落ち着かなかった様だったし、一人ならゆっくり休めたか…とも思ったのだが。
彼の瞳が充血し、どこか表情も暗いところを見ると、そうでも無かったようだ。
笑えば輝くその顔が、心の奥に仕舞っている何かによって、曇ったまま。
昨日の電話で切る直前に、君は何を問いかけたかったのか?
今朝の朝食ではなく、もっと別の事を聞きたかったのではないのか?
そう思うのだが、それを尋ねられる様な力はない。
踏み込み過ぎてはいけない。
助け出して欲しいのは、多分そうだと思う。
だが、必要以上の介入は、彼に私への嫌悪感を植えつける事になりかねない。
人というのは、一筋縄ではいかない。
他人の内側に土足で踏み上がっていくのは、刑事の仕事上必要な事なのだが、人としては、それは嫌われる。
距離感が必要なのだ、近すぎず、遠すぎず。
肌を打つ、水の温度と同じ様に冷たくても、熱くても駄目なのだ。
必要に応じて、変化させなければいけない。
それが難しい。
だが、これ以上彼に拒絶されては駄目だ。
やはり、待つしかないだろう。
彼が、自らその内側を語ってれる気になる、その時まで…。
to be continude …
警察官と家出少年続編。
フリオとの距離を測っているWOLさん、善意を持って近付いてくれる人でも、なんか近過ぎると疎ましく感じる事って…ありますよね?
なんていうか、最近自分の身の回りで色んな奴が色んな問題抱えている事が判明して、ああもう…どうするんだろう?という事で、WOLに色々と愚痴らせてみました。
しかし、刑事という職業の方がどんな生活リズムで動いているのか、それは目下推測の域を出てくれません。
推理小説等に出てくる刑事さん達を参考にしてます、本業の方と違うなんて言われても、フィクションですから。
2010/6/7