寒い日は嫌いだ、夏の熱い日のほうがずっといい。
自転車とマフラーと寒がり
気温が一桁になると、いっそ部屋から出たくなくなる。
そう思うものの、インドアな趣味はあまり好きじゃない。勉強するよりは部活で汗を流すほうがいい。でもどうせ外に出るなら、愛車でどこか走り回りたいと思いつつ、通学用の自転車を使って、少しだけルートを変えて走ることで気持ちを抑えている。
この季節に外を出歩く時は、自然と厚着になってしまう。制服のときは尚更だ。コートにマフラー、自転車に乗る場合はグローブ型の手袋は欠かせない。できるなら、耳あてや帽子で頭もしっかり覆ってしまいたいのだが、前にその姿を見た青峰にバカにされたので癪に障るからしなくなった。
部活の後で体は温まっている、だから余計に打ちつける風が冷たいんじゃないのかと疑ってしまう。寒い中わざわざ遠回りのルートを取る必要もないんだけれど、そんな気分だったから仕方ない。なんとなく、走ってみたくて体が疼くのだ。
そろそろ家に向けて方向を切り替えようと、白い息を吐き出して考えていると、信号待ちをする人の中に見慣れた色をみつけた。深い赤色に飛び抜けた長身は、人混みとはいえ間違えるわけがない。
「おい、火神じゃないか」
車道の脇から声をかけてやる。周りから大きいとよく言われる声は、他の雑音にかき消されることなく真っ直ぐに届いたようで、赤い目がこちらを振り返り「あっ」と小さく零してから「桐皇の、若松さん?」と首を傾げ、直後に大きく咳きこんだ。
歩道に乗りあげて近寄ってみると、涙目になった相手が「すみません」と小さく呟いた。その顔は赤く、どう見ても体調がよくないんだろうことが見てとれる。
「お前、風邪か?」
「ス、医者、行ってきたとこで」
弱っているせいか、どこかフラっとした立ち姿は、試合中に見た強気な姿とは打って変わって、非常に危なっかしく映った。元気で丈夫そうなイメージしかないので、意外すぎて面食らう。
「大丈夫か?家、こっから近いか?」
「いや、ちょっと歩くんスけど。バスとか乗ったら、中で寝ちまいそうなんで」
歩いて帰れない距離じゃないから大丈夫だと彼は言うが、明らかに無理をして立っているのがわかる。しかも、こんな寒い日に出歩いているのにマフラーも手袋もしていない。上着は着ているが、自分からしたら有りえない装備の弱さに溜息が出る。風邪だというんならなおさらだ、もっとあったかい格好で出歩け。
首に巻いていたマフラーを外し、火神の曝け出した首に巻きつける。「なにすんだよ!です」と変な日本語で抗議する相手を無視し、長めのそれを首元で二重に巻いて覆ってやる。
薄手のタートルネックでは、流石に首を温めるには弱すぎる。直接風が吹きつけてこないだけましだと自分の中で良い訳し、上着の合わせを限界まであげて「後ろに乗れ!」と言った。
「は……え?」
「家まで送ってやるから乗れ。そんな格好でフラフラ歩いてて、危なっかしくてしょうがないんだよ、ホラ!」
呆然と潤んだ瞳で俺を見つめる相手に、早くしろ寒いだろうが!と叫ぶと「すみません、でも、悪いんで」と、もごもご喋る。
「俺がいいっつってんだから、遠慮せず乗れコラ!」
「は、はい」
ビクッと肩を震わせて答えると、恐る恐るといった具合に火神は荷台に腰を下ろした。ぎっと自転車が鈍く軋んだ音をあげた。
「あの、若松さん……俺、重いぞ、です」
「そうだろうな、でもまあ大丈夫だろ」
正直に言うと、二人乗りなんてしたのは初めてだ。どうやってバランスを取って走ろうか、と考えていると後ろからぎゅっと火神の腕が回されて、思わずこけそうになった。
「ちょっ!待て待て!」
この手はなんだと尋ねると、後ろに居る相手は「えっ?」と不思議そうな声をあげた。
「すんません、二人乗りとかしたことないんで。こうやって乗るんじゃ、ないのか?」
そう聞かれると首を傾げないといけない。近所で見かける中学生たちはどんな風にして乗っていただろう。少なくとも、男同士で腰に手を回したりはしてなかった気がするものの、背中に触れる火神の体温に考えるのをやめた。
立っていてもフラフラしてるんだ、こうやって掴まってくれてるほうが安心して走れるかもしれない。
「とりあえず、道案内は頼むぞ」
「わかった、です」
ゆるゆると答える相手に、本当に大丈夫だろうなと思いつつペダルをこぎ出した。
次の信号を右に、交差点は真っ直ぐに、と耳元に少し掠れた声が吹きこまれる。
上着越しでもわかる相手の体温に、なぜかやけに緊張していた。俺が風を遮っているからなのか、寒くないかという質問には「大丈夫だ、です」と弱々しいけど、でも嘘はついていない声で答えた。
じっとりと手袋の中で汗が滲んでいるのがわかる。なんでこんなにも緊張しているのか、他校の後輩、しかもウチのエースにとってのライバルに、どうしてここまで気を使っているのか。自分でもわからないものの、なんとなく世話を焼いてやりたくて仕方がない。
「若松さんは、部活だったのか?」
「ああ、午前だけな」
「青峰の奴、ちゃんと来てたか、です」
そう尋ねられて、少しバランスを崩しかけた。わかっていたこととはいえ、こいつの頭にはどうやらあいつが色濃く影を落としているらしい。
「今日は珍しく遅刻なしに来てたな、どうかしたか?」
「いや……どうしてんのかと思って」
次、会うのが楽しみなんだと、少しつっかえながら火神は言った。
「桃井さんが、練習ちゃんと出るようになったって、前言ってたけど。あいつ、やっぱ変わったのかな、って」
「そうだな……まあ、夏までよりはずっと、楽しそうにはしてんじゃねえか」
「なら、よかった」
ここの角を曲がってくださいと言われた通り、右にハンドルを切る。もう、前のマンションが家なんでと呟くと、少し俺の肩にもたれかかってきた。
こけそうになるのを耐えて、なんとかペダルを踏みこむ。多分、かなり熱が高いので縋るものがほしいんだ。ただそれだけだと、誰に向けてでもなく繰り返し呟いた。
マンションの前で自転車を停め、着いたことを告げると、ゆっくりと熱い手が離れていった。荷台の重さがなくなって安心したのか、自転車のサドルがくたっと手の中で転がる。
「ありがとうございました、です。わざわざ、ここまで」
「別にいいんだよ。なんつーか、ウチの阿呆のためにもさっさと治してくれ」
そう言うと、目元をちょっと綻ばせて「はい」と大きく頷いた。
「あっ、若松さんこれ返す、です」
しっかりと巻きつけたままだったマフラーを、急いで解こうと試みる相手を止めて「やるよ」と言う。
「体調管理は基本だろうが、寒いんだからマフラーくらいして外、出歩け!」
「でも、これ若松さんの」
「いいんだよ、先輩命令だ!これからはちゃんと巻いて歩けよ」
なぜか顔が熱くなるのを感じながらそう叫ぶと、きょとんとした後で火神はふんわりと笑った。
「ありがとう、です。若松さん」
風邪、治ったらお礼しに行くんでと言い残し、一礼してから中へと入って行った相手を見送り、しばらく止まっていた息を吐き出した。
なんで俺は今、一瞬、火神を可愛いと思ったんだろうか。
確かに素直だし、遠慮とかそういうもんも弁えてるし、変な日本語だったがまあ敬語を使う気もあるんだろう。どこぞの阿呆に見習ってほしいくらい、いい後輩だとは思う。ああ、マジであいつがウチに来たら良かったんじゃ……とか考え出し、いい加減に呆れてしまった。
俺はどこまで、可愛い後輩に飢えてるんだ。
もういい帰ろうとペダルを踏み出す。
マフラーはない、けれども今日はなんだか顔が熱くて、胸も熱くて。そんなものなくても家まで帰れそうな気がした。
若松さんは自転車似合う気がするんです。
2014年1月22日 pixivより再掲