今日の小説まとめ3
こちらどうぞと渡されたのは、スズランだけで作られた花束だった。
なんでこんな物を僕にと聞けば、みんなに配っているのよと少女は笑う。この季節に咲くスズランを大切な人に贈る、そんな風習の国があるのだとか。
「だからおすそわけよ、幸せが来ますように」
「そりゃあどうも」
ありがとうを返せば、素直な狼さんは素敵だわ、と少女は走り去ってしまった。
貰ったはいいがやり場には困る、無下に扱うわけにもいかないしどうしたものだろうか。茶室に持って行けば、誰かうまく生けてくれるかもしれない。
自室に飾るよりはそっちのがいいかと、反対方向へ向けて歩き出したところで、また声をかけられた。
「失礼、それなんだけど」
急に声をかけてきた相手に向け、思わず刀に手をかけそうになったが、そういうのじゃないんでと両手を挙げて降参のポーズを取るロビンフットの焦った顔を見て、なら正々堂々と声をかけてくれないか、と苦言を呈する。
フードを落として姿を現した相手に、敵襲だと思われるのには慣れてますけどね、どうも日本刀を提げた人の殺意は鋭くて敵わないと疲れたようにつぶやく。
「それでこの花がなにか問題でも?」
「問題があるから声かけて回ってんの」
可愛い見た目してるけど、スズランには毒があるんだ。種類にもよるんだけど、基本的に球根から花まで全体に毒が回ってると考えていい。
だから飲食物のそばにはおかないように、あと生けた後の水の処理も気をつけて、場合によっては死に至るからなんて言われて、そんな物騒な物だったのとげんなりした顔で返す。
もちろんサーヴァント相手に効果があるかは不明だけど、とはいえ無駄に苦しみたくはないだろうと肩をすくめてみせる。
「それを子供が配って歩くのは、どうかと思うよ」
「善意の贈り物にケチつけなさんな。実際にフランスの辺りじゃ当たり前の風習で、王女さまや聖女さまも配って歩いてる、だから断りにくいでしょ」
マスターちゃんも、好きにさせてあげてって言ってるし、こっちが扱いに間違わなければいいわけだし、女の子の好意は受け取るべきですよと、毒の扱いに長けた青年は言う。
確かにそういうもんかもしれないけど、だから毎年無知そうな人を捕まえて注意喚起して回ってんのと言うと、宝具であるマントに隠れるとこっそりと追いかけて行ってしまった。
あれも子守の内ってことなんだろうけど、にしても大変なもんだね。本人がいいんなら、こっちは別に口出しはしないけど。
しかしそうなると花の処遇にますます困る、飲食物の場がダメなら茶室には不向きだろう。
「花瓶なんて持ってないんだけどね」
「ちょっとそれどうしたんですか」
部屋の片隅に置いたガラス瓶に生けた花を指し、どこの誰がこんなヘラヘラ新選組にと言うので、僕だって浮いた話くらいはありますと軽口で返す。
「奥さんいるからって、女遊びはやめたんじゃないんですか」
「遊んでないよ、好意は甘んじて受け取るだけ」
なんですかそれと更に熱が入る相手に、どこまで黙っておこうかなと考えている途中で、副長が顔を出した。
「沖田、嬢ちゃんが呼んでる」
「わかりました、ちょっと行ってきますので変わりに斎藤さんがどこの女の子を泣かせたか、吐き出させてください」
それでは、といやな置き土産だけして出て行ってしまった沖田ちゃんにかわり、無言のままで部屋に居座る大きな体躯の相手に、一応言っておきますが子供から貰ったものですよと釘を刺す。
「配り歩いてるあれか」
「知ってたんですか」
俺も前に貰ったことがあると言う、子供は恐れ知らずだなという感想に少し眉根が寄ったので、刀を持った大男相手ですから、そう思うのも当然でしょうとつぶやく。
「ここにはそんな奴、ごまんといるが」
「異常事態ですよ」
これをくれた少女だって普通の子供じゃない、でなきゃ人理に刻まれないのはわかっている。でもあどけない姿を見るとどうしても、
とはいえ、沖田ちゃんほどではないにしても子供は嫌いじゃなくなったので、つき合いますよお遊びにだって。
「幸せの再来だ」
「なにがです」
花にこめられた意味だが、聞いてないのかとたずねられるので、教えてくれなかったですよと返す。
「そもそも、召喚された身で幸せって言われてもね」
最優先されるはマスターちゃんの幸せだとして、それ以外はなんだろう。
ただ生き残るために必死だった、けどもう死んでしまった以上は人生に足掻きようがない、だから僕個人はどうこうする気はないんだけど。ここに招かれるかたがたはどうにも欲が強い、よくも悪くも。
「それで、僕になんの用なんです?」
「俺の部屋には花瓶なんてもんなくてな、これもついでに入れてくれ」
さっき嬢ちゃんから貰ったという一輪のスズランの花を、すでに束になった瓶の口にそっと加えると満足そうな顔をしてみせるので、人に貰った物を押しつけるのよくないですよ注意しておく。この人が女泣かせなのは昔からなので、それは知ったこっちゃないですけど。
「ああそうだ、副長と再会できたのは、上々です」
「俺もだ」
「そうですか」
そんな素振り見せないじゃないですか、もう少し嬉しそうにしてくれてもいいのに。まあでも、再来というなら確かにそう。
願ったりではないですけどね。
「一ちゃん、前から言おうと思ってたんだけどね」
カルデアには職員向けの相談窓口があるんだ、実はねサーヴァントからの相談にも対応してるんだよ。
どんな内容でも、基本的に専用職員が対応してくれるし、心理カンセラーもついてるからと。
「それを僕に言う理由は?」
「土方さんのセクハラが目に余るなって」
そういうの、直接言われるのはダメージでかいよ。
「無駄ですよマスター、この二人は新撰組の当時からあの距離感です」
隊内でも影で夫婦と言われてましたとしれっと口にする沖田ちゃんに、更なる追い討ちを喰らう。
「なんで僕に言うの、明らかに被害者側だよね」
「目に余るほど放置してるからですよ、夫を制御できるのは嫁だけでしょう」
誰が嫁だよ、こちとら妻子持ちのじじいだけど。
「でも土方さんのこと好きですよね」
「昔からデキてました」
「ああもう、余計なこと言わなくていいから!」
「という苦情があがってるので、あんまり人前ではやめてください」
廊下で腰を抱き寄せてきた相手を押しやり、不服そうな顔に向かってそう言った。
なんでそんなものに従わないといけないんだ、という顔するのはやめてください。僕だってなぜ本人に向かって言わなきゃいけないんだ、って思ってます。
「おまえ、嫌なのか?」
「こういうのに不快感を持つ人もいるので、場所とか節度はわきまえましょうって話です」
年頃の少女からクレーム入れられる僕の身にもなってください、後々で他の場所から注意されるのは勘弁ですよ、しかもこんな内容で。
「人前じゃねえだろうが」
「誰がとおるかわからないでしょ、公共の場ですし」
今は行為の強要だったり、同意のあるなしにうるさいんですよ、世の流れってことでしょう。
ここじゃ権力の具現化みたいな人ばっかりで、どうにも普通の線引きを忘れそうになるけども。
「相手が嫌がってないなら、セクハラではないと」
「周りがダメだって言うなら、ダメでしょう」
眉に寄ったシワがすごいなと思った直後に、部屋ならいいんだなという低い声と共に強い力で引っ張りあげられる。
「ちょっと、なにする気ですか?」
「部屋ならいいんだろうが」
だからってなにも担いで連れて行かなくてもいいでしょうが、おろしてくださいよと腕を叩くもえげつない力で抱えられており、びくともしない。
これは間違いなく怒ってるでしょう、こんな細かいことで小言をつけられるいわれはないと、言動全てに溢れてるんですよ。
「というか待ってくださいよ、部屋でなにする気なんですか?」
僕これからシュミレーター行く予定だったんですけど、と抗議したら後日でいいだろと一刀両断された。
これはセクハラではないが、もしやパワハラというのではという疑問が浮かんだが、この時点でこれでも彼なりに譲歩してもらっているので、これ以上を求めるのはよろしくない気もする。
「副長とりあえずおろしてください、目立つんで」
「逃げねえな?」
「流石にしませんよ」
「そういうところだよ、一ちゃん」
「土方さんの言うことには絶対なんです、あの人」
死ぬまで変わらないとか言いますけど、新撰組は死んでも変わらないんですね、と呆れた口調の少女二人に見守られていたのは知らない。
早朝に目が覚めた。
特に用があるわけでもない、けれど二度寝をするにはしっかりと覚醒した頭が邪魔をする。
落ち着かない体に耳を傾けてみる、頭で考えてわからないことは、自分の体に聞いたほうがはっきりするものだ。
しばらくして起きあがり、衣服を整えると刀を手に部屋を出た。無人だろうと思っていたシュミレーターに入ると、先客と顔を合わせてしまった。
「ああ、きみは」
「こりゃどうも」
渡辺さん随分と朝が早いんですねと言うと、いつもこの時間に顔を出していますよと返される。また熱心なことでと思ったまま口にすれば、それはきみも同じだろうと、着々と準備を進めていく。
同じ日本出身でしかも刀を使う者同士とはいえ、あまりにも生きた時代が違いすぎる。そのためか話をしたこと自体はあっても数えるほどだった、しかも二人きりというのは今日が初めてになる。
早朝の運動とはいえ刀を振るおうとしている人に対して無粋な視線は投げたくない、けれどそれ以上に気を惹かれるものがあった。
「手にされているのは天下に聞こえる名刀・鬼切安綱でよろしいんですか?」
「そうだ」
自分の宝具であり間違いなく鬼切安綱と呼ばれている、と簡素に説明されて少し気持ちが高揚してくる。わずかな機微を気取られたようで、気になるのかと聞かれた。
「同じ編成されたことはないですし、伝説の名刀ともなれば気になりますよ」
「刀が好きなのか?」
「生前から目がないもので」
声をかけるタイミングをずっと逃していたので、これはもしやいい機会なのではないか。期待で心がざわめくのを感じつつ、相手の反応をうかがえば、見たいというなら断る理由はないと、すぐさま返された。
話のわかるお人でよかったと思った直後、鯉口を切る音が響く。
「これも縁だ、叶うならお手合わせ願いたい」
「渡辺綱を相手に、僕ごときはちょっと荷が重いんですけど?」
とはいえ誘いを受けて断るほど野暮でもない、胸を借りるつもりでかかっていきますよと、こちらも柄に手をかけて戦闘態勢に移る。
鬼切伝説を持つ相手に、どれほど通用するのか見ものだなと頭の片隅でつぶやく。
相手の構えは中段、お手本に描いたような綺麗な立ち姿を前に、どう立ち振る舞うかを考えたって仕方がないと早々に決めて、ふらりと足を踏み出して先手をしかける。
右で抜くと見せかけて、左手で素早く抜いて一太刀振るうが、入りが浅く簡単にかわされてしまった。
返す刀で打ちこまれるのをいなし後方へ避け、いったん間合いを取る。
全力でぶつかっていれば腕一本簡単に持っていかれるな、それくらいこの人は斬れる。
鬼や魔性の者やらは得意でも、人を斬るのは抵抗があるとか聞いたんだけど、一言も斬れないとは口にしてないもんなあ。鬼を斬れて人をぶった斬れない道理はないけど、こちらの本職は人を斬ることだから、やられっぱなしは気にくわない。
フェイントと思わせて素早く正面を取る。左手に構えた刀の端は相手の籠手に届かないものの、もう一歩踏みこめる余裕ができれば充分。
右手から次の一刀を入れようとしたのを、驚きの体捌きで受け止めて、今度は彼が後ろへ退がる。時間をかけたら押し負ける、なら一気呵成に攻め立てる。
決着がつくまでやめる気はなかったんだけど、何度目かわからない攻防戦の最中に、二人ともそこまでと声がかかる。
「少し調子が悪くてね、午後からメンテナンスの予定だったんだ」
準備運動や個人での修行には支障はないから開けていたけど、きみたちの本気の攻防を処理するのは限界なんだ。悪いけど今日のところは一旦お預けにしておいてくれないかい、とスピーカー越しに話す声の持ち主に、そいつはすみませんでしたと返す。
「調整中なら、張り紙くらいあってもいいんじゃないですか?」
「朝食も食べずに、本気の果たし合いをする人がいると思わなかったんだよ」
次からは気をつけるからねとダヴィンチ女子は言うので、丁度よかったんじゃないですかと相手に返す。
このままだとどっちかの首が飛んでいてもおかしくなかった、それくらい白熱してきた最中だったのだ、不完全燃焼であってもいい具合に体はほぐれて気分は悪くない。
確かに今のままでは最悪、医務室の世話になっていたかもしれないなと相手が刀を鞘に収めるので、同じく刀を仕舞った。
「きみの使う剣は、変わっているな」
そもそも二刀の剣士というのは多くないから、相手取るのは難しいというのに、更に太刀筋が読みにくいともなれば、中々に斬れるものでもないと。
「お褒めに預かり光栄です」
「ああそうだ、刀を見たかったんだろう?」
じっくり見てくれていいと渡されるので、ありがたく受け取って、ゆっくりと丁寧に抜いて刀身を確かめさせていただく。
表に浮かぶ波紋、現在残っている物と幾ばくかの違いはあるだろうけど、これは全盛期、鬼を斬るためにあった時代の刀その物である。そう思えば余計に輝いて見えるというもの。
「面白いんだろうか?」
「もちろん、以前に義経公からも薄緑を見せてもらったことがあって、あれもまた見事な刀で」
源氏の宝刀という色眼鏡を抜きにしても、御託のいらぬ立派な物であることは間違いない。
お目にかかることすら叶わなかった名刀を、こんな間近で目にする機会に恵まれるなんて、僕ってあまりにも運がいい。
「いやあ、朝からいい物を見せていただきました」
ありがとうございますと頭をさげて返すと、喜んでいただけたなら自分は構わないとすらりと返される。
「きみの使う刀も、見せてもらってもいいか?」
「構いませんよ」
とはいえこんな名物と比較されては困るんですけどねと言うと、あの不思議な剣さばきを可能にしているんだ、いい物なのは間違いないだろうと指摘される。
「鬼神丸国重と後世には伝わってるようなので、その刀で召喚されてますよ」
「他にも使っていたのか?」
「さっきも口にしましたけど刀に目がなくてね、半分ほど趣味で集めてましたから」
そこそこの目利きだと知られてたり、鬼神丸国重だって気に入って使ってたんですが、途中で折れてしまって、惜しいことをしたと思っていた一本だ。
「きみほどの手練れでも、刀が折れるほど苦戦した相手がいるのか」
「いや、時代の流れってやつです。刀よりも銃での戦闘が主になってきたら、どうしても歯がたたない」
市街地を行き交う戦いには向いているけれど、こと戦争となれば新選組は弱い。隊の規律はあろうとも、軍としての機能で育てられたわけではないから、どうしても統率は悪かった。
「我々も弓兵は苦手とするところだからな」
「ええまあ、銃弾飛び交う戦場なんて、いいもんじゃないです」
そういう戦いの中で折れてお別れしたんです、いつのころだったのかは記録に残ってませんし、僕も当時の記憶は曖昧です。
酷い戦場だったので、覚えてないのもある。
「続きは朝食を摂りながら話さないか?」
「おっ、いいですねえ」
お堅い人なのかと思っていたけれど、別に人が嫌いというわけではないらしい。召喚された時期も近かったので、前から話はしてみたかったのだという。
粗食を心がけているという相手の前で味噌汁をすすりながら、それはお互いさまだったようで安心しましたと返す。
「そんなに遠慮することはないんだが」
「いやそう言われましても、幕末の治安部隊と平安の鬼狩り伝説の持ち主じゃ、遠慮のほうが勝ちますよ」
そういうものだろうかと言う相手に、伝説をお持ちの人にはわからないものでしょうと苦笑して返す。
とはいえ同じ釜の飯を食べる仲なんだからと気軽に口にする相手に、いやでも今後とも世話になることもあるでしょうしね、と返したところでおはようと朗らかな声がかけられる。
「おはようマスターちゃん」
珍しい組み合わせだねと指摘され、偶然顔を合わせたので、朝食でもどうかと思って声をかけたんだと、渡辺さんのほうが答えてくれる。
「やっぱり剣士だと話が合う?」
「生まれた時代も立場も、使う剣もなにもかも違うけどね、だから面白いこともあるよ」
気が合うんなら今度から編成考え直すよと言う彼女に、無理にはいいですよ必要に応じて力を貸すのでと返しておく。そうやって、うまく立ち振る舞えなかったら本末転倒ってもんでしょうし。
隣空いてると聞かれたので、どうぞと椅子を引いて隣へと導く、目の前の相手にありがとうとお礼を言うと、斜向かいに座る。
朝からしっかり食べるねと言うと、体が資本って言うからさと照れたように笑う。
「一応言うけど、太ってはないよ!」
「いやマスターちゃん細すぎだから、しっかり食べてて安心するよ」
「ああ」
僕らから見てみれば、華奢で折れないか心配になるくらいだ、この細腕で人類なんて背負わなくてもいいだろうに。
「二人はなんで一緒に?」
「朝の稽古で会って、互いの実力を試してみようと手合わせを頼んだんだが」
シュミレーター動かないんじゃなかったの、と指摘する彼女にはちゃんと連絡は伝わってたらしい。
周囲をもうちょっと確認しないとなと、手にしていた箸をいったん置いてお茶の入った鉄瓶を取る。
自分の湯呑みに半分ほど注いで、目の前の二人にたずねれば、すまないと渡辺さんは空いた椀を渡してきたが、マスターちゃんからは特に大丈夫と断られた。
本気になりかけて待ったがかかって、そのままもう少し話をしたかったので朝餉に誘ったという、簡素な説明にそうなんだと相槌を打っている。
「ああ、あと刀の話を少し」
宝具をみだりに抜くわけにはいかないが、手合わせの後ならばと経緯をかいつまんで話ている。
「斎藤さんが刀好きだって逸話、本当だったんだ」
「逸話ってほどじゃないよ、人並みより少しだけ深く興味があるってだけ」
帯刀を許される身分ではあったし、刀を振るうだけの力もあった、だから自分の身を預ける物へもこだわりたかったのだ。
「日本刀の良し悪しって、どこになるの?」
「それに関しては、僕なんかより刀匠の先生に聞いたほうがいいかも」
「自分の主観でもいいのなら、いい刀は持ったときにわかるな」
抜き身で構えたとき、ああこいつは斬れると思う、直感ではあるがおよそ間違えたことはない。
「それは覚えがありますよ」
とはいえアテにならない評価だとも思う。刀としての出来も左右されるけど、なにより持ち主である人間との相性によるところも大きいからだ。
「誰にとっても同じように斬れるなら、それは確かに名刀ですけどね」
「たとえば渡辺さんの刀を斎藤さんが振っても、使いこなせないの?」
「ある程度までなら使えるとは思いますよ、でも持ち主ほどポテンシャルを引き出せるわけがないでしょ」
「そうだろうか?」
意外と使いこなせるんじゃないか、なんて言われるとお世辞でも悪い気はしないけど、あんたの刀はそのまま宝具なわけで、到底あの火力は出せませんって。
「腕が使いものにならなくなったら、きみに渡すという手はあるな」
「まあ西洋剣よりは扱いが慣れてますからね」
そんな緊急時があるかはわからないものの、彼女の身を守れるならそれもありかもしれない。そこまで追い詰められたならまず令呪を使うよと苦笑する彼女に、それはそうかと相槌を返し、そもそも朝からする話でもなかったなと反省する。
そんなことを考えている間にも食堂にはどんどん顔見知りが集まってくる、普段よりも早い時間だったので混み合うのはこれからだろう。
その前に部屋に戻ろうかと考えてたので、食べ終えた食器を手にしたところで、そうだと前に座っていた相手から声がかけられる。
「気になっていたんだが、きみは左利きなのか?」
非常にうまく矯正されてはいるものの、反応速度や力の強さが、左での太刀筋のほうが上回ると言い添えられ、指摘する人には久しぶりに会いましたと返す。
「躾の問題で、右にしたほうがいいだろうってこってり絞られたんですよ」
箸を持つのも筆を持つのも右にしているから、普段の生活ではまずほとんどバレないんだけど。
二刀を扱うようになったのも、結局はどっちも使えるなら二本使ったほうが早いだろうという意味でだったし、実際に左右の腕に関係なく使いこなしているはずなんだけど、遜色ないだけで刀を合わせれば異変には気づかれるか。
教師×生徒の土斎
真新しい制服はまだあまり体に馴染まない、一ヶ月もすれば、新天地にも慣れると言われたものの、どうなんだろうね。
そもそもあんまり学校が好きじゃない、教員に目をつけられない程度の成績は取っているものの、これといった目標があってやっているわけじゃない。
夢を持つのは結構なことだが、着実に生きる道をみつけるのがいいんじゃないの、というのが本音。嫌味に思われたくないから口にしたことはないけど、でもおかげで困ったことが一つ。
「いまどき部活動の加入が必須、ってねえ」
目の前には担任から配られた入部届と、各部のスケジュールや活動場所が記された、手作り味あふれる冊子、しかも運動部と文化部の二冊組ときた。流石マンモス校なだけはある、人が集まればそれだけ活動も広くなるってか。
「斎藤は剣道部だろ」
「いやだよ、ここの剣道部ってめっちゃ強いじゃん」
わずかながらいる中学からの同級生は、いいじゃん道場破りして来いってと冗談交じりに言う。そもそも道場破りなんて見たことないし、時代遅れにもほどってものが。
「剣道が強い斎藤とかいう人がいるのは、このクラスですか?」
道場はないけど、教室は堂々と破りにくる奴いるんだと目を逸らす。
あきらかに名指しされているけど、この学年に複数の斎藤がいること、および相手もまた剣道の実力者であることを祈る。
そんな願いも虚しく、ここに居ますと旧友からの裏切りにあい、逃げる間もなくとっ捕まった。
「えっと、先輩なんですかね?」
身につけている校章の色が違う、学年ごとに色分けされているとどこかの説明で聞いた記憶を思い出して聞き返せば、そうですよと笑顔で返される。
「三年の沖田といいます」
剣道部にもマネージャーとかいるんですか、と聞けば、失礼ですねバリバリの現役部員ですよと頬を膨らませて言うので、すみませんでしたと謝っておく。
ちなみに俺になんのご用でと聞けば、わかりきったことを、勧誘ですよ勧誘と机の前に居座られる。
「実力ある新入生は大歓迎です、なので是非とも我が剣道部に」
「いやこの流れでは入りませんよ」
運動部はいやだって話をしていたところなんだ。家がやってる道場だけで充分だから、朝練とか合宿とかそういうのは勘弁願う。
「なんでですか、全国一位とか獲りたくないんですか」
「僕はそういう、熱い青春とか求めてないんで」
こんな美少女からの勧誘を袖にするんですか、それでも男ですかと追い縋ってくる先輩に、そういうの自分から口にする人ってどうかと思いますよとドン引きしながら返す。
勧誘に熱心なのはいいですけど、もうちょっと方法はあるでしょうに、わざわざ地雷を踏むのかと溜息をつけば、そんなこと言うならこちらも最終手段を取らせていただきますと、両手を机に乗せた。
はいはい、いくらでもと返すと同時に、入部届は預かったとウキウキの声で宣言される。ちょっと人のもん勝手にどうする気ですかと手を伸ばすも、簡単にかわして教卓まで移動してしまった。
「返してほしければ、私と放課後勝負しましょう」
「なんでそうなるんですか!」
「負ければ即入部なんてことは言いません、ただ来て私と勝負してくれればいいんです」
来てくれればこちらは返しますから、待ってますよ斎藤くんと颯爽と先輩は行ってしまった。
無記名の用紙なら気にしないけど、ご丁寧にクラスと出席番号が印刷された状態で配られた。取り戻さない限り、色々と面倒そうではある、大人しく行くしかないんだろうか、あまりのことで気が重いけど。
剣道部の活動場所は、まだ行ったことのない第二体育館だった、冊子に記載されてた案内に従って廊下を進み、ようやくちょっと古びたそこについた。
失礼しますと顔を出せば、待ってましたよと手を振りこっちへどうぞと招かれる。
「急だったんで防具とか一式持って来てないですよ」
「大丈夫です予備はいくつかあるので、サイズ合いますかね?」
別の男子部員に更衣室へ案内され、予備の道具を貸してもらい着替えていく。どうせ家で指導するのと変わらないだろうし、ちゃっちゃっと準備進めて試合して帰ろう、と最初はタカを括っていた。
竹刀を構えた立ち姿からして彼女は違った、寄らば斬るという気迫がある。一挙手一投足から強さを感じ取ってしまう、女子生徒相手でここまでならば部長はどれくらい強いんだろうか、と思わず考えてしまう。
全国一位なんて口にするだけあって、彼女もかなりの実力者なのは間違いない。
打ち合いを進めてそれは確信に変わる、間違いなくこいつ強い。教室に押しかけて来たと一連のふざけた動作は別人がしたことじゃないかってくらい、人が変わったように静かで早く、かつ打ち合うと強い。
面の隙間から覗く目の爛々とした輝きに、吸いこまれそうだと思った。
とはいえやられっぱなしではない、自分とてそれなりに実力について自負はある。才能を見出されたところで、剣道がなんの役に立つのかと取り合ってはいないけれど、強い相手とやり合うのは嫌いじゃない。楽しいと思える相手が少ないから、あんまり出ていかないだけだ。
勝敗がつかないまま互いに間合を取っては打ちかかりを続ける、時間だけが過ぎていく、審判を任された先輩たちも固唾を飲んで見守っている。
強い相手とやり合いたいなら、その期待に添える人材が揃っている、とでも言いたかったのだろうか。
確かに実地体験は早いですけど、無理やり連れてくる理由にはならないでしょうに。
両名やめと鼓膜が破れそうなほど大きな声で叫ばれる、一体なにかと振り返れば大柄な男の先生が腕組みしてこちらを睨みつけている。
一喝された以上は構えを解いて、互いに深く礼をすると、目の前にいる先輩はにっと唇を結んで笑いかけてきた。
「あちらがウチの顧問の土方さんです」
「沖田、おまえまた新入生を勝手に連れて来たな」
担任からタレコミが来てんだ、強引な部活勧誘は禁止だと口酸っぱく言ってるだろうが、という内容から察するに、どうやら初犯ではなかったらしい。
「才能ある子は先に目をつけとかないと、他に取られると大変ですよ」
「本人の意思がねえ入部届は無効だ、さっさと返せ」
放課後に来てくれたら返す約束だったので、いいですよと奪い取っていった紙切れを返される。
こんな物のために、随分と騒ぎになっちゃったなあと溜息混じりに思うと、興味は出てきませんかとこちらを覗きこんで言った。
「多少は」
「よし手応え充分、では私はこれで」
後は任せますと肩に手を置くと、顧問の追求から逃げるように体育館を出て行ってしまった。
あいつめとしかめ面してつぶやく先生に、迷惑かけてすみませんと一応謝れば、そりゃこっちのセリフだと、至極真っ当な返事がきた。よかった先輩みたいに吹っ飛んだ人じゃないんだ。
「悪いな一年、巻きこんで」
凄みのある声とガタイのよさで気圧されていたものの、近くで見てわかったことがある、この人異常に顔が整っている。女性のような線の細い、中性的なかんじじゃなくて、男らしい形での顔のよさ。
羨ましいとか、モテるんだろうなとか、色々と思うことはあるんだろうけれど、なんの言葉も出てこずに相手をじっと見ていたところ、どうしたと不審そうな声をかけられた。
「ああいやその、僕もう帰っていいですか?」
その前に借りた防具と道着一式返さないといけないか、と面を外してゆっくり息を吐くと、急激に体温があがったように汗が噴き出してきた。
換気のために、ドアや窓を開けているおかげで風通しはいい、これはありがたいなと流れ落ちる汗を拭い取っていると、おまえと低い声で呼びかけられた。
「俺のこと覚えてるか?」
問いかける相手の顔をよく見てみる。今までに見たどの色より深く赤い目をした男の顔、その隅々までを見つめて記憶のどこを探ってみても覚えにない。
そもそもこんなイケメン、一回見たら忘れるわけがないと思うんだけど。珍しく出場したどこかの大会で会ったのか、もしかして審判だったとか?
だとしたら記憶になくても仕方ないけれど、なんだか悔しい。もし本当に会ったことがあるんなら、なんとしても思い出したいところなんだけど。
「覚えてないならいい」
それだけ言うと周りの先輩たちになんで沖田を止めないと、注意をしに回る。横顔もサマになってんなという感想を抱くと同時に、もう用はないと無言の内に判断されたようで少し癪に触った。
道具を片付けて着替えて戻れば、ようやく注意もして終わったらしい。しかめ面で体育館の片隅で練習している部員を見ていた。
「じゃあ僕は失礼します」
「ああ」
「そういえば先生の名前、土方っていうんですか?」
珍しいですよね、歴史上の偉人と同じってと指摘すると、下の名前も同じだという。
「えっ本当に、土方歳三なんですか?」
「悪いか?」
「いえ」
面白いと思ったら失礼なんだろうけど、でも思わず笑ってしまいそうにはなった。両親か親戚か、その誰かにファンがいるんだろうな。
「一回聞いたら絶対に忘れないんで、いいんじゃないですか」
「そうか、おまえは?」
「僕は普通ですよ、斎藤一っていいます」
一月一日生まれだからっていう安直なネーミングです、面白みもなんもないでしょと言えば、おまえだって覚えやすくていいだろうがと、頬を少しだけ緩めて笑った。
「先生は指導に来るんですか?」
「ああ」
「じゃあ今度、一本つき合ってください」
迷惑かけられた腹いせというのもあるけれど、この人がどれほど強いのか興味があった。
こちらを一瞥して、沖田に焚きつけられたならやめとけ、あれはウチの部でも指折りだ、早々に勝てると思うな、なんて言われてはいそうですかと引き下がれるわけがない。
「入るかはまだ決めませんけど、それでも仮入部はできるんですよね?」
自分らしくないことをしていると思う、けれどなにか強い力に引き寄せられるように、もう一度会いたいという気持ちが膨れるのだ。それが誰に向けての感情かは判別できないけれど。
「借りた道着も洗って来ますんで」
「好きにしろ」
体験入部期間で指導に入るのは水曜日と金曜の二日だという、それだけ聞ければ充分だった。
「斎藤のことはどこで知った?」
「オープンスクールのときですよ」
教員と生徒では行動の範囲は異なる、保護者説明会の席に着いてた自分と違い、沖田は勧誘のために校舎内を行き来していた、その際にみつけたのだという。
行動を起こすと決めたのは入学式でめでたく彼の姿をみつけたからだと言うが、あの数の新入生からよくも見出したもんだと感心する。
「よかったじゃないですか、これで無事に土方さんも斎藤さんと会えるわけですし」
「俺やおまえと、斎藤は違うだろ」
この体に生まれ落ちる前、同じ名前で生きてきた人間の記憶が俺にはあった。他の人間にはないと知ってからは、口に出すことはなく生きてきた。
俺がその記憶を掘り起こしたのは、近藤さんに再会したとき、高校生になろうというころだ。
「ウチの道場に沖田が通っているよ」
会うかいと気軽に誘われて断るわけがない。
「ええ、土方さんじゃないですか! よく人間に生まれてこれましたね」
開口一番に沖田はこう言ったため、俺は悪鬼のような顔になっていたらしい。他の生徒がビビって泣き出したくらいだが、これに関しちゃこいつのが悪い。
今まで会えた奴等で、生まれながらに前世の記憶があった奴は沖田だけだ。近藤さんは俺と会って思い出したというが、斎藤はなにも覚えていなかった。
「きっかけがあれば思い出すんじゃないですか?」
それがいいとは限らんだろと言えば、なんですか斎藤さんだけ贔屓するんですかと言われるので、覚えてないもんを掘り返す趣味はねえとはっきり返す。
「あいつの人生に口出しは無用だろ」
「みんな再会できたということは、意味があってのことだと思いますけどね。それに若い斎藤さん可愛いでしょう?」
手出すなら早めがいいんじゃないですかと余計なことを言うので、俺が手を出せば犯罪だと指摘する。
「じゃあ聞きますけど、あの若くて可愛い斎藤さんを放置してていいんですか?」
黙って睨み返すと、たぶん彼も意識してると思いますよ、覚えてなくても、土方さんが来たら速攻で入部届を書いてくれたでしょと言うので、まだ仮入部の届けでしかないと返す。
「絶対そのまま入ってくれますよ、土方さんの指導が楽しみだって言ってましたし」
仮入部期間だが、毎日のように顔を出しているとは聞いている。非常に真面目で剣の腕もよく、もう今年の大会でも期待できるだろうと。
「早く会いたいでしょう?」
指導といっても大したことはしないんだが、それでも満足できるんだろうか。
「さあ、斎藤さんに聞いてください」
俺は一年の教科担当じゃねえんだよと言うと、部に顔出しに来たら会えますよと気楽に言ってくれる。
もちろんできないわけじゃないが、そう易々と教員の時間は空かない。
「後輩ムーブの斎藤さん、とっても可愛いですよ」
「沖田、いい加減にしろ」
昼休み終了まであと五分だ、さっさと教室に戻れと言う。準備室とはいえ、授業外で勝手やたらと居座る場所でもねえだろと言えば、いいじゃないですか昔のよしみでと言うので、面倒なんだよと返す。
「清らかな少女に、無体を強いてるのではと?」
「内申点を甘くつけられてんじゃねえか、って邪推されてんだよ」
いいからもう戻れと追い出せば、放課後遅れないで来てくださいよと廊下から大声で言う、叫ばなくても聞こえてんだよ。
仮入部の届出にはしっかりと斎藤の名前がある、だが生まれ変わりであろうとなにも覚えてない子供相手に、注いでやれるだけの情はないと思いたい。
あの日から何度か見かけはしているものの、会話らしいことは一度もしていない、今ならば他の生徒と同じように扱える自信はある。
ならば相手はどうなのか、それは考えるだけ無駄だろう。
昼休み終了の鐘が鳴る、放課後までに心中の整理はつきそうにないと諦めて次の授業の準備を始めた。
リーマンパロで、ナチュラルにつき合ってる土斎
土方さんとは些細な点で合わないと思う。
たとえばコーヒーの飲みかたや、選んでくるエナジードリンクの種類、昼食に対する考えかたとか。
普通に接するうえでどうでもいいと言えばそうなんだけど、日々積み重なってくるとやはりイラッとするときもある。
「おまえの炊く米、柔らかいな」
「はあ?」
水加減を間違えたんだろうか、でも口に運んだ白米はとくに問題ないように思う、顔色を変えずにたくあんをかじってる相手に、別に普通じゃないですかと聞けば、少し硬めのほうが好みだと返ってきた。じゃあ自分で炊けばいいでしょうと言えば、おまえが作ったから注文をつけたと言う。
「じゃあ食べなくていいです」
食べ物を粗末にはできないだろうと言うが、だったら黙って食べればいいでしょ、なんか朝から腹立ってきた。
苛立ちと一緒に朝食を流しこみ、もう行きますと相手を残し鞄を掴むとさっさと出て来てしまった。
「夫婦喧嘩でもしました?」
「誰が」
土方さんに対して当たり強いじゃないですかと言う沖田ちゃんに、別になにもないよと淡々と返せば、なんかあったんですねと呆れた口調で返される。
「社内恋愛なんですから、ちゃんとプライベートは切り分けないと」
「業務に支障は出てないでしょ」
予算申告書作り終わったからあとは承認がおりるのを待つだけ、その許可を与えてくれる相手は眉をしかめてモニターを睨みつけている。さっさと判を押して処理を進めてほしい、これが早く進めば今日は早く帰れるかもしれない。
「それで僕になんの用?」
「実はですね。この案件の予算が変更になりまして」
もう通ってたよねと言えば、そうなんですけどそこをなんとか、というのが上からのお達しなんです。
「修正しろって?」
「そうなります」
「明日プレゼンなのに?」
「大至急です」
やり直しなんだけどというと、いつものことですよと最強の営業スマイルで返ってくる。ああもうと資料を奪い取って、時間を確認し修正作業に取りかかる。
時間に限りがある以上は無駄に使うわけにもいかない。先方に行くことも考えれば、終電までには終わらせて、シャワー浴びて何時間かでも寝ておきたい。
そのためにまずしないといけないことは、あの堅物をどうにかすることだ。
とりあえずコーヒー買って来ようと席を立つと、気の毒そうにと視線だけで哀悼を送られる。
ああいやだ、同情されても仕事は手伝ってくれない人たちだもん。わかってるよ、手いっぱいなんでしょみんな、僕が悲鳴をあげる姿もまた、一種のエンターテイメントなんだ。
「なんだか酷い顔してるね」
「いつものことですよ」
きみたちの部署は売りあげはいいんだけど、どうも残業時間が多すぎるんだよ、人事としては困るんだけどねと声をかけてきた山南さんに、そう思うんなら組織改革のほうがんばってくださいよと言えば、できるならそうしたいよと溜息を吐く。
途中で投げ出さない精神だけでもって仕事してますんで、終わらせてきますねと席に戻ろうとすると、無理だけはしないでねと声をかけてくれたので、死なない程度に頑張りますと手を振って戻る。
デスクに戻ると見覚えのない包みが一つ、なんだこれと取りあげると、ノッブサブレと書かれたゆるキャラの顔が目につく。誰かのお土産なのかもしれない、この忙しさの中で差し入れはありがたい。
昼食を携帯食料と差し入れのお菓子で誤魔化し、とにかく時間に追われながら資料修正から先方の偉いさんへの連絡をこなしていく。表面上は仕方ないですよと取り繕って返すけど、心の中ではケチるならせめて最初からにしろと悪態をつく。
結局、修正作業に追われるまま天辺を過ぎようとした時間に、まだ帰らないのかと声をかけてきたのは朝から極力無視を続けてきたウチの部長。
「もう少しで帰ります、朝一で承認お願いします」
返事はない、けど机のそばから動こうとしない相手に、なんかまだ用ですかと睨み返すと、終電もう終わるぞと指摘される。
「えっ、ああそうですね」
「家帰れないだろ、泊ってけ」
部長の家は徒歩圏内だ、タクシー使って帰ることを考えればそうさせてもらえるのは、多少なりとも楽ではある。
夕飯はデリバリー頼むか、と行くと答えてないのに決定事項として扱われることにムッとして、タクシーで帰りますよと返す。
「なんでだ」
「明日プレゼンなんで、流石に着替えます」
「俺のとこにも置いてるだろうが」
だが意地でもあんたの世話になりたくない気分なのである、こればっかりは譲れない。それだけ返して、お先にどうぞと手を振ってやる。
それから三十分、これで終わりだと資料を保存してパソコンの電源を落とし立ちあがると、大きく伸びをする。今日はとにかく疲れた、早いとこ帰ろうと席を立つと腕組みしたまま部屋の壁にもたれかかってた相手と目が合った。
「まだ帰ってなかったんですか?」
「悪いか?」
別に悪くはないですけど、なんでと言えば待ってたんだよと返される。
「ですから、自宅に帰るって言ったでしょう、先に帰ればいいのに」
「いいから帰るぞ」
ちょっと、なに勝手に話進めてるんですかと言っても、相手は聞き入れる姿勢を見せていない。相変わらず身勝手な人だ、と諦めて後をついて行くとラーメンでも食って帰るかと聞かれる。
「部長の奢りですか?」
「そのかわり、明日のプレゼン成功させろ」
承知しましたと返すと、会社の近くにある深夜帯までやってる店に二人で入る。この時間から食べるには酷いカロリーだと思ったが、昼を抜いている分で相殺されると信じよう。深夜のラーメンってなんで美味いんだろう、体に味が染み渡るのを感じて、大きく溜息を吐く。
「山南さんから、無理するなって注意されました」
注意されながらも残業してるんで、また注意されるかもしれませんと言うと、いつものことだと隣に座ってる相手は返される。
「業務状態としてよくないですよ、最近は労働法もしっかり働きだしてますし」
早く終わるんなら僕だって片づけて帰りたい、上司に気を使って、新人が帰るのをためらうなんてことも発生するから、管理職になるほどに不要な残業はせずすぐに帰るようにと、言われているはずなのだ。
「僕が残らなかったら部長すぐ帰れたでしょう」
「やることはあった」
「そうですか」
本当かどうか怪しいけど深追いしても仕方ない、正直に答えてくれるとは思えないので黙ってラーメンに向き合う、チェーンとして保証されてる味だ。
「明日の朝、なに食べます?」
横で焼豚かじってる相手に聞けば、おまえが作るのかと驚いたように返されて、あんたが作る料理って大体が塩辛いんです、塩分過多で健康診断いつか引っかかりますよと嫌味でもって答える。
「客なんだからゆっくりしろ」
「いや、流石に泊めてもらうのになにもしないのは」
というか、この人の作る料理が塩辛いのが悪い。濃いめの味つけが美味しいと感じるのは、まあわからないことはないけど、でも限度ってもんがある。
「それで、なにがいいんですか」
「任せる」
それで本当にいいんですか、朝からホットケーキとか作っても文句ないんですかと言えば、作れるんならやってみろと言われた。
今朝、苛立ったまま飛び出すように出て来た土方さんの家に、また戻って来てしまった。スーツにしわが寄らないように先に吊っておくと、先にシャワー浴びて来いと声をかけられた。
「いいですよ、別に後で」
荷物片づけて朝飯の用意しておくんで、先に入って来てくださいと相手に言うと、無理すんなよと頭を撫でられる。
明らかにご機嫌を取ろうとされているな、別にもう怒ってない、まずいって言われたわけでもないし、理不尽なわけでもないし、正直もうどうでもいいのだ。
朝食用に米を研いで炊飯器にセットしておく、今朝の記憶を頼りに冷蔵庫の中身を確認すればえのきだけと鮭の切り身がある、なにもなければ今晩ホイル焼きにしようと思ってたんだよな、これで焼き魚と味噌汁の具は決まった。
流石にホットケーキは無理だな、冗談のつもりだったけど材料がなさすぎる。土方さんのことだからたくあんさえ添えておけば受け入れられそうだけど、自分の胃が甘味に耐えきれるわけないし。
「斎藤、まだやってるのか?」
「もう出て来たんですか」
シャワーだけならこの程度だろと言う相手に、それもそうかと水を差し出すとおまえも早く入って来いと言われる。
熱いシャワーを浴びていると、疲れもあって徐々に眠気が増してきた。これは早めに出て横になってしまおう、体が睡眠を欲しているのならそれに従うべき。
ふらふらする頭を抱えリビングに戻って、もう寝ますと言うと、せめて乾かしてからにしろと短い髪を撫でられる。面倒だと首を振ればソファに座らされ、大人しくしろと言う声と共に熱い風が当てられる。
深夜にドライヤーって迷惑じゃないですかとは思うものの、それを注意する気力も抜けて。されるがまましばし髪を梳かれて、完全に乾いたのを確認し終えるともういいぞと声をかけられた。
「ん、おやすみなさい」
「おい斎藤、そんな所で寝るな」
もうどこだっていいんですよ、横になって眠れるんなら。ともかく限界だと訴えるとわかったからこっち来いと大きな両腕で抱きあげられる。それなりの体格の男一人、軽々と抱きあげられるのはすごい力だ。
広めのベッドにおろされて、当たり前のように隣で横になる相手に抱きつけば、高めの体温にすっぽり包まれる。疲れきった体にこの温度は本当に心地いい、別になくても休めるんだけど、眠りに落ちるまでのスピードが違う。
ずるずると引きずられるように、相手の熱に寄り添って眠りに落ちていく。
「糸が切れた瞬間、無防備になりやがって」
なんか言われたかなと思ったけど、それに答えることもできない、おやすみと言われたのかも覚えてないくらい、急速に暗い底に落ちていった。
「卵焼き甘いんだな」
好みじゃなかったですかと聞けば、いや美味いぞと箸を進めていく。この人のことだから、自分で作るときは塩と醤油で作ってそうだな、いやそもそも卵焼きなんか作るんだろうか。
少し硬めに炊いたご飯をしっかり噛んでいると、朝から無理してねえかとたずねられる。
「焼いて終わるようなものばっかですし」
「体調はどうだ?」
「思ったよりマシです、よく眠れたようなので」
プレゼンは大丈夫そうだなと言われるので、なんとか乗り越えられそうですと返したら、うまくいけば今日の昼も奢ってやるよと言われた。
「マジですか、珍しい」
言質取りましたからね、絶対に完璧にこなしてやりますよと返せば、それでやる気が湧いてくるなら安いもんだと返された。
週末はどうすると聞かれ、とりあえず買い出しには行きたいですねと返す、冷蔵庫の中身が空に近くなってきている。この人、僕が来なかったらどうやって暮らしてるんだろう、あんまり想像つかない。仕事はうまく回してるのに、私生活こんなって本当に大丈夫なんだろうか。
「おまえに言われたくないな」
「はあ? 僕はしっかりやってますよ」
そうかと言う相手になんですかその疑いの視線はと返せば、睡眠だけは削るなよと返ってきた。
あとがき
Twitterにアップしてる作品、意外とまとめられてなかったと反省してます。
2021年8月5日 Twitterより再掲