捕まってしまいそうだと思った。
その目を見た時に、石のように固まったんだ。指一本動かせなくなってしまって。
それが酷く、もどかしい。
こんなの初めてだったんだ。

Algol

高く飛び上がる火神を見て、あいつの相棒は「天使のようですね」と言った。
「お前の目、大丈夫か?」
本の読み過ぎで悪くなったんじゃねえの?と言えば、テツの奴は失礼ですね君は、と腹を軽く殴りつけてきやがった。どっちの方が、とは思ったもののやり返すと面倒だ。
「あのなあ、普通190もある男に天使とか……んな恥ずかしい例えするかよ?」
「そうは言いましても、あんなに軽々と飛び上がるんですよ?背中に羽根でも生えているみたいじゃないですか」
確かにそうだ、火神の跳躍力はかなりのものがある。まさしく飛距離と称してもいいくらいだ。
だけど、俺はテツの言う羽根に引っ掛かりを覚えた。
「仮に生えていたとしても、天使じゃねえだろ」
「どういう意味ですか?」
「天使があんな獣じみた目しててたまるかってんだ、ありゃどう考えても……」

悪魔だろ。

そう言うと、テツの奴はしばらく俺を見つめてふぅと溜息を吐いた。
「君に火神君の事を分かってもらおうとしたのが間違いでした」
「そうかよ、悪かったな」
そう返すと黒子は呆れたように俺を見つめ「まだ言ってないんですか?」と尋ねた。
「何を?」
「好きなんでしょう?彼の事が」
真っ直ぐな瞳が俺を強く射抜いてくる、それを無視してまたコートで飛び上がった火神を見つめていた。あの体を飛び上がらせるだけの見えない羽根よりも俺は、その目に宿る光を見つめていた。
「いい加減に言ってしまえば、楽になれるんじゃないんですか?」
「そんなんじゃねえよ」
そんなんじゃねえんだと、繰り返し言う。それはテツ相手だけじゃなく、俺自身に言い聞かせるためでもあった。
「あいつの目が、好きなだけだよ」
そう、俺はあいつの目が好きだった。ギラつくように深く赤く澄んでいる時もあれば、人を見つめる時に優しくなったり、怒りや焦りで濁りを見せたり、刻一刻と変化していくあの赤色が好きだった。
だから追いかけてしまう。自然と見つめてしまう。
ただそれだけの事だった。
「そう言う割に、君、火神君とあまり目を合わせて話しないですよね」
「しょうがねえだろ」
それだけの事だと切り捨てるのは確かに簡単だが、向かい合ってあいつの目を見るのは駄目だった。
それがバスケの最中であれば、ぞくぞくと背中を駆け上がる興奮としてこの体を熱く焦がしてくれる、最高の瞬間に連れて行ってくれる火神という男を、俺は変な意味ではなくコートの上では愛している。
ただ、その熱が引いて考えてみると、どうにもあの目が怖くなってくるのだ。
一度捕えたら離さない、噛みついた肉食獣とはわけがちがう。食い千切られるのならば、こちらからも噛み付き返してやるまでなのだが……あいつの持つ目は、そんなものとは全く違った色を見せる時がある。
あの目は駄目だ、綺麗な色をしているのは確かだけれど、あれは見てはいけない。そう本能が告げている。

それこそ、見たら全身が石になってしまったみたいに動けなくなる。

「火神君はゴーゴンじゃないですよ」
いつも通りの無表情の中でも、呆れた色を見せるテツの目を見て首を傾げる。
「ゴーゴンって何だよ?」
「知らないんですか?ゴーゴン姉妹というギリシャの怪物です、有名なのはメデューサでしょうか。とにかく、その怪物は目が合ったものを石に変える力を持つんです」
「ふーん」
別段、興味はなかった。テツはやっぱり物知りだなって思ったくらいだ。
でも目が合った奴を石にするなんて、また面倒な能力を持ってるな。そんなんじゃ、誰とも会えやしないじゃないかと思ったら、黒子は「彼女は呪いを受けてしまったんです」とその怪物の話を続ける。
「元は美女だったというのに。自分の美貌を自慢して、女神の怒りを買ったために醜い怪物に変えられてしまったんです。最期にはギリシャの英雄が女神から貰った特別な盾を手にやって来て、彼女達は退治されてしまうんです」
「ふーん……それが何だよ?」
「君が火神君と目を合わせて話をしようとすると、石になったみたいに動けなくなると言ってからの雑談です。別に意味はありません」
おい待てよ、それだとまるで俺があいつを恐がってるみてえじゃねえか。そう言ったら黒子は「違うんですか?」と首を傾げる。
「あいつが恐いとか、ありえねえだろ」
ただ魅力的な目をしているだけだ、あと小生意気な顔してやがる。そういうところがそそられるんだよなと思っていると、黒子はまた呆れたように「君も大概にして下さいよ」と呟いた。
「どのみち、君が火神君に惚れているのは間違いありませんけど」
「だから、そんなんじゃねえっつーの」
そう、そんなんじゃない。
俺は確かに火神の事が気に入っているし、あいつの方も最高のライバルだと思ってくれているかもしれない。でもそれは、キセキの世代と呼ばれた俺達全員に等しく向けられたものだろうし、何も俺だけが特別視されてるわけじゃないはずだ。もし俺が特別だとしたら、それは間違いなくあいつと俺のポジションであるとかプレイスタイルだとかが、それだけ似ている面があるというだけだ。
「とりあえず、その貧乏ゆすり止めたらどうですか?いい加減に鬱陶しいんで」
テツにそう指摘されて、ようやく自分の右足がずっと振動している事に気付いた。いつから続いているのかは知らない、けれどかなり長い時間続けていたんだろう。
「黄瀬君と火神君が1on1を始めてから、十分くらいしてからですかね」
「マジかよ、そんなにしてたのか?」
「本当に気付いてなかったんですね」
溜息を吐くと黒子は立ち上がり、自分の鞄を持って戻って来るとベンチに座って文庫本を読み始めた。どうやら、俺の相手をするのが面倒になったらしい。仕方なく、火神と黄瀬のいるコートに再び視線を戻す。動きを追いながら、イライラと無意識に足を動かしているのを、またテツに注意された。

「青峰っちって、意外と奥手ッスよね」
休憩中の黄瀬が俺に声をかけてきた、意味が分からずに「何だよ」と不機嫌になって返すものの、相手は全く怯んではいないようだった。良の奴だったら「すみません」の一言を何度も聞けるだろうが、コイツはそれだけ俺の扱いにも慣れているんだろう。
だからこそ、余計に面倒だ。
「だってさ、あんなに熱烈に火神っちの事見つめてるのに、告白まだなんでしょ?」
「お前もいい加減にしろよ黄瀬」
一段低い声でそう返答するも、黄瀬は別にけろっとしていて「だってそうじゃないッスか」と不思議そうに言う。
「あんまり放置してると、火神っち誰かのものになっちゃうッスよ」
そう言われてもピンとこなかった。
あんな絵に描いたように自由な男が、誰かの腕に納まっているものだろうか?檻に閉じ込めたところで、自分で破って出て来てしまいそうなくらい獰猛な男だと思う。
「まあ青峰っちがどう思うかは自由ッスけど、火神っちってかなり人にモテるからね?」
それは言われるまでもなく知ってる、気が付きゃあいつの周りには人が集まっていたりする。あいつの学校が特別仲が良いというわけじゃなくて、何だかんだ言いながら俺や黄瀬もこうやって週末に会ってるわけだし、時々は緑間やあいつの相棒だってやって来る。あの偏屈まで傍に寄せるくらいだ、よっぽど力があるんだろうなとは思う。
「本当、青峰っちも面倒ッスね」
「何がだよ?」
「好きなら好きだって、認めた方がいいって事ッス」
ニヤッとからかうように笑う相手を見つめて、こいつの話なんてまともに取り合った方が馬鹿だったと後悔する。

ただ、一生懸命にあいつの事を目で追いかけている自分がいるのは確かだった。

「恋だって認めちゃった方が、楽になれるッスよ?」
「だから、ちげぇっつってんだろうが!」
そう言って黄瀬の奴に容赦なく右ストレートを叩きこんでやった、テツと違ってコイツは手加減とかそんなもんは必要ない。

愛だとか恋だとか、んな恥ずかしい台詞がよく言えるもんだな。

「なあ青峰、この後さ。俺の家来ねえ?」
日が暮れて暗くなったコートで、最後まで残っていた俺に火神は声をかける。
「いいのか?」
「お前さえ良ければな、汗も流してった方がいいだろ?」
着替えは貸してやるからと言う火神の声を背中で受け止めながら「じゃあ邪魔する」と返事を返す。
泊まって行くか?夕飯何食いたい?明日、何時に帰ればいい?明日どこ行きたい?
隣から投げかけられる質問に、俺は丁寧に答えていく。
じゃあ面倒だし泊まって行く。何でもいいから肉。明後日も休みだし、いつでもいい。別に行きたいとことかねえ。
「お前は何したいんだよ?」
火神にそう尋ねれば、俺の隣で長い影を揺らして歩く相手は「バスケ行きてえな」と言った。お前、本当にそればっかだよなと呆れて言ったものの、火神は少し拗ねたように言う。
「しょうがねえだろうが、俺にもお前にも、バスケくらいしかねえだろうが」
確かにそうだ、俺と火神の間にはあるのはバスケだ。コートの上で、喰らい合うために存在しているはずだった。それだというのに、気が付けばこんな風に傍に居て、同じ釜の飯なんて食う仲になっている。
この距離はおかしいと、前から思ってはいた。
コート上での興奮を引き摺るように、惰性で付き合っているようなものだと思う。けれどそれでいながら火神の傍に居るのは楽しい、安心すると言ってもいいのかもしれない。そういう空気をこいつ自信が持っているのかもしれない、だからこそ群の中心にいつも火神がいるのかもしれない。
でも、こうやって話している今も俺は火神と目を合わせない。相手の赤い瞳は真っ直ぐに俺を見つめて、じりじりと俺の首筋や頬を焼いているけれど、それでも俺は前を見て歩いて行く。

目を見る事ができない。

臆病者でもなんでもない、恐くなんてない。
でもあの目だけは駄目だ。平素の状態で、食うか食われるかの臨戦状態でない時にあの目を見てはいけない。
バスケという盾越しじゃないと、火神の目なんて見れやしない。
見たらきっと、石になる。

「なあ青峰、お前ってさ俺の事嫌いか?」
何の前触れもなく、火神はそう尋ねた。歯に衣着せずに、知りたい事を直球で聞いてくるのは馬鹿なのかもしれないけど、俺は嫌いじゃない。
「嫌いだったら、そもそも会いに来たりしねえよ」
「そうだろうけどさ、お前。何で俺の顔あんま見ねえの?」
前から気になってたんだと、相手は不思議そうに尋ねる。人の目を見て話をするんじゃねえの?と小学生の頃から何度も教えられた人と話す時の礼儀について質問されて、そうなんだけどよと言葉に詰まる。
「別にいいだろ、困るもんでもないし」
「良くねえよ」
全然良くねえと火神はさらっと否定する。
じゃあ何が良くねえんだと聞けば、俺の正面に回って肩を掴んできた。
ビックリして顔をあげれば、真っ赤な瞳ががっちりと俺を捉える。一度見つけたら絶対に離さないだろう、強い意志を持った目だ。
駄目だ、石になる。

「俺、青峰の目好きなんだ」

だからもっと良く見たい。
好奇心溢れる小さい子供みたいに火神はそう言う。そうやって射抜かれている間に、俺はどんどん自分の体から自由を奪われているのに、だ。そんなのは知らないと、火神はじっと覗き込んでくる。

認めてしまった方が楽だと、色んな奴が言う。

違うんだと俺はそのたびに首を振ってきた、そうでもしないときっと自分を保つ事なんてできない。認めてしまったら最後、俺はもう石になるしかない。
毒が全身に回ってしまう。こんな肉をお前は食ってはくれないだろう?蛇は時々、自分の毒で死にかけるらしい。だったら、毒がしっかり回りきった肉なんて食えたもんじゃない。しかもこの毒は問題だ、だって死ねない。絶対に俺は死ねやしない。腑抜けたままでお前と向かい合わなければいけない。馬鹿らしい、そんなんだったらもっともっと、別の顔でお前と向き合っていたい。喰らい合う獣でありたい、せめてお前の捕食対象になるような存在でありたい。
そうでないと、お前はその目で追ってくれないだろう?

「俺だって、お前の目は好きだぜ」
「えっ……そうなのか?」
「ああ、好きだぜ」
じゃあ何で合わせてくれないんだと、火神は尋ねる。真っ直ぐにかち合ったままの目が俺を犯していく。視線で石にされてしまうというのはどういうかんじなんだろうか?一瞬で体が固まるのか、それともじわじわと指先から固まっていくのか。
全身が麻痺したように痺れていく、ガッチリと緊張して体が強張っていく。ああ石になると思った。末端から冷えていくんだろうなって思ってたのに、不思議と反対で体の中心からどんどん熱くなっていく。
「お前の目、好きだけど。俺はそれで見つめられんの、苦手だ」
「何で?」
純粋に疑問を投げかける。
少し首を傾げて言う相手に、何を答えればいいんだろう。
石になってしまいそうだから、見れない?
そんな馬鹿な事、言えるかよ。
「苦手なんだよ、見透かされそうで」
なんとか視線を外して、誤魔化すように答えたら火神は「見透かすって何を?」と更に追い打ちをかけてくる。
「だから、お前に見られてると!俺の心とかなんか、そういうもん全部見られてる気がしてくんだよ!嫌だろうが、そんなん!」
「なんだそれ」
きょとんとしたように火神は言う、一生懸命答えたのにと怒っても良かったが、相手の反応もまた正しいものだと思う。そりゃいきなりこんな事を言われても、何て返せばいいんだか……俺ならきっと、馬鹿じゃねえの?とかバッサリ切り捨ててる。だからこいつの反応だって仕方がない。
だが、酷いと思わないか?

天使のようだと言われるこの男は、確かに純粋だし正直者だし、かなり素直で確実に良い子だ。
だというのに、その目は獣のようで、捕まえると逃がさないと強い光を放っている。
今だってそうだ、焼き尽くされそうな熱を持つ視線が……。

「そんなん、お前だって同じじゃねえか」
「は?」
何言ってんだこちつは、と思ったら火神は「だから」と俺の疑問に答える。
「青峰だって、なんか強い目してんだろ?むしろお前の方がさ、人を見透かすどころか喰らい尽くしそうな目してんじゃねえか。なんかそれ見てたら……」
思わす動けなくなるんだ。

火神は確かにそう言った。
俺が認めるのを渋った事を、全く臆する事なく口にする。動けなくなるといいながら、平然と俺を見つめ続けて。
「な、んだそれ……」
悩んでいるのが馬鹿らしくなってくる、なんだよいい加減にしてくれよ、必死になってる俺のが馬鹿みてえじゃねえか。
「お前、俺の事好きすぎだろ……」
呆れて溜息混じりにそう言うと、相手から向けられる雰囲気がふっと変わった気がした。勿論、視線は逸らしたまんまだから見たわけじゃない。だけど、突然変わったら気になるだろうが。
「おい、火神?」
やっぱり、見なきゃ良かった。

顔を赤く染めて、心底ビックリしたって顔してるあいつなんて。

「いや、好きっていうか……まあ、えっと……」
やめろよ、どもるなよ、馬鹿じゃねえのって呆れて、否定するなり切り捨てるなりしろよ。でないと。
動けなくなるだろ?
もう、全く動けないけど。

「俺も好きだわ」
「は?」
何をと尋ねる相手を真っ直ぐに見つめて、言う。
「やっぱり、俺もお前の事、好きだわ」

認めてしまった方が楽になれると、何度も言われた。確かにその通りだ。
もう、怖いものなんて何もない。

「そっか」
そう言って火神は笑った。
それはもう、凄く優しくとても綺麗に。今まで見てきたどんな人の笑顔よりも、見ていて幸せになれるくらい最高の表情で、笑った。
悪いなテツ、お前の言う通りだわ。
やっぱ、こいつは天使かもしんねえ。

「はは、そーしそーあい、ってやつか?」
俺も青峰が好きだ。
そう言う火神は、酷く幸せそうで。ああ、いいなとか思ってしまうわけで。
それを見ながらもやっぱり動けない俺は、情けないくらいに格好悪い。

いいよ認めるから、もう認めたから。
もうお手上げだから、早く、この呪いを解いてくれ。

固まったままの俺の手を取って微笑む男は、天使なんだか悪魔なんだか。
俺はまだ、迷ったままだ。

あとがき
五月十日の誕生星はペルセウス座のアルゴル、星言葉は「シャイで素直な純粋さ」
だそうなので、シャイで素直で純粋な青峰×火神を目指してみました。
ちなみにアルゴルはラテン語で「悪魔」という意味です。
ペルセウスが持っている盾に付けられたメデューサの目にあたる星です。
星座、好きなんですよ。
2013年5月10日 pixivより再掲
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