月の光に照らされて、夢現の境界すらも曖昧になった頃…

落花流水

今宵は満月だ、どこかで月見酒と洒落込もう。
そう、急に思い立った。

四国へと赴いたのは、ちょっとした偶然。
九州へ行く途中、嵐に遭ってしまい、乗っていた船を修理しなければならなくなった。
「済まんねぇ、慶次さん」
とんだ足止めを食らったよ、と知り合いの船乗りが俺に謝る。
「いや、こればっかりはしょうがないだろう、それよりも俺に何か手伝える事ないかな?」
「客人に雑務なんか頼めんよ」
「いいからさ、積み荷の入れ替えくらいなら手伝うよ、俺も力あるしね」
笑ってそう返事すると、乗組員に交じって荷物の積み下ろしを手伝う。
幸いにも、修理にはそんなに日はかからないらしい。

二・三日程、この四国でゆっくりしてから行ったって、別になんて事はない。
だから、今日は浜辺でゆっくり酒でも飲もう、そう思ったのだ。


さくさく、と砂を踏みしめながら夜の浜を歩く。
真っ白な月の光に照らされて、海がキラキラと光っている。
それは昼の海とはまた違った、幻想的な光景。
自分がどこか、浮世から離れてしまったような…そんな錯覚すら起こしてしまいそうな、そんな風景。


サワサワと気持ちの良い潮風が、髪を撫でていく。
ふと、その風の通っていった方向を見て、はっと息を飲んだ。

闇夜に紛れそうな着流しは、この空と同じ濃紺。
風に流れる髪は、月光を綺麗に反射する銀髪。
その髪に映える、見たことないくらいに白い肌。
どこか憂いを帯びた、月を眺める横顔。
彼はその月を眺めながら、手にした朱塗りの杯を煽った。

ドキリと、胸が高鳴る。
煩いくらいに、ドクドクと脈を打つ心臓。
月を見上げるその視線が、ふと立ち止まったままの俺の方へと向けられる。

「何者だ?アンタ?」
少し掠れた男の、特徴ある声が俺にそう尋ねる。

しっかりと正面から見つめる彼の顔は、一つだけ部品が欠けていた。
左目を覆う布。
事故なのか、病気なのか…それは分からないが、その瞳は既に失われてしまったのだろう。
しかし、完全ではないその姿が逆に彼の魅力を引き立てているような気がする。

嗚呼、とても美しい……。


ついつい、見惚れてしまう。

「オーイ、聞いてんのか?」
いぶかしむように俺の顔を伺う男に、ハッとなって彼に答える。
「ああ、悪い悪い…」
ちょっと見惚れちまってたんだ、と言うと、彼は首を傾げた。
変な奴だなぁ…と思われたかもしれない。
でも、本当の事だった。

「隣、座ってもいいかい?」
もしかしたら、断られるかな…と思った。
静かに酒を仰ぐその姿から、彼は一人で飲みたいんじゃないか…そう感じたからだ。
「ああ、構わねえよ…でもいいのか?アンタも一人酒を楽しみたかったんじゃないのか?」
しかし、彼は俺の予想に反して、俺が隣に座る事を了承してくれた。
それが嬉しくて、嬉しくて、俺は男の隣りへと向かう。
「いや…一人酒も乙でいいけど、酒は人と酌み交わした方が美味いと思ってるんだ」
特に、美人が酌をしてくれるならね、と言うと。
「残念だったな、相手が美人じゃなくてよ」
と言って、男は笑った。
何を言ってるんだろう?自分の顔を鏡で見た方がいい。

こんなに魅力的な人は、俺は今まで、見たことがないよ。

許可を貰ったので、彼の隣りに腰をかけると、彼は傍らに置いた荷物から何かを取り出して俺に渡した。
男と同じ、朱塗りの杯だった。

「飲みなよ、お兄さん」
フッと微笑んでそう言うと、彼は俺が受け取った空の杯に、持っていた酒を注ぐ。
注がれた酒を、ひと思いに仰ぐと「いい飲みっぷりだな」と、彼は笑みを浮かべた。
咥内を通り、喉から体内へと落ちていく液体。
美味いな…きっと、いい酒なんだろう。

「もう一つ杯があったって事は、誰かと約束してたんじゃないのかい?」
手にした杯を見て、相手にそんな事を尋ねる。
「いや…家から出る時に、友人と飲むって言ったからな…そしたら、二つ用意してくれたんだよ。
まあ、嘘だったんだけどな…なんていうの、見知った顔ばかりで飲むのも楽しいけどよ、偶には一人になりたい時もあるんだよ」
そうやって彼は酒を煽る。

「アンタは地元の人間なのかい?」
そうやって俺が尋ねると、彼は自分の杯に酒を注ぎながら「生まれは土佐だ」と、返事してくれた。
「へえ」
特に何か言葉があるわけではなく、そんな気の抜けた返事をしてしまう。
そんな俺に「お前は、この辺りの人間じゃなさそうだな」と、彼はそう言った。
「分かるのかい?」
「お前みたいな歌舞伎者なんざ、この辺じゃ目立ってしょうがねえ。知らないって事は、他の国の出身だろ?」
「加賀だよ」
まあ、放浪者だけどね。
そう言うと、男はそんな人生も楽しそうだな…と俺に笑いかけた。

その笑顔の美しさに、またまた俺は見惚れる。

「それにしても…お前の着物、また派手なものだな…女ものか?」
「一応はね」
「簪とかも高いものだろう?そういう作りの凝ったものは、特に値が張る」
俺の髪に挿した簪を見て、そう言う彼に、ふと疑問に思い問いかけてみる。
「いいだろ?気に入ってるんだ、この簪、アンタの言うように確かに高かったけど…ところで、何でこんな物の値段なんて知ってるのさ?アンタの女にねだられたのかい?」
軽口を叩くように、そうやって聞く。
できれば、女なんていなければいいなぁ…なんて思いつつ、でも、こんなに良い男なら、周りが放っておかないか…なんて、半ば諦めにも似た感情が込み上げる。
「別に、そんな女が居たわけじゃないさ……ただ、なんていうの…俺にも事情があるんだよ」
そう言って視線を逸らす。

「事情って、何なのさ?」
女じゃなければ、こんなものの相場なんて分かるものではないと思うのだが…。
すると、しばらく黙っていたが、大きな溜息の後、彼は苦笑いして自分の杯に酒を注いだ。
「昔の話だ…子供の頃、俺はひ弱なガキでな……剣の修行も、何も嫌がって投げ出してしまっててな。
そんで、屋敷の中に籠って女みたいにして暮らしてたんだよ…その時の趣味で、簪とかも集めてた」
恥ずかしそうに、彼は視線を逸らしたままそう言うと、一気に注いだ酒を飲みほした。
そんな豪快さの中にも、どこか優美さがある。
荒々しい男の中には、繊細な女性的な雰囲気があるような気もする。
昔の名残なんだろうか?
それがまた、いいと思う。

「今じゃ予想もつかないだろう?」
自嘲気味に笑う男。
「そうかな?アンタ、今でも凄く綺麗だよ」
「バーカ、そんな台詞は俺みたいな男相手じゃなく、どこかのネエちゃん口説くときに使いな」
俺の口説き文句に対して、そんな風に返答する彼。
きっと、冗談だと思ったんだろうな。
冗談なんかじゃないのに。


それからしばらく、どうでもいい事を話しながら、二人で酒を酌み交わした。
記憶に残るような言葉なんて、そんなになかった。
少し酔いが回ってきて、気分がよくなってきて、色々と饒舌に話したような気がする。
ほろ酔いで、どこか頭がフワフワとする。

これはこの世の事なのか、それとも夢の事なのか、その境界も曖昧になってくる。
ああ、でも…夢でもいいかもしれない。
こんな良い月の日に、美人と浜で美味い酒を酌み交わしている。
なんて、幸せな時間。
夢なら覚めなくていいし、現実ならまだまだ続いてほしい。


だけど、楽しい時間なんてあっという間に過ぎていく。


「悪いな、そろそろ帰らないと」
最後に、自分の杯をぐいっと仰ぐと彼はそう言った。
家の者が、そろそろ心配するから…と言う。
「そうかい…」
ふいに、とてつもない虚しさがこの胸を襲う。

ああ、夢から覚めてしまう。
まだまだ、アンタと一緒に居たいのに……。
でも、引き止めるような術は俺にはない。
彼には彼の現があるから、俺はそこには、関係できない。

「アンタ、この浜にはよく来るのかい?酒を飲みに?」
「ん?時々な…一人になりたい時くらい、誰にでもあるだろう?」
俺の方を見てそう言う男に、俺は一つ質問する。

「……なぁ、またここに来てもいいかな?」
次に何時会えるのか分からないけれど、約束してほしい。
どうか…また、アンタに会えると……。

「いいぜ…何時か会おう」
そう言うと、彼は俺に笑いかけた。


その時、自然と体が動いた。
彼の元へと近づき相手の両肩に自分の手を置く、そして、その額に自分の額を合わせる。
「なぁ…また、会えるよな?」


何時かなんて、そんな不明瞭な言葉じゃ不安だ。
アンタがいいっていうなら、俺はきっとここにまた来るよ。
アンタに会いたいから。
アンタの傍に居たいから。
許してもらえるなら、さ…ずっと傍に居たい。


そう願う自分が、ふと面白くなる。
これは所謂、一目惚れってヤツかい。
まったくどうして、恋ってやつは唐突にやってくるもんなんだろう?
でも、全然悪くない。
悪い気なんてしない。

夢でも現でも構わない、アンタに会えるならば…。


「なんだよ?会いたいならまた来ればいいだろ?」
何て事のないようにアンタはそう言うけれど、俺は心配で仕方ないんだ。
一期一会の恋、そんな夢のような物語。
そんなものにしたくない。


そっと、彼との距離を詰める。
そうは言っても、もうほとんど触れられる程の距離である。
時間にすれば、ほんの僅か。
そっと、相手の唇に己の物を重ねる。
一瞬感じる、柔らかい感触。
その一瞬だけで、どんな酒よりも酔えると思った。

すっと上がる体温、気分が高揚してくる。


「アンタに、惚れちまったよ」


唇を離した後、真面目な顔してそう呟けば、驚いたように、彼の右目が少し見開かれる。
男に触れられて、嫌悪を抱いている風ではなく、ただただ純粋に驚いた表情の彼。
「へぇ…俺に惚れた……ねぇ…」
そう言うと、彼はフッと笑みを零した。
「面白いじゃねえか、アンタ」
本当に面白がっているような、そんな笑顔。
その笑顔に見惚れている間に、彼は俺の結っていた髪から簪を一本抜きとった。

それはさっき、俺が気に入ってると言った簪で、くるりと細く長い指の間で回すと、彼は俺を見て更に微笑んだ。
「これは預かっとくよ、次、俺に会いに来たら返してやる」
悪戯をしかけた子供のように微笑むと、彼は「じゃあな」と大きな声で言うと、去って行った。

夜の風が、彼の立ち去った方向へ吹いていく。
打ち寄せる波の音を聞きながら、一人残された俺は、さっきの彼の言葉を思い出す。

「絶対に会いに行くからな」
最後に見せた綺麗な笑顔を思い出しながら、俺は一人でそう呟いた。


この後、再び彼と思わぬ形で出会う事になるなんて…俺はまだ知らない。

あとがき
慶次×元親が好きです(唐突だな)。
という事で、試しに書いてみました、慶次×元親小説。
これは出会い編で、二人はまだ相手の素姓なんて何も知りません。
しかし元親自身は屋敷に住んでるとか、慶次が着てるものも良い物なんで、二人とも相手が結構な上流の人間だろう事は予想してます。
伏線張ってるように、この後再会編が存在します、それはまた後日。

にしても…バサラのキャラはなんか書くのが難しいです、きっと話し方が今一つ掴めないんだと思います。
2009/8/27
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