ふとした時に、彼は表情を無くす
それは一体どういった物なのか?
君の内側には、どういった物が存在するんだ?

琥珀

「……年頃の子供の扱いは、よく分からないな」
「何を年より臭い事を言っておるのだ」
溜息交じりの私の独り言に、先輩刑事は苦笑いする。

鎧の様に厳つい顔の刑事、ガーランドは、私を見て「何かあったのか?」とそう尋ねた。
「いや……ただ、家出少年と出会ったんですよ、昨日」
「職務が終わってからか?」
「ええ、それで…まあ結構、問題を抱えている子の様だったので」
「心配か?」
「ええ」
そう言うと、先輩の刑事は大きく溜息を吐いた。
「家出する子供というのは、大概がその家族自体に問題のある者ばかりだからな」
彼等には居場所が無いんだろう、とベテランの刑事は言う。

自分の存在する場所が無い、信じてくれる人も守ってくれる人もいない。
そんな温かみも何もない場所になんて、どうして居なければいけない?
それならば、外に出て自分の気の合う仲間に囲まれていた方が…ずっと良い。
そういう心理が働くそうだ。
そんな話は、何も珍しい事ではないので、私だって知っている。
「大分、人間不信の気がありましたから」
「大人を信用しないか、まあ若い年頃の子供には多いな」
それで何か反抗している気になっているのだろう、と彼はそう言うが、私はその言葉には否定的だ。
彼の態度は“反抗”というものではない。
おそらく、彼の態度は“拒絶”だ。
自分を受け入れるのではないか?という相手への拒絶、それは一体どうして起こるのか?
「信じたくないんだろう、人は確かに嘘を吐く」
「そんな相手に、信用して貰うにはどうしたらいいですかね?」
「粘り強く、見守るしかないだろうな……相手が心を許してくれるまで」
最初からそのつもりだった私は、その言葉に頷く。


信頼だとか信用だとか、そういうものは、長い時間をかけて築き上げていかなければいけない。
逆に、築きあげられたモノを壊すのは一瞬だ。
それを何度も見せられてしまえば、人を信じられなくなっても仕方ないだろう。

部屋に居るだろう青年を思って、私は溜息を吐く。

彼がどういう人生を歩んできたのか、それは知らない。
だが……彼のあの瞳。
彼の瞳の中に宿っている、何かの暗い影。
その影を、私は昔見た事がある。


それは、かつて自分自身も抱いていた影。
昨日、彼を見た時に思ったのだ。
彼の瞳の奥にある影に、かつての自分の影が重なった。
だから、彼を引き止めてしまったのかもしれない。
人を信じたくなかった、かつての自分の面影をその奥に見つけてしまったから。
だから、救い出したいのかもしれない……。


彼は、待っていたんじゃないだろうか?
誰か、手を差し伸べてくれる人を…。
表面上は、誰も彼も拒絶し…それで、自分を守っているつもりでいるのだが。
本当は、違う。
本当は誰かに聞いてほしい。
誰かに、自分の存在を認めて欲しい。
そう……心の底では思っている。
彼の瞳の奥に見たのは、そんな昔の私と同じ影。

もし、彼が救いを求めているのなら……。
私が与えられるのなら、その光を見せてあげたい。


「ただいま」
久方ぶりにドアを開けて挨拶をすると、奥から小さな声で「おかえりなさい」という言葉が返って来た。
それを受けて、少しだけ笑みが零れる。
彼の声を聞いて安心し、ゆっくりと部屋の奥に向かう。
そして、驚いた。
昨日と比べて、部屋の雰囲気が変わった。
それは悪くなったという訳ではない、逆だ。

「片付けてくれたのか?」
「……勝手に触っていいか分からなかったんですけど、適当に掃除とかしてみたんですけど…気に入らなかった、ですか?」
恐る恐るそう尋ねる彼に、私は首を振る。
「いや、ありがとう…余り時間が取れないんで、片付けもままならなかったんだ」
「そんなに散らかってる部屋でも、ありませんでしたけど」
それはパッと見である、細かい所を見られてしまうと、見かけ倒しである事が判明する。
確かに昔からあまりにも雑然とした部屋は好まなかったのだが、それでも、時間に追われてしまえば…全部を片付ける余裕なんて無くなってしまう。
後回しにしてしまいたくなるのだ。
「俺に出来る事なんて、これ位ですから」
俯きがちにそう言う彼に、私は微笑みかけもう一度丁重に礼を言った。
そうすれば、今度は恥ずかしそうに目を背ける。
誰かに感謝されるのは、誰だって恥ずかしいだろう…だが、それは嬉しい事でもある。
少しでも、そう感じてもらえただろうか?

「あの……夕飯も作っておいたんですけど、食べますか?」
「そこまでしてくれたのか?」
「迷惑、ですか?」
表情を曇らせる彼に、私は首を振る。
「いや、とても助かる」
昨晩の夕食時に、私が家事が得意で無い事は既に見抜かれているのだろう。
寮生活を止めて一人暮らしを始めたのはいいが、どうも時分が思っているよりもずっと、私自身は家事が出来ない事が判明していたのだ。

「今から夕飯にしようか?」という言葉に、彼はちょっと頷くと、いそいそと手際よく用意をしていく。
まるで新妻でも娶った様な気分になった私は、そんな自分の考えに苦笑する。
冗談だ、とも笑えるが…彼が笑ってくれるか、自信が無いので黙っておいた。

「悪いが、着替えてくる」
「あっ、はい」
彼の返事を聞き、私は自室へと向かう。
ネクタイを緩めて、シャツを着替えている間、私の中にある疑問が浮かび上がる。


どうして、こんな子が受け入れられないんだろうか?


真面目だし、気が利く、年長者への敬意もある。
今日一日を振り返ってみて、彼がこの部屋で何をしていたのかは一目で分かったが…それから考えると、恩知らずという訳では決してないだろう。
両親を失って、多少塞ぎこんでいるのはないか?というのは、確かに今でも見受けられる。
だが、それは周囲との関係によって少しずつでも、癒えて行く傷だ。
それなのに、どうして彼は受け入れられなかったのか?

何か……彼には、今、表面上に浮き出ていない問題でもあるんだろうか?
もし、そうだとすれば……それは一体?


気になる事が、無いわけではない。
もう大分、汗ばむ季節だというのに、彼はずっと長袖のままだ。
昨日、彼が入浴中に持っていた持ち物の中身も確認したが、彼が持っている衣服は全て長袖だった。
寒い時期から出ている、にしては…身なりは綺麗だ。
家出してから、そんなに時間も経っていないのかもしれない。
ならば、どうして彼は衣服を脱がないのか?

安易に想像されるのは、虐待等の痕なのだが…もしそうだとすれば、彼の保養者は捜索願も出してないかもしれない。
実際に彼は流血沙汰を起こしてしまったようだ、だが問題が大きくなった場合、彼の場合は正当防衛が成り立つだろう。
彼の言い分を100%信用すれば、だが。
しかし、とても嘘を言っている様には見えないのだ。
信じられる、そう思えるだけの誠実さがある。


今、深く踏み込んでいくのは……相手の傷を広げる行為になりかねない。
ゆっくりと見守るしかないのだろう。
私の事を、信用できる人間だと…そう思ってもらえるまで。
全くもって、気の遠くなる様な話だ。


「君は、料理は誰に習ったんだ?」
「母です…まだ生きてた時に、教えてもらったんです……その後は、お世話になってる時に、こうやって作ったりしてましたけど…」
「そうか、料理上手だったんだな、君のお母さんは」
「…………はい」
俯いたままでそう答える彼は、私から視線を逸らしたまま食事を進めて行く。
「もしかしてだが、食事中に会話をするのは行儀が悪いと教えてもらったのかな?」
「いえ、そういう訳じゃないんですけど…その……何を話したらいいか、分からないだけで」
俯いたまま、私にも視線を向ける事も無くそう言う相手に、少しだけ溜息。
「何でも、君の好きな事を教えてくれたら嬉しいんだが」
「俺の好きな、事?」
「そう…そういえば、君は武道は誰に習ってたんだ?」
「それは父親です、もしもの時にって…小さい頃からずっと」
もしもの時に…か、どうやら、彼の父親のその教えはちゃんと役に立ったらしい。
武道の心得がなければ、彼は今ももしかしたら彼が嫌悪する親戚の元に居たかもしれない。
勿論、その飛び出して来た行動力を、悔いている可能性だって無い事はないかもしれないが……。
「父親から教えてもらえるなんて、君は良かった」
「そうでもないですよ…結局、父にはいざという時なんて無かったんですから」
そんな事もなく、死んでしまったんだ…と、彼は呟いた。
「済まない、さっきから嫌な事ばかり思い出させている様で」
「いえ……いいんです、別に、本当の話ですから……」
私と目を合わせてそう言う、彼の瞳が、何かを強く訴えかけている。
言葉にすれば、きっとこうなるんじゃないだろうか?

“そんな同情なんて、聞き飽きた”

「学校は、もう卒業したんだったかな?」
「はい。高校卒業して、大学には行けないし……だから親戚の仕事を手伝う事になって、それでまた、変わっちゃったんです」
そして、飛び出してきてしまった…という事か。
重苦しい空気が、私と彼の間に流れる。

「花が…好きなんです」
どうすれば、この空気を払拭できるか…と考えていた時、ふいに彼がどう口にした。
「花が?」
「はい、見るのもそうだし…育てるのも好きで」
女の子みたいですか?と、恥ずかしそうに言う彼。
「いいや、良い趣味だと思う。可愛らしい」
「本当にそう思いますか?」
不安そうにそう尋ね返す彼は、もしかしたら、笑われると思っていたんだろうか?
もしかしたら、誰かに馬鹿にされたのかもしれない。
だが、そういう趣味に関しては男女の別なんて関係無いだろう。
「ああ。良かったら、ウチのベランダでも育ててみないか?そんなに広くはないけれど…」
「いいんですか?」
パッと私の目を見てそう尋ねる彼。
「部屋に一人で居ても、仕方ないだろう?」
まあ、植物と一緒で何が変わるのか、という疑問も湧いてこないではない。
だが、一瞬見せた彼の顔の輝き。
余程好きなんだろう、彼にとっては最大の癒しなのかもしれない。
「私はあまり花には詳しくないんだ、育てたのも、小学生くらいの頃の課題で植えた、朝顔と向日葵くらいだ」
そう言うと、彼は少し笑顔を見せた。
「俺も育てましたよ、夏休みもずっと、水やりに行って」
「本当に好きなんだな」
「はい」
そうやって微笑む彼が、とても可愛らしい笑顔をしていて。
それは見た私は、やっぱり、彼に何の問題があるのか分からない。
この先、もし彼の内部を知って行くにつれ、その影を私は受け入れられるのだろうか?
受け入れてやれれば、いいと思う。

心を覆う影の恐怖を、私は知ってる。
影の底に、どんな傷が隠されていようとも…。
受け入れて見せよう、かつて私が光に救ってもらえた様に。
一人でいるよりもずっと、その琥珀の瞳が輝ければいい。


to be continude …

あとがき

警察官と家出少年続編。
小説なんかは気分がノッている内に書き上げてしまうべきだ!と友人に力説されたので、やっぱり気分がノッている内に、どんどん書いて行こうと思います。
ガーランドを小説に出したのは、一体何時ぶりなんだろうか?とふと疑問に思ってしまいました。
フリオの主婦レベルは、どんな場合においても高いですね…っていうか、WOLは何故に独身寮を出たのか、その理由が分からない(笑)。
とにかく、WOLがフリオを拾った理由は、フリオにシンパシー感じちゃったからです。
さぁ、早く恋愛へと発展していけと…作者自身が思ってたら世話ないですね……。
2010/6/2

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