平安京パロのロラマンまとめ

 満月が辺りを青く照らす夜のことだった。
 夜の番として見回りをしていると、月見をしている者たちの笛や話声を遠くに聞こえてきた、そんな中近くの建物からごとりと物音が聞こえて思わず剣の柄に手をかける。誰だと声をあげて松明の明かりに照らされたのは、廊下に崩れ伏していたどこぞの貴人らしき男の姿だった。
「どうしました?」
 物盗りの類を宮中に入れたとあっては一大事だが、相手はいや大したことないんでと困ったように声をあげる。
「ちょっと夜風に当たるつもりだったのに、足を踏み外しちまって」
 やっぱりダメだなあこういうのは似合わないと、眉をさげてつぶやき立ちあがる相手に無事ならいいんですけどと、本当になにもないのかとたずねてみる。
「本当に、なにもないんで」
「なんだか、顔色があまりよくないように見えるけど」
 そうやって他人にまで指摘されちゃ世話ねえなと苦笑すると、ちょっと疲れが溜まってるみたいでと廊下の端に姿勢を正して座ると、俺と視線を合わせてくれる。
「こういう場所、慣れないっていうか、行事も仕事も色んな作法も向いてねえなって」
 そう語る彼自身は身なりはよく、それなりに身分の高い人なのだろうとは想像できるが、あまり立場にこだわりはないようだ。
 月明かりに照らされた顔は少しやつれてはいるけれど、疲れだけで隠しきれないほどに容姿も整っている、人に注目されるから立ち回りもしにくいんだろうなと予想できる。
「いっそのこと国に帰りてえ」
「できないんですか?」
「そんなことしたら、流石に怒られるし」
 でも誰がなにをどう思ってるかわかったもんじゃねえっていうか、そういう読み合いだとかに嫌気が差してしまったところはある、あまり人に聞かせられる話じゃないんですけどと、そういう表裏のやり取りってのが苦手なんすよと困ったようにつぶやく。
「すみません、こんな話聞かせちまって」
 しかも仕事の途中に足止めしてしまってと申しわけなさそうに言うので、困っている人は放っておけないんでいいさと返すと、お人好しっすね珍しいなとつぶやき、立ちあがると欄干を飛び越えて庭に降りる。汚れないようにと服の裾を掴み、低木のそばまで来ると白い花に手を添えて軽い音を立てて枝を折る。
「悪いんだけど、今夜のことは黙っててくれますか?」
「もちろん」
 ならよかったとこぼし、二輪あった花の片方を枝から外すと俺の着物の合間に差し入れる。
「くれぐれも、お願いします」
 強い芳香を放つ花と月光に照らされた微笑みに、思わず返事も息も忘れた。
「あの、どうかした?」
 声がなかったことを訝しむように声をかけられ、ああいやウチの大将を除いてあんまり高貴なかたが好んで近寄ってくるなんて少ないものでと返すと、内裏の見回りを許されるならあんたもいいご身分でしょうにとおかしそうに笑う。
「それじゃ、さよならですね」
 軽々と欄干を乗り越えて廊下に戻ると、足についた土を少し払い落とし花を手に奥の間へ戻って行った。
 なんだか狐に化かされたような気分だけど、確かに言葉を交わした彼の顔も声も鮮明に刻みつけられている、なにより彼が触れた白い花は確かにここにある。
「名前くらい、聞けばよかったな」

 花は野にある姿がいい、数少ない友はそう言うし実際そのほうがいいのはわかっている、とはいえこんな息が詰まる場所では一時でも木や草に触れないと、心の内が日上がっていきそうになる。
 元から政務なんて向いてないんだけど、ここ最近は余計に自分のダメさ加減に磨きがかかっているようで、余計に心が折れそうだった。すっかり夜も深くなり、少し風に当たってくるかと部屋の外へ出て御所の庭先に降りれば、手入れこそされているものの草木の匂いが近く、少しだけ息が楽になった気がする。
 香りのいい花か、風に揺れる草か、どれか一つ持ち帰ろうと手を伸ばした矢先、あのと背後から声をかけられて思わず心臓が口から飛び出すほど跳ねあがった。
「すんません、怪しい者じゃないっす」
「ああいや、そうだろうけど」
 前にも見かけたんでと返す兵には確かに見覚えがある、同じように庭へ降りようとした日に、運悪く足を滑らせてすっ転んだ日に居合わせた男だ。
 ふっと胸の奥底からゆっくり息を吐き、驚かせないでくれと返す。
「異常がないか見回るのが仕事なんで」
 でも突然、後ろから声をかけられたら飛びあがるだろ特にこんな夜にはと返すと、こんな時間まで残って大変だなと労いの言葉をくれる。
「お互いさまでしょ」
 見回りで体を使う分、武士のほうが大変だと思いますけど違うかと指摘すれば、どうだろお役目なんで特に気負ったことはないんだけど。
「俺には身の丈に合った仕事だ」
「そうっすか、羨ましいな」
 花も草も咲くべき場所にあるべきだ、根のある場所が正しいんだから切り離されると息が詰まる、それと知っていても馴染んだ草木がそばに置くと落ち着くのだ。
「だとしても、あまり夜にふらりと降りるのはよくないと思う」
 結構偉い人でしょと指摘されるので、いやどうせ家の都合での数合わせみたいなもんですよ、俺がどうとかじゃねえんですと返す。
「変わった人だな」
「あんたに言われたくねえっす」
 伸ばしかけていたクチナシの白い花を手に取ると、一本追って差し出してくれる。香りのいい花を受け取って礼を言うと、早く部屋に戻ったほうがいいぞと送り届けてくれた。
「そんなに草木が好きなら俺が届けるぞ」
「あんたが?」
「好みがあれば、いくらでも言ってくれ」
 それが支えになるなら、いくらでも力になるぞと笑顔を向けてくる相手を見て、本当に変な奴だなと呆れ気味に返す。
「俺、近衛兵のローランっていうんだ」
 宿舎で呼んでくれたなら力になろうと言うどこまでもお人好しそうな男に、あんまりこの場所で軽々しく名乗りをあげるもんじゃないですよと言う。
 それじゃあまたと挨拶を交わして別れた、会うようなことがあるとは思わなかったけど。

「おーいローラン、聞いてる?」
 あんまり上の空だと後で怒られるぞと指摘されて、そんなにボケっとしてるかと聞き返すと、そうだね人の話ちゃんと聞いてないなってわかる程度にはとムッとした顔で返されるので、そりゃダメだなと気を引き締める。
「どうしちゃったのさ、もしかしてまた好きな子にフラれた?」
「なんでそうなるんだよ」
 違うってと言えばそれじゃ誰かに惚れたんだなと突っこんで聞いてくるので、いやそういうわけじゃないんだけどと言葉を濁せば、ちょっと前の巡回中に花を貰って来たって聞いたけど、どこのご婦人からの贈り物なのさとニヤッとした笑みで問いかけられる。
「そんな噂になってたか」
「知らぬは本人ばかりってね」
 というかこのむさ苦しい現場に花なんて持ちこんだら目立つに決まってるだろ、それでなくとも僕らは注目の的なんだからさと言うアストルフォに、それもそうだったなと溜息を吐いて、一応言っておくけどご婦人からの貰い物じゃないと返す。
「ふうんじゃあ誰から貰ったの?」
「どこぞのお公家さまだったのは確かだけど」
 名乗ってくれなかったんだよなと言うと、妖しいモノに化かされてないよねと確認される、違うって昨日も会ったしちゃんと足もあったからと言えば、狐も狸も鬼も足はあるでしょと指摘される。
「最低限、幽霊じゃないってだけじゃん」
「いや人間だって、たぶん」
 きみだって自信ないんじゃないかと指摘されてもな、しょうがないだろ顔を合わせたのは二回だけなんだから。
 少なくとも御所に足を踏み入れられる程度の身分ではある、つまりは雲の上の存在ということねと呆れた口調で返す相手に、それだけじゃ探しようないじゃないかと頬を膨らませる。
「でもまあ花愛る貴公子とかいいじゃない」
 女の子だったら完璧だったけどさと突っつくので、いやそういうアレで探してるわけじゃないんだけどと言っても、そう言いながら花を摘んで来たんだろ残香でわかるんだよと肘鉄を食らわせてくる。
 確かに昨夜と同じ欄干に切った花を置いて来たけど、それだけでわかるものかと思ったものの、匂いが染みつくほど迷ったんだろ一番いいのを選ぶのにさ。 
「じゃあ仮称、クチナシの君ね」
「そんな敬称でいくのか」
「いいじゃん、わかりやすくって」
 他に手がかりがあるのかよと腰に手を当てて返す相手に、顔も声も覚えてるから見ればわかるぞ言えば、その顔やら声やらを確かめる機会が少ないんだってばと指摘される。
「それに気づいてもらえるかわからないだろ」
 確かにそうかもしれないけど、続ければ気づいてはもらえるんじゃないかと思っている。関係ない人が片づけちゃったら意味ないだろ。
「気づいてもらえるまで、何日も通うつもりだし」
「いいのかな、兵士が怪しまれたら本末転倒じゃない?」
 それは自分の信用にかけるしかないかな。

 クチナシの花は開いてから色が褪せるまでが早い、それがまたいとをかしであると友人は言っていたものだけど、叶うなら少しでも長く美しく咲くのが本望なんだろうと思う。
 朝一の御所の廊下に一輪の白い花が置かれている、身勝手に手折られた枝を手にして、ごめんなとつぶやく。
 顔をあげて見ても置いて去っただろう相手はもちろんいない、いつから置かれているのかは知らないものの、まだ瑞々しく映る花弁を撫でて早めに水に刺してやらないとなと立ちあがる。
 政務のためにあつらえた部屋の片隅に、花を生けるために用意していた瓶の中へ今朝の一輪を入れる。昨日手にしたものは少しくたびれてはいるものの、香りは変わらずにいるらしい。
 御所の庭にある物は八重咲きだったけどこれは一重の花だ、どこかの野に生えているのか贈り主の館にでも植えているものなんだろう、いいなあ野に降りれるならそうしたいと思いつつ残されている執務に取りかかる。
 刻々と時が過ぎていくけれども、手にしている仕事が減っている気はしない。また遅くまで残ることになるかと覚悟を決めていた矢先に、少しよろしいでしょうかと声をかけられて顔をあげる。
「藤丸立香殿がお見えですが」
「あっ、通してください」
 かしこまりましたと一礼して戻り、再び来客を連れて戻って来たので、少し二人で話したいんで外してもらっていいだろうかと声をかけると、静かに礼をして部屋を出る。
「お久しぶりっす」
「うん久しぶり」
 元気そうでよかったよと笑う相手に、いやそこそこに疲れてますよと向き合って話す。
「どうして今日はまたここに?」
「陰陽寮のほうに用があってさ、せっかくだから顔を見ていこうかなって」
 嬉しいしありがたい、彼はこの世界じゃ珍しく気を使わずに話ができる相手だ、所属している場所と立場上の問題であんまり頻繁に顔を合わせることができないのが悩みではあるけれど、気を遣ってこんなふうに顔を出してくれることがある。
「最近、平和だなって思ってたんすけど、なんかあったんですか?」
「それを調べるのが俺たちの仕事だからさ」
 あちこち歩き回って大変だよと彼は言う、本音を言えば少し羨ましい。毎日同じ部屋っていうのは流石に飽きるんだよな、とはいえ評議やら政務で人が集まるような場所はやっぱり苦手だ、こう世渡りつうか人づき合いがダメで。
 そんな泣き言すらもこの場で口にするのははばかられる、人払いをしたとはいえ誰が聞いているのかわかったもんじゃねえし、溜息を吐くと相当疲れてるねと苦笑された。
「今度、馬にでも乗ってどこか行く?」
「行くっす」
 狩りとまではいかずとも、外の景色が見える場所ってだけで助かる。それじゃあ最近みつけたとっておきの場所に案内しようと言ってくれるので、楽しみにしてますと笑顔で返す。
「そういえばなにかいい匂いするけど」
「たぶん花の匂いでしょう」
 後ろの棚を差せばまた抜け出したのと眉をしかめられるので、いやこれは貰い物っすと言えば、へえ珍しいねと意外そうにつぶやく。
「あんまり、人から貰い物をされて喜ぶ性質じゃないのに」
 人からの貰い物を素直に受け取るなんてと言うので、まあ特に害はない相手だろうと思ったのでと告げる。
「なんかマズイもんだったりします?」
「俺が知る限りは花で呪われたなんて話は聞かないから、大丈夫だと思うよ」
 もしかして余計なお世話かもしれないしと意味ありげに笑うので、ちょっと間があってからああいや、そういうんじゃないですと否定しておく。
「そろそろ俺は行くよ、あんまり長居したら怒られちゃうし」
 遠乗りの日はまた今度知らせに行くから、都合のいい日にちを教えてと言い残して仕事へ戻って行った。

 陽が昇って間もない時間、鶏の声と寺の鐘が遠くで響いているのを見るにおよその時刻は認識できる、さてと身支度を済ませて部屋から出ると、庭に降りて今日はどれがいいかなと考える。
 できるだけ大きくて見栄えのする花がいいんだけど、どれがいいんだろうなと迷っていると、おはようございますとハキハキした声で挨拶を投げられる。
「おう、おはようブラダマンテ」
「早番ですか?」
「いやそういうわけじゃないんだけど」
 では誰かへの贈り物ですかと聞き返される。
「そんなに話題になってる?」
「いえ、あなたが好んで花を選ぶとは思わなかったので」
 今度はどこのご婦人にご迷惑をと聞かれて、別に好んでフラれてるわけじゃないんだけど、実際に想いが通じたことはない。でしょうね私が守護を請け負っているみなさまからもきらいではないけれど、あんまり近づけてほしくはないと。
 それ聞いただけでも傷つくんだけど、心まで鋼ではできてないんだがと言えなそうかもしれませんが、事実ですので仕方ないでしょうと切り捨てられる。
「あなたの恋路は苛烈なんです」
 月を好むこの世では少々眩しい存在です、浮名を流したくない人は多いんでしょう。
「しかし花とは、あなたにしては遠回しに近づいてますね」
 さては本気ですかと聞き返されて、いや約束をしたんだよなと手ごろそうな枝を選んで一輪折る。
「そのおかたに、花を届けると」
「そうだ」
 ちょっと素敵な話ですねと笑われるので、流石にご婦人ではないとは言えないなと口をつぐむ。
「それじゃ俺はこれで」
「はい、行ってらっしゃい」
 まだ人の少ない都の通りを足早に進み、幾度目かの門を抜けて御所の中へ足を踏み入れると、ようやく目的地が見えて来た。
 国を動かす中心部はとても広いし、敵襲も考えてか多少は入り組んだ造りになっているものの、とはいえ何度も行き来していればおよその場所は頭に入っている。仕事が始まっていないからか人も少ないのをいいことに、人目を避ける形で忍び入って奥の庭に面した建物のほうへ向かう。
 特に見咎められたことはないものの、とはいえ巡回の時間というわけでもないし声をかけられたらどうすればいいだろう、と思いつつも目的地に辿り着いたので、荷物に忍ばせていた枝を紐で柱に結びつけておく。気づいてくれているといいんだけど、いや流石に人の手が加わっている以上は気づいてもらえてるんだよな、と信じてその場を足早に離れた。

 欄干に結びつけられた紐を外してやりながら、別にクチナシが特別に好きってわけじゃねえんだけどなと息を吐く、そう指摘してやりたくっても相手に面と向かって会いに行くこともはばかられる、名前を知っている以上は詰所に問いかければ招集はできるだろうけど、よほどの理由がなければ接触するのはな。
「それで私を呼び寄せたわけかい」
「まあ、頼みごとするんなら一番でしょ」
 そりゃそうだと緩やかに微笑む男に、お願いできますかねと聞けばいくらでも請け負おうとも、といい笑顔で返されるので本当頼りになりますよと呆れた口調で返す。
 人気のない寺院の端に呼び寄せたバーソロミューは、一方的な呼び出しにも関わらず、すぐさま招集に応じてくれたので、悪いなと言えば別にお代さえ払ってくれれば文句はないからさと笑顔で言う。
「相手を討ち取ってほしいってわけでもないんだろう?」
「まあそうっすね」
 命を狙われてるとか、呪詛を受けてるとかそんなんじゃないんで、ただ毎日会いにこなくってもいいってだけ、なにせ近衛兵が変な動きしてたら目をつけられるでしょ。
「俺のわがままで処分を受けるのは、なんか悪いんで」
「直接会って話せばいいけど、それをするのもはばかられると」
「面倒っすけどね」
 一兵卒だろうと所属している一族があるはずで、その家次第では距離を取るべき相手かもしれないんだ、そしてローランという名前は流石に聞いたことがある。
「きみの政敵にあたるのかな?」
「あんまり関わっていい関係じゃねえなってだけ」
 貴族さまは大変だと言うので、そういうのがいやで出ていく人もいるくらいだからなあと言えば、それも一握りだろう多くはこの地に残るほうを優先する、そうしないといけないんで。
「だからまあ、これを届けてくれるだけでいいっす」
「承知したよ」
 あんま目立たないようにお願いしますと返すと、わかっているともといい笑顔で返され、それじゃあまたと一礼して立ち去っていった。

 人の心の動きはわからない、策略やら計略やら巡らせる相手のことなんて余計にわからない。どうしようもない場所に身を置いているという自覚はあるものの、立場も職務も投げ捨てるなんてことを許されるわけもなし、泣く泣く政務に追われる毎日だ。
「だからって、凪子さんとこまで泣き言を言いに来るのかよ」
「すんません」
 でも清少納言さんはそういうしがらみがないというか、多少は本音を打ち明けても問題ない相手ではあるのでどうしても、と返すとしょうがない野郎だぜと笑顔で返される。
「武芸に秀でた若き公卿さまの本当の顔を見たら、内裏の奴等ひっくり返っちゃうぞ」
「それはそれで、ちょっと見てみたい気がしますが」
 まあでも敵は作らないに越したことはないけど、せめて友達は作っておきなよ、毎回あたしの家に転がりこむわけにもいかないでしょと指摘されて、確かにわかってるんですけどねと返す。 「誰かいないの、気兼ねなく話せそうな人」
「どうでしょ、なにかしらガンつけてくる相手なら何人か思い浮かびますけど」
 ダメだ思い返すほどに人間不信になりそうと返すと、まあ確かに上にいくほど権力闘争の世界だからねえ、出世を諦めるならいっそ都から出るのがいいんじゃないのと言うので、悪くねえ話ではあるんですけどねと返す。
「ええ嘘でしょ、これに関しては冗談なんだけど」
 流石に文も届かねえ場所までは行きませんよと言うも、いや気軽に遊びに来てくれないのは退屈じゃんと悲しい顔をされてしまう。
「よっぽどのことがない限り、出て行くことはしませんよ」
 ただちょっとなんもかんもいやになっただけですと言うと、きみの割り切りかたは半端じゃないから嘘に聞こえないのよとつぶやく。
「それじゃあ、きみが心を許してそうな相手に関しては、聞いてもいいの?」
 誰のことだと首を傾げると、御所の欄干に結えられたクチナシの花の送り主は誰と聞かれて、あなたのとこまで話来てるんですかと溜息混じりに返せば、これは見回りで出入りが許されてる別の友人から聞いた話よと言うので、もしかしなくても金時さんですかと聞けば当たりとにっと笑う。
「見られてましたか」
「場所が場所だし、自宅ならともかく目立つでしょ」
 守護する側からしたら下手人が忍びこめる穴があるってのはいやなわけ、まさかご婦人の使いでもないでしょと指摘されて、違いますよと返す。
「罰せられると悪いんであんま詳しくは言えないんすけど、まあ守護を任される立場の誰かっす」
「へえ、その人とは友達ってわけじゃないんだ」
 違いますよと言えば、じゃあどうして花なんて貰うのさと聞かれて、いや一方的に約束されてしまいまして、まさか本当に毎日来ると思ってなかったからと言えば、ふむと一拍置いてから大分と好かれていると見たと意地悪く笑って言う。
「いや単純に、約束を違えられない性分なだけじゃ」
「だとしたら余計にいじらしくっていいじゃない」
 いっそ館に招待して話し合ってみなよ、案外いい友達になれるかもよと言われる。
「まあお人好しではありそうですけど」
 とはいえ、今朝も律儀に結んであった枝を思い返して、溜息を吐く。
「ちょっと迷惑じゃないっすか」

「ここ数日ほど、巡回の交代を願い出てるって聞いたけど、なにしてるんだ?」
「いや大将に報告するような、大それたことじゃ」
 ということはおまえの個人的なことなんだなと問いかけられ、うっと言葉に詰まる。
「あんまり言いたくはないんだけどなローラン、俺たち以外にも都を守護するために選ばれた者たちはいる」
 それは力の一極集中を避けるために分散して守護を固めているわけで、協力体制である一方で互いが監視対象でもあるんだ、わかるよなとつけ加えられる。
 もちろん理解してるつもりだと返すと、じゃあどうして頻繁に御所の方面に出向くのか答えてくれるよなと改めて回答を求められた。
「ちょっと、人探しをしてて」
「お役人に知り合いなんているか?」
 知り合いというほど深い関係ではないんだけど、なんというか会いたい人がいるもんでと返せば、どこの誰なんだと聞き返されるのでそれがわからないんだよと、小声になりつつ答える。 「どういうことだ」
「名前を教えてもらえなかったもんで」
 所属も階級もわからないまんま、特に手がかりもないままだけれども、毎日差し出している花は消えているので、気づいてはくれているんじゃないかと思ったりしなくはないけど、実際どうなのかはわからない。
「今度はどこの誰に惑わされたんだ」
「いや、そういうのじゃなくって」
 女御やら女官ではなく、お役人っていうのが性質悪いなと溜息混じりにつぶやくと、どこで見かけたんだと聞かれる。ちょうど見回りでこの辺りを歩いてたころにと、御所内の見取り図を指して言うと、なるほど偉いさんで間違いはないとつぶやき、待てよその辺ってことは見た目はどれくらいだったと聞かれる。
「大将と同じくらいかな、もしかしたらもうちょっと若いかも?」
 なんとなく見当がついたかもしれない、俺の元にこんな物をわざわざ送ってきた理由もと言って、懐から密書らしきものを取り出す相手になにそれと聞けば、おまえに関することだよと呆れた口調でつぶやく。
「おまえの探し人からだろうな」
「なんて書いてあるんだ?」
 自分で読めと差し出してくるのを受け取り、内容を見れば一門におられるローランについてお話がありますと、丁寧な口調で綴られている。
 いわく御所内は目立つから毎日来なくてもいいとのこと、あと花はクチナシにこだわらなくてもいいとも。
「好きなんじゃないんだ」
「おそらくだが、その人は自分のことは誰にも言うなって伝えたかっただけじゃないか」
 そういう貴人の言い回しはちょっと苦手だと言うと、おまえは素直すぎるからなとつぶやく。
「これも要は、あんまり自分には構うなって気を使ってくれたんだよ」
「怪しまれると迷惑だから、ってこと?」
「自分がどうというよりは、おまえのことを心配したんだろ」
 文には署名がなかったので結局は送られた相手の名前はわからない、送り主は結局どこの誰なんだ。
「そんなに会いたいのか?」
「できるなら」
 しょうがないなと言うシャルルマーニュに、なにがおまえをそこまで突き動かしているかはわからないが、相手が何者であっても同じように接することができるなと確認される。
「どういう意味だ?」
「まずは、俺の読みが当たっているか確かめないとな」

 立香からの文で遠乗りの日取りについて連絡があった、もちろん喜んで行くと返事をしたためて使者に渡すと、次の仕事に取りかかるべくして筆を取ったんだけど、直後に少しよろしいでしょうかと下働きの文官から声がかかった。
「どうした?」
「卿にお目通りをと、シャルルマーニュさまがお見えになっていらっしゃいますが」
 いかがいたしますと聞き返す相手に、要件はなんですかとたずね返すと本人に取次していただければそれでよい、おそらくはわかるだろうと教えてくれなかったものでと困ったように返される。
「わかった会おう」
 ではこちらへと案内されて通された先では、お待ちしておりましたと平伏する男が一人、そして後ろに控える付き人らしき者が二人。その内一人に見覚えがあったので、ちゃんと頼みは叶えられたんだなと判断する。
「突然お邪魔して申しわけございません」
「いえ、珍しいあなたのような人が俺になんの用で?」
 シャルルマーニュ、武家としての歴史は浅いものの独立した一門として近年力をつけてきている、急速に力をつけているので危険だと主張する者もいれば、頼りになると判断する人もいる、評価はさまざまなもののまあそれだけ名前が広まっているということは、有名な武人がいるということでもある。
 背後に控えているローランを見つめ、来るなって言ったのになと溜息を吐くものの、話かけてくる相手には本当に用があったらしく、こちらをお願いしたくと書状を差し出してくる。
「俺の署名一つで変わるものには見えないっすけど」
「いやいや、こちらだけではどうにも話が進まなくって」
 嘘つけあんたの力なら黙らせられるだろう、要は後押しに別の名前が連盟であったほうが早く済むってことなんだけど、まあいいだろうと今回は名前を貸してやりますよと筆を取る。
「ところで、後ろの二人はあんたのご自慢の御家人ってことで、よろしいんですか?」
「そうだ、頼りになる者たちだ」
 そうですかと返して、名前を貸すかわりにこちらからも頼みがあるんですがと切り出す。
「なんでしょう?」
「近く遠乗りに行く予定があって、あんまり目立つのも考えものなんで、手練れを一人貸してほしいんですけど」
 ならばローランおまえがついて行って差しあげろ、と声をかけられてはいと恭しくも頭をさげる相手に、お願いしますと返す。
「日程について少し話したいんで、残ってもらってもいいですか?」
「ああ構わないぜ、ローラン粗相のないようにな」

「申しわけありません、まさかウチの大将と引けを取らないお人だとは思わなくて、無遠慮に近づきました」
「まあ、すげえなって思ったけど」
 まさか今朝の花がなかった理由が、直接乗りこんでくるからとは思わないだろと苦笑する相手に、大将から本人からやめろと言われている以上は、しつこくつきまとうのはよくないと指摘されてと言えば、話が通じる人で助かったとつぶやく。
「とはいえ、約束は約束だ」
 これをと忍び持っていた枝を差し出すと、律儀なお人だと苦笑混じりに受け取る。
「改めて、公卿のマンドリカルドです」
 ようやく名前のわかった相手に改めて名乗りをあげると、流石に俺でも知ってる名前でしたよと苦笑する。
「あんたみたいな人が見回りなんて、よっぽど今の都は平和なのかと」
「生憎と、そうとは言い切れないでしょう」
「否定はしません」
 とはいえ平和であろうとなかろうと、共を連れずに外を出歩くのははばかられるので、格好だけでいいからついて来てくれると助かると願い出られるんで、俺でよろしいのならば力になりましょうと返す。
「それともう一つ、毎日来なくっても構わねえっすよ」
 そんな律儀に守ってもらう必要はないだろうしとつけ加えられる相手に、迷惑でないならこれからも通っていきたいと告げる。
「なんで?」
「楽しいんだ、あんたが喜んでくれるならと考えると」
 それならわざわざ止めませんけど、御所ではやめとけよと砕けた口調で言うと、筆を取ってここが俺の館になるんで、門の先にでも結んでおいてくださいと言う。
「わかりました!」
「本当に変な奴」

 翌朝、書き記された家まで向かうと流石と思うほどの大きな門構えのお屋敷だった、俺たちの本拠地は一門が集まることもあるから広さこそあるものの、どちらかというと守りを意識した堅牢さが売りだ。
 一応は自宅もあるものの、仕事柄そこまで頻繁に帰るほどではないんだよな。
 彼は忙しくとも毎日ここを通っているんだろう、摘んできたばかりの花を門の先に結びつけようと手を伸ばすと、本当に来たんだと呆れた口調で返される。
「えっ」
 家主なんだから居ても不思議ではないものの、まさか朝日も登って間もない時刻に鉢合わせするとは思わないだろと慌てる。
 というか寝床からそのまま来たのか、白い装束で現れたのでいくらなんでもその格好で外に出るのはよくないと指摘すると、あんたが来なかったら出てこなかったと返される。
「それは、すみません」
「素直に謝るんだ」
 まあいいけど今日はなにを持って来たんだと聞かれるので、これをと庭に咲いていた青い桔梗の花を差し出せば、ああいいっすねと表情が緩む。
「野の花のほうが好きなのか?」
「花が好きなわけじゃねえっすよ、ただ国を思い出すものなんで」
 そう返す相手は、ありがとうございましたと言うと遅刻しないように戻れよと言うと、音を立てないように家の奥へ戻って行った。

「みつかってよかったよね、クチナシの君」
 朝の哨戒を終えて戻って来た俺に一番に声をかけてきたアストルフォに、まだその名称でいくのかとゲンナリして聞き返す。
「その呼びかた、本人は不服だって言ってたぞ」
 一応は武闘派で通ってるんで、花に例えるのはちょっと違うだろと苦い顔をされた。見た目は細いし上流階級の人間であるため俺たちからすれば守護の対象なんだけど、噂通りであれば彼は武闘派らしいし。
 その噂に聞くところじゃ、鉄壁かつ傲慢な男だっていう話だったけどと言う相手に、更に失礼だぞと指摘すると仕方ないじゃんと開き直った口調で返される。
「僕たちからすれば、永遠に口聞くことないかもしれない相手だろ」
「それは確かに」
「実際のとこどんな人なの?」
 変わった人だよ身分を笠に着ないし思ったよりも低姿勢なところがある、政務だとかそっちのやり取りは知らないけど、対面で話す分には嫌味なところは見受けられない。
 むしろ俺の言葉に耳を傾けてくれる、今朝もわざわざ出迎えてくれたくらいだ。
「いやあんた、自分が思ってる以上に目立つんで」
 ウチの家人がすでに噂してるくらいなんで、せめて目立たない時間帯に来ることはできないんですかと言うが、そうしたら花が萎んでしまうかもしれないだろと返すと、来ないって選択肢はないんだなと呆れた口調でつぶやく。
「出迎えてくれるあなたも変わってると思うけど」
「俺のお使いで来たって言われたら、下手に口出しはされねえんで」
 どんな恐怖政治を引いてたら自分勝手が許されるんだと思ったものの、立場上の問題っすよ、なんもかんもと渡したばかりの白い桔梗を手にして溜息を吐いていた。
「あの若さで家長ってこと?」
「らしいぞ」
 一族の全責務がかかってるって思うとそりゃ逃げ出したくてもできないよな、ウチの大将だって御所だとか内裏だとかは息が詰まっていやだって言ってるだろ、あー僕らにとっちゃ雲の上ってのは見たことない場所だもんねと納得したらしい。
「でも憧れるけどな、下から見るとなんかきらびやかなに見えるじゃん?」
「形式とか人間関係とか儀式とか、その他諸々とおまえが踏みこんだらいけない場所だろ」
 そんな野蛮人じゃないぞと反論するものの、いや俺ですら苛烈だと犬猿されているんだったらおまえも多分同じだぞと返す。
「酷いなあ、少なくともローランよりは可憐だと思うんだけど」
「そういうことを自分で言うなよ」
 避けられる理由の一つだぞとつけ加えると、本当のことを言ってなにが悪いんだよとムッとした口調で返される。とはいえ本人も半分は冗談のつもりだったんだろう、まあいいんだけどさと笑顔に戻ると、そんなに立場を気にするんなら人前でくらいクチナシの君でいいんじゃないのと言う。
「結びつかないっていうんなら余計に、隠れ蓑になるでしょ」
「そこまで考えてたのか?」
 ちょっと見直したと思ったら、単純に癖ついちゃったからだけだよとあっけらかんと口にする。とはいえ珍しくも相手の意見には賛同できるので、まあ仮称クチナシの君は続投するとして。 「俺ってそんな目立つ?」
「坂田金時と並び立つくらいには目立つほうじゃない?」

 天井裏から小さな音が響いた。
 風の音かまたは気のせいかと疑ったものの、しばらく間があってから同じような音が聞こえて、違うなと思って目を開けた。
 小さいけれど確かに板を踏んで徐々にこちらへと迫って来る足音が、自分の真上まで近づいて来ていよいよ降りようとした直後、ぱたりと動きを止めて引き返して行ったので詰めていた息を吐く。
 こういうことも初めてではないものの、何度受けても気分のいいもんじゃねえなと溜息を吐いてから、寝床から起き出して部屋の柱に貼ってある札を確認する。
 筆に書かれた模様が一部赤く変色しているのを見ると、ここを破られるほどの力は持ってないものの、屋敷の境界を突破はされるほどの力を持っているわけで、放置するわけにもいかねえかと下人を呼び、陰陽寮へ行き俺からの使いだと藤丸に伝えてくれと言う。
「これを渡したらたぶん、通じると思うんで」
 承知しましたと深々と頭を下げて立ち去る相手を見送り、さてどうしようかなと部屋から庭を見下ろして考える。何者かに呪われているのならば理由をつけて御所へ行くのは取り止めにできるけど、屋敷に閉じこもるというのもまた面倒だ。
 知らせを受け取ったらしい藤丸から、白い人形が飛ばされてすぐに会いに行くよと返事を受け取る。
 何事かとざわついている屋敷内で居場所がねえなと思っていた矢先、あのと屋敷を守っている家人の一人が声をかけてくる。
「もしや旦那さまの元へやって来る男、あの者の仕業では?」
 どうしてそう思うんだと聞けば、ここしばらくつきまとわれているのではないですかと指摘され、今朝も門の先に来ていましたしと続けられる。
「それだったら剣を抜いて襲撃したほうが早いだろ」
 こんなまどろっこしいことはしない、正面から斬りかかってくると思うけどと指摘しても、一度疑ったら止められないらしい言葉はどんどん熱を帯びていく、どうやって止めるべきか考えていたものの、そこまで言うのならばとここへ連れて来いと返す。
「えっ、それは」
「呼びかけに応じないなら俺も疑うけど」
 今朝も来ていたのなら守衛の宿所か、シャルルマーニュの屋敷かどちらかにいるだろうから呼んで来てくれと言いつけると、危ないのではないかと及び腰になるので、熱意に対して鎮火するまでが早いなと溜息を吐く。
「まあ無理には言わねえっすけど」
「いえ、行って参ります」
 解決しないことには安心して眠れないと思ったのか、頭を下げて急ぎ外へと走って行くので、最初の想像よりも騒ぎが大きくなりそうだなと考える。
 とりあえず軒先に吊るされただろう花は、枯れてしまう前に外してやりたいんだけど大丈夫かな。

 あの家の当主が呪われた、妖に取り憑かれたなんて話は守護を固めていようともたまに耳にする。おかしなことではないものの歓迎されることでもない。
「しかし容疑者が武勇で知られるローランとはね」
「俺はそんなことはしてないぞ」
 もちろんわかっているともと軽く微笑むのは、陰陽寮からの派遣されてきたというホームズという男だ、マンドリカルドの知り合いである藤丸が解決のためにと助力を仰いだという。
「そもそも襲撃するなら、周りくどいことをせずに剣で片づけたほうが早いだろ」
「とはいえ最近、彼の周辺に現れていたのも本当のことだろう」
 その直後に主人が襲撃されたとなれば、疑われるのもまた仕方ないと指摘されて、不服ながらも確かにそうかと諦める。
「俺は別に疑ってねえっすよ」
 館の主人は堂々とそう口にするので、そうでしょうねとホームズという男は苦笑する。
 なにせ特に警戒されることもなく部屋へと招き入れてくれた、いったんは庭でという話もあったらしいが家人に対し必要ないと一喝したらしく、容疑を晴らすため話し合いの席に着くことを許された。
「そうは知られていないだけで、お二人には親交があるということで構わないかな?」
「古くからの友人ってほどじゃねえっすけど、まあそうです」
 正直巻きこんでしまって申しわけないと思ってるとつけ加えられるので、疑いをかけられたままっていうのも気分が悪いし、俺にできることなら力になるつもりで来たんだがと言えば、それは頼もしいとホームズは笑う。
「敵の目的が卿であるならば、おそらく今夜もまた現れるでしょう」
 一度失敗しているのにそう何度もやって来るものなのかと聞けば、少なくとも館の門は突破しているところを見ると、おそらく以前から何度も狙っていたのでしょう。
「なんでまた俺なんかを」
「それだけ厄介だと思われているということです」
 あんま実感ないんですけどねとぼやく相手に、若く実力もあり正面から襲撃しても撃退される恐れがあるとなれば、呪詛の類が効果的だと考えるものですよと苦笑混じりに返されて、そういうのも面倒なんだけどなあとつぶやく。
「ひとまず夜になる前に、こちらも用意をしましょうか」

 日も暮れてすっかり辺りが寝静まっている時刻、月明かりが差す庭の景色を眺めていると背後から足音が近づいてきた。
「あんたが起きてたら意味ないんじゃないか?」
「そうは言っても、なんだかんだ落ち着かねえんで」
 家人たちの前じゃ流石に気を張ってないといけないから仕方ないとはいえ、見えない敵っていうのはあんま気分がいいものじゃないと不安をこぼす。
「そういうことは、ちゃんと人に伝えたほうがいいと思うけど」
「だから助けは呼んだじゃないっすか」
 その結果が今だろと告げ隣に腰を下ろしてくるので、気になってたことを聞いてみることにした。
「実は武術もいけるっていうのは本当?」
 帯刀を許されているものの訳あって太刀は使わずに暴漢、怪異その他に立ち向かって生還できるとか、という言葉に苦い顔をされる。
「ずいぶんと話盛られてるなと思うんですけどね」
 じゃあ根も葉もない噂なのかと返せば、間違ってるわけでもないし多少は恐れられているほうが気楽なとこもあるんで、訂正してないだけです。
「まあ追い剥ぎとか、賊くらいなら撃退したことありますよ」
 その程度なんで、流石に都で名前が売れてる武人の皆さんには敵わないと思いますよと言うので、そこらの護衛よりは充分に強いんじゃないかと指摘したら違いないと笑った。
「今朝はなに持って来てくれたんです?」
 結局ここに閉じこめられて門の外には見に行ってないんでと言うので、今朝は百合だったと返せば、もったいないことしたなと言う。
「また探して来るから」
 落ち着かないのはわかるけど、部屋に戻ったほうがいいんじゃないかと言えば、そうしますと渋々ながら腰をあげる。
「ちょっと待ってくれ」
 呼び止められたなんだと首を傾げるので、代わりにはならないけどと庭先から失礼して撫子の花を一輪、切り外して渡す。
「今日はこれで勘弁してくれないか?」
「あんた、意地でも揺るぎないんすね」
 ありがたくいただきますよと、手を伸ばし受け取った相手が部屋へ戻るのを見送って、再び番に着いた。

 船を漕いでいる立香に対して、無理しなくても普通に休んだらどうだと声をかけるとそんなわけには、と慌てたように体を起こす。
「いやお使いに走り回ってもらったのは本当だし、ここは卿のお言葉に甘えておいたらいかがかな?」
 疲れはできるだけ取っておいたほうがいいよと指摘されて、すみませんと頭をさげると少しだけ眠りますと座ったまま目を閉じると、すぐに静かな寝息が始まった。
「卿はお優しいかたですね」
「いや、立香には世話になってるんで」
 色々と気兼ねなく話ができるしこちらとしてもありがたい存在だ、あんまり無理してほしくはないけれども。
「今回のこと、本当に思い当たる節はありませんか?」
「そうっすね」
 思い当たる節がないというよりは、邪魔だって思われる理由があんまりないというか、そんなこと言い出したら他に失脚してほしい奴はいるだろと思う。名前こそ売れてはいるものの、ほとんどが父から受け継いだ家督によるものだし、力関係で言えば藤原氏には及ばないだろ、いい席に座っているとやっかみはあるかもしれねえけど。
「積極的に呪うほどの理由じゃねえ、っていうか」
「政敵ではないとしたらどうでしょう」
 これといって浮名が流れている話をうかがったことはありませんが、外で待機している変わったご友人の例もありますから、とつけ加えられる。
「あいつは友達というよりは、勝手に来てるだけっす」
「押しかけられるのはご迷惑では」
「まあ、否定はしません」
 やって来る理由はただ花を差し入れしてくれるだけ、そんなことのためにと聞き返されて、まあ色々とありましてとつぶやく。
「故郷を思い出すって言ったら、なんか来てくれるようになりまして」
「そうですか」
 ところで卿のお父上は失踪されたとうかがいましたがと問う相手の言葉に対して、どう返答すべきかと声を詰まらせた矢先、はっと顔を外へと向ける。 「来たようですね」
 外で寝ずの番をしていたローランが身構えたらしく、剣の鞘を抜く音が聞こえた。慌てたように起きる立香に、卿のそばへいるようにと指示を出して外への戸を少しだけ開ける。 「これは」
 ゾッとするとはこういうことを言うようだ、庭先には黒い霧のようなものが立ちこめている、その中心から小さな足がのぞいて見える。恐ろしいというよりは気持ち悪いといった感情が先立つ。
 怖気立つその姿を前にしても一歩も引かず剣を構えるローランに対して、そいつは飛びかかろうとした矢先、何事か唱えたホームズさんの手元から光が伸びるのを見て、慌てたように庭の端まで逃げていく。
「あれって、人の足?」
 もやの中にいたときには見えてなかった、というか巨大なムカデのように見えていたが間違いなく、照らされて映った姿は人間に違いない。ただ生きているかどうかは別というか、生身だったとしても手遅れなんじゃないかと思わせる。
 金切り声のようなものをあげ威嚇するように巨体を引きずりながら周囲をさまよった後、ややあってから引いていった。

 庭を這いずり回ったあと、飛びあがって塀に乗りあげた異形の虫は屋敷の壁とほぼ同じ長さだった。
 巨体ではあるものの首らしきものがある、あれを落として止まるならばと剣を手に、相手を追いかけようとした矢先、お待ちくださいと背後から声をかけられる。
「大丈夫です、すでに姿は捉えて追跡はしていますので」
「しかし」
 下手に追いかけて、相手の領域に引きずりこまれるほうがより危険ですと指摘され、策はあるんですねと聞けば、もちろんですともなんて余裕をもった笑みで返された。
 その言葉を信じて剣を収めて三人の元へ戻り、あれはなんだと呼び止めた相手を聞いてみる。
「人であったもの、でしょうね」
「怪物ではなく?」
「違います」
 少なくともかつては我々と同じく人だったものでしょうと言うので、確かに人の足ではあったけれど、真似ているわけでも化けているわけでもなく、そう言い切れるだけの自信があるのだろう。
「ところで、あの影から現れた御仁に見覚えは?」
「いや、見覚えもなにも足だけだからな」
 おそらく男の足ではあったが、それだけではなにも言えない。少なくともマンドリカルドを狙っただろう相手に、見覚えもなにもあったものじゃ。
「いえ、おそらくですが、あれが狙っているのは卿ではありません」
「俺じゃないって、それじゃ誰を?」
「はっきりとしたことは、まだなにも」
 答えをはぐらかされて物申したそうではあったものの、まだその時ではないだけです、まずは確証を揃えたいのでと言われて、そうですかと屋敷の主人は引きさがる。
 ところでローラン殿におたずねしますが、以前にあれと出会ったことはありませんかと俺に話題を振られ、しばし考えてみるものの、流石に足だけではわからないと首を振る。
「では影の中にいた姿については?」
 巨大な虫の形をしているときでいいのかと聞けば、そうですと返答されるので、そっちならどことなく見覚えはあると言う。
 とはいえ魑魅魍魎が跋扈するこの地で、人ではないものに鉢合わせることは稀に起きる、多くの人間は無事では済まないからこそ、武器を取る者が成敗すべく市中を巡回しているわけだ。そんな中で前に似た奴に出くわしたことはあるけど、俺が斬ったのはもっと小さかった、それこそ人と変わらない大きさだったはずだ。
「そうですか」
「討伐したと思ったが、生きていたということか?」
 生きているという言葉が正しいかは不明ですが、少なくとも人を害するために活動できることはできる、ということでしょう。
「こちらも体勢を整えて、後ほど打って出ましょう」
「了解だ」
「じゃあ、朝餉でも用意させましょうか」
 三人ともあがって言ってくれと告げると、家人を呼ぶのでなんか俺まで悪いなと声をかけると、巻きこんだのはこちらだからなあと溜息混じりにつぶやく。
「あんたの疑いも晴れただろうし、文句は言わせねえっすよ」

 水桶と手ぬぐいを用意してもらい、足についた汚れを洗い落としていると、怪我とかはしてないんすかとたずねられた。
「ああ特に傷は負ってないぞ」
「異形相手に、立派なもんです」
 それほどでもない実際に巡回で鉢合うことだってあるし、襲いかかってきた相手を斬り伏せたこともある、なんて血生臭い話はするべきじゃなかったかと思ったけど、特に気にしているわけでもなさそうだ。
「実際、俺だって狩りには行きますし」
「そうなのか」
 意外ってほどでもねえでしょ、こう歌の会とかは苦手で体を動かすほうが好みってだけっす。
「でも刀は使わないんだよな」
「そうだな不殺の誓いってわけではないけど、まあちょっとした誓約として」
 内裏にあがる者として殺生沙汰は好まれないから、っていうのもあるとつけ加えられる、まあ見て気持ちいいもんでもないでしょ、前線に立つ者なくして平穏に暮らせるもんでもないだろうに、剣を握る者は忌避される。
「わかってることだぞ」
「そうは言ってもな」
 ウチの奴も怖がって近づいてこないし、今朝のことで余計にあんたのことを避けようとしてきてて、なんか悪いなと思ってさと言う。
「そういう扱いには慣れてるぞ」
「慣れちゃダメでしょ」
 損な役回りを任されてるとか、不満に思ったりしないんすかと聞かれて、そういう立場上の問題は全部、ウチの大将に丸投げしてるからなあと返す。
「まあ考えないことはないけど、口に出して言うことでもないさ、不満があるなら剣を取るのをやめるしかない」
 出家でもして世捨て人になるかと考える奴もたまに出るけど、俺はそういうのは苦手だ、はっきりしてるほうがいいのさ目に見える武功ってのは、やっぱりわかりやすくていいと言えば、根っからの武人っすねと笑った。
「そういうあんたのほうが、珍しいだろ」
 普通は館の主人が案内するために出て来たりしないんだよ、しょうがないだろおまえの名前を聞いて女中は嫌厭して近づきたがらないし、他に案内できる奴もいないんでと返される。
「だからって主人が出るか」
「あんたのことを避けないのが俺だけなんで」

「この館には何箇所か結界が貼られていますね」
 用意させた朝餉を取り、少し時間を置いてからホームズさんはそう問いかけるので、そちらに頼んで用意してもらったものですけど、それがなにかと聞けば、これは私の知り合いが作ったものなんですが、何重にも段階を踏んで踏破しなければ辿り着くことができないものですと、部屋に張ってあった札を取り出して言う。
「これの色が変わっていたら、あなたの身に危険が迫っている知らせだと、うかがっているのでは?」
「そうですね、だから立香を呼んだんですけど」
「昨日の知らせを受けてから藤丸くんに頼み、館内の札を調べてもらいました」
 館の図面を取り出して、まず変化していたのはこの位置ですと正門を指す。
 門を抜けて入り口から廊下を伝い、この部屋まで這い回るように進んできたようです。ここまでの経路ですが、ここ数日かけて一つずつ結界を破壊して、この部屋を目指したのは間違いありません。
「でも俺を狙ったわけじゃないって」
「はい」
 今朝の襲撃は門を抜けて姿を決して天井裏から辿るものではなく、わざわざ姿を表して庭に降り立った、卿を狙ったのであれば、そもそも見張りの剣士は避けるでしょう。
「確かに門を抜けて、真っ直ぐに俺へ向かって来たな」
 でも昨日のことでバレているから、力で押し通るつもりだったんじゃないかとたずねるローランに、だとしても正面から入ってくる理由はありませんよと落ち着いて返される。
「卿の部屋を狙うのであれば、裏手から回りこむことも可能でした。一度破られているというのならばなおさら、同じ道筋を行くとは考え難い」
 一度動き出した異形は止まらない何度も繰り返しやって来る、時間をかけてみつからないように動いていたというのに、今朝は迷いなく庭に降り立った。
「昨日までに破った結界が元に戻ったから、強行突破しようとしたんじゃ」
「それをするのであれば、初日から襲撃されているかと」
 あれだけ大きなものですから、屋敷の護衛のかただけでは突破できていた可能性が高い、なのに一度は体を小さくしてまで邸宅内部の探索に注力した。そんな相手が今になって正面突破なんて行う理由はなにか。
「狙っている相手が正面にいたから」
「だとすれば、どうして俺を直接狙わなかったんだ?」
 わざわざマンドリカルドを使う必要がない、巡回や護衛で市中にいることも多いんだから、そういった場所を張るほうがはるかに早いんじゃないかと、思ったことを真っ直ぐ問いかける相手に、一度は斬られた相手ならば警戒をしているのはあるでしょうけれども。
 少なくとも二人が近づくことはをよしとしない者がいる、ということです。
「そのあたりの詳しいことは、相手に聞くのがよろしいかと」
「聞けるんすか?」
「ええ」
 すでに居場所は補足できていますから、足を運んでみましょうか。

 襲撃に備えるということで、従者のそばで歩くローランと、外の見回りを兼ねてと歩いている立香に、無理はするなよと中から声をかけると、大丈夫だと二人から声が返ってくる。
「卿はあまり立場や官位を気になさらないようで」
「というよりは、気にすることが馬鹿らしいというか」
 この地に生まれた者同士、相手が神や怪異の類でもない限り、こういう分け隔てをする必要はあるのかって話なんだよなと返す。
「そういう考えがまず今の世には特異ですよ」
「まず生まれがこっちの人間じゃねえもんで、もうちょっと東国のほう」
 普通なら家督を継ぐ立場でもなかったんです、母親のいいつけで教養はそれなりに身につけましたし、実際そのおかげであまり生活で不便もしてないけれども、出生を巡って噂されるのは流石にもう仕方ない。
 あちらでは民と人との距離が近かった、そりゃいいとこの家に生まれた者として、あれこれ分けられた面もあるが、目に見える形での隔たりは少なく、もっと対等なものだと思っていたんだ。  貴賤の上下はあろうとも、人に生まれたものはみんな人だって思っていた。
「京風の教えには反しますね」
「でしょうね、だけどそういう変な線引きするのは、子供ながらにいやだったんすよ。なんていうか見たくないものから目を逸らしているようで」
「向こうでなにか?」
「父親のこととか含めて、色々と」
 もっと周りが見ていたら変わっていたこともあるだろうに、起きたことから目を逸らした結果、ウチは揉めたのだ。
「お父上のことですか」
「まあそうっす」
 失踪したと噂が出たのは二年ほど前で合っていますかと聞かれるので、これ以上は隠していても無駄だろうと諦めて、原因までさかのぼるのならば三年は前になりますと返す。
 失踪したとか事故に遭ったとか言われているけれど、実際のところ憑き物にあったみたいで、最後はもう誰の手にも負えないほどに気が狂っていたとか。
「あんまりにも家人にも下人にも恐がられるもんで、東国の離れ家のほうに隠していたんです」
 そのころには、俺は京に移っていたので顔を合わせてもいない、会うものではないと周りが止めたし、距離を考えると早々に行けるものでもないし。だから最後の場には立ち会ってないんです。
「あまり人前に出せる死因ではなかったと」
「首がなかったそうです」
 流石に埋葬はしましたけど、大っぴらな葬式は出していない、外部に対して失踪と言っているのはそのせいだ。結局その遺骸にしても誰も見ようとしなかったし、見せてくれることもなかった、最後くらい会わせろよと振り切ろうとしたのも止められてしまったから、実際にどんな姿だったかは知らない。
 ただ首がなかったという話だけ伝え聞いた、そして父がみつかったのは東国ではなかった。
「倒れていたのは、京の屋敷のほうなんすよ」
 裏手のほうに首のない男が倒れていた、着ている物や体格、そしてアザの位置からして父で間違いない。気が狂って幽閉された男がどうやってたどり着いたのか、考えるだけで恐ろしい。きっと人じゃないものに食い荒らされたんだろうと、家中が騒いで。
「陰陽寮にツテがあるのはその騒ぎの名残ですね、あんまりこう問題のある家だと思われたくなくて」
 結界を強くして二度とこんなことが起きないようにと、外から入るものを締め出そうとした。
「あっ、外では言わないでくださいよ」
「もちろん、ここだけの秘密にしておきましょう」
 牛車が止まった、目的地に着いたのかと外を見ると、荒れた寺らしき建物が見えた。

「ちょっと遠かったな」
 無理してないかと歩いて来た二人に聞けば、途中で休憩もしていたし問題ないとすぐ返ってくる、健脚だなと頼もしく思う。
 こちらは護衛もいますので、少し離れた場所で待機するようにと言われて、よろしいのでと顔色をうかがいながら聞かれるので、ここは本職の言うことに従っておいたほうがいいと、皆を退がらせた。
「いいのか?」
「いざとなれば、俺も多少は戦えるし」
 しかし荒れ寺を放置というのもよくねえなと思うものの、市中から外れるとどうしても手が回らない、だから仕方ないと言いわけをして置き去りにした結果、こうして実害が出てくるわけか。 「行きましょうか」
 足元には気をつけてと忠告を受けつつ、先に踏み入れるホームズのあとを追って進む。背後はローランが守ってくれるというので、隣を立香が行く。
 荒れて傾いた入り口を抜けて、すでに仏もいないだろう建物の奥にへ踏み入れる、先導してくれるホームズはここから先はできるだけ息を潜めてと注意され、物音を立てないように気をつけて進む。
 本堂があったのだろう場所で黒いものが渦巻いていた、夜明け前に現れた巨体ではないものの、影の中に潜んでいるものは息を潜めて内部で延々と蠢いている。ぞろぞろと細い足が中心に向けて動く、ムカデか長虫か、足を鳴らして這いずる姿はフナムシにも見えるけど、どれもが正しくないような。
 物陰に身を潜めて札を取り出すとこれでよしと、結界を張ったと教えてくれた。
「もう声をあげても問題ありませんよ」
 よかったと息を吐く立香に、流石にあんたでも見慣れないものはあるよな、と度胸のある友人を見て少しだけ安心した。
「ここが住処なのか?」
「住むという行為が適正かは別として、ここで成長したのは間違いないでどうでしょう」
 どういった理由であのかたが足を踏み入れたのか、およそ想像の域を出はしませんが、それでも彼はここへ来て、出会ってはいけないものに遭った。そこで植えつけられたものによって、変貌した姿が今の姿です。
 これからどうするとたずねる相手に、まずは正体を現していただくのが先決かと。
「話し合いに応じてくれるものか?」
 こんなこと言うのは問題かもしれないけどさ、どう見ても話し合いに応じてくれるようには見えないけど。
「まあどう見ても虫っすよね」
 あれですかあんたの光でどうにかなりますかと聞けば、ええと自信ありそうに頷く。
「なのでできる限り荒っぽい真似は避けましょう、なにせ一度は荒事で片づけて根が残ってしまった」
 あくまでも襲ってきた際の迎撃に留めましょう、その間に私が正体を暴いてみせます。
「では、参ります」
 結界を張った内側から、札を手に何事がつぶやくと再び光が伸びていき影に覆われた虫に当たる、逃げようとしているのか床板の上を暴れるように回り、とぐろの中央にある物を守ろうと必死にもがく。
 中央に鎮座していたのは人の首。
「父上?」

 親の顔は早々に忘れるものではない、最後に見たのが三年も前であろうとも、死に際に立ち会えなかったとしても。
「やはりお父上でしたか」
「気づいていたんですか?」
 驚くでもなく冷静に目の前の相手に向き合っている男に聞けば、仮説は立てていましたが、あなたの話を聞いて確証が持てましたと返される。
「悪意ある何者かに埋めこまれたなにかにより、あのかたは人としてのありかたを揺さぶられた」
 そこまでは狙いどおりだったんでしょう、騒動になるのを避けて彼を遠国に隔離したため彼は失脚した、ですが本人はそれを不服として、隔離された土地を抜け出して京にある邸宅へ戻ろうとした。
 彼はどうしても帰ろうとしたが、強い執念によって突き動かされていき、その最中に人の姿すら捨てて影の虫と化してしまった。
「待ってください、父はすでに」
 そうとは気づかれないように荼毘に伏したはずだ、あれは違う者の体だったというのか。
「首はなかったのでしょう?」
「それは」
 そうだなかった、誰もがあれは父だと決めつけたものの、最後の姿をはっきりと見た者は子供を含めても数えるほどしかいない。あんな痛ましい姿を見て、更に気を違えるものがいたら困るとひた隠しにされたから。
「じゃあ、あれは父じゃなかった?」
「いえ、お父様で間違いないと思います、少なくとも切り離した首から下だけは返された」
 問題はそんな姿にした者と、その首を持ち去った者の目的でしょう。
 我々も含めて、京の守護を任される者たちは、およそ人ならざるモノの侵入を許すわけにはいかない、治安部隊も日々警戒を続け、京に踏み入れて往来を進んでいくモノがいれば、必ず成敗される。
「まさか俺が斬ったっていうのは」
「ええ」
 人との境から落ちたあのかたを斬り伏せた。流石にあそこまで取りこまれた相手を人間と判断しろ、というのは難しいでしょうし、なにより警備の役割があるので、剣を取らないという選択肢はない。
「妄執と執念に呼び寄せられた影と呪詛を取りこみ、人の姿から外れきったいたものですから。邸宅に辿り着いていたとしても、おそらくは討伐せよという話になったでしょう」
「そうだと思います」

 俺の一言でどうにかできる問題でもねえし、実際に昨夜の襲撃を受けても討ち取るべきだという声はあっても、助けるべきだとは誰も考えていなかった。
 床の上を這い回り首を抱えあげると、威嚇するように周囲に向けて獣のような唸り声をあげる、こちらの姿は見えてないらしく首を抱えたまま人らしくない声をあげる。顔こそ知っている相手でも、あんな姿に変わり果ててしまっていると流石にな。
「助ける方法はないの?」
「相手がすでに死んでいる以上は、私たちにできることはついた呪いを解除することだけだろうね」
 できるんですかと聞けば、もちろんですと穏やかな声で返される。懐から札を出して何事かつぶやくと、再び光に包まれて動きが止まり腕から首を取り落とした、臓腑のない喉から漏れる息が荒くなっていく、徐々に音が大きくなっていく。
 ひゅうと柔らかい音に変わるころ、肉もすっかり落ちた骸骨だけがその場に残されていた。

 さてと小さくつぶやき残された髑髏を手に取ると、ひっくり返してなにかを探していたものの、ややあってから内側からなにかを引き抜くと、彼の仕業で間違いないだろうと呆れた口調で返す。
 立香が差し出してくれた布を借りて、床に残された髑髏を取りあげて包むと、こちらはあるべき場所に納めていただきたいと、俺に差し出される。
「持ち帰って問題ないんすね?」
「ええ、蟲になることはもうないでしょう」
 ようやくまともに供養ができるってわけか、それはよかったのかもしれない。受け取った骸骨を抱きかかえると、小さく息をこぼす。
「ひとまず、ここは出ましょうか」
 そう促されて屋外へ出ると、思っていたよりも時間は経っていたらしく陽が中天を抜けて傾き始めていた。暑くはないものの人気のある場所までは歩かなければならない、下人の人呼んで来ようかと提案してくる立香に、いや少し風に当たりたいっすねと返すと、じゃあ一緒に行こうかと隣を行く。
 今度は前を行こうと警護役を買って出たローランの背を眺めて、あんな姿になってまで帰りたいと願ったのか、その無念さが重みとして伝わってくるようで、なんともやるせない気分になる。 「もしもこの首があのまま結界を破っていたら、どうなっていたんですか?」
「同じように呪いに当てられた、可能性が高いかと」
 お父さまが憑き物にあったというのならば、更にその前から続けられていたものだったのかもしれない、よほど根が深いものでしょう。本来ならば簡単に祓えるものでもなかったのですが、なんの因果か外の者の手で首を落とされてしまった。
「ローラン殿がいなければ、被害はもう少し大きかったかもしれません」
「そんなに、恨まれてたんっすかねえ」
 でも少なくとも恨みつらみの渦中からは、開放されたのだと信じたい。
「帰りますよ、父上」
 それ以降は館に着くまで誰もが無言のままだった。

「俺はもう、来ないほうがいいかな?」
 館の門を通らなかったローランを不審に思って戻って来ると、そう切り出された。
「勤めとはいえ親の仇だ」
「まあ、普通なら仇討ちうんぬんと言うところなんでしょうけど」
 あんたがいなかったら、ことは簡単に終わらなかったという、どちらにせよ乱心した者を秘密裏に始末しようとしたのは、ウチの一族だって同じこと。
「恨むなら、呪った相手のほうでしょう、あんたが悪いわけじゃない」
「そうか」
 尊大なお心に感謝いたしますと恭しく頭をさげるので、そういうのできたんだなと言えば、どこに出ても恥ずかしくないだけの振る舞いは身につけているともと、少しだけ自信を取り戻した口調で返される。
「父がどう思っているのかは知らないが、俺はあんたのこときらいじゃねえっすよ」
 難しい世界で、気持ちいくらいに真っ直ぐで裏表がない、だから安心できる。
「どうやら俺の家も恨まれてるみたいだし、たまに顔を出してくれると嬉しい」
「わかった、きみがそう言うなら」
 また花を持ってこよう父上へせめてもの手向けだと言うので、それで気が済むっていうんならそうしてくださいと返す。
「それじゃあまた」
「ああ、またな」

 久方ぶりに御所へ行く用意を整えている矢先、いいかなと背後から声をかけられた。
「あんたっすか」
「私では不服だったかな?」
 久しぶりに顔を合わせたのに酷いなと言うバーソロミューに対して、あんま往来で話かけられたくないからと返せば、大丈夫だよ辺りの人払いはしてあるしと、手回しの早い男は笑顔で切り返してくる。
「お父上の供養はもういいのかい?」
「ええ」
 こちらは怪我もしてないわけだし、お墨つきをいただいた以上は日常に戻りますと言うと、それはよかったと懐から紙を取り出して渡される。
「よく調べましたね、こんな短期間で」
「まあきみの父上にも、よくお世話になったからね」
 今後とも贔屓にしていただきたいもので、それなりに手回しはしてみたとも、まあそれでも犯人に辿り着くのは難しいだろう、少なくとも内裏は恐ろしい場所だと改めて感じたという。
「いっそ国に帰るっていう選択もあっただろうに」
「尻尾巻いて逃げ出すのも、なんか違うでしょ」
「言葉だけを聞いたら武人のものなんだよ」
 まあでも一族の棟梁としてならばやっぱり頼りにはなる、私はそういうところ好きだよと言われても、嬉しくねえっすよと溜息混じりに返す。
「そういえば前に釘を刺した彼は、もういいのかい?」
「あいつは、問題ないっす」
 へえと意味ありげにつぶやく相手に、深い意味はねえっすよと指摘したら、きみが手を振り解かない人も珍しいからさと面白そうに言うので、変に探り入れないでくださいよと今度はこちらに釘を刺しておく。
 そちらが否定されるなら深くは首をつっこまないとも、と言うとそれじゃあ私はこれでと帰っていった。
 朝から会いたくねえ顔に会ってしまったなと溜息を吐きながら、出立の準備が終わったと知らせを受けて御所へ向けて立つ前に、門前へ立ち寄ると白い百合の花が一輪結びつけてあったので、手を伸ばして受け取る。
 本当に諦めずに来るんだなと呆れ半分に思ったものの、やっぱ正面から来るのはわかりやすくていいなと、毒されているのも自覚する。

 御所の警護は重要な仕事ではあるものの、基本的にやることがないことも多い。
 暇だあとつぶやく同僚に、あんま緩んだ顔してるとまた大将に怒られるぞと指摘する。
「わかってるよ、ちゃんとお仕事はしますって」
「それは当たり前だ」
 というか朝寝坊も許されないだろ、ちゃんと自分で起きて来いと指摘したら、ちゃんと定刻には間に合っただろ、というか起こしてくれてもいいじゃんと文句をつけられるので、いや自分でどうにかしろとアストルフォの額を小突く。
「痛い、暴力で解決すんな」
「はいはい、いいから見張りを続けろ」
 そんな会話をしていると、ひそひそ声で建物の内側からなにやら笑われている声がするが、まあいつものことかと無視を決めこもうとした矢先、そんなところでなにをしていると冷えた声が響く。
「ああ、これはマンドリカルド卿、お久しぶりで」
「仕事はどうしたんすか?」
 こんなところで油売ってていいのかと指摘され、慌てたように貴族らしき奴等は散っていく。
「おお、カッコいいねクチナシの君」
「いい加減それやめろって」
 大丈夫だって聞こえてないしと元気に答えるものの、いや建物の内にいる相手がこちらを向いたのが見えたから、やっぱり不快だったんじゃないかと謝ろうと口を開きかけたところ、先ほどの役人に見せた表情とは打って変わって、少し眉を下げて緩く微笑み、悪いなと声には出さずに伝えてくる。
 それを見ていた同僚から、あっ優しいとこあるんだよかったねと声をかけられるも、反応を取れずその場に固まっている俺を見て、おーいしっかりしろと肘鉄を受けた。
「気にかけてくれてるんだね」
「また今度って、言ってくれた」
「ふうん、顔合わせてくれるんだ」
 本当に変わったお人だなあ、普通なら恨まれててもおかしくないのにとつぶやく相手に、本当に顔を出してもいいと思うかと聞いてみる。
「嫌がってるようには見えなかったけど?」
「だよな」
「なに迷ってるんだよ、ローランの恋路は苛烈なもんだろ」
 素直に行きなよ、たぶん手を伸ばしても怒らない人なんでしょ、遠慮しててもきみの心はとっくにあの人のものだと指摘され、言葉に詰まる。
「それにさ、振り向いてくれないんなら、振り向いてくれるまで通えばいいじゃん」
 百日でも千日でもきみが納得できるまで、僕が応援してあげるからさ。
「そうだな、そうする」

あとがき
「深草少将」の話が好きなので、雰囲気それに近づけてみました。
本当は100日連続投稿とかしようとしてたけれども、二週間くらいで行き詰まった、無計画さの塊です。
懲りずに連続ものはまたやってみたいですね。
2022年8月1日〜21日 Twitterより再掲

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