空は無慈悲なものだ
それでも、飛び立たなければいけない……

図南之翼

力強く大地を蹴り、上空へと飛び上がる。
敵を黙しする為に地上へと視線を向かわせると、俺を見上げる青年の金色が捉えていた。
時に、狩人の様な真剣な表情で、真っ直ぐな視線を持つ彼は、上空の自分を射落とす事が出来るだろうか?
ふと、鳥の気分になった後で苦笑する。
上空から敵を狙う自分も、また狩人なのだから。

「フリオニール!」
彼の名を呼ぶと、俺に向けて小さく頷き敵へと飛び込んでいく。
地上を走る彼の槍が敵を捉え、壁際へと激突させる。
その上から、今度は自分が槍を手に飛び込んでいくのだ。
二つの牙に刺し貫かれ、砕け散るイミテーションの残骸を見て。彼等に痛みはあるのだろうか、と呟いていた彼の声を思い出した。
そんな幼子の疑問の様な事を口に出来る程に、彼は純粋な人間なのだと、その時は思った。

イミテーションと戦ってからしばらくして、俺の少し後ろを歩いていた彼が近付き、俺の手を取った。
「カイン、大丈夫か?」
振り返って彼を見ると、心配そうな二つの目が俺を見返している。
「大事ない、心配するな」
俺がそう答えても、彼の手は離れていかない。
本当にそうなのか、何も言わなくとも彼はそう俺に尋ねている。
「本当に、大した事はない…少し掠った程度だ」
槍を振るうのにも支障は無いし、本当にただの掠り傷だ。
心配される程のものではない、そう言ったって…彼は満足してくれないだろう。
俺は小さく溜息を吐く、彼の人を想う強い目にはどうも勝てない。
「少し、休憩にしよう」
ぽそりと呟いた彼の提案を、逆らう事はなく受け入れた。


「ポーション使うか?」
近くを流れていた川の水で、腕に広がる傷口を洗っていた俺にそう声をかけるフリオニール。
「いや、この程度の傷には勿体ない。止血してくれれば充分だ」
「なら、腕を貸してくれ」
そう言う彼の言葉に素直に従い、そっと赤い線となった傷口を差し出すと、彼はゆっくりと傷口の周囲を丁寧に洗ってくれた。
「痛くないか?」
「傷は浅い、槍だって見た通り支障なく扱えるが」
「そういう問題じゃないだろう」
ムッとした顔で言うと、持って来ていたポーチの中から感想した草の束と白い包帯を取り出す。
止血効果のある薬草なのだそうだ、それをすり潰して水を混ぜて薬として傷口に塗ると、丁寧に包帯を巻いてくれる。
「カイン、本当は俺の事…足手まといだとか、思ってないか?」
俯きがちに彼はそう言う。
「何を言ってるんだ?」
「カインは、いつも一人で居るから……もしかしたら、仲間の事を頼り無いとでも思ってるのかと…そう感じる事があるんだ。皆の元に戻って来たかと思ったら、直ぐにまたどこかへ飛んで行ってしまうから」
以前に、ジェクトにもそれは注意された事がある。
ほんの少しだけでもいい、彼等と言葉を交わす時間を持てば…それだけで、安心する者も居ると。

そう言われても、自分の行動をどう指示して良いのか分からなくて。言葉として発音する事は、もっと難しくて。
俺は彼等を、不安にさせたままなのかもしれない。

「すまない……話をするのは得意ではないんだ。人の為だと思っているのだが…どうも、俺は一人になりがちらしい」
空いている方の手で彼の頭を撫でると、そっと彼の目が俺を捉えた。
「お前を力不足だと思った事はない、ただ……」
その力は今、使われるべきものではないと思っている。それでは意味が無いのだ。

「お前は優し過ぎるんだ」
「優しい?俺が?」
不思議そうに首を傾ける相手に、俺は無言で頷く。
彼は優しい、傷付きそうになった仲間を必要以上に擁護しようとする。
それは無意識の行動なのかもしれないが、この無意識は非常に危険だ。
「だけど、人が傷付くのをただ見ている事は出来ない」
「それが危険だと言ってる、無暗に他人を庇う事で必要以上の深手を負う事になり得る。
それはより人を傷つける結果となる。
だけど多分、彼はをれを経験しているのではないだろうか?
それを尋ねてみたが、彼はふるふると首を横に振るだけだった。
「すまない、俺はまだあまり元の世界の事が思い出せないんだ」
だけど、と彼は目を伏せて言う。
「誰かが傷付くのを見ていると、心の底がざわめくんだ……」
「ざわめく?」
「ああ、失ってしまうんじゃないかって。怖くなる」
何を失ってしまうのか、そんな事は尋ねなくても分かる。
そんな事を想ってしまう程に、彼は別れを経験したのか?
俺よりも幼い、この身で。
「だから、カインは居なくならないでくれよ」
そう言う彼の笑顔が、酷く悲しく映る。
優しい微笑みであるというのに、その笑顔の裏に強い痛みを感じ取る。
何よりも、彼のその願いを叶える事が出来ない己の心へ鋭い刃となって突き刺さるのだ。


いっその事、全てを吐き出してしまおうか。
この青年を前にして、思ってしまう。
俺が思う道を、彼は一体どう思うのか。
その結果は目に見えている、だから口にしてはならぬと己に言い聞かせる。
俺の背負うものを、この青年にまで背負わせてはいけない……。
彼は、今までの彼等と同じく希望なのだから。

「誰も、お前を置いていったりしないさ」
口から出た言葉は嘘だ。
それでも、彼は安堵の表情と共に吐息を吐く。
一瞬の希望は、後で打ち砕かれる事になるだろう…だけど、彼が目覚める時にはきっと覚えていない。
何もかも全て、俺の事さえも……。


「終ったぞ」という声と共に、彼の手が離れる。
彼の純真な視線から隠れる為に被っていた兜を外し、傍らに置くと、じっと彼の目を正面から捉える。
悲しみもない、敵陣に居る暴君の名前を出さない限り、怒りや憎しみもその瞳には浮かばない。
いや、その心の内に怒りや憎しみの様な感情は本当にあるのかと疑う程に。彼の瞳は美しい。
本来であれば、戦いの場所に身を置く人間ではなかったのだろう。
上空を見上げるあの目も、本来ならば広い空に未来を見る為にあったのだ。
戦場に立ち、襲い来る敵を見る為にあるのではない。
彼には確かに希望を託すことが出来る、次の輪廻で必ず羽ばたいてくれるだろう。

「フリオニール……」
「ん?どうした?」
首を傾ける相手に対して、少し口角を上げて微笑む。
「ありがとう」
すると、相手はすっと目を細めて微笑み返してくれた。
本当に彼に言いたかったのは、謝罪の言葉だった。
それは心の中だけに留め、彼の見えない場所でそっと溜息を吐く。
「カイン、そろそろ行こうか?」
「ああ、そうだな」
そっと手にする己の槍、彼をこれから先の戦場へと送り出す為に、柄を強く握り締めた。


許せ、お前を置いて行く事を。
ただ俺達はお前達に、未来を目指す希望を託すのみ。
その希望を力に、お前たちを無慈悲な空へと送り出す。

あとがき

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黒い森〜花鳥風月の宴〜 管理人・忍冬葵

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