もしも…
貴方の家の押入れの中に、こんな住人ができたらどうしますか?

押入れの中のあけち【前田家編

「慶次、朝ですよ…慶次!」
何時も通り、前田家の風来坊の元へそんな女性の声が聞こえてきた。
前田家の朝の風景である。

前田家の朝は早い。
まず最初に奥方であるまつが起きる、そして大食らいの二人の男の為に、朝食の用意をする。
その支度も半ば程になった頃、前田家の当主である利家が起き出して、朝食の前に軽く体を動かして汗を流す。
これが彼の朝の日課である。
朝食のできる匂いが漂い始めた頃、風呂で軽く汗を流して食卓へと向かう。
そして、朝食の支度をすっかり整え終わると、まつは甥である慶次を起こしに向かうのだ。

これが、何時もの朝の風景。

戦国の世とは思えぬような平穏な家の風景に、家臣のほとんどはお家の安泰に心を和ませているそうだ。


「慶次!!何をしているのです、早く起きなさい!慶次!!」
そう言って、まつは大きな子供のような甥が被っていた布団を引きはがす。
「なぁに、するんだよぉ…まつ姉ちゃん……もう少し寝かせて…」
「駄目です!早く起きなさい、朝食が冷めてしまいまする!!」
「分かった…分かったよ!!」
そう言ってのそのそと起き上がる慶次。

「全く…何時まで経っても世話の焼ける……」
そうぶつくさ言いつつも、彼女は慶次の二度寝を防ぐために、いそいそと布団を片付けにかかる。
重い布団を持ち上げて、彼女は押入れの戸を開けた。


「おはようございます」
その人物は、朝の日差しのように、それはもう爽やかな…爽やか過ぎて不気味な笑顔で、奥方にそう挨拶した。
その瞬間に、彼女は我が目を疑った。


「キャッ!!キャアアアアアアアッ!!!!」
次の瞬間、前田の屋敷に響き渡る奥方の叫び声。
自分の嫁の叫びを聞いて、飛んで来ない夫はいない。
特に…この前田の家では。

「まつぅぅぅううう!!一体何事だぁああ!!!!」
ダダダダダダダ……ズザザザザァア…。
そんな盛大な効果音と共に、前田家の主がやってきた。
しかし、この盛大な効果音からも察しがつくかもしれないが、開いていた障子戸からその姿は一度消えた。

「まつ!!一体何事だ!?」
少々落ち着いて戻って来た利家は、慶次の部屋の戸の前で立ち止まった。
「犬千代様!!」
「まつ!!」
「おや、おはようございます前田殿」
「あっ!!明智殿!!」
その瞬間に、この部屋の空気が固まる。


一体何が起こっているのか、一番困り果てているのは、部屋の主である慶次である。
自分の部屋に、何故明智がいるのか。
何の目的があってこの場所にやって来たのか…。

「とりあえず、光秀…何で俺の部屋の押入れの中に?」
「私とて、流石に夫婦の部屋に入るほど下賤な真似は致しませんよ」
いやいやいや、ちょっと待ってくれよ…。
「ちょっと待ってくれよ光秀、アンタ…人の家の押入れの中に、勝手に入り込んでるのか?」
「ええ、居心地の良い押入れを探し求めて…奥州と甲斐に行って参りました」
「まぁ!!そのような遠い所から、わざわざ加賀にまでお越し下さったのですか?」
「ええ、この家の押入れも中々具合はよろしいようで」
「そうかそうか、それは良かった!!」
「何が!!?」
ちょっと待て。
この男は織田の家臣で、自分達もその同輩である事は同じ。
ならば、いがみ合う必要等はない、友好的に受け入れられる…のは分かる。

しかし……この状況下で、それは可能なのか?

慶次が放浪者の、家の為に尽くさぬ歌舞伎者であろうとも…普通に考えて、ありえないだろう。

「ちょっと待ってくれ!!何で人ん家の押入れの中に、アンタは入ってるんだよ!!」
「だから申し上げたでしょう、居心地の良い押入れを求めているのですよ」
「だから何でそんな事する必要があるんだよ!!?」
「私の、趣味ですよ」
そう聞いて、慶次はふらりと眩暈がした。
っていうか、この男は一体何時から自分の押入れの中に入っていたのであろう?

「しかし……遠路遥々、よく参られた」
「ええ…そうですわ、朝食はもうお済みでございますか?」
「いえ……まだですね」
「それでは是非、共に頂きましょう…さあ、此方に」
「ええっ!!」
どうしてそうなる!?と慶次は叔父夫婦の度量の広さというのか、肝の太さというのか…そういうものを思って驚いた。
この家、本当に大丈夫なんだろうか?
こんなに簡単に、人の侵入を許すなんて、武門の家としては問題なのではないか…?


しかし、そんな慶次の心のもやもやなどはどこ吹く風、彼等はいそいそと朝食を取りに向かった。
まるで忘れ去られたように、その場に取り残される部屋の主。


「そうだ、京へ行こう」
都へ行き、この不可解過ぎる日常から離れて、自由に過ごそう…。
まるで、某旅行会社の宣伝のように、彼はそう思い立つとそのまま家を後にした。


「犬千代様!!大変です!!」
「どうした?まつ?」
慶次が何時まで経っても朝食に来ないのを見て、部屋に呼びに行っていたまつは戻って来て第一声でそう叫ぶ。
「慶次が、また家出しました!!」
「なにぃぃい!!」
ガターンと、食卓をひっくり返さないほどの勢いで利家は立ち上がる。
「家を出てまた時間は経っておりませぬ、まだこの近くに居るものではないかと……」
「よぉうし、探すぞまつ!!」
「はい!!」
バタバタと、二人は客人を残したまま部屋を後にする。


「慌ただしいですねぇ…まあ、それもよろしいんですけれども……」
そう言いつつ、しっかりと出された朝食を片付けると、明智は前田家を後にした。


そして彼はまた風に吹かれるように、どこかへと向けてその足を向ける。
今日も居心地の良い押入れを求めて、彼は旅を続けている。


「しっかし、何で押入れなんだ?」
そんな慶次の独り言は、風に攫われて消えて行く。

その言葉が明智の耳に届く日は来るだろうか?
いや、きっとない。

「えっ!?そこ否定すんの?疑問で残しておかないの!?」


そんなこんなで、彼の押入れの旅は続く。

もしかしたら、次は貴方の家の押入れの中に…。




【前田家編】完

あとがき
押入れの中のあけち第三話、完了しました。
前田家は仲良し、きっと急な客があっても敵襲でなければもてなしてくれそうだな、と思ってます。
それが前田家クオリティ。
まあ、つまりは彼等の家は平和なんです。

さて、次回は越後【上杉家編】です。
2009/9/27
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