今、始まる
押入れの中のあけち【織田家編】
それはある日の朝のこと…。
「おーい、光秀!光秀!!」
ドタドタと廊下を走る子供の足音と、明るい声。
声の主である少年は、目的の人物を探しているものの…未だにその人物は影も形も現さない。
通常の場合、織田家の家臣の中でそんな事をしようものならば、その後にこの青年の放つ矢の餌食となるものなのだが……今回は少し勝手が違う。
「見つけたぞ!光秀!!」
次はお前が鬼だからな!!と少年は意気揚々と言うと、どこかへ向けて駆けだして行った。
「かくれんぼ、ですか?」
恐る恐る、次の鬼だ…と言われた相手に、織田家の家臣は尋ねる。
「……どうやら、そういう事のようですねぇ…」
鬼だと言われた本人、明智光秀は、まず自分がかくれんぼに参加しているという意識など無かったようで、面倒そうにそう言うとゆっくりと廊下を歩き始めた。
「まったく……子供というのは、無邪気なのか……黄蝶からの言い付けとはいえ、面倒ですねぇ…」
そう言いながら、歩いて行く明智の姿を怖々とした様子で眺める織田家家臣達の視線等、彼は一切気にも留めず、安土城内のどこかに居る子供を探して歩き続ける…。
「光秀、何をしているのですか?」
そんな男の背中に声をかける女性の声。
「おや、黄蝶」
振り返って声の主を確認してそう言う明智に、黄蝶こと濃姫は呆れたような溜息を吐く。
「私は蘭丸君の相手をしてほしい、とそう言ったハズですが?」
少年の姿が見えない事で、彼女はそう尋ねる。
「ええ、相手をしていますよ…今、かくれんぼの真っ最中です」
そう答えると、以外そうな顔で濃姫は明智を見返す。
「あら、そうだったの?」
「ええ、私が鬼です」
そう答えるものの、彼自身に果たして少年を探すような気があるのかは分からない。
既にこのかくれんぼにも飽きてきて、城内の人間を当たり構わずに斬り付け始めない、そんな雰囲気さえもある。
「しかし、子供の隠れそうな場所というのは…中々難しいものですね」
「私達とは、見ている場所が違いますからね……まあ、宜しく頼みますよ」
「分かっていますよ」
そう返答するものの、彼は酷く面倒そうに廊下を歩いて行く。
それから、約半刻程…。
「ふぅ……好い天気ですねぇ」
城内の庭先、日当たりの良い縁側で茶を啜る明智の姿があった。
「こんなに天気の良い日には、ちょっと誰かを斬りに行きたくなるものですねぇ」
この穏やかな日に、平和そうに茶を啜りながら、とてつもなく危ない事を口にする男。
それを実行してしまいそうなので、余計に恐ろしい。
「あっ!光秀!!何してるんだよこんな所で!!」
そんな男の元に、バタバタと騒がしい足音と共にヒュッと矢が飛んで来て、近くの柱に当たった。
それを見た他の家臣達は、その様子に酷く驚いたようだったが、矢を放たれた相手である明智は全く気にも留めておらす、自分の手の中にある茶を飲む。
「まったく、隠れてるのに全然探しに来ないからどうしたのかと思っただろ!!」
近くまで来てそうまくし立てる相手を見て、明智はゆっくりと息を吐く。
「見つけましたよ、探さずとも貴方の方から来て下さったじゃないですか」
そう言うと、少年はパチクリと瞬きを一度して、怒りで顔を膨らませる。
「何だよ!!それじゃかくれんぼの意味がないだろ!!光秀の馬鹿!!」
馬鹿だと言われようと何と言われようと、当の本人は一切気にも留めていない。
ズルズルと茶を啜り、用意した団子に手を伸ばす。
「どうですか?一つ」
蘭丸へ団子を差し出して薦めると、一気に彼の表情は和らぐ。
「光秀にしては気が利くな」
ニコニコと笑うと、彼も縁側に座って団子を頬張る。
その様子を見ると、ああ…この尾張にも平和な時があるものだな、と思われる。
何時の時代も、子供が笑顔で過ごす風景というのは穏やかなものだ。
例えそれが、子鬼と恐れられる織田家家臣の中でも随一の弓取りであっても…。
「この団子、美味しいなぁ」
嬉しそうにそう言う蘭丸は、置かれた団子を一つ二つと平らげて行く。
その様子を見て、明智は小さく溜息。
「……おや、茶柱が」
「立ったのか?」
興味深そうに湯のみを覗きこむ蘭丸に、明智はそっと湯のみを見せる。
プカプカと浮かぶ茶柱は、湯のみの中で立っている。
何とも、縁起が良い。
「へぇ…何か良い事あるかもな!」
「そうだといいですね」
そう言うと、残っていた茶を飲み干すと、近くを通った侍女がその湯のみを受け取った。
「さてと!腹ごしらえも終わった事だし!!光秀、今度は蘭丸が鬼をするからな!お前が隠れるんだぞ!!」
ビシッと指を差してそう言うと、彼はその場で目を覆い「ひとーつ、ふたーつ…」と数を数え始めた。
それを見た明智はふっと息をついてから立ち上がり、どこに隠れようかと城内の廊下を歩いて行く。
そんな彼が見つけたのは、信長の寝室。
「……フフ、フフフここは信長公の…」
どうやら、明智の変態の血が騒ぎ始めたらしい。
ゆっくりと音を立てないように忍び込むと、彼は信長の寝室を見回す。
そして、ある一点に目を向ける。
派手好きの信長らしく、派手に装飾された室内にある、一組の襖。
押入れ、である。
「フフフ、ここに信長公の寝具が収められているわけですか…」
そう呟くと、音もなく彼はゆっくりと押入れを開けると、その中へ入る。
ポスンと中に入り、ゆっくりと戸を閉めると、その中の布団の上にゆっくりと正座する。
「ああ……信長公の匂いが…」
呼吸をすると、鼻腔一杯に広がる彼の主人の匂い。
その匂いに興奮してきたのか、顔を赤らめて息を荒げる明智。
やはり、彼の中には変態の血が流れているようだ。
「ああ…信長公、信長公の匂い……」
うっとりと、それはそれは幸せそうにそう呟く明智。
暗い空間で、その姿はとてつもなく怪しく……また、不気味である。
「はぁ……それにしても、ここはお落ち着きますねぇ…」
ふと変態の血が少し収まって、彼はこの空間がとても居心地の良いものである事に気付いた。
四方を狭く囲まれた空間で、彼は思いもよらないエクスタシーと、予想外の安息の場所となっている事に驚きを隠せないでいる。
狭い空間というのは、思いの外落ち着くものだ。
恐らくは、母の母体に居る頃のあの狭い空間を、体が懐かしんでいるのだろう…。
どうやらその感覚は、死神のように恐れられるこの男にもあるようだ。
「見つけたぞ、光秀!!」
スパーンという音と共に、押入れの戸が開けられる。
急に明るくなる室内に明智が目を細めると、腰に手を当てた少年が明智を指さしている。
「全く!信長様の押入れの中に入っていても、蘭丸にはお見通しなんだからな!!」
次はお前が鬼だぞ!と喜々として語る少年を見つめ、彼は小さく溜息。
名残惜しそうに押入れから出てくると、駆けだした少年を見つめ、明智は呟く。
「これは、思いの他の収穫ですね」
一体何の収穫があったのか、全く不明だが…彼にとっては、どうやら大きな収穫があったようだ。
「濃姫様!濃姫様!!」
バタバタという騒がしい足音を聞いて、商人から新しい反物を選んでいた濃姫は顔を上げた。
「これ、小僧…失礼だろう」
「構わないのよ。どうしたの、蘭丸君?」
窘める行商人に対し、濃姫はそれを諌め、少年の方を向いてそう尋ねる。
「濃姫様!光秀が居なくなりました!!」
「何ですって!!」
驚く濃姫の前に、蘭丸は懐から何やら紙を取り出す。
「光秀の部屋からこんな物が見つかったそうです」
蘭丸が懐から取り出したのは、信長公へと書かれた光秀からの手紙。
それを受け取った濃姫は、どうしたものかと考えあぐねる。
『皆様にはご迷惑をおかけしますが、訳あって、私はこれから旅に出させてもらいます。
何、大した事ではございません。
少しの間、この日の本の国を見て回って来ようと思った次第です。
直ぐに…とまでは申しませんが、帰って来ようと思っています。
まあ、留守の間の事は私の家臣が何とでもする事でしょうし…もし、合戦が起こるような事があれば、私は地底の底からでも瞬時に駈けつけますので、ご安心を。
それでは、また会う時までご機嫌麗しゅう…信長公』
「……明智 日向守 光秀…との事です」
残されていた手紙を読み上げ、自分の夫である信長の方をそっと伺う濃姫。
「うむ……」
低く唸り声をあげる信長は、普段と変わらぬ形相でその手紙の文句を頭の中で復唱しているようだ。
そして、ゆっくりと大きく呼吸をすると、閉じていた目を開けてニッと笑う。
「フン、善きに計らえ…」
「か…上総介様!!」
家臣の勝手を許してもいいものなのか、と、そう問いかける濃姫に対し不敵に笑った信長が彼女の言葉を一蹴する。
「構わん。光秀はああいう男よ、我らが引き止めようとも寄越した遣いを皆殺しにするのがオチであろう。ならばあの男を自由にしておいた方が良かろう」
「しかし…もし、敵国で光秀が問題を起こしたその時は…」
「それならば、それを好機とすれば良かろう」
それこそ、他家の武将の首でも取ってくれば戦乱の世の情勢は大きく崩れる事だろう。
そして、あの死神ならばそれくらいの事はしかねない…手詰まりとなっている今ならば、織田家に良い風を吹き込む良い機会を作れるかもしれない。
だが、それだけでは心配は拭いきれない。
「しかし上総介様!…もし、もし光秀が織田を裏切るような事があれば」
織田家の内情を良く知った明智が、もしも敵国に付く事になれば…それは織田軍にとって、とてつもない被害をもたらすだろう。
しかし、そんな濃姫の心配をよそに信長はただ不敵に笑う。
「是非もなし!それはこの戦乱の世の理よ」
「上総介様……」
自分の夫の懐の広さというのか、肝の太さというのか…そういうものを見せられた濃姫は、ほう…と息を吐くばかり。
本当に強い者の前では、全ての心配は無用の長物となってしまうものなのだ。
今回の明智の件に関しても、彼女の心配は信長には通用しなかったのだ。
だが、この男ならばきっと…大丈夫だろう。
そんな心配を跳ね抜けるくらいの力強さが、その男、信長にはあった。
「やっぱ…信長様は凄いや」
大きな人だなぁ…と蘭丸は改めて、自分の主の強さを感じて溜息を吐いた。
所変わって。
安土城外の野道を、一人の男が歩いていた。
「フフフ…一度感じた押入れの、あの快楽が忘れられないのです……」
機嫌も上々に足取りも軽く男、明智光秀は道中を行く。
どうやら、押入れの中に入る快楽というものに目覚めてしまったようです。
それは彼の溺愛する信長公であるからこそ、得られた快楽なのではないか…という疑問が沸き起こって来るのだが、しかし、彼にはどうやらそんな事は関係ないらしい。
「さあ…この日本のどこかに、あの押入れを超える居心地の良い押入れは、存在するのでしょうかね…」
意気揚々と、明智は歩く。
この日本のどこかに存在するであろう、“究極の押入れ”を求めて……。
押入れの中のあけち、友人・らいらいに捧げます。
先日、彼女が誕生日だったというのに何を書いたらいいか分からず、本人に聞いた所、なんと明智が見たいという事で。
…島津編みたいな微妙な所あげても仕方ないし、という事で旅の始まりを書いてみました。
幻の織田家編です、途中凄くほっこりしてましたけれど、明智は結局ただの変態なんです。
そして、ここから第一話へと続きます。
多分、信長公には押入れに入っていた事はバレなかったんでしょうね……。
らいらいへ、遅れたけれど誕生日おめでとうございます!!
こんな奴だけれど、これからも仲良くしてくれると、とても嬉しいのです!!
2010/2/15