もしも…
貴方の家の押入れの中に、こんな住人ができたらどうしますか?

押入れの中のあけち【上杉家編】

それはある日の朝のこと…。

見渡す限り、そこは闇に包まれた世界だった。


「ここはいったい……」
そう呟いた自分の声さえも、空気の中で白く凍りつくようだ。
しかし、不思議に寒さは感じられない。
それは彼が氷という属性の元に生まれ、それを妙技として自分の剣術に生かしているからなのかもしれない。

とにかく、彼…軍神・上杉謙信はそんな暗闇の中を歩いていた。

「なにもみえぬ、むみょうのやみ……もしや、これがよみのくに…ということでは、あるまいな」
しかし、黄泉平坂にしては随分と道が平たんだ。
黄泉の国へ向かう道中というものは、酷い道だと聞いていただけに、これではなんだか拍子抜けしてしまう。
それとも、これは長い黄泉への道中のその始まりに過ぎぬのであろうか?


そんな疑問が沸き起こった時、急に目の前に光が表れた。


「…これは」
『そなたは、真の勇あるものか?』
その声は、光の向こうから聞こえてくるようである。
謙信は、その光を見あげて問う。
「きでんは、いったい なにものであろうか?」
『我は、そなたの勇を試す者である』

その声を聞き、謙信はハッとなった。
「もしや…きでんは、びしゃもんてん……」
いや、きっとそうに違いないと、謙信は確信した。

とすれば、ここは黄泉の国などではない。
黄泉へと続く道中ではない。
自分の体はまだ生き、どこかで目覚めるのを待っているのだろう。

「びしゃもんてんさま、わたくしはいったい、どのような“ゆう”を、あなたさまにおみせすれば よろしいのでしょうか?」
光の前に片足をついて座り、謙信は光の向こうに居る声の主へ向けてそう尋ねる。
『そなたは、戦において多くの武勲を上げてきた、その働きとくと見ておる』
「あなたさまの おみちびき あればこそ、わたくしは わたくしの“みち”を、きりひらく ことができたのでしょう」
『さすれば、我はそなたに問う。兵を率いる将として、そなたは実に冷静である、どのような事態においても、その沈着さを保つ事が果たしてできるのであろうか?』
「どのよう なじたいにおいても、わたくしは れいせいさをもって、へいを とうそつしてきたつもりです。
それは、これからもかわることが ないでしょう」
心の乱れは、戦場において兵の統率おも乱す。
これではいけない。
一軍の将は、ちょっとの事では心を乱されてはならぬのだ。

『それでは、そなたのその心、我が試してみようぞ』
光の向こうの声はそう言うと、すっとその光が消えた。
「びしゃもんてんさま?」
次の瞬間、カッと周囲に眩いばかりの光が満ち溢れ、そして謙信はその世界から目覚めた。


「っは!……わたくしは…」
そっと目を開ければ、そこは春日山城の見なれた自身の部屋である。
そっと身を起こせば、普段から使っている布団が目についた。
どうやら…夢を見ていたようだ、というのはこの状況からは一目瞭然。

「あの ゆめは おそらく…びしゃもんてん から わたくしへの おつげに ちがいない」
そう考えた謙信は、ゆっくりと起き上がると夜着を着替える。
「お早うございます、謙信様」
音も無しに現れたその声の主は、廊下の向こうから襖越しに中の謙信へと声をかける。
「おはよう、わたしの うつくしいつるぎ」
何時も通り、自分が目覚める頃に現れた部下のくの一に、謙信はそう声をかける。
それだけで、彼女は身が蕩けそうになるくらいの幸福を得ている。
幸福とは、人それぞれなのだ。

「お着替えは、お済みになられましたか?」
朝食の準備は既に整っていると、その声は告げる。
「わかりました、いまゆきます」
そう言うと、彼は布団を仕舞おうと押入れの戸を開けた。

そこに、夢のお告げが待っているなんて、露程も思わずに。


「おはようございます」
予想もしない押入れの中からの朝の挨拶に、謙信は己がまだ夢の続きを見ているのではないかと、そう思った。


「あなたは…」
「なっ!!くっ!曲者!!」
スターンと、見事な早さで部屋の襖が開け放たれたと思ったら、風よりも早く黒い影が謙信と押入れの中の人物の間に、半ば強引に割り込んだ。
「そのような所で一体何をしている!!明智!!」
忍のかすがにそう尋ねられ、当人である明智光秀は、にこやかな、朗らかな、それはもう朝の景色に奇妙な位に、全く溶け込まない満面の笑顔で答えた。
「いえ、上杉の押入れの中は一体どうなっているのかと…加賀の方からやって参ったのです」
彼の全く意味の分からない弁明を聞き、かすがは先日の出来ごとを思い出した。

それは先日、謙信に言いつけられ同盟国へと書状を渡しに向かった時の事…。


「おっ!!かすがじゃないの、こんな所まで何しに来たの?」
「さっ!佐助!!」
運悪く、その帰りに彼女は同郷の忍である猿飛佐助と出会ってしまった。
「久しぶりだね、元気そうで何より」
「フン、お前はこんな所で何をしているんだ?」
「俺様はお仕事の帰りだよ、かすがも、まあ大方そんな所でしょ?」
その質問に彼女は黙して答えなかった、早くこの場を立ち去りたいとさえ考えていたのだが、その時思い出したように「そうだ」とその忍はある話題を持ち出した。
「かすが、越後に明智は行ってないか?」
「明智?織田の侵略は、今の所ないが…」
「そうじゃないんだ…なんていうか、明智はね、今一人で各国を巡ってるみたいでさ…」
「偵察か何かか?」
「それならその道の者が行くでしょ、そうじゃなくて…まあ、なんていうか…どうやら奴の趣味みたいなんだ」
「はぁ?!!」

全国を漫遊する事が趣味?どこかの風来坊でもあるまいし、そんな事を一国の主が行うのか?
しかもそれが、あの明智であるという。
意味が分からない。

「まあ、とにかく…混乱を招く事にならないように、充分気を付けてね」
「お前に言われなくとも、謙信様は私がお守りする!!」


もしや、これが奴の趣味というのか?
人の家の押入れに現れる事が…。

「とっ!とりあえず、そこから出ろ!!」
「ええ、失礼します……越後は、思ったよりも寒いのですね…奥州の押入れも中々寒かったのですが、あそこはまだ居心地が良かった」
それはもしかしたら、謙信が仏を大事にするそれは信心深い男だからかもしれない。
自然と、この城の中自体が神に守られているような、そんな気がするからこそ、ちょっとした遠慮の気持ちが居心地の悪さを生むのかもしれない。
だが、実際彼は朝見つけられるまで、その押入れの中に入っていたのだが……。


「私はこれで失礼します、ああ、上杉の忍さん、心配は御無用ですよ…私は別に、軍神の寝首をかくつもりなどはありません」
どうせ殺すのならば、戦場で思う存分斬り殺したいですからねぇ…と安心できない台詞を吐いて、その男はスタスタと春日山城を下りていった。


「謙信様、お怪我はありませんか?」
危険が去ったのを見て、主の身を心配する忍。

「……これも、びしゃもんてんのしれん なのですね」
押入れからあの男が現れた時、一瞬とはいえ自分の思考はまったく状況を飲み込む事ができなかった。
それだけではない、状況を把握して、的確な処理が出来ぬ内にその危険は自ら去って行った。
今回はそれで助かったのだが、しかし、もしこれがもっと別の状況であったならば……。

「…はい?あの、謙信様?」
「わたくしも、まだまだ しゅぎょうがたらぬようです……。あさげのあと、わたくしは びしゃもんどうへゆき、おのれのせいしんを とういつしてまいります」
用向きがあれば、そちらへ向かうように…という事らしい。
「承知いたしました」
彼女は謙信に盲目的に仕える、なので自分の理解できぬ事でも主が納得しているのならば、それで自分も納得できる。
黙する事は、時に美徳なのである。
どこぞの正義の男も、「悪と無駄口削除!!」と叫んでいるように、沈黙は金なのだ。


こうして、上杉家の朝は通常に戻ろうとしていた。

しかし疑問は残る。
「あの男、これからも諸国を廻るのか?」
一体何の理由があって?
押入れと言っていたが、それが一体何が楽しいというのだ?戦場で血を見過ぎたあまりに遂にあの男、狂ってしまったのではあるまいか?
「まあ、無暗に殺生をするよりは…あの方が安全か?」


そんな上杉の忍の言葉など露知らず、無事に春日山城を下山した明智は、次なる目的地へ向けて、もう既に旅を始めていた。

「次の目的地って……何故に押入れの中に?」
「あのものも、また しんぶつのみちびきにおいて、そのあしを むけているのやも しれません」
「そうでございますね!謙信様!!」

本当に彼に神仏の声が届くかどうかは不明であるが、彼の旅はまだまだ道中。
今日も明智は、自分の求める押入れを探してこの国を歩いている。

もしかしたら、次は貴方の家の押入れの中に…。




【上杉家編】完

あとがき
押入れの中のあけち第四話、完了しました。
ハプニングが起こっても、謙信公は「これも神仏の試練」という風に捕らえるだろうな、という考えからこんな話に。
かすがは、もう謙信に対しては盲目的に基本的に肯定します。

※毘沙門洞…大河ドラマ『天地人』において、謙信公が毘沙門天への祈りや精神統一などを行っていた祠、毘沙門天の像が置いてあり、謙信公の遺骨も安置されてた筈。
実在しているのかどうかは、管理人は存じ上げません、ただ使ってみたかったのです。

さて、次回は相模【北条家編】です。
2009/9/30
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