一人だって、平気だ
何度もそう思った
もう、希望なんて持たせないで欲しい

偽物の温もりなんて、いらないから……

琥珀

遠くから何か、音が響いている。
響く音に目を開ければ、周囲は真っ暗で。
フローリングに寝そべったまま、そのまま寝てしまっていたのか、と気付くのに時間がかかった。
音の主は、今も静かな室内に電子音を鳴らし続けている。
チェストの上に置かれている電話を見つめ、出るがどうかを迷う。
この部屋の主は今、この家には居ない。
だけど、鳴りやまないその機械をどうするべきか、迷い…結局、その受話器を取り上げる。
自分が誰か?と尋ねられた時に、電話口の相手に何と言い訳するべきかを考えつつ「はい」と言う。
『私だ、ウォーリアだ』
「ぁ……あの」
『良かった、中々出てくれないから、どうしたのかと心配したよ』
受話器の向こうから、安堵した様な声が返ってくる。


「どうしたんですか?」
そう尋ねれば、彼は『別に用は無い』とそう言った。

「仕事は、いいんですか?」
『刑事だからといって、いつだって忙しい訳じゃないさ…勿論、暇な訳でもないんだが……誰かを気にかける暇くらいはある』
誰かを気にかける……。
その心配が、今は自分に向けられている。
それは見知らぬ人間への、警戒だろうか?

違う、だろう……。

彼は俺を、気にかけてくれている。
そう考えると、どこか、胸の奥が…ギュウッと苦しくなる。
この人は、俺を思ってくれているのだ。
嘘かもしれないけれど、違うと思う。


信じたい。
信じても、いいだろうか?
この人を?


『寂しくはないか?』
「……平気です、一人で居る事くらい」
嘘でも、そう相手に言う。

心配して欲しいという気持ちもあるのだが、それよりも、この電話の向こうの相手を困らせたくは無い。
邪魔したくは無いのだ、彼の通常の生活を。
ただでさえ邪魔なんだから、疎ましく思われたくない。

『そうか…私は小さい頃は、一人で居る事が怖かった』
「誰だって、子供の頃はそうですよ」
『だけど、やせ我慢するんだ、人を困らせたくないからな』
その言葉の裏に、君もそうなんじゃないのか?という彼の質問が隠されている様な気がした。

見透かされてる?
そんな訳がない。
ただ、子供の頃の話をしているだけ、それだけだろう?
この人は、別に人の心を見透かせる訳じゃない。


「俺は平気ですよ、そんな小さな子供じゃないんですから」
平静を装って、そう返答する。
『そうだな…悪い。君を見てると、幼い頃の自分を思い出すんだ』
優しい人は、機械越しでも分かる穏やかさを帯びた声でそう言った。

そういえば、この人も施設育ちなんだった。
両親の顔は知らないんだと、そう言っていた。
俺の様に突然、孤独の中に放り込まれたのではない、元々この人の周囲には孤独しかなかったんだろう。
だから、その真っただ中に居る俺の気持ちは、この人には見えてしまうのだろうか?
それとも、これも刑事としての勘なのだろうか?


「俺と貴方は、そんなに似ていないと思いますよ」
そう、そこから間違っている。
この人が、誰の手で救われたのか…俺は知らない。
だけど彼は、今はこんなに立派に大人になって、社会人として、ちゃんと生活できている。
俺がこの先どうなるのか、そんな事は分からないけれど…でも。
今のまま、何も見えない暗闇の中から抜けられるような気がしない。
どんなに頑張っても、好転しない事態だってあるんだ。
今の俺は、幸運かもしれない。
だけど……いつまでも、ここには居られないだろう?
俺は、ここで立ち直れる気がしないのだ。


ならいっそ、死ねばいいのに。
それでも生きてるのは、一体何故なんんだろう?


「全然、似てないです」
『そうかな?まあいいんだ、そういう事は。明日の朝には帰るから、ちゃんと今夜も寝るんだぞ』
「…………はい」
『それじゃあ、おやすみ』
「あっ!……あの」
これで切られる、そう思った瞬間に…ふと、相手を引き止める。


ねぇ…どうして?

俺の事、心配してくれるんですか?
俺の事を、信じてくれるんですか?
俺は貴方を、信じていいんですか?

ねぇ……俺は…。


俺は、生きていてもいいんですか?


他にも尋ねたい事は、たくさんあるけれど…そのどれもが、言葉になって表れない。
『どうしたんだ?』
「…いえ、何でも無いんです」
『……本当に?』
そう念を押して尋ねる彼に、俺は黙り込む。
『何でもいい、心配事があるのなら、言ってごらん』
そう優しく言ってくれる彼に、俺は「大丈夫です」と再び答える。

嘘、だけど…。

聞きたい事はたくさんあるけれど、それは彼に聞いても困らせるだけの事だ。
弱さを見せて、嫌われたくは無い。
この人に、俺という重荷を、背負わせたくは無い。

「ただ…その、明日」
『明日?』
「帰って来たら……その、何が…食べたいですか?」
そう尋ねれば、彼はしばらく沈黙していたものの、すばらくすると噴き出した。

『君は、子供らしくないな』
「子供じゃないです」
『そうだったか…君の気持ちに甘えて、和食を用意してもらえるかな?』
味噌汁は絶対欲しいという彼に、小さく了承の返答をする。
『それじゃあ、今度こそお休みかな?』
「はい、おやすみなさい…あの、お仕事頑張って下さい」
『ああ、ありがとう…フリオニール』
優しいお礼の言葉が終わると、すっと通話が切られた。
受話器の向こうから響く電子音をしばらく聞いてから、そっと電話を置いた。
そして、ようやくこの部屋の電灯を付ける。
パッと、明るく照らし出される室内。
その電灯の下で、昼間に付けた自分の腕の傷を眺める。
腕に残る、噛み痕。
血は酸化し、茶色く変色して俺の腕の上で固くなっている。

また一つ増えた腕の傷。
それに刻み込んだ言葉は、“彼を信じるな”だった。
今、この血の塊を剥がせば…その刻もうとした言葉も、一緒に俺の体から剥がれ落ちるだろうか?
駄目だ、駄目だ…と呟きながらも、俺はあの人を頼ろうとしている。
残念ながら、他に俺には行くアテも何もない。
今、俺を受け入れてくれる相手は…あの人しか居ない。
だから、信じたい。
できるのならば…。


「ウォーリア、さん……」
寂しいなんて、言えないんだ。
側にいて欲しいなんて、我儘な言葉だ。
一人で居るのが怖いなんて、そんな言葉は、子供だけが許された甘えの特権。
俺は、そんな風に頼ってはいけないんだ。
そう言い聞かせて。
本音ばかり、自分の中に押し込めて。


明日、あのドアが開いて彼が帰って来るのを…心待ちにしてる。


to be continude …

あとがき

警察官と家出少年続編。
フリオは信じたいけど、信じきれない…というか、頼りたくて仕方ないんだけど、迷惑もかけたくないしで、まあ、色々とゴチャゴチャになってる感じです。
WOLはそんなフリオに対し、大人に対応していただこうかと。
前回、ここまで収める予定だったのが予想外に長かったので、途中で止めた経緯があったりして今回は結構短いです。
しかし、警察の内部事情がよく分からないので…仕事の時間とかどうなってるのか不明です。
2010/6/6

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