しかし、その願い叶える為に、刃を取り、戦を起こす…
それは何とも、矛盾した話ではないか……
仏にもなれば鬼にもなる
私は、人を傷つけたくありません。
私は、人を苦しめたくありません。
私は、人を悲しませたくありません。
私は……人を、危めたくありません。
ただ、皆と静かに暮らしていたいのです。
大切な人達と、一緒に暮らしていたいだけなのです。
どうして、その願いは聞き入れられないんでしょうか?
全ては、この世が悪いのですか?
この時代が悪いのですか?
ならば父上、戦などもう止めましょう。
人が死に、悲しみや怒りや憎しみに溢れた今、この時代を、早く終わらせたいのです。
その為に、何故戦に行かなければいけないのでしょうか?
人を苦しめた上に築かれた平和に、民が安心するとは思えません。
軟弱だと思われるのならば、それでも結構です。
私はこれ以上、大切な者達が傷付くのを見るのは、嫌なのです。
「失礼致します、若様」
そんな声と共に、襖の開けられる静かな音が部屋に響く。
声の主はよく知っている、私の部下である男。
年が近く、私をよく慕ってくれているが…一体何故に私を思ってくれているのか、私は不思議でならない。
「お父上と喧嘩されたのですか?若様」
部屋の入り口から、優しい口調でそう彼は尋ねる。
「喧嘩ではありません」
相手の顔も見ずに、私はそう返事する。
縁側に座って、相手に背中を向けたままそう答えたところで、子供がすねているようにしか見えないだろう。
それが分かっていても、なんどかバツが悪くて、相手の顔が見れないのだ。
「若様も素直なお方ではありませんね…まあ、大方予想はついております。また戦は止めようと、そうお父上に仰ったのでしょう?」
「…………」
図星である。
「戦に出たくないというのは、お父上からすると困った事でしょう…しかし」
もしかしたら、彼は私と父上のやり取りを、隣の部屋から聞いていたのではないだろうか?そんな事を考えてしまう。
「なんとも、若様らしいです」
そう言うと、彼は私の隣りに腰かけた。
「笑うのならば、笑いなさい。戦乱の世の後継ぎが、戦を怖がる臆病者だなど、いい笑い草だと父上は常々申している」
臆病な軟弱者だと、そう思われているのだろう。
それでも私は、一向に構わない。
私には私の考えがあるのだ。
「私は、若様が臆病者だ等とは思ってはおりませんよ」
しかし、彼は落ち着いた声で私にそう言った。
「若様は、自分が戦に行きたくないから戦を止めろと、そう仰っている訳ではないのでしょう?
家臣や民を傷つけたくない、そう考えているからこそ、お父上にそう仰られる」
「そんな大した考えではありません…私は、ただ人と争いたくはない、それだけです」
「それも、若様が人を殺したくないと、そんなお考えがあるからでしょう?」
彼は、私に優しくそう尋ねる。
どうしてこうも、彼は私の考えを察してくれるのか。
少し年上なだけで、こうも人の大きさに差が出てしまう。
私にとっては頼れる存在であり、だからこそ、父上は私の元へ彼をやったのかもしれない。
「若様は、お優しい方ですね」
彼は私に微笑みかける。
「甘い証拠だと、そう父上は仰います」
「そうですね……若様の願う平和な世を成すのは、とても難しいでしょう」
そんな事は分かっている。
自分の願う世が、どうやっても達成する事が難しい事くらい。
だが、それにしても…戦に出て、人を殺すのは恐ろしい。
この手で人を危める事になるのが、酷く恐い。
「……幼少の頃に、一度、屋敷を抜け出して…出陣する父上の後ろ姿を追った事があります」
「それで?」
「戦場を、遠くから一度だけ見ました」
遠目からでもそれが、この世に現れた地獄のように見えたのを覚えている。
怒号と叫び声が周囲の山々に木霊する。
人々が、倒れて行く。
血を流して、命が散っていく。
鬼が居る、と思った。
戦場には鬼が居る。
あの場で戦うのは、人にあらず、人の心を捨てた鬼だ。
こんな地獄に、望んで行く者が…この世に居ようか?
何故に、殺さなければならない?
太平の世になれば、武勇など必要なくなるではないか。
人を殺す術等、必要ない。
そう思う自分は、やはり臆病者なのだろう。
「若様は、お優しい方です…それ故に、誤解され易い」
「誤解……」
「決して、貴方様は臆病な者ではありません」
いいや、自分は臆病者だ。
戦わずして、自分の願いを叶えられる訳がない。
時代が、そんな世なのだ。
刃を取らなければ、この世で自分の願いは叶えられない。
平和を創造したいという願いさえ、刃を取らなければ叶えられない、そんな世なのだ。
矛盾を孕んだ、世だ。
そう思っていながら、それでも刃を取るのを躊躇う。
敵である相手にも、大切な者達が居る事だろう。
だから、殺したくはない。
「若様はお優しい…しかし、若様はお優しすぎる」
それだけではいけないのだ、と彼は私を諭す。
「若様、大切な人を守りたいと思うのならば…時には、心を鬼にする事も必要なのです」
「鬼、ですか……」
あの戦場で見た、鬼の形相をした武人達。
鬼にならなければ、守れぬものがあるのだ。
「若様、鬼になられませ…守りたいものが、あるのならば」
真剣な表情で彼はそう訴えかける。
『鬼になれ』その言葉が自分の心へと刺さった。
初陣へと向かう事になった、その日の夜の事だった。
合戦場、独特の張りつめた空気を肌から直に感じ、震えそうになる。
「若様、大丈夫ですか?」
「……槍の持ち方が、分かりません」
その一言に、周囲の兵が不安げに此方を見つめる。
仕方がないではないか、今まで槍の使い方なんて、習った事など無かったのだから。
ずっしりとした重さ。
「槍は、こう構えるのです。若様」
そんなふがいない自分に、呆れも見せずに彼は槍の扱い方を教えてくれる。
「こんな私で、大丈夫なのでしょうか?」
「若様、覚えていらっしゃいますか?私が言った言葉を」
不安になってそう尋ねる私に、彼は質問で返す。
勿論、覚えている。
「鬼に、なれ…ですか」
「そうです若様。兵をご覧下さい」
そう言われて、私は戦の為に集まった自軍の兵を見る。
「彼等は、若様を一番に思っております。若様は、いかがですか?」
「私は……」
父上の治める地の民。
平和に暮らす事を望む、人々。
「私も、彼等を一番に思っております」
「ならば、恐れる事はありません。若様、若様はお守りしたいのでしょう?彼等を」
「しかし、この腕に人を守れる力等…」
「若様、力ではなく気持ちを大事になさいませ。
貴方様は兵を守りたい、そう強く願っている。それだけで充分なのです。
それが、貴方様のお力に変わりましょう」
不安に揺れる私の肩に、彼の力強い手が置かれる。
それだけなのに、自分の不安が拭い去られていく。
手に力が入る。
鬨の声が響く、敵軍からだ。
遠く遠く、響いていく、合戦の合図。
ドクリと心臓が大きく高鳴る。
恐れているのか?戦場で怖気づいているのか?
この腕で、何ができる?
何を守れる?
そう、守るのだ。
例えば、自分の隣に立つ家臣の男を。
例えば、自分の前に立つ兵の男達を。
彼等を、この手で。
もう一度、生きて帰れるのならば…それでいい。
守られたくはない、鬼の手から守れるのならば。
この心、鬼に変えましょう。
双方の鬨の声が、海鳴りの彼方へと消えた。
与えられた槍を片手に、自分の陣を出る。
「若様!!」
家臣の声など、聞こえはしない。
ただ必死だ。
槍を片手に、走る。
合戦場の中を、ただただ必死に。
相手を薙ぎ倒した時の、手に残る強い力。
これが、人を殺す事なのか。
自分の肌で感じる事で、余計に恐ろしさが増してくる。
それでも、止まりはしない。
止まってはならない。
「若様、自分の背後が疎かになっております」
そんな声と共に、自分の背後で人の倒れる気配。
「貴方様自身が生き残られなければ、意味がありません」
「分かっております」
そう答えるも、本当に分かっていたのかどうかは怪しい。
ただ、この槍を振るう事しか考えていなかった。
「うわぁっ!!」
ガシャン、という金属音が聞こえ振り返る。
自軍の足軽が、敵を前に倒れ伏している。
「危ない!!」
相手が振り下ろした刃を、しっかりと受け止める。
一瞬、遅れたらきっと彼の命は無かっただろう。
その代償は……。
驚いたように自分を見返す相手の剣を押し返し、掴んでいた槍から肩手を離す。
「若、様……」
「若様!!」
「大丈夫、まだ見えてる…」
本当に大丈夫なのかは、自分でも自信がない。
左目に大きく負った傷から、零れ落ちる血を手で押さえる。
溢れる血が止まらない。
霞む視界、目を開けたままなのは無理か。
「若様、目が…」
彼は震えながら、自分の姿を見つめる。
「本当に、大丈夫だから。それより…絶対に、生きて帰るんだ…それだけ守ってくれ」
「わっ……分かりました!!」
顔を輝かせ、彼は頷いた。
「若様…ご無理をなされて」
そう言いながら、合戦から離れた場所まで自分を連れて行く。
「若様ご自身が生き残られなければ意味がない、と…そう申し上げた所でしたのに」
「ごめんなさい」
そう言いながら、彼は自分の傷の手当てをしてくれる。
「鬼になられよ、とは申しましたが…仏を捨てられぬのは、若様の優しさですね……」
「それは、駄目でしょうか?」
「いいえ、若様らしゅうございます……さあ、これでよろしいでしょう」
そう言って、彼は手を離した。
顔の片方を真新しい布で覆われ、出血も止まる。
「戻りますよ、合戦場へ」
「はい!!若様」
槍を手に合戦場へ向かう。
「私は鬼になります」
「はい」
「全てを守る、鬼になります」
「それでこそ、若様です」
その日から、俺の呼び名が“姫”から“鬼”に変わった。
私は、人を傷つけたくありません。
私は、人を苦しめたくありません。
私は、人を悲しませたくありません。
人が死に、悲しみや怒りや憎しみに溢れた今、この時代で…守りたい。
自分が大事に思う者達を。
その為にならば、鬼になりましょう。
奪った命は、必ず弔いますから。
「成仏しろよ」
過去を思い返しながら、歩いて来た海辺。
静かな波へ向けて、花を手向ける。
手向けた白い花は、波に揺られ…遠くへと運ばれて行った。
姫若子からアニキに変わる瞬間というのを、ちょっと書いてみたかったのです。
決して、元親が家臣から「若様」って呼ばれてたら萌えだな…とか、そんな気持ちだけで書いてたわけじゃないです。
本当はあの部下を、谷さんまたは福留さんのどちらかで書くつもりだったのですが、どちらにしようか迷った挙句に、どっちでも取れるような書き方をしてみました。
四国の人達の事を知る為に…現在、司馬さんの書いた小説を探してますが、近所の本屋の司馬さんの品揃えの悪さに、ちょっと悲しくなりました。
今の元親から、どうやっても姫若子が想像できない…。
個人的には、15歳超えたくらいからは大人しい男の子くらいに収まったのではないか…と自分は考えてます。
2009/9/23